ダンジョンにSCP-710-JP-J伝承者がいるのは間違っているだろうか 作:猫屋敷の召使い
巧が【
9階層に降りてから二人はモンスターと遭遇することもなく順調にダンジョン内を進んでいた。そう、順調すぎるほどに。
「……おかしい」
「おかしい、ですか?」
「うん。いくら何でもモンスターと会わなさすぎるよ。僕らが意図的に避けてるわけじゃないのに」
一体とも遭遇しないというのは、違和感しかなかった。まだ【ロキ・ファミリア】の第一陣はダンジョンに潜り始めていない。先行する冒険者がモンスターたちを処理したと考えても、階層全体がこんなにも静まり返るものだろうか。
巧との鍛錬で、状況の微妙な変化が分かるようになってきたベルが疑問に思って呟く。
少しの間、足を止めて考えこむように黙りこくってしまったベルを、リリは不安そうに見上げる。
「ベ、ベル様?」
「……行こう。10階層に」
腹の底から沸き上がる何かを何とか抑え込み、リリに答える。
そして
―――さぁ、見せてみなさい?
「ッ」
いきなり頭に直接響いてきた、どこか聞き覚えのあるその蠱惑的な声に、警戒を高める。
次の瞬間。
『―――ヴ―――ォ』
足が、固まる。足だけじゃない。全身が凍土にでもいるかのように凍りついてしまう。そして、思考さえも、止まりかける。
辛うじて残っていた思考が、音の方へと首をぎこちなく背後に向ける。本当は、見たくない。ただ、
『……ヴゥゥ』
なんなら、今すぐ走って逃げだしたかった。これが現実だと、思いたくなかった。無様に叫びをあげて、後ろにいるであろう巧に助けを求めたかった。
……そんなことさえも出来ないほどに、アイツはベルの心に深く巣食っていた。
ずっと、怖がってきた。夢にまで出て、うなされた。
『オオオオォオオォオオォオォオオオ……』
ミノタウロス。牛頭の怪物がそこにいた。
「な、なんで、9階層にミノタウロスが……」
リリが絞り出すかのような震えた声で呟く。
ベル自身も聞きたかった。
だが、聞かずとも知っている。
この理不尽を。
この絶望感を。
この戦慄を。
すべてを知っている。全てを経験している。
あの時と同じ。
……いや。あの時のように、助けが来るとは限らない。
『ヴヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』
狂牛が咆哮した。
押し寄せる威圧と迫力。戦意が挫ける大音塊。
恐怖の津波にベルとリリは身体を仰け反らせかける。
そして、ミノタウロスは鮮血に染まった銀の剣を見せつけ、一歩、地面を踏みつけた。
それによって我に返ったリリは、ベルに叫ぶように提案する。
「にっ、逃げましょう、ベル様!?今のリリ達では太刀打ちできませんっ!早くここからっ……」
リリが叫ぶ。
でも、ベルは動かない。動けなかった。
眼前の赤黒い怪物に射竦められて、思考や行動を放棄していた。
「ベル様!?ベル様ぁ!」
怖い。
それ以外には何も分からない。
目に涙が浮かび、呼吸は浅くなり、歯はカチカチと音を鳴らしている。
もう何も、分からなかった。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』
ミノタウロスが弾丸になった。
恐ろしい速度でルームの真ん中を突っ切り、ベルとの間合いを瞬時につめる。
ベルの指先が、ピクリと動き、腰のナイフへと手を伸ばし始める。彼の意思ではない。危険が迫ったときの防衛本能として、巧が仕込んでいた反射行動の一つだ。
だが、それでも、間に合わない。抜く前に、やられる。
あっという間に迫った巨牛が、その大剣を袈裟に振り下ろした。
「――ぁ!?」
「え?」
視界が回転する。そんな中、か細い悲鳴がベルの耳朶を打つ。
生きている認識よりも、腹部のリリの温もりを認める。
彼女の頭から止めどなく流れる、大量の血も。
「リ、リリ……?」
ベルはリリの体当たりによって地面に投げ出されていた。
横合いから伸びてきた捨て身の飛び込みのおかげで、ベルはミノタウロスの攻撃をやり過ごすことができた。代わりに、リリが怪我を負った。
大剣が掠ったような傷ではない。もし本当に掠っていたら、この程度では済んでいないだろうから。おそらく、ミノタウロスの砕いてみせた硬い岩盤が、彼女の頭に直撃したのだろう。それでも、軽いと言える負傷ではなかった。
現にミノタウロスの一撃で地面は見事に破砕していた。草花ごと硬質な土くれがめくれ上がってしまっている。
リリは痛みからか顔を歪め、小さく呻き声を上げる。
そんな彼女の様子を見て、ベルは全身が赤熱した。
「ッッ!!」
腑抜けきっている筋肉へ強引に力を込め、立ち上がる。
目の前の存在が怖かった。
眼前で吠えるミノタウロスが依然として怖かった。
しかし、リリを失うのはそれよりも怖かった。
『ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』
リリを思い切り横に投げ、彼女がどうなったかも見届けることも出来ず、巨軀を翻してきたミノタウロスに真正面から対峙する。
震える唇に歯を突き立て、噛み千切って喝を入れる。振り上げられた大剣がベルに触れるよりも早く、右腕を突き出し、叫ぶ。
「―――ファイアボルトォオオオオオオオオオッ!?」
『ブゥオッ!?』
緋色の雷がミノタウロスの肉薄をはね返す。
炎の花弁を咲かせた【ファイアボルト】の威力に押され、あの怪物が、後退した。
ベルの見開かれた瞳が、淡い希望を宿す。しかし、それは勝機には程遠い。連発しても、勝てる見込みはないことを、なんとなく悟ってしまった。だが、その希望に縋るかのように魔法を撃ち続ける。
「うああああああああああああああああああああああああああっ!?」
撃つ。撃つ。撃つ。
ただ我武者羅に、魔法を行使し続けた。
鋭い炎の矛が相手の巨体を何度も刺し貫き、炸裂する。爆発音とともに猛火が荒ぶる。
苦悶の声を上げるミノタウロスはずるずると後ずさり、連鎖する爆炎の中に消えていく。
ベルは魔法の引き鉄を引き続けた。
恐怖を覚えたあの時に無かった力に縋るように。
「はぁ、はっ……!」
正気に戻って魔法を中断すると、視界は黒い煙に埋め尽くされていた。
土と草が燃えるような焦げくさい臭いが鼻腔を刺激する。ミノタウロスの形も見えない。
何の反応もなく炎の残滓が舞っている空間を前にして、ベルは少しだけ安堵して右腕を下げかける。
『ンヴゥッ』
「――」
フォンッ、という風切り音が鼓膜を殴った。
その瞬間、身体に染み込んだ経験がベルを突き動かした。
ベルは黒煙が揺らめいて、その中から巨腕が姿を現す前に、後ろへと跳び下がっていた。巧との模擬戦があったからこそ、
巨腕はベルに届くことなく、空を殴るだけに終わる。
ベルは攻撃を避けるだけに留まらず、後ろに下がれるだけ下がり、壁際ギリギリまで後退する。
『フゥウウウウウウウッ……!』
「……!」
煙が晴れて、姿を見せたミノタウロスを見て、ベルは顔面の筋肉が引き攣ったのが分かった。
そこには、五体満足で、厚い体皮に火傷を負っただけの怪物がいた。
―――勝てない。
そう感じた瞬間。
『……!?』
「……ッ!?」
ベルは後ろから強烈な殺気を感じ取った。ミノタウロスもそれが分かったのか、動きを止めて、その方向を警戒し始める。
もちろんそれは、両者に向けられたものではない。
それが分かったのは、この場ではベルだけだっただろう。
なぜならその殺気は、よく見知ったものだったからだ。
そして、殺気を浴びてるはずなのに、ベルは何故か安堵で少しだけ口元を柔らかく崩した。
―――あぁ、なんだ。
ベルは腰に右手を伸ばし、《神様のナイフ》を握りしめて抜き放つ。左手はプロテクターに突っ込み、収納してあった《バゼラード》を抜剣する。
―――こんな
後ろの殺気に若干の心地よさを感じながら、ベルは得物を構えた。
「さぁ、勝負だッ……!」
ベルは巧の殺気による後押しを受けながら、この日、この瞬間、彼は冒険を犯す。
おそらくこれ以上、誰かの助けは受けられないだろう。
一人で、この怪物を打倒しなければならない。
だというのに、ベルの口元は何故か、薄く弧を描いていた。
背後から感じる殺気に安心感を憶えながら、《ヘスティア・ナイフ》を握る手に力を込めた。
※主人公である巧君が間接的にしか出ていないので今回の『巧メモ』はお休みです。
・作者から一言。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
私が書きたいように書いて、『財団神拳』を皆さんに
それではまた来週!書き溜めがなくなって間に合うかどうかわからんけど!投稿が無かったら察してください!
クレジット無し!