夢日記というのがあるだろう。
僕の最初はそれだった。
その思いつきに何か特別な理念があった訳じゃあない。
僕は普通と比べて悪夢を頻繁に見る方だそうだ。
憂鬱に悩まされて病院通いだった僕にある日、主治医の先生が提案したのだ。
「夢日記をつけてみる、というのは如何でしょう真澄さん」
「夢日記…ですか」
悪夢の内容を日記として文字に書き起こすことと、僕の睡眠時間が悪夢の恐怖に脅かされ続けていることの解決策が咄嗟に関連づけられなかったが、ようするに目に見える形にして自分が悪夢の内容を認識できるようにすれば、多少はその脅威が減るのではないかということだった。
たとえば昔の人は夜の裏道で『目に見えない壁とぶつかって』、先に進むことができない怪異に遭遇した時、それを妖怪というキャラクターにすることで恐怖を普遍化…そして幾分か矮小化しようとする試みをしていたという。
目に見えない壁、というのが、当事者が前後不覚に陥るほど泥酔していたからとかで目の前にちゃんとそこにある壁を認識できていなかった、ただの思い違いでしかなったとしてもだ。
僕の悪夢というのは他人に説明しがたい。
目が覚めて直後までははっきり覚えていて背中がうすら寒いのに、カーテンの小漏れ陽を見て「もう朝だ」と自覚する刹那のうちにほとんどの内容を忘れてしまう。
たまに覚えているのは断片的な風景や、言葉や、誰かの顔らしきおぼろげな輪郭。
それらの映像や音声を切り貼りしてつくった出来損ないのMAD作品のような悪夢が、何故か僕には安眠できないほど恐ろしかった。
だから、布団から起き上がって夢から覚めたと思うまでに日記にできるよう、枕元にノートとペンを置いて寝るのがいいのではないか、と先生がほがらかに笑って、その日の診察時間は終わった。
病院からの帰り途、自室がある市内の駅から最寄かつ馴染みの本屋で、早速新しいノートを買った。
講義以外で紙とペンを持つ習慣がなかったのだ。
投薬の調整で薬代が多少安く変更されて財布に余裕もあったから、思い立ったが吉日という訳だ。
今日も本屋で接客をしていたのは、知り合いというほどではないが少し顔を見知ったアルバイトらしき女の子だった。
シフトが多いのか、その顔をよく見かける。
その程度で見知った顔として覚えてしまうくらいには端正な顔立ちの女子だ。
おそらく自分と近い歳の学生なんだろうが、シフトが多いのだろうかと思うほどその本屋で顔を見かけるので、あまり裕福な学生という訳じゃあないのだろう。
控えめな笑顔と接客言葉にこちらも精一杯の社交スマイルを返してから、白く細い魚の鱗のような指先に自分の手が誤って触れぬよう、恐々と釣銭とレシートを受け取った。
…今日の彼女のそれは、白魚というよりは肉付きのよくない鯖の中骨のようだな、となんとなく思った。
レジの照明電球が少し切れかけていて暗いからそう思ったのかなとその時は深く考えなかった。
店を後にする時、自動ドアの向こうで店長らしき男性が長電球の箱を抱えて忙しそうにしているのが見えたし、そんな咄嗟の印象で他人の不吉を勘ぐってしまえるほど詩人な感性は持っていなかった。
たとい本当に彼女が酷い目に遭っても深く傷つくほど親交のある相手でもなかったのもある(もちろん、不幸を祈るような憎しみの対象でなかったことだって誓えるが)。
毒々しい赤色に墨のように僕の影が伸びていく、誰そ彼時の刹那の悪夢。
その日を最期にして、一つの風景が日常から欠けて消えていった。
★
「
五月×日
さかなのゆめをみる
すいそうのまどからそらがみえた
おおきなあな、しろいあな、すいこまれそう
みずのなかだからいきぐるしい
しろいさかなのおんなのこ、いいや■■■の■のこ
いきぐるしいのはみずのなかだからではなくて
すいそうのポンプをこわしたからだ、ともだちが
そらがみえなくなって、ごろりとふくれたかおのおんなのこが、めのまえにたおれこんだ
わたしたちをみてる、あなたはだあれ?
」
★
…
はじめて夢日記が成立した時、僕にはまずその意味がわからなかった。
いや、成立する前はもっとわからなかったが。
子供がクレヨンを握りこんで滅茶苦茶に線を引いたようなページが増えるばかりで、夢日記を試みてからの一か月は悪夢を記録するどころではなかった。
つい数日前の定例通院でもこのことは主治医に話したばかりだ。
「睡眠障害は悪化するばかりなのに、夢日記はちっとも捗っていません」と。
昨日の朝すらなんとか日付までは読める程度だったから、すこし継続に挫けかけていた頃合いだった。
いつものように、床に敷いた布団から上半身を起こし、カーテンの隙間から差し込むわずかな曇天の光源を自覚して、自分が目覚めていると我に返った。
あぐらをかいた膝の上にはノートが開かれていて、右手が雑に蓋の抜けたボールペンを鷲掴みにしていた。
ペンの蓋を探して部屋の中へと視線を彷徨わせると、コンピュータの置かれたデスクの下に転がっているのを見つけた。
けだるい体でのたうってデスクをくぐり、蓋を拾ってからペン先を仕舞った。
ノートに書かれている読める文字の量が、昨日に較べて格段に増えていることに気付いたのは、布団の上からノートを拾ってデスク用座椅子に腰を下ろし、改めて今朝できた新しいページを検めてからだった。
自分が書いたとは思えないような、インクの付いたミミズか芋虫がのたくった跡のような嫌悪的な線条が、かろうじて僕にも読むことができる人間の言葉を形成している。
内容は意味不明だったが。
「水槽…魚…息が苦しい…。
夢の中の俺は金魚鉢にでも頭を突っ込んで窒息していたのか?」
だとしたら間抜けな絵面だなと思って、そう言えば昨晩は五月はじめにしてらしからぬ熱帯夜であったことを思い出した。
息苦しいと胸の内で反芻すると、一気に喉の渇きまで自覚してしまって、覚束ない足取りで冷蔵庫と台所がある方向を目指した。
コップに昨夕から冷やしておいた麦茶を淹れて、一気に飲み干す。
洗い場のシンクには昨日の夕飯時に使った食器が水に浸けられて放置されていた。
昨夜の暑さのせいか、それで部屋中に「水臭さ」が充満しているような気がして、急いで換気扇を回して大窓を開ける。
曇り空だが風は吹いていて、部屋の中へと取り込まれる少しぬるい空気が、カーテンをひそかに揺らした。
思わず、ほっと息継ぎをしてしまう。
そうしたところで、夢日記の記述に思いを巡らせた。
水槽、の窓、白い魚、女の子、息苦しい、膨れた顔の女の子。
金魚を飼うガラス鉢の中に頭を突っ込んでもがいて苦しむ自分の後姿の想像が頭の中を愉快にしてくれて、たまらずかすかに笑い噴出した。
人前でないところで、無意味に笑えたのがひどく久しぶりに思えて、そんなに睡眠障害に悩まされて長くなっていたのか、と鬱屈になる。
が、すぐに間抜けな想像が駆け巡って口元が綻ぶのを止められない。
もしいま部屋に誰か他の人がいたなら、自分の百面相はとても奇妙に見えただろう。
そう思うとますますおかしかった。
夢日記の面目躍如と言ったところか。今朝の悪夢が、滑稽な妄動に矮小化されていくのがわかった。
これが僕の夢日記の成功例第一号である。
ひとしきり独り百面相を堪能してから、リモコン操作でテレビの電源を入れた。窓際近くの壁に立てかけるように配置されたテレビが、今朝のニュースを放送しはじめる。
特に社会に関心がある方ではなかった。
だが決して安くない通信料を払っているのにまったく情報収集に利用しないのもまた非常に癪に思えるけちな性格なので、よほどの悪夢を見たあとの偏頭痛で頭を抱えているでもない限り、お馴染みのニュースを必ず視聴するのが僕の日課の一つだった。
パリッとしたスーツを着こなした男性と女性のニュースキャスターが代わる代わる先週末から話題の、既知のニュースを昨日とはまた違う言い回しで読み上げていく。
政治家の失言、男性アイドルのおめでた、海外のひどいテロ事件…五月の連休前ということもあってか話題のボリュームが四月よりも気持ち多い気がする。
その中から大学のゼミや研究室の集まりで話題にできそうなものを検めていた時に、そのニュースは不自然なほど自然に、今日仕入れられた新情報として、テロップ見出しつきで舞い込んできた。
ついぞ恐怖の大魔王が来たらぬまま11年の月日が経過したが、魔王が君臨せずともどこかで誰かが死ぬ。
そこは国内も国外も変わらない。
僕の生活も死をまったく意識しないほど豊かではない、かといって死しか考えられなくなるほど切羽詰まってもいない。
せいぜい大学受験ノイローゼを丸一年以上引きずっているから、健康を害するほど毎晩悪夢に魘されているから。
それで脳の病院にかかっている程度のどこにでもそこそこいる、人並みに不幸な普通の学生だ。
毎日がバイト漬けで田舎の両親からの経済援助を雀の額程度も期待できない苦学生という訳でもない。
生活の目途が果てまで見通せるほどではないだけで、僕が死ぬほど不幸でつらい目に遭ってきた人間を自称するならば、きっと誰かに叱られるだろう。
少なくとも僕が、そんな僕が居たならば赦さない。
『女子高生集団自殺』。
だから彼女たちは、きっと僕には思い知れないほど、各々悩み苦しんでそんなことを友達と決行したのだ。
もうすぐ僕たちは、五月の大型連休に突入するからって楽観していた方なのに。
自殺ならよくある。
線路に誰それが飛び込んで電車のダイヤがずれるなんてことはたまにあることだ。
人が死んだことよりも、タイヤと線路が肉塊で汚れて動かなくなったことの方が気になるようなくらい、僕たちは…いや僕は『不幸な人が死ぬ』ことを当たり前にしていた。
電車に飛び込んだ誰かと違って、センチメンタルに彼女たちの死が報道されているのは、この死が前以て計画されていて、かつ一人ではなく四人もの大人数で実行された特異なものだからだ。
そのちょっと目を見張る異常さが、第三者に彼女たちの苦悩や悲憤へと思いを馳せようとする共感性を、はっと思い出させたのだろう。
僕もそうだった。
でもこうやってニュースの見出しにならないと気に留めないし、そうだとしても本来なら気に留める程度の憂鬱で終わるはずのものだった。
「息苦しいのは水の中にいるからではなくて」
「友達が、ポンプを壊したからだ」
呆然と、僕は何かを諳んじていた。
画面から目を離せなかった。
だって、その店に行くたびに顔を合わせる程度の赤の他人だったけど、その顔と指先を覚えてしまうほどには綺麗な女の子だったって、僕はそう思っていただろう?
遺体が見つかった現場は、この市からあまり遠い土地ではない。
自殺した女子高生たちが通っていた学校の名前にも憶えがある。
僕が通うキャンパスにもそこの生徒と交際している奴らがそこそこいる事は知っていた。
だから、あの指の綺麗な彼女が、そこの生徒なんだろうなという推測はなんとなく立ててはいたのだ。
ブラウン管に移るその顔写真の一つから、目が離せなかった。
それほどに僕は、この顔を愛おしく思っていたのか。
ならば玉砕覚悟で交際でも申し入れておけばよかったのに。
悪夢の風景が人間の音声を再生しはじめる。
誰だかわからなかった人物の輪郭が脳内で像を結びはじめ、夢日記の詩的な記述がストーリーとして成立する。
思えば、昨晩は熱帯夜だったが、そら寒いような満月の夜でもあった。
ともすればあの満月は夜空に穿たれた穴か何かで、ベランダから見上げると空に吸い込まれそうな気がした。
あの月を、彼女たちも最期に見上げていたのだ。
やがて月が見えなくなった頃、密室から空気が消えていきどんどん息が苦しくなっていく。
なのに、彼女たちは膨らんでいった。
はじめに意識を喪って倒れた女の子は、青白い顔がちょっと不細工に膨らんでいて、可愛い顔をしているのになんてことをするのだろう、と僕は思わなかったか?
少し前にコップの中の麦茶を干したばかりだったのに、窒息の代わりのように僕の喉はすっかり渇ききっていた。
ノートの「あ」だか「お」だか、かろうじて「ほ」の成り損ないだとしかわからなかった一節、そこに書かれたフレーズが「ほんやのあのこ」のことだと気付いた時、センチメンタルなニュースはとっくに終わって、趣味の写真家による投稿写真の紹介コーナーがはじまっていた。
夢日記成功例第一号が出来た日。
白魚の彼女が白骨化する悪夢を見たあとの朝。
…ただの悲観的な思い込みの可能性も捨てきれないとはいえ、この成功は誰にも(もちろん主治医にも)報告したくないな、とそう思った。
…