深く芳醇な香りを漂わせ、老執事の淹れたコーヒーがカップに注がれる。
洒落たデザインのカップを持ち、その香りを堪能した魔女は、コクリ、コクリと喉を鳴らして中身を喉に流し込む。
丁度いい温かさが体を満たしてしばらくして、エヴァンジェリンはほっと息をついた。
「…相変わらず美味でありんすな、さすがじゃ」
「勿体無いお言葉です」
満足げに笑うエヴァンジェリンに、ギルベルトが誇らしげに首を垂れる。
クラウスに仕える執事として妥協できない仕事に満足を貰えたことが、心底嬉しいのだろう、包帯に巻かれた顔が、少し綻んでいた。
笑みを浮かべ、寛ぐエヴァンジェリンに、向かいの椅子に腰かけた眼帯の女性―――K.Kが笑いかけた。
「本当に久しぶりねぇ、話せなくて寂しかったのよ?」
「わっちもじゃ。もうぬしの子もずいぶん大きくなったじゃろう…また聞かせてくれ」
「3日ぐらいかかるけどいい?」
「構わん」
にやり、と自慢げなK.Kに、エヴァンジェリンは望むところだとばかりに返す。ライブラでも数少ない女性同士の会話に、期待を寄せる。
クラウスは久しぶりの仲間同士での会話で、気分が弾んでいることに嬉しそうに口角を上げる。
彼自身も、長く顔を合わせられなかった古い友人がともにあることがありがたいようで、盤遊戯の時以上の上機嫌さを見せていた。
「今回はかなり長い旅でしたな」
「厄介な輩と出くわしんしてな、手間取った。面倒ったらありんせんわ」
「エヴァ姐さんが手こずるなんて強敵ねぇ」
「なに、たんに多少数が多かったくらいのことでありんす」
疲労を示すように、わざとらしく自分の肩を握り拳で叩くエヴァンジェリン。幼い少女が見せる、疲れ切った老婆のような仕草に、クラウスやK.Kはおかしさを覚え、肩を揺らしてみせる。
またカップに口をつけ、コーヒーを喉に流し込んでから、魔女はまたクラウス達を見やった。
「休みも兼ねて、しばらくはこっちで過ごすことになる……世話をかけるの」
「お気になさらず。ソレイユ女史が共にいてくれるというだけで、ずいぶんと安心感があります」
「また嬉しいことを言いおって…♡」
向けられるクラウスの高い評価に、エヴァンジェリンはうっとりと蕩けた顔を見せる。
にやにやと若干危ない視線を向け、クラウスからの言葉を堪能していたエヴァンジェリンは、しばらくすると彼から視線を外し、新たに組織に加わった二人に目を向けた。
「しかしなんじゃのぅ……少し見ぬ間にずいぶん知らぬ顔ぶれが増えた。それも多種多様に…」
見た目は然して目立つもののない平凡な、しかし数奇な運命に魅入られた少年レオナルド。そして見るからに苦労を重ねてきたであろう、異形の姿を持つ若者ツェッド。
自分がライブラを離れている間に加わった二人を、じっくりと見つめていたエヴァンジェリンは、やがて自嘲するように鼻を鳴らしてみせた。
「…いや、ぬしらからすればわっちの方が見知らぬ顔でありんすか」
くすくすと可愛らしい声を上げる小さな魔女。
それに対してレオナルドとツェッドは、自身の中で渦巻く激しい葛藤と必死に戦っていた。
(ツッコんじゃダメだ…ツッコんじゃダメだ…!)
(だけど言いたい…! 声を大にして口にしたい…!)
思いきり口を噤み、留めている台詞が盛大に飛び出すのを堪える若者達。
クラウスもK.Kもそれを目にしながら、驚きもせず、全く気にしていない様子を見せている。むしろまたか、と呆れた視線を向けている。
エヴァンジェリンは必死に黙っている二人を訝しみ、胡乱気な目を向けて首を傾げた。
「なんじゃ…遠慮せず聞きたいことがあるなら聞きなんし」
「色々言いたいのはこっちだクソババア‼︎」
咎めるような問いを投げかけるエヴァンジェリンの下で、ザップの怒りがついに爆発する。
床に両手両膝をつき、自らを椅子にし小さな魔女に腰かけられた彼は、かれこれ数十分も続けられているこの状況に大いに不満を喚き散らす。流石にこの姿は、きっと彼でなくとも抗議の声を上げたであろう。
ザップ以外の誰もが、その姿を当然のものと思っているような、そんな雰囲気があった。
「いい加減にしろよババア‼︎ いつまでてめぇ俺を椅子扱いして優雅にティータイム決めてやがんだゴルァ‼︎」
「うるさいガキじゃのぉ、ぬしの仕置が中途半端じゃったからこうして躾けていんす。黙って受けなんし」
「ふざけんじゃねぇぞ! いつまでも俺がやられっぱなしだと思うなよ泣かすぞクソチビロリババア‼︎ あっ、やめろ、俺の背中でトランポリンするな!」
「はぁ、仕方がないのぅ…」
ぼんっ、ぼんっとザップの背中の上で跳ね、苦しむ人間の屑をさらに攻める遊びに耽っていた魔女が、しばらくして不満げに止まる。
つまらなそうに唇を尖らせたエヴァンジェリンは、どこから取り出したのか鋭利な剣に手を添え、にちゃりと不気味な笑みを浮かべてザップを見下ろした。
「これが嫌なら、代わりにぬしの逸物を八つに割いて○○○を××して□□□□してやってもよいが?」
「椅子の高さはこれぐらいでよろしいでしょうか⁉︎」
恐ろしい言葉を、蠱惑的な笑みと共に告げる魔女に、ザップは即座に屈して椅子の役目に戻る。
ぶわっ、ととんでもない量で噴き出す汗が、ぼたぼたと垂れて彼の下に小さな水溜まりを作るほどに、彼は恐怖していた。やると言ったら本当にやる、そういう殺気がこの小さな魔女からは迸っていた。
「まぁまぁ……ソレイユ女史、続けたいお気持ちは察しますがその辺で、本題に入りましょう」
話題が大きく外れている事態を気にしてか、クラウスがやんわりエヴァンジェリンを宥めようとする。
ザップの身の安全を案じていないことが、彼にとってのザップに対する扱いを表している。
が、そんなクラウスの制止に対して、エヴァンジェリンはスッと笑みを消し、先ほどとは打って変わって、恐ろしいほどに冷たい声での反応を返した。
「…なんでありんすか、本題とは」
「無論、あなたが帰還した真の理由についてです」
かたり、とエヴァンジェリンの手がカップをソーサーに戻し、背筋を伸ばす。
その動作だけで、何故か異様な威圧感が魔女から放たれ、レオナルドの背筋に寒気を走らせる。
ツェッドやK.K、そしてザップも同じだったようで、僅かに体を引きつつ、ギッと強張った表情でエヴァンジェリンを凝視している。
唯一動かなかったクラウスが、いくつかの書類を取り出しながら口を開く。
「すでにこちらでも、先日の夜に行われた戦闘についての情報は届いています……黄金の鎧を纏った謎の人物が現れたと」
「…耳が早いの」
「聞けば、その翌日からヘルサレムズ・ロット各地にて、ファントムの目撃情報が……そしてそれを狩る者の姿が目撃されていると」
クラウスの報告、というよりも事実確認に、エヴァンジェリンは冷めた表情のまま腕を組み、佇む。
その無言を肯定と受け取り、クラウスは黙り込んだ彼女に自分の考察と意見を語った。
「察するに、その黄金の鎧の持ち主というのが、あなたが急遽帰国された理由でしょう。対ファントム戦においては不敗のあなたが、他の獲物を放置して向かうほどには…」
「……」
「早速ですが、その件について詳しい話を伺わせていただきたい。ファントムを一体でも放置すればどうなるか、我々も重々承知して―――」
熱く、仲間を独りだけで行かせまいという姿勢を見せるクラウス。
自身の正義、義務感、そして古い友人を案じる想いをあらわにし、説こうとする彼に対し、小さな魔女は振り向くことなく、答えた。
「いらぬ、手出しは無用じゃ」
吐き捨てるような声で、そうはっきりと示された返答。
あまりにも冷たい拒絶の言葉に、クラウスやK.Kはギョッと目を見開きながら息を呑み、慌ててエヴァンジェリンの方に詰め寄る。
「エヴァ姐さん⁉︎」
「…! ソレイユ女史!」
「わっちがそんな軟弱なことを考えてここに戻って来たと思うたか? ぬしらの力は必要ない、分を弁えなんし」
「そんなことを言ってる場合では…!」
仲間とは、そして先ほどまで思いきりクラウスに甘えていたとは思えないほどのエヴァンジェリンの豹変に、レオナルドやツェッドは目を疑う。
ライブラ最高齢にして最強の魔法使いという触れ込みだが、実力者達を前にしてここまではっきりものを言えるとは思っておらず、彼らに交互に視線を向けて戸惑ってしまう。
「ソレイユ女史、貴殿が他者に頼ることを疎んでいることはよく知っております。しかしことは世界の存亡にも関わる重大な事柄……貴殿一人では」
「くどいぞ、クラウス」
諦めず、協力に拘るクラウスに向けて、エヴァンジェリンが苛立った様子で短く告げる。
次の瞬間向けられたのは、まるで蛙に向けられる蛇の目のような、容赦のない殺意と威圧に満ちた眼差しだった。
「黙りなんし」
ぞわっ!と。
はじめと比べ物にならない、それこそかのファントムに向けられていたものよりも強力で濃密な殺気が迸る。
クラウスを除く全員(椅子にされたザップも除く)が思わず距離をとる程の覇気を浴びせられ、それ以降微塵も動く事ができなくなった。
―――こういう寒気は久々だ。
ザップさんの師匠がこんな感じだった。
ゴクリ、と今日何度目か分からない寒気を覚え、レオナルドはごくりと息を呑む。
幾度ともなく命の危機を迎え、それなりに胆力をつけたと思っていたが、やはりまだ素人の範疇だったと自覚する。こうも一瞬で体の自由を奪われると、さすがに自信もなくなってくる。
それに一人耐えるクラウスの異様さも、ある意味再確認できたが。
「あれらは全てわっちの獲物……余所者に割って入られるのは我慢ならん。そもそもぬしら、他に優先することがありんしょう」
「…お言葉ですがソレイユ女史!」
一向に助力を認めようとしないエヴァンジェリンと、引き下がらないクラウス。
張り詰めていた空気が、徐々に剣呑としたものになり始め、どうしたらいいのかとレオナルドが慌て始めた、その時だった。
「あ…じゃあよ」
ずっと椅子のままになっていたザップが、二人の口論に待ったをかけるように片手を挙げて声を挟んだ。
胡乱気な表情で振り向き、魔女が立ち上がった隙にザップも椅子を止め、伸びをしながら魔女に向き直る。そして、すぐ傍で固まっていたレオナルドに指を差してみせた。
「代わりにこのレオナルドを連れて行くのはどうよ」
「は?」
「え」
思いもよらない提案に、エヴァンジェリンは訝し気に、レオナルドは間の抜けた声を漏らす。
全員の気分がある程度まで静かになり、自身へ注目が集まったタイミングを見計らい、ザップはレオナルドを前に押し出し、通信販売かなにかのように大仰な身振り手振りで語り始めた。
「これここにおりますレオナルド・ウォッチという若者、世にも珍しい〝神々の義眼〟を持つ激レアな男である事はご存知のはず」
「むぅ…?」
「何言ってんスか、あんた」
「こいつを連れてきゃぁ、人間に化けてるファントムどもを一気に見つけられるんじゃねぇの? …って話でさぁ」
「あんたマジで何言ってくれちゃってんスかあんたァ⁉︎」
ザップの考えを測りかね、険しい顔で考え込むエヴァンジェリンを横目に、レオナルドは思い切りザップに掴みかかり抗議する。
単独での行動を望み、断れば一瞬腰を抜かしかける程の殺気を放つ様な人の元に、何ゆえ自分のような特殊な眼があるだけで戦闘能力皆無な人間を放り出そうとするのか。
生贄、という単語が頭に過り、この時ばかりはレオナルドは時折助けてくれる先輩に、本気で殺したいくらいの怒りを抱いた。
「ザップ……それは本気で言っているのか?」
当然、そんな提案をクラウスが普通に受け入れられるはずもない。
だが意外なことに、提案に対し考え込んでいたエヴァンジェリンは然して拒絶する様子もなく、やがて諦めたように頷きを返した。
「…なら、まぁいいじゃろう。ついて来るなら好きにしなんし」
「ソレイユ女史…⁉︎」
「顔合わせのついでじゃ…心配ならほれ、もう一人にもついてこさせればよい。そのくらいならわっちは構わん」
エヴァンジェリンはそう言って、口を挟むタイミングを逃して黙っていたツェッドに目を向ける。
レオナルドとツェッド、比較的新しくライブラに参入し、そして今回が魔女との初対面である彼らの動向を許した。その理由を考察したクラウスは、しばらく小さな魔女を見つめ、やがて大きく肩を落とした。
「…変わりませんな、貴女は」
困った様子で苦笑をこぼすクラウスに、エヴァンジェリンも自嘲気味に笑う。
どういうやり取りか、と首を傾げるレオナルドとツェッドの間を抜け、エヴァンジェリンは颯爽と歩き出す。
出口の前に至った時点で小さな魔女は振り向き、固まったままの二人に急かす視線をくれた。
「というわけで、早速出るでありんすえ。若造共」
180度異なる、小さな魔女からの誘いの声に、レオナルドとツェッドは戸惑いつつも頷かざるを得ない。
そうして二人は魔女を先頭に、街へと繰り出す事となったのだった。
魔女が同意したその真意を知らぬまま。