北米にやって来た狂王主従のもとに、メイヴのシャドウサーヴァントらしきものが襲い掛かってくる。偶然形をなしたメイヴの妄念を討ち果たす話。
戦闘シーンを書きたかっただけの、幕間の物語のようなものです。

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愚かな王様たち

執筆風景 1

 角灯のから漏れる暖色の光が、整然と本棚に詰められた背表紙を照らす。壁の四面を埋め尽くし、縦横に何列も並んだ棚が部屋を区分けする書庫。その中央に大きなマホガニーのテーブルが置かれてある。向かい合うようにそのテーブルの両側についた二人の作家が、角灯の光を頼りに猛然と筆を走らせていた。

「近頃、我らがマスターはクー・フーリン・オルタを連れ出す機会が多いですな」

 手を動かしたままテーブルの片側でシェイクスピアが口を開いた。

「他が働けばその分俺達が駆り出される機会は減る。結構なことじゃないか」

 それを受けてアンデルセンが返す。

「それにマスターも歪んだ御子殿も騒がしい連中に四六時中張り付かれては気が詰まるのだろうさ」

「確かに、清姫を始めとして『二人きりで籠の中の鳥の如く歌おう(We two alone will sing like birds i' th' cage)』とばかりにマスターに迫るものは数多いことですし。クー・フーリン・オルタはクー・フーリン・オルタで一人強烈に慕っている方がおりますからな」

 

1.

「よし、それじゃあ現状の整理をしよう」

 通信越しに管制室のドクターがそう切り出したのは、最初の襲撃を撃退した直後の事だった。

「状況が開始されてからおよそ半時間経過した訳だけど、残念ながらこっちに帰還させる目処は立っていない。君たちがそこに囚われることになった原因は依然として不明。僕らも手を尽くして解析しているけど、結果はまだ出せていない」

 常日頃の緊張感の無さとは打って変わった固い声で、ロマニ・アーキマンは報告する。そのギャップが逆説的に予断を許さない事態の深刻さを表していた。

 人類最後のマスター藤丸立香はそんなドクターの言葉を同じく張り詰めた表情で聞いていた。少年の傍らに立つのは黒い頭巾を被り、全身を棘で包まれた異形の狂戦士、クー・フーリン・オルタ。

二人がいるのは左右を切り立った断崖に挟まれた小規模な渓谷の底だ。時折吹き抜ける風の音が崖の間で不気味に反響し、見上げると目に入ってくる僅かな空の色は青色から橙に変わりつつあった。特異点での決戦においては敵同士だった両名は、今連れ立って荒涼としたアメリカの大地に立っていた。――いや、状況を考えると「孤立していた」が正しいかもしれないが。

 独立戦争期に存在した第五特異点はカルデア側の尽力によって修正された。北米を東西に分断した戦争は終息し、徐々にだが特異点は修復されつつある。今回藤丸が護衛としてオルタを連れてレイシフトしたのも修復の経過を調査するためだった。

調査自体は手早く済んだのだが、いざ帰ろうとしたところで問題は起こった。不明な要因によってカルデアへ戻ることができなくなってしまったのだ。慌てて原因を調査したドクターによるとカルデアとの繋がりが極めて細くなっているらしく、観測も通信もできるのに、しかしレイシフトによる移動が不可能になっていた。

「現在のレイラインでは人間大の物体の転送は無理だ。もっと小さいものなら兎も角ね。レイシフトの強制実行は試せないことはないけど、危険すぎる。もっとも……そこにいたからといって安全とは限らないけれど」

 口籠るロマンの言葉につられて藤丸はそっと視線を落とす。レイシフトが敢行できないだけなら機材の不調か、限定的なマナの流れの問題かとも考えられた。だがそれで片づけられない明白な理由があった。

 二人の足元には心臓を貫かれた男達の死体が転がっている。彼らは揃いの帷子と兜を身に着け、その上不思議なことに全員とも体格のみならず顔かたちに至るまでそっくりだった。それらは藤丸とオルタに襲い掛かって来た集団の末路だ。カルデアに帰還できなくなっていることが分かった直後に、彼らは突然崖の上から強襲してきた。不意を突かれたものの二人はすぐに態勢を整えてこれと戦闘。半数を斃し、残り半数を撤退させた。

 襲撃者たちは人間離れした強さを有していたが、その戦力を抜きにしても彼らがこの時代のならず者などではないことに、藤丸たちは一目見て気が付いた。

 一卵性のごとく同一の外見をした筋骨隆々の戦士たち。人類を超える戦闘力を持った集団に、カルデアの面々はとても見覚えがあったのだ。

「まだこの近辺にケルト兵が残っているとはね……。その辺りはもうかなり修正が進んで、異常現象が無くなりつつあるはずなのに」

 ロマンは溜息混じりにぼやいた。

 ドクターの言葉通り、彼らは嘗て北米を制覇するために生み出されたケルトの兵たちだ。時代の修正に伴って消えていくはずの存在達が、何故かこの地域には残っていた。

 襲撃のタイミングの良さから見てカルデアに帰れなくなってることと無関係とは思えない。レイシフトに影響が出ているのは外部からの干渉によってであり、それを行っている何者かがケルト兵も操っていると考える方が自然であった。

「とにかく」とロマンは語調を改める。

「先の襲撃者たちはまだ付近にいるはずだ。放っても置けないし、すまないけど、追跡してくれるかな」

「うん、分かっ――」

「そんな悠長なことを言ってる暇はない様だ」

 藤丸の言葉をオルタが遮る。狂戦士の目は渓谷の一方向に冷たく向けられていた。細く狭い谷が終わって広々とした荒野に繋がる境目、いわば渓谷の出口部分に複数の人影がちらついていた。姿かたちから見てケルト兵だろう。彼らはこちらを威嚇するように剣や槍を構えていたが、攻めてくる気配はなかった。寧ろいつでも後退できるように準備してるようであった。

「……誘いか」

「みたいだね。ドクター、此処で立ち止まっていても仕方ないし行ってみるよ」

「分かった。ただし、くれぐれも気を付けてくれ。現状、観測の方も君の存在実証で手一杯で、索敵もままならない。誘いの先に何があるか分からないからね」

「了解」

 短い会話を終えると、藤丸とクー・フーリン・オルタは警戒しながら薄暗い谷底を出口に向かって進み出した。読み通り、敵の狙いは二人を誘い出すことのようで、ケルト兵らは攻撃態勢に入る様子も無く、藤丸たちが進むのに合わせてゆっくりと下がっていった。

 やがて谷口に辿り着き、そこから一歩踏み出すと、二人の視界が一気に開けた。

 出た場所は見渡す限りの荒野。以前アメリカ軍とケルト軍が激突した部屋からそう離れていない場所だ。渓谷の出口から噴き出した風がカラカラに乾いた礫砂を巻き上げ、右手に輝く傾きかけた照陽が赤茶けた大地をいっそう赤く染めている。散在する岩塊とまばらに生える立ち枯れた灌木が平坦な景色に凹凸を与えていた。

 だが、それら北米の雄大な地平線にも目もくれず、藤丸立香とクー・フーリン・オルタは真正面に居並ぶ集団だけに視線を奪われていた。

 正確に言えば、それは集団ではなく戦列と表現する方が正しい。先程襲ってきた者達と同型のケルト兵が谷口から距離を置いた地点で整然と陣を敷いていたのだ。その数は十や二十ではきかない。視界を埋め尽くさんばかりに点火する兵の数は少なく見積もっても三百体以上。抜身の刃を手にした完全武装の兵が隊列を組んで二人に相対していた。

「これは……」

 管制室でロマンが言葉を失う気配がした。

 絶句する気持ちは藤丸にもよく理解できた。囮役であろう兵士の誘いに乗った時点で何らかの罠が用意されてることは予感していた。しかし、まさか一個の軍隊が待ち受けてるとは、想定外にも程がある。

 次いでロマニは焦ったように短く息を呑んだ。

「……っ、マズい。今やっと観測できたけど、そこに高い霊基の反応がある!」

「だろうな」

「そうだろうね。こっちでも目視で確認できたよ、ドクター」

 藤丸とクー・フーリン・オルタは声を揃えて応じる。約百メートル先の集団を見据える二人の目は、その更に中央に立つ人物を捉えていた。

 軍団展開能力を持つ者はカルデアにも数騎いる。ヘタイロイを率いる征服王イスカンダル、不死の兵団を操るペルシャ王ダレイオス三世、怪魔の群れを生み出す元帥ジル・ド・レェなどがその代表格だ。けれど、ケルトの兵士を大量に召喚できる人物には、最初から一人しか心当たりがない。

「クーちゃん、迎えに来たわよ」

 距離を隔ててるにもかかわらず、甘ったるい彼女の声はまるで間近で囁かれたようにハッキリと聞こえた。扇情的な桃色の長髪が光を零しながら靡く。男性ならば無条件に惹かれるだろう完璧な肢体を処女雪のような白い衣裳が覆う。

 ここに居るはずの無いサーヴァント、女王メイヴが蠱惑的に微笑んでいた。

 

    ◆    ◆    ◆

 

執筆風景 2

「クー・フーリン・オルタを慕う者、メイヴのことか」

「ええ、彼女は実に良いッ! 恋多き生涯を送りながらも、同時に一人の男に執着し続けるあの矛盾。実に素晴しい着想が得られる予感がします」

「さて、メイヴについてなら著作の何処かで触れていなかったか?」

「『ロミオとジュリエット』ですな。ですがそれはメイヴの事が本筋ではない。何より当人を眼にした方がインスピレーションは湧くものですぞ」

 

2.

「……マスター、アイツを連れてきてたのか」

 胸を張り、軍のど真ん中で仁王立ちするメイヴに向かって顎をしゃくりつつオルタは問いかける。藤丸は両眼を大きく広げたままブンブンと首を振った。

「いいや、そんな筈はない。同行を頼んだのは君だけだよ」

「なら、マスター無しの独立サーヴァントか?」

「いや、それも違う」と、再度の狂戦士の問いを今度はドクターが否定する。

「あのメイヴは通常のサーヴァントとしては現界していない。不完全な霊基の組成はどちらかといえばシャドウサーヴァントに近い。ただ、シャドウサーヴァントにしては肉体の構造がしっかりとし過ぎてる。殆ど普通の英霊と同じくらいなんだ。……どうやら、膨大な魔力資源によって無理やり体を構築してるらしい」

「膨大な魔力資源……、それって」

「そうだ藤丸君、彼女は聖杯か、その断片を手に入れている」

 重々しく告げられた結論に、少年は緊張の度合いを増した表情で唾を飲み込んだ。

 忙しなくコンソールを叩きながら、ロマンは分析結果から導き出された推論を早口で伝えて来る。

「おそらく、彼女は第五特異点で戦ったメイヴがこの地に残した思念の、そのまた一端程度の儚い存在だったんだろう。それが偶然聖杯の欠片なりなんなりを入手し、自身に組み込んだ結果があれだと思われる。状況が笑いごとで済むかどうかに大きな違いがあるけれど、ハロウィンの時のエリザベート・バートリーに似た経緯だったんだろうね」

 言われてみれば、純白である筈の彼女の服は所々に黒く禍々しい紋様が入り、肌の色も普段の数割増しで青ざめている。あれは真っ当なメイヴではなく、敢えて名付けるなら《シャドウ・メイヴ》とでも呼ぶべき代物らしい。

 一瞬、かぼちゃで飾り立てられたチェイテ城にて繰り広げられた狂騒が藤丸の頭をよぎる。ロマンの言う通り、サーヴァントとして確立されてるか否かの差はあるが、聖杯の欠片を入手して何事かしでかすというのはキャスターのエリザとよく似ている。まったく、これもあの騒動のように誰も何も失わない案件であれば良かったのだが。……いや、ハロウィンでもライヴという名の虐殺行為で死人が出かけたけれども。

 しかし、兵団を率いるメイヴの思惑はそんな穏当なものではないようだった。言葉を交わす藤丸とロマンの存在は視界どころか意識の中にも入っていないかのような素振りのまま、クー・フーリン・オルタにのみ熱烈な視線を注いでいる。事実、彼女の脳内においてオルタ以外の存在の価値は塵芥に等しいのかもしれない。

「どうしたの? こうして出会えたのに、私の所に来ないの? 折角貴方を見つけたから無理矢理引き留めたのに」

 不思議そうな口ぶりで発された言葉を聞いた瞬間、藤丸の全身に鳥肌が立った。理解を越えて、全員が実感する。確かに彼女はまともなメイヴではない。メイヴ本人もクー・フーリン・オルタに固執するが、シャドウ・メイヴのそれはまた形が違う。当たり前のように隷属を求める姿勢、彼女はオルタを自身の所有物としか見ていない。

 同時にこの特異点から脱出できなくなった原因も判明した。『無理やり引き留めた』。いる筈の無いサーヴァント、聖杯の所持者という時点で怪しくはあったが、やはりメイヴの干渉によってレイシフトが制限されていたのだ。あのメイヴが発生した過程は判然としない。しかし彼女はクー・フーリン・オルタへの強い思い入れを懐いて生まれ、偶々当のオルタがレイシフトしてきたことで彼を捕まえようと動き出したのだろう。

 ふざけるな、とつまらなそうにオルタは吐き捨てた。

「俺がお前の下に行く理由は無い」

「そうかしら。クーちゃんは私が作ったモノでしょ? なら、私と一緒にいてくれるのが道理じゃない?」

「それはまともな方のお前に限った話だ。俺を作ったお前も、お前に作られた俺も、もう既にこの小僧に負けて終わった。お前に付き合う義理はなくなっている」

「そう……。残念、自分の意思では来てくれないのね」

 はあ、と不服さを心底表すようにメイヴは溜息を吐いた。少しの間俯いていたが、やがてばっと頭を跳ね上げると、にっこりと加虐的な笑みを顔に咲かせた。

「ならいいわ」

 ――場の空気が明らかに変わる。あらゆる男を虜にする花のような笑みは、しかし彼女の他のどんな表情よりも凶暴であった。メイヴの耽美にして麗しき肉体の内側から、放埓な暴君の本性が滲み出す。

「それならそれで無理やり手に入れるだけなんだから! 徹底的に蹂躙して、ボロボロになったところを捕まえてあげる」

 そう言って可憐な女王が右手を頭の上まで持ち上げると、彼女を取り巻くケルト兵たちが一斉に臨戦態勢に入った。無数の殺気がバーサーカーに突き刺さる。

「手加減無し、容赦もなし、全身全霊で私は貴方をかしずかせる!」

 歪で醜悪な宣戦布告が夕刻の大気を震わせ、次いで掌が振り下ろされた。その号令一つで、勇壮なケルト兵たちは戦場に解き放たれた。メイヴを囲む側近らしき兵たちを除いた、他全ての戦士が手に手に武器を携え、オルタ目掛けて一直線に突進してくる。

 戦端はいともあっさりと開かれた。

 土煙を巻き上げ、地響きと共に押し寄せる軍勢はまさに津波のよう。全てのクラス最強の突破力を誇るバーサーカーといえども、あれを踏破し切るのは容易いことではない。けれどもオルタは、「傍を離れるな」と藤丸に告げると一切の躊躇なく前に踏み出した。

 朱色の魔槍を顕現させ、ヒュンと一回転させる。

 胸を反らし、迫る大軍を見据えたまま肺いっぱいに空気を取り込む。そして……、

「――――――――――――!」

 腹の底に響く遠雷のような重低音が轟いた。黒き狂獣の喉より発された言語化不可能な唸り声が波紋となって広がる。地を揺るがすような、いや実際に荒野を振動させる音波が到達した途端、先陣を切っていたケルト兵の走る速度が明らかに落ちた。後続の兵たちの動きもまるで目に見えぬ怖れに足首を掴まれたかのように次々鈍っていく。クー・フーリン・オルタの持つスキル『精霊の狂騒』。対集団向きの広域精神干渉。

 敵軍の疾走が弛んだタイミングを見逃さず、オルタは地を蹴って一息にケルト兵の中に飛び込んだ。下段から跳ね上がった切っ先が最前にいた兵の腰から肩までを裂く。腰を捻りつつもう一歩深く踏み込み、今度は槍を右から左に水平に薙いで前方の敵をまとめて蹴散らす。ついでに背後に回ろうとした兵を尾の一振りで弾き飛ばす。

狂戦士は霞むほどの速さで得物を振るいながら兵の波に斬り込んでいく。槍が旋回するたびに血風が舞い、紅の軌跡が描かれる。

「……じゃあ、そういうことで。後はよろしく」

 通信機越しにロマンにそう伝えると、藤丸もオルタの後を追って駆け出した。

 尋常な勝負であれば、武力の土俵でメイヴがオルタに勝利する可能性は果てしなく低い。皮肉なことに彼女自身が聖杯に願った結果、ただでさえ強いクー・フーリンがより凶悪に仕上がったのがオルタだからだ。しかし、これは対等な決闘ではない。単純な数の差、魔力供給量の大きな違い、そして守護対象であるマスターの有無。多くの要因が彼の不利を告げていた。

 そうであっても、此処で戦わないという選択肢は存在しない。闘争しようにもメイヴはオルタを諦めないだろうし、彼女がカルデアへのラインに干渉している以上、斃さない限り問題は解決しないからだ。

 アメリカに残された女王の妄念。奇跡のような確率で形を持ったそれはひたすらにクー・フーリン・オルタを求めている。

 だが、そんなことはオルタにはどうでもよいことだ。眼前に立ち塞がるのならそれが何であれ粉砕する。敵の事情を斟酌する思考など持ち合わせていない。

 敵になるなら、数百の軍ですら食い千切ってみせる。それが狂戦士の在り方だ。

 

    ◆     ◆     ◆

 

執筆風景 3

「対して、クー・フーリン・オルタはあまり良くありませんな」

「ほう?」

「彼は……有り体に言って面白味が少ない。本当にかの光の御子から生まれた者なのか疑わしくなるほどだ。本来のクー・フーリンは闊達としつつも破天荒だというのに」

「オルタ……別存在の方は違うか」

「ええとも! ただ壁を作ってるならいい、言葉数が少ないのならいい、誤解されやすい人物であるならそれもいい。だが彼はそうではない。あの戦士は表すべき自己をほとんど持ち合わせていない。戦いのためだけに駆け、そして死に果てる獣の話も叙情的ではありますが、その魅力は一回きりのもの。継続して物語を生み出す人物足りえません」

「つまり?」

「つまりは、メイン回を一度しか張れない個性というわけですな! 我々作家としては能動的で、自分から話を作ってくれるキャラクターの方が重宝するもの。彼のように動いてくれない人物は実に扱いづらい!」

 

3.

 彼岸花の群生と見紛うのは一面にぶちまけられた死体。開けた地形であるにかかわらず、息苦しい程の血臭で空気が澱んでいた。

 眼前に立ち塞がる最後のケルト兵の胸の中心に槍を突き立て貫通させる。無数の死棘に臓腑をズタズタにされて兵は即座に絶命した。次いで襲い掛かって来るものは、もういない。

 戦闘開始から十数分、悪鬼羅刹の如く奮戦を続けたオルタは、十重二十重と敷かれた防陣をついにただの一度も足を止めることなく喰らい尽したのだ。

 兵士の亡骸を槍から振り捨てて、クー・フーリン・オルタは背後に追随するマスターを伴ってメイヴの正面に躍り出た。

「さて、後は取り巻き共を殺せばお前の番だ、メイヴ」

 彼我の距離はおよそ三十m。陶酔とも言えるとろけた表情で戦闘の推移を鑑賞していた女王に、槍の切っ先と共にその言葉を突き付けた。

 無論、兵の城壁を乗り越えたとて、それはようやく決戦の舞台に立てたという意味しか持たない。壁役はすべて倒したもののもまだメイヴの周囲には護衛隊の兵士が沢山残っているし、何より彼女自身は此処まで一度も直接手を下していないのだ。彼女との戦争はここからが正念場。依然として自分達は圧倒的に不利なのだと自覚し、気を抜くどころか寧ろ警戒レベルを倍に引き上げて、オルタと藤丸は堕ちた女王に対峙する。

 二人の緊張とは裏腹に、黒化した女王は眼前に屹立したオルタを見て、込み上げる歓喜を押さえられないとばかりに頬を紅潮させた。両手を自分の胴に回し、本来のメイヴすら上回る熱狂ぶりで艶めかしく身をくねらせた。

「嗚呼、素敵っ、素敵よ! たった一人で私の子供達を壊滅させちゃうなんて、さっすがクーちゃん! サイッコー!」

 一頻り叫んでから、彼女は「けど……」と意地悪く片目を瞑る。

「私が願ったこととはいえその武力はちょっと厄介。もっと疲れてもらわないと捕まえづらいじゃない」

 あくまでもオルタを我が物にすることしか頭にない発言。悪辣で身勝手な女主人、そういった側面が強調されているのか、黒く染まったメイヴは果てしなく自己の都合だけで物を言う。だが同時に、その一直線の意思は脅威でもある。女王メイヴの強さを支えるのは、民を統べる王権でも、彼女自身の戦闘力でもなく、万難を排して目的を遂げんとする彼女の意思そのもの。その狂気にも近い執着に宿る純粋さが彼女の力をより強固にすることを、クー・フーリン・オルタは知悉していた。

 現にメイヴはオルタの状態を的確に見抜いていた。彼が疲弊してるという事実を。

 ケルト兵の刃は一太刀ですら肉体に届いておらず、彼は外見上ベストコンディションを維持している。だがそれは外見上だけの話。ダメージは必ずしも目に見えるとは限らない。補給を断たれた状態で、マスターを守りながらの連戦は総身から確実に余裕を削ぎ取っていた。戦闘継続にもいずれ限界が訪れるだろう。

「知るか。こっちが削られ切る前に、そっちの息の根を止めちまえばいいだけだ」

 だが、それらの事情を恐れることも無くクー・フーリン・オルタはフンと鼻を鳴らした。

 棘だらけの槍を低く構え、メイヴを取り囲む護衛達の壁に間隙はないか無機質な視線を走らせる。護衛らの人数は三十。一見メイヴの左右と後方に乱雑に展開してるようで、その実いつでも彼女の盾として飛び出ることのできる位置取りをしている。良く仕込まれた兵のようだ。だが、何処かに揺らぎが生まれれば切り崩すことは容易い。

 メイヴが一つの事しか考えていないように、彼は彼で考えてることは『最短手数で敵の首を獲る道』のたった一つ。状況は予断を許さないものの、狂獣の本能は、このまま戦っていれば勝てるだろうと告げていた。

 しかし――その予想はすぐに覆されることとなる。

「うふ、ダメよクーちゃん。そんなことは許さない」

 口端が吊り上がり、三日月型に歪んだ笑みの奥からメイヴが無垢な悪意を零す。

「貴方はもっと私に翻弄されなくちゃいけないの。だから……力を貸してね、フェルグス」

 女王は語尾にハートマークが付きそうな程のウットリとした口調で言う。それは依頼であり、おねだりであり、勅命でもあった。次の瞬間、彼女が宙に翳した掌の元で膨大な魔力が渦を巻いた。

 メイヴの言葉が何を意味するのか、「誰」に「何」を願ったのかをオルタは即座に悟った。チッ、と舌打ちをすると、クー・フーリン・オルタはメイヴ目掛けて駆け出す。護衛隊の隙は見つけられていなくて、無策に突っ込んでも阻まれることは分かり切っていたが、いざとなればダメージ覚悟の強引な突破をするつもりで走った。そうしなければならないと彼は心底理解していた。

 五十mの間合いを一瞬で詰めて槍を突き出す。一切を穿つ呪いの朱槍は、しかしメイヴの喉元を抉る寸前で護衛が振り抜いた剣に逸らされた。剣戟の音と火花が弾け、突進の勢いが減衰される。流れるような動きで前に出た側近兵が女王を守らんと半月の陣を組み、黒甲冑の狂戦士が繰り出した二撃目も彼らは剣先を揃えて防いだ。流石、側近に選ばれるだけあって、護衛隊の性能は雑兵とは段違いらしい。サーヴァントを傷付け得るほどではないが、数合打ち合うことくらいなら出来る錬度を誇っている。

 苛立ちのままにオルタは喉の奥で低く唸った。脅威にこそならないが、瞬殺することもできない強さが今は鬱陶しい。強引な突破を図っても時間を稼がれてしまう。一人二人と、神速で放った槍が的確に護衛を刈り取っていくものの、眼前のメイヴまでの後一歩が詰め切れない。

 そして――致命的なタイムロスの内に、「彼」は女王の呼び声に応えてしまった。

 メイヴの白くたおやかな細腕が未だ見えざる剣の柄を掴む。虚空より引き出されたのは、彼女の身の丈にも匹敵する巨剣だった。いや、「それ」は剣と呼んでいいのかすら曖昧な武装だ。柄も無く峰も無く鍔も無く、握りの先に巨大な捻じくれた刀身が付いている様は、さながら馬鹿デカいドリルのようであった。

 後方の藤丸が息を呑む気配が伝わる。遅ればせながら少年も、歪んだ女王が何をしようとしてるのかを察知したのだ。あれは、生前の恋人との縁から、その恋人の象徴たる力を借り受けるメイヴの超抜能力。魔力消費量の観点からカルデアでは使用を制限されてるメイヴの宝具だ。

 彼女が関係を持った男は数多いが、名のある剣士といえば限定される。

 すなわちメイヴが持ち出したのは、ケルト有数の大英雄フェルグス・マック・ロイの魔剣『虹霓剣』に他ならない。

 西空の赤を刀身に映した螺旋剣の輝きにクー・フーリン・オルタは目を眇めた。剣の召喚の前にメイヴを仕留められなかったことに奥歯を噛み締めながら、素早く思考を切り替えて次の行動選択を吟味する。

 宝具の開帳前の殺害――困難。真名解放までの数秒での確殺は護衛に邪魔され難しい。

 敵宝具攻撃の回避――単独では可能。しかし本来の担い手でないとはいえ、あれは範囲攻撃に特化した剣だ。回避の決断は藤丸を無防備にすることに、ひいてはマスターの喪失に繋がる。

 ならば――迎撃か。

 そう判断するが早いか、オルタは後方に跳躍しメイヴから距離を取った。足甲の底で大地を削って制動を掛けながら、マスターの前まで後退する。

「オルタ、あれはっ」

「俺の背中から出るんじゃねえ」

 最低限の言葉だけを藤丸に飛ばし、朱槍を反転させ逆手に持ち替える。

「そう、貴方はその子を守るしかない。嫉妬しちゃうけど、今だけはそれが好都合よね」

 メイヴは、マスターの所に戻ったオルタを見て微笑んだ。柄に両手を添えて、身の丈に余るサイズの大剣を振りかぶる。酷く不格好な構えでありながらも、その刀身には七色に色を変えて脈打つ魔力が収束していく。対軍クラスの強大極まる魔力流はまるで嵐が吹き荒れてるかのようだった。

「マスター、魔力を持っていく。せいぜい耐えろ」

 淡々と言って、狂戦士も右手の槍を肩の後ろまで引き絞った。腰を捻り、大きく胸を張って、限界まで、否、限界を超えてもなお腕に力を溜め続ける。当然、無理に稼働させられた肉体は崩壊を始めるが、全身の各所に浮かんだルーンが壊れた端から修繕していく。蠢動する死棘がマスターから提供される魔力ごと周囲のマナを貪欲に吸い上げた。

 黒化メイヴとクー・フーリン・オルタ。狂熱と冷徹。相反する女王と狂王の視線が数十mの間合いを置いて交錯する。これより起こる災禍の予感に怯えて大地と大気がビリビリと震えた。

「さあ、虹を描きましょう……」

 魔力が臨界に達すると同時に、エイッ、とばかりにメイヴは可愛らしく剣を振る。

愛しき人の虹霓剣(フェルグス・マイ・ラブ)!」

 解放された真名が刀身に集約した魔力を斬撃へと変換する。無造作にも見えた挙動は、一拍置いて大破壊を生み出した。横一文字に薙がれた螺旋剣から奔った七色の剣光が、地面と平行に虹のアーチを架け、『三つの丘を切り裂いた』と伝承に謳われる、ケルト屈指の魔剣の虹光が殺風景な荒野を色鮮やかに塗り替えた。

 大波の如く迫り来る光の奔流に逃げ場はない。

 元よりバーサーカーに逃亡のつもりはない。強く大地を踏みしめた両脚の力を、腰部、脊椎、肩、の順で増幅・伝達し、全身の瞬発力を一本の槍に集積させる。紅の魔力が槍の切っ先を起点に渦を巻き――

抉り穿つ鏖殺の槍(ゲイ・ボルク)

 真名解放。因果逆転の槍『ゲイ・ボルク』の射出による運用。身体の負担を度外視したオルタの全力投擲が音速を凌駕する速度で槍を撃ち出す。莫大な魔力と呪力を纏って、紅の流星と化した魔槍は大気の壁を打ち破りながら飛翔した。

 そして、二つの宝具は激突する。

 虹と紅、真価を発揮したケルト屈指の魔剣と魔槍が、互いを喰らわんと咆える。

 宝具は伝説に語られる英雄の武威の再現であり、どのような形であれ宝具のぶつかり合いは、すなわち天変地異にも等しい神話の再演となる。対人に分類される宝具でもビル一棟くらい容易く切り崩せる。ならば、射程と範囲に優れた対軍宝具の正面衝突が生み出す衝撃は如何程のものか。

 巨大な斬撃の中心に噛み付く朱槍。その衝突点で相殺し合う魔力は、漏れ出した一端だけで地面を抉り取る威力を備えていた。

 それはまさに偉大なる叙事詩に描かれた戦場の光景だった。

 やがて、二種の宝具はどちらも標的に届くことなくエネルギーを霧消させた。

「どうクーちゃん。疲れてくれたかしら?」

 メイヴは、役目を終えて解けるようにして消える剣を笑顔で見送りながら口を開いた。

「……さあな」

 荒れる呼吸を沈めつつ、クー・フーリン・オルタは手元に跳ね戻ってきた槍を掴んだ。今の一合に関する僥倖と不運を一緒に噛み締める。

 オルタにとって僥倖だったのは、螺旋剣の使用者がメイヴだったということだ。仮に剣光を放ったのが本来の担い手であるフェルグスだったのなら、生前結んだゲッシュによって敗北を決定づけられていただろう。

 オルタにとって不運だったのは、メイヴに螺旋剣を使用されてしまったことだ。カルデアへのラインが細く閉ざされている現状、マスターを守るにはそれが不可避な急場だったとはいえ、大量の魔力を要求される対軍宝具の解放はこれまでと比較にならない程の消耗を自身に強いた。藤丸への負担を軽減するため、大半を自身の貯蔵魔力で賄ったこともそれに拍車をかけていた。

 サーヴァントはその一挙手一投足に至るまで魔力を必要とする。彼らの戦力は魔力の潤沢さに依存すると言っても過言ではなく、欠乏すれば当然弱体化もする。既にクー・フーリン・オルタの霊基を巡る魔力は全快時の三割を切っており、彼は自分の動きのキレが失われつつあることを感じていた。ステータスに直接現れずとも、全能力値に1から2ランク相当の減少が課されてるであろう。

 結局、見事にメイヴの思惑に嵌ってしまった訳だ。

「嘘はいけないわね」

 彼女もそれは見透かしているようだった。清純でありながら猥らに、淫蕩に微笑むと、女王の慚愧は腰帯に差していた鞭を抜き放ちヒュンと振った。

「貴方はもう限界が近い。私には分かるの。だって、クーちゃんの身体をデザインしたのは他ならぬ私なんだから」

 彼女を取り巻いていた側近らは、女王の盾にならんとしてメイヴとオルタの中間地点にいたばかりに、宝具の激突に巻き込まれて無残にも一人残らず消滅していた。だが事此処に至れば、最早雑兵なぞ居なくとも問題ない。両者の力関係は逆転したのだから。

 足元に転がってきた兵士の骸を踏み付けにしながら胸を張り高らかに宣言する。生前は自ら軍を率いて戦った女王の勘が、畳みかけるなら今だと告げていた。

「さあ、いよいよね。いよいよ私は貴方を手に入れるわ!」

 再び振るわれた鞭が空間を強く打ち、そこに歪みを作り出す。次の瞬間、歪んだ空間を切り裂いて巨大な物体が飛び出してきた。大質量を受け止めた大地がずしりと低く振動する。

 一口に言えば、それはチャリオットだった。二輪立ての搭乗席を二頭の牛が引く構造は古代の戦車以外に在り得ない。けれど、その威容はおよそ並みの戦車とは大きく乖離していた。轅に繋がれた牛はどちらも巨大かつ壮麗で、それぞれが上級の幻想種に類する生物だと確信させられる。三方を壁で囲った鋼の戦車室も、贅の限りを尽くして飾り立てられているのが一目で分かる豪奢な作りだった。

「そんな馬鹿な……」

 戦慄を口に出し、藤丸立香は粟立つ肌を押さえるように左の前腕を右手で握った。対軍規模の宝具の連続使用。まともなマスターなら魔力が枯渇してしまうような荒業を、彼女は聖杯のバックアップを受けて平然とやってのける。

 戦闘以外の目的に用いられることも多いが、その格はかの征服王の『神威の車輪』にも引けを取らない。《ライダー》メイヴの本来の宝具が満を持して姿を現したのだ。

 

    ◆     ◆     ◆

 

執筆風景 4

「作劇上の扱いづらさに関しては、まったくもって俺も同意するところだが……。マスターの物語を書くならあのサーヴァントに触れぬわけにもいくまい。あれはマスターのお気に入りだからな。なら、偉大なる劇作家様は歪んだ狂獣をどう描くつもりだ」

「さてさて、持ち上げて頂いたところ恐縮ですが、吾輩の考えは貴方と変わりないかと」

「俺の考えだと?」

「ええ、当然あるのでしょう? 貴方は作家だ。であれば! マスターの道程を書かずにはいられない筈です。それが作家という者の抑えがたい本性であるが故に! しかも題材はあのいじましい程にひたむきな少年。となれば筋立ては至極真っ当な英雄譚になり、貴方も言ったように、その物語の中には必ずクー・フーリン・オルタも存在しなければなりません。そこで貴方がどう描写するか、吾輩の回答はそれと同じなのです」

 シェイクスピアの言葉を受けてアンデルセンは眉を片方持ち上げた。が、彼の視線は相変わらず騎乗の原稿のみに注がれ対面の男には向けられない。暫しの沈黙ののち、アンデルセンは自嘲半分愉快半分の面持ちで苦笑した。猛然と動く手元から独立したように口だけが回り出す。

「……捻りもクソも無い王道に手を出すなど我ながら焼きが回ったがな。俺とて作家の端くれ、冒険譚も書けぬ訳じゃないさ。アレだろう? 内容の無い主役と主役の動機付けのために存在する姫か宝、主役のアンチテーゼとなる敵がいれば成立する話だ。だがそれだけじゃちと味気ない。他にも要素を付け足すべきだ。そう、たとえば賑やかしの仲間と――」

「『目の前に見えるのは短剣だろうか(Is this a dagger which I see before me,)柄をこちらに向けている(The handle toward my hand)』? つまりは主人公が手にする刃、ですな」

 言葉を引き取ったシェイクスピアにアンデルセンは軽く頷きを返した。

「ああ。自分で言うのもむず痒いが、王道物の主役は剣を執る決まりだろう。なら、藤丸立香にも刃が必要だろうさ。それが呪われた槍であってもな」

「彼を慕うサーヴァントの方々はそれぞれが『マスターの剣』を標榜しておりますが、……彼らでは不足だと?」

「答えを知ってることをわざわざ聞くな、バカめ。役どころの問題だ。英霊なんて連中は揃いも揃って自己主張が激し過ぎる。あれでは『武器』の役なぞ与えられない。いいとこ仲間だな」

「故にこそ自己を主張しないサーヴァントに意義が生まれる、という訳ですな!」

シェイクスピアの過度に劇的な言い回しに辟易しつつも、アンデルセンは「まあ、そういうことだ」と肯定した。

「実際だ。あの棘に埋もれた獣の描き方なんてそれぐらいしかないぞ」

「まったくの同感です! ですが、こと剣役に限って言えばクー・フーリン・オルタほどの適任もありますまい。同志ではなく刃として、彼は我らがマスターの道を切り拓きましょう」

「フン、そうでなくては困る」

 と、紙面を走る両者のペンの音が同時に止まった。

「書き上がりましたかな?」

「そっちもか」

 羽ペンを机の上に置いて、アンデルセンはやっと重荷を下ろしたように脱力しながら長々と息を吐いた。ぐしゃぐしゃと頭を掻きつつ背凭れ越しに振り向いて、不安げにそこに立つ人物に視線を投げる。

「仕事は終わったぞ、ドクター」

 

    ◆     ◆     ◆

 

4.

 白く噴き出される鼻息だけで存在の格が伝わる事もあるのだと藤丸は思った。味方の立場で何度も目にして見慣れていた筈の大宝具は、敵となった途端に背筋を凍らす脅威へと早変わりして、少年にいつかのホワイトハウスでの激闘を思い起こさせた

 女王メイヴの騎乗宝具は、ケルト叙事詩最大級の騒乱『クーリーの牛争い』を由来としており、争いの元となった二頭の牛、コノートのフィンドヴェナハとアルスターのドウンに戦車を牽かせての突撃は対軍宝具らしく一軍を薙ぎ払う火力を叩き出す。だが、あの宝具の本質は破壊力にはない。

 単純火力以上に恐ろしいのが男性への特効性能である。あれは男を跪かせるメイヴの王権そのもの。女王の権勢を骨子とした戦車は、狙った獲物を轢殺し、捕らえ、内部でまた蹂躙することに特化している。女性であっても一度捕まってしまえば脱出は困難、男性ならほぼ不可能だ。特異点での決戦で、ラーマにだけは矛先を向けさせないように采配を振るう必要があったくらいに、あの宝具の真名解放は男にとって致命的なのだ。

「……マスター、できる限り離れてろ」

 顕現した戦車を険しい目で見つめながら、クー・フーリン・オルタはかつてないレベルで張り詰めた声で告げる。心なしか彼の息は乱れているように思えた。

「メイヴの奴は……まあ殺すが、その後俺が生き残ってる保証はない。退避は早めにしておけ」

 普通に考えればメイヴの撃退はおろか、撤退すらこの状況では難しい。敵は高ランクの対軍宝具で尚且つ男性であるオルタへの特効持ち、その上彼のコンディションは万全には程遠いのだ。これで地を揺るがす猛牛の重突進など止められる訳がない。マスター諸共轢き潰されるのがオチである。しかし――、それらの不安要素を一顧だにせず、オルタは堂々と前に進み出る。マスターを守るのだという強い意志によってではなく、ただそれが当たり前のことだというように。

 オルタが前傾姿勢を取って槍を下段に構え、地面に着かんばかりに下げられた切っ先から血の色の魔力が蜃気楼のように立ち昇る。

 先の発言は、事実上の撤退宣言であり、クー・フーリン・オルタの決意の表明でもあった。彼の頭にあるのは主の安全と敵の絶殺のみ。自身の存続は最初から計上されていない。生存を放棄した一撃を以って眼前の女王を討つ、体内に残った力を掻き集めながらオルタはその一点に集中していた。

 シャドウ・メイヴはスカートの裾を翻して御者台に飛び乗り手綱を取る。

「いいわぁ。それでこそクーちゃんね!」

 オルタを睥睨するメイヴの唇は淫靡に歪んでいた。たとえそれが殺意であろうと、恋しき獣が自分だけを見ているという事実が貪欲な女王を歓喜させる。乗り手の高揚を感じ取ってか、轅に繋がれた牛達も熱を持て余すように蹄で激しく地面を掻いた。

「あらゆる力が私のもの……、貴方も私の物にしてあげる!」

 その言葉を切っ掛けに絢爛豪華な戦車を中心にして膨大な魔力の奔流が巻き起こった。高密度のエネルギーがスパークし、猛牛から発される凄味が二倍にも三倍にも膨れ上がる。

「オルタ……ッ!」

 目前に迫った破滅の予感が藤丸にその名を叫ばせる。次にメイヴが口を開いた瞬間に、騎乗物は牙を剥いて黒衣のサーヴァントを呑み込むだろう。令呪の強権をもってしてもその未来を覆せる確率は低い。しかし、少年は逃げようとはしなかった。一歩も退かぬと心を決め、崩れそうになる膝を必死に押さえ込む。それはクー・フーリン・オルタへの信頼ゆえであり――――――カルデアの作家達への信頼ゆえであった。

 空も、大地も、太陽も、世界の全てが二騎のサーヴァントの振る舞いに目を奪われたこの瞬間、不意に、藤丸の胸の前に無数の光の粒が現出した。「えっ?」と虚を突かれたメイヴの動きが一瞬硬直する。

光子は結集し綴じられていないままの紙の束を形作る。ふわりと舞い降りた紙片を丁重に両手で受け止め、少年は湖面の如き碧眼を涙に潤ませた。

 書類が転送されるに伴って、途切れていたカルデアからの通信が入った。

『すまない藤丸君、遅れてしまった。無事かい……って、うわあっ、ちょっと目を離した隙に随分追い込まれてるじゃないか! 大丈夫かい、言われたものは送ったけど……あ、ちょっと君達!』

 通信にノイズが走る。ドクターの声が遠ざかったかと思うと、戦場の緊張感を破るような騒々しい語り口が割り込んできた。

『これはいい。女王と狂王の殺し合いとは胸躍る題材ですな! 後でお気持ちを聞かせていただきたい。吾輩としましてもつぶさに戦況を眺めて書き留めたかったものです。マスターが我々に急場の仕事を言い付けさえしなければそうしたのですが! ……そう思いませんか?』

 宮廷道化めいた男の問い掛けに『――フン』と苛立たし気な声が応答した。

『書き留めるつもりなど毛頭ないが、急な仕事が迷惑だったというのには同感だな。まったく、俺はそもそも遅筆なんだぞ。だというのに、メイヴが宝具を使うまでにその対策を書き上げろ、だと? 何たる無理難題。なかなかどうして、極悪編集者らしくなっていたじゃないか、藤丸』

「でも、今回は締め切りに間に合わせてくれたんだね、アンデルセン」

『……そうせねばマスターを失うのなら、たまには真面目に筆を執るさ』

 至極仕方なさそうに素直じゃない述懐をしつつ、アンデルセンは嘆息した。

 メイヴに挑む上で、彼女の男性特効宝具が最大の障壁になるだろうことは初手から予測していた。仮に魔力が枯渇したタイミングで使われれば打つ手がないであろうことも。

 だから藤丸は、戦闘開始直前にロマンに依頼していたのだ。「シェイクスピアとアンデルセンにクー・フーリン・オルタを強化するための原稿を書かせてくれ」と。狭まったカルデアとのラインでは魔力の供給も物資の転送もままならず、食糧も燃料も、まして礼装もこの場所へは届かない。けれどごく質量の小さい物。紙の束くらいなら送って貰うことは出来そうだったから、それを最大限利用しようと考えたのだ。

 冊子程度の分量の文章で何が変わるのかと言う者もいるだろう。勿論、変わるとも。カルデアの誇る二大文筆家のしたためた文章ならば!

 藤丸が手にした紙の束が一斉に光を放った。純白だった紙面が黒く見えるほどにびっしりと記された行の全てが魔力を宿し、シェイクスピアが記述した部分はゴールデンイエローに、アンデルセンが書き付けた部分は水色に彩られる。発光する文字列は紙面から浮き上がり、二色のリボンとなってクー・フーリン・オルタの肉体を取り巻いた。

『時間が無かったからな。できたのは魔力と体力の回復、能力値の多少の底上げくらいだ。リテイクは受け付けんからそのつもりでな』

『男性への優位性に関しては、他の方よりは簡単に解決できるでしょうな! 歪んで狂っていると申しても彼は名にしおう光の御子。元より女王メイヴの権勢に屈しなかったただ一人の勇士です。その雄々しき伝説を強調すればアレの宝具に抗せるかと存じます』

 五体に巻き付いたリボンは暖かな光となって溶ける。童話作家の宝具と劇作家のスキルが染み込むと、オルタの全身が仄かな燐光に包まれた。霊的なリソースに変換された、世界最高峰の作家たちの端麗な文章が狂戦士の霊基を補強したのだ。

「――え、ちょ、ちょっと待ちなさいっ、それどういうこと!?」

 送られてきたのがどういった性質の物品なのか。警戒の面持ちで動向を窺っていたメイヴだったが、謎の書類が折角追い詰めた獲物を回復させていることに気付くと、腹立たしそうに歯を剥き出しにした。自分の思い通りにならない世界の不条理を憎悪するように、柳眉を吊り上げ、琥珀の瞳を燃やす。

「嘘でしょ。此処まで全部うまくいってたのに、今になって邪魔されるなんて冗談じゃない……。冗談じゃないわ!」

 メイヴの視線が、活力を取り戻して漆黒の尾を勢い良くうねらせる黒き槍使いを焼灼した。

「今更引くことなんてできない……たとえどんな障害があっても、私は貴方を手に入れてみせるんだから!」

 大気が逆巻く。メイヴが大きく息を吸った。己の有利は崩されたのだと理解しても、他ならぬ彼女自身の矜持と執着が停止することを許さない。英霊の残骸に過ぎない彼女の持ち物はその感情くらいしかなく、それを手放しては存在を維持できないからだ。

 自分ではない者の傍らに立つ、自分が作り出した怪物に向けて。思いの丈を打ち明けるように真名解放はなされた。

「蹂躙しなさいっ。愛しき私の鉄戦車(チャリオット・マイ・ラブ)!」

 限界まで張り詰めた弦から撃ち出された矢のように、戦車は静止状態から瞬時に最高速まで加速した。人を統べ、虐げ、震わせる王権の輝きが鋼鉄の車体を包み夕闇を反転させる。先刻の宝具の激突によって戦場には大小の亀裂が縦横無尽に走っていたが、桃色の魔力を迸らせた猛牛はそれらの支障を意にも介さず、寧ろ大地そのものを割らんばかりの勢いで疾走した。

 メイヴが鞭を鳴らして手綱を繰る猛牛はあっという間にオルタまで到達する。巨人の槌にも等しい二対の前脚がマスター諸共にバーサーカーを轢き潰さんと振り上げられた。

 一撃一撃が英雄の渾身の打ち込みにも匹敵する蹄に頭蓋を潰される寸前に、

噛み砕く(クリード・)――死牙の獣(コインヘン)!」

 クー・フーリン・オルタがその名を謳い終える。

 狂戦士が立つ地点が発破をかけたように爆ぜる。粉微塵に砕け散った土塊が視界を遮り、轟音が空間を震撼させ、行き場を失ったエネルギーが放射状に拡散した。余波を胸に受けた藤丸は押し倒されてゴロゴロと転がったが、大宝具が突進してきたという事実のわりに彼に及んだ被害はその程度だった。

 鋼鉄戦車の走行が藤丸に届く前に停止したからだ。

 もうもうと煙る粉塵の中から黒い異形の影が現れる。たとえるならソレは、千の棘を身に詰め込んだ二足歩行の捕食者だろうか。肉食獣めいた巨大な腕甲と脚甲から、蛇の如くしなる長い尾から、頭部を覆う兜の額から。闇を凝縮させたような漆黒の鎧の至る所から、深紅の棘が隙間なく突き出しその輪郭を凶悪に歪めていた。

 噛み砕く死牙の獣。荒ぶる狂王の怒りのままに、ゲイ・ボルクの素材となった海獣『クリード』の骨を召喚し全身に纏う、骨格型攻性装甲。魔槍を触媒として発現させるクー・フーリン・オルタのもう一つの宝具である。

その在り方のみならず、姿かたちまでも獣と化したオルタは二頭の牛と正面から組み合い、その全身でメイヴの騎乗宝具を受け止めていた。

 『愛しき私の鉄戦車』の真価は突進自体の衝撃に上乗せして、「数多の雄をかしずかせた」という概念の重みで相手を圧し潰すことにある。その強制力こそが迫り来るメイヴを撥ね退けることを困難にさせているのだ。だが今は、二大作家が強化した「クー・フーリンはメイヴにかしずかない」という概念が盾となって対男性のルールに拮抗していた。

 概念上は同格。であれば後は純粋な力比べ。腰を深く落とし、両足の鉤爪を地面に食い込ませて、肥大化した両の手甲でそれぞれ神牛の鼻面を鷲掴みにする。幻想種は英雄単体では討伐できない存在だ。普通に考えて、軍団を引き潰す怪物達を片腕で止められる訳がない。それでもオルタは、己に付与した幻想種の戦力を支えに満身の力を籠めて城塞以上の圧力を押し返す。

「くっ……」

 食い縛った歯の間から声を漏らすオルタ。甲冑の下の二の腕に血管が盛り上がり、筋繊維がブチブチと切れる音が耳についた。高ランク宝具の魔力が狭い範囲でぶつかり、加熱された大気が白桃色と朱色の火花を激しく散らせる。僅かでも気を抜けば競り負けるだろう危うい均衡が続き――、

「■■■……」

 地鳴りのように低く喉を鳴らしながら狂王が右足を踏み出す。その肉体を衝き動かすのは主を守らんとする使命感などではない。繰り返しになるが、この狂戦士は使い魔として当たり前に敵を殺すのだ。

 もう一歩前に。オルタの足の下で荒野がクレーター状にへこむ。甲冑を装備したことで評価規格外の域にまで高められた筋力が神代の牛を後退させる。「そんなっ」とメイヴの顔に狼狽の表情が過ぎった。

更に前へ。内に巣食う狂気が燃えるに任せて、王は天に轟かんばかりに咆哮した。

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――!」

 腕甲に付属した槍のように長く鋭い爪が牛の皮膚を貫き、肩の肉に潜りこんだ。ゲイ・ボルクと同質の呪力が体内で炸裂し、爪の尖端を起点にして四方に細かい棘が突き出す。肉を裂く湿った鈍い音が断続的に響き、内側から心臓と肺を抉られたフィンドヴェナハとドウンは断末魔を漏らして地に倒れ伏した。

 痙攣する二頭から爪を引き抜くと、間髪入れずオルタは跳躍し御者台のメイヴに躍りかかった。重い風切り音をあげて振り抜かれた尾が茫然と座すメイヴの胴を捉え、腰掛けていた奢侈な椅子ごと体をくの字に折り曲げた女王を吹き飛ばす。そのままメイヴの身体は襤褸切れのように宙を舞い、背後の戦車室の奥側の壁に激突してから床に転がった。

 ズシンと車体を揺らしてオルタが御者台に着地する。

「うっ……つ」

 小さく痛みに呻いて、メイヴは尾がヒットした部分に手を当てつつ薄く瞼を開けた。琥珀色の瞳に映ったのは赤みをわずかに残して藍色に染まった空、そして宵闇よりも黒い鎧と夕日よりも赤い棘に身を包んだ王の姿だった。額から伸びる鬼種めいた角が残照の中にギラリと浮かび上がる。逢魔ヶ時の空を背景にしたオルタはまさしくメイヴが望んだ通りに邪悪で、身震いするほどに恐ろしかった。

「あはっ……、私自慢の牛達まで壊しちゃうなんて。最高じゃない、クーちゃん」

 床に左手をついて身を起こし、メイヴは感極まった声で囁く。もうちょっとのところで逆転され、求めた男が手に入らないことがほとんど確定したこのタイミングで、その口から転がり出たのは怒りではなく狂喜だった。

「そう、それでいいの。立ち塞がる敵はたとえ何者であろうとも排除する。それでこそ、その残忍さと冷酷さこそ貴方よ!」

 積み上げた優位はただの一手で奪われ、兵士は全滅し、宝具も失った。単独では鎧を展開したオルタ相手に勝ち目は無く、そもそも反撃できるだけの余力も無い。だが、そんな避けようのない敗北を悟っていながらも、横座りになったメイヴの双眸は昂揚に濡れていた。執着もある。所有欲もある。けれど彼女の胸の内にはそれらを遥かに上回る、「クー・フーリンが最強である」という幻想が煌めいていた。たとえ死ぬのであっても自分の作った狂王が、自分の思い描いたように存在してるならば納得もできると、女王は破綻した思考のまま最後の最後までその夢を叫んでいた。

「なのに……」

 強いて彼女が納得できずに怒りを表す事があるとすれば、それは一つだけ。

「ねえクーちゃん、貴方はそんなにも私の理想通りに生きてるのに、どうして私の隣にいるということだけは叶えてくれないの!?」

 オルタはメイヴの言葉に反応を返さず、淡々と右腕を振り上げた。

 「終わりだ」と短く告げて、無造作に突き下ろした爪がメイヴの心臓を穿った。

 それはこれ以上ない程に明快な決着だった。

 

 致命傷を与えた手応えを感じると狂王は宝具の使用をやめた。海獣を象った鎧は質感を失って、赤黒い粒子となって消え去っていく。鉤爪を備えた腕甲も透けるように消え、後にはメイヴの心臓に突き刺さった状態のゲイ・ボルクとその柄の中程を握るオルタの手だけが残った。

 コポリと、喉をせり上がってきた血が口から零れ、メイヴの白磁の肌に赤いラインを引いた。

「……また、負けちゃった」

 メイヴは穴の開いた肺から無理矢理空気を押し出して言葉を紡ぐ。唇を噛みながらうっすらと微笑む面差しには、激しい口惜しさが滲んでいたけれど、その口調は憑き物が落ちた様に落ち着きを取り戻していた。メイヴは首を巡らせてこの戦いで初めて後方のマスターに焦点を合わせた。

「敗因は、やっぱりあの子かしら。あのちっぽけな人間を見誤っていたから私は二度も土をつけられた。マスターという枷があったからこそ貴方を追い詰められたけど、その枷がいたからこそ負けるなんて、皮肉よね。そう……貴方はとっくにあの子のサーヴァント。あの子の物。そんなことは分かっていたのに」

 孤高であれと願われた獣。しかしもう、たった一人で彼が戦争することはない。物理的にも、そして在り方的にも、彼は彼女の手の届かない場所に行ってしまっている。それは先に進みカルデアのマスターに仕えることを選んだ狂王の分霊と、特異点に止まったままになってしまった女王の妄執とを隔てる埋めがたい差だった。

「ええ、分かっていた。貴方がもうメイヴのための王ではないことも、本当の私が満足して逝ったことも。けれど……ううん、だからこそ私は貴方が欲しかったの。だって、女王メイヴは『自分の物ではないクー・フーリン』を一番欲しがっていて、彼女のその感情だけが今の私を構成する唯一のものだったから。彼女と一緒に消えるはずだった《私》がこの世界に留まれたとき、胸の中にあったのはそれだけだったから」

 メイヴの目の端から涙が一滴滑り落ちた。その肉体は既に崩壊を始めている。元々彼女は不安定な存在。いくら聖杯の欠片があったとしても霊核を破壊されれば現界は続けられない。女王メイヴがこの特異点に遺した怨念はほどなく完全に消滅するだろう。

 狂王は表情を動かすことも無くメイヴを見下ろしていた。内心を読み取れない無機質な瞳のままおもむろに口を開く。

「お前がそうであるように俺もメイヴの奴が残した慙愧だ。なら、お前が俺を求めたのも、その果てに殺し合ったのも、きっとそういう道筋だったんだろうさ。……だがこんなことを何度も繰り返すのも面倒だ。まともな方のクー・フーリンとメイヴのイザコザは永劫続くのだろうが、少なくともお前と俺の争いはこれで仕舞いにしよう」

 無味乾燥にもほどがある発言を耳にしてメイヴはおかしそうに唇を曲げた。

「……それを勝者であるクーちゃんの側から言うの? 何処までいっても残酷ね、素敵」

 そう言って、胸の中心を穂先に貫かれたまま強引に立ち上がった。血を滴らせながらそのまま一歩踏み出す。無数の棘の生えた槍が胸のより深くまでズズッと埋まり、背中へ突き抜けていく感触すらも厭わず前進し、力の抜けた右手をゆっくりと持ち上げる。

 濃紺の空の下で二騎の顔と顔がほとんど重なる距離まで近寄った。恋人に口づけをねだるような仕草で血に塗れた指をそっとオルタの頬に添わせて、メイヴは言葉を発した。

「そうね……、貴方を手に入れられなかったのはどうしても悔しいけど、それでも貴方が本気で殺しに来てくれたのは良かったわ」

 血の気の失せた顔で、聖女のように娼婦のように柔らかに微笑む。

「いつかの戦争みたいに私を敵方の指揮官としか見ないのではなく、殺すべき対象として全霊を傾けてくれた。それだけのことが堪らなく嬉しかったの。だって、クー・フーリンに命を奪われるなんて本当の私でも経験できない事でしょ? だから、ええ、いいでしょう。貴方達を狙うのはこれっきりにしてあげる」

「そうか」と応じた後、オルタの声のトーンがほんの些細な程度だがハッキリと変化した。敵に対しての寒々しいものから、嘗て味方だった時に向けていたような声へ。緋色の瞳にメイヴの顔を映して狂王は言った。

「……満足したか?」

「ふふっ。さあ、どうかしら。欲求不満は収まらないけど、満足は……したのかも。クーちゃんが最強なことも実感できたし。それに――戦ってる間のほんの一時だけでも、貴方の心を私でいっぱいに出来たんだもの」

 その言葉を最後に、メイヴの肉体は無数の光の粒へと変じて音も無く消えて逝った。彼女を維持していた聖杯の断片も、蓄えていた魔力の最後の一滴まで使い果たして消滅する。担い手の消滅に伴って足場となっていた戦車もまた虚空に還った。危なげなく着地し、オルタは朱槍を手の中で一度回転させてから霊体化させた。

 そこで狂王はふと視線を宙に向けた。既に血溜まりも含めてメイヴの存在していた痕跡はなくなっていたが、黙したまま底の窺えない目で彼女が最後に立っていたあたりを数秒見つめる。やがて肩を竦め、踵を返すと、離れた場所で所在なさげに立つマスターにいつものように淡々と声を掛けた。

「敵は殺した。帰るぞ」

 

    ◆      ◆      ◆

 

5.

 事の顛末を見届けて、作家陣は張り付いていた管制室のモニターから離れた。マスターとクー・フーリンオルタが囚われることになった元凶は斃された。少しすれば彼らも安全に帰投できるだろう。もう見るべきところはない。

 近くの端末で数値を検証していたロマンが安堵の溜息を吐き、大きく伸びをする。と、そこで彼は二騎の様子に気が付いた。

「二人共お疲れさま。急な依頼で済まなかったね」

「いえいえ滅相もありません」

「ふん、こんなのはこれきりにして貰いたいものだな」

「いや本当に助かったよ。そうだ、珈琲を入れてこようと思うんだけど、君達も飲むかい?」

 ふにゃりと笑いつつ訊いてくるロマンの厚意に甘えて、アンデルセンは珈琲をシェイクスピアは紅茶をリクエストとする。懸案事項が解決し、晴れ晴れとした顔でお茶を淹れに行ったドクターを横目に、シェイクスピアは中空から白紙の本と羽ペンを取り出した。そのまま手近なデスクに腰を預けて書き物を始める。この戦いについての物語を早速書き始めているのだろう。勤勉なことだ、とアンデルセンは感心する。

 やがて筆が乗って来たのか、「いやはや!」と、シェイクスピアが大袈裟な身振りをつけながら語り出した。

「つくづく、この場所では題材になりそうな騒動に事欠きませんな。――襲い掛かるは軍を率いた甦りし女王、その艱難を狂える獣が討ち果たす。それはまさに忠実なる刃の面目躍如! 彼自身に物語が無くとも、その周囲で物語が生まれるのなら活躍の機会もある。今回の話もなかなか愉快で痛快です。長編にはなり得ませんが、幕間劇としては上等でしょう。参考に後でマスター達に感想を聞かねばなりませんな!」

「……カルデアの視点に立てばそうだろうさ。たった一人だった王が仲間とともに敵を倒す、典型的な冒険譚だ」

「ほう?」

 てっきり作品に没頭して独り言を垂れ流してるだけであって、返答など求めていないものだと思っていたが、腕を組んだアンデルセンが小声で言った言葉に、シェイクスピアは思いのほか耳聡く反応を返した。

「大作家アンデルセンともあろうお方が、発言に切れがありませんな。あのメイヴに何か思い入れでも?」

「馬鹿馬鹿しい」

 愚問だとばかりに鼻を鳴らしてから、アンデルセンはふと有り得るはずの無い過去の映像を重ねるように目を眇めた。

「思い入れなどない。ただ……猥らに愛を求め、散っていく女の姿に見覚えがあっただけだ」

「欲した男に拒絶された哀れな悪女の末路、ですか。その辺りの主観も入れた方が物語に奥行きが出るかもしれませんな。……ふうむ。となると、結末を描くにあたって、想い破れたあのメイヴの顛末は果たして悲愛なのか悲恋と見るべきなのか決めねばならない。貴方はどうお考えですかな」

「あれが恋なのか、愛なのかだと?」

 聞き覚えのある問答を受けて、少年姿のサーヴァントの口端が意地悪く吊り上がり、水色の瞳が心なしか懐かしそうに煌めいた。と、そこでロマンがトレーに乗せたお茶を持ってきて二人の近くのデスクに置いて行った。一旦言葉を切って、二人はドクターの入れた飲み物で唇を湿らせた。紅茶に口を付けながらシェイクスピアは視線で先を促す。アンデルセンは静かに続けた。

「決まってる。一個人に焦がれ続け、その果てにどうしようもない現実の前に折れる。そんなもの、恋と以外に呼びようがないさ」




初投稿なもので至らない点もあると思いますが、楽しんでいただければ幸いです。
他の方の作品を見てみると、ある程度のところで区切って投稿されてるようなので、自分も次に投稿するときは読みやすいようにそうしたいと思います。


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