「モカっとくる財布、発見〜」
突然だが日本語って難しいよね。
現地によって謎の喋り方があったりするし、さらに人によって謎の単語が頭の中に入っていたりする。
外国人の方に「モカっとくる財布、発見」と外国語で伝えたとして。モカっとくるってなんですか? と、帰ってくる必至。
そもそもモカっとくるって他の国の言葉でどう言えば良いかすら分からない。
そもそも日本語でもモカっとくるの意味が分からないので、この話題自体そもそも意味が分からないのだ。
閑話休題。
曰くモカっとくる財布を見付けたモカは、珍しく息を荒げてその財布を眺める。
しかし、その手が商品に届く事はなかった。そもそも、その財布は商品ではなく景品だったのである。
ガラスケースの向こう側。
上から吊るされたアームの下にあるのは、黒がベースで赤の混じった一つの財布だった。
よくあるクレーンゲームの景品って奴である。特に珍しい景品という訳ではないが、景品の説明欄を見て俺は絶句した。
「……ポイントカードが沢山入る、お洒落な財布」
ピンポイント過ぎる。
モカっとくるの意味は分からないが、とにかくモカのお気に召した事だけは間違いなかった。
さて、ここで問題が二つ。
まずクレーンゲームの景品であるから、どうしてもゲームで勝ち取らなければならないという事。
一回二百円なので、上手くいけば二百円で取れるが、そんなに上手く訳がない。そもそもクレーンゲームって取れないようになってるからね。こんなのゲームじゃないからね。
ところで景品だが、現品限り。残り一つしか残っていない。これがもう一つの問題点だ。
よしんば目星が付いたのは良い事でも、放っておいたら明日には無くなっているかもしれない。今日ここで取らなければ、二度と手に入らないかもしれない代物である。
「マジか」
「マジのマジよ〜」
総じてクソゲーだった。
「この財布は、バンドの練習帰りに寄った山吹ベーカリーで、奇跡的に残っていたチョココロネと同じくらい……価値があるっ!」
「物凄く例えが分かりにくいです。それって凄い価値なんですかね」
だが、ここまで来て別のにしろなんて言える訳もなく。
そもそもおいくら万円だろうが買ってやるつもりだったんだ。良いだろう、この際だやってやるぜ。
伊達に無趣味だった訳じゃない。クレーンゲームにハマった時期だってあったし、金ならある。
「まぁ……俺は昔大きいポテチを落とした事があるんだ。任せろ」
「それはとても頼りになるねー。ファイト〜、しょーくん」
そう言うモカの前で、俺は二百円をゲーム機に入れた。
ゲームスタートの音楽がなり、アームが一度揺れる。
アームは二本指の至ってシンプルな形だ。
一方で景品だが、二本の棒に乗る形でその下が穴になっている。財布は箱に入っていて、箱には丸い取っ手のような物が付いていた。
棒から落として穴に落とせば良いのだが、この手のクレーンゲームはアームの力が弱かったり、棒がゴムだったりして中々動かない。
箱に付いている取っ手を掴んでもアームが弱過ぎて簡単に離してしまうだろう。だからここは、ズラして棒から落とすのが正解だ。
「ここだぁぁ!!」(※ゲームセンター等公共の場所で大声を出すのはやめましょう)
アームの位置を調整、俺は叫びながらアーム降下のボタンを押す。
行け、アーム。謎の迫力と共に。
真っ直ぐに降りたアームは、景品の真横を通り過ぎた。
的外れ。そう思われるかもしれないがこれで良い。
広がるアームの外側が、景品に当たる。この動きで落とすのが俺の狙いだ。
さぁ、落ちろ! ボタンを押した後は何もする事がないので、俺はただ念じる。
期待を乗せたアームが───
「───アホくさ」
結論だけ言うと、アームは当たったが景品が動くどころか景品に当たったアームが止まった。
アーム弱過ぎ。はいクソゲー。
「……これは、難敵だねぇ」
「ま、まぁ、正攻法で少しずつズラして行けば……いずれは」
いくら掛かるんだろうって話だが、それ以外の選択肢がないのでやるしかない。
プレイは一回二百円だが、五百円入れると三回プレイ出来るおまけが付くので五百円投入。
今度は素直に景品の上を狙ってアームを動かす。アームは真っ直ぐに伸びて、弱々しくも景品を掴んだ。
さて、どうなるか。
「おぉぉおお?!」
なんと、アームは財布を完全に持ち上げて上がっていく。
開く力は弱かったけど、掴む力はめっちゃ強かった奴か。これは勝った。勝った。今晩の飯はカツ丼だ!
「これは、モカちゃんの念動力が上手く伝わっている……っ」
「そんなもんないだろ。いや、この際なんでも良いからそのまま終われ!」
三百円無駄になってしまうが、全然構わん。七百円で財布が手に入ったなら万々歳だろう。
というか、プレゼントの財布の値段が七百円で良いのかって問題もあるが。
世の中そんなに上手く行く訳がなく───
「ぇ」
「あー」
間の抜けたような声が重なった。一番上まで登ったアームは、その衝撃で揺れて。
───財布、落ちる。
普通に元の位置に戻りやがった。一ミリたりともズレてないの。逆に凄いと思う。
うん、知ってた。
「……やってやろうじゃねぇか」
もうこの感じの奴は根気との勝負だろう。裏技も正攻法もない。
ただ金を掛け続けて、落ちるのを待───
「なんなんこれ」
───五分で二千円飛びました。もう挫けそうです。
「え、えーとしょーくん。無理はしなくても、いーよ?」
「馬鹿野郎……。五千円でも一万でも掛ければ取れるんだ。別に、モカが気に入ればそのくらいの値段でも買うつもりだったし」
ただ、この作業みたいなゲームをするのが辛くなっただけだ。
いや、弱音を言ったのは失態だったね。モカに変な気を使わせてしまうだけだし。
「しょーくん……」
「俺はさ、なんでも好きな事には全力で取り組んでるモカに救われたんだよ。だから、その……モカっと来たんだろ? なら、妥協しないで欲しい」
そう言って俺はまた五百円を投入する。
「だから、その、弱音吐いてごめん。絶対に取るからさ、待ってろ」
そんな格好良い事を言ってみるが、それで俺の技術が上達するなんて格好良い展開はない。
平凡で何もない俺なりに、地味に地味に財布をズラした。
全然動かなかったり、アームが当たりもしなかったり、もう少しで落ちるかなと思ったら位置が戻りやがったり。
それでも挫けずにお金を放り込む。特に奇跡が起きる訳もなく、九千七百円を投入して三回中の二回目でやっと財布が落ちてきた。
どれだけ時間を使ったか分からない。だいぶ待たせてしまっただろう。
それでも、俺達は途中からそれすらも面白くて。
お互いに笑いながら、偶にモカが挑戦したりもして「もう少し」「あと少し」「行け」「やったぁ」と、五十七回目のチャレンジでついに景品を手に入れる事が出来た。
一回余ってるが、一回じゃどうしようもないし、そもそも景品が残っていない。最後の一つだったし。
「ほら、モカっとくる財布」
余った一回を適当に動かしてから、俺は景品をモカに手渡す。
女の子にプレゼントするものがゲーセンの景品ってどうなのよとか言われるかもしれないが、別に友達なんだから良いのだ。
てか、友達なのか俺達は。ただのバイトの同僚だろう。なんかよく分からない関係だけど、それでも別に良い。
「……。……えへへ、ありがとう、しょーくん」
「どういたしまして」
かなり時間が掛かってしまったが、なんとかプレゼントを渡す事が出来て良かった。
モカは早速財布を取り出すと、珍しく目を輝かせて財布の中身を確認する。
こりゃ確かにポイントカードが沢山入りそうだ。
「確認するのも良いけど、今日はもう帰ろうぜ? 時間も時間だし」
「あー、どうりでお腹がペコちゃんな訳だ〜」
いや、ペコちゃんってなんだよ。てか、昼にアレだけ食べたのに。
そんな訳で、感傷に浸る時間も惜しく帰路へと足を向けようとした矢先。
「あれ? モカ、こんな所で何してるの?」
背後からそんな風にモカが呼び止められる。
アレですよ、良くあるアレ。出掛けてたら知り合いとばったり会ったって奴。
モカは特に驚いた様子もなく「あ、ひーちゃん。それにトモちんも」と手を挙げた。
ただ、知人の知人が俺の知人という事はなく。
その場合知人と知人の知人がばったり会って話し始めて、知人の知人とは知人ではない俺はどうしたらいいか分からないという状況だ。
これも良くある話ではないだろうか。てか、知人ばっかり続いて意味が分からん。
「よ、モカ。一人か?」
片手を上げて快活な笑顔でそう言うのは、赤い髪を背中まで伸ばした背の高い女の子。
何処かで見た事があるような気がする。脳裏に浮かぶのは、真っ暗な会場で皆を引っ張る格好良いドラマーだった。
───Afterglowのドラム担当?!
「今日は〜、しょーくんとデート中?」
なんて事を思い出していると、モカは当然爆弾発言を降下する。
は?! で、で、で、デート?! はぁ?!
「ちょ、お前待───」
「デートぉ?! モカが?! え、誰? 誰々?!」
俺が反論する前に、凄い食い付きを見せたのは赤髪の女の子の隣にいたもう一人の女の子だった。
ピンクの髪が可愛らしい、そして何より胸元に豊満なメロンを二つ抱えた少女。忘れる訳がない、俺があのバンドの演奏が終わってからずっと目で追っていた娘なのだから!
上原ひまりちゃん!!!
「そこに居るのが、噂のしょーくんか?」
ひまりちゃんの登場で若干トリップしていた俺の意識を戻したのは、赤髪の娘のそんな言葉。
彼女とひまりちゃんの視線が俺に集まって、期待の眼差しが突き刺さる。
待って。
「いや、ごめん、ちょっと待って。現状が理解出来ない」
「モカと付き合ってるの?!」
グイッと身体を近付けながら、ひまりちゃんが俺にそう聞いて来た。
近くで見るとめっちゃデカい。いや、何がとは言わないけど。デカい。
そうじゃなくて、なんでそんな事に?!
「ひまり、困ってるだろ」
俺が表情を引きつらせていると、赤髪の女の子が彼女を引き戻す。
助かったけど、この状況何。どういう状況。
「だって〜。巴は気にならないの?」
「相手はモカだぞ。それに、しょーくん困ってるみたいだし」
「あっ」
モカの信頼の無さよ。
赤髪の女の子は巴という名前らしい。同い年、だよな確か。Afterglowは皆幼馴染って言ってたし。
「もー、トモちん酷いなぁ。男の子と二人で遊ぶって、普通にデートじゃん?」
そうだけど! そりゃ確かにそうだけど!!
「じゃあ、付き合ってる訳じゃないって事?」
「そ、そういう関係ではございませんね」
謎の敬語が出てしまった。バイトの癖だよ。
「アッハハ、モカにいつも振り回されてるって感じだな。話は良く聞いてるよ」
「マジか」
そんなに話のネタになってるんですかね。
……あの日のギターの一件が頭に浮かぶ。いや、マジでごめんなさい。本当にごめんなさい。
「……顔色悪いけど、どうかしたか?」
「……あ、いえ、なんでもございません」
アレは完全に俺が悪いので、何か追求されたら首を吊るしかないのだが。モカは話さないでいてくれてるのか。
「そうだ、自己紹介がまだだったな。アタシは宇田川巴。モカと同じバンド───Afterglowでドラムを叩いてる。こっちは上原ひまり、同じくAfterglowでベース担当」
「宜しく、しょーくん! えーと、しょーくんはモカからのあだ名なんだっけ?」
「あ、あぁ、宜しく。山田翔太って言うんだ。凄く平凡な名前だと笑ってくれ。モカとはバイト仲間で、その……はい。偶に遊んで貰ってます」
自己紹介なんて久し振りにしたが、やっぱり俺の名前平凡過ぎないだろうか。
「えーと、上原さんに……宇田川さんね」
「アタシは巴で良いよ」
「私もひまりで良いよ! 宜しくね、翔太君」
両親を恨む。いや、キラキラネームになりたかった訳じゃないけど。
「ひまりちゃんに、巴さん」
「なんでアタシだけさん付け……?」
いや、だって、ね?
「何というか、その、ですね?」
「そんなに畏まらなくて良いって。いつもモカが世話になってるって話だし、ありがとな」
「トモち〜ん、それじゃあたしがしょーくんに迷惑掛けてるみたいじゃ〜ん」
半分くらい否定出来ないんだけど。
「モカちゃんはバイトの先輩として、厳し〜く、しょーくんを育て上げたのだよ」
「本当かぁ?」
「嘘だ。教え方が適当過ぎて参考にならなかった」
「しょーくんの裏切り者〜っ」
事実だ。
「噂の翔太君に会えたのは嬉しいけど、付き合ってなかったのは残念」
女の子ってそういう話好きだよね。
「モカが良くお話するから、好き同士だと思ってたのに」
「……。……モカちゃんはAfterglowの皆が、ラブー、だよー?」
「また適当な事言ってー!」
モカってどこに居てもモカなんだな。まぁ、それが彼女の良い所なのかもしれない。
「……。よーし、ひまり。もう帰るぞー。時間も時間だし」
「あ、本当だ。モカ、明日練習だからね」
「もち〜」
そういえばバンドメンバーだった。
あのAfterglowの面々が目の前に居ると思うと、ちょっと興奮する。またライブを見に行きたい。
なんて事を思っていると、巴さん───巴が思い出したように手をポンっと叩いた。
「そうだ翔太。来週の日曜、またアタシらのライブ見に来ないか? あこ───あー、妹に渡す予定だったチケットがあるんだけど。その日Roseliaの練習みたいでさ。チケットが余っちゃったんだよ」
「え、マジで? 良いの?」
丁度ライブに行きたいと思っていた所にこの申し出は嬉しい。
しかし、ふと思い出す。
「……いや、その日バイトだわ」
「マジか」
「あ、いや、待ってくれ。誰か代わってくれる人探してみる。……来週の日曜だよな? 是非見に行きたい」
リサさんとかに頼んでみるか? とりあえず何としてでも行きたい。
そんな事を思うのはなんでだろうか。
Afterglowは俺にとって大きな存在だったか?
そんな疑問が浮かぶが、それでもどうしても行きたいという気持ちは変わらない。
「それじゃ、チケットはモカに渡しとく。バイト代わって貰えたらモカから貰ってくれ」
「分かった。ありがとうな」
ライブ、楽しみだな。絶対に行こう。
「うん。それじゃ」
「じゃあね、翔太君。モカ、また明日!」
「またおととい〜」
そんな簡単な挨拶を済ませて、俺達も帰る事に。
てか、モカは巴達と帰れば良かったのにな。
「……ねー、しょーくん」
「ん、なんだ?」
「言い忘れてたんだけど」
何を?
モカは渡した財布を大事そうに持ちながら、くしゃっとした笑顔を見せて口を開く。
「今日はありがとう、しょーくん。……楽しかった」
「……俺もだよ」
なんでAfterglowのバンドを見たいのか、少し分かった気がした。
俺は彼女の、その楽しそうな笑顔が見たかったんだと思う。
今を全力で生きてるAfterglowというバンドに憧れてるんだ。きっと。
「……えへへ」
「さて、帰るか」
「帰りにパン屋寄ろ〜っと」
「晩飯食えよ」
「パンはきっと別腹〜」
「きっと」
だからライブは絶対に見に行きたい。また、彼女達の顔を見たいから。
きっと。
次回『ライブハウスにて』