血界戦線 −THE LAST HOPE−   作:春風駘蕩

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7.魔女を奪還せよ

「うがっ⁉︎」

「何だ……ごりゃああ⁉︎」

 

 まず始めに異変が始まったのは、ヘルサレムズ・ロットの住民の数人からだった。

 体に紫に輝く亀裂が入ったと思いきや、突如それが全身に広がり、僅かな悲鳴だけを残して粉々に砕け散ってしまったのだ。

 

 一人や二人ではない。街に張り巡らされた光の線、その上で照らされていた者達が、人間もい怪人もまとめて異変を生じさせ、砕けているのだ。

 

「ぎゃあああああああ⁉︎」「うげぁあぁ‼︎」「だっ…だすげ!」「いやだ、いやだいやだ!」「や、やめ…!」「ウソだ……ごんなのウソ!」

 

 バキ、バキン!と、卵の殻が割れるように呆気なく、人であったものがそこら中に散らばっていく。

 そうなっているのは街の住民達のごく一部で、大半は苦悶の声を漏らして蹲ったりしているものの、何とか形を保っている。

 

 しかし、砕ける人々は徐々に増えている。隣に立っている誰かが、突如ばらばらに下る光景を目にし、多くの人々が恐怖で顔を歪ませ、次いで自身もばらばらに砕け散る。

 

 そして、人々が砕けた跡からは、紫色の仄かな光が流れ出し……街の中心地が変異してできた祭壇の方へと漂って行った。

 

Renervate~

 

Finestra…Bombarda……Partis Temporus!

 

 眩い光を放ち、ぐらぐらと揺れる祭壇。

 魔女を中心に捕らえ、彼女の中にある何かを絞り出す巨大な魔法式の前で、白い賢者が奇妙な言葉を紡ぎ続ける。

 

 世界中のどの言語にも当て嵌まらない単語と発音。文法すら法則性がわからない、奇天烈としか言いようがない言語。

 人類の使用してきたものでは間違いなくないそれを唱え、賢者は只管、自身が発動する魔法に集中していた。

 

「魔力よ集え…! この場へ! 我が娘を蘇らせる糧となれ‼︎」

 

 賢者がそう叫ぶと、それに呼応するように、祭壇の光が心臓の鼓動のように波打ち、同時に魔女の声が大きくなる。

 

 魔女の顔からはすっかり血の気が抜け、がくがくと四肢が痙攣を起こす。虚ろな目はもう何も映しておらず、顔中から冷や汗を流し、項垂れたままになっていた。

 

「け…賢者殿⁉︎ こ…これは一体…⁉︎」

「……死者蘇生の法を発動するには、膨大な量の魔力が必要なのだ」

 

 そんな、悲痛な声で戸惑いの言葉をこぼしたのは、つい数秒前まで期待に満ちた表情で、賢者の起こした事態を見守っていたマヤ。

 しかし今の彼は、街の住民達とほぼ同じ状態―――身体に紫に光る亀裂を走らせ、苦痛に満ちた表情で地面に這いつくばらされていた。

 

 困惑の眼差しを向け、声を震わせる彼に、賢者がじろりと……見た事がないほどに冷徹な視線を向ける。

 

「この街は、その為に実に都合がよかった……多種多様な人種が集い、外界ではありえない事象を引き起こす環境が整っている! そして何より―――外界の神さえ干渉しうる場所!」

 

 稼働を続ける魔法式を仰ぎ、高揚した声を上げる賢者。

 

 彼の指に嵌る月食を模した指輪が、彼の感情を表しているように妖しく光り、生物のように鼓動する。

 仮面の裏側で狂喜に顔を歪めながら、賢者がばっと大きく手を広げ、吠える。

 

「摂理を破るのに、この街ほど相応しい場所はない‼︎」

 

 魔女を、魔女を取り巻く魔法式を凝視し、陶酔した様子で立ち尽くす賢者。

 彼のその姿を見ていた、黙って様子を伺っていたオーマが、這いつくばるマヤの顔の傍にしゃがみ込み、醜悪に歪んだ笑みを見せる。

 

 人の中に入っている筈なのに、彼も賢者と同じく全く影響を受けていない。

 その様を見てマヤは、彼も―――自分の忠臣も賢者の計画に、自分の思惑とは全く異なる事態であるこの状況を全て知っていた事を悟る。

 

「……王よ、あなたの助力も実に都合がよかった。過剰な程に潤った国が丸々一つ、資金も資材も提供してくれていたのだから」

「オーマ……賢者殿……!」

 

 愕然と、マヤは賢者とオーマが笑う姿を見ている事しかできない。叱責する事も、非道な裏切りに嘆き悲しむ事も、今の彼にはできない。

 

 自分が計画の忠臣であったつもりが、まんまと都合よく利用されていたという事実に。良かれと思って始めた行いが、大勢の人々を巻き込み苦しめ、挙句死に至らしめるものであったという事実に、脳の理解が追い付かない。

 いや、脳が全ての真実を受け入れる事を拒否していた。

 

「は、話が違うではないか…! 街の住民に求めるのは傍観だと……巻き込まないとおっしゃったはずだ!」

「…それで願いが叶うのなら、そもそも私の娘は命を絶たれたりなどしない」

 

 悲痛なマヤの叫びに、賢者は吐き捨てるように告げ、きつく拳を握りしめる。

 オーマのみがにやにやと不気味に嗤う中、祭壇の中心で沈黙する魔女を見やった賢者が、今度は虚空を見上げてため息をつく。

 

 まるでそこに、かつて失った大切な誰かが見えているかのように。

 

「何の代価もなく、忌まわしき神が定めた定めを歪める事などできはしない……神を否定するためには、神を殺せるだけの犠牲が必要になるのだ。その程度の覚悟が不要な程、この世界は甘く出来ていない!」

「僕はそのような手段は求めていない! 僕はただ…父上ともう一度……!」

「それが甘いのですよ、愚かな王よ……魔法はそんな、夢物語のように都合よくできていない」

 

 純粋な願いを口にし、縋るような目を向けるマヤに、賢者ははっきりと切り捨てる。甘い願望を嫌悪するように、冷たい現実で拒絶する。

 

 絶句していたマヤは、全身に走る苦痛に、身体のどこかで亀裂が広がる音に我に返り、再度賢者を睨みつける。

 立ち上がり、無理矢理にでも彼を止めたいが、最早体を動かす事すらままならない。

 

「む、無関係な者を巻き込む事に……躊躇いはないのですか⁉ 貴方は御自分がどんなに狂った事をしようとしているのか、理解されているのか⁉」

「狂っているとも……娘が理不尽に神に奪われた瞬間から、私はとっくに壊れているんだ」

 

 賢者の良心に訴えかけるが、それすらももう無意味。

 たった一人を蘇らせるために、数多の命を犠牲にしようと企む時点で、そんな平凡な思考を持ち合わせている筈もなく。

 

 驚愕と絶望で固まる若き王を背にし、賢者はもう視線を向ける事すらしなかった。

 

「…はっ、樣ぁないのぅ」

 

 そんな時、祭壇から心底呆れた、嘲笑うような声が響く。

 ぎろり、と賢者が仮面の奥から睨み、オーマがじろりと訝しむように、マヤがハッと目を見開いて、一斉に囚われの魔女に視線を送る。

 

 三つの視線を独占し、力を奪われ続けているエヴァンジェリンは弱々しい姿ながら、鋭い目で彼らを睨み口を開く。

 

「だから言ったでありんす。ぬしらに貸す力などないと……どうせこうなると、魔法に頼りたがる者に碌な者がいた試しはありんせん。ご覧の通り、自分勝手で独善的な馬鹿者に利用されおった」

 

 ぐっ、と事実を突き付けられたマヤが呻き、視線を地面に落とす。

 死者に会えると子供のようにはしゃぎ、大人の悪意に気付かなかった末がこの結末だと、若き―――いや幼き王は親に叱られている気分で言葉をなくす。

 

 返す言葉も出ないマヤに、エヴァンジェリンは落胆の目を向けていたが、やがてそれは自嘲の笑みに変わり始めた。

 

「……いや、それはわっちも同じ話か。よもや、こんなしょうもない男に誑かされようとは―――ぐっ…ぎっ!」

 

 はっ、と詰まらなそうに鼻を鳴らし、王や賢者から目を逸らそうとした時。

 

 勢い良く伸びた賢者の手が魔女の首を捕らえ、ぎりぎりと気道を締めあげる。

 目を見開き、自由の利かない両手足を揺らして悶え苦しむ小さな魔女を見下ろし、賢者が殺気を強める。

 仮面に隠されていてなお、殺意に満ちた憎悪の表情となっている事がわかった。

 

「黙れ……ただの容れ物の分際で。私の純粋な願いを、そんな風に踏みにじるんじゃない!」

 

 呼吸を阻害され、エヴァンジェリンはますます顔から血の気を引かせ、苦悶の声を漏らしながら賢者を睨みつける。

 

 不意に賢者はエヴァンジェリンの首から手を離し、苛立たしげに彼女の顔を振り払う。

 大きく咳き込み、肩を上下させながら、魔女は今一度賢者に鋭い目を向けて口を開いた。

 

「くっ……容れ物、と言ったな。狙いは肉体か、それともどらごんか」

「両方だ…! 数百年も生き続け、今や比類なき力を有す竜の魔力を奪い尽くし! 空になった器に私の娘の魂を宿させる……そうする事で、私の娘はここに蘇るのだ‼︎」

 

 狂った声で嗤い、賢者は今度は魔女の髪を掴み、項垂れていた顔を無理矢理引き上げる。

 頭皮を引っ張られる新たな痛みに悶え、眉間にしわを寄せる魔女の顔を覗き込み、賢者は仮面の奥で笑みを深めていく。

 

「そうだとも……君を拾ったのはこの為だ! だから誰からも愛されない、恐れられ続ける化け物のなり損ないに、価値を見出し、生きる意味を与えた! 従順に育てれば、私のために喜んで死んでくれると思ってね!」

 

 数百年にも渡る壮大な計画を、賢者はここぞとばかりに語る。

 もう隠す必要はない、隠しても意味はないと、かつて弟子として守り、導いていた女に向け、自身の内に秘めていた悪意をぶちまけていく。

 

 その姿は、人の形をしていながらまるで全く別のもののよう、異形を無理矢理人の形に詰め込んだ何かのようだった。

 

「君の前から去ったのは……君にとっての唯一の支えとなった私に依存してもらいたかったからさ。まぁ、君は私の思惑通りにはならず、妙な男にぞっこんになってしまったようだがね」

「くだ、らん、な……ぐぅっ‼︎」

 

 濁流のように叩きつけられる悪意を前にして、しかしエヴァンジェリンの心は薙いでいた。

 嘗て師と呼んでいた男に裏切られた、という事実に慣れたわけではない。

 

 自分の最期は、こんな男に利用されて終わるのかという諦めが、魔女から抵抗や奮起の意思を奪い取っていたのだ。

 

「ああ、まったく……味方ながら恐ろしい男ですな」

「もう何をしようとも無駄だよ……君はここで消える。大丈夫、君の存在すべては、私の娘のために有効活用するからね」

 

 オーマが呆れた目で見守る中、賢者は再び祭壇へ向かっていく。

 左手の薬指につけていた、月食を模した指輪を外し、不意にパチンと指を鳴らす。すると、魔女を捕らえる枷の一部が形を変え始める。

 

 捕らえていた魔女の左手、手首から先が晒され、賢者の前に運ばれていく。

 その間、何の動きも見せない魔女の左手を取り、賢者はゆっくりと月食の指輪を薬指に近づけていく。

 

 その様に、全身に紫のひび割れを広げさせながら、マヤが大きく目を見開き藻掻く。

 

「……クラウス」

 

 ぽつりと、自身の薬指に近づく指輪を見下ろすエヴァンジェリンの口から、掠れた声がこぼれる。

 

 幼い少女の姿をした魔女の指に嵌められていく、悍ましい光を放つ指輪。

 それはまるで、幼気な少女の純潔を散らし行われる儀式のようで、平然とそれを行おうとする賢者への嫌悪が凄まじい勢いで高まっていく。

 

「魔女殿、僕は…僕は……!」

「黙って見ていなさい……運よく生き延びていたならば、君の望む者も生き返らせてやろう」

「賢者殿…! やめろ…やめろぉおおおおおおお‼」

 

 それをただ、何も出来ずに見ている事しかできないマヤが、雄叫びのような悲鳴をあげた瞬間。

 

 

 ドンッ!と。

 魔法式が起こしたものではない大きな揺れが、娘の復活の儀式を行う賢者達の元に響いた。

 

 

「な、何だ! 何事だ⁉」

「この揺れ……下で何処かの法式が暴発でも起こしたか?」

 

 突然の事に、賢者とオーマは儀式を中断し、辺りを睨むように見渡す。

 重要な場面に水を差すような事態に、大きな苛立ちを募らせながら、賢者は魔女の元から離れて空間の端に向かう。

 

 オーマもそれに倣い、祭壇となったビル全体の監視をつかさどる箇所へ移動し、事態の把握を始める。

 そして、異変の正体に気付いた瞬間、オーマの表情が一変した。

 

「こ…こいつは、いやこいつらは⁉」

 

 監視映像に映る、信じがたい光景。

 ビルの真正面にある扉。巨大な硝子の扉を、賢者達が岩と鉄で封印を施した箇所が、粉々に破壊されていたのだ。

 

 濛々と立ち込める土煙、階下に集結していた多数の怪物達が、事態に右往左往する姿が映る中。

 

 

 彼らは、現れた。

 夥しいまでの血の臭いをぶらさげ、背筋も凍るような闘志を放ち、彼らが―――世界の均衡を守る牙狩り達が、悪の魔法使いの膝元へと攻め込んだのだ。

 

 

「……来たか、ライブラ」

 

 その姿を目の当たりにした瞬間、賢者は仮面の奥の顔を憎悪に歪め、小さく呟いたのだった。


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