そもそもの話、幽霊なんてものは存在しない。
魂なんて物理的に証明出来ないし、目に見えないだの触れないだのそんな事が起きる訳がないのだ。ていうか存在していたら困る。
では、なぜ人は幽霊を怖がるのか。
実証が出来ないからだ。
目にも見えないし触る事も出来ない。いないと思っていても、もし本当に居たとしたら?
五感で感じ取れない存在はまず対処が出来ない。襲われても反撃出来ないし、逃げようとしても何処へ逃げればいいのか分からない。
何をされるのかも分からないし、どんな姿をしているのかも分からない。よしんば見えちゃいけないものが見えてしまったとして、常識を逸脱したその存在に恐怖を覚える事しか出来ないだろう。
そんな訳で、俺は幽霊が苦手だ。
スタッフさんに案内され、俺とつぐみちゃんはイージーモードの入り口へ。近くで見た感じ、二階建てらしい。
薄暗い室内は数メートル先がもう見えない程で、この時点で俺の身体はプルプルと震えている。
しっかりしなさい山田翔太。つぐみちゃんの前だぞ!
「い、行こうか……」
「そ、そうだね。モカちゃんの事も探さないと……っ」
お互いに震えながら、とりあえず奥に進むとスタッフさんが後ろで扉を閉めた。
少しだけ暗くなって寒気が増す。
───ヤバイ、もう帰りたい。
いやいやいやいや、男を見せろ!
「と、とりあえず俺が前を歩くよ。大丈夫、付いて来てくれ」
そう言って歩き出すと、足元に水溜りがあってそれを踏んだ嫌な音が響いた。
ば、馬鹿め! その程度で驚くと思うなよ。いや、心臓止まったかと思ったけど。
マジで何踏んだかと思ったわ。血とかだったら悲鳴あげてたよ畜生。
「や、や、や、や、山田君……ま、ま、前!」
足元を見て水溜りを確認していると、後ろにいたつぐみちゃんが震えた声で話し掛けてくる。
水溜りを見るために下を確認していたので前を見ていなかったから、何が起きているのか分からない。
ただ嫌な予感だけがして、俺はゆっくりと首を持ちあげた。そこにあったのは───
「ぴぇぇぇえええええ!!! 首ぃぃいいい!!! ぴゃぁぁぁああああ!!! モカぁぁぁあああ?!」(俺の悲鳴)
───首だけしか視界に入らないほど首が長い女の子。俗に言うろくろっ首である。
眼前でくねくねと動くソレを見て、俺は腰を抜かしてその場に倒れ込んだ。
なぜって、そのろくろっ首はなぜか灰色の短髪で何処となくモカっぽいイメージが見られる。
もしかしてモカがろくろっ首になってしまったのではと、俺は恐怖と悲しみでそれはもう漏らしそうになっていた。
「や、山田君?! ど、ど、どうしよう……っ?!」
そんな俺を見てさらに不安になってしまったのか、つぐみちゃんは震えた声で前後に視線を揺らす。
逃げたい気持ちと、モカを助けたい気持ちで揺れているのかもしれない。
俺は今すぐにでも逃げたいが、いかんせん腰が抜けて立つ事も出来ない状態になっていた。
あぁ……これ死んだかも。俺もろくろっ首にされてしまう。
眼前の短髪ろくろっ首は、薄暗いこの場所でも分かるように口角を釣り上げて「キヒッ」と奇妙な笑い声を上げた。漏らしそうなんだけど。
ただ、ろくろっ首は何もせずにただ薄気味悪い声を出しながら暗闇の奥に消えていく。
よく考えれば、これはお化け屋敷。全ては作り物だ。
たまたま。たまたまモカに似たお化けがいただけ。
ひまりちゃんの呻き声の理由も、今なら何となく分かるが───これは作り物。作り物。作り物。
「だ、大丈夫? 翔太君」
「お、オーケーオーケー。何の問題もない。至って大丈夫だ。先を急ごう。手でも───あ、いや、やっぱりなんでもないです」
手でも繋ごうと言おうとしたのだが、チキンが発動してその先が言えない。
男の子っていうのはな! デリケートなんだよ!! 慣れてないからそういうの!! 俺だけ?! うそぉ?!
「あ、見て山田君。扉が二つあるよ?」
少しだけ前に進むと、行き止まりというか扉が二つある小部屋のような場所にたどり着く。
その前にはメモのような看板が立っていた。
「えーと、本当に必要な物を選んで前に進むべし……?」
「扉にも文字が書いてあるな。……『おかし』と『おふだ』ねぇ」
多分扉を開けるとそのどちらかが貰えるのだろう。
「どういう事なんだろう?」
「お札があると、襲って来る幽霊を退散させる事が出来るって書いてあるな」
辺りを見渡すと、壁にそんなメモが貼ってあった。
なるほど、お札の意味は分かったぞ。しかしおかしってなんだろう。お菓子?
「本当だ、そんな所にヒントが。凄いね山田君!」
「たまたま目に入っただけだよ。……しかし、まぁ。一つ問題があるな」
俺がそう言うと、つぐみちゃんは不思議そうな顔で首を横に傾けた。
普通に考えて、これはこのお化け屋敷を楽しむための仕掛けに過ぎない。イージーモードだし、怖い人はお札を取れば良いだけである。要らない人はお菓子を貰えば良いだけだ。
正直物凄く怖いし、お菓子なんか要らないからお札を取れば良い。普通にお化け屋敷を進むだけならそれで良かったのだけども。
「つぐみちゃん、どっちを選ぶ?」
「え? えーと、お札かな。やっぱり心強いし」
「そうだよなぁ。……だけどさ、モカならどっちを選ぶと思う?」
俺がそう言うと、つぐみちゃんはハッとした表情で口を抑える。
そう、俺達はただお化け屋敷を進むだけじゃダメなんだ。ひまりちゃんが置いて来てしまったモカを探さないといけない。
つまり、道が分かれていた場合はモカが進みそうな道を選ばなければならなのである。
幸いそこまで巨大な施設でもないし、扉の向こうは小さな個室にアイテムが置いてあるだけでその向こうはつながっていると思うが。
モカが個室で立ち止まっていたりしたら、そしてその逆の道を選んでしまったら、俺達はモカと入れ違いになってしまうのだ。
普通に大声で名前を呼べば良い気がしたが、他のお客さんもいるしね?
「も、モカちゃんならお菓子の方を選ぶよね……」
「……だろ?」
幸い、モカはなに考えているか分からないがむしろこういう所での行動は読みやすい。
物凄く不本意だが、このお化け屋敷で進む時はモカが進みそうな道を選ぶしかないのである。
「それじゃ、おかしの方を開けるぞ」
震える手をドアノブに向け、俺はゆっくりと慎重にその扉を開けた。
同時にカチリと隣の扉から音がする。多分、片方を開けると片方の扉の鍵が閉まる仕掛けなんじゃないかな。
試しにつぐみちゃんがもう一つのドアノブを回そうとするが、やはり扉は動かなかった。
ところで想像通り。その奥はエレベーターくらいの大きさの個室で、真ん中にはう◯い棒がたくさん入った箱が置いてある。
ご丁寧にお一人様一つまでなんて書いてあるが、モカはちゃんと一個だけ持って行ったのか不安だった。
「明太子味でも貰っとくか。モカは……居ないな」
「次に進もっか」
こんな小さな部屋に隠れられる訳もなく、つぐみちゃんは前に進もうと出口の扉を開こうとする。
「───あれ?」
しかし、ドアノブは鍵が掛かっているのか開かないようだった。静かな空間にガチャガチャと音だけが木霊する。
「振り向かない者のみが前に進める、だってさ」
お菓子が置いてある机に置かれたメモを見ると、そんな事が書いてあった。
どうすれば良いのかは分かるのだが、どうも気がすすまない。
だって個室って怖いじゃん。絶対に何かあるじゃん。
「入り口が開いたままだから開かないって事かな?」
「そういう事だと思う。これ閉めるのは不本意だが」
何かあったら直ぐに逃げる為に開けて置いた扉だが仕方がない。
ゆっくりと入って来た扉を閉じる。すると───
「何も起こらな───嫌ぁぁっふぅぅ?!」
───突如鈍い音と共に床が数センチ陥没した。心臓が跳ね上がって、変な悲鳴が漏れる。
同時に薄気味悪い「ひっひひひ」なんて声みたいな音がして、俺はその場で腰を抜かして崩れ落ちた。
漏らしたかも。
「び、びっくりしたぁ……。あ、でも扉が開くようになってる」
驚いた表情をしながらも、ちゃんと前に進もうとするつぐみちゃんは俺より逞しいかもしれない。
「山田君、大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。古傷が開いただけさ」
何言ってんだ俺は。
「それって大変じゃない?! 痛いの?!」
痛いのは俺の発言です。本当に申し訳ありませんでした!!
「先に進もう。モカを探さないといけないし」
立ち上がって、俺達は狭い通路を歩いていく。
ついでにいうと、やはり出口の隣にはもう一つ扉があった。どちらを選んでも同じ道にたどり着くのだろう。
何度も左右に曲がるクネクネした道には、所々に骸骨だの妖怪の模型だのが設置されていて時折急に動くのは本当に勘弁して欲しかった。
本当は俺がしっかりしないといけないのに、つぐみちゃんが前を歩いてくれたり心配してくれたりもう散々である。
「あ、山田君。また道が二つに別れてるよ……?」
そうして突き当たったのは、またしても扉が二つある小部屋。
「物足りないと思った人はここからエキスパートモードに移行出来ます。イージーのままで良い人は左、エキスパートモードに行きたい人は右に行きましょう……か」
さっきのように設置された看板にはそんな事が書かれていた。
いやそんな機能要らないよ。イージー選んだんだから最後までイージーでいさせろよ。
しかし、困ったかもしれない。
「モカちゃんならエキスパートを選ぶかな……?」
「その可能性は高いな」
お菓子と違ってこれは確定的とはいえないが、モカならエキスパートを選ぶ可能性が高い。
となるとモカに合流する為にはエキスパートに行くしかないのである。ふざけろ。
「ど、どうしよう……」
「進むしかない……かな」
「そ、そうだね。モカちゃんを助けないと!」
自分からエキスパートを選ぶ奴を助けに行く必要はない気がしたが、このノリはもうモカを探すしかないのだ。
つぐみちゃんが息を呑みながらドアノブを掴む。
本当はこっちに進みたいなとイージーモードの扉をふと見てみると、俺はある事に気が付いた。
「つぐみちゃんストップ。少し待ってくれ」
俺はそう言いながらしゃがんで、床に落ちていた
それをつまんでつぐみちゃんに見せると、彼女も察したのかイージーの扉を凝視した。
モカの奴、さっきのお菓子を食べながら歩いてやがるな?
その破片がイージーの扉の前に落ちているという事は、つまりそういう事だろう。
「こっちか」
「凄い。よく気が付いたね、山田君!」
「た、偶々だよ」
本当はこっちに行きたいだけだったなんて、口が裂けても言えないよね。
そんな訳で、俺達はイージーモードの扉を開いた。
扉の先はさっきと同じ個室で、やはり後ろの扉を閉めないと前には進めないようである。
「し、閉めても良いかな?」
「オーケー南無三。悪霊退散。まじ来るな」
「え、えい!」
勢い良く閉められる扉。
数秒間身構えたが、何も起きる気配はなかった。
「ったく、なんだよ畜生め」
怖がらせやがってと、俺は前に進む為にドアノブに手を掛ける。
つぐみちゃんの「待って」の声は俺には届かなくて、この手は止まらずにドアノブを捻り扉を開け───
───扉の先に骸骨が落ちて来た。
「───アィェェェエエエアアアア!!!」
「───ひゃぁ?!」
怖すぎて、俺は無意識につぐみちゃんに抱き付いてしまった。悲鳴で我に返った俺は条件反射で土下座する。
やっちまた……。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!! まじでごめんなさい!!」
「あわわ、そ、そんなに謝らないで! 私もびっくりしちゃっただけだから! う、うん!」
なんて優しいんだ。むしろ将来が心配だよ。悪い虫に捕まらないか心配だよ。
「……俺本当に良い所ないなぁ。本当にごめん」
「そんな事ないよ山田君!」
どうあがいてもフォロー出来る要素はないが、それでもつぐみちゃんは真剣な声でそう言ってくれる。
でもさ、俺には本当に何か誇れる趣味もないし特技もない。ダメなんだよな、本当に。
「俺なんてどうせ……」
「私は……周りの事がちゃんと見れてるの、山田君は凄いなって思う」
俺が俯いていると、つぐみちゃんはそんな言葉を口にした。
周りの事がちゃんと見えてる? 俺が?
「……ドユコト?」
「さっき、モカちゃんが食べてたお菓子のカケラも見つけてくれたし。遊園地に入る前、ひまりちゃんの靴紐が解けてるのも教えてくれたよね。そういうのって、普通簡単には見付けられないと思うんだ」
真剣な表情でそう言ってくれたつぐみちゃんは、俺に手を伸ばして「山田君だって凄い所あるんだよ!」と喝を入れてくれた。
その手は少し、震えている。
なんて情けない男か山田翔太よ。お化け屋敷に来てまでこんな醜態を晒してどうする気だ。
男を見せろ。少しくらい格好付けても良いだろう。幸いまだ挽回のチャンスはあるんだから。
「……ありがとう、つぐみちゃん。ちょっと自信湧いた」
他人からすれば本当に下らない事かもしれないけど、俺にとってつぐみちゃんのその言葉は本当に嬉しいものだった。
「なんだ、その。……手でも繋ぎますか?」
「えーと、そうしてくれると嬉しいかな。怖いけど、頑張ってモカちゃんを探そう!」
つぐみちゃん、怖いのに俺が怖がってたせいで頑張ってたんだな……。申し訳ない。
今からは俺がしっかりしないと。そんな思いで、彼女の手を引いて歩く。
ところで自然に手を繋いで貰ったけど、これ色々と大丈夫なんですかね?
そんな事を思いながら、扉の先に進んだ矢先だった。
つぐみちゃんの手を握っているのとは違う方の手が何かに掴まれて引っ張られる。つぐみちゃんは隣にいる訳で、それが第三者である事は確定的だった。
恐る恐る振り向く。
そこに居たのは───
「───置いてかないでぇ〜」
───灰色の短髪の髪。
「「嫌ぁぁぁぁぁああああああ!!!!」」
思い出すのは、入り口で現れたろくろっ首だった。