パンとは。
主に小麦粉を主原料とし、水等を混ぜこねて発酵させた後、焼いて食する食べ物の総称である。
これにどうアレンジを加えるか、さらにこのパンに何かを合わせて再調理させる事もあり食べ方は無限大だ。
して、現代多くの国地域にて主食とされているこのパンだが、お米の国日本でも専門店が存在する程に人々の生活に慣れ親しんでいる。
「さて始まりました第八十四回チョココロネ争奪クイズ。司会は私、山吹沙綾と山田翔太君の山々ペアでお送りします」
───だが、これは一体どういう事なのだろうか。
「ごめん、意味が分からない」
「あ、あははー。ごめんね、付き合わせちゃって」
そう言いながら両手を合わせるのは、綺麗な茶髪を後ろで一つに纏めた同い年の女の子。
山吹沙綾は俺が今居るこのお店───やまぶきベーカリーの店主さんの娘さんだ。
知り合いという訳ではないがこのパン屋は家族ぐるみで良く来るので、よく店を手伝っている彼女とは顔見知りではあるという不思議な関係である。
ちゃんと会話したのは今日が初めてだが。
閑話休題。
俺の眼前に映るのは、椅子に座った二人の女の子。
一人は青葉モカ。
もう一人は黒髪セミショートの大人しそうな女の子。名前は牛込りみさん。
その二人の正面には、何故か一つのパンが祭壇のような物に飾られていた。
もうこの時点で意味が分からない。
ちなみに置かれているのはチョココロネである。
「チョココロネだけは、譲れない……っ!」
「全てのパンはモカちゃんのもの……っ!」
二人は目線を合わせ、気のせいか火花を散らしていた。大人しそうな女の子という紹介は撤回。怖い。
この現状では何が起きているか理解に苦しむと思うので、少しだけ時間を巻き戻す事にする。
それは、俺達がハロー、ハッピーワールド!のライブを見終わった後の事だった───
◆ ◆ ◆
「パンを食べよー」
「朝もパンだったのに……。いや、良いけども」
ライブも終わり、お客さんが商店街に散らばっていく最中。モカは口癖のようにそう呟く。
「付き合ってもらってるし、奢るぞ」
「おー、しょーくん太ってらー」
「太っ腹な?! その言い方だとただの悪口だからね?! ていうか、え、俺太ってる?!」
結構長い事ライブ演奏が続いていたので昼間は過ぎてしまったが、むしろ混雑は避けれて丁度いいかもしれない。
それで、どこで食べるかと尋ねてモカが俺を連れてきたのがやまぶきベーカリーだった。
「あれ? お客さん居ないねー」
しかし、店に着くと店内は客が居なくて寂しい状況に。
少し近付くと店が閉まっている訳ではないのだが、現状を理解するに充分な光景が視界に入る。
「パン、なくね?」
店に陳列されている筈のパンが殆どなくなっていたのだ。
大方ライブで商店街が盛り上がり生産が追い付かなかったのだろう。凄い盛り上がりだったからね、ハロハピライブ。
「どうする? 他の店にするか?」
「待ってしょーくん、アレは───」
珍しく真剣な表情で何かを見詰めるモカ。その視線の先には、一つだけ売れ残っているパンが寂しげに置いてあった。
「───やまぶきベーカリーのチョココロネ……っ!」
モカとは思えない速度で店内に向かっていく彼女を半目で眺めていると、その横からもう一人女の子が同じ速度で走って行くのが見える。
黒い髪を揺らしながら走るその女の子こそ、牛込りみその人だった。
そして、二人は一つのパンに同時に手をつける。パンを挟むトングがぶつかり合って金属音が店内に響いた。
「……このあたしのトングに付いてくるなんて、やりますねぇ〜」
「ちょ、チョココロネ……っ!」
二人はお互いをトングで牽制し合いながらも、その視線を一つのチョココロネに向ける。
なんて意地の張り合いだろうか。譲り合いの心というのはないのか君達は。
「はい、二人共ストーップ」
俺が遅れて店内に入ると同時に、二人の争いをやまぶきベーカリーの娘さん───山吹沙綾が止めに入った。
己の欲望のままに争う二人を宥めるその姿は、同い年ながらお姉さんのような雰囲気を醸し出している。
「君もチョココロネ?」
俺がチョココロネみたいな質問はやめて下さい。
「いや、俺はこのアホの付き添いなので。……えーと、そこにある塩パン下さい」
「それモカちゃんのー」
「他にパン売ってないんだけど!!」
「ご、ごめんねー。こんなに売れるなんて思ってなくて」
大盛況だったらしい。
「さーて、どうしようか。いつも食べてるんだしり───」
「嫌」
名前を一文字呼ばれただけで即答した?!
「嫌」
何も言ってないのに即応したぁ!!
「どっちも譲る気はなしか……。なら、仁義なきパン勝負しかないね」
さっきまで争いを収めようとしていた彼女だが、遂に怒ってしまったのか目を光らせて眼光が走る。
いや、パン勝負って何。
そして始まったのが───
◆ ◆ ◆
「───ルールは簡単。今から出題されるチョココロネに関する問題に早押しで答えて貰うよ。先に三問正解した人の勝利で、チョココロネをプレゼント!」
───この八十四回チョココロネ争奪クイズだ。
八十四回もやってるのかこの謎の儀式。いや絶対やってないだろ。適当な数だろ。
「さーやー、しつもーん」
手を挙げてモカがそう言うと、沙綾は彼女に手を向けて質問を許可する。
何処から出て来たかよく分からない(多分)伊達眼鏡を装備した沙綾は学校の先生にも見えなくはない。
「早押しって、ボタンなくなーい?」
確かに、この手のクイズには誰が一番早くボタンを押したのか判定する機会が必要だ。
現状二人は椅子に座っているだけで、周りに何かがあったりはしない。
「それじゃ、手を挙げて貰おうかな。あとはフィーリングで?」
それで良いのか。
「それじゃ、第一問目いってみよっか。ジャジャン!」
「ジャジャンも口で言うの?!」
「問題です。チョココロネに代表されるコロネですが、何処の国───」
沙綾がそこまで言った所で、牛込さんが手を挙げる。え、何? まだ問題最後まで出されてなくない?
「日本!」
「りみりん正解!」
嘘ぉ?!
「問題は『チョココロネに代表されるコロネですが、何処の国で発祥された菓子パンでしょうか?』でした」
「日本なのか、へぇ」
なんか無駄にコアな所で博識になれそうなクイズだな。チョココロネ限定だけど。
しかしこのクイズ、普段からマイペースのモカには不利だろうか?
「それでは第二問! ジャジャン!」
「やっぱりジャジャンは言うのか」
「問題です。チョココロネをチョココロネたらしめるチョコの原材───」
沙綾が問題を最後まで言い切る前に、またも牛込さんが手を挙げた。
この問題は俺でも分かる。チョコの原材料はカカオだ。
このままじゃ圧勝されてしまうかもしれない。
「カカオ!」
「残念、不正解」
しかし、カカオと答えた牛込さんの答えはハズレだったのである。
一体どう言う事だ?
「それじゃ、問題の続きを言うね。チョココロネをチョココロネたらしめるチョコの原材料は───カカオですが、パンの原材料は何でしょうか?」
まさかの引っ掛け問題。早押しクイズってこういうのが怖いよね。
お手付きで動けなくて泣きそうな表情の牛込さんの隣で、モカは答えを言ってこれでクイズは同点になる。
二人の視線の先は相変わらずチョココロネ。どうもあそこだけ空気が違うんだが。
「それじゃ、次行ってみよっか。第三問! ジャジャン」
「もうつっこまないからね」
「山田翔太君がやまぶきベーカリーでチョココロネを買ってくれる時、個数はいつも一緒です。さて何個でしょうか?」
「問題がいきなりチョココロネから遠ざかったね?! てかなんで俺が出てきたの?!」
確かに俺がチョココロネ───というかやまぶきベーカリーで菓子パンを買う時は決まって買う個数があるのは事実だ。
しかしそれを問題にした所でこの二人が答えられる訳がない。
モカはともかく牛込さんとは初対面だし、モカともやまぶきベーカリーに一緒に来たのは初めてなのだから。
「はい!」
「はい、りみりん」
牛込さんが意気込みながら手を挙げる。この問題はもう勘での勝負だが、先手を取れたのは大きいだろう。
適当な数を言えば当たる可能性もあるからだ。人が一度にパンを買う個数なんて限られてくるからな。
「五個、かな?」
いや多いよ。それは多いよ。流石に同じパンを五個も買わないよ。
「残念ハズレです。はい、モカの番」
「十個?」
食いすぎだよ。棚にあるチョココロネ殆ど持ってっちゃってるよそれ。
「もう少し普通の数かな。ね、翔太君」
「まぁ、ヒントになっちゃうかもしれないけど。普通っちゃ普通だと思う」
次の回答権は牛込さんだからモカは不利になってしまうが、しょうがない。というかなんだこの茶番。
「七個かな?」
「普通って言ったよね?! それ多分君の普通だよね?!」
「はーい、十二個でーす」
「お前俺をなんだと思ってるの?!」
普通ってなんだろうとかいう哲学に話が逸れてしまいそうである。
「に、二十個?」
「増やすなぁぁあああ!!!」
もはや人の食べる量じゃない。というか買い占めだよそれ。
「それじゃー、三個」
「モカ正解」
そして突然答えが出てきて、この問題を正解したのはモカだった。
ちなみに何故三個かというと、大概ここで菓子パンを買う時はお使いなので家族分を購入するのである。我が家は三人家族だからな。
「これで、りみりんが一点。モカが二点でリーチになったね。翔太君はこの勝負をどう見る?」
「俺に振られてもね。……いや、まぁ、このままだとモカが勝ってしまうし。牛込さんにも頑張って貰いたいですね」
ここまで来たら面白い展開を期待してしまうのが年頃の男の子なんだ。モカには悪いが、このまま簡単に終わってしまっても面白くない。
「それじゃ、第四問。チョココロネの正しい食べ方はどんな食べ方でしょうか?」
「え、なにその問題」
そんなのあるの?! パンに正しい食べ方とかあるの?!
「はいはーい」
自信満々な表情で手を挙げるモカ。答えが分かっているのだろうか、沙綾に手を向けられた彼女は不敵に笑いながら口を開く。
「細い方から食べます」
「残念不正解」
あの自信はなんだったのか。当たり前のように不正解を叩きつけられたモカは、不満そうな表情で「えー」と口を尖らせた。
いや、正しい食べ方とかよく分からないけどさ、細い方から食べるのは間違いなんじゃない?
チョココロネは三角型になっていて、底辺に空いた穴からチョコクリームを入れたパンである。
細い方から食べるという事はその底辺を下に向けるという事になり、チョコクリームが下に落ちていく可能性があるという事だ。
素人意見だが、太い方から食べるのが一般的だろう。
「こなたちゃんはこうなのに〜」
「誰だよ」
なんの話ですか。
「食べる人が好きな食べ方をする。が、正解だよね」
「りみりん正解」
項垂れるモカの隣で、牛込さんの答えに沙綾は満足げに正解を与えた。
「私はね、その時の気分によって食べる向きを変えるんだ。頭から食べると最後までチョコの味を楽しめるし、お尻から食べると後味がすっきりするんだよ」
「その発想はなかった。モカちゃんの大敗だ〜」
なるほど、 正しい食べ方なんてないって事だな。ひっかけ問題の類いだが、これで同点になり最後の問題で全てが決まる事になる。
完全に茶番だが、ここまで来たのなら最後まで楽しもうじゃないか。
「それでは最後の問題です。ちなみにこの問題に正解した人には三点入るから、大逆転も可能だよ。ただし、回答権は一人一回まで!」
「いや二人共同点だから意味ないからね」
クイズ番組でよくある奴だけど、全く意味ないからね。言いたかっただけでしょそれ。
しかし回答権が一人一回だと引き分けになる可能性があるのだが、その時はどうするのだろうか。
「最終問題。チョココロネは誰に食べたがられてるでしょうか?」
「もはや問題の意味が不明なんだけど?!」
どう考えても答えがない。だってチョココロネの気持ちなんて分からないじゃないか。
なら、さっきと同じで正解なんてないのが正解なのだろうか?
いや、食べ方と違ってこれはチョココロネ個人(個人?)の意思の問題だ。ちゃんとした答えがある筈である。
「ふっふっふー、モカちゃんにはパンの気持ちが分かる特殊能力があるのだよ」
初耳だよ。
「それじゃ、モカの答えから聞こうかな」
「ズバリ、チョココロネはモカちゃんに食べられたがっています」
「お前が食べたいだけだろ!」
相手の意思を強要するのは良くありません。
「いやいや、あたしとチョココロネは相思相愛だからねー。お互いwin-winというかー?」
「その言い方と普段の素行を比べるとお前は沢山のパンを誑かす最低な奴だからね?」
全く愛情がない。遊ばれてるパン。いや、俺は何を考えているんだ。
「わ、私はチョココロネ一筋だよ! だから、チョココロネも私に食べられたがってると思うんだ」
「いやそもそもその理屈がおかしいからね。そもそもチョココロネ沢山あるからね。どちらにせよ一途もクソもないよ」
結局は意地の張り合いなのか、二人の間で火花が散る。おいどうするんだコレ。
「はーいストップストップ。残念ながら二人共不正解だよ。このチョココロネは私が食べちゃおうかな」
争いに終止符を打ったのは、火種を起こした張本人だった。
彼女は不敵な笑みで、チョココロネを口に頬張る。
牛込さんは泣きそうな表情で、モカは何考えてるか分からない表情でそれを見ている事しか出来なかった。
「なんだこの茶番───ん? 良い匂い」
それを見てもうツッコミを入れる元気もなくなっていた俺の嗅覚に、突如甘い香りが漂ってくる。
この安心するような、心が温まる匂いは───
「チョココロネの匂い」
「焼きたてパンの匂い」
「あ、丁度焼き上がってきたみたいだね」
チョココロネを食べ終わった沙綾は、俺達に背を向けて厨房に歩いて行った。
奥からは店主であるご両親と思われる声と、沙綾の明るい声が聞こえてくる。
そして、そんな彼女が戻って来て手に持っていたのは───
「チョココロネ……っ」
「焼きたてのパンが沢山」
───色々な種類のパンが乗ったお盆だった。
「おまたせしましたー、やまぶきベーカリーの焼きたてパンだよ」
白い歯を見せる彼女は得意げな表情で俺に視線を向ける。
なるほど、そういう事だったのか……。
さっきまでの茶番はパンを焼き上げるまでの時間稼ぎだったという事だ。
そもそもこんな時間にパンがなくなっているのは、ライブによる予想外の大盛況が原因である。
それでパンがなくなったからと言って店を閉める訳がなく、しかしパンを焼くのには時間が掛かる訳で。その時間に来てしまった俺達への、彼女なりの粋な計らいだったのだ。
茶番だけどな!!!
「取り合うんじゃなくて、皆で美味しく頂きたいよね。沢山あるから、好きなパンを買って行ってね」
勿論有料である。接客上手なパン屋の娘さんだ。
「私チョココロネ」
「メロンパンとー、チョココロネとー、ハムエッグサンドと〜、それから───」
食い過ぎです。
「ほらほら、翔太君も」
「んじゃ、チョココロネで」
予想外な珍事件もあったが、楽しい昼食の場を提供してくれた彼女にはお礼を言っても足りないくらいだ。明日からはもう少し多目に通おう。
「あとー、コロッケパンとカツサン───」
「いやどんだけ食べるんだよ!!! 別に奢るけど、食べれるんだろうな?! お残しは許しまへんで?!」
「余裕〜」
して、とんでもない茶番に付き合わされたがまだ昼だという事を忘れていた。既に疲れてるよ。
この後どうするかねぇ。
次回『置いて行かれたくないから』