友人にこう言われた事がある。
「お前……仕事が趣味なのか?」
もし本当にその通りなら相当まずいというか、手遅れというか。
そのくらい働いているのだ。平日は全部出勤だし、土日も片方は必ず出勤である。
高校生バイト戦士に休む暇などないのだ。かといって、特にお金が欲しい訳でもなく貯金は溜まっていく一方である。
そんな俺だが、珍しく今日は平日が休みだった。金曜日である。
と、いうのも本来休みだった筈の前の日曜日にバイト先の先輩───リサさんの代わりに出勤したからだ。
その日はリサさんが急用が出来てしまったらしく、平日の休みと交代して俺が出勤した形になる。
そんな訳で久し振りの平日休み。花の金曜日に学校が終わった俺は───
「……やる事ねぇ」
───独りで黄昏ていた。
そもそも平日が休みでも学校から帰って家でゴロゴロするしかやる事がないんだよね。
なんか趣味を探せと自分に言い聞かせてはいるんだが、これがなかなか前に進めない。
それでも止まっている訳にはいかないし、やりたい事探しのために俺は当てもなく商店街を歩く。
ふと目に入ったのは不審者二人組だった。
「……な、なぁ、モカ。これで本当に彼氏とかだったらアタシはどうしたら良いんだ?」
「……落ち着いて、トモちん。いつかは通る道なんだから、堂々とぶん殴っちゃえば良いと思うよ〜」
「そうだな! ───って、いや、殴るのはダメだろ。……うん」
電信柱の陰で帽子を深めに被っている女の子が二人。
長身に赤い長髪が特徴的な巴と、俺の意中の相手であるモカである。意中の相手とか自分で言うの恥ずかしいな。
「何してんだバカ二人」
「うわぁ?!」
俺が後ろから話しかけると、珍しく驚いた表情を見せる巴。
どうやらかなり集中していたらしく、話しかけられるまで俺の存在に気が付かなかったらしい。
「しょーくん、今日はバイトじゃなかったの〜? もしかしてサボり〜?」
至って冷戦なモカは事情を知っているにも関わらずそんな言葉を零していた。とりあえず頭にチョップを入れておく。
「酷いよ〜もー」
「俺はそんな年がら年中働いてる訳じゃ───いや、働いてるけど」
普通にただの社畜なので、平日のこんな時間に外にいる事を珍しいと言われても何も言えない。
「で、何してんだ?」
話を戻すと、一人テンパっていた巴は思い出したように電信柱の奥に視線を向けた。
そして「しまった、見失った」と焦った声を漏らす。
誰かを追っていたのか?
「尾行とは悪趣味だな」
「違うんだ翔太、聞いてくれ」
いつになく真剣な表情の巴。その瞳は真っ直ぐで、どうも悪気というものを感じなかった。
しょうがない、話だけでも聞いてやろう。
「───と、いう訳なんだ」
「いや、帰れ。今すぐ家に帰れ」
で、事情を聞いてみたのだが───最低だった。完全に悪気だった。
どうも今週に入ってから、Roseliaのドラム担当───巴の妹の宇田川あこの様子が少し変らしい。
家に帰ってくるなり姉である巴に何も言わずに出掛けてしまうのだとか。
いや、さ。俺は一人っ子だから何も言えないけどね。そんな出かける度に家族に何処何処に行くって伝える物じゃないでしょ?!
「き、聞いてくれ翔太。あこはまだ中学生だ。悪い大人の区別だって付かないかもしれない……」
「いや一歳しか違わないからね。中三なんてもう殆ど高校生みたいなもんだからね」
「トモちんってあこちんの事になるとダメになるよね〜」
「アタシは真剣に心配してるんだって!」
モカの言う通り、妹の事になると本当にダメになってしまうらしい。
まぁ、大切な友達の手前だし。なによりモカの前なんだから、格好を付けるとしようか。
「……しょうがない。あこちゃんが何をしてるか、探るのを手伝ってやるよ」
「本当か翔太!」
「とりあえず巴は声がデカい。ボリュームを下げろ」
「う……」
尾行するなら尾行するなりの心得ってものがあるのよ。とりあえずあんパン持ってこい。
「でも、しょーくん。あこちんの事見失っちゃってるけど、どーするの〜?」
「ここは商店街。見ての通り人がわんさかいる。お前達不審者が目立たないくらいには人通りが盛んだ」
俺のそんな言葉に首を横に傾ける二人。
世の中自分で何とかしようなんて思うのは間違いである。
「……そんなもん、適当な人に聞けば何処で見たとか情報はいくらでも手に入るんだよ。あこちゃんは目立つ方だしな」
巴と違って背は低いが、中学生らしい服装と紫のツインテールで視界には残りやすい。
試しにそこら辺の奥さんに話しかけてみると、彼女がどっちに向かったのか呆気なく教えて貰う事が出来た。
「翔太って結構人に話しかけるの遠慮ないよな」
「仕事で他人と話すのは慣れてるからな……」
こんな所で社畜が役に立つとは。
そういえば自分はコミュ症だと思っていたが、もうそれは治っているのかもしれない。
そんな訳で奥さんに聞いた通りの道を歩くと、とても目立つ格好の小さな女の子が視界に映る。
黒を基調とした、まるで衣装のような中学生感丸出しの服。
本当に姉妹なのか疑わしい小柄な少女は、紫色のツインテールを揺らしながら鼻歌交じりに商店街を歩いていた。
「見付けたぞ……。ところでさ、巴。あこちゃんはいつもどんな感じで家を出るんだ?」
「帰ってきた瞬間、着替えて直ぐに……かな。とにかく急いでる感じだった」
まるで友達の家に行く小学生だな。
いや、むしろよく考えなくても普通に遊びに行ってるだけじゃね? どう考えても巴が過保護過ぎるだけじゃね?
「あ、見て見てトモちーん。あこちんが誰かと話してるよー」
モカが言う通り、あこちゃんは商店街の端っこで一人の男と話をし始める。
茶髪に長身の、後ろから見るだけで分かる今時の高校生みたいな格好。多分顔もイケメンだ。
何処かで見た事のある気がするそんな男と、あこちゃんは楽しそうな笑顔で話をしている。
バレないように物陰に隠れるが、巴は顔を真っ赤にして今にも飛び出していきそうだった。
「トモちん、ステイステーイ」
「まさか……本当に彼氏?」
横でプルプルと震える巴を無視して、俺は件の男に視線を集中させる。
チラッと見える横顔は屈託のないどうも憎めない笑顔で、爽やかさを感じた。
俺はそんな男の事を知っている。
「圭介?」
あこちゃんと話している男は俺の友人。橘圭介に間違いなかった。
ただ、どうしてもその二人の接点が見えない。一体どういう事なのか。
そこで俺は、数少ない友人との数少ない会話を思い出す。
──俺は彼女居るし──
「ま、ま、ま、まさか……圭介の彼女って」
「なんだ?! 翔太はあの男と知り合いなのか?」
「知り合いも何も、数少ない友人の一人だ」
あいつ、確か彼女がいるって言ってたよな。その彼女こそあこちゃんだという事なのか?!
歳下の彼女って事だったのか?!
「あいつ付き合ってる女の子がいるみたいな事を言ってたんだよ。それがまさかあこちゃんなのか……?」
あこちゃんに「先輩!」とか言われて嬉しがってやがるのか?!
「あいつ殺す!!」
「流石翔太、アタシも同じ気持ちだ!!」
「ねーねー、あたしがツッコミやるお話なのー?」
俺と巴は圭介を殺す勢いで睨み付けた。一歳差だけど中学生に手を出すなんて最低だろう!!
「リア充羨ましいから処す」
「それをしょーくんが言うのかと戦慄する、モカちゃんなのであった……」
モカが何か言っているが気にしない。俺と巴は二人の動向を監視する為に目を光らせた。
どうやら話は進んだようで、二人は並んで商店街の外まで歩いて行く。
おい幼気な中学生をどこに連れて行く気だ?!
「あそこは……カラオケ?」
そんな二人を追い掛けると、圭介の先導であこちゃんはカラオケに入っていく。
高校生が中学生をカラオケの個室に連れ去っているんだが。もう冗談でもなんでもなく危ない気がするんだが。
「あの野郎……アタシの妹にカラオケで何をする気だ?!」
「絶対に良からぬ事を考えているに違いない。追いかけよう」
「いや、普通にカラオケで歌ってるだけかもしれないよ〜? って、あー……行っちゃった」
俺と巴は、二人が入って行ったカラオケ屋に突撃した。色々と手遅れになるまえにあの野郎をお巡りさんに突き出しないと。
カラオケ屋に入るが、既に案内されてしまったのか待合室に二人の姿は見当たらない。
流石に何の用もなくお店の中をうろうろするのも問題があるので、俺達は三人でカラオケの部屋を一部屋取る。
このカラオケは扉が密閉タイプで、外から中の様子を見るには不便だ。
小さな小窓はあるが、そこから全部屋を覗くとか変質者を極めたような事はしたくない。
さて、どうするか。
「なんとかして早くあこの居場所を突き止めないと……」
「今こうしてるうちにもあこちゃんに魔の手がさしかかっていると思うと……」
「二人共悲観しすぎじゃなーい? 普通にカラオケを楽しんでるだけかもしれないよ〜?」
ドリンクバーからジュースを持ってきてリモコンで曲を選びながらそういうモカ。彼女は彼女で楽しむ気まんまんである。
「もしもの事があったら遅いんだぞ!」
「心配性だなー、もー」
呆れ顔でそういうモカだが、そういう事言ってる女の子に限って悪い奴に騙されるのだ。
特にモカは警戒心薄いし、俺の誘いにも簡単に乗ってくる。むしろもう少し警戒して欲しいくらいだ。
「それに、お相手さんはしょーくんのお友達なんでしょ〜? 悪い人じゃないって事は、しょーくんが一番分かってるんじゃないのー?」
「そ、それはそうなんだけども……」
ぶっちゃけ橘圭介は聖人かって思う程に良い奴である。
中学生の彼女がいても絶対アイツは手を出さない。そんな悪い事をする奴じゃないってのは、モカの言う通り俺が一番分かっていた。
「考え過ぎなのかも……な」
「ちょっと待て、隣の部屋から少し聞こえる声……あこじゃないか?」
俺が話を切り替えて、あこちゃんの事は明日学校で聞くとして今はカラオケを楽しもうと思ったその時である。
物凄い勢いで壁に耳を当てながら、巴が血走った目でそう言った。
え、お隣さんだったの。
切り替えようと思ったが、やっぱり気になるものは気になる。
俺も巴と一緒に耳を壁に当てて、小さな声も逃さないように音に集中した。
「大丈夫。恥ずかしがらなくて良いよ。皆始めはそんなもんだって」
聞こえてくるのは圭介の声。なんの話をしてるんだろう。
「でもあこ、見られるのちょっと恥ずかしいよ」
おいちょっと待てなんの話だ?! 何を見せようとしてるんだ?!
「大丈夫、綺麗だよ。ほら、恥ずかしがらずにもっと広げて」
「う、うん。分かった」
待てぇぇぇ!!! なんかもうダメじゃない?! 色々ダメじゃない?!
完全にアウトだよ!!
「あ、あこが……あこが……」
「しっかりしろ巴!! 巴ぇぇ!!」
ダメだ、巴が真っ白になってる。早くあこちゃんをあの屑野郎の魔の手から救わないといけないのに!!
「よーしその調子だ。あー、そうそう。燐子さんもその調子」
さらに聞こえてくるそんな声。
おい待てRoseliaのキーボード、白金燐子さんもそこに居るのか?!
歳下の中学生から歳上の先輩まで手玉に取ってるって事なのかよ!! しかも二人同時に同じ場所でこんな……羨───やましい事を。最低だ。見損なった!!
「二人共緊張し過ぎなんだよなぁ。大丈夫、ここはカラオケ屋さんだからどんなに大きな声を出しても周りに聞かれたりはしないって。……思う存分、声を出して良いんだよ」
聞こえてんだよ!! テメェの悪行真横の部屋に聞こえてんだよ!!!
「さて、本番いってみようか。それじゃ、入れるよ」
「う、うん」
「は、はい。がんばり、ます」
それは流石にダメぇぇえええ!!!
「圭介ぇぇえええ!!!」
俺はトリップ状態の巴の手を取って隣の部屋に突撃する。
正直どんな惨状になってるのか気にな───不安だった。
だけど、そんな事を気にしている場合じゃない。今まさに二人の女の子があの屑野郎の魔の手に掛かろうとしている。そんな事だけは許す訳にはいかない。
───だが、扉を開いて視界に映ったのは全く想像だにしていない光景だった。
「あれ、お姉……ちゃん?」
「え、えと……お部屋、ちが、いますよ……?」
マイクを持った二人の女の子。
一人は巴の妹、宇田川あこ。
もう一人は長い黒髪が綺麗なスタイルの良い女の子、白金燐子さん。
二人は特に不自然な点もなく、ただマイクを持って並んでいる。
「……翔太? 社畜のお前がなんでこんなところに」
そしてその奥で座り込んでデンモクを触っている男こそ、俺の友人である橘圭介だった。
「あれー……何これ」
聞いていた会話の内容から想像していた現場とは全く違う景色に俺の頭は真っ白になる。
一体全体どういう事なの?
「いやー、大勘違いですな〜」
そんな俺達の後ろから、いつ頼んだのかポテトを貪るモカの声。
勘違い。勘違いしていたのか……俺は?
◆ ◆ ◆
事の真相はこうだ。
Roseliaのドラム、キーボード担当の二人だが曲によっては二人が声を出す機会もあるらしい。
しかし発声慣れしていないというか、燐子さんに至っては緊張で声が出ないという事で急遽二人の発声練習の場を設けたのだとか。
曰く先週の日曜日から、今日にかけて毎日カラオケに通っていたという。
あこちゃんが巴に何も言わなかったのは、ライブ会場でもちゃんと響き渡るようになった声を姉に聞かせて驚かせたかったという理由だそうだ。
要するに、俺が勘違いした内容は発声練習の会話だったという事ですな。
いや、気付く訳ないだろ。
そんな事よりも───
「なんで圭介が?」
───その発声練習のコーチが圭介というのが理解できない。
確かに彼はバンドマン───というか、なんでも出来ちゃう天才君だが。
Roseliaの面々と圭介に接点なんてあったか?
「あー、リサに頼まれたんだよ。日曜日にさ」
軽々と、さも当たり前かのように圭介はそう言う。
うん、なるほどなるほど。
へー、リサさんにね───
「───は? 今お前なんて?」
「頼まれたんだよ、日曜日に」
「ちげぇ、その前だ」
「ん? あー、リサに頼まれたんだよ」
なんでお前リサさんの事呼び捨てなの? ん? ちょっと待って。なんでそんな爽やかな笑顔なの?
「大切な
むふぅ……ふふふ。なるほどねー。あー、そういう事ねー。
「テメェかぁぁぁああああ!!!」
居るかもしれないと思っていたリサさんの彼氏。それが、俺の友人だったなんて。
ナニコレ。えー、ナニコレ。どんな反応したらいいのよ。
とりあえず殺すか?!
「ふへー……リサ先輩に彼氏さんがいたなんて。驚き〜」
「死ねリア充」
「お前が言うのか……」
なんの話だ。
「いや、でも、そうとは知らずに着けてきちゃってさ。……あこには悪い事したかな」
俺が殺意の炎で燃えている間に、反省の表情を見せる巴。
確かにモカの言うとおりいらぬ心配だったし、余計な事をしてしまったのだろう。
「ううん、そんな事ないよ! あこ、お姉ちゃんがそんなに心配してくれてたなんて知らなかった。……心配掛けてごめんなさい」
「わ、私も……ちゃんと連絡を入れておけば良かった、のに」
しかし、あこちゃんに続いて燐子さんまで巴に謝るという事態に。
なんというかアレだ、色々な事情が重なって気不味い事になってしまった。
そんな訳でこの場はリセットして、俺達はその後普通にカラオケを楽しむ事にする。
壁越して伝わってくる歌声に「うんうん」と頷く巴を除けば、俺達はいつも通りその日を楽しんだ。
「ところでしょーくん、さっきは何を焦って飛び出したのー?」
「は? そりゃお前あこちゃん達が───」
質問に答えようとして、俺はふとモカで
「───グッ」
「え、しょーくん? えぇ〜、どしたの〜?」
俺は鼻血を出しながら卒倒した。
男の子ってのはね、エロいんだよ。
次回『温めますか?』