血界戦線 −THE LAST HOPE−   作:春風駘蕩

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2.異形來て

「――ん? どうかしたんですか?」

 

 果たして姿を現したのは、半透明な肌をもつ、細身の半魚人のような容貌の男だった。

 最も新たらしライブラの仲間に加わった、ザップの弟弟子にあたる斗流血法の使い手、ツェッド・オブライエンである。

 

「なんだお前か…! びっくりさせるんじゃないよまったく」

「⁇」

「あー、大丈夫っスよツェッドさん。思ってたのと違う人が出てきてからぶってるだけなんで」

 

 緊張していたところに、全く予想外の人物が現れたことで安堵したのか、あからさまに喜ぶ様を見せるスティーブン。

 ツェッドはひたすらに戸惑いの表情を見せ、レオナルドがそれを宥める。本来こういう役目は彼の役目ではないのだが、今日に限って全員のテンションがおかしくなっていた。

 

「誰と間違えたんですか? 僕はまだここに来るまで兄弟子以外、誰にも会っていませんけど…」

「いや、いい。気にするな。とりあえず『まだ』ってことはわかったから」

「はぁ…」

 

 はーっと盛大なため息をつくスティーブンに、ツェッドはやはり気になるのか首を傾げる。

 ひとしきり落ち着いた様子のスティーブンが、仕事に戻ろうかとその場を離れようとしたとき、ツェッドが不意に手を挙げて彼を呼び止めた。

 

「ああそうだ。それとは別にちょっと相談したいことがありまして…」

「ん? 何だ?」

「…非常に言いづらいことなんですが」

 

 人間とは骨格から異なる顔を、なんとも言えない複雑そうな表情に歪め、ツェッドは珍しく口ごもる。

 礼儀作法のしっかりした、割とはっきりものを言うタイプの彼が、こんな反応をするのは珍しい。何事かと視線を向けたスティーブンや、パソコンをじる手を止めたクラウスの視線を浴びながら、ライブラの新人は重そうに口を開いた。

 

「…幼い少女に…本当に幼い女の子に殺意全開で追い回される兄弟子を見かけたんですが……仮にいつものトラブルだったとして、僕はあれをどう受け止めれば良いんでしょうか」

 

 その瞬間、またしてもライブラの空気が凍りつく。

 スティーブンは何か名状し難い、正気を失わせる邪神か怪物の類を目の当たりにしたかのように愕然とした表情で、大きく口を開けて固まる。

 上司の異常な反応にビクッと体を震わせたツェッドの前で、スティーブンはがくりと膝をついて項垂れた。

 

「神は死んだ…! 先にあっちが標的にされただけだった…‼︎」

「⁉︎ ⁉︎」

「マジでここに誰が来るんですか⁉︎ 恐ェよ‼︎ 今すぐ逃げてぇよ‼︎」

 

 歴戦の戦士であり、頼れる冷静沈着な参謀が見せる、この世の終わりに遭遇したかのような姿に、ツェッドとレオナルドは凄まじい恐怖に襲われる。一体この街に、と言うかライブラに何が近づきつつあると言うのだろうか。

 騒然となるオフィスの中で、唯一喜ばしそうに眼鏡を光らせたクラウスが、わなわなと震えるレオナルドの肩をポンと叩いた。

 

「何もそう怯えることはない。彼女はれっきとした淑女だ。何もそんな怪物を相手にするように構える必要はないよ」

「いや、隣で胃を抑えてる人がいて全然信用できないんスけど」

 

 安心させようとしているクラウスには悪いが、すぐそばで顔を真っ青にさせている上司がいるため、彼の評価を素直に受け止めることができない。

 どれだけ悪辣な敵であろうと、紳士的な態度を崩すことがないクラウスの評価は、悲しいことに今のこの状況において、一切の説得力を持ち合わせていなかった。

 

「……よし、俺も覚悟を決めた。こっちから出迎えよう。ザップに関しては……必要な犠牲だと割り切ろう」

「どんだけおっそろしい人…⁉︎」

 

 胃の痛みを無理やり抑え込み、ヒクヒクと頬を痙攣させたままスティーブンが立ち上がる。顔は真っ青なまま、今にも精神的な負荷でぶっ倒れそうな状態である。

 このまま迎えにいって、ストレスで吐血でもするんじゃないかと不安になるレオナルドだったが、覚悟を決めた様子のスティーブンに物申すことはできなかった。

 

「さて、じゃあ早速探しに行―――」

『緊急連絡、緊急連絡!』

 

 そしてスティーブンが、外に向けての一歩を踏み出しかけたその時だった。

 微妙に気の抜けるサイレン音がライブラ中に鳴り響き、続いてスピーカーから音声が流れる。同時に天井に備えられたテレビに、荒い画素数の映像が薄し出された。

 

『4番街にて人型怪異が出現。機動隊の攻撃を跳ね除け、民間人にも多大な被害が発生している模様。至急、現場へ向かわれたし』

 

 映し出された、大きく揺れる映像の中では、人に近いシルエットの何かに向けて警察部隊が立て続けに発砲し、会えなく吹っ飛ばされ、あるいは叩き潰されていく光景が映っている。

 まるでB級映画かカートゥーンのような様だが、聞こえてくる声やこの街がそう言う街であるという事実から、まごうことなき現実であると言うことがわかった。

 

「―――こうかと思ったが先にこっちを片付けねばな!」

「急ごう。すでに多数の犠牲者が出ているはずだ」

 

 先ほどとは打って変わって、満面の笑みを浮かべたスティーブンがジャケットを羽織りながら歩き出すと、それにクラウスも続いて飛び出していく。

 一歩遅れる形で、二人の跡を追いかけ始めたレオナルドとツェッドは、なんとなく気まずげに顔を見合わせあった。

 

「………ああいうの、問題の先送りって言いますよね」

「そうですね…まぁ、黙っておきましょう」

 

 ほったらかしにするのもどうなのか、と言う疑問がふと浮かんだが、あえて二人は問うようなことはせず、事件が起きている4番街に急ぐのだった。

 

Aguamenti

 

 ヘルサレムズ・ロット4番街。そこはすでに、地獄と呼んでいい惨状を晒していた。

 いくつもの破裂音と轟音が鳴り響き、もくもくと土煙が立ち込める。その中で、巨大な瓦礫や人の体の一部が、小石のように放り上げられるのが見えた。

 

「うおおおお⁉︎」

「ダメだ全く歯が立たねぇ!」

 

 ドパパパパン、と銃器が無数に火を噴き、弾丸を標的に打ち込んでいく警察の部隊。

 しかし、その奮闘が実を結ぶことは叶わず、重厚なロボットスーツを纏った彼らは、瞬く間に次々に投げ飛ばされ、生身の体ごとバラバラにされていく。

 それは魔術や兵器が使われたわけでもない、彼が相対していた怪物の、ただの力任せな暴力の嵐によるものだった。

 

「出遅れたか!」

「派手にやってますね…!」

 

 悲鳴と金属音、そして肉が引きちぎられるいやな音がこだまする中に、クラシックカーに乗ったクラウス達が到着し、目の前の惨状に目を見張る。

 すると、タイミングを見計らったように立ち込めていた土煙が晴れていき、警察が相手取っていた怪物の姿を陽の元に晒し出した。

 

「グオオオオオオオ‼︎」

 

 ガシャガシャと積み重なる機動隊の骸を踏み潰し、それは雄々しく咆哮を上げながら前に踏み出してくる。

 金属的な輝きを放つ皮膚に、隆々と盛り上がった全身の筋肉。天に捻れながら伸びる二本の角に、その手に握られた戦斧。その姿はまさに、伝説上に登場するかの怪物と瓜二つの容貌をしていた。

 

「ミノタウロス…?」

「ブオオオオオ‼︎」

 

 呆然と呟くレオナルドの前で、ミノタウロスは手近にあった瓦礫を片手で掴み、軽々と頭上に持ち上げ、勢いをつけて投げ飛ばしてくる。

 一瞬呆けてしまったレオナルドは、慌てて横に飛び退いたツェッドの機転で窮地を脱し、顔を真っ青に染めながら、同じく突然の攻撃を躱したスティーブンに目を向けた。

 

「あ、あれも血界の眷属(ブラッドブリード)なんスか……⁉︎」

「の、一種だ。彼の方が抑えているからここ(ヘルサレムズロット)には現れないはずなんだがな…!」

 

 パラパラと降り注いでくる砂塵を払い、冷や汗を流したスティーブンが忌々しそうに呟く。組織の頭脳たる彼が見せる、やや引きつった表情は、敵がいかに厄介な存在であるかを如実に表している。

 その間も、怪物は暴れることをやめない。狙っていた獲物がピンピンしていることが気に入らないのか、再び手近な瓦礫を持ち上げ、レオナルド達に向けて思いっきりぶん投げてくる。

 

 ブレングリード流血闘術117式

絶対不破血十字盾(クロイツシルトウンツェアブレヒリヒ)

 

 隕石のような勢いで迫る、あたりを暗くするほどに巨大な瓦礫。

 回避など無意味な規模のそれだったが、それはレオナルド達の目前に出現した、赤黒い光沢を放つ十字架の盾に防がれる。

 バゴン、と轟音と共に砕けた瓦礫が落ちてくるのを避けつつ、十字架の盾をどろりと液体に―――自身の血液に戻したクラウスが、雄々しく前に歩き出した。

 

「何にせよ、このままでは被害が拡大する。我々も出るぞ」

「ああ」

「はい」

 

 そう告げて、クラウスの後にスティーブン、ツェッドが続く。するとそれぞれの手元と足元に、血の三叉槍と氷の地面が生み出されていく。

 それこそ、彼らがこの異形の街(ヘルサレムズ・ロット)において戦い抜くための矛にして盾。人界を守るために編み出された、対異形用の戦闘技術―――。

 

「ブオオオオオオ‼︎」

「斗流血法、シナトベ」

「エスメラルダ式血凍道」

「ブレングリード流血闘術、推して参―――」

 

 各々の流派を名乗り、クラウス達は向かってくるミノタウロスに向けて、地を媒介に生み出した武器を構える。

 凄まじい形相と、雷鳴のような咆哮を上げて、斧を振りかぶったミノタウロスとクラウス達が激しく激突する。まさにその瞬間だった。

 

 斗流血法カグツチ 刃身の拾弐 双炎焔丸

「うおおおおおおおおおおおお‼︎」

 

 ものすごい裂帛の気合、というよりも叫び声悲鳴を伴い、必死の形相のザップが真横の瓦礫を飛び越えて乱入してくる。

 あまりにも唐突な事態に、クラウス達はおろかミノタウロスまで呆然と目を見開き、大刀二本を振り回して、進向方向上の瓦礫を切り刻みながら割り込んでくる褐色の男を凝視してしまう。

 

「ザ…ザップ‼︎」

「どけどけどけどけそこどいてくれぇぇぇぇぇ‼︎」

「何をやってんだあいつはぁぁぁ⁉︎」

 

 鼻水まで垂らし、あっき羅刹に追い回されているかのような声をあげるザップは、邪魔なミノタウロスの斧に一閃を食らわせ、たたらを踏んで後ずさらせる。

 クラウス達も思わず後退し、どこぞへと無様な格好で走り去っていく部下に、戸惑いと呆れの視線を向けた。

 

「一体今までどこに…?」

「…⁉︎ 待てよ…あいつがここにいるってことはまさか…!」

 

 兄弟子の見せる、人目もはばからぬ奇行に、唖然となるツェッドが呟く。

 スティーブンはその瞬間ハッと目を見開き、顔中からブワッと大量の脂汗を噴き出させる。

 だが、気づいた時にはもう、遅かった。

 

 

「―――みーつけた♡」

 

 

 凛と鈴を鳴らすような、そして同時に嗜虐心に満ちた艶っぽいハスキーボイスが、あたりに異様なほどに強く響く。

 スティーブンの表情が、全ての感情が凍りついたかのような無に変貌した時、彼らの周囲に突如、無数の火の粉が舞い散り始めた。

 

 ソーマ流血晶魔導第二章一節

灼熱の鋭槍(エストアンヌ・アスタム)

 

 そして発生する、壮絶なまでの爆発。

 限定された空間にナパームでもぶち込まれたのかと勘違いするほどの強烈な、あたりが一瞬光に飲まれるほどの閃光と爆音が轟く。

 それはクラウス達に咄嗟に防御体勢をとらせ、ミノタウロスもろともザップを吹っ飛ばす。

 

「やれやれ…邪魔じゃ、ザコが」

 

 黒煙をあげて墜落していく一人と一体を見やり、炎が消えた中心にひとつの影が降り立った。

 ふわりとなびく膝裏まで届く長い白髪に、未成熟な肢体を覆うシックな色合いのドレス。細い枝のような足が地面に立つと、こつん、と可愛らしい靴音が鳴る。

 ゆるやかにカーブする前髪から覗くのは、切れ長ながら大きく丸い、幼さが目立つ瞳を持った、人形のような整った顔立ち。

 そういう、どこからどう見ても可憐な少女が、戦場の真っ只中に現れていた。

 

「………⁉︎」

「―――なんじゃ、せっかく帰ってきたというのにずいぶん静かでありんすなぁ?」

 

 この場には全く似合わない容貌の少女の登場に、レオナルドとツェッドはただ困惑の、スティーブンは恐怖の、クラウスは喜色の表情を浮かべ出す。

 腰に手を当てて、辺りを可笑し気に見渡していた少女は、やがてその悪戯っぽい視線を、背後で戦慄するスティーブンに向けた。

 

「調子でも悪いのでありんすか? スティーブ」

 

 それは、外見からはあまりに似つかわしくない、蠱惑的な笑みだった。

 見た目は幼く可憐な少女、しかしその目の奥に覗いて見えるのは、色気をふりまく熟した女のような気配で、まるで姿を偽っているかのように見える。

 アンバランスすぎる雰囲気を前に、レオナルドは困惑の視線を向けるばかりだった。

 

「……⁉︎ な、何が起き…⁉︎」

「お…お久しゅうございます、エヴァンジェリン・ソーマ・ソレイユ女史……お、お元気そうで何よりで」

「皮肉かえ? まぁ、積もる話は後じゃ」

 

 ガクガクブルブルと、またも生まれたての子鹿のように全身を震わせるスティーブンに、少女―――エヴァンジェリンはくつくつと肩を揺らして笑う。

 すると突如、彼女のもとに大きな瓦礫が砲弾のように飛来し、押しつぶそうと迫る。が次の瞬間、振り向きざまに放たれた少女の蹴りによって、木っ端微塵に砕かれた。

 

「指輪の…魔法使い…! ブオオオオオオオ‼︎」

「ふん、なかなかしぶといのぉ」

 

 エヴァンジェリンは面倒臭そうに、瓦礫を投げ飛ばしてきたミノタウロスを睨みつけ、ため息をつく。

 そしてちらりと視線を脇に寄せ、そろそろと瓦礫を隠れ蓑に離れようとしている浅黒い肌の男を見やった。

 

「さぁ、あのアホを締める前にもうひと暴れしんすか」

「ちっくしょう! どさくさで誤魔化したかったのに!」

「逃がすわけありんせんわ、阿呆」

 

 呆れた笑みを見せ、フッと鼻を鳴らしたエヴァンジェリンは、コキコキと指を組んだ腕を伸ばし、ミノタウロスの方へ向かっていく。

 臆する素ぶりなど微塵もない、あまりにも堂々とした態度に、彼女の登場の凄まじさから呆然となったままだったツェッドが、ハッと我に返った。

 

「なっ…⁉︎ ちょっと、危ないですよ‼︎ すぐに離れて……」

「どいてろ、魚類」

 

 ずんずんと突き進む少女を止めようと、慌てて駆け寄ろうとするツェッドに、観念した様子で肩を落としたザップが前に出て制する。

 ギョッと目を見張る弟弟子をよそに、ザップは真っ直ぐに怪物の目の前に向かっていく小さな背中を見送り、ブルリと肩を抱きながら全身を震わせた。

 

「むしろ、俺達の方が邪魔だ」

「何を……⁉︎」

 

 根拠の見当たらない断言を残すザップに、信じられない様子で口を半開きにするツェッド。

 少女と兄弟子、双方に何と言うべきか迷うように交互に視線を向けた彼は、少女が見せた動きに意識を持っていかれた。

 

〈ドライバーオン・プリーズ〉

 

 エヴァンジェリンが取り出したのは、掌の形の意匠が施された一つの指輪。

 それを自身の腰前に差し出した直後、光とともにベルトが巻きつく。

 少女はベルトの感触を確かめるように触れると、左右にせり出したつまみを上下に動かし、不思議な光を迸らせた。

 

シャバドゥビタッチヘンシーン シャバドゥビタッチヘンシーン

「……唸れ吠えよ久遠に猛れ、紅蓮の業火。この身に宿すは泰然不動の意志の熱」

 

 赤、青、緑、黄に変色するベルトを見せつけ、エヴァンジェリンはまた新たな指輪を左手の中指にはめる。

 炎のような赤色の、美しい宝石。それに備わった部品をずらし、顔を思わせる形に変えると少女は見せつけるように左手を掲げる。

 

「―――変身」

フレイム・プリーズ ヒーヒーヒーヒーヒー

 

 少女の左手の宝石が、輝くベルトの中心に触れた瞬間、変化が始まる。

 奇妙な歌が始まると同時に、少女の左側に炎で描かれた魔法陣が出現し、エヴァンジェリンの体を包み込んでいく。

 魔法陣に触れた箇所から、徐々に炎が形となり、ある一着の衣装を生み出していく。ドレスからコートへ、日常を彩る格好から、戦場を彩る格好へ、少女を変貌させていく。

 

「さぁ……しょーたいむでありんす」

 

 黒いコートをはためかせ、赤い宝石のサークレットを輝かせ、小さな魔女は怪物にも蠱惑的に笑ってみせた。

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