血界戦線 −THE LAST HOPE−   作:春風駘蕩

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3.黄金の魔導師

「オラァ‼︎」

「ア……アニキィィィ‼」

 

 バケツでぶちまけたかのような量の血が、路地裏に飛び散る。

 直後にどどっ、と。岩のような皮膚を持つ大男が、まるで弾丸のような勢いで壁に倒れ込む。見上げる程の巨躯で倒れるものだから、辺りには地震と勘違いするほどの震動が響き渡る。

 

 白目を剥き、ぴくぴくと痙攣を繰り返す大男の腹を踏み、四肢の女―――オーフェンが胸ぐらを掴んで凄んだ。

 

「吐けコラァ! ぜってぇおめぇ何か知ってんだろ! 痛い目に遭う前に全部吐けコルァ‼︎」

「ひぃいい…!」

「もう十分痛い目に遭ってますぅぅ‼︎」

 

 瀕死になっている大男のすぐ横で、取り巻きの小柄な男達が涙ながらにオーフェンに悲鳴をあげる。

 自分の身包みを狙い、挑発的な言葉を吐きながら寄って来た者達の何とも情けない姿に、オーフェンはチッと舌打ちをこぼした。

 

「チッ…ハズレかよ。せっかく餌に食らいついたかと思ったら、ただのカツアゲ目的のチンピラとか、マジで萎えるぜクソッタレ…!」

 

 がしがしと頭を掻き、苛立ちをあらわにする野性的な美女。

 ふん、と鼻を鳴らし、虚空を見上げて何かを考えている様子の彼女を凝視したまま、破落戸の男達は兄貴分を担いでその場を離れようとする。

 

 が、美女から数歩離れかけたその瞬間、オーフェンの首がぐるりと回り、両目がギラリとあやしく光を放った。

 

「……まぁ、それはそれって事で、慰謝料でも貰っちゃおうかね?」

 

 尖った牙を剥き出しにした、凶悪な笑みを浮かべるオーフェンを前にして。

 破落戸達は、この世の終わりを見るような絶望の表情を浮かべた。

 

Serpensortia

 

『……つーわけで、バーさんの探し人に関わるようなそれっぽい情報は、何も出てこなかったわ』

 

 橙色に染まる空の下、高い高いビルの屋上。

 耳に翳した携帯電話から響く使い魔の声に、魔女はため息を返す。

 

 使いこなすのに非常に手間がかかった文明の利器。

 幾度もの試行錯誤の末、ようやく基本的な使い方を学んだはいいが、齎される情報があまりに乏しすぎる事に、エヴァンジェリンは落胆を禁じ得なかった。

 

「うむ、そうか…そっちは引き続き任せる。夜にまた連絡しなんし」

『うぇーい…』

 

 やる気が全く感じられない返事を最後に、ブツッと通話が切れる。

 最初に頼んだ時から、気怠さを隠そう通していなかった使い魔に、思わず肩を竦める。この調子では、捜索はいつまでかかるものか。

 

 エヴァンジェリンは携帯電話を太い頃にしまい込むと、自身の不満や苛立ちを誤魔化すように大きく深呼吸を繰り返す。

 胸中のもやもやが少し薄れると、魔女は未だ喧騒が止まない街並みを見下ろし、目を細めた。

 

「ふむ…やはり引っかからんか。あれだけの魔力、そうやすやすと隠せるとは思うていなかったのでありんすが……」

 

 目を凝らしてみれば、どこにでも見つかる事件、事件。

 ライブラが出張る必要が全くない、住民にとっても日常茶飯事の、しかしヘルサレムズ・ロットの外の世界に住む者ならば、十分に危険な事件が乱立する街。

 

 これから大事を起こす、と明言した個人を探すには、この街はあまりに騒がしすぎた。

 

「クラウスの奴めが、我慢しきれずに出てくる前に片付けるつもりでありんしたが……困ったものじゃのう」

 

 視界に映る喧嘩や強盗事件、怪し気な薬の売買に非合法の臓器の売買。

 気が滅入るほど数が多く、それでいてしょうもないと言えるほどに規模の小さな事件の数々。眺める事すら面倒臭くなってくる。

 

 ふと、それらとは異なったものが目に映る。

 若い男女、その間で手を繋ぎ、はしゃいだ様子を見せる幼い子供。暴力とは無縁そうな、ごく普通の親子の姿があった。

 

「…家族か、わっちには縁のないものでありんすな」

 

 そう珍しくもない様な光景が、何故だか眩しく見えた気がした。

 しかしだからといって、何らかの感情を声に表す事もなく、エヴァンジェリンはその母娘から目を逸らす。

 

 そしてふと、今頃ぶつぶつ文句を垂れながらも、役目を果たしているであろう使い魔の事を脳裏に浮かべる。

 

「あやつにも、偶には労ってやってもいいか。適当に食い物でも渡してやれば、あとは自分でかすたまいずなり何なりするじゃろう……何にするか」

 

 懐にしまった財布を探し、中身を確認しようとする魔女。

 手持ちで何を購入しようか、どこで何が安かったか、と脳内で電卓を起動させる、その直前。

 

 

『家族ごっこに耽るようになるとは……お前も随分生ぬるくなったな、小娘』

 

 

 不意に、自分の鼓膜に響いた忌々しい声に、エヴァンジェリンの動きが止まる。

 ピタリと手を止め、財布を懐にしまい直してから、エヴァンジェリンはじろりと鋭い目で、自分の背後にいつの間にかいたその存在を睨みつける。

 

 それは、銀色の竜だった。

 鋼鉄の胴と四肢を持ち、各所に金色の装飾と宝石を施したような、美しくも悍ましくも見える怪物―――魔女の中に棲む、力の源たる魔物だ。

 

「……ドラゴン」

『あれだけ怒り狂い、激情のままに暴れた魔女が、ただの人間の男に心を奪われ、腑抜けたものだ……今のお前ならば、容易く精神を食い尽くせそうだな』

「舐めるな、トカゲめが」

 

 景色の全てが闇に消えた漆黒の空間の中、竜は魔女の周囲をゆらゆらと揺蕩うように飛び、嘲りの言葉を吐く。

 人の姿をした怪物が、似合わぬ飯事に耽っている事が。叶いもしない恋慕を抱き、無様に惑っている事が、可笑しくて堪らないというように。

 

 エヴァンジェリンは虚仮にされている間も、ずっと凍り付いたような無表情で、竜を睨みつけたままだった。

 

「わっちは絶望などせぬ……現にぬしに証明してみせただろう。いかなる苦難があろうと、わっちが堕ちる事はありんせん」

『ククク……その余裕がどれだけ続くか見ものだな。所詮はただのガキ…いや、ただの老婆でしかないというのに』

 

 にたり、と竜の貌が嘲笑で醜く歪んだその瞬間。

 

 ザンッ!と魔女が振り抜いた剣が、漆黒の闇を切り裂き払う。

 いや、元からそんな空間などなかったかのように、パッと元のビルの頂上からの景色が取り戻される。

 

 風の音が響き、微かに眼下の人の声が届くその場所に一人佇む魔女。

 彼女の耳に、しつこく竜の声が木霊し続ける。

 

『精々藻搔く事だな……どれだけ年月を経ようと、お前の過ごした悪夢の記憶は消えてなくなったりはしないのだ―――』

 

 魔女の耳朶に刻みつけようとするかのように、竜の声は延々と響く。

 しばらくの間、エヴァンジェリンは虚空を睨みつけたまま口を閉ざしていたが、やがてスッと眼差しから圧を消して息を吐く。

 

「…トカゲめ」

 

 フンと鼻を鳴らしたかと思うと、手にした剣を陣の中にしまい込む。

 どれだけ拒絶しようと、自分が生きている限りずっと共に居なければならない相手からの揶揄いに、小さな魔女の顔が凶悪に歪む。

 

 むかむかと不快感で一杯になる気持ちを落ち着けようと、虚空に目をやって思考を止めていた時だった。

 

「―――!」

 

 ばっ、と唐突にエヴァンジェリンは、眼を見開き振り向く。

 表情を変えた彼女は、躊躇いなくビルの屋上から飛び降り、数百メートルマシタまで直立姿勢で自由落下する。

 

 風の魔法を使用し、弾丸のような勢いで宙を貫きながら、魔女はある一点を見据えたまま直進していく。

 やがて、魔女はヘルサレムズ・ロットの一角、人気が離れ寂れた裏町の中に降り立った。

 

「……しくじりんしたな、わっちとしたことが」

 

 そこにあった光景―――何人もの男女が倒れ伏し、血を吐いてピクリとも動かないでいる光景に、苦々しく顔を歪める。

 虚空を見つめたまま事切れた顔は、苦痛に歪んだまま。死ぬ前に相当痛めつけられてから、止めを刺されたのだろうと推測できた。

 

 ギリギリと歯を食いしばるエヴァンジェリンの視界にその時、ギラギラと目障りに輝く黄金が映る。

 

「―――ふん、ガキの姿をしていてもやはり老婆か。待ちくたびれたぞ」

「―――ようやくお出ましでありんすか……探したぞ、金ピカ」

 

 魔女の前に立つ、黄金の装いをした長身の男。

 未加工の宝石のような顔を、金色の装飾が顔のように覆う仮面。黒とのコントラストが目立つローブとマントに、尖り帽子を被ったその姿。

 

 まさしくエヴァンジェリンが追い、探し続けていた人物。

 そして、この惨状を作り出した張本人であることを、エヴァンジェリンは黄金の魔法使いが発する気配で察した。

 

「これは……わっちを誘き寄せる餌と考えてよいのか? もしくはわっちを苛立たせて、冷静さを奪う工夫か何かか? ゲートでもない人間をこうも斬り捨ておって……無駄な事をしたものでありんすな」

「答える義理はない……もっとも、お前が知ったところでなんの意味もないがな」

「ほざきなんし! 変身!」

〈フレイム・プリーズ!〉

 

 無駄な口論は不要と、エヴァンジェリンが指に嵌めた宝石をベルトに翳し、魔法使いの装いに身を包む。

 赤い宝石を煌めかせ、剣を手に黄金の魔法使いに躍りかかる。

 

〈コネクト・ナウ〉

 

 振るった刃は、黄金の魔法使いが出現させた陣の中から取り出した戦斧(ハルバード)によって防がれ、甲高い金属音と火花が辺りに飛び散る。

 ギリギリと得物をぶつけ合い、真正面から睨みつけながら、エヴァンジェリンは獰猛な獣の様に口元を歪めてみせる。

 

「色々と吐いてもらうでありんすえ……こっちは縄張りにずかずかと入り込まれて苛立っていんしてな、叩き潰さねば気が済まん‼︎」

〈バインド・プリーズ!〉

 

 新たに備えた指輪をベルトに翳すと、地面から無数の鎖が出現し、黄金の魔法使いに巻き付いていく。

 しかし、黄金の魔法使いが戦斧を振り回すと、鎖はたやすく両断され、ばらばらと破片となって撒き散らされてしまう。

 

 チッ、と忌々し気に舌打ちをこぼすウエヴァンジェリンに向けて、黄金の魔法使いがため息交じりに口を開く。

 

「縄張りか……お前には最も似つかわしくない言葉だな」

「あ?」

「不老不死の化け物の分際で、この世に住処があると本気で思っているのか?笑わせる」

 

 黄金の魔法使いが語り終えるよりも前に、エヴァンジェリンは剣を銃に変えて引き金を引く。

 放たれた弾丸を、黄金の魔法使いは自身のマントを翻して受け止め、金属音と共に弾く。ひしゃげた弾丸を踏み越えて、黄金の魔法使いは自らエヴァンジェリンに戦斧を振り下ろし、抑え込みにかかる。

 

「若僧を誑かし、味方のふりをして甘い蜜をすするのはそんなに愉しいか? 本性を隠し、何も知らぬ若僧共を手のひらで踊らせるのはそんなに楽しいか? ―――なんと愚かしい化け物か」

「ぬしに何を言われようと、わっちの居場所はわっちが決めんす。他人に何を言われようと知ったことか」

「いや…自分でもわかっているはずだ、自分がどれほど歪な存在かを」

 

 ガキン、と甲高い音を立てて戦斧を弾き、刃を首元めがけて振るうエヴァンジェリン。そして、それを受け止め弾く黄金の魔法使い。

 一進一退の攻防を繰り返し、火花が飛び散る中も、黄金の魔法使いは魔女の心を侵すように、悍ましさを滲ませた声で語りかけ続ける。

 

「いかなる責め苦を受けようと、いかに罵詈雑言を受けようと、ふてぶてしくこの世にしがみつく老害……それがお前だ。指輪の魔法使い」

「黙りなんし!」

 

 黄金の魔法使いの腹に蹴りを放ち、思い切り吹き飛ばす。強烈な一撃を受けた魔法使いは壁に叩きつけられ、亀裂を走らせて膝をつく。

 ガラガラと崩れ落ちてくる瓦礫に埋もれる様を見下ろし、エヴァンジェリンは鋭い目で彼を睨みつけ、剣を陣の中に仕舞い込む。

 

「害はぬしのほうでありんす……町に毒をばらまく病原菌めが。ぬしの言葉ごときでわっちの心が揺さぶれるとでも思うたか!」

 

 新たな指輪を指に嵌め、ベルトの左右のつまみを上下に動かす。

 軽快な歌を響かせるベルトの前に、烈火の蹴撃を放つ魔法が込められた指輪を翳し、腰布を翻す。

 

「仕置の時間じゃ……楽に潰してくれる」

〈チョーイイネ! キックストライク・サイコー!〉

「ハァアアア‼︎」

 

 轟々と燃え上がる炎を右足に纏わせ、腰を低く落とした魔女は、高々と跳躍し宙返りをする。

 より一層強く燃え上がる炎の右脚を前に突き出し、気合いの咆哮と共に接近していく。ミノタウロスを一撃で粉砕したその一撃が、黄金の魔法使いに迫る。

 

 魔女の神経を逆撫でし、苛立たせていた彼が、粉微塵に爆散するかに思われたその時だった。

 

〈ホライズン・ナウ〉

 

 突如、黄金の魔法使いの前に岩の壁が出現し、彼の姿を覆い隠す。

 驚愕に目を見開く魔女の前で、岩壁はぐにゃりと粘度のように蠢き、かと思えば棍棒のように勢いよく突き出してくる。

 

 思わぬ一撃を受け、魔女は弾き飛ばされ、地面に叩き落とされる羽目になった。

 

「ぬぁっ…⁉︎ 何じゃ⁉︎」

 

 衝撃で頭に昇っていた血が下がり、その所為か右足の炎もしゅっと消えてしまう。

 混乱する魔女の目の前で、瓦礫の中から立ち上がった黄金の魔法使いと、新たにその場に現れた白い人影が近づいていく。

 

「申し訳ない、手を煩わせるつもりはなかったのだが……」

「いいや…構わない。この子の力は十分に危険な域に達している」

 

 現れたのは、白いフードを被ったもう一人の魔法使いだった。

 金の装飾が施されたローブを纏い、指輪を体に幾つも備えたその姿。腰に巻いたベルトは、エヴァンジェリンや黄金の魔法使いがつけているものと、色以外全く同じ形状。

 

 そんな人物が、魔女が敵として追っている男と、どこか親しげな様子で話しているのだ。

 

「……何でありんすか、ぬしは」

 

 思わず、そんな問いがエヴァンジェリンの口から漏れだす。

 相手が二人に増えた程度、彼女にとっては大した問題ではない。二人纏めて相手どれる自信があったからだ。

 

 しかし、それが魔法使いならば話は別だ。

 変幻自在に現象を引き起こせる、常識を捻じ曲げる者がこの場に三人も集っている事。早々にありえない事態に、エヴァンジェリンの表情に少しずつ緊迫が現れ出す。

 

「どこの誰かは知らんが、今のわっちは機嫌が悪い……わっちが用があるのは其奴だけでありんす。邪魔をするというのならそれ相応の覚悟を決める事じゃ」

 

 内心の動揺を隠すため、尊大な口調で虚勢を張る魔女。向こうの糸が不明な以上、自分が優位であるという印象を与えておかなければ危険だと、そう考えていた。

 

 そんな彼女の前で突如、白い魔法使いはくつくつと、肩を揺らして嗤い声を響かせ始めた。

 

「何がおかしい…!」

「…やれやれ、困った子だ」

 

 警戒し、身構える魔女の前で、白い魔法使いはやれやれというように肩を竦めてみせる。

 聞き分けのない、扱いの難しい子供を相手にしているかのような、困ったような、呆れているような、敵意がまるで感じられない態度を見せていた。

 

「師の魔力の気配さえも忘れたのか……不老不死になど、やはりなるものではないな」

「……え?」

 

 白い魔法使いが口にしたその単語に、エヴァンジェリンの動きが凍り付いたように止まる。

 その直後、彼女の脳裏に一つの記憶が蘇り、魔女は大きく目を見開いて絶句する。

 

 ―――大丈夫だ、もうここに君を傷つける者はいない…!

    私は君の味方だ……君の力を恐れたりなどしない…!

 

    私も君と同じだ。

    他の人間にはない特別な力をもって生まれ、疎まれ恐れられてきた……君の同類だ。

 

 脳裏に蘇る、遥かかこの記憶。

 大勢の人間に恐れられ、疎まれ、追われ、心も体も傷だらけになっていた頃にかけられた優しい言葉。

 

 現代の魔女を作るに至った男の声と、目の前にいる白い魔法使いの声が、今この瞬間完全に一致した。

 

「師匠―――」

 

 魔女がたまらず、彼のもとに一歩、踏み出そうとした時。

 

 突然腹に重い一撃が加わり、魔女の意識は呆気なく闇に呑まれていった。

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