青空を見上げながら、似合わない事してるなと息を吐く。
羽沢珈琲店を後にした俺は、一人で公園のベンチに座っていた。
「自分に自信を持つために始めた訳じゃない、か」
よく考えたら当たり前の事なんだろう。
そもそも趣味なんてものは探す訳じゃなくて、知らず知らずのうちに始めているものだ。
探す時点で間違っているのかもしれない。
ならどうしたら良いのか。
「分からん」
「何が」
「うわぁぁぁ?!」
突然背後から声を掛けられて、俺はその場から飛び退いて後ろを確認する。
視界に入ったのは上品な顔立ちの黒髪の女の子だった。振る舞いというか、服装からするに高貴な家柄の人なんだろう。
何処かで見覚えが───
「誰?」
───いや、ない。俺の知っている彼女はこんなに上品じゃない。
「は? 何言ってんの山田」
しかし、不機嫌そうな表情でドスの効いた声を出すのは正しく
嘘でしょ。
「蘭……?」
「それ以外の誰に見えんの?」
目を半開きにしてそう言う彼女は「隣良い?」と俺の返事を聞かずに隣に座ってくる。
どうしてか花の匂いがする彼女だが、座ってからは喋らなくなってしまった。
いや、これどういう状況。
「なんでそんなお上品なんざます?」
「何その話し方。うざいよ」
泣きたい。
「これはその、花道の集まりの後だから」
目を逸らしながら、彼女は淡々とそう言う。
えーと、花道ね。なるほどなるほど、花道ね。
「はぁぁあああ?!」
「山田ってなんでいつもそんなにオーバーリアクションなの……」
いや、だってあの美竹さんだよ?! あの美竹さんが花道?!
しかし、彼女をよく見てみるとその道に相応しい振る舞いというか上品さが漂っていた。
普段のロックでクールな美竹さんはどこに行ったのか。
「こういう性分なんです……」
「あ、そう。で、こんな所で何してんの?」
そう聞かれて、俺はどう答えれば良いのか分からない。答えは何もしていない、だからか。
ただありのままを答えれば良いのだろうが、俺はまだ自分が何もしていないのが許せないでいる。
「こんな所で立ち止まってても、何も見つからないよ」
何も答えない俺にしびれを切らしたのか、蘭は俺の事は見ずにそう言った。
まるで事情を知っているような口ぶりである。
「巴達か……」
「少しだけ会ってきて、話を聞いてきた。本当は今日バンドの練習だったんだけど、花道の集まりに行かないと行けなくなって皆に迷惑かけたから」
それでモカから遊びに誘われた訳か。
「あたしはさ、山田の気持ちが少しだけ分かるよ」
「え?」
唐突にそんな事を言った彼女は、色を変えていく空を見上げながらこう続けた。
「確かに、花道もバンドも自分に自信をつける為に始めた訳じゃないよ。……あたしは皆と居る為に必死でやったんだと思う。今はそんな事ないけど、あたしも前は花道なんてやりたくなかったから」
花の形をした髪飾りを触りながら、彼女はゆっくりと俺の事を見る。
その瞳に夕焼けが映って眩しい。
ただ、目を背けたらいけないと思った。
「モカと一緒に居たいんでしょ?」
返事が出来ない。
どうしてだろう。
きっと、俺はその気持ちに気が付いている筈だ。
でも、その気持ちを認めるのが怖い。
これまでの関係が壊れるのが怖い。
だからその先は言わないでくれ。
お願いだから、俺の今を壊さないでくれ。
「好きなんでしょ、モカが」
確信めいたその言葉は、俺の耳に残って何度も頭の中を回る。
そうだよ。
俺は彼女が好きなんだ。友達としてじゃなくて、異性として。
彼女といる時間が楽しくて、幸せで。でも、それが壊れるのが怖い。この関係が壊れるのが怖い。
何もない自分が見捨てられるのが怖い。置いて行かれるのが怖い。
怖くて、寂しくて、ただ震えているだけの自分が情けなかった。
「だとして、俺にその権利はないよ……」
「バカじゃないの?」
眉間に皺を寄せて、蘭は少し大きな声でそう言う。
俺はそれにビックリして、彼女の顔を見た。目の周りが少し腫れているようにも見える。
「誰かと一緒に居たいって、そんなの誰にでもある権利じゃん。その為に頑張るか頑張らないかのどっちかじゃん。だからあたしはバンドも花道もやってる。山田だって───」
「俺は何も頑張ってない」
必死に言葉を並べる彼女の口を遮ったのは、そんな下らない言葉だった。
「一緒にするな。誰だって自分みたいに頑張れると思わないでくれ。俺みたいな何にも出来ない奴だって居るんだ。お前達はな、常人からしたら雲の上みたいな───」
そして俺のそんな言葉を遮ったのは、涙目で放たれた平手打ち。
我に返って蘭の顔を見ると、大粒の涙が頬から地面に落ちていく。
俺は自分が言った事を思い出して、今にもここから逃げてしまいそうになった。
でも、それだけはしたらいけないと辛うじてこの足は動かない。ただ、足と地面を縫い付けられたように硬直する。
「皆をバカにするな」
彼女達が特別な訳がない。
皆だって必死になって音楽をした筈だ。初めから上手くいって、なんの苦労もせずにバンドを始められた訳がない。
そんな事分かっていた筈。モカにギターを教えてもらって、それだけでもどれだけ大変か分かっていた筈なのに。
「ごめん……」
「……モカは、興味ない事にはとことん興味ないから。権利がないとか、そんな訳ないよ。……でもさ、今の山田は本当にダサい」
涙を拭って、彼女はそう言う。
そうだな。最高にダサい。
格好悪い。
「山田が本当に何もなくて、つまらない奴ならモカもあたし達も一緒に居たりしない。それだけ覚えてくれれば、あとは山田が頑張って前に進めば良いんじゃないの?」
蘭はそう言って、俺から目を逸らした。恥ずかしい事を言っている自覚はあるのだろう。言われた俺も恥ずかしい。
「ありがとう……」
「別に……」
夕焼けを見ながら、俺達は二人揃って沈黙した。
ただ黙り込む俺の横で、彼女は何も言わずに側にいてくれる。答えを待つように。
「何をしたら良いのかは分からないけどさ、一つだけやっと分かった事があるんだ。いや、認めたくなかっただけなんだけどさ」
「何?」
やっと口を動かした俺に対して、蘭はゆっくりと身体を向けて真っ直ぐ俺の目を見てくれた。
ちゃんと言おう。
逃げずに、前に進もう。
「俺は、モカが好きだ」
蘭の目を見て、俺はしっかりとそう言った。
目を背けていたんだと思う。この気持ちを認めたら、これまでの関係ではいられなくなると思っていたから。
「あいつといる時間が何より楽しくて、幸せに感じる。これまで何もなかった俺に、何かを与えてくれたのは間違いなくモカなんだ。俺はその何かを探して、全力でやって。あいつの隣にいたい」
自分でも恥ずかしい事を言っている事くらい分かっていた。
それでも、本人に言うよりは遥かにマシだろう。
今はこの気持ちをとにかくぶつけたい。それが蘭なら丁度いい。
「モカとバイトしてる時が一番楽しいし、あいつが何か食べてるのを見るとほっとする。ライブに行ってもずっとモカの事を見てた。あいつが何かを全力でやってる姿に憧れてた。そんなモカが俺と遊んでくれるのが最高に嬉しかった。……俺は、青葉モカが好きだ」
顔が熱い。こんなに本気で喋ったのは生まれて初めてかもしれない。
気が付いたら蘭も自分の事じゃないのに顔を真っ赤にして「そ、そろそろ止めて」とついに顔を逸らした。
いや、うん。申し訳ない事をしたよね。でも、スッキリしたよ。
「悪いな。でも、あと一つだけ。モカってさ、最高に可愛いよな」
「ちょ、吹っ切れた山田怖い。もうそのまま告白してきたら……?」
「それは無理」
「なんなの」
ごめんなさい無理です!! 今にも心臓が弾け飛びそうなんですよ!!
「ありがとな、蘭」
「別に」
俺がお礼を言うと、蘭はいつものように顔を逸らした。
そんないつも通りに、俺は少しだけホッとする。
「少しだけ前に進めそうな気がするよ。あいつを追いかけられそうな気がするよ」
「そっか」
空が完全に暗くなってから、俺達は公園を後にした。
送っていくと行ったら断られて、真っ直ぐに家に帰る。
一人でいると色々考えてしまう悪い癖があるが、今はどうもそれが楽しかった。
◆ ◆ ◆
「そっかー、歌詞作りはやめちゃったんだ」
平日のバイト先。
リサさんと二人きり。
思えば俺は彼女に勝手に片思いしていた訳で、しかも今はモカに片思いしている訳で。我ながら最低な人間である。
「どうも難しくてですね……。あ、そうだ。リサさんに言っておかなきゃいけない事があるんですよ」
それでも俺は、少しでも前に進もうと思った。
「え? どうしたの、急に」
「俺、リサさんに一目惚れしてたんですよね」
「うぇぇえええ?!」
俺の突然の告白に顔を真っ赤にするリサ先輩。
え、何?! 脈ありだったの?! ショックなんだけど?! それとも顔真っ赤にして怒る程嫌だったの?! ショックなんだけど!!
「……し、してたって事は。今は違うって事?」
何故か周りや店の外を執拗に確認してから、リサさんは小声でそう聞いてくる。
その震え声はなんですか。そんなに嫌だったんですか。泣きますよ。
「ですね……」
「そっかー、そっかそっかー」
しかし俺の返事を聞いたリサさんの反応は、なんとも言い難い。まるで内心を察せられたような反応だった。
「モカでしょ」
「どうして分かった?!」
して、俺の思っている通り心を見透かされているのか。
彼女は自信満々にそう言うと、俺の反応を見て「うっはー」と妙にテンションの高い溜息を吐く。
「いやー、でも山田君がアタシに一目惚れしてたってのは驚いたなー。女の子ってそういうのはやっぱり嬉しいし」
「それじゃ、俺がもし告白してたら付き合ってくれてたって事ですかね?」
「それはないかな」
俺はその場に崩れ落ちた。大粒の涙でコンビニの床を濡らす。
あはは、あははははっ、掃除しなくちゃ。お仕事中だもんね!
「気持ちは嬉しいけど、その気持ちを受け取れない事情があってさ」
リサさんは目を逸らしながらそう言った。
なにそれ気になるんだけど。まさか彼氏持ちか?! くそ!! 羨ましいぞ畜生!!
山田翔太ブレブレである。
いや、普通に最低だな山田翔太って奴誰だよ。俺だよ。
「それで、モカには告白するの?」
ここぞという時に女子力を発揮して、リサさんは俺にそう詰め寄ってきた。
「いや、まだ無理ですね……」
ただ、俺は目を逸らしてそう返す。
確かに俺の中にあった気持ちの整理は出来たかもしれない。
進むべき道は見付けられた。だけど、俺はまだ前に進めてはいない。
「探したいんです」
「探したい……?」
「俺も、モカや皆みたいに今だから全力でやりたい事を」
それを見付けたら、俺はモカに告白する。
何かが変わる訳ではないだろうし、振られるかもしれない。それでも、これが俺の決めたケジメだった。
──やりたい事は、見付かった?──
あの質問の返事をする為に。
「ちゃーす〜、モカちゃんは遅れてやってくる〜」
「よ、モカ。遅刻の罰として俺の涙で濡れた床を拭け」
「開幕しょーくんのテンションが意味分かんなーいよー。リサさん助けて〜」
「あっはは、たまには良いんじゃない?」
リサさんは何故か安心したような表情で、俺とモカを指差して笑う。
「モカショーはモカちゃんがボケだから、しょーくんはボケたらだめなんだよ?」
「そもそもコンビ組んでないからね。俺だってたまにはボケたい年頃なんだからね?!」
こんな今が欲しかったんだ。
こんな今だから、全力で何かをしたいんだ。
そして俺は───
「はーい、ストップストップ。とりあえずモカは着替えてきてね。そろそろお客さん沢山来る時間だぞー」
「はーい」
「しょうがない、自分で床を拭くか。モップモップ」
「あれ、ここ濡れてる。しょーくんお漏らし?」
「涙だって言っただろ!! とっとと着替えてこい!!」
───彼女に告白する。
「多分、もう見付かってるんだと思うけどなー」
「え、リサさん何か言いました?」
「なーんにもー。さて、今日も頑張って働こーう!」
「お〜」
「着替えるの早っ!」
そうして俺は、少しだけ前に進んだ。
次回『普通のいつも通り』