血界戦線 −THE LAST HOPE−   作:春風駘蕩

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Ⅱ 魔女と魔獣のファンタジア
1.若造達の不安


「―――やっぱり何度見てもおっかねぇな」

 

 半壊した街並みを見て、ダニエル・ロウ警部補が思わずと言った風に呟く。

 立ち昇る黒煙、巨大な瓦礫の山、積み重なる屍の山。その被害の大きさに……ではない。

 

 そんな惨状を生み出した、この街(ヘルサレムズ・ロット)においても破格というべき破壊の化身。

 それをほぼ単独で撃破してみせた、一人の魔法使いに対してだ。

 

「この街で使われる魔術とは格が違う……並みの連中では太刀打ちすらできない本物の中の本物。敵じゃないことを喜びゃいいのか怯えりゃいいのか…」

「だが本人曰く、これでも本来の全力じゃないっていうんだから、笑えないんだがね」

 

 やれやれといった感じで肩を竦める警部補に、スティーブンも釣られるように苦笑を返す。

 今日の被害は、これでもまだ大人しい方だ。彼女が本気になれば、今回の2倍から3倍の大惨事になっていてもおかしくはないのだと、スティーブンはキリキリと痛む意を押さえて頬を引きつらせるばかりである。

 

 暫く乾いた笑みをこぼしていた二人だったが、やがてスッと真顔に戻ると、惨状を前に重苦しい口調で口を開いた。

 

「……本当に大丈夫なのか? あのガ…婆さん、高位の眷属も滅殺できるんだろ」

「敵に回る可能性はないのか、ということか?」

 

 警部補の問いに、スティーブンはしばらくの間険しい顔で考え込む。即答できないあたり、彼もその可能性を何度も思い浮かべた事を示している。

 日頃から、彼女の影を感じただけで足の震えが止まらなくなる彼は、今はただ真剣に、かの魔女が上司と組織に対する害になり得るか否かを思案し……やがて首を横に振った。

 

「…正直、断言はできない。クラウスがうまく舵を取れればいいが、そういう考えとは相入れない人物なのが彼だ。今のところは問題ないが、彼がもし〝失敗〟すればもはや誰にも彼女を止められなくなる」

「とんでもねぇ爆弾背負いこんだもんだな」

 

 警部補ががくりと両肩を落とし、心底気が重そうな様子でため息をつく。

 男達はしばらく何も言葉を交わさないまま、瓦礫の撤去や負傷者の搬送が行われる様子を眺める。

 血生臭さと焦げ臭さ、この街では随分と嗅ぎ慣れてしまったそれらの臭いに、自ら加えた煙草の臭いを加えて、煙に変えて吐き散らす。

 ジジ…と赤く光る先端を見下ろしていた警部補が、ふと思い出したように口を開いた。

 

「…あんなバケモノが所属してるなんざ、どういう経緯があるんだ? あの婆さん……よく聞くアレに関わってたんだろ」

「らしいな…アレは当事者ではない俺達では想像もつかない悲惨な事件だ、地獄だった事は間違いない」

 

 男達の脳裏に浮かぶのは、最早今では昔話程度で知られる情報であった。

 長い歴史の中で幾度となく発生し、後の世に至るまでに何度も脚色を加えられ、時に物語のスパイスとして、時に教訓として引っ張り出される程度のもの。

 しかしそれは間違いなく、かの魔女にとっての事実であり、経験の一部なのだ。

 

「クラウスが御しきれているのは、あの性分のおかげだ。裏表がないからこそ…あの人もあれだけ自分の身を預けられる」

 

 フーッと強く細長く煙草の煙を吐き捨て、スティーブンが天を仰ぐ。

 警部補の脳裏に浮かぶのは、巨漢に年齢不相応な、だらけ切った顔で甘える幼女の姿。最初に見た時はあまりに醜悪すぎて、手錠を出すべきか本気で迷うくらいの姿であった。

 だが今となっては、それに態々口を挟む気にはなれなくなっていた。

 

「あの馬鹿正直さは彼にとっての弱点だが…こう言う時は非常に救われる」

「お前じゃまず無理だったわけか」

「ああ…最初に出会ったのがあいつじゃなきゃ、きっと世界は今頃消し飛んでるよ」

 

 本気でそう思っている様子で、スティーブンが壁に背を預けて黙り込む。語るのも、思い出すのにも疲れたと言った様子である。

 警部補はそんな彼に鋭い横目を向け、しばらく虚空を見上げていたが、その内プッと煙草を吐き捨て、靴底で踏み潰して火を消す。そして振り向きもせず、歩き出した。

 

「まぁ、そっちで拾った女だ。せいぜい最後まで面倒見るこったな。こっちは別件で大忙しなもんで」

「VIPの事か……悪いね、こんな忙しい時に」

「今更だっての大馬鹿野郎……じゃあな」

 

 ひらひらと手を振って去っていく、一応の協力者にスティーブンも手を振り返し、彼の姿が見えなくなってから大きな大きなため息をつく。

 周りに人の姿がなくなってから、ライブラの番頭は顔を上げ、困ったように笑って、語り掛けた。

 

「……さっきの話は、どうかあの人には聞かれないようにしてくれないか?」

 

 懇願するような響きを持った、頭上に向けられた言葉。

 聞き届けたそれは、「フンッ…」と鼻を鳴らすと、折れ曲がった街灯の上から跳び、最初からいなかったかのように、音もなく姿を消した。

 

Quietus

 

 ヘルサレムズ・ロットは、大きな光と闇の落差がある街だ。

 異界の技術で大きく発展し、環境の変化によってこれまで不可能であったことが可能になったりしたことで、豊かになった面もある。しかし反対に、人知を超えた悪意と異端によってかつてない規模と質の犯罪が横行し、治安が悪化した面もある。

 皮肉なことに、発展の裏側には同じような腐敗が進んでいるのである。

 

 そこもかつては、ニューヨークにおいて重要な役目を担う施設であった。

 人の目に触れぬ、ジメジメとした湿っぽさと光の射さない暗闇の中にありながら、人々の生活を支える街の一部として、長く活用された場所であった。

 

 だが、超常の力によって面影がないほどに再構築されてしまった今、そこはもう誰も必要としない場所に成った。

 誰にも知られないまま、本来の役目を全うすることもできず、野ネズミやゴキブリが巣食うただの空間になり果てていた。

 

 今、その場所を根城にしているのは、人でも異界の住人でもない、しかし比較にならないほどの危険性と凶悪さを兼ね備えた、とある怪物たちであった。

 

「…魔女が戻ったようだな」

 

 ゴキゴキと指を鳴らしていた、赤い衣服と鷹のように鋭い目が特徴的な男が、身体の端から火の粉を散らせながら呟く。

 それに振り向き、人懐っこそうな顔にハットを被った青年が、首を傾げながら嬉しそうに反応する。愛らしい顔だが、同時に不気味さを感じさせる笑みだ。

 

「本当なの? だったら今こそ、あの邪魔な連中ごと消しとばしちゃえばいいんじゃないの?」

「いやぁ…ただ消すだけじゃつまらねぇ。連中には最高最悪の苦しみを与えてから殺すのが、一番気分がいいだろ」

 

 にやり、と赤い格好の男が、耳まで裂けて見えそうな笑みを浮かべて告げる。目の奥にはちりちりと、本当に炎が渦巻いていて、彼の胸中の激情をこれでもかと表す。

 青年はそんな彼を見やり、ため息とともに肩を竦めた。

 

「野蛮だねぇ……別に僕はどうだっていいけどね。好きなことさせてもらえるんならさ…フフフフッ」

 

 肩を揺らして嗤う青年に、男はハッと鼻を鳴らす。

 すると彼らの話題につられたように、闇の中から幾つもの影が滲み出て、多種多様な形に変わっていく。

 赤い単眼を持つ蜥蜴のような者、白い猫のような者、茶色いヒトデのような姿をした者、悪魔の石像に似た姿の者―――物語に登場する伝説上の生物に酷似した姿を持つそれらが、男と青年の話題に強く食い付き始めた。

 

「だが油断は禁物だ……あの嫗の力は脅威そのもの」

「内に宿す魔竜の力は史上稀に見る強さ…」

「迂闊に手を出せば食われるのはこちらの方……万全を喫さねば」

「然らば如何にする…あれに人の心はない。人に使える手段は悉く役に立たぬ」

 

 ざわざわと、異形達は口々に勝手に語りだし、互いに視線を交わし合う合う。

 ここに集まっているのは、皆ただ一人の人間に憎悪を燃やす者同士である。同志をやられ、計画を幾度となく阻まれ、募りに募った怒りと憎しみを持て余す復讐者達である。

 

 そんな彼らの怒りの姿を見やりながら、新たに加わった一人の少女が腕を組みながら尋ねた。

 何故か、蛇の鳴き声が聞こえそうな印象のある少女だ。

 

「あの大男は? 魔女さんのお気に入りなんでしょ?」

「ああ、そういやぁそんなのがいたっけな」

 

 忘れていた、というように男が反応し、顔を上げる。

 だが彼が立ち上がろうとするよりも前に、異形の一体が前に出て、どこか必死さを感じさせる態度で首を横に振る。

 ぶるぶると震える方は、怯えていることがまるわかりであった。

 

「それは愚策……あれの力も尋常ならざるもの。まさしく鬼ぞ」

「チッ…! だったら俺達ゃなにすりゃいいんだよ!」

 

 せっかく苛立ちを解消できると思ったのに端からその策を否定され、男は声を荒げながら地面をダンッと踏みしめる。その際、彼の足からもぶわっと火の粉が舞い上がり、辺りを少しの間明るく照らし出す。

 

 男の苛立ちが伝播したのか、異形達の間にも逸る声が聞こえだしたその時。

 

 

「―――何もせずともよい」

 

 

 そんな、地の底から響き渡るような、しかし同時に天から降り注ぐような、不思議な響きを持った声が、彼らの巣食う空間に響き渡る。

 

 それが聞こえた途端、男や異形たちはハッと表情を変え、自身らの背後に振り向く。

 空間の奥の奥、開けたその場所には半透明の幕に覆われた祭壇があり、何者かが体を起こしている姿が目に映る。ただの人のような、それ以外のような、曖昧なシルエットがそこにあった。

 

「おお…ワイズマン」

「ワイズマン…目覚められたか」

 

 幕越しでもわかる、強い力を放つ眼差しを受け、異形達は一斉に跪き始める。

 今眠りから覚めたような体勢で、それもはっきりと姿も見えないのに、誰もこの者には敵わないという謎の安心感をもたらす。

 無数の畏怖と恐怖の視線を浴びながら、その者は幕越しに穏やかに語り掛けた。

 

「―――魔女には使い道がある……そのための策も用意してある。汝らが待つべきは刻のみ…然るべき時が来れば、心してかかるがよい」

 

 その者の言葉を深く受け入れ、あるいは以前よりも強くやる気を漲らせ、異形達が平伏す。

 常人では気を失うどころか、正気を失くした挙句に死に至りそうな異様な雰囲気の中、その者は祭壇に横たわったまま虚空を見上げ、呟いた。

 

「―――全ては、賢者の石を完成させるために…」

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