リノリウム張りの荒野を二人の魔法少女が駆け抜ける。
向かう先には一定の間隔を空けて群がる「十把一絡げ」の使い魔が、キャベツやジャガイモ等ばらばらの頭に貼り付いた汚い口で何かを喚きながら待ち受けている。
途中でオレンジのテニスウェア姿の魔法少女・志摩 レイカが立ち止まり、琥珀で練り上げたかのようなテニスラケットを華麗なフォームで振り上げた。
ラケットを握る手首のリストバンドに埋め込まれた、テニスボールと同じラインが刻まれたオレンジ色の丸い宝玉がきらりと閃いた。
まるでトスするように光条のネットから飛び出したオレンジ色の光球を、レイカは一転して鋭いサーブで打ち飛ばした。
弾丸の勢いで飛び出したオレンジの光球は緑衣の魔法少女・きりえを追い越し、使い魔の群に飛び込むと、使い魔の身体を次々と貫いて通り過ぎていった。
貫かれた使い魔の身体には、オレンジ色の光球と同じ径の穴が穿たれていた。
たちまち間抜けな爆音を立てて消えてゆく使い魔ども。
その中を、きりえが猛スピードで駆け抜けた。
緩く弧を描いて飛翔を続けるオレンジ色の光球は失速することなく飛び続け、触れるものを一切の区別なく貫いて突き進んでゆく。それは、堅そうなリノリウムの大地を抉っても、なんら勢いを弱めることがない。
『一応、言っておきますけれど、アレに触ろうだなんて思わないでくださいね。 丸く削り取られてしまうから』
「はあ」
レイカのテレパシーに、みおみは茫洋とした顔でうなずいた。
レイカの放つ光球は、その球形の表面に触れたものを、その界面を境に異次元に放逐してしまう「空間掘削」の魔法球。空間そのものを削り取るため防御不可能という強力無比な攻撃である。
そのオレンジに輝く光球が、辺りを巡ってレイカの元へ戻ってきた。
それをまた、レイカは華麗かつ鋭いフォームで打ち返した。唯一、レイカの持つラケットのみがこのボールを弾くことができる。
再び使い魔どもに襲いかかった断絶の光球は、使い魔とこの結界の何もかもを丸く抉りながら飛び回る。
「さあ! わたくしの正義において、悪しき魔女とその下僕は一切の区別なく掘削して差し上げますわ!」
高らかに宣言したレイカは三度自らのボールを打ち返し、使い魔の群を、この無機質な光景を抉り散らしてゆく。
「やああああああああ!」
レイカの援護の元、リノリウムの荒野を駆け抜けたきりえは、歪な柱の上でうずくまっている「おしゃべり」の魔女めがけてボタンを投げ放った。
そのボタンと自身の位置を入れ替えたきりえはたちまち高空に姿を現す。
落下する前にボタンを投げては位置を入れ替えることを繰り返してきりえは魔女と同じ高みへと至った。
「でやあああ!」
宙にある内にきりえはフルーレを引き絞り、切っ先を魔女めがけて伸長させた。
だが、まるでフレキシブルパイプで作った人形めいた魔女の身体から、その表面の溝の隙間から奇妙な穴が空いた小さな黒いカードが無数に飛び出してきた。
「!? 」
両刃カミソリなど、きりえは知らないし見たこともない。
それらは滞空しているきりえの身体のあちこちを鋭く切り裂いていった。
「あああっ!? 」
たちまちいくつもの切り傷を刻まれきりえは血を撒き散らしながら墜落していった。
「きりえさんっ!? 」
叫ぶも、今のレイカには手立てがない。たった今、光球を打ち返したところだったのだ。
だが気を取り直したきりえは体勢を入れ替えて着地すると、自己治癒の魔法を展開した。これも魔法少女が標準的に備えている魔法。身体の各部の裂傷の上に小さな魔法陣が現れ次々と傷をふさいでゆく。
「まだですっ!」
きりえはレイカに応え、再びボタンを投げ上げて飛び上がった。
改めて柱の上の魔女を対峙するも、魔女は再び身体中から無数の両刃カミソリを放ってきた。
ところが、無数のカミソリの雨に蹂躙されたのは、当の「おしゃべり」の魔女本人だった。
『ーーーーーーッッ!? 』
きりえが、魔女と自身の配置を入れ替えたのだ。
その場の魔女が座っていた柱の上に着地する。
虚空を、痛みに身を捩ったフレキシブルパイプの魔女が落下してゆくのを見下ろして、きりえはフルーレのグリップガードに大量のボタンをじゃらじゃらと注ぎ込んだ。
「さあ、とどめよ」
その場での空間転移を高速で繰り返すフルーレの切っ先を魔女に突きつけ。
「グラ・カトーレ!」
そして無数の刺突の流星が魔女を貫き、魔女は断末魔と共に爆裂四散して消滅した。
かきん。と、アスファルトに黒い玉櫛が突き立った。
既に薄暗いここは、町の小さなスーパーの隣の路地。
なんてことのないこの場所で、通りすがりのみおみは魔女の結界に巻き込まれたのだ。
地面に落ちたそれに近い位置に立っていたレイカが、上体を折り曲げてその黒い玉櫛を引き抜き、拾い上げた。
レイカもきりえも、既に制服姿に戻っている。
「……使いなさい。今回はあなたのものよ」
「レイカさん……」
放り投げられたそれを受け取ったきりえは、わずかに曇った顔でレイカを見返した。
「そういう順番でしょう? それに、最近のあなたの不調は、決して魔女退治が無関係でもない。違うかしら?」
「……」
「あのう。それ、なんですか?」
「うっさい」
全く空気を無視して手元を覗き込んできたみおみに、きりえは思わずつっけんどんに言い返した。
「きりえさん。せっかくだから、みおみさんにも見せてあげましょう? 魔法少女のなんたるかを」
「…………はあ」
先ほどとは別種の苦渋の表情を浮かべたきりえは不承不承にうなずいた。
やがて、黒い玉櫛を持つ手とは反対の手に取り出されたものは、緑色に輝く卵形の宝玉。複雑で細かい金の装飾に包まれている。
「わあ。綺麗ですねえ」
「それは「ソウルジェム」。キュゥべえに選ばれた女の子が、契約によって生み出す宝石」
自らもオレンジに輝く宝玉を掌に取り出して見せ、レイカが告げた。
「魔法少女の魔力の源にして、魔法少女であることを示す証でもあるもの。 だから当然、魔法の行使によって輝きは失われてゆく。 御覧なさい」
みおみはレイカの指し示す指先に従って、きりえの手元の緑の宝玉──ソウルジェムを改めて覗き込むと、その中程に暗い淀みが沈んでいるのを見つけた。
「言うなれば、ソウルジェムは消耗すると、穢れを溜め込むの」
「ええと、じゃあ、きりえちゃんは、もう魔法は使えないんですか?」
「いいえ」
みおみの疑問を、レイカが頭を振って否定した。
「その程度の消耗は日常茶飯事。でも回復させる手だてはあるの。 きりえさん。やって見せて」
「……はい」
言われたきりえは、自身のソウルジェムと、どす黒い玉櫛を触れ合わせた。
「そちらの黒いものは「グリーフシード」と言って、言わば魔女の卵。あるいは、成れの果て」
触れ合った緑の宝玉から沈んでいた黒い淀みが浮かび上がると、隣の黒い玉櫛──グリーフシードへと吸い込まれていった。
緑のソウルジェムが、曇りを拭い去られ一段と輝きを増したように見えた。
「わたくしたち魔法少女は、魔女の脅威から人々を守るのと同時に、こうして魔女からグリーフシードを回収し、自身の魔力を維持していかなければならないの。 でなければ、魔女を倒し続けることができなくなってしまう」
「大変なんですねえ」
真摯に語るレイカの前で、みおみは丸っきり他人事のような顔で感心した。
「……みおみさん。あなたも他人事ではなくってよ? キュゥべえに認められたということは、あなたには魔女と戦い人々を守る資格があるということ。 それがどれだけ素晴らしい事であるか、分かって?」
「でもでも、わたしには、やる事がありますし」
茫洋とした顔のまま、みおみはあっさりと否定した。
「……あなた……!? 」
レイカの麗しい容貌に、怒りの色が浮かび上がった。
「これほどの異常事態を知って、自身の潜在能力を知って、それでもなお拒否すると言うの!? あなた、自分の手で守れるはずの人々の命を無視すると言うの!? 」
ずかずかと歩み寄ったレイカがきりえを押し除けてみおみの手首を掴み上げた。
「無視していませんよ?」
レイカの血相にも寄らず、みおみは普段とまったく変わりない顔で応えた。
「だって、誰もがみんな、自分のことで頑張らなくちゃいけないのは同じじゃないですか」
突き刺す勢いのレイカの眼光など、まるでそんなものありませんみたいな顔でみおみは続ける。
「ニュースに出るような事件で死ぬのと、お風呂場で石鹸踏んづけて滑って転んで頭ぶつけて死んじゃうのと、確率ってそんなに変わらないと思うんですよ。お外も車がびゅんびゅん走ってますし」
「そんなものが、魔女の脅威と同じだなんて……!? 」
「同じですよお」
烈火のごとく怒りを燃え上げるレイカに対し、みおみはあくまでも朗らかに微笑んだ。
端で見ているきりえは青い顔に脂汗をだくだくと浮かべていた。
「だからわたしは、いつ明日がなくなっても大丈夫なように、毎日を大事にして生きてるんです」
「その明日を無くさない方法があるのよ!? 」
「明日を守り続けるお仕事も、それはそれで立派だと思いますよ?」
みおみは臆することなく小首を傾げた。
「でもわたしは、また楽しい明日が来ることを祈って、今日を大切に生きることを選んだんです。 お互いにそれを強制できますか?」
「……っ!? 」
レイカが唇を噛んだ。
「だからせめて、事情を知ったわたしが言えることは、」
みおみが、片手を掴み上げられたままぺこりと頭を下げた。
「これからもよろしくお願いします。怪我しないように気をつけてくださいね。 ……これだけです」
「…………」
レイカは、幾分か温度の下がった顔でみおみを見つめていた。
「……あの、ところで、もうそろそろ離してもらえますか? お肉が痛んじゃうんで」
「……あ、ええ」
言われて我に返ったレイカが手首を掴む手を緩めるが、「それ」に気付き再びみおみの手首をひったくるように掴み上げた。
「はい?」
「……あなた。わたくしに嘘を吐きましたね?」
怪訝に見返すみおみに、レイカは再び怒りに染まった顔でみおみを睨み付けた。
「いいえ? 嘘なんてついてませんけど」
「いいえ。わたくしの目は誤魔化せませんわ」
朗らかな顔をわずかに困惑させたみおみに対し、レイカはあくまでも怒りをたぎらせる。
そのレイカの目は、掴み上げたみおみの手のひらを見つめていた。
「……この手。ここと、ここのところが硬くなっているわね?」
「はあ。そうですね」
レイカはみおみの手のひらの各所を指さして告げる。
「あと、ここも少しマメみたいになってる。 ……なんでかしら」
「……さあ」
みおみは本気で首を傾げた。
「……あら。まだシラを切るおつもり? 手のこの辺が硬くなるのはね……」
みおみの手首を捻り上げ、レイカは続けた。
「テニスを嗜んでいる方の手の特徴なの。 長いことラケットを使っていないと、逆にこういう手にはならないわ!」
激高するレイカに詰め寄られても、みおみはきょとんとするばかりだ。
「もう申し開きはできないでしょう!? 今日のあの時のお話を覚えているかしら。 テニスの経験についてお伺いしましたら、あなた、なんて言いましたかしら?」
「ん~。 でもでも、本当にわたし、テニスなんてやったことないんですよ?」
「……!? 」
「レイカさんっ!? 」
見たこともない程の危険色を浮かび上がらせたレイカの腕に、突如きりえが飛びついた。みおみの前に立ちはだかって。
「本当に由貴さんはテニスをやってませんっ! ……だって、だってお母さんが死んで、それで家のことやらなくちゃいけなくなって、それでテニスをやってる暇なんてないですよ!? 」
「……!? 」
きりえの絶叫に、レイカの顔から怒りの色が急速に抜けてゆく。
きりえは少々乱暴にレイカの腕を掴んで手を離させると、みおみの肩を押し遣った。
「行って! あとは私が説明しとくから! 帰って!」
「……はあ。 それじゃあ」
後退したみおみはきょとんとした顔で応えると、ぺこりと頭を下げて振り返り、立ち去っていった。
狭い路地に、きりえの荒い息遣いの音だけが響く。
向かい合うレイカの瞳に、ようやく平常の光が戻ってきた。
「……ごめんなさい、きりえさん。みっともない所を見せてしまって……」
「いいえ! レイカさんは悪くないです! レイカさんは……!? 」
翻って涙混じりにきりえが叫んだ。
「私が……私が……、」
嗚咽を漏らし、手のひらで顔を拭い。
「……私、頑張りますから! だから……!」
「……ええ。そうね」
若干自嘲ぎみに溜め息を吐いたレイカが、きりえの上腕に手を添えた。
「でも、調子を落としている時は、きちんと回復しておいたほうがいいわ。 自己管理も大切だから。ね?」
「……はい……」
それでも、きりえはしばらく泣き暮れていた。
予定よりも少し暗くなった帰り道で。
歩きながらみおみは、確かに覚えのない手のひらの硬質化した部分を不思議そうな目で見下ろしていた。
◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆
「魔法少女の中には、ああいう下劣で愚昧でどうしようもない輩が結構な数いますの。」
「あのさあ。 あんた、バカじゃないの?」
第4話 くだらない
◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆