透野真理の誘拐を提案したのは他でもない往見陵だった。
誘拐決行前、陵は最も重要な情報を持っているとされる透野俊介の家族構成を見ているうち、それが自分と似通っていることに気がついた。自分と同じく娘をもつ父親、そして霧香が失踪した発端を握っている男。この男がどこまで関わっているかはまだわからない。だが娘のことについてかなり深いところまで知っているのは確かなはずだ。自分の関わっている研究のせいで、他の娘の当たり前の日常を壊されたことをこの男はどう思っているのだろうか。父親として何の感情も抱かなかったのか。自分が壊されたかけがえのないものを、今こうして這いずり回っても今だ取り戻すことが出来ないものを、この男は全て持っていた。
それがただ、許せなかった。
往見陵の提案を聞いたケイはすぐに賛同した。うまくいけばこちらが危険を冒すことなく往見霧香の確保する可能性さえある。幸いにも透野真理の通学路の近くは裏路地も多く、監視カメラの死角となる場所も多い。そこまで誘導すれば後はなんとかなるだろう。浜面をはじめとする他の者たちは懸念を示したがこれ以外に代案などなかった。
そして今、透野真理が自分の目の前にいる。この有様を見て透野俊介はどんな表情をするだろうか。陵自身でも意識していないが、この状況に少なからず愉悦を感じていた。
「おい・・・真理?」
透野は実の娘の有様を見て、思わず間の抜けた声を出してしまった。自分の携帯電話の画面に映っているものを、現実と受け入れられない。これは悪質なイタズラか何かだろうか?ひょっとして悪い夢を見ているのか?両手両足を縛られ、目隠しされ猿轡で口を塞がれている真理の横に男の姿が映った。見えるのは肩から下のあたりで、そこから上はカメラのせいで画面から途切れている。
「思った以上に間抜けヅラだな、透野俊介。まずは一言だけ言っておく。娘の身を案じるのなら私の言うことに従え。質問は一切無しだ。口答えしようものならお前の実の娘にこれを撃ち込む」
そう言って陵はカメラの前に拳銃をちらつかせた。以前からケイに手渡されたUSP派生モデルの拳銃。その銃口をゆっくりと1人の無抵抗な少女に向ける。
「こんなことをしてタダで済むと思ってるのか?学園都市は犯罪者に寛容な方ではないぞ。貴様なんぞ司法で裁くまでもな」
俊介の言葉は陵が撃った銃声に遮られる。真理の足が一発の銃弾に貫かれ、真理の激しい呻き声が携帯電話を通じて、俊介の鼓膜を揺らした。
「本当に撃たないとでも思ったか!!え!!何なら死ぬまで撃ち込んでもいいんだぞ!!」
俊介が血相を変えて止めてくれと懇願する。その様子を画面越しに見ていた陵は、何故かひどく滑稽に見えた。裏社会の力をちらつかせようが、結局のところはただの卑小な人間だ。
「まずは携帯が切れないよう充電したまま自分の姿を映し続けろ。そちらから他の誰かにコンタクトを取るのは一切無しだ。その状態のままでこちらにGPSコードを送信しろ」
俊介は一言も喋らず陵の指示に従う。どう考えたってまともじゃない。本当に真理を殺すことだってあり得るだろう。それも多くの苦痛を与えた上で・・・
「これからお前に発信器と通信機、小型カメラを送る。お前自身が受け取って装着しろ。装着の仕方は一緒に送った箱の中に入ってる」
1時間少したった後だろうか。宅配業者のなりをした男が自分の元へ訪れた。箱の中身を空けると言われたもの一式が揃っている。発信器、カメラは非常に小さいサイズのもので、通信機は常に俊介の周囲の音を記録するものだ。
「じゃあこれから少しの間世話になるな。知っていること全て話してもらう」
「待て、待ってくれ。知っていることと言っても何を・・・」
「往見霧香が関わっている厚労省のプロジェクトについてだ」
「あ、ああわかった。口で言っても説明しきれない。今からそれに関わるデータを全て渡す」
「往見霧香の居場所はわかるか?」
「今は第10学区、そこの研究所にいる。それに関するデータも渡す。頼むから娘には手を出さないでくれ」
「わかった。30分後に落ち合う。データ全てを持って、今から指定する場所に行け。わかったな?」
連絡を一旦取り合った後、陵は今までのやり取りでの緊張から、思わず地面に腰を着いた。
「しっかし今は医者も呼べないんだぞ、撃つなら最初から言っとけよ。正直ビビったわ。まあ応急処置ぐらいなら出来るけどさ」
「済まない。だがちゃんと弾は体に残らないようにはしたさ」
そんな2人の淡々とした会話に痺れを切らした浜面は、とうとう陵に掴みかかった。
「何であんなことまでして平気でいられるんだよ!あんたも娘がいんだろうが!何であんなことが出来るんだよ!」
陵は浜面の言葉をただじっと見つめて聞いていた。浜面が睨みつけている中、先程の口調と変わらない調子で、冷静に答えた。
「別に弁解するつもりはないさ。私だって正しいことをしたつもりはない。ただ、霧香を救い出せないよりは、他人の娘が傷つく方がまだましだと思っただけだよ」
「おいおい、ただでさえ時間がないのに余計なことに手間とらせるなよ」
ケイが浜面に呆れたような表情で言った。浜面は陵から手を放して今度はケイの方に向かって憤りをぶつける。
「お前も何とも思わなねえのかよ?関係ない人間まで巻き込んで、これもてめえにとっちゃただの仕事のうちだって言うのか!?」
「関係ならあるだろ。透野俊介の実の娘、それだけで十分だ。それにお前は何だ?その俺の仕事のおかげで今まで散々好き放題出来たんだろうが。オツムの足りない頭で今更でかい口叩いてんじゃねえよ。わかったらとっとと準備しろよ」
ケイは苛立ちの籠った声を浜面に吐き捨てた。ケイもこの全く予断の許さない状況が続く中、神経を尖らせている。土御門をいなしたときのような余裕も、その口ぶりからは消えていた。
「みんな準備は出来たか?相手を待たせるわけにもいかないからな。透野真理はまた別の場所に移動させる。見張りは常に連絡できるようにしとけ」
ケイたちは逃亡したときとは別の車に乗って透野俊介のところへ向かった。浜面は自分の内に憤りを募らせながらも、ケイたちが乗っている車のハンドルを握る。
正しいかどうかなんて今更どうでもいい。どんなに手を汚してでも絶対に霧香を取り戻してみせる。陵はそう心に固く誓った。