ここで一つ雪だるまの気分になってみよう。
全身冷たいまま、大抵の場合は全裸でこの寒空の下に放置されるのだ。
木の枝で出来た腕には申し訳程度の手袋が装着してあったりするが、ちげーよそうじゃねーよ。こっちは今全裸なんだよ。フルチンなんだよ!!
と、まぁ、関係ない事は放っておいて。
今俺は何故か、雪に埋まっている。
「死ぬ」
「大丈夫〜……じゃ、なさそう」
モカにスキー板での歩き方を教わり、意気揚々とスキーを楽しもうとした俺はギャグ漫画みたいに転がって雪まみれになっていた。
このまま雪だるまになってしまうのではないかと思ったが、そうそう漫画みたいな事は起こらないらしい。アレはフィクションである。
それでも全身で雪に突っ込んだ俺はほぼ頭から埋まる形で雪に埋もれてしまい、割と真面目に死ぬんじゃないかと思った。
「オーケーオーケー。無問題だ。強いて言うなら寒い」
「それじゃー、モカちゃんが温めてあげよ〜」
「ん?」
笑顔でそういうモカは、俺の背後に回って、なんと後ろから抱きついてくる。
正直厚着して居るので全く温もりを感じないのだが、俺はその事実に全身を真っ赤にする程興奮して身も心も温まった。
俺、今人生で一番幸せなんじゃない?
「温まった〜?」
振り向くと、若干上目遣いの彼女がそう聞いてくる。温まったとかいうレベルじゃなくて、全身熱いんですけども。
今の俺なら周りの雪とか溶かせると思うよ!!
「お、おう。ありがとな」
「どういたしまして〜。滑り方、ちゃんと教えてなかったし。次はそこから練習しよっかー」
そう言いながらモカは立ち上がって、俺の横で姿勢を維持して止まった。
「こうやって腰を落として、重心は前。止まるときは〜、こう足をハの字にすると良いんだよねー」
「ほうほう……」
モカの言葉を素直に聞いて姿勢を落とすと、俺の体は少しずつ前に進んで行く。
急に加速したのが怖くて、モカに言われた通りにすると───俺はまた転けた。
「しょーくん……っ」
「うわぁ……痛い」
顔面から雪に突っ込み、珍しくモカも焦った声で助けに来てくれる。
「大丈夫?」
心配そうな彼女の表情を見るとなんだか申し訳ない気持ちになった。俺は楽しみに来たんだよ。お前に楽しんでもらう為に来たんだよ。
だから、ここは気の利いたジョークでも言って空気を紛らわせよう。
「いやぁ、たしかに俺はツッコミ属性だけどな。雪に頭から突っ込む趣味はないんだが、困ったなぁ! あはは!」
「しょーくん」
モカに肩を叩かれた。なんだ? 面白かったか?
「寒いよ〜?」
「厳しい!!」
気温の事であってくれ。そう願ったが、その後俺の渾身のギャグは全否定される。
これは正しく滑ったな! なんて言うと、モカは白眼になって固まってしまった。もうなんかごめんなさい。
「どうだ翔太? 滑れたかー?」
「うん。めっちゃ滑ってたよ〜」
「お、マジか」
「やめてーーー! 滑ったってそういう意味じゃないからやめてーーー!」
何度も転びながらやっとの思いで下に辿り着いて、リフトの前で俺達を待っていてくれた皆と合流する。
笑いながら俺の華麗な滑りを皆に暴露するモカは、それはもう笑顔だった。本当にやめてください! もう許してください!!
「山田ってツッコミのセンスはあるけどギャグは最低だよね」
美竹さんなんでいつもそんなに直球なの?! 傷付くよ?!
「大丈夫だよ山田君! 人には得意不得意があるから!」
ギャグの方に関してはフォローしてくれないのね!! つぐみちゃんでもフォローできないレベルなのね!!
「それじゃ、翔太はまだスキーには慣れてないのかー。どうする? アタシ達だけ楽しむのもなんだよな」
「い、いや。俺は頑張って練習してみるよ。皆は俺の事は気にしないでくれ」
俺はそう言ってリフトの方に歩き出す。初めは歩く事も出来なかったのに、今は前に進めるのだ。
全力で取り組みさえすれば前に進む事は出来る。
だから俺は───
「しょーくん」
「……モカ?」
「頑張ろ〜」
「おう」
───今だから全力で。
◆ ◆ ◆
それから数時間が経った。
何回も転んだし、いつまで経っても上達する気配もなく。
登って転がり落ちて、登っては転がり落ちて。
流石に見兼ねた巴達がちまちまと教えてくれたりしたけれど、それでも一向に上達しない俺にモカはずっと着いて来てくれた。
「なぁ、モカは普通に滑らなくていいのか? 普通に楽しまなくて良いのか?」
「あたしはねー、楽しんでるよ?」
俺の問いにモカはそう答える。
「そうなのか?」
「それより、しょーくんは楽しんでるのー?」
首を横に傾けながら、彼女は逆に問いかけて来た。
俺は楽しんでいるのだろうか。
ただ雪の上を滑るというだけの事。しかも、俺はそんな事も出来ずに転びながら下に降りているだけである。
こんな事を続ける事に何の意味があるのか。
そんな深い事は今はどうでも良かった。
「楽しいよ。俺さ、モカに会うまで本当にやりたい事なんて全くなかった」
「しょーくん……?」
別にスキーがやりたくなった訳じゃない。今更始めてどうこうなる趣味でもないしな。
「ずっと眩しかったんだよな。今を全力で生きてるAfterglowの皆が───モカの姿が」
それが嫌だった事もある。
彼女達を見ているだけでも自分の事が嫌になって、不貞腐れて誰かに当たる事もあった。
「そんなモカ達に……憧れたのかな」
惚れたとは言えずに。
ただ、少し驚いたような表情の彼女の目を真っ直ぐに見る。
「ずっと立ち止まってるだけだったからさ。どこかに進もうとか、全く考えてなくて。毎日ただ日が昇って落ちて夕焼けが見えての繰り返しで、その夕焼けに向かって歩いて行こうなんて考えてもみなかった。……だけど、モカを見てて歩いて行こうと思えたんだ」
着いて行こうと。後ろでも良いから歩いていけるようになりたいと。
「だからさ。別になんでも良いんだ。今目の前にある事を全力でやってみたい。無茶苦茶言うが、後のことなんて知らん。今が楽しければそれで良い!」
身も蓋もない事を言っているかもしれないが、これが俺の本心だった。
モカと今を全力で楽しめればそれで良い。
そう言えなかったのだけは自分でもダメだと思うけど。
「そんなしょーくんだから、一緒にいて楽しいな〜って。……モカちゃんはそう思うのです」
「モカ……?」
目を逸らしながら、彼女はふとそんな事を呟く。
視線の先には山の陰に落ちていく太陽があって、徐々に空の色を赤く染め上げていた。
「タイムアップですな〜」
雪山の上で綺麗な夕焼けを見ながら告白なんて雰囲気は最高だけど、結局まともに滑れなかった今の俺が告白してもねぇ。
「後一回くらいは滑って下に行く時間もあるかもだけど〜?」
「俺だと滑ったというか転がってになるからかなり時間が掛かるぞ……」
結局ここまでちゃんと滑れた事はないし、夕焼けが見え始めたら暗くなるのも一瞬である。
そんな中で滑って最悪遭難とか、嫌じゃん?
「しょーくんはどーしたいのー?」
「俺は……」
しかし、素直な質問に俺は少しだけ考えた。
モカがスマホを取り出して時間を見せてくる。残り電池がほぼない状態の画面に映し出されているのは午後十八時という時間。
バスは遅めの九時に取ってあるから、俺がどれだけ遅く降りようが時間的には全く問題はなかった。
「あ、電池切れた……」
「本当だ〜」
俺がモカのスマホの画面を見ていると、突然その画面が真っ暗になる。
充電してなかったようだし、しょうがないか。
「失くさないようにしまっとこ〜。……さて、しょーくんはどーしたい〜?」
俺は───
「───最後まで全力でやりたいかな。付き合ってくれるか?」
「勿論。えへへー」
ニッと笑って、モカはもうお客さんが全くいない初心者コースに向かって行く。
俺は自分のスマホのSNSでひまりちゃんに最後に滑ってくるとだけ連絡してから彼女に続いた。
今は後ろをついて行くだけでも良い。いつでも良いから、その隣に並ぶ為に今は前に進む。
もし一度も転ばずに下まで行けたら告白しよう───なんて考えながら進んだ矢先、俺は盛大に転んだ。
ダメだこりゃ。
今のはノーカンとか思いながら滑るけども、結局途中で転んで泣きそうになる。本当にだらしないな山田。
いつになったら告白できるやら。
「でもしょーくん、初めと比べると結構上手くなったよねー」
「そうか? まぁ、進めるようにはなったけどな。てかなんで転んでんのか分からん。ほぼ何もない緩い傾斜なのになんでなの」
もう何往復もしたから分かるのだが。
流石初心者コース。凹凸なんて全くないし、斜面も緩やかだ。
もう少し上級者向けのコースだと障害物や雪の塊で出来た段差とか、ジャンプ台があるのだが。そういう滑るだけの為なら邪魔な物は一切ない。
それなのに転ぶのだから、山田翔太の才能のなさはむしろ凄いと思うね。
泣けてくるわ。
「……泣いてるの?」
「……あ、いや。あはは。情けないなって」
「そんな事ないよ」
優しくそう言って、彼女は俺の手を取ってくれる。
「頑張ってるしょーくんはね、凄い格好良い。何か決めたら一直線なのって、凄い格好良いと思んだよね〜」
白い息を吐きながら、彼女はそう言った。
「格好着かなくても、それでも真っ直ぐなしょーくんだから格好良いんだよ。あたしは、そんなしょーくんだから───」
地面が揺れる。
突然の事で俺もモカも驚いて、さっきまでの会話の内容も忘れて辺りを見渡した。
「な、なんだ?」
「地震かな〜?」
首を横に傾けて揺れが収まるのを待つモカ。
ただ、普通の地震にしては揺れが長い気がする。
不安になって、滑ってきた山の上に視線を向けた俺の目に入って来たのは───
「は?」
迫ってくる雪の塊。
「しょーくん……っ!」
───雪崩れ。
「は、走れ!」
必死に走った。
初心者コースには滑る物を遮るものは何もない。だから、迫ってくる雪の塊はただひたすら真っ直ぐに猛スピードで向かってくる。
俺達はコースの外───木々で出来た自然の道幅に向かって必死に走った。
だけど、肝心な所で俺はまた転ぶ。
目の前に雪崩が迫っているのが見えて本気で命の危機を感じた。
「───やばっ」
流石にそれは死ぬだろ。冗談じゃないぞ。てかなんだよこの状況で雪崩って。
文句を言っても雪崩は止まってくれない。這い蹲ってでも前に進もうとするが、俺の手をモカが引っ張り上げてくれる。
「早く……っ」
彼女に背中を押されて、もう飛び込む勢いで俺はコースの端の木々の影に転がった。
気が付いたら足に固定されていたスキー板はなくて、ただ雪の塊が流れていく轟音が耳に残る。
「……。……助かった?」
地鳴りと音が消えて、俺はちゃんと自分の身体が動く事を確認してから真っ白な溜息を吐きながら立ち上がった。
「いや、マジで。死ぬかと思ったよな……」
雪崩に合うなんて滅多な体験だけど、正直勘弁して欲しい。こっちは死ぬかと思ったんだからな。
時間的にも俺達の他に滑ってた人は居なかったけど、誰かが巻き込まれてないか心配でもある。
「とりあえず降りようぜ。皆が無事かも心配だし」
それもあるし、太陽も落ちて暗くなり一時の不安は少しずつ大きくなっていた。早く皆と合流してさっきのを笑い話にしたい。
「いや、本当。現実は小説より奇なりってよく言う───」
そんな気持ちで振り向いて、俺は言葉を失う。
「───よ、な……モカ?」
そこには誰も居なかった。
次回『探して───』