とある魔術の仮想世界[3]   作:小仏トンネル

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第34話 朝田詩乃

 

(もう…疲れた…何も見たくない…何も感じたくない…)

 

(きっと…こんなのは現実じゃない…)

 

 

詩乃は氷のように凍りついた心の奥で、そう呟いた。凍りついた心の世界にいる詩乃は、自分以外に誰もいない世界で独り。膝を抱えて蹲り、自分を囲む現実から、ただただ目を逸らしていた

 

 

(上やん…せっかく私を助けに来てくれたのに…私の血に濡れた手を握って…暗闇にいた私を救ってくれたのに…無駄にしちゃって…ゴメンね…)

 

 

彼女の脳裏をよぎるのは、どこまでも真っ直ぐで、諦めの悪いツンツン頭の少年だった。自分を助けてくれた、自分の心の氷の壁を溶かしてくれた、たった一人の少年。再び詩乃の凍りついた心の中に、彼はもういない

 

 

『ならいっそ、ログアウトした後に俺がそっちに行くよ』

 

(!!!も、もし本当にウチに来たら…今度は上やんも危ない!)

 

 

彼の素顔が脳裏によぎった直後、彼が自分の身を案じてかけてくれた言葉が鮮明に蘇る。そして彼の身の危険を予期する。しかし、自分に出来ることがあるかどうかと言われれば、それは…

 

 

(・・・でも、だからってもうどうにもならないよ…私…私ッ…!)

 

『そんなことないよ』

 

(・・・え?)

 

 

蹲る彼女の肩に優しく手を置いて話しかけたのは、もう一人の自分だった。銃と鋼鉄が支配する仮想世界で戦う、サンドイエローのマフラーがトレードマークの少女『シノン』だった

 

 

『私たちは、今までずっと自分しか見てこなかった。自分の為にしか戦わなかった…』

 

『でも、もう遅すぎるかもしれないけど…せめて最後に一度だけ!誰かの為に戦おうよ!』

 

 

そう言ってシノンは、詩乃に自分の手を差し出した。そして詩乃はその手を一瞥し、もう一度考える

 

 

(そうだった…私は…いつも誰かの為じゃなく…自分の為だけに…戦っていたんだ…)

 

(でも上やんは…そんな私と一緒に戦ってくれたんだ…)

 

(私も彼と同じになれるなんて…到底思えない…でも…)

 

(せめて!彼と同じであろうとすることぐらいは…!私にも出来る…!)

 

(まだ私は戦う選択が出来る…!自分のためじゃない…彼のために…!)

 

 

詩乃は決心した。向き合い続けることを、戦うことを決心した。己を蝕み続ける過去と、眼前に迫る恐怖に再び目を向け、シノンの腕を取った

 

 

『「さあ、行こう!!」』

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「ぅぁ…うわああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 

ドスッ!!ドゴォッ!!

 

「がっ!?ぐげぇっ!?!?」

 

 

詩乃は自身の心の底に眠った勇気を奮い立たせ、無我夢中で暴れまわった。一度強く彼の腹部に膝を入れ、彼の腕の中から滑り抜けると、右の掌で彼の顎を強く押し退けた

 

 

ドタッ!ドゴッ!ダンッ!

 

「あっ!があっ!このっ!くそっ!」

 

「やっ!きゃあ!やぁっ!!」

 

バタンッ!ドサッ!ゴトゴトッ!

 

 

再び恭二は逃した詩乃を捉えようと躍起になって彼女に襲いかかる。しかし、詩乃もまた彼の腕から逃れようと懸命になって暴れまくる。気づけば二人の身体はベッドから滑り落ちており、詩乃は一目散に玄関を目指した

 

 

ダダダダダッ!!

 

「はあっ!はあっ!はあっ!」

 

ガチャッ!ガチャガチャ!

 

 

リビングを飛び出し、玄関まであまりにも近すぎる廊下を走り抜けると、ドアに手をかけた。しかし、開かない。普段も防犯のため鍵は掛けている。しかし、その時に限ってチェーンまでかかっていた。おそらく恭二の仕業だろう。彼女が簡単には逃げ出せぬよう、こんなところにまで気を配っていたのだ

 

 

「いやっ!このっ!」

 

「ああああああああ!!!!!」

 

「ッ!?きゃあっ!!!」

 

ガシッ!ズルッ!

 

「はぁっ!はぁっ!はぁっ!はぁっ!はあっ!はあっ!」

 

ズリズリズリズリズリズリズリ……

 

 

そして詩乃が解錠に手こずっていたところを、恭二が再び襲いかかった。詩乃の足を掴み、自分の元へと引きずり込んだ。たまらず詩乃は腹ばいになりながら床に転けた。そしてその背丈には似合わぬ程の腕力で詩乃の体を引き摺り戻すと、詩乃の体に圧しかかった

 

 

「アサダサンアサダサンアサダサンアサダサンアサダサンアサダサンアサダサンアサダサンアサダサンアサダサンアサダサンアサダサンアサダサンアサダサンアサダサンアサダサンアサダサンアサダサンアサダサン」

 

「!?!?!?!?!?」

 

 

まるで趣味の悪いホラー映画のようだった。恭二の口から発せられる怨念じみた音が自分の名前だと理解するのに時間がかかった。口元はだらしないほど唾液が飛び散り、焦点を失った虚ろな目がさらなる彼の狂気を演出していた

 

 

「嫌っ!嫌っ!嫌ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 

「アサダサンアサダサンアサダサンアサダサンアサダサンアサダサンアサダサンアサダサンアサダサンアサダサンアサダサンアサダサンアサダサンアサダサンアサダサンアサダサン!!!」

 

詩乃は彼の腕と狂気から逃れようと精一杯抵抗する。しかし、どうにも高校生ほどとなると男女の力の差は歴然だった。叫んで、踠いて、足掻いて、もうダメかと諦めかけた次の瞬間…

 

 

バッキイイイイイィィィィィッ!!!

 

「いぎゃああああぁぁぁぁ!?!?」

 

「・・・え?」

 

 

不意に詩乃の目の前を横切ったのは、豪快の一言に尽きる右ストレートだった。急に開け放たれたドアから突風のように吹き込んできたその拳は、まるで吸い込まれていくかのように恭二の顔面に突き刺さると、彼の図体をリビングの手前までぶっ飛ばした

 

 

ガタッ!ガタガタッ!ドゴドゴッ!

 

「逃げろシノン!!!」

 

「!!!!!」

 

 

部屋に上がり込むなり恭二をぶっ飛ばした誰かがリビングでそのまま恭二と取っ組み合いになっていた。そして恭二を一際強く押し飛ばすと、自分の方に振り返って叫んだ。真っ直ぐな瞳とツンツンに尖った頭、数多の幻想を殺してきたその右手。それを見た瞬間、それが誰なのか詩乃は一目で分かった

 

 

「上、やん…?」

 

ドガッ!!!

 

「うおわっ!?」

 

「誰だよお前ぇぇぇぇぇぇ!!!」

 

 

恭二は上条の襟首に強引に掴みかかると、そのまま力任せに彼の身体を床へと押し倒し、ベッドの側面に押し付けた。そして彼の強烈なまでの絶叫が上条の耳をつんざき、思わず彼の身体が萎縮した。そしておもむろに自分のポケットに手を突っ込むと、先ほど詩乃に押し付けた注射器を取り出し、頭上へと振りかぶった

 

 

「お前…!お前だなぁぁぁぁぁ!!!僕の…僕の朝田さんに…近づくなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 

「ぐっ!クソッ…!」

 

「上やあああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!!」

 

「死ねえええええええええええええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」

 

ガチッ!プシューーーーーッ……

 

「・・・・・ぁ………」

 

 

詩乃の部屋に何かが抜けていくような嫌な音が響き渡った。それは詩乃と恭二がほぼ同時に叫んだすぐ後に、上条の胸へと突き立てられた注射器から発せられた音だった。それが何を意味するか気づいた時には、もう既に詩乃は床を蹴ってリビングへ走り出していた

 

 

ダダダダダッ!ガシッ!!!

 

「うわあああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 

ドッゴオオオオオオオオオオッ!!!

 

「あああああああああああああああああああああああああっ!?!?!?」

 

 

リビングへと走り込んだ詩乃は机の上にあるラジカセを持ち上げ、彼目掛けて叩きつけた。しかし、ラジカセは目測を誤り、彼の肩に炸裂したのみで彼の狂気を鎮めるには至らなかった

 

 

「!!!!!………ぁ………」

 

「痛い…痛いよ朝田さん…そんなに…そんなにこの男のことが好きなのかあああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 

「ひっ!!!」

 

 

恭二は立ち上がると、詩乃目掛けて注射器を手放した右拳を向けた。襲いかかってくるであろう衝撃と恐怖に、詩乃は思わず腕で顔を覆い、目を瞑ってしまった

 

 

バシンッッッ!!!

 

 

しかし、その衝撃がいつまでたっても伝わってこない。そう思って薄目を開くと、もう2度と立ち上がれないはずの少年の背中があった。その少年の右手が、自分に襲いかかろうとしていた右拳を弾き上げていた

 

 

「・・・ぇ…?」

 

「そんな…汚ねぇ手で詩乃に…触ってんじゃねぇよ…いい加減そこを退け…もうこれ以上…詩乃の歩く道を…塞いでんじゃねぇ!!!!!」

 

ドッゴオオオオオォォォッッッ!!!

 

「・・・・・ぁ…朝田、さん……」

 

ドタッ!ドタッ!!

 

 

絞り出すような声の後に、上条の右拳がペキペキと細かいものが砕けていくような音ともに恭二の顔面へと埋まっていき、自身の体がまだ許す最後の力を振り絞って恭二を殴り飛ばした。そして彼の意識を根こそぎ掠め取り、その身体が床に沈むのとほぼ同時に、上条もまた床に倒れこんだ

 

 

「ッ!上やん!!!!!」

 

 

慌てて詩乃は上条の元へと駆け寄り、彼の肩に手をかけ、力の抜け切ったその身体を抱き起こした

 

 

「・・・うぐっ…やられた…まさかアレが…注射器だったなんて…」

 

「どこ!?どこに打たれたの!?」

 

「ははは…現実世界じゃ喧嘩なんてもうほとんどご無沙汰だったとはいえ、パンピーに負けるとはな…こんな体鈍ってんならもっと…スキルアウトとか魔術師と殴り合っときゃ…良かったかな…」

 

「!!!!!」

 

 

詩乃が彼の胸にふと視線を向けると、上条が着込んでいた薄い青がかかったワイシャツに染みが出来ていた。それが注射器から発射された薬液であることは嫌でも伝わってきた

 

 

「悪い…詩乃…お前を守るって約束したのに…その約束…守れそうに…ない…」

 

「やだ…嫌だ…こんなふうに死なないでよ…お願い…お願いだから…」

 

ポタッ…ポタッ…

 

 

掠れた声と嗚咽が詩乃の口から漏れ始め、その瞳から涙が溢れ出た。とめどなく流れていくそれは、上条の胸へと落ちていき、薬液とは別の染みをいくつも作った

 

 

ドタドタドタドタドタドタドタ!!!

 

 

「朝田!!!」

 

「!!!黄泉川先生!!」

 

 

またもや部屋の中に誰かが上がり込んでくる音がしたかと思えば、そこにいたのは、自分の通う高校で体育の教師を勤め、警備員として学園都市の悪を敷く黄泉川愛穂だった

 

 

「怪我は!どこかに怪我はないかじゃん!?」

 

「わ、私は大丈夫です…でも…上やんが…新川君に…薬を…」

 

「ッ!?一方通行!!」

 

チャッ…チャッ…

 

「ったくよォ…わざわざ家からこンなボロアパートまで超特急で飛ばさせたかと思ったら…次はお医者さンごっこですってかァ?」

 

 

黄泉川がその名を呼ぶと、杖をつきながら赤い瞳をした白い少年が廊下からリビングへと上がり込んできた。するとその少年は詩乃の膝の上で眠る上条の胸に手を当てた

 

 

「・・・ハッ、日頃不幸だ不幸だっつってる割には悪運が強ェじゃねェか。最悪の急所は避けてやがる。まァ『死なねェ不幸』とでも言うンですかねェ?」

 

「えっ!?た、助かるの!?」

 

「はァ?オマエ、俺を誰だと思ってやがンだァ?俺にとっちゃ体の中いじくり回すぐれェ…朝飯前なンだよォォォォォ!!!」

 

 

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