「君の名は?! ジャギ!!」R15   作:高尾のり子

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第1話

「君の名は?! ジャギ!!」  

 

 西暦2020年、高校2年生の宮水四葉は89才になる祖母に揺り起こされて目を開けた。

「そろそろ起きんしゃい」

「…ぅぅ…」

 四葉の鈴が鳴るように軽やかで可愛らしい声が、殺伐とした世界に生きる野卑な男のような可愛くない呻き方をして、ほっそりとして柔らかそうな女の子らしい可愛い手が、乱暴な可愛らしくない仕草で、頭痛がする頭を押さえた。ティアマト彗星の一部が落下してから7年、吹き飛んだ自宅と神社を建て直すまでの仮住まいとして、糸守高校にほど近い空き家を借りて住んでいる。日本建築の和室で和布団に包まれていた四葉の顔は17才という年齢相応に成長して、可愛らしさと美しさの盛りを迎えているのに、まったく可愛くない下品な顰めっ面へと歪み、再び可愛い声が可愛くなく呻く。

「痛ぇ……いつもの痛さと違うぜ……これは…」

「あんた……四葉やないね」

 宮水一葉は7年前にも上の孫娘に起こった現象を覚えていて、すぐに悟った。

「ああん? なんだ、この婆ァ?」

 四葉の身体は上半身を起こすと、愛らしい黒い瞳に不似合いな邪気を浮かべ、きめ細やかなシルクのような額と、あざやかなカーブを描くはずの眉が、眉間にミキミキと皺をよせ、一葉を睨みつけてくる。もう明らかに、いつもの四葉ではないと誰の目にもわかる。

「婆ァ、てめぇ、死にたいか?」

「……」

 一葉は少し考え、部屋にある鏡を指した。

「まずは鏡で、ご自分の顔を見てみぃや」

「っ! 貴様ァ!! このオレの顔をっ!!」

 四葉の身体は布団から立ち上がって一葉を見下ろそうとしたけれど、あまり身長差がないので、やや戸惑う。

「おっ? …婆ァのくせに、デカい婆ァだな」

「それは、きっと、あんたが縮んどるんよ」

「なんだとぉ?!」

 四葉の町一番と評判の可愛らしい顔が憎らしく歪み、片手で一葉の胸倉をつかんで全身を持ち上げようとしたけれど、腕力が足りずに一葉に手を払われた。

「こ、このオレ様の手を…っ?! な、なんだ、この手は…」

 四葉の瞳が、四葉の手を見て愕然としている。

「この、ひ弱そうな手が……オレの…」

 四葉の瞳が手のひらを見つめ、握ったり開いたりしている。動揺している相手に一葉は穏やかに告げる。

「まあ、落ち着いて聞きぃや。あんたは入れ替わったんよ」

「ああん?! やはり貴様、死にたいようだな。婆ァ、オレの名を言ってみろ」

「……それを教えてもらえるとありがたいんよ。うちは宮水一葉といいます」

「そうか、お前、死にたいのか」

「案外と長生きでの。来年90になるんよ、あんたは、いくつのお人やったの?」

「もう一度だけチャンスをやろう! オレの名をいってみろ!」

「………」

 一葉は日本語を話しているのに、どうにも話が通じないので困った。四葉の両手がパジャマの前を大きくはだけさせ、バーンと胸を張る。

「お前、オレの胸の傷をみても誰だかわからねぇのか?」

「……四葉……可哀想に……それ、絶対、外でせんといたってや」

 一葉は少し涙ぐみ、プルンと可愛らしく芯のある成長した孫娘の乳房と、その頂きに色づき始めたサクランボのように勃っている乳首から、目をそらした。それから、手鏡を取ると、四葉の顔に向けた。

「まずは、お顔を見て、状況を知ったてや」

「なっ?!」

 鏡に映る自分の顔を見て、ひどく驚いている。

 パシっ…ペタペタ…

 手で自分の顔を触り、確かめて、より驚く。

「な、なんだ、この女みてぇな顔は?!?!」

「それが、今のあんたやよ」

「この手……この声……っ、胸の傷もねぇ! どうなってやがるんだ?!」

「せやから、あんたは、うちの孫、宮水四葉と入れ替わったんよ」

「黙れ婆ァ!!」

 威嚇するように四葉の右拳が壁を叩きつけた。

 ドンっ!! グキっ…

「ぐっ…ぅぅ…痛ぇぇぇ……こんな薄い壁に…」

 叩きつけたときの自己イメージでは壁を粉砕するつもりだったのに、ほっそりとした四葉の手首は捻挫して、かなり痛そうだった。木造住宅の壁は少し凹んでいるものの、四葉の手首も腫れてきている。

「痛ぇぇ…くぅぅ…」

「四葉の身体を大事にしたってな」

「このオレ様の腕が……筋肉が……こんな、ひ弱な……」

 捻挫していない四葉の左手がパパッと動き、腕や胸、お腹を触ってから、プルプルと震えている。

「…オレ様が……このオレ様が……女だと……」

「戻れる方法はあるさかい。まずは落ち着いて、顔を洗ったってや」

「………」

「こっちよ」

 もう威嚇するのはやめてくれたようなので、一葉は洗面所へと案内した。

「ほな、これが四葉の歯ブラシやけど……まあ、本人のもんやし、使こたって」

「……水道? おい、婆ァ、ここは水道が使えるのか?」

「こんなド田舎でも、水道は使えるさかい。ほれ」

 一葉が水道をひねると、蛇口から豊かで美しい水が流れ、四葉の顔が感動している。

「おおっ…水だぁ…、水道の水だ…」

 もともと可愛らしい四葉の顔が感動すると、クラスの男子たちなら見惚れるような表情になるけれど、どことなく可愛くない微笑みになってもいる。四葉の口が直接に水道の流れへ唇をつけて、男らしくゴクゴクと水を飲んだ。

「ああ、美味ぇぇ! ……水だ………こんなに透き通った水が……蛇口から簡単に……」

「あんた、どこから来たんよ?」

「ここは、どこだ?」

「岐阜県やよ」

「岐阜だぁ~? ……オレ様は関東あたりにいたはずだぞ」

「せやから、うちの孫と入れ替わっとるんよ。身体と心が」

「わ……わけのわからねぇことを…」

「まあ、顔を洗いいよ。寝癖も、ちゃんと直したってな」

「ちっ……」

 四葉の小さな舌が口内で舌打ちしたけれど、透き通った水へ両手を伸ばすと顔を洗い始めた。

「……はぁぁぁ……気持ちいいぜ。何年ぶりだ……最高だぜ」

「………。タオル、ここにあるよ」

「おう」

 顔を洗った後、寝癖のついた髪を手櫛で掻き上げると、オールバックに撫でつけた。いつものツインテールではない大胆なオールバックになった孫娘の姿を見て、一葉はタメ息をついた。

「はぁぁ……まあ、今は、そんでもええわ。朝ご飯を食べながら、細かいことを話すさかい。落ち着いて聴いてやってな」

「………」

 四葉の両手がお腹を撫でた。それから、天井を見上げる。

「電灯がついてやがる……ここには電気もあるのか?」

 去年、節電のためにLED球に替えた電灯が洗面所を明るく照らしていた。一葉はド田舎に住んでいるという自覚はあるものの、いくら何でもバカにされている気はしたけれど、相手の性格が乱暴そうなのは、もう十分にわかったので年長者らしく無難に答える。

「ええ、昔はダム建設に反対した地区も近隣にあったよって、電化は遅れたけんど、今は普通に電気もあるよ」

「電気が……」

 四葉の指がスイッチを押して電灯をつけたり消したりしている。

「……。朝ご飯にしましょ。こっち来てや」

「おう。……畳かぁ……久しぶりだなぁぁ…」

 居間へ案内されて畳に座ると、懐かしそうに撫でている。

「いい感触だ………」

「………。ともかく、ご飯を食べんしゃい」

「ぁ、ああ。……おお? 米か? 米も作ってるのか? この地区は」

「わずかな平地しかないけんど、田んぼも少しあるんよ。衝撃波と降り積もった灰のせいで、何年も満足に収穫できんかったけんど、三年ほど前から、ようやくね」

「そうか………、美味い………美味いなぁ……」

 箸を使って白米を噛みしめると、しみじみと味わっている。不意に町営放送が始まり、壁掛け式の放送機器が音声を流してくる。名取家の長女の声だった。

(こちらは糸守町選挙管理委員会です。現在、告示されております町議会議員選挙立候補者の政見放送をお送りします。今朝は勅使河原三葉さんから)

「「………」」

(おはようございます! 勅使河原三葉です! 糸守を危機から救うため! 私は頑張ります!)

 宮水家の長女の声が響いてくると、一葉は苦虫を噛み潰したような顔になった。

「あのバカ娘が……、バカ婿の血を引きおって……」

 そっと一葉は放送機器の音量を最小にした。四葉の口が白米を噛みしめながら言ってくる。

「選挙だァ? ここでは選挙なんかで支配者を決めてるのか?」

「くだらんことや。気にせんでええよ」

「ああ、くだらねぇな」

 そう言いつつ四葉の唇は美味しそうに鯖の塩焼きを頬張った。一葉は静かな声で語りかける。

「選挙なんかより、落ち着いて聴いてな。あんたは、うちの四葉と身体が入れ替わった。けど、そう長いことやない。そのうち、自然と戻るさかい、それまでは宮水四葉として生活してやってほしいのよ。学校にも行って、ごく普通に」

「学校まであるのか……」

「まず、あんたのお名前を教えてくれはる?」

「オレの名を聞きたいか?」

「……一応」

「オレ様は一子相伝の北斗神拳唯一の伝承者ケンシロ……いや、ジャギだ」

「ジャギさんやね。名字は?」

「北斗ジャギだ」

「北斗ジャギさん……一子相伝とな。あんたも、大変な家のお人なんかもしれんね。うちの神社も三葉が、ああなったからには、四葉に継承してもらうしか……血は争えんのかねぇ……」

「ふっ、血で血を洗う戦いこそ、望むところよ。ようは勝てばいいのよ、勝てば」

 四葉の唇が不敵に微笑み、味噌汁を啜った。

「ぅ…美味いな……こんなに美味い飯は、本当に、いつから喰ってないか……」

「お口に合って幸いやわ。ほな、ちゃんと四葉として生活してくれたら、お夕飯も提供するよって、頼むね」

「………ちっ……婆ァが…」

 舌打ちしたけれど食べ終えると、教えられた糸守高校の制服に着替えて外に出た。

「まぶしい……空が澄んでやがる……植物も、こんなに……」

 しゃがみ込むと道ばたに生えている草花を見つめた。

「緑ってな、こんなにあざやかだったか……。おっと、しゃがんだら小便したくなった」

 さっと四葉の脚は立ち上がると、肩幅に開いて、その手がスカートをまくった。

「ん? ……無い……ああ、そうか。この身体、女だったな。……ちゃんと飛ぶのか……」

 あるべきものが無いけれど、下着もよって飛ばしてみる。

 シャー…

 前に飛ぶように四葉の背中が大きく反っている。おかげで、だいたい前に飛んだ。そんな四葉の背中に二人の級友が近づいてきた。

「おはよう、四葉。………」

「おはよう、四葉ちゃん。何して……」

 幼馴染みの勅使河原司と名取沙耶香は、いつも通りの挨拶をしたけれど、四葉の足元に生えているタンポポが朝日を反射してキラキラと濡れて輝いていることと、ほんの数瞬前までの四葉の姿勢から、まさか、という思いで黙り込む。なのに、四葉の表情には一欠片の恥じらいもない。もしも立って道端で用を足していたなら、女子高生にして人生最大の悔いになりそうなものなのに、人生に一片の悔いもないような堂々とした顔をしているので、むしろ司と沙耶香の方が見てはいけないものを見てしまったように目をそらしてしまう。

「お前たち、オレの名を知っているのか?」

 振り向くと、まくっていた四葉のスカートは重力のおかげで戻ってくれたけれど、ブラウスの前にあるボタンを一つも留めずに胸を全開していたので、司は男子として赤面して困惑する。沙耶香が驚いて指摘する。

「よ、四葉ちゃん! ボタン!」

「あん?」

「ブラジャーもしてないの?!」

「……ああ、この身体は女だから、そういう物も……」

 全開にしている胸元が風になびいて、心地よく涼しいけれど、ブラジャーも着けていないので大変なことになっている。

「四葉ちゃん! 前を! 留めようよ!」

 沙耶香が急いでボタンを留めようとしてくるけれど、その手を四葉の手が払った。

「うっとおしいぞ! このアマ!」

「っ…ひどい……、……もしかして? 四葉ちゃんは、いつもの四葉ちゃんじゃない。別の人なの?」

「貴様、このオレを見て誰だかわからねぇのか?」

「わかんないよ。また東京の人?」

「そうか、お前、死にたいのか」

「何言ってるか、わかんないから。それ東京のジョークなの?」

「もう一度だけチャンスをやろう。オレの名を言ってみろ」

「……タチ…なんとか、さん? 7年前に来てたって話は、お姉ちゃんから聞いたことあるけど…」

 沙耶香は7歳年上の姉、名取早耶香から、おぼろげに聞いていた話を思い出そうとしているけれど、四葉の顔は邪気に満ちて言ってくる。

「オレはウソが大嫌いなんだ」

 四葉の左手が沙耶香の胸倉をつかんだ。か細い女子高生の腕なのに、グイッと力を込められると沙耶香の爪先が浮く。まるで筋肉の潜在能力を100%使っているかのような力強さで沙耶香は息が苦しくてもがいた。

「ぅぅ…うぅ…」

「やめてやれよ! 四葉じゃないな?!」

 さすがに司が止めに入る。もう司も、いつも四葉ではないと、ほぼ確信していた。

「兄貴から聞いてた入れ替わりってことなのか? 君の名は? 誰だよ、君は?」

「お前、オレの名を言ってみろ」

 邪気に満ちた命令口調で言われると、やたら迫力があるので司も戸惑う。

「………、……宮水、……四葉だったと思うけど……今は入れ替わって……誰かになってるんじゃ?」

「そうか、お前も死にたいのか」

「だ、だから、何が言いたいんだよ?!」

「お前、オレの胸の傷をみても誰だかわからねぇのか?」

 四葉の両手がブラウスの前を全開にグイっと広げると、形のいい乳房があらわになってプルンと揺れ、さらに乳首まで丸出しになったので司の脳裏に焼き付いて離れなくなる。思考停止しそうな司だったけれど、それでも答えた。

「…き……傷なんて……無いよ。……」

「あん?」

 言われて四葉の瞳も自分の胸を見る。

「……ない……なんだ、この胸は………、あ、ああ。そうか。今は女の身体になっているんだったな。つい忘れちまう」

 四葉の手が、愛らしい形の顎を撫でつつ悩む。

「うむむ………。とりあえず、今は様子を見るしかねぇか。おい、お前、このオレの身体についてる名前は、宮水なんだって?」

「四葉だよ」

「そうか。お前の名は?」

「ボクは勅使河原司、四葉はテッツーって呼ぶけど」

「よーし。貴様は?」

 四葉の瞳が横柄に沙耶香を見る。

「私は名取沙耶香、呼び名は……」

 あまり言いたく無さそうにしていると、司が笑いながら言う。

「サヤボボだよ」

「その名で呼ばないでよ!」

「お前らは、この四葉の何だ? 手下か?」

「「手下って……」」

 司と沙耶香が異口同音し、司が気を取り直して答える。

「同じ学年の友達だよ。ちょうど、ボクらの兄や姉が同じだけ歳が離れていて、よく行事ごとなんかで、いっしょに行動したからさ」

「兄弟か……ちっ…」

 なぜか兄弟と聴いて舌打ちした四葉の胸元が開いたままなので、沙耶香がブラウスのボタンを留めてやる。

「四葉ちゃんの中身が別の人に入れ替わったのは、わかったから。せめてボタンくらい留めさせて。女の子なんだから」

「ちっ…」

 今度は二つほどボタンを留められてから、沙耶香の手を払った。ギリギリ乳首は見えなくなったので沙耶香も諦める。

「四葉ちゃん……えっと、四葉ちゃんって呼んでいい?」

「………うむ……まあ、いいだろう」

 少し迷って頷いた。また気持ちのいい風が吹いて、オールバックになっている四葉の髪が揺れると、それを見た司がつぶやく。

「ツインテール……似合ってたのに…」

「あん?」

「な、なんでもないです!」

「そろそろ学校に行こうよ。遅刻しちゃうから」

 沙耶香に促されて三人で歩き出した。しばらく歩いて四葉の唇がつぶやいた。

「ここは、ずいぶん復興しているんだな」

「そうだね。直撃だった、あっち側は、あのままだけど」

 沙耶香の視線の先にはティアマト彗星の一部が直撃した地区がある。大きなクレーターが爆撃痕のように残っていて、道路も寸断されたままだった。ちょうど、そのタイミングで選挙カーが通りかかり、三葉がマイクで叫んでいた。

「いまだ復興は道半ばなのです!! なのに国と県は糸守町の人口が少ないといって補助金を削ろうとしてくる!! さらには市町村合併で糸守の名まで奪おうと! 私は糸守を守りたい!! 父とともに! そして勅使河原建設とともに! どうか清き一票を! 勅使河原三葉です!! 勅使河原三葉!! 勅使河原三葉!! 勅使河原三葉に、どうか清き一票をお願いします!! 糸守を守る! その名は三葉! 私の名は三葉です! よろしくお願いします!」

 他の候補者よりも大きな拡声器から響いてくる勅使河原三葉の声を聴いて、沙耶香は吐き捨てるように言った。

「何が清きよ………不倫女が!」

「なんだァ? 殺気立って。あいつを殺したいのか?」

「そうよ! 殺せるものならね!!」

「サヤボボ、そんなことを四葉の前で言うなよ……」

 司がたしなめるけれど、沙耶香は腹に据えかねている。

「いいじゃない! 今の四葉ちゃんは四葉ちゃんじゃないんだから!」

「あん? 貴様、わけのわからねぇこと抜かしてると、お前を殺すぞ」

「ぅ、ごめんなさい……これには、わけがあって…」

「ボクから説明するよ。我が家の恥でもあるからさ。もともとボクの兄、勅使河原克彦とサヤボボの姉、名取早耶香は、この町にいた頃からの付き合いで東京で結婚したんだ。四葉の姉、今通った旧姓宮水三葉と、東京の男性も同じ日に同じホテルで合同挙式をね」

「運命の出会いとか言いよって! 付き合って三ヶ月もないのに結婚しよってんよ! そんなん、うまくいくはずあらへんやん! 入れ替わってたときでも、しょっちゅうケンカしてバカだの、アホだの顔に描いてあったって話やのに! そんで結婚して、たった三ヶ月で離婚しよって! 合計半年も保たんと破綻して! あの女は寿退職しとったから東京で行くあてものうて! うちの姉ちゃんらのマンションに転がり込んだかと思ったら、あの泥棒猫っ!!!」

 あまりに悔しいのか、沙耶香は電柱に拳を叩きつけた。さきほどの四葉の手首と同じく捻挫して腫れてしまい、手の甲に血も滲むけれど、かまっていない。さらに、近くにあった掲示板に貼ってある三葉のポスターも殴りつけている。怒りきっている沙耶香に代わって司が説明を続ける。

「ようするに不倫だよ。で、結局、うちの兄は、あの三葉を選んで離婚して再婚。そういうことだよ」

「両方の親の力に頼って!! 札束で人の顔を叩くような慰謝料を積んで、うちの姉ちゃんの気持ちをズタズタにしよってん!!」

「「………」」

「おかげで、姉ちゃんは声が出せんようになってしもて! そのくせ、自分らも離婚するときのゴタゴタで仕事も辞めてしもて。東京で再就職もできんで、田舎に逃げて帰ってきよったんよ! どのツラさげて選挙にまで出よるんよっ! 恥知らずが!」

 さらに沙耶香がポスターを殴ると、凹んだ。

「選挙はタイミングの問題もあるけど、ボクの家は土建屋、宮水のお父さんは多選の町長。そして今、この糸守町には市町村合併の話がきてる。東京の霞ヶ関は、お金のかかる山間部の復興より、麓の市街地へ町民を移住させて、この地区の復興は中止したいんだ。それで町は合併賛成派と反対派に分かれての選挙になって。ちょうど25歳で被選挙権もえた娘までかり出して争ってるわけさ。幸か不幸か、うちの兄とサヤボボの姉さんは東京で挙式して日を置いてから、この町でも披露宴をするつもりだったけど、その前に離婚したから町民たちは不倫のような、恋愛のもつれのような、そんな曖昧な感じに受け止めてる。もっとも、そんなタイミングで選挙に出るのを決断したのは血筋なのかもね。お父さんにしても子育てを放棄して出馬されたらしいし。お姉さんも、ずいぶんと前向きに出馬したそうだよ。糸守を守るといえば、聞こえはいいけど、結局は地方の利権を守りたいのさ」

「……………」

 黙って聴いていたけれど、難しい話は苦手なのか、四葉の首は二三度、グルグルと回ると、オールバックの髪を掻き上げ、問う。

「ようするに女がらみの惚れた盗ったの話だな。まあ、今は悪魔がほほえむ時代だからな」

「ホントそう! 悪魔みたいな女!! 邪神の巫女だよ! 反吐が出る! あの反吐女! ……あ、四葉ちゃんのことじゃないよ。四葉ちゃんのことは、そんな風に思ったこと一度も無いから! ホント!」

 言い過ぎたかと思い沙耶香はフォローを入れたけれど、四葉の手は拳を握って固めた。

「とどのつまり、殺したいほどムカつくってことだな。いいだろう。オレ様が殺してやる。ちょうど、この身体で、どれほど戦えるか、試してみたいところだったんだ」

 三葉の名を連呼していた選挙カーは再び、三人の前に戻ってきている。小さな町の選挙なので集落を一回りすると、同じ道に戻ってくるパターンが多い。そして、通り過ぎようとする選挙カーの前に、四葉の身体が飛び出して、立ち塞がった。

 キーッ!

 選挙カーは急ブレーキをかけ、低速だったおかげで四葉の身体を撥ねずに鼻先寸前で停車した。四葉の目は、そのブレーキングを見切っていたように微動だにしない。そして、四葉の唇が不敵に囁く。

「気に入らねぇヤツは、みんな殺してやる。それがオレのポリシーよ」

「危ないでしょ!! 四葉、何考えてるの?! バカっ!!」

 助手席でマイクを握っていた三葉が、車窓から顔を出して妹を怒鳴った。四葉の顔は邪気に満ちた微笑みを浮かべる。

「フっ…これから貴様に生き地獄を味わわせてやろう」

「何を言って……まさか、四葉、あなた、入れ替わりがおきて…」

 入れ替わりの記憶は曖昧になっていても、あまりに様子が違う妹を見て、すぐに経験がある三葉は悟ったし、四葉の目は本物の殺気で光っている。とても危険な匂いがした。その危険さは司も感じたので、あらかじめ告げておく。

「殺すって本気じゃないから! 殺したいほどって意味でさ! っていうか、トラブルは、うちの家も困るんだ!」

「あん? じゃあ、手足の二三本、引きちぎってやろう」

「そ、それもダメだって!」

「けっ…じゃあ、手足の一二本、へし折ってやろう」

「骨折も、ちょっと、マジで困るから!」

「ちっ……まあ、いい。それなら、いい秘孔がある」

「四葉! いい加減にしなさい! 選挙は、子供の遊びじゃないんだ!」

 選挙カーの後部に乗っていた宮水俊樹が降りてきて、道を塞いでいる次女を叱る。

「四葉、邪魔をするんじゃない!」

「邪魔は貴様だ」

 四葉の膝は近づいてきた父親の顎へ、飛び膝蹴りを入れた。

 バコッ!

「あぐっ!」

 鋭い蹴りで父親を失神させた四葉のスカートは舞い上がって下着を司たちに見せつけたけれど、まったく気にしていない。

「四葉っ?! なんてことするの?!」

 驚いた三葉も選挙カーから降りてくると、妹の顔を睨んだ。

「いいえ! あなたは四葉じゃない!!」

「そうよォ、オレ様は四葉ではない。オレの名を言ってみろ」

「えっ……」

「さあ、このオレ様の名を言ってみろ」

「……そんなの知るわけ……ない……」

「お前、オレの胸の傷を見ても誰だかわからねぇのか?」

 四葉の両手がブラウスをはだけさせて、胸をバーンと丸出しにすると、三葉は妹のために怒鳴る。

「やめなさい!! わかったわ!! また、タキっ!! あなたが入ってるのね! 妹の身体でリベンジポルノなんて、どこまで最低なの?! 離婚して正解だった!! あなたは父親と同じよ! 結婚生活の継続なんて、できない!! もう血筋ね!! 何が胸の傷よ?! どっちが傷ついたと思ってるの?!」

「もう一度だけチャンスをやろう。オレの名を言ってみろ」

「チャンスっ?! 笑わせないで! あなたと暮らすなんて二度とごめんよ!!」

「ほ~~ォ、それではオレの名を言ってみろ」

「バカタキ!! 二度と私の前に現れないで!!」

「オレはウソが大嫌いだ」

「あいかわらず人の話を聞かないのね!!」

「くらえ!」

 四葉の右手が鋭く伸びてきて、人指し指で三葉の胸のあたりを突いた。

「きゃっ?!」

「フフフ…」

「この変態! また、私の胸を!!」

「胸椎の秘孔、龍頷を突いた。貴様の身体は、むき出しの神経で包まれている」

「はあ?!」

「指で触れただけで全身に激痛が走る」

 四葉の右手が軽く、三葉の肩に触れる。

「触らないで! 変態…ぃ、いぎゃやあ?!」

 三葉が苦しみ悶える。軽く触れられただけなのに、肩に激痛が走り、身悶えしていた。

「ぐううぅぅ! 痛いぃいい! あぎゃやあああ!」

「フフ…痛いか。痛いだろう。じっくりと痛みを味わうがいい」

「ああああ!! 痛い痛い痛い!!」

 三葉は衣服や靴が身体に触れているだけでも痛いようで、無理して履いていたパンプスを脱ぎ捨て、さらに女性立候補者らしいタイトなスーツを着るために、補整下着で締めつけていたウエストが焼けるように痛み、無我夢中で脱ぎ捨てている。

「ハァ…ハァ…ぅぅううぅ…」

 恥ずかしいという感情はあるけれど、火のついた服を着ていられないように脱がずにはいられず、どんどんと脱いでいく。

「ぅううぅ…痛いぃい…」

 ポヨンと白米の食べ過ぎで25歳にしては膨らみすぎた腹部を揺らしながら、とうとうショーツまで脱ごうと引き下げ始めた。立候補中の女性が道端で全裸になりかけているという事態に、選挙カーや後続車に乗っていた運動員たちが慌てて出てきて、三葉を車に押し込むけれど、担ぎ上げられると、また身体に激痛が走り、叫ぶ。

「いやあああああ! 触らないで! 触らないで!! 痛いぃいいい! いぎぎいぃいい!!」

「勅使河原先生、しっかりしてください! しっかり!」

「ちょ、町長さんも運ぶんや!」

 気絶している俊樹も車に担ぎ込まれ、選挙カーと後続車は急いで走り去って行った。

「フ…フフフ…ファッハッハハハ!! ハァ~~ッハッハッハハ!!」

 勝ち誇ったように四葉の胸は張られ、可愛らしい声で下品に高笑いしている。つられて沙耶香も嗤った。

「きゃははっはは! あの女の悲鳴! 最高! ん~~~、いい声ね…胸がスーーッとする…」

「サヤボボ……けど、こんなことして大丈夫なのか? かりにも町長と町議の立候補者に…」

 司が不安そうに問うと、沙耶香は少し考えて答える。

「大丈夫よ。四葉ちゃんからみて、父親と姉だし。家族のケンカみたいなものやん。何より、今の醜態、噂になる方が選挙に悪影響あるもん。絶対、黙ってるよ」

「そ……そういうものか…」

「この町の選挙、田舎のローカルルールで、本当やったら拡声器を使っての選挙活動は朝8時から夜8時って決まってるのを、町長選挙のときでも登校時間にやってたり、逆に日暮れ後の自粛は早かったりするし。だいたい、さっき町長が、いくら娘とはいっても立候補者の選挙カーに乗ってたのは、どう考えても問題やもん。絶対、黙ってるって」

「な…なるほど…」

「さあ、もう学校に急ごうよ」

 三人で登校して、授業中も机の上に四葉の足をのせて、ふんぞり返るのを教師が注意しようとするのを司と沙耶香で必死にフォローして、昼食はおとなしく食べてくれたものの、体育の柔道では男子全員を投げ飛ばして手下宣言するので、クラスメートとの関係修復にクタクタに疲れて、それでも目が離せないので帰り道も、家まで送ることにして三人で歩いているときだった。

「あ、お姉ちゃん」

 沙耶香は姉の名取早耶香が、トボトボと静かに白い子犬の散歩をしているのに出会った。

「……」

 妹に気づいて、早耶香は力なく微笑み、手を振ってくれる。ふっくらとしていた頬は痩せ、微笑みをつくってはいるけれど、元気が無いのは誰の目にも明らかだった。

「なんだ、あの陰気なアマは」

「今朝、話したサヤボボのお姉さんだよ。ショックで声が出せなくなったんだ。けど、耳は聞こえているから、変なことは言わないであげてほしい。これ、ホントマジで頼むよ」

「ふーん……声がねぇ…」

 興味なさそうに四葉の両腕はあげられると、後頭部で両手を組む。おかげで、ブラウスのボタンが二つしか留まっていないために、司は目のやり場に困った。体育で大暴れしたこともあって、四葉の身体から汗の匂いもする。その匂いが甘酒のように、いい香りだったので司は誘惑されそうになり、首を振って話を戻す。

「無理もないよ。彼女は親兄弟より長く、いっしょにいた人間2人に目の前で裏切られたんだ………生まれてこない方がよかった、なんて考えられると危ないから、発言には注意してあげて。………以前は放送部で活躍するくらい、いい声の家系だったのに……」

「そうか…」

 フラリと四葉の足が早耶香に近づくと、連れていた子犬が吠えたけれど、四葉の瞳が一睨みすると怯えて小さくなった。早耶香も恐れを感じてビクッとした。

「大丈夫だ」

「………」

「動くんじゃねぇぞ」

 そう言って四葉の両手をゆっくりと伸ばして、早耶香の後頭部へ回すと、かすかに指先で押した。見ていて心配になった司が問う。

「お…おい、何のマネだよ?」

「しゃべれるように、おまじないをしたんだ」

「おまじない……」

「あとは、この女の心しだいだ。心の叫びが言葉を誘う。まあ、もっと強く押せば即効性があるかもしれねぇが、オレはこの手の手加減が苦手でよ。兄者なら、一発かもしれねぇが、オレが強く突くと肉体を内部から破壊しちまうからな」

「内部から……」

「さて、腹が減った。さっさと飯が食いたいぜ」

 四葉の足が宮水家に土足で上がり込むと、一葉に問う。

「おい、婆ァ! 飯は何だ?!」

「飛騨牛コロッケと葉包み寿司にしたよ。四葉の好物じゃけん、あんたの口にも合うでしょう」

「コロッケかァ」

 四葉の顔が嬉しそうに微笑んだ。その微笑み方が男っぽいので、顔の可愛らしさと相殺されて、愛らしいのか不気味なのかわからない黄昏時のような表情になっている。

「この町ではコロッケみたいな油を大量に使う料理ができるんだなァ」

「……ええ…まあ…」

 一葉は、よほど貧しい食生活をしているのかと悟ったけれど、あえて口にも顔にも出さないで、そっと足元を指した。

「せめて、靴は脱いでやってな」

「おう」

 その場に四葉の靴を脱ぎ捨てると、ガツガツと夕食を平らげる。満腹になると眠そうに畳へ寝転がった。あえて一葉は風呂は勧めずに就寝を促す。

「今日は疲れはったやろう。もう、おやすみなされ」

「おう。そうする」

 二階の四葉の部屋へ入ると、着替えもせずに制服のまま布団に潜り込む。

「布団かぁぁ……いい感触だァ……」

 柔らかい和布団に包まれて、四葉の目は幸せそうに閉じられ、すぐに眠りに落ちたし、その寝顔は無邪気で可愛かった。

 

 

 

 翌朝、四葉は悪夢から目覚めたようにガバッと起き上がった。

「ハァ…ハァ…なんて悪夢なの…」

 その顔に冷や汗が浮き、青ざめている。

「最悪の事態…ハァ…最悪の世界…ハァ…隕石どころじゃない……核戦争なんて……」

 汗が流れ、涙が滲んだ。

「…ハァ…ぅぅ…お母さん……私は、……どうしたら……こんな使命……重すぎる……いったい、どうしたら……ぅぅ、ぐすっ……違う! 泣いてる場合じゃない!」

 制服のまま寝ていた四葉は自分の頬を叩くと、布団から飛び出して机に向かった。ノートとボールペンを出して、自分が体験した出来事を書き出している。

「忘れないうちに……曖昧にならないうちに……魂の記憶を……脳の記憶に……」

 四葉が起きた気配を感じた一葉が部屋に入ってきて声をかけてくる。

「四葉、起きたのかい?」

「…うん…」

 いつもより優しい祖母の気遣うような声に、四葉は必要最低限の返事をして、目はノートへ向けたまま、手は素早く動かし続けている。

「四葉、まずは、落ち着いて。お風呂にでも入りなさいな。まだ、時間が早いよって」

「……」

 時計は、まだ午前6時過ぎだった。

「沸かしておいたでの」

「ありがとう。でも、今はいい。時間がないの、しばらく話しかけないで」

 四葉はノートに書き記す作業を続け、それが終わると、待っていてくれた祖母に声をかける。

「昨日の私は、どんなだったの? どんなことをして、どんなことをしなかったの? 些細なことも漏らさないように、彼の口調や態度も教えて」

 四葉は、ほぼ無意識的に全開になっているブラウスのボタンを留めながら問い、一葉は要望に応えて昨日の言動を包み隠さず話した。

「……そう………そんなことをしていたの……」

「あんまり気に病まんときの」

 一葉は孫が絶望的なまでに思い詰めた暗い顔をしているので、心配で胸が痛くなった。そして入れ替わりが一度で終わらないことも、わかっている。一葉は励ますように四葉へ言う。

「あの男が今度、勝手をしよったら、懲らしめちゃるきな」

「お婆ちゃん、それは絶対にやめて」

 四葉が真剣な顔で祖母に言う。

「たぶん、私が入れ替わっていた男は山賊の頭目みたいな男よ。手下が何人もいたから。だから、下手に逆らうと、本当に人を殺しかねない。ううん、平気で普通に殺すわ。日常的に人殺しをしてるようなヤツら。私が捕虜の処刑を止めたら、え? 今日は、そんな甘い処置でいいのか、むしろ殺すのが楽しみなのに、って顔で手下たちが不思議に思っていたくらい。幸いマスクをかぶっていたから、私の表情を見られることがなくて、なんとか乗り切れたけど、あまり甘い対応をしていると疑われそうだったから」

 四葉は痛みの記憶が残っているかのように、左の前頭部を手で押さえた。

「四葉……」

「とにかく、もう一度、あの男、ジャギの言葉遣いや考え方、仕草を私に教えて。あと、お婆ちゃんが美味しい食べ物で、あいつを誘導したのは正解だと思うから、図に乗らせない範囲で、美味しいものを与えておいて。あいつだって、この身体にいるときは少しは不安なはず、あんな筋肉隆々の身体から、この身体じゃぁね」

 四葉は少し痛い手首を撫でた。手首の痛みの次には全身の筋肉痛を自覚する。おそらく学校で何かしたのだと思い、そのあたりは沙耶香たちに訊くことにして立ち上がった。

「ちょっと早いうちに行くね。サヤボボとテッツーからも話を聞きたいから」

「四葉、朝ご飯は?」

「ごめん、食欲がないの」

 あんな流血シーンを見た後じゃ、という気持ちは祖母を心配させるので口にせず、四葉はオールバックで寝たためにグチャグチャになった髪を巫女として神事に臨むときのような一纏めにすると、首の後ろで組紐で結んだ。玄関を出て、すぐに沙耶香と司に出会った。

「…おはよう、四葉ちゃん?」

「四葉、だよな?」

「ええ」

「「よかったぁ…」」

 ホッとしている二人に問う。

「昨日、私が何をしたのか、どんなだったのか、細かく話してほしいの」

「四葉ちゃん!!」

 急に感情的な大声で叫んだ沙耶香が迫ってきたので、四葉は叩かれるかと少し覚悟したけれど、抱きしめられて戸惑った。

「な、なな? なに、サヤボボ? なんなの?」

「ありがとう! 四葉ちゃん! お姉ちゃんが話せるようになったの!! 声が出るようになったの!!」

「サヤチンさんの声が? どうして?」

「四葉ちゃんのおかげだよ!!」

「ぜ、ぜんぜん、わかんない。ちょっと落ち着いて! ジャギは乱暴したりしなかったの?」

「ら…乱暴もしよったけど…」

「効いたんだよ! あのおまじないがさ! そんでサヤチンさん、以前みたいにキレイな声が出るようになったんだって! あの五百人を救った声がさ! すごいぜ! あのおまじない!」

「ごめん、二人とも落ち着いて。大事なことだから、順序立てて、朝一番の昨日の私、つまりジャギのことから話して。お願い、とても大切なの」

「朝一番……」

 司が赤面して何かを思い出している。それを沙耶香が睨む。

「テッツー、エロいこと思い出しとるやろ。最低やよ」

「な、なにも! 何も無かったって!」

「話してみて」

「け…けどよ…」

「いいの。話して。どうせ、男みたいにオシッコしたとか、そんな話でしょ。そういうのも、細かく話して。癖とか、態度とか、全部。私がジャギと入れ替わってるとき、マネしないといけないから」

「じゃ…じゃあ…」

 司は話そうとして、つい四葉の胸元を見てしまい、今日もノーブラなことに気づいた。ボタンはすべて留められているけれど、つんと乳首が勃っているので、よくわかる。沙耶香も気づいたので小声で教える。

「四葉ちゃん、ブラ」

「あ……ちょっと待ってて」

 とくに赤面することもなく、四葉は家に戻ってブラジャーを着けて出てきた。ブラジャーのことよりも時間を気にして、話を進めさせてくる。学校に行くまでに昨日のことを二人から聞いて、やはり四葉は思い詰めた顔になった。

「四葉ちゃん、……」

 沙耶香が慰めようと、声をかける。

「あ…あのね、お姉ちゃんから聞いた話やけど、案外、入れ替わりも、楽しんでる様子もあったみたいよ。東京観光できたりとか。男友達ができたりとか」

「………うん、……ありがとう、サヤボボ」

 荒涼とした砂漠と化した東京や、邪気と元気に溢れている手下たちを思い出した四葉が棒読みで返答したので、ますます沙耶香は心配になる。

「な…なにより! お姉ちゃんのこと、ありがとう! ジャギさんにも伝えておいてよ! ホンマありがとう!」

「うん……けど、もともと、サヤチンさんのこと、……うちの家の責任でもあるし」

「……四葉ちゃん……四葉ちゃんは何も悪くないんやから……そんな顔、せんといてよ」

「四葉、気にするなって。学校で何か言われても、守るから」

「…うん……ありがとう…」

 思い詰めて考え込んだ顔のままの四葉と沙耶香、司の三人が校門まで着いたときだった。

「おい、宮水!」

 クラスメートの男子が呼びつけてきた。明らかに敵対的な声色だったので、司と沙耶香が守るように前に出る。呼びつけてきた男子は朝練だったのか、柔道着を着ていた。

「昨日は油断しただけなんだ! もう一度、勝負しろ!」

「え…? なに?」

 意味がわからないという風の四葉に沙耶香が耳打ちする。

「昨日、体育のとき、全員投げ飛ばしたこと、話したやん。それやと思うわ。彼、柔道部で全国大会にも出てるもん」

「ああ……その話……くだらない…」

 四葉がタメ息混じりに言ったので、ますます男子が怒った。

「き…きさまぁ! オレを誰だと思ってるんだあ~~っ!!」

 グワッと男子が迫ってくると、四葉は据わった瞳で見つめ、右手の人差し指を相手の眉間にビタァッと向けた。

「うっ…くっ…」

 あまりにも四葉の目が据わっていて静かな殺気さえ感じるので、男子は動けなくなる。

「死ぬよ」

 ズンと据わった目で四葉に告げられると、男子は腰を抜かして座り込んだ。

「はっ…はぐっ…」

「昨日の私が手加減しなかった、とでも思うの?」

 もう戦意を失った相手に背中を向けて四葉は昇降口へ向かった。沙耶香と司が追いかけてくる。

「四葉ちゃん、四葉ちゃんよね?」

「四葉なんだよな?! 四葉! ジャギさんじゃなくて!」

「ええ、そう言ってるでしょ」

「「だって、今の…」」

 沙耶香と司が顔を見合わせると、四葉は再びタメ息をついた。

「あんな世界に一日いれば、こうもなるわよ。ちょっと殺気を込めて睨んだだけなのに、大袈裟よ。無意味な戦闘をさけた私に感謝してほしいくらいなのに」

「「…………」」

 一昨日までとは、存在感が違ってきた四葉に戸惑いつつも、三人で教室に入り授業を受ける。その授業中も、ずっと四葉は思い詰めた顔をしていた。中休みになって沙耶香が声をかける。

「四葉ちゃん、大丈夫?」

「………」

 そう声をかけられても返事もしない。

「ねぇ、四葉ちゃん」

「……え? ……なに?」

「大丈夫なの?」

「………さあ」

「授業、ぜんぜん聴いとらんよね。仕方ないと思うけど、テッツーと学年の1位2位を争う四葉ちゃんが、そんなやと先生らも心配しよるよ」

「そうだぜ。この分じゃ、次の1位はもらいだな」

 あえて励ますために司が笑いながらいうと、沙耶香もその意図にのる。

「そうやね。よくできた弟さんがいて勅使河原建設も安泰やね」

「おうよ。兄貴には負けねぇぜ。四葉にもな」

「………」

 何を言われても四葉は反応が鈍い。沙耶香が心配になって軽く抱きついた。

「気にせんときよ」

「そうだよ、気にするなよ」

 沙耶香も司も、昨日ブラウスの前を全開にして胸を見せていたりしたことを四葉が思い詰めているのだと考えて慰めようとする。

「気にせんとき。四葉ちゃんほどの美人やもん。お嫁のもらいてなんか、いくらでもあるよ」

「そうだ、そうだ。何なら、ボクがもらってやってもいいぞ」

「テッツーには、もったいないわ」

「どういう意味だよ?」

「その通りの意味よ」

 気持ちが軽くなるように盛り上げてみたけれど、四葉は反応しない。

「「………」」

 沙耶香と司は、ますます心配になったけれど、もうチャイムが鳴ってしまう。数学の授業が始まったのに、四葉は歴史の教科書を出したまま、表紙を見つめている。何十分も、ずっと動かなかった四葉が目に涙を浮かべた。

「………どうしたら……」

 か細い声を漏らしている。

「……どうしたら……いいの………お母さん……」

 耐えられない悲痛に泣き出してしまい、額にあてていた両手が、顔を覆うと、声を漏らさないように涙を流している。その様子をチラチラと見ていた女子たちは昨日のことで羞恥心が限界に達したのだと思ったし、男子も同じことを考えた。沙耶香が挙手して保健室に連れ出そうと決意した瞬間、チャイムが鳴って昼休みになる。クラスメートたちは、あえて四葉には近づかず、そのフォローを沙耶香と司に任せてくる空気になり、二人も心得て四葉に声をかける。

「四葉ちゃん……」

「四葉」

「………」

 四葉は沙耶香にもらったハンカチで涙を拭くと、微笑みをつくって言う。

「ごめん、何でもない」

「な……何でもなくないだろう?!」

 思わず、司が大きな声を出すと、教室がシーンと静かになってしまう。

「…わ…悪い…。け、けどよ……四葉が……ボクは……心配で……」

「そう……ありがとう、でも、大丈夫」

「だ……大丈夫じゃないだろ……なんだよ、その……他人行儀な感じ……」

「大丈夫だよ、だから、テッツーもサヤボボも心配しなくていいよ」

「四葉ちゃん……」

「四葉…………ボクらは頼りないか?」

「………」

「っ…、……四葉! だ……大事な話があるんだ! 来て、くれ!」

 司が手を握って立たせようとすると、意外にも四葉は力強く手を払って、そして迷惑そうな顔になった。

「話って何?」

「そ…それは……ここでは…」

「そう。ここで、言えないような話なら、永遠に言わなくていいよ」

「っ…四葉…」

「四葉ちゃん……」

 教室にいる誰にでも、司が四葉へ告白しようとしたのは伝わったし、司が四葉を好きなことも、沙耶香が司を好きなことも、だいたい全員が知っている事実だったので、昼休みの教室が図書室のように静かになっている。それでも、司は決意を固めた。

「…す……好きなんだ! 四葉のことが!!」

「「………」」

 四葉と沙耶香が同時に顔を伏せた。知っていたけれど、言って欲しくなかったことを言われ、もう以前の三人の関係には戻れないことを、よくわかっている女の顔になる。けれど、司の決意は固い。すでに同じパターンで兄は大きな失敗をしている。歴史は繰り返させない、そう決意して告白を続ける。

「好きだ! 四葉が好きだ!」

「……そう……ありがとう……でも…」

「だから、頼ってくれ!! あてにしてくれ!! 四葉が悩んでることなら、何でも協力する!! いっしょに努力する!! だから、絶望した顔で大丈夫なんて、言わないでくれ!! 微笑み忘れた顔なんて見たくはないさァァ!!」

「……テッツー……」

 断る気だった四葉が戸惑うほど熱い告白で、沙耶香が羨ましくて笑った。

「あはは……ほんとうに、ほんとうに、よくできた弟なのね。四葉ちゃん、よかったじゃない。お嫁のもらいて、悩まなくて済むよ」

「サヤボボ……」

 思い詰めていた四葉の顔に少し明るさが戻った。

「四葉、明日を見失うことがあったら、ボクに頼ってくれ。明日、君が君じゃなくても、ボクは君が好きだ」

「…………本当に、頼っていい?」

「もちろん!」

「もし、私がめちゃくちゃなことを求めて頼んで、その意味が理解できなくても協力してくれる? うまくいかないかもしれない。うまくいっても、うまくいったことがわからないかもしれない。説明を求められても、それを拒んで、ただ実行だけを求めても、それでも、いい?」

「四葉の役に立つなら、何でもいい! やる!」

「ええよ! 私もあてにしてよ!」

「サヤボボまで……ありがとう」

 感謝の涙を零した四葉は二人に頼む。

「1962年のキューバ危機から1982年のフォークランド紛争までの主要各国の核戦力および通常兵器の動向と配置、それらの指揮命令権をもっていた人物の推移、そして継続して以後の1992年頃、そうね、前後5年、この時期は主要国だけじゃなくて、まとまった軍隊のある国はすべて調べて。政治と経済の流れ、政府の高官、大企業家たち、現実に国家を動かしている連中、軍人を支配し命令するやつら、その実体が知りたいの。インターネットが普及したのは1999年頃だから、それ以前の情報は紙媒体で調べないとあがってこないけど、時間がかかりそうなの、この作業をしてくれると、とても助かるから、お願い」

「わかった」

「え? キュー……フォーク?」

 学年1、2の成績だった司は頷いたけれど、平均的な成績の沙耶香は戸惑っている。

「じゃあ、私は一人で考え事をしたいから、よほど大切じゃないこと以外は話しかけないで、お願い」

 そう言うと、四葉は再び机に向かって座り、両肘をついて手で顎を支え、考え事を始める。ただ、さっきまでの思い詰めた絶望的な顔から、少しだけ未来が見えた表情になっていた。

「ボクは古川図書館に行くよ。サヤボボは四葉を見守っていて。この様子だと、お昼ご飯抜きそうだから、ちゃんと食べさせて。あと、ボクは早退したって先生に伝えておいて」

「え? ちょ、ちょっと、テッツー!」

「じゃ」

 司は教室を出て行き、沙耶香は困惑しつつも、言われたとおり四葉に昼食をすすめ、放課後まで見守った。

「テッツー、戻ってこんね」

「………」

「ごめん、静かにしとるわ」

 クラスメートが帰った静かな教室で、ずっと座っていた四葉は下校時刻を知らせるチャイムが鳴ったので立ち上がった。

「帰ろう」

「え、でも、テッツーは?」

「図書館に閉館まで居て、あとは帰るでしょ。私が頼んだこと、一日で終わるような作業じゃないし」

「そ…そうやね…」

 二人で昇降口を抜け、校門まで来たときだった。

「兄貴、コイツです!」

「ずいぶんと待たせてくれたな」

 今朝、四葉に因縁をつけてきた柔道部員と、さらに大きな体格をした3年生の男子が待ちかまえていた。

「昨日今日と、オレの弟分が、ずいぶんと世話になったそうじゃねぇか」

「き、気をつけて! 四葉ちゃん! この人、三年生の空手部の主将よ!」

「ウワサじゃ、おっぱい丸出しにするんだってな。オレにも見せてくれよ」

 三年生の男子はヒゲも生やしていて、腕自慢らしくボキボキと拳を鳴らすと、生温かい息を吐きながら四葉に顔を近づけてくる。

「四葉ちゃんは先に帰って! ここは私が!」

「おっと! お前は、こっちで静かにしていてもらおうか!」

 柔道部員の男子が沙耶香の腕をつかみ、組み伏せてくる。

「四葉ちゃん、逃げて!」

「………。あなた、うちの学校、最強だったわよね?」

 四葉が問うと、大柄な男子は下品に笑った。

「がはははっ、おうよ。中学までは柔道、高校からは空手で鍛えてる。この町でオレに勝てるヤツなんざいねぇ」

「まあ、そうでしょうね。人口、少ないし」

「どういう意味だ、そりゃ?」

「私の、おっぱい、見たい? 見せて、あげようか?」

 四葉は質問に質問で返して、にっこりと微笑んだ。少しだけブラウスのボタンを外して、胸元を見せながら、相手に近づく。

「おお~、話がわかるじゃねぇか…」

 完全に油断して、そして充血しつつある男根に四葉は全力で飛び膝蹴りを入れた。

 ドヅっ!

「はうっ?!」

 急所を強打されてビクンと前屈みになった相手の喉元へ、さらに手刀を撃ち込む。

 ベグッ!

 正確に喉仏を撃った。四葉の小さな手と膝でも、急所を容赦なく撃ったことで相手は気絶して倒れる。

 ドサァ…

「ア…兄貴…」

 沙耶香を捕らえていた柔道部員が一瞬の出来事にたじろいでいる。

「サヤボボを離しなさい」

「くっ…、う、動くな! こっちには人質がいるんだぞ! 不意打ちしやがって卑怯者が!」

「人質とってる人が言うこと?」

「う、うるさい! お前の方が卑怯だ!」

「そう、なら、卑怯比べね」

「何だと?!」

「私のパパ、町長なの。知ってるよね」

「うっ…、うぐ…」

「婦女暴行か、痴漢、立派な前科がつきそうね。岐阜県警って保守的だから、政治家とは癒着してるよ」

「くっ…くくっ…」

「いいよね、110番で警察が来てくれる世界って、最高に素敵」

 四葉は携帯電話を取り出して相手に見せた。

「ま、待ってくれ!」

「土下座」

 四葉が命じると、すぐに沙耶香を放りだし、地面に這い蹲った。

「わ、悪かった! もう二度と逆らったりしない! だ、だから!」

「うん」

 にっこりと微笑んだまま四葉は近づくと、土下座している頭を全体重をかけて踏みつけた。

 ドグチャッ!

「んぐううう?!」

「わかる?! 今の私の時間が、どれだけ貴重か?! ええ、わからないでしょうね?!」

 四葉が豹変して、何度も男子の頭を踏みつける。さらにサッカーボールのように蹴り、転がった相手の腹も蹴る。

「くだらないことで手間とらせないで!! うざい!! うざ過ぎる!」

 ガッ! ドカっ! ガスガス!

 もう悶絶しているのに蹴り続ける。

「あなたに、この重圧がわかる?! 何億! 何十億って人の命が私の行動にかかってるの!! それを、邪魔してるの!! ああもう! あなたは死ねば?! あなただけ死んでおきなさい!!」

「…よ……四葉ちゃ……や、やめて!! 四葉ちゃん、やめて!! ホントに死んじゃう!!」

 沙耶香が後ろから羽交い締めにして、ようやく四葉は落ち着いた。

「ハァ…ハァ…サヤボボ……」

「…ハァ…ハァ…四葉ちゃん、本当に四葉ちゃんなの? 一日単位じゃなくて、短時間でも入れ替わるの?」

「ごめん、サヤボボ、つい、あんまり腹が立ったから……」

 そう言って謝る四葉の背後に黒塗りのクラウンが停まった。糸守町が所有する町長専用車だった。降りてきた宮水俊樹が苦々しげにつぶやく。

「こんな娘に育てた覚えはないのに……」

「育てられた覚えはないから」

 ごく幼い頃に母を亡くし、なのに家を出て行った上で、町長選挙に出馬するという理解に苦しむ行動を取った男に対して、四葉は地面に転がっている男子へ向けるよりも冷たい視線で見据えた。

「っ…そんな目をするようになったのか…」

 三葉が思春期だった頃よりも、はるかに空恐ろしい四葉の目に、俊樹は動揺したけれど、大切な用件があるので語る。

「お前に用事がある」

「そう。ちょうどいいわ。私も頼みたいことがあったから」

 四葉は右手を出した。

「お金と自由に使えるクレジットカードを、ちょうだい。現金は10万くらいでいいわ」

「なっ?! ふざけるな!!」

「………」

「うぅ…」

 一喝したのに恐ろしい視線で睨まれ、俊樹は後退った。すでに長期に町長を務めてきた男の経験と胆力で、地元のヤクザ程度なら逆に気圧するほどの政治家ではあるのに、四葉がもっている雰囲気は神がかった恐ろしさがある。その迫力に俊樹は二葉の面影を見た。そして、三葉が無茶な要求をしてきた日のこと、そのおりに男のような雰囲気になったことも思い出した。

「もしや、また、なにか起こるのか?」

「ええ」

「それに、必要なのか?」

「ええ」

「何が起こるんだ?!」

「説明はしない。あなたは私に命令されたことを実行すればいいの。まずはお金とカード、出しなさい」

「っ……説明しろ!」

「時間とらせないでよ。うざいなぁ」

 四葉は思春期の少女が大嫌いな父親に取るような態度で髪の毛をいじった。

「説明してくれれば、ワシも協力しないでもない!」

「しないでもない? 二重の否定ね。まあ、あなたは父親でないわけでもないからね」

「……四葉…」

「とりあえず、今は私がやろうとしていることを、あなたたちが知るとパニックになるかもしれないから、言えないの」

「パニックに……、また、何か、落ちてくるのか」

「空が落ちてくるといえば、そういう比喩も外れではないわ」

「だが、ティアマト彗星の落下から、宇宙防衛も本格的に進み、弾道弾の開発も配備もされている。しかも、ここ数年先、接近する彗星もデブリも無いはずだ。カミオカンデ観測所だって完成している」

「……そっか……そっちの線もあるのね……無駄に配備したミサイル……その暴発が、きっかけになる可能性だって……、あっちの世界だけじゃない、こっちだって、いつ起こるか……テッツーに現代の情報も……ううん、オーバーワークに……まだ、聞こえない……糸の声が……まだ…」

「何をブツブツ言ってるんだ?!」

「あなたこそ、ブツブツ言わずに、さっさとカードと現金!!」

「何に使うんだ?!」

「まだ決まってないわ! 使う必要があるとき迅速にいるかもしれないから確保しておくのよ!!」

「くっ……ワシの用件が先だ!!」

 老練な政治家らしい話のそらしで方向を変える。

「お前は三葉に何をしたんだ?!」

「……。どうかしたの? まあ、なにかしたとは、聞いたけど、どうなってるの? 言っておくけど、昨日の私は、私じゃないから、知らないよ。で、どんな様子?」

「ずっと苦しんでいるんだ!! 立つこともできないほどにな!!」

「………」

「このままでは死んでしまうかもしれん!! 選挙活動もできないんだ!! この大切な時期に!!」

「娘の命と選挙活動、どっちが大切なんだか」

「この選挙には糸守町の運命がかかっているんだ!!」

「ずいぶん小さな運命ね。どうでも、いいんじゃない。人が死ぬわけじゃなし」

「なんだと?! 高校生にはわからんのだ!! この重大事が!!」

「重大事というより些事の典型的な…」

「四葉ちゃん!」

 沙耶香が叫んだ。

「……なによ?」

「時間が無いんよね? お父さんとの口喧嘩に話が長うなっとるよ!」

「「…………」」

 他人に言われて、ようやく自覚した二人は、気持ちを落ち着けるために左手で左耳に触れる。その仕草が、まったく同時で、まったく同じだったので、沙耶香は、やっぱり同じ血筋の親子なのだと感じて、失笑しそうになったけれど、今は我慢する。

「それで、勅使河原三葉さんは、どうしているの?」

 四葉は姉のことを他人を呼ぶように言い、俊樹も静かに答える。

「様子を見に来てもらえないか。話は、それからだ」

「わかったわ。ごめん、サヤボボ、付き合ってくれる。私が冷静でいられるように。さっきは、ありがとう」

「ううん、ええんよ」

「二人とも車に」

 促されて、クラウンに乗り、小さな町なので、すぐに目的地だった病院に着いた。病院内で一番高価な個室に入ると、三葉が全裸で横になっていた。

「……ハァ…………ハァ………」

 三葉は、ごく浅い呼吸をして、大の字に寝ていた。寝ているのは低反発のマットレスを三重に重ねたベッドで、全裸の三葉はシーツさえかけられていない。俊樹は娘の裸体から目をそらしながら説明する。

「何に触れても、猛烈に痛がって、こんな姿なんだ。こうやって寝ていても、マットレスに触れている背中が痛いらしい。下着も着せると泣き喚くし、掛け布団など発狂しそうなほど痛がる。ようやく今の姿勢で、この状態が、もっとも痛みが少ないことがわかったんだ」

 全裸でいる三葉のために室温は少し高めに空調されていて、俊樹はハンカチで汗を拭った。

「こうなったのは、昨日、四葉に何かされたことが原因らしい。どうにか、ならないか? 治してやってくれ、頼む」

「これは……」

 あまりにも憐れな姉の姿を見て、さすがに四葉が鼻白む。

「食事はおろか、水さえ飲めない。医者は、このままだと脱水で死んでしまうというほどに」

「………」

 四葉が言葉を失い、黙り込んで深刻な顔をしていると、医師が入室してきた。医師は三葉に触れないように診察して、俊樹に告げる。

「もう今すぐにでも水分を補給しないと危険です」

「わかった。では、点滴を」

「はい」

 医師の指示で看護婦たちが点滴を用意すると、三葉が気づいて喚いた。

「ちょっ…ちょっと待って。まさか、その針を?!」

 唇を動かして話すだけでも痛いのに、三葉は慌てて逃げようとしている。

「や…やめて!! た…頼むから!! そ…そんなもの刺されたら死んじゃう!! やっ!! や!」

 三葉が拒否することを予め知っていた看護婦たちは手足を押さえつけると、すばやく点滴の針を刺した。

 ブスっ!

「うぎゃあ~、ひひ~!! はああ!! ひええ、ううわああ!! げうっ!! う~ぎゃあ、はぁ、あぎゃあ~!! あ~おごっ、ばわ!!」

 ものすごい悲鳴をあげて三葉は点滴の針を刺されただけで苦しんだ挙げ句に気絶してしまった。死んだのかと思うほどの苦しみ方だったけれど、点滴された以外に傷はない。三葉は白目を剥いてガタガタと痙攣し、水を飲むこともできずに脱水していた者らしく濃くて匂いの強烈な尿を少しだけ垂れ流しているのが、全裸なのでマットレスの上に噴きこぼれている。

「わかってくれたか。四葉、これほど、ひどい状態の姉をみて、どう思う?」

「………助けてあげたいけれど……、早ければ明日、この原因をつくった男と入れ替わるかもしれない。一応、なんとか助けてほしいと伝言は残してみる。ただ、聞いている彼の性格だと、半々というところよ」

「半々……」

「サヤチンさんの声が出るようにしてくれたという話もあるから望みはある。けど、そもそもの理由はサヤチンさんを苦しめたことで懲らしめようと思ったかららしいから、どう考えるかは彼しだい。気まぐれそうな性格だから無理かもしれない」

「それでは困る。この状態では、あまりに…」

「わかってる。だから、あなたは北斗神拳のことを調べて。政治力を使って」

「北斗神拳?」

「民俗学者なんだから、聞いたこと無い?」

「………いや、知らない」

「あなたが民俗学者だったことで、役に立ったこと、一回もないわね」

「…………」

「四葉ちゃん」

「あ、うん、ありがとう。サヤボボ」

 沙耶香に注意されて、父親への厭味で時間を浪費するのをやめた四葉は話を進める。

「とにかく、北斗神拳のことを調べて。それが、この状態を治療することにもつながるし、私に入れ替わりがおきたことから至る結果にとっても、とても大切なことなの。裏社会の暗殺にも関わることらしいから、政治家として、そういう筋のパイプでお願い」

「……わかった。調べよう」

「………」

 四葉は無言で右手を出した。

「………」

「………」

 俊樹も諦めて娘に現金とカードを渡して、クラウンで家まで送らせた。家に戻った四葉を心配で待っていた一葉が出迎える。

「おかえり。大丈夫やったか?」

「ええ」

「お夕飯、できとるよ。それとも、お風呂がええ?」

「………」

 四葉は時計を見る。もう9時を過ぎている。眠気も覚えている。

「ごめん、もう時間がないの。メッセージを残さなきゃいけない。私が紙に書いたこと、何枚もコピーして家中に貼っておいて。ごめんなさい。もう、歳なのに雑用に使って」

「ええんよ、四葉、頑張りや」

 三葉の時に体験したことなので、四葉にも何かやるべきことがあると感じている祖母は疲れた様子の孫娘が部屋に入っていくのを心配そうに見上げた。四葉は部屋に入ると、カードと現金を引き出しの下へ入れて、一万円だけはポケットに残しておく。

「彼にもお小遣いがあった方がおとなしいでしょうし」

 そして机に向かい、ジャギへ残すメッセージを書き始めた。

「…………殺人は、もちろん……暴力も……あと盗みも……」

 四葉は暴力についてや警察と銃の存在について、生活の注意事項と盗まなくても一万円もあれば美味しい物が買えること、そして逆に自分がジャギになっているときに注意すべきことがあるなら、身近に書き残しておいてほしいこと等を書いていく。ジャギの性格を考えて、聞き入れてくれるようにへりくだった文章で、あまり賢く無さそうな人なので難しい漢字はさけて、かりにジャギの肉体なら警察に対抗することはできるかもしれない、とおだてつつ、こちらでは四葉の肉体なのだから機動隊に勝つことは難しいし、かりに勝てても自衛隊も存在し、機関銃などもあることを書き暴走しないよう伝える。忘れずに早耶香の声が出るようになったことの礼と、三葉を治してほしいことも書く。何度も書き直して、気を遣った文章を仕上げるのに、かなりの時間を要してしまった。

「はぁぁぁ……できたぁ……」

 書き終えると疲れ果てて、そのまま眠った。

「四葉……大変なんやね……」

 一葉は心配そうに孫娘を布団に寝かせると、残されていたメッセージをコンビニへコピーに行く。すでに9時で閉店していたのを頼み込んで開けてもらい、何枚もコピーして家中に貼りつけた。

「………ふーっ……」

 齢89にして、いつもは四葉に手伝ってもらっている家事と、コンビニへの往復で疲れた身体で、つまずかないように注意しながら寝間まで行くと、目を閉じた。

 

 

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