青葉モカはよく食べる。
それはもう、その身体のどこに入っていくんだと思う程に物理法則を無視して食べ物が腹の中に吸い込まれていくのだ。
普通そんなに食べたら太ると思うんだよね。しかも、食べているのはパンである。炭水化物だ。
「一生パンを食べ続けたい人生であった……」
「そんな人生で良いのか」
いや幸せかもしれないけども。
日曜日のバイト終わり。午後三時にモカと同時に上がって、俺達は少し遅めの昼ご飯を食べている。
バイト先のコンビニで賞味期限切れ間近のパンを自腹で買うというのは、別に勤め先の儲けが云々というよりそのまま破棄されるのが勿体ないと思ってしまう気持ちの方が大きい。
「さて、帰るか」
今日は早めの上がりで、これ以上働く事はない。
心の何処かで、まだ少しここに居たいなんて思ってしまったのはアレだ。───心まで社畜になっているのかもしれない。
「しょーくんってさー、この後暇だったりするー?」
「俺を誰だと思ってる。勿論、暇だ」
「格好付けて言う事じゃないよねー」
だって本当に趣味がないんだもん。もはや働く事が趣味になって来てるからね。将来は立派な社畜になると思う。
ただ、モカにこの後暇か聞かれたというのが少しだけ嬉しかった。
もしかしたら何処かに遊びに行こうとか誘われるかもしれないなんて、そんな事を期待してしまう。
「それじゃー、丁度良かった。……山田よぉ、この後一杯どうだぁい?」
目を細めて口の前で手をクイっと捻るその動作は、完全に夜飲み屋に行くおっさんのそれだった。
「おい未成年」
「勿論ノンアルコールのお店だよー?」
なんだノンアルコールのお店って。ノンアルコールビールって奴ですか。そんな物で全国のおっさんは満足できるんですか。
そんな訳で、俺はモカにノンアルコールの飲み屋に連れて行かれる事に。
唐突過ぎて頭が追い付かないが、そんな事はいつもの事である。
連れて来られたのは商店街の一角。
辺りに見えるのはパン屋や精肉店、とこやさんやクリーニング屋さんがあるような場所で飲み屋があるようには見えない。
勿論本当に飲み屋に連れて行かれても俺は困るのだが、モカが何を考えているのか分からなかった。
いや、分かった事の方が少ないのだが。
「ご到着〜」
とあるお店の前で彼女は止まって、両手を向けながらそう言う。
お洒落な雰囲気のそのお店は珈琲店で、丁度おやつ時だからかお客さんで賑わっていた。
いや確かに飲み物を売る店だけど。飲み屋ではないね。いや間違ってないのかもしれないけど。
「……羽沢珈琲店、か」
羽沢ってどこかで聞いた事があるような気がする。なんだったかな。
「説明して下さい青葉先輩」
「ここはワシのお気に入りの飲み屋なんじゃよー」
キャラ変わってんぞ。
「珈琲店だけどな」
「へい、大将ー。やってるー?」
そんな事を言いながら入店、すると出迎えてくれたのは茶髪でショートカットの女の子だった。
「あ、モカちゃんおはよう! 巴ちゃんはあっちの方で待ってるよ。後ろにいるのは……山田君?」
エプロン姿のその女の子は、モカに親しげに挨拶をして俺達を店に招いてくれる。
そうだ、何処かで聞いた事があると思ったら羽沢って───
「羽沢つぐみちゃん……」
───Afterglowのキーボード担当、羽沢つぐみちゃんの苗字だったんだ。
つまり、おそらくここは彼女の両親とかが経営する珈琲店という事。
多分Afterglowの皆の溜まり場にもなっているんだろう。
つぐみちゃんが一瞬視線を送った先には、赤い髪を伸ばした女の子が座っていた。
「直ぐに飲み物持って行くから座っててね!」
そう言うと、彼女は別の客の所に注文を確認しに行く。
せかせかと動くその姿はとても頑張っているように見えて、見ているとなんだか元気付けられた。
「へーい、トモちーん、奇遇だねー?」
「いや、昨日約束してただろ? 翔太はその顔だと、何も知らずに連れて来られたって感じか」
前日からここに集まる約束をしていたのだろう。
モカが来た事に対して驚く事もなく、逆に俺を見ると何やら不敵に笑いながら巴は机を小さく叩いた。
そこに座れという事だろう。
机には既に少しだけ飲んであるジュースが一本置いてあって、俺達が座ってから直ぐにつぐみちゃんがジュースを三つ持ってやって来た。
エプロンは外されていて、花柄の可愛い服がとても似合っている。こんな妹が欲しい。
「お母さんがね、もう上がっても良いよって言ってくれたんだ。このジュースはサービスだから、遠慮しないで大丈夫だよ!」
幼馴染の巴やモカはともかく、俺までサービスしてもらって良いのだろうか。
そもそも何のために連れてこられたのかすら分からないし、後で臓器を売れとか言われるんだろうか。
「大丈夫、取って食いやしないよ〜」
心の中を読まれてるんじゃないだろうか。
席は四人分なので、巴の正面にモカが座って俺がその隣。俺の正面で巴の隣につぐみちゃんが座る事になる。
なんだか孤独というか気恥ずかしさというか、一人だけ浮いてる気がするが大丈夫なんだろうか。
「翔太が来てくれたのは結構頼りになるな。アタシ達だけじゃ限界があるし」
「うん、そうだね。モカちゃん、山田君を連れて来てくれてありがとう! 山田君も、来てくれてありがとうね」
笑顔が眩しいのは大変宜しいし、喜んでくれたのは嬉しいんだけども。
───俺、何しに来たか分かってないからね。
「ま、翔太は何しに来たか分かってないみたいだけどなぁ」
「ぇ」
つぐみちゃんは、不敵に笑いながらそう言う巴とボケーっとジュースを飲むモカの二人を見比べながら目を見開いていた。
なんというかもう本当にごめんなさいとしか言えません。
「も、モカちゃん……?」
「そういえば、理由を言ってませんでしたなー。……忘れていた」
忘れてたのかよ!!
「そういう事なので、説明して頂けると嬉しいでございますね」
詫びれもなくジュースを飲むモカに呆れながら、俺は目の前の二人に事情を聞く事に。
幼馴染達の間でも、モカは変わらないらしい。
「え、えっとね……その……」
ただ、つぐみちゃんは少し顔を赤くして人差し指同士を突き出す。何その可愛い動作。
恥ずかしがってるという事はアレだろうか───男関係。
こんなに可愛い女の子を世の男子が放って置く訳がないし、彼氏が居たっておかしくない。
そして俺が居ると頼りになるという事は、答えはかなり絞られていた。
───ズバリ、彼氏へのなんらかのプレゼントの相談だな!
いや、俺名探偵になれるんじゃない?
「つぐのお父さんがもう少しで誕生日なんだよ」
「え、お父さん」
お父さんって、おとうさんっていう人名じゃなくてファザー的なお父さん?
「つぐもさっきみたいに、もう手伝いじゃなくてバイトしてお金貰ってるし。ちゃんとしたプレゼントを用意したいんだってさ。でも、何を渡したら良いか分からなくて、こうしてアタシ達に相談したいって事なんだよ」
そう説明してくれた巴は、恥ずかしがるつぐみちゃんの頭をガシガシと強く撫でる。
その姿がもうなんかお父さんだが、それは置いておいて。
「いやー、つぐは今日もツグってるねー」
「ツグってるってなんだ……」
「ツグってるはツグってるだよー。……動詞?」
「動詞?!」
父親に誕生日プレゼントなんて、なんて良い子なんだつぐみちゃん。いやマジで妹に欲しいわ。
「優しいんだな、つぐみちゃんは」
「そ、そんな事ないよ! でも、いつも頑張ってくれてるお父さんに何かお礼がしたいなってずっと思ってたんだよね」
「む、胸が苦しい……」
「え、山田君……?」
何この天使。
一方で俺は父親の事をパチンカス呼ばわりし、父親が趣味で稼いだ金で飯に行く始末。
恥ずかしくなってくるわ。そういや、初給料でギター買ったせいで両親に渡した物が肉まん一個だったな俺。最低かな?
「それで、プレゼントに何を渡したら良いか。男の俺がいると参考になるって感じか」
「そういう事ー。いやー、モカちゃんの素晴らしい采配だねー」
説明されてなかったけどな。
「それじゃ、早速だけどアタシから提案するな。……ズバリ、豚骨醤油ラーメンを二人で食べに行って奢るなんてどうだ!」
巴は自信満々にそう言った。どうしてそんな考えに至ったのか教えて欲しい。
「ら、ラーメンで良いのかな……?」
これには流石につぐみちゃんも困り顔である。
「ちっちっちートモちん。考えが甘いよー。そこはやっぱりパンを食べに行って奢るが一番だよ」
「いや、ラーメンの方がつぐのお父さんは喜ぶに決まってる」
俺はつぐみちゃんの父親を知ってる訳じゃないから、そこはなんとも言えない。
「パンの方が美味しく食べられるよー?」
「いーや、ラーメンの方が美味しく食べられる」
「お前ら自分の好物の話してるだけだな?!」
脱線してるぞ。
「そもそも、せっかく貰うものなら形に残る物にするべきだろう」
「巨大パンの人形とかー?」
「ラーメンの食品サンプル?」
「お前ら飯の事しか考えてないな?!」
そんなもん貰って喜ぶ奴はあまりいないんじゃないかな。特に食品サンプルなんてどうしたら良いんだ。
「流石しょーくん、的確なツッコミ」
「真面目に考えてんのかお前ら」
「アタシは超真面目だぞ」
巴が若干モカに近いって事が分かって俺はショックだよ。
「形に残る物……。アクセサリーとかかな?」
つぐみちゃんは女の子だなぁ……。
隣にいる飯の事しか考えてない二人にも見習って欲しい。
「それも良いかもしれないが……。アレだ、アクセサリーとかより普段から使う物の方が嬉しいんじゃないかな。時計とか、財布とか」
財布で少し恥ずかしい事を思い出すが、それは今は置いておいて。
その手の普段から使う物なら、子供からのプレゼントを毎日見たり使ったりする事になるし嬉しいんじゃないだろうか。
喫茶店を経営したりして、接客業をしてるなら腕時計とかがあると便利かなとも思った。これは俺の考えだが。
「時計、良いかも。お父さん喜んでくれるかな?」
「俺だったら泣いて喜ぶね」
試しにこんな妹が居て、妹からいつも頑張ってるお兄ちゃんになんてプレゼントを貰う妄想をしてみる。
普通に涙出て来たね。不毛な妄想過ぎて。なんで一人っ子なんだよ俺は。
「あ、あれ? 山田君泣いてる……?」
「すまん、目に珈琲の豆が」
頭を抑えながら言うが、自分でも何言ってるのか分からなかった。俺にボケの才能はないらしい。
「……とにかく、俺は時計に大賛成だ」
「モカちゃんは断然巨大なパンがいいと思うけどなー」
巨大なパンの人形が巨大なパンになってるぞ。
「分かった、モカの誕生日には巨大なパンを買ってやるから今は口出しするな」
「それ、モカちゃん的には超エモいんですけどー」
良いのかそれで。
「あっはは。凄い、山田君が居てくれたおかげで簡単に決まっちゃったね!」
「モカと巴が普通に人選ミスなだけだと思うけど、男子と女子じゃ考え方が違うってのもあるかもな」
これって逆もまたしかりで、男子が女子にプレゼントをするのも考え方の違いで難しかったりするんだよな。
俺なんかゲーセンの景品をプレゼントしてるし。いや、本人に喜んでもらえるかが重要な訳だけど。
「おい翔太、それはどういう意味だ?」
「モカちゃんのパーペキな助言が聞こえてなかったようだねー」
「二人共乙女過ぎて男心が分かってないって事だ」
そんな事は微塵ともないのだが、女を怒らせそうになったらとりあえず褒めておけとお父様に言われているので実行する。
「そ、そ、そうかぁ?」
「いやー、モカちゃんの美少女オーラが漏れ出してしまってるんだねー」
言い付けを守ったら争いを回避出来ました。ありがとうお父様。初めて感謝した気がする。
「おいモカ、髪に水滴付いてるぞ……。多分ジュースだけど、どうやって飲んだらそうなるんだ」
「えー、取ってー」
「ふふっ、山田君ってなんだか凄いね!」
唐突に、つぐみちゃんはそんな事を言った。
「凄いって……」
正直、なぜそんな事を言われたのか分からない。
ただ純粋に人を尊敬するような眼差しが飛んで来る。
でも、俺はそんなに凄い人間じゃない。
もっと言えば彼女達Afterglowを俺は尊敬してるんだ。
一見控えめそうな彼女だって、ステージでは格好良くキーボードを弾いている。
俺はそんな彼女達を見て凄いって思う事しか出来ない。
「今日はありがとう、山田君!」
───ただ、こんな俺でも誰かの役に立てたのはなんだか嬉しかった。
「部下の手柄は上司の手柄だから、つまりこれはモカちゃんの手柄なのでわー? 山田、良くやった」
「待って、お前はただの先輩だからね? 青葉先輩」
「あっはは、モカちゃんもありがとうね!」
コイツなんかしたかな?!
「巴ちゃんも!」
「アタシはあんまり役にたってないかもしれないけど、つぐの悩みが解決したのが嬉しいよ」
なんやかんや悪口言ってしまったが、やっぱり巴は姉御肌で格好良いと思う。
そんな事言い合える友人関係ってそんなにないんじゃないかな。
ここにいる三人だけじゃなくて、Afterglowの五人がとても仲良しっていうのがここ数日で分かった気がした。
その後少し話してから、俺達は羽沢珈琲店を後にする。
丁度夕暮れ時。まだ多少だけど時間はあるな。
「ちょっと俺、ショッピングモール行ってくるわ。二人は遅くなる前に帰れよー」
キョトンとする二人だが、顔を見合わせると同時に不敵に笑った。多分考えてる事がバレてるのだろう。
「付き合うぜ」
「モカちゃんの神采配を再び見せる時が来たようだねー」
「……。……よーし、ラーメンとパンを奢ってやる!!」
いやぁ、良い友人を持ったよね。
◆ ◆ ◆
「へい、お父様お母様。今日も元気かい」
「どうしたんだ突然」
「私達が育児放置し過ぎて構って欲しいのよ、きっと」
んな訳ないだろ張り倒すぞ。
「その呼び方は止めてくれ」
「んじゃ、パチンカスと課金厨」
「なんで我が子はこんなに極端なの。誰が育てたの」
あんたらだよ。
「その、なんだ」
ただ、つぐみちゃんに少し気付かされたのだ。ぶっちゃけ初給料で両親に渡した物が冷めた肉まんって最低だよなって。
そんな訳で。
「いつもありがとうございます、と。少し遅れましたが感謝の気持ちです」
働くって大変だって知ったし、そうしながら俺を育ててくれた両親に感謝くらいして良いと思った。
そんな、些細な話である。
次回『学生の本分は遊ぶ事である』