血界戦線 −THE LAST HOPE−   作:春風駘蕩

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6.贄の儀式

 その日、ヘルサレムズ・ロットを何十回目かの揺れが襲った。

 多少の事件事故、世界を滅ぼしうる終末の襲来など日常茶飯事の異変なのだが、住民達の背筋に走った寒気はかつてないほどに鋭く神経に突き刺さった。

 

 グラグラと揺れる地面には、赤い光の線が走り幾何学的な模様を描く。血のように紅く、不気味に輝くそれの上にいた人々は、どよめきと共に慌てて後退る。

 遥か高くから見下ろせる者、ビルの上階にいた者や、ヘルサレムズ・ロットに住まう最大の個人・ギガ・ギガフトマシフのような存在だけが、その光が描くものの正体に。

 

 ―――ヘルサレムズ・ロット全体を土台に描かれた、超巨大な魔法陣に。

 そして、その中心に起こる異変に気付いていた。

 

「何だ何だ…⁉︎ 一体何が起こってやがる⁉︎」

 

 所で遅めの夕飯を、買いだめしておいたカップ麺を啜っていたダニエル・ロウ警部補がブッと面を吐き出し目を剥く。

 大急ぎでカップ麺を抱えたまま走りだし、異変の正体を探ろうと窓から外へ身を乗り出し、辺りを見渡す。

 

 食事の憩いの時間を邪魔された苛立ちの所為か、ぎょろぎょろと鋭い目にある彼に、近くに居た若い景観が歯ッと声を上げる。

 

「警部! あ、あれ…!」

「…………ふざけてやがる」

 

 釣られて警部補が視線を向ければ、悪態をつきながら表情が強張っていく。

 

 街の中心地に聳え立つ、無数のビル。その頂点部分がぐにゃりと粘土のように歪み、意志を持っているかのように形を変えていく。

 それが見る見るうちに、鼻のような、城のような意匠へと変化していく様を目の当たりにして。

 

 警部補の口の端からこぼれていた面の切れ端が、ポロリと力なく零れ落ちた。

 

 

 

 バーン!と扉を押し開けて、ライブラ内へ飛び込んだレオナルド。

 大きく肩を上下させ、顔中汗まみれにした彼は、街で起こっている事態について把握するため、一目散にライブラに戻ってきたのだ。

 

 そんな彼を出迎えたのは、ライブラの構成員達がみな、必死の形相で駆け回っている光景だった。

 

「観測機回せ! ああ、レオ! ちょっとお前邪魔だから胠どいてろ!」

「いやそれよりお前、パパッとアレ覗いてくれ! 大至急だ!」

「ぼーっと突っ立ってんじゃねぇ! 急げ!」

「保管してある武器ありったけ持ってこい! パトリック! 整備は全部済んでんだろうな⁉︎」

「当たり前だ!」

「とっとと全部持ってけのろま!」

 

 唖然としたまま、声も出せないでいるレオナルドをそのままに、機材を持った男達がバタバタと忙しなく走り回る。

 その中にはパトリックとニーカの姿もあり、普段は使わないような大掛かりな武器まで引っ張り出してきている。普段なら大喜びで準備をしているのだろうが、今日に限っては酷く焦った顔をしている。

 

「悪夢でも見てんじゃないかしら、私達」

「ああ……まるで3年前の再現だ」

「ぐぬぁあああああ‼︎ 恐れていた事態が今! 現実になってしまった〜‼︎」

 

 世界の均衡を守る組織の構成員達。彼らが右往左往とし、阿鼻叫喚の表情を見せる様に、スティーブンとK・Kが小さく呟く。

 その後ろで頭を抱え、天を仰ぐエイブラハムが、事態の混沌振りをさらに加速させていた。

 

 ばたばたと煩い彼らを一瞬じろりと睨み、ザップがふんと鼻を鳴らし正面を向き直る。

 彼は自身の視線の先に映るモニターの画像、囚われた魔女が苦悶の表情を見せる姿に、知らぬうちに眉間にしわを寄せていた。

 

「こりゃ……ちっとばかしヤベェな。ババアがああも手も足も出せずにとっ捕まるとかまずありえねェ」

「……そうできる奴がいるって事よね」

「どういうバケモノだよ、クソが」

 

 チェインが珍しく、恐る恐るといった感じで尋ねれば、ザップは唾でも吐き捨てそうな勢いで毒づく。というか実際に床に唾を吐いた。

 彼のすぐ傍では、機材の持ち出しに力を貸していたツェッドも似たような表情になり、映像の中の魔女に心配そうな眼差しを送る。

 

 喧噪の中、重い空気が漂い始めると、ザップが画面から目を離さないまま、スティーブンに向けて話しかける。

 

「なぁ、番頭……ありゃあ、あのババアの力でああなってるってことでいいのか」

「そういう事になるな」

「マ、マジすか…⁉︎」

 

 頷くスティーブンに、近くに寄ったレオナルドがぎょっと呟く。

 花開いていくビル群の異変は、今も尚続いている。メキメキとコンクリートが柔らかそうに曲がり、もしや街中に広がるのではないかと思わされる。

 

 スティーブンの言う通り、かつてのニューヨークで起こり、つい最近にも引き起こされかけた〝大崩壊〟が、三度人界を襲っているようだった。

 

「ねぇ、あれがあのまま広がったらどうなると思う?」

「全く想像もつかないし……考えるだけで憂鬱だね」

「考えなさいよ、それがあんたの仕事でしょうが」

「無茶を言う…!」

 

 K・Kの苛立った様子の物言いに、スティーブンも険しい口調で返す。元々仲が悪い、というよりK・Kが一方的に嫌っている関係の二人だが、状況が状況故に冷静でいられないらしい。

 険悪になりつつある二人に横目をやったザップが、再び映像の中の魔女を見やり、舌打ちと共に吐き捨てる。

 

「何やってんだよ、あのババア…!」

 

 怒りと憎しみが籠もった声に、聞いてしまったレオナルドが思わずびくりと震える。チェインも似たような反応を示し、ザップから一歩後退る。

 

 ライブラ全体の空気が刺々しいものになりつつあるのを感じながら、レオナルドは戦々恐々となる。

 彼らの怒りが、果たして魔女を捕らえている者達に向けられているのかと、不安を抱き始めたからだ。

 

 ―――俺はこの時……少し、不安になっていた。

 

    仲間を仲間とも思っていない傲岸不遜さ。

    一般人を平気で巻き込みかねない荒々しい暴れ方。

    敵に対する容赦のなさ。

    そして何より……たった一人で、世界を滅ぼせそうな輩を潰してしまう力。

 

 力は刃物、そう誰かが言っていた。

 切れすぎる刃物は持ち主すら傷つけかねず、むろん周りの人間にも傷を負わせかねない。使う者が幼稚か凶悪な人間ならば猶更の事。

 

 そんな力を持つ彼女を、彼らがもし脅威と認識してしまったなら?

 人と繋がるには辛辣な言葉を吐き、力を振るう事に何の躊躇いもなく、巻き込まれた赤の他人を簡単に見捨てるような人物を。

 人界に害を及ぼしかねない怪物、血界の眷属(ブラッドブリード)とほぼ変わりがないような存在を、今が好機と排除する決断を下してしまったとしたら。

 

 ―――ここにいる人達が、あの人を見捨ててしまうのではないか。

    そう……思ってしまったのだ。

 

 ごくりと息を呑み、棒立ちのまま動く事ができないレオナルド。その視線が、やがてデスクに座るクラウスに向けられる。

 

 デスクで指を組んだまま、視線を下に落としているライブラの長。

 事態発生後、モニターをじっと凝視し続けていたと思えば、ゆっくりと虚空を見つめ黙り込んでしまった。

 手の陰に隠れ、彼の表情を誰も伺う事はできなかった。

 

「おい旦那……旦那?」

「え…? クラウスさ―――」

 

 一体何を黙っているのか、長としては約指示を下してほしいと、スティーブンを筆頭にライブラのメンバーがほとんど一斉に振り向く。

 

 そんな多くの視線の中で、黙り続け―――いや。

 自身の中に溢れ出した激情を、必死に抑え込んでいたクラウスの背から。

 

 ごぅっ!と紅く燃え滾る怒気が溢れ出した。

 

Aparecium

 

「……ぉ…あ…!」

 

 四肢を封じられ、宙に磔にされたエヴァンジェリンが、虚ろな目を伏せて呻き声を漏らす。

 顔からは血の気が引き、全身の肌を真っ白にさせてがくがくと痙攣する姿は、力の限り暴れ回った恐るべき魔女とは到底思えないほどに、弱々しく見えた。

 

「おお……これが、これが魔女殿の力…‼︎」

 

 そんな中、興奮した声を上げるのはマヤ一人。

 見る見るうちに街が変貌し、これから始まる儀式を祝うような石の花へと姿を変えた事が、目の当たりにしても信じられない様子だ。

 

 冷や汗を流しながら、しかし目を輝かせて、若く野望を秘めた王が、魔女と変わり果てたビルの内部を見渡す。

 

「何て巨大な装置……まるで城のようだ」

「これは賢者殿が数百年の時をかけて作り上げた術式……これまでも、そしてこれから先もずっと誰にも再現する事などできない最高傑作なのです」

 

 憮然と佇む賢者の隣で、オーマが自慢げに語る。

 まるで、長年の苦労の末に完成した芸術品を誇るような口ぶりと手振りで、宝石の原石のような仮面が怪しく輝く。

 

 誰一人として、苦悶の声を上げる魔女を案じる言葉を吐く者はいなかった。

 

「これで……これで父が還ってきてくださるのですね。死者を蘇らせるなんて、人類史上誰も……いや! 裏の世界の何者でさえも成し遂げた事のない偉業だ! それが叶う瞬間を……僕は見る事ができるんだ‼︎」

 

 震える体を抑え込もうとするように、拳をきつく握りしめるマヤ。浮かぶ笑みは引きつり、冷や汗は止まらず、しかし目を血走らせて出来上がった祭壇を凝視し続ける。

 幼い頃に死に別れ、再会を求め続けた存在が次期目の前に現れるのだと、一切の疑いを抱く事なく息を荒くするばかり。

 

「…動力源を確保するのに、こうも長年かかってしまいましたがね」

「ここまで巨大な装置なんだ。それも仕方のない事だろう……しかし、街の建物もかなり巻き込んでしまったね。住民達にはとても申し訳ない事をした」

「これより始まる大事の前には、些細な事です」

「…うん。あとでしっかり謝罪しよう。魔女殿にも……結局手荒な手段を取ってしまった。どう詫びればいいか…」

 

 途端に表情を変え、強い罪悪感から険しい顔で俯く若き王。

 何の関わりもない多くの住民達を巻き込む事態になった事に、そして魔女の了承を得ず無理矢理利用した事に、僅かにだが後悔を抱いているようだ。

 それを冷たい目で見やる二つの視線に気付く事なく、マヤは子供のようにはしゃいだ声を上げ続けた。

 

 そこでふと、マヤがようやくエヴァンジェリンに視線を向ける。

 それは苦しむ魔女を心配するものではなく、咎めるような、不満を示す棘のあるものであり、同時に軽蔑が混じった眼差しであった。

 

「……これだけの力を持っていながら、どうして僕を助けてくれなかったのか。古の魔女とは……意地悪なんだな」

「所詮、己の事しか考えられぬ下賤の輩……相手にするだけ無駄な事。こちらが頼んでいるのだから、最低限、話を聞くのが下々の者の役目というものです」

 

 冷たい目でエヴァンジェリンを睨み、オーマの一言にやがてうんと頷き、ふんと不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 

 手前にできる最大限の礼儀を示したのに、話を聞く事もしなかった傲岸不遜な怪物。己の望みばかりを優先させる不適合者。

 オーマの評価を、確かにその通りだと認め、頼み事を聞いてくれなかった無礼者を鋭く目で射抜く。

 

 険悪な雰囲気が漂い始めたその時、白い賢者が咳払いと共に前に出て、マヤに声をかける。

 

「さて……そろそろ仕事に移らせていただきたいのだが、よろしいですかな」

「…ああ、始めてくれ」

 

 問われ、マヤはすぐに表情を引き締め、賢者に道を譲る。

 これから始まる大事の前に、中心人物である自身が感情的になって邪魔をするわけにはいかない、と居住いを正す。

 

 コツ、コツと靴音を鳴らし、ゆっくりと魔女の前に進み出る賢者に、マヤは恭しく首を垂れてみせる。

 

「どうか、ご武運を。御息女との再会、心より願っている」

「ありがたき幸せ……」

 

 同じく首を垂れ、賢者は心からの感謝を述べる。

 

 顔を上げ、背筋を伸ばした賢者は、仮面の奥で目を細め、魔女を―――いや、魔女の中でずっと眠っている自分の大切な者の顔を。

 嘗て失った、最愛の娘の顔を思い浮かべ、グッと強く唇を噛み締める。

 

 ―――おとうさん。

「長かった……これでようやく、私の元に帰ってくる」

 

 脳裏に浮かぶのは、娘が残した決して少なくない、しかし決して多くもない記憶の数々。

 

 いつも見せてくれた笑顔。悲しくて泣き喚く声。

 自分よりもずっと長く生きていて欲しかったのに、あまりにも短すぎる時間で儚くなってしまった宝物。積み重ねた時間も、想い出も、あまりにも少なすぎて、どうしようもないほどの後悔が湧いてくる。

 

「死別に泣き狂い、再会の手段を求めて彷徨い、何の成果も得られずただ老い続け……そしてようやく方法を見つけ出し、器を見出した。とてつもなく永く、苦しみに満ちた数百年であった」

 

 悲痛に掠れる、賢者の声。亡き娘に向けた父の慟哭が、祭壇に向けてこぼれでる。

 

 気づけばマヤは、目尻に涙を溜めてそれを眺めていた。自分と同じく大切な者をなくし、離別を認められずに、禁忌を犯し摂理を破る道を選んだ。

 ここに居るのは、同志。理不尽ばかりを強いる神から、最も大切な宝を取り戻そうとしている、人類の反逆者なのだ。

 

 マヤはそう、思っていた―――いや、そう思い込んでいた。

 

「だが、それももう終わる……この哀れなる子を器にする為に、また幾年もの時間を要し、ついに完成を果たした」

「……え?」

「私の宝さえ取り戻せるのなら、この世のどんなものも……この世の全ての命さえ犠牲にしても構わない。そう決めてついに、この時がやってきた!」

 

 不意に聞こえた言葉に、きょとんと呆けた声を漏らす赤き王。ともに摂理を越えようと身構えていた幼い共犯者。

 

 それを、賢者はまるで意に介する事なく。そして、王の隣に立つ黒い大臣は醜悪な笑みを浮かべて、さも愉しそうに祭壇の上の魔女を見る。

 賢者は二度とマヤに振り向く事なく、備えていた指輪の一つ―――紫の宝石に、月の意匠が施された物を取り外し、指に嵌める。

 

「さぁ、返してもらおうか―――私の娘を‼︎」

【エクリプス・ナウ】

 

 最後に天に―――何処かにいるであろう、憎くて憎くて仕方がない神を見据え、憤怒に満ちた咆哮を上げる白き賢者。

 同時に指輪を嵌めた手を高く振り上げ、ベルトの中心に叩きつけるように翳し、記された魔法を発動させる。

 

 

 そしてその瞬間―――全ての人間を恐怖のどん底に叩き落とす、比類なき絶望が、始まった。

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