「……帰ろうかな」
人混みに揉まれて三十分。
立っているのも中々苦しい。息苦しいというか、なんか酸素濃度が低い。
少し暗めの広場にどう考えてもキャパオーバーの客が敷き詰められ、人が一人動くのも困難な状況に陥っている。
肉まん事件(俺命名)の一週間後、俺は
リサさんのバンドやモカのバンドが演奏するという事で来てみたんだが、なんかもう帰りたい。
こう、お客さん達皆テンション高いし。うるさいし。音楽の専門家みたいな人が腕組んでステージ見てるし。
そっち系のウェイな方々が沢山居る中で、俺はボッチで人混みに揉まれている。こんな事なら誰か友達でも誘ってくるんだった。
いや、マジで帰りたい。
「あと何分だっけか……」
確か演奏の順番はリサさんのバンドが一番最初で、モカのバンドは……ほぼ最後じゃねーか。
リサさんのだけ観て帰ろうかな……。いや、流石にそれはダメか。
そうこう考えながら、飲み物片手に人に揉まれていると突然周りの灯りが消える。
その瞬間、周りで騒いでいたお客さん達が同時に動きを止めてこれまでの喧騒が嘘かのように静まり返った。
その中で何人かの足音だけがステージから聴こえて、その足音が消えると同時にステージを照明が照らす。
現れたのは黒装束の女の子達。俺とそんなに変わらない歳だろうか?
リサさんを含めて全員まだ中高生といった感じだ。
それでも、ボーカルを担当する銀髪の女の子が足を一歩前に出しただけで周りの空気が一瞬で変わる。
なんの前振りもなしに同時に演奏が始まり、静かになった筈の会場はまた喧騒を取り戻した。
しかし、そのどれもが個人個人の口が混ざった「うるさい」と思えるものではなく───
「すげぇ……」
───会場に居る人達が一つになったのかのような熱のこもった歓声。
会場に居る全ての人がステージに釘付けになって、まるで取り込まれていくかのように全体が盛り上がっていく。
魔法でも見ているかのような、そんな感覚。
体感時間が一瞬に思えて、気が付いたらボーカルの女の子が今歌った曲の紹介とメンバー紹介を終えていた。
これから二曲連続でまた演奏が始まるらしい。そう思ったら、それもまた一瞬で終わる。
これがバンドか……。
会場が一つになって大歓声が上がる中で、それでも会場一杯に響く、尚且つ綺麗な歌声。
ギターとか楽器とか触った事ないから、周りの人が言ってる「流石Roseliaは技術が違うな」とか「やっぱりボーカルが凄い」とか、よく分からないけど。
とにかくリサさん含めて五人共凄かった。語彙力が無いとかそういう話じゃなくて、そもそも何が凄いのかなんて分からないし。
でも、とりあえず凄いって思ったんだよ。
何か一つ言うとすれば───
「結婚してぇ」
───リサさん滅茶苦茶素敵!!!
そんな風に感じながら人混みが嫌だったのも忘れて楽しんでいたのだが、流石に最後の方になってくると初心者の俺はもう体力も限界です。
それで次がやっとモカのバンドの番。
えーと、なんだっけ? これなんて読むんだっけ? あふたーぐろう?
最初と同じようにステージの灯りが消えて、足跡が消えてからまた照明がステージを照らした。
モカはボーカルの子の直ぐ隣にギターを持って立っている。中々格好良いな。
そういえば、結局俺はあの肉まん事件からシフトが合わなくてモカと顔を合わす事がなかった。
この会場の事だってリサさんに教えて貰った訳である。
チケット代? 自分で払いましたよ? リサさんが招待してくれるとかそんな甘い展開はなかった。泣きたい。
だから、俺は彼女の顔を見るのも一週間ぶりになる。
特に話す事もないから、交換した連絡先に連絡する事もなかった。
そのせいかな?
確かに目の前にいるのはモカだとは思う。
その筈なのだが、どうも本人に見えなかった。
なぜなら───
「アイツ、あんな顔するんだ……」
───彼女が普段の惚けたような表情からは、想像もつかないような真剣な表情をしていたから。
ただ生真面目になったって訳じゃなくて、仲間や周りには普段のような柔らかい表情を振りまいて、それでも真っ直ぐに『今』この瞬間に真剣に向き合っている。そんな表情。
そして、五人は息もピッタリに演奏を始めた。
正直、音楽の事はよく分からない。
周りの人が疲れてるのかもしれない。会場はリサさんのバンドの時の方が盛り上がっていたと思う。
後ろの人がチラッと言ったように「Roseliaの方が技術は高い」のかもしれない。
隣にいた人が言ったように「今の所ちょっとズレてた」のかもしれない。
ただ俺にはそんな事分からないし、違いだって分からない。どっちも技術は凄いじゃん? 俺なんてリコーダーも吹けねーよ。
でもさ───
「……格好良いな、アイツ。すげぇ……楽しそう」
───でもさ、俺は『今』を全力で生きて、『今』に真剣に向き合っている五人を確かに感じていた。
この目に、この耳に、この肌に、彼女達五人の今が流れ込んでくる。
歌声は迫力があって、今の自分の心を叫んでいるようで。
ベースの音は明るくて、今を目一杯楽しんでいるようで。
キーボードの音は必至に奏でられていて、今がとても大切だと感じさせるようで。
ドラムの音はしっかりとしていて、今そこにいる皆を大切に支えているようで。
そしてギターを弾く真剣な表情のモカが、笑って、汗をかいて、全力で演奏しながら、今居る大切な仲間達と目を合わせる。
滅茶苦茶格好良いって思った。
技術とかレベルとか、そんな物はよく分からない。俺から言わせればここで演奏してた人は全員凄い。
ただ、なんでかは分からないけど。
彼女達───Afterglowの演奏だけは感じ方が違う。
今を全力で生きている、そんな彼女達の等身大の演奏に惹かれたのかもしれない。
今、何も熱中出来ていない俺だから、そんな彼女達が羨ましかったのかもしれない。
◆ ◆ ◆
「……いかん、帰ろう」
ライブが終わった後、俺は放心状態で気が付いたら周りの人は殆ど居なくなっていた。
いや、流石に疲れたのかね。まだ頭の中で音が鳴ってるし。
帰って寝るとしますか。明日バイトだし。
そんな事を思っていると、突然スマホの通知が鳴る。誰かと思えば───モカか。
『しょーくん』
短文。
初めての連絡の通知が名前を呼んだだけの短文。
「主語も述語も何もない」
ただ、言ってる最中にまたメッセージが送られて来た。しかし、全部短文で。
『来てくれた?』
『もうご帰宅ですかね?』
『どこー?』
「んぅ……」
会ってくれる気なんですかね?
いや、しかしね、なんというかさ。
あんな物見せられた後だと、別次元の世界に存在する人なんじゃないかと思っちゃう訳ですよ。
近寄りがたいというか、話しにくいというか。
「『帰った』と」
凄い奴なんだって、分かってしまったから、遠慮してしまう。だから俺は嘘をついた。
もしかしたら舞台裏とか誘われて、バイトの友達ですってあの格好良いメンバーに紹介してもらえるかもしれない。
そんな事を思ったけども、やっぱり俺にはそんな勇気もなければ資格もない。
俺には彼女達みたいに今全力で取り組んでる事なんてないから。
そんな俺には彼女達が眩し過ぎて、正直直視出来る気がしない。
『残念』
だから、俺が彼女達と接点を持つ事なんてないと思う。
生きてる世界が違うんだよ。
「『なんていうか、滅茶苦茶格好良かったわ。すげーな。お疲れさん』と」
本人が目の前に居ないのでとりあえず褒めておいた。送ってから後悔したけど。
で、既読はついたんだけどちょっとの間返事が返ってこない。帰りの支度でもしてるのだろうか?
『どういたしまして』
『ありがとう』
そんな短文が返って来たのは俺が家に着いてから。
なんというか、やはりあんな文を送って後悔中です。恥ずかしいわ。
当分モカには会いたくない。
『また明日ノシ』
あ……。
「明日モカと被りかよ!!!」
本気で休もうかと思いました。
◆ ◆ ◆
「いや、最高でした。リサさん滅茶苦茶格好良かったです!!」
「もー、そんなに言われると照れるなー。来てくれてありがとうね、山田君。ちゃんと客席にいた山田君見つけてたよ」
マジかよリサさん!! 俺の事見ててくれたのな?!
「一瞬見えて直ぐに見失っちゃったけど、アレは山田君だったよ!」
あー……そうですよねー。俺の気配なんてそんなもんですよねー。
いや、見つけて貰えた事に意味があるからね?
「ギリギリセ〜フ」
「モーカー、二分前だよー。早く着替えて来てねー?」
「はーい」
久し振りにバイト先で見たモカは、昨日とは違って惚けたような表情で笑いながらバイト先に出勤。
俺を見るなり変な笑顔を見せてから、モカは休憩室に歩いていく。
……昨日のメッセージとかリサさんに見せるなよ?
というか俺、リサさんとは全然連絡取り合えてないんですけど。
仕事の事とか、音楽スタジオの話しかしてません。全部業務連絡ですよ。進展が何もないよ!! 辛い!!
「そういえば、Roseliaの話ばかりしてたけど……山田君はAfterglowの演奏見てどう思ったの?」
何故か意地悪そうな表情でそんな事を聞いてくるリサさん。
何も言わない訳にもいかず、ただRoseliaより良かったなんて言える訳がない。
だからってAfterglowを悪くいう事は俺には出来なかった。
「やっぱり、その、演奏は……Roseliaの方が良かったんですよ」
だから、俺は昨日聞いた周りの評判を頼りにそんな事を言う。
これ聞かれたらモカは怒るかもしれないが、あの場所に通い詰めてそうな人が言ってたしこれは事実なんじゃないかな? よく分からないけど。
「うんうん、それで?」
「えーと、なんていうか……Afterglowは、必死さが伝わってきて良かったです。楽しそうっていうか、今この時間を全力で生きてる……みたいなのが伝わってきて」
そんな、俺が昨日思った事を伝えると、リサさんは悪戯な笑みを浮かべて「そっかぁ」と呟いた。
え、ちょ、ちょっと待って、いや、Roseliaの方が最高でしたよ! 勿論ですとも!!
「おやー、お二人さん、このモカちゃんを抜いてなんのお話ですかー?」
そんな会話の途中で、着替えが終わったモカが現れる。何このタイミング。
彼女の表情は普段と一緒で───でも、今日の彼女を見てしまったからか、これまでとは全然違うようにも見えるんだ。
「モカには内緒ー、だってなんか悔しいし」
「え、いやいや!! そういう事じゃなくてですね?!」
「えー、そうかなぁ? だって今さっき山田君、これ以上にない真剣な表情してたし」
これ以上にない真剣な表情……?
「俺が……?」
「うん」
……そうなの?
「ちょっとー、モカちゃんを置いてけぼりなんて、バチが当たりますよー?」
眉間にしわを寄せるモカだが、全然迫力がない。Afterglowのボーカルの子の方が素でも迫力ある。
そういえばあのキーボードの子、天使みたいだったよね。こう、応援したくなるっていうかさ、妹に欲しい。
あとドラムの子はイケメンだった。途中まで男だと思ってた。でもめっちゃ美人。
そしてベースの子が滅茶苦茶おっぱい大きかった。ヤバい。演奏終わってから気が付いてずっと目で追ってたからね。もうそれしか見てなかったです。はい。
って、なんで俺はAfterglowの事ばかり考えてるんだ。
「あっはは、ごめんごめん。モカ、バイト上がりはやっぱり皆と?」
「そーなんですよー。今日モカちゃんだけバイトでー、ライブの次の日で打ち上げやろうって日にこの仕打ち、しくしく」
俺、しくしくとか言う人初めて見たよ。実在するんですね。
「アタシは昨日ファミレスでご飯食べて終わりだからなぁ。ちょっとだけAfterglowが羨ましいよ」
あー、仲間内で打ち上げの話ね。
「って、山田君ごめんごめん。話着いてこれないよね?」
なんでそこで気が利けるんですか。どんなコミュ力だよ。
「あー、いやいや、俺には構わず」
二人と俺は別の世界の人間なんだろう。
俺には何もない。確かな技術も、全力で向き合える今も。
「……ふーん」
ただ、そう言う俺の表情をリサさんは興味深そうに覗いてきた。
え、な、なんですか? 俺の顔になんか付いてます?
なんか恥ずかしい!!
「いやー、しかし、しょーくん久しぶりー。シフトが合わなくて、会えなくて、モカちゃんちょー寂しかったですよ〜」
「いや、俺は別に」
別次元だとかどうだとか以前の問題で、モカと居ると疲れるし。
「えー、あたしはしょーくんと話してると、しょーくんが適切なツッコミを返してくれるので、楽しいんだけどなー? こう、幼馴染達からは来ない、ズバッとしたツッコミが、モカちゃんのハートにググッと来たのだよ〜」
「ツッコミ担当を探しているボケ担当かよ」
「そう、それだよ、流石しょーくん」
いや、驚かれても困る。
「なーんだ、アタシはハートにググって来たって言うから、モカが山田君に恋しちゃったのかと思ったのに」
縁起でもない事言わないで下さい。
「……。……あー、それは、ないです」
少し考えるそぶりをした後、澄ました顔でそう言うモカ。うるせぇよ! こっちから願い下げだよ!!
「……ぬぅ」
「ふふっ」
あ、今リサさんに笑われた気がした。
違うんです。ただ悔しかっただけなんです。こんな変な奴に劣等感を覚えている自分が嫌になっただけなんです!!
「昨日も皆にしょーくんを紹介しようとしたのに、しょーくんは先に帰ってしまっていたのですよー。しくしく」
「泣き真似が下手過ぎて何も伝わって来ないんだけど」
ライブステージの上でのモカは何処へ行ったんだ。
「今度はちゃーんと、蘭達にしょーくんを紹介するので、その時は気の利いたお土産を期待してますよ〜」
「いや、良いから。てかお土産にしか期待してないだろ」
肉まん事件で知ったが、コイツかなりの大食いらしい。なぜ肥らない。
「いやいやー、本当にしょーくんを紹介したいんだよ〜?」
「いや無理に接点持とうとは思ってないから。あー、サインとかは欲しいかも」
モカがどうこうはともかく、正直あの日見たバンドの中では俺はAfterglowが一番気に入ってしまったんだよな。
「サインならこのモカちゃんが直々に書いちゃいますよ〜?」
「ごめん、あのボーカルの人のサインが欲しい」
理由は自分でもよく分かってないし、昨日思った事だって結局は曖昧だけども。
「モカちゃん、ショック」
「全然落ち込んでるようには見えませんが?」
それでもやっぱり、彼女達は俺にとって遠い存在なんだと思う。
「……ふーん」
「ど、どうしたんですか? リサさん」
「いやー、なーんにもー?」
俺は彼女達と違って、何もないのだから。
次回『やりたい事を探して』
余談になりますが、自分バンドのライブに一回だけ行った事があるんです。アレは本当に凄いですよ。語彙力がとかそういう問題じゃなくてですね、本当になんかもうとりあえず凄いんです。語彙力なんてなくなります。滅茶苦茶格好良いんですよね。音楽の事そんなに知らなくても。