血界戦線 −THE LAST HOPE−   作:春風駘蕩

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3.狂人と魔物

「まったく…わっちがお守りとはのぉ」

 

 子供達のはしゃぐ声や、大人達の会話が聞こえてくる、とある公園の一角。

 一台のピンクのカラーリングのキッチンカーが停められた、その近くのテーブルに着いたエヴァンジェリンが、気だるげに呟く。見た目は少女なのに、やはり恐ろしく違和感を抱く姿である。

 近くで無邪気に遊ぶ、本物の幼い子供達がいるために、その差異はより強く感じられた。

 

「あの小僧め、わっちをまるで小娘のように扱いおって…童の言葉とはいえ、傷つくのじゃぞ…あむ」

 

 頬杖をつきながら、不機嫌そうな半目となった彼女の手が、テーブルの上の皿に伸びる。そこに詰まれたドーナツを一つ頬張り、少しだけ表情がほころぶ。甘味のおかげで、苛立ちが少し紛れたらしい。

 同じ席に着いたレオナルドとツェッドは、かなり緊張した面持ちでその様子を眺めていた。

 

 そこへある一人―――明らかに男性とわかる顔立ちの、ピンクのエプロンを身につけた金髪の人物が、にこやかに笑いながら近づいてきた。

 

「エヴァちゃんたら、も〜本当に久しぶりよねぇ〜? 今度はいったいどこ行ってたの〜?」

「決まった目的地はありんせん。探し物の情報があれば、北へ南へ東へ西へ……じゃが流石に疲れんした」

「そうなの〜」

 

 もぐもぐと、幸福そうにドーナツを頬張るエヴァンジェリンと顔見知りらしいその人物―――移動ドーナツ屋の店主は、皿の中身が一つ二つとなくなっていくと、不意に目を輝かせる。

 キッチンカーの中から出てきた彼の手にあったのは、不思議な色合いの生地と、謎のトッピングが施された新たなドーナツの山だった。

 

「あ、じゃあ疲労回復にきく新メニューがあるんだけど〜、試してみて……」

「ぷれーんしゅがーで頼む」

「あ〜んもう、いけずぅ〜」

 

 にべもなく、試食を断られた店主がよよよ、とその場に崩れ落ちる。

 エヴァンジェリンは最後の一つを平らげると、地面にのの字を書いて落ち込んでいる店主に呆れた目を向ける。

 そしていつの間にか別のテーブルの上に置かれた、店主の新作ドーナツを見やると、小さくため息をついてみせた。

 

「なら、この小僧共に食わしてやってくりゃれ。わっちのおごりでありんす」

「えっ」

「ヤダほんと〜? じゃあこれボク達にあげちゃう〜!」

 

 一瞬で復活した店主がシャキッ!と立ち上がり、レオナルドとツェッドの前に件のドーナツの山を置く。

 二人が反応を返すのを待つことなく、店主はルンルンと跳ねるような足取りでキッチンカーに戻り、エヴァンジェリンの注文の品の調理を始めた。

 

 レオナルドとツェッドは店主の存在の濃さに圧倒されたまま、ぎこちなくエヴァンジェリンに頭を下げて感謝を伝える。

 

「…あー、えっと。…あざっす」

「ありがとう…ございます」

「ぬしらも災難じゃったな、こんな婆の相手をさせられて」

「あ、いえ…そんな事は」

 

 本気でそう思っているのか疑問だが、魔女からかけられた気遣う言葉に、少年と半魚人はどうしたものかと曖昧に返すほかにない。

 思い出される昨日の大暴れや、ザップどころかスティーブンにも、そしてクラウスに対しても容赦のない態度。迂闊に返事をしてもいいのかという不安が、彼らから冷静さを削ぎ落としてしまっていた。

 

「さて…連中はああ言っておったが、奴らがこっちから探しに出て見つかった試しがないからのぉ。無駄足になることも覚悟しておけ」

「は、はぁ…そっスか」

 

 しかし、実際に相対し言葉を交わしてみると、しっかりとした礼儀や態度を心掛けていれば、真面に反応を返してくれることがわかった。

 ザップのような、人間関係において非常に欠陥が目立つ男に対してのみ、あのような辛辣な態度をとっているのではないか、とそう思えるようになっていた。

 

 まじまじと魔女を見つめ、彼女の心の為人を知ろうと努めるレオナルド。

 そんな彼らに、コーヒーに口をつけていたエヴァンジェリンが不意に口を開いた。

 

「なんじゃぬし、聞きたいことがあるようなツラをしていんすな」

「…えっ、あ、いや、えっと」

 

 何か琴線に触れてしまったか、と内心冷や汗を流し焦るレオナルド。

 決してザップの二の舞になってたまるか、こんな無駄に気を遣う人のところにやりやがってあの野郎、などと考えながら、どうにか返答を考える。

 そしてふと、抱いたままほったらかしになっていた、ある疑問について思い出した。

 

「…こないだのアレは、何してたんスか?」

 

 レオナルドの問いに、ツェッドの触覚もぴくりと反応する。

 レオナルドが考えているであろう、昨日の戦闘。その際目にしたあの光景について、ツェッドも機会を得たならば尋ねておきたいと思っていたのだ。

 

「アレとは?」

「なんかこう、女の人に指輪をはめていきなり光ったと思ったら、なんか魔法陣みたいなのに飛び込んで…そしたらなんか、身体のひび割れが治って……」

「ああ、アレか」

 

 少し面倒臭そうに眉間にしわをよせたエヴァンジェリンが、レオナルド達を見やって少し考えこむ。

 コーヒーを一口、二口啜り、しばらく時間を置いてから、ソーサーにカップを戻し、大したことはない風に語り始める。

 

「あの娘御が絶望する前に、身体の中のふぁんとむを駆逐しただけじゃ」

「ファントム…?」

「……世界には、〝此方側〟にも〝向う側〟にも、〝げーと〟と呼ばれる種類の人間がおる」

 

 ツェッドが首を傾げると、エヴァンジェリンは椅子の上で寛ぐ体勢に入り、詳しい解説を始める。

 細くしなやかな、枝のような幼い少女の足を組み、気だるげに頬杖をついて見つめる小さな魔女。しかしどこか色気を感じさせるその風貌に、レオナルドとツェッドは思わず居住いを正していた。

 

「其奴らはちと特殊な魔力を有していてな。本人の魔力ともう一つ、体内に宿る魔物が生み出す魔力、二種類を備えていんす。基本的には無害でありんすが……厄介な性質がある」

 

 スッ、とエヴァンジェリンの手が伸び、レオナルド達の方に置かれたドーナツを一つ、手に取る。

 水色の生地に、カラフルなトッピングが施されたそれを、エヴァンジェリンがぱかっと上下に開く。中には生クリームとカスタード、二種類の中身が詰められており、コントラストを生み出している。

 

 何となく、それで例え話をするつもりなのだろう、とレオナルド達は黙って話の続きを待った。

 

「尋常ではない精神的な苦痛、気概の喪失……俗にいう絶望により、魔物の魔力が暴走を始めることじゃ」

「暴走…?」

「暴走した魔力は宿主の肉体を破壊し、現実世界へと姿を現わす。宿主はその瞬間消滅し、化け物が成り代わるのでありんす」

 

 エヴァンジェリンが、開いたドーナツを再び閉じる。

 すると、中にあったクリームが突如溢れ出し、ドーナツ全体を呑み込んで真っ白に染め上げていく。

 

 魔法かなにかを使ったのだろうか、奇妙な現象に絶句する二人の前で、エヴァンジェリンはクリームそのものになってしまったドーナツを皿に戻した。

 あくまで、シュガープレーン以外は口にしないつもりらしい。

 

「それがふぁんとむ……わっちが追っておる敵じゃ」

 

 ギシッ、と椅子に座り直し、エヴァンジェリンは沈黙する新人二人に目を向ける。

 

 ぐっ、と息を呑み、レオナルドとツェッドは険しい表情になる。

 色々と『見え』たレオナルドだけではなく、身体がひび割れる異様な光景を目にしたツェッドも、あの現象が進んだ先にある結末がいかに悲惨なものかを理解し、冷や汗を流した。

 

「それを防ぐ唯一の方法が、げーとの精神世界(あんだーわーるど)へ侵入し、魔物を直接仕留めることじゃ」

「……あの、魔法陣の中に入っていった」

「そう…魔物が暴れ、げーとのあんだーわーるどを完全に破壊する前に討ち取ることで、ふぁんとむが生まれるのを未然に防ぐわけじゃ。こればかりは、クラウス達にも真似はできん。わっちにしかできん芸当でありんす」

 

 小さな魔女はまた一口コーヒーを口に含み、乾いた喉を潤してから続きを口にする。

 不意に、魔女は自分の胸に触れ、薄い膨らみを撫でるような仕草を見せる。じきに雛が生まれる卵を慈しむような動きで、にやりと蠱惑的な笑みを浮かべてみせた。

 

「ちなみにの、わっちの中にも一匹ふぁんとむが飼われていんす」

「えっ」

「心配せずともよい。わっちが絶望せん限り表に出ることはないからの」

 

 ギョッと思わず後ずさる二人ににやにやと笑みを見せ、エヴァンジェリンが肩を揺らす。本人が即座に否定するが、昨日の怪人の凶悪性を思い浮かべた二人は早々気を許せない。

 新人達の反応を面白がり、くすくすと声を上げる小さな魔女だが、突如その表情が曇る。

 

「……わっちが絶望すれば、話は別じゃがな」

 

 いつ訪れるかもわからない、最悪の時を覚悟しているような、真剣な面持ちと声音で、エヴァンジェリンが呟く。

 またしてもザザッと後退る二人に、エヴァンジェリンはけらけらと愉し気に笑い始めた。

 

「冗談じゃ。そうそう簡単に堕とされはせん……何があってもな」

「……」

 

 本気か冗談か全くわからない魔女の雰囲気の変化に、レオナルドとツェッドはもう言葉も出ない。時々出る殺気に近い迫力で、先ほどから心臓がうるさく騒いで仕方がない。

 

 何とも言えない苦い表情で睨んでくる新人たちの視線に知らぬ顔をしながら、エヴァンジェリンはコーヒーを啜る。

 その際、ちらりと彼女の視線が、新人達に向けられ、もの言いたげに細められた。

 

「…そういえば、ぬしも何か抱えているようでありんすな。…そこの半魚は見た通りのようじゃが」

 

 ピクリ、と反応を返すツェッド。

 常識から覆されたヘルサレムズ・ロットに住む彼だが、見た目で苦労した経験も多々ある。兄弟子に散々貶されて、今更傷付く事こそないが、それでも自他問わず差別をうければ多少気分も悪くはなる。

 しかし魔女の視線が向いているのは、ツェッドの隣の少年―――今は薄目に隠されている彼の両目に向けられた。

 

「〝神々の義眼〟……彼奴も酷なことをしおる」

「…! この目について、何か知ってるんですか?」

「まぁ…人より長く生きていんすからな」

 

 驚愕のあまり、大きく見開かれるレオナルドの瞼。その奥から露わになる、神秘的な幾何学模様の光が、小さな魔女を射抜く。

 

 彼がこの危険過ぎる街にいる理由、その全てがこの目に込められている。

 かつて彼と彼の妹の前に現われた神性存在―――リガ=エル=メヌヒュトという名の、異界の上位存在お抱えの眼科技師。

 それの出現により、義眼を移植されたレオナルド、反対に妹のミシェーラは視力を奪われた。

 

 彼女の目を取り戻すために、彼はこの街に来た。

 故に、義眼やそれに関する情報があれば、どんなものでも把握しておきたかったのだ。

 

「他の保有者に逢ったことも何度かある……喜ぶ者、嘆く者、各々によって違いんした」

「…この眼を、元に戻せた人とかは」

「知らん。神性存在との契約を一方的に破棄して無事で済んだ者は、わっちの知る限り存在しんせん」

 

 やや突き放すように告げるエヴァンジェリンに、レオナルドは半ば予想していたのか、あまり落胆する様子は見せず引き下がる。

 

 何度か、その目について語った相手には似たようなことを言われたのだ。神性存在との契約を一方的に破棄し、なおかつ無事で済むような前例など、今世において0であると。

 もしや、という気持ちで尋ねてはみたが、思った通りそう簡単にはうまくいかないと、淡い願望のつもりだった。

 

「…ライブラに来たのは、その眼のせいか」

「……はい」

 

 しかし、やはり進展がない事は気にしているのか、沈痛な表情で俯くレオナルドに、隣のツェッドが案じるような目を向ける。

 はっきりと否定したエヴァンジェリンもいたたまれなくなったのか、険しい表情でレオナルドを見やり、大きなため息をついていた。

 

「誰の目を犠牲にしたかは聞きんせん、そういう抱え込んだものは飽きるほどに見てきんしたからな……修羅の道でありんすえ」

「…それでも俺は…可能性があるなら、諦めたくないです」

 

 再び顔を上げ、エヴァンジェリンを見つめるレオナルド。その目を見た小さな魔女は、義眼の奥から伝わってくる本気の覚悟に思わず息を呑む。

 いかなる険しい道であろうとも、そこに道があるのなら決して引き下がらない、そんな亀のような不退転の覚悟を感じるその眼差しに、エヴァンジェリンはやがて呆れたように鼻を鳴らした。

 

「なら、好きにしなんし」

 

 お前の覚悟はわかった、と興味を失くしたように目を逸らす。

 しかし、しばらくしてエヴァンジェリンはまた、疑うような視線をレオナルドに向け、口を開いた。

 

「じゃが…本当にぬし、ふぁんとむの本性を見破れるのか?」

「あ、はい。多分…エヴァンジェリンさんの中にいるドラゴンも結構はっきり見えてますし」

「ふん…それだけで役に立つかどうか。言うておくがな、奴らは基本、人の皮を被って世界に身を潜めていんす。わっちの中のどらごんと同じと思わんことじゃ」

 

 今でもくっきりと、蠢く竜の姿を視認できているレオナルドが、何故いまさらそんなことを聞くのか、と不思議そうに魔女を見つめ返す。

 エヴァンジェリンはカップに入っていたコーヒーを飲み干すと、不意ににやりと意味深な笑みを浮かべて親指を立て、自分の遥か後方を指してみせた。

 

「例えばじゃ……向こうからわっちを狙っておる連中は、人か否かわかるか?」

「「え?」」

 

 突然の問いに、レオナルドとツェッドは間抜けな声を上げて眉間にしわをよせる。

 そして、彼女が示している方向に目をやり、そこに勢揃いしている者達の姿を目にし、同時に「えっ」と声を漏らす。

 

 ズシン、ズシンとアスファルトを踏み鳴らし、巨大な砲門を向けてくる、鋼鉄の兵器の存在に。

 そしてその真下で銃を構える、無数の凶悪な人相の男達に。

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