寒い。
暗い。
ここはどこだっけ。
あたしは何をしてたんだっけ。
「……しょーくん、雪崩……大丈夫……だった、かなぁ」
そうだった。
「携帯……」
しかしこれは、流石のモカちゃんも───
「……電池」
───ピンチかも。
「ひーちゃん……」
怖い。
「トモちん……」
怖い。
「つぐ……」
怖い。
「蘭……」
怖い。
「……しょーくん」
───助けて。
◆ ◆ ◆
休憩所の、時計の針の音だけが聞こえる。
もし、もしもだ。
まだモカが生きていたりするなら、今すぐにでも助けに行かないといけない。
それなのに俺は何をしてるんだろう。
蘭にあんな事を言われるのも、当然だった。
「……山田、ごめん」
俺の前まで来て、彼女は泣き崩れながらそう言う。
何も答える事が出来ずに、俺はただ扉の外を見詰めていた。
もしかしたらモカが帰ってくるかもしれない。そんな淡い希望を持ちながら。
「山田の手真っ赤だもんね……ちゃんと探してくれてた事くらい、分かるよ。……でも、あたし……モカが居なくなるなんて、嫌で……」
何も言えない。
必死に探したのは間違っていないだろう。
俺だってそんなのは嫌なんだ。誰だって大切な人が居なくなるなんて想像もしたくないだろう。
でも俺は、モカは直ぐに見つかって笑い話にでもなるんだと───どこかでそんな事を思っていたんだ。
その結果がこれだ。
「やっぱアタシは探しに行く……。こんな所でじっとしててもなんにもならないだろ」
「あたしも行く。つぐみはひまりと山田をお願い」
「と、巴ちゃん……蘭ちゃん……」
涙を拭って巴に着いて行く蘭に手を伸ばすつぐみちゃん。
二人を行かせるのは危険な事だと分かっているけれど、モカを探しに行きたい気持ちはつぐみちゃんも同じなのだろう。
「ダメですダメです。今は危険なので!」
ただ、出入り口に向かう二人を従業員と思われる人が止めた。
雪崩が一度起きると連続で起きやすくなったりするらしい。
雪崩の原因も分かってない今、二次災害を防ぐ為にも従業員の人の判断は正しいのだろう。
「一人雪の中に埋まってるかもしれないんだよ?!」
「モカを見殺しにするつもりか?!」
「い、いえそういう訳ではなく……。その、もう一時間も経ってますし……」
ごもっともな意見だった。
再び現実を叩きつけられた二人は、後ずさってからその場に座り込む。
「なんでだよ……」
巴の悲痛の声を聞いて従業員の人は苦虫を噛んだような表情をするが、それでも彼の意思は変わらなかった。
社会人として一人の大人として当たり前の事をしているのだろう。だから、従業員の人を責める事は出来ない。
誰も悪くない。
悪いとしたら、あの時モタモタしてモカに助けられた俺だ。
モカを探す事が出来なかった俺だ。
「どうして……」
俺のせいでモカは───
「モカ……モカぁ……。う、ぅ…………あ、あれ? ぇ、えぇ?!」
静まり返ったその場所で一人呻き声を上げていたひまりちゃんは、突然何度も瞬きをしながらスマホの画面を見て驚いたような声を上げる。
こんな時にどうしたんだ。
視線を移すと、彼女は震える手で俺にスマホの画面を見せてくる。
画面に移されていたのは今日の為に作られたSNSのグループトーク画面。
皆で使っていたその場所に新着の書き込みがあった。
『ひーたやまわ』
短文。
意味の分からない文字の羅列。
ただそれだけなら、本当に意味も分からないだけだっただろう。
問題はそのメッセージの送り主だった。
「……モカ」
メッセージの横にはメロンパンのアイコンが表示されている。
見間違える訳もなく、それはモカが設定していた自分のアイコンだった。
「ねぇ、何これ……どういうこと、ねぇ!」
感情がぐちゃぐちゃになったような表情でひまりちゃんは皆にスマホの画面を見せて周る。
俺達は全員で自分のスマホのグループトーク画面を開いた。
どうしてだろう。
まずモカの携帯の電池は切れていた筈だ。
それに送ってきた文面の意味も分からない。
何かの怪奇現象か、そうでなければモカのスマホの画面に何かが干渉して勝手に動いたかである。
そのどちらにせよモカはスマホを触れる状態じゃないという事を意味していた。
だから、そのメッセージはある意味で彼女の死を確定付けるものだと思ってしまう。
「どうして……」
「電池……。ほら、携帯の電池ってなくなっても……その後時間が経ってからもう一回付けると点いたりしない?!」
蘭の声にそう答えるひまりちゃん。
確かにゲームの電池とかでも、そういう事は稀にある話だ。
だからといって、モカが『ひーたやまわ』なんて意味の分からない文字を打つ理由はない。
「……ひーちゃん」
そんな事を考えていると、今度はつぐみちゃんがそんな事を呟く。
ひーちゃん。
それはモカがひまりちゃんを呼ぶ時に使っていたあだ名だった。
「これ、ひーちゃんって書こうとしてたんじゃないかな?!」
目を見開いて、つぐみちゃんは焦ったような表情で声を上げる。
彼女の言葉で思い出したのは、このグループトークのもう少し上でモカが入力していたメッセージだった。
──『ひーちやまん、起きてー』──
変な誤字。少し気を使わないと変な文字の羅列にも見えてしまう。
急いだり眠かったりしている時にメッセージの文が変な事になる事は良くある事だ。
『ひーたやまわ』
これがもしそうなら。
寒くて上手く動かない手でモカが入力したメッセージだとしたら。
そんな疑念は、次の瞬間送られてきたメッセージで確信に変わる。
『なかなあで』
泣かないで。
そう書いてあるんだと、直ぐに分かった。
モカは本当に皆の事が好きだから。
自分が居なくなって、一番泣いてしまうのが誰か分かっていたんだと思う。
『ともちん』
短文。
『らんとけゆかしちゃたまでよ』
ゆっくりと、少しずつだけどトーク画面にはメッセージが表示されていった。
『つぐー』
皆スマホの画面に釘付けになって、本当に静かな時間が過ぎて行く。
『あわまらがんばらすぎなちてまね』
でも次第に、そのメッセージの意味が分かってくると急にスマホを持つ手が震えてきた。
『らんー』
その先を知るのが怖くて俺は眼を瞑る。
メッセージが送られてきた事を知らせるバイブレーションから少しして、近くにいた蘭が泣き崩れるのが分かった。
「なにそれ……意味分かんない。なんで……こんな……っ」
恐る恐る眼を開ける。
『ごめんね』
それはモカからの、彼女達への最期のメッセージだった。
少なくとも、きっと彼女は今自分がどうなっているかは知っている。
皆を心配する言葉。そして最後に蘭に謝ったという事は。
自分がどうなってしまうか、自分で分かっているという事だ。自分が死んでしまうと、分かっているのだろう。
でも、それは───
「嫌だぁ……っ。モカが居なくなるなんて……嫌だ」
「蘭……」
「わ、私電話する! モカに今どこに居るか聞く!! えーと、音声通───」
「ダメ!」
涙を拭きながら、決意めいた声でスマホの画面を叩くひまりちゃんを止めたのは───なんとつぐみちゃんだった。
「な、なんでとめるの?!」
「モカちゃんの携帯の電池ってもう殆どないはずだから……もし電話なんてしたら、本当に電池が切れちゃう!」
「で、でも……っ!」
確かに電池が切れて仕舞えばもう一切の連絡は出来なくなる。でも、結局連絡を取らないままなら現状は進まなかった。
俺達に出来る事はただ、五人それぞれでトーク画面を見て既読を付けてモカを安心させてやる事だけだろう。
───今は。
『しょーくん』
短文。
正直俺は、この時点でこの後どうするか考えていた。モカが何と言おうが、俺のやるべき事は決まっている。
皆は絶望的な状況である事実に気が付いていない。
だから、俺は何と言われようが───
「なぁ、皆……。モカはまだ生きてる」
───俺は何と言われようが、もう一度モカを探しに行くつもりだ。
「確かに……」
俺の言葉を聞いて、蘭は顔を上げて眼を見開く。
メッセージが送られてくるという事は、まだモカは生きているという事だ。
いくら遺言みたいな事を言われようが彼女がまだ───少なくとも今メッセージを送ってきた瞬間までは生きているという事だから。
「……だから、俺にもう一度だけモカを探してくるチャンスをくれ」
頭を下げる。
モカが生きていると分かっても、結局場所は分からない。メッセージの続きは送られて来なくて、もう電池が切れているか───もしかしたらなんて可能性は十分にあった。
───それでも。
「俺が今やらないといけない事がやっと分かったんだ。……頼む」
精一杯頭を下げる。
結局俺はモカを探せなかった。諦めて、何もかもに絶望していた。
だけどもう一度だけで良い。俺にチャンスをくれ。
「そんなの、当たり前じゃん。あたし達も探しに───」
「それは無理だと思う」
蘭の言葉を遮る。
「多分従業員の人や、さっき俺を連れて来てくれた人達にまだモカが生きてるって言っても探しには行かせてくれない」
どうして、と言いたげな表情の蘭の目を見て俺はそう言った。
さっきの従業員の反応を見るに、雪崩の原因とか諸々を調べるまで上に登るのは禁止になっているだろう。
また雪崩が起きて二次災害が起きたら企業としては冗談じゃ済まされないからだ。ここら辺は大人の対応というか、事情というか、俺達に文句を言う資格はない。
「だから、なんとかあの人達の眼をかいくぐって俺だけでも探しに行かせて欲しい。……頼む」
もう一度頭を下げる。
一人くらいなら、バレずに外に出られるかもしれない。
もちろん全員で探しに行ければそれに越した事はないのだが、それで足を止められたら誰一人としてモカを探しに行く事は出来なくなるんだ。
───だから。
「皆の力を貸してくれ……」
深く頭を下げる。
俺じゃない方が良いかもしれない。
運動神経もあるし、いつも皆の事を思ってるひまりちゃんの方が───
電池の事でも冷静だったし、いつも誰よりも頑張ってるつぐみちゃんの方が───
ずっとモカを探しに行くと意気込んでいたし、いつも本気の巴の方が───
きっと今一番モカに会いたがっていて、誰よりも皆の事が好きな蘭の方が───
俺なんて、雪の上を満足に歩く事も出来ない。一時間探しても結局モカを探さなかった。
現実を見て一度は諦めてしまったし、どこかで何とかなると思って本気でモカを探していなかったと思う。
モカとの付き合いだって皆と比べたら長くない。
───それでも。
「───それでも俺は、モカが好きだ。世界で誰よりも、あいつが好きだ。モカと一緒に居たい。これからもずっと。……だから、頼む」
もしかしたら後悔させてしまうかもしれない。
自分が行けば良かった。こんな奴に行かせるべきじゃなかったと。
それでも。
もし許されるなら。俺にもう一度だけモカを探す時間とチャンスをくれ。
必ず探してくるから。見付けて来るから。
「まぁ……一人しか行けないなら、山田が行くのが妥当じゃん」
顔をあげてよ、と。蘭は困ったような表情で言葉を漏らす。
そんな彼女の言葉に誰も反論を言う事はなかった。
ただ、どうしたら良い? そう聞くように、彼女達は俺の目をまっすぐに見てくれる。
「ありがとう」
そんな言葉しか出ない。
「……ひまりちゃん、お腹が痛い振りをしてくれ。俺とつぐみちゃんで介護する振りをしてここから人の目の届かない所に行く。確かトイレの方に裏口があった筈だ」
「え、その役なんで私なの?!」
適任だろ。
「裏口から出ても今表にいる人の前を通らないと上には登れない……。だから、蘭と巴は合図したら出入り口付近で大喧嘩してくれ」
「マジか」
「え、なにそれ」
困惑する二人だが、これくらいしかこの現状で不自然にならずに人の目を集める事は出来ない。
「なんなら取っ組み合いの喧嘩まで発展してくれれば、皆二人を止めに来てくれるだろ?」
「山田ってさ、たまに無茶苦茶だよね」
そんな事ないですよ。
「時間が惜しい。直ぐに取り掛かろう」
スマホの画面を見ると、それまで止まっていたモカからの新しいメッセージが表示されていた。
『たすけて』
短文。
分かってるよ。
今、探しに行くから。
「う、うぅ……お腹がー!」
いやひまりちゃん?! お前演技下手だな?!
「だ、大丈夫?! ひまりちゃーん! す、直ぐにお手洗いに行こう!」
つぐみちゃん?! あなたもクッソ下手くそだな?!
「……大袈裟すぎる。ん、うん。大丈夫か? とりあえず行こう」
咳払いをしてから、ひまりちゃんの背中を摩りながらお手洗いに向かう。
新しいメッセージは来ない。
蘭達に連絡する為に『合図はここで』と入力するが、既読は四つだけだった。電池切れか。
「山田君、これ!」
裏口まで辿り着くと、つぐみちゃんは自動販売機で飲み物を二つ買って手渡してくれる。
暖かい缶コーヒーだ。それを俺は二つポケットに入れる。
「ありがとう、つぐみちゃん」
「ううん。モカちゃんにも飲ませてあげてね!」
当たり前だ。
「翔太君、これも!」
そして今度はひまりちゃんが、鞄の中から大量のカイロを取り出して渡してくれる。
「惜しみなく使って良いから!」
「ありがとう、ひまりちゃん」
さて、本当はお礼を言っている時間も惜しい。
俺はスマホを取り出して『作戦開始』と短文を送り付けた。やはり、既読は四つ。
「なんだと蘭!! もう一回言ってみろ!!」
しばらくして、怒号がここまで聞こえてくた。巴さん声大き過ぎですよ。
ただそのおかげで、今かなりヒートアップしているのが見なくても分かる。
───これなら。
「行ってくる!」
「うん!」
「待ってるから!」
二人に手を振って、俺は裏口から外に飛び出した。
気温差もあってかなり寒い。ポケットの中の缶コーヒーやカイロを触りたくなるが、そんな時間はない。
俺なんかよりもモカはもっと寒い思いをしてる。こんな所で寒いなんて言ってる暇はないんだ。
慣れない雪の上を走る。靴の中に雪が入って、妙に歩き辛い。
それでも俺は走った。脇に見える休憩所の出入り口で、取っ組みあっている二人の女の子を大勢の人が止めようとしている。
蘭と目が合って、俺も彼女も大きく頷いた。
大丈夫。任せろ。
絶対に探してくるから。
「待ってろよ……モカ!!」
今、探してくるから。
次回、最終回『今だから全力でやりたい事を探して』
四十話を超える長い作品に、これまでお付き合い下さりありがとうございました。今作は次回で最終回を迎えます。
自分なりに青葉モカへの、Afterglowへの、そして今だからというタイトルへの想いを作品に込めたつもりです。どうか最後まで、山田翔太の今だから全力でやりたい事を見届けてあげて下さい。
皇我リキでした。