翌朝、四葉は仮住まいの自宅で目を覚ますと、サッと起きあがり机に向かってペンを持ち、速記のような速さで体験してきたこと、覚えていることを書き記していく。日の出から書き始め、一冊の辞書になるほどの書き物をした四葉は7時頃、玄関に司が訪ねてくる予感を覚えて、一階におりた。廊下で祖母が心配そうに声をかけてくる。
「四葉、朝ご飯、できておるよ。食べておいき」
邪魔にならないよう静かにしていた一葉は食事も風呂も用意していたけれど、四葉は礼を言って謝る。
「ありがとう、お婆ちゃん。でも、ごめんなさい。時間がないの」
四葉は制服のまま寝ていて、起きてそのまま出て行こうとしている。一分一秒を惜しんでいる様子に孫娘の体調が心配でたまらない。
「四葉……そんなに大変なことを……」
「あんまり心配しないで。もう、そう長く続くことはないと思うから。でも、その分、時間がない気がするの。今日は長い一日になりそう」
「四葉………」
「昨日の私がしたこと、ジャギさんの言動を、主なところを手短に教えて」
そう言われて一葉は昨日の動向を伝える。とくに今が2020年であることに気づいたような納得していないような状態になったことに、四葉は頷いた。
「彼にも協力してもらわないといけないから、そろそろ気づいてもらった方がいいわ」
「………。四葉、あんた……雰囲気が………、……本当に、四葉なん? っ…変なこと言うて、ごめんよ」
相当な困難に直面しているようなのに、高校2年生の17歳とは思えないほど、しっかりとして静かに落ち着いて見える孫娘へ、思わず問うてしまったことを一葉は詫びたけれど、四葉は穏やかに凛とした微笑みを浮かべた。
「今日は四葉だよ。お婆ちゃん。この口が婆ァなんて言ってるみたいで本当に、ごめんね」
「ええんよ、そんなこと」
「もう行くね。いってきます」
「いってらっしゃい」
一葉が祈るように四葉を送り出し、四葉は自分が書いた物をもって、玄関にいる司へ声をかける。
「おはよう。ありがとう」
四葉は司が手に持っている書き物へ、礼を言った。
「おはよう、四葉。頼まれたこと、やったつもりだよ」
「頼りになる人で嬉しいわ。ありがとう」
「っ…、そんな…」
あまりにもストレートに、そして真面目に礼を言われて誉められ、司は照れくさくて目をそらした。
「じゃあ、それを持って御石様へついてきて」
「え? ああ。けど、学校は?」
司は早く完成した物を四葉に届けたくて、登校時間より早めに来たのだったけれど、学校へ行くつもりの無さそうな様子に問い、四葉は平然と答える。
「欠席の連絡を入れてくれる?」
「わかった」
それだけ大切なことなのだと、司も即座に理解して、二人が欠席することを学校へ連絡し、あとから通学路に出てくるはずの沙耶香へもメールを送りながら、四葉と歩く。行き先は7年前に落ちてきたティアマト彗星の一部、それを御神体として再建しつつある新宮水神社だった。まだ建築途中で、ようやく本殿だけが完成しつつあるけれど、今朝も宮大工たちが集まり、これから作業に入ろうとしている。そこへ、施主であり、宮司となる四葉が現れると、宮大工と作業員たちは頭を下げて挨拶する。
「「「「「おはようございます」」」」」
「おはよう。今から急に神事を執り行うことになったの。申し訳ないけれど、みなさんは撤収してください。この本殿へは誰も立ち入らないよう、お願いします」
「わかりました」
棟梁が異議一つなく全員を撤収させる。まだ作業が始まっていなかったので、すぐに誰もいなくなった。誰もいなくなると、司は独特の雰囲気を感じた。落ちてきた隕石の周りには半径500メートルのクレーターができている。その内には、まだ草一本生えていない。再建工事のために鉄板で仮りの道路が造られている以外は、7年前から、さほど変わっていない。そんなクレーターと隕石がある光景の中に、ぽつんと神社の本殿だけが工事を9割ほど終え、建っている。真新しい桧や杉の香りがした。
「本当なら、身を清めたいけれど、その時間も無さそう」
四葉は靴を脱ぐと、本殿にあがる。
「いっしょに来て」
「…あ…ああ。……い、いいのか? ここにボクがあがっても」
神聖さにおそれを感じた司が問う。司などの一般人にとって、神社の本殿はあがることのない神域で、その手前から祈るものだという認識があった。四葉は穏やかに、はっきりと答える。
「今は、いいのよ」
「……。わかった」
司は頷いて靴を脱ぎ、本殿に入った。本殿内は50畳ほどの広さで、入ってきた格子状の戸を閉めても、その反対側は隕石に面してオープンな構造になっていた。左右の壁と天井、床によって視界が区切られると、落ちてきた隕石が目の前いっぱいに拡がっている。地球外から来た岩石は、これまで司が見たどんな岩石にも似ていないし、その存在感は御神体と呼ばれるに相応しい重々しさがあった。四葉は本殿の中央に立つと、自分が書いた物を足元に置き、司が持っている紙束を受け取る。
「よくできてるわ」
少し目を通した四葉は微笑んだ。
「頑張ってくれて、ありがとう。これで世界は救われるかもしれない」
「四葉……」
司は訊きたいことが山ほどあったけれど、四葉の邪魔をしたくないので我慢する。四葉は静かに受け取った紙束と自分が書いた紙束を畳へ並べて置いていっている。司が書いたものは依頼されたとおり1962年から1990年代にかけての各国の軍事や政治、経済についての資料だったし、四葉が書いた物も同じような内容なのか、対応させるかのように並べているけれど、四葉が書いた物は記号が多くて司にはわからない。不意に四葉が司に頼む。
「このウクライナの資料、もう少し細かいところを知りたいわ。ここと、ここ、スマフォで調べてわかる範囲でいいから、お願い」
「ああ、わかった。調べてみる」
その後も、ときおり四葉は資料を並べながら追加の情報を要求してくる。それを司が調べて四葉に教えると、記号のような文字を書き加えていった。
「それ、なんて書いてあるのさ?」
思わず司が質問してしまうと、少しだけ説明してくれる。ソビエト連邦を単にソと書いていたり、アメリカ合衆国をAとしか書いていないことや、戦闘機をキとしか書いていないことを教えてもらうと、少しは司にも意味が推し量れてくる。
「……QにソミB、62/10対Aキ54……これって、キューバにソ連がミサイル基地、62年10月対抗してアメリカが戦闘機54機を派遣、って意味?」
「……」
四葉が無言でコクッと頷いてくれたけれど、その瞳は一枚一枚の紙片を食い入るように見つめていて、これ以上は話しかけないで欲しいという気持ちが伝わってきたので司は黙る。書くスピードを優先して記号を多く使用した四葉にしか読めないような紙片が円陣に並べられていくと、司には神聖な儀式にさえ見えてきた。二人が書いた物が50畳の本殿に所狭しと並びきると、司は本殿の隅までさがっていた。四葉が深呼吸する。
「あとは声を聴くだけ。糸の声を。歴史の糸の声を」
つぶやいた四葉は静かに立っていたり、歩き回って紙片を見たり、そんなことを2時間以上も続けていて、そして唐突に唾を吐いた。
「プッ」
「………」
司には何をしているのか、まったくわからないけれど、四葉が吐いた唾はあざやかな放物線を描いて、飛び散ったりせず一塊になって紙片へ落ち、そこにあった人名に染み込んだ。
「プッ」
また四葉が唾を吐く。同じように人名へ飛び、染み込んでいる。
「………」
そういえば口噛酒も四葉や三葉さんの唾液を混ぜて造っていたから、四葉たちの唾液には何かあるのかもしれない、と司は漠然と考えたけれど、口に出して訊いたりはしなかった。
「プッ」
三度目も人名に染み込んでいた。
「この三人のことを調べて」
「え? あ、ああ。わかった」
四葉の唾液が染み込んだ三つの人名は、政府の高官と大企業家、ロケット技術者だった。言われた通りに司が調べると、その情報を四葉は書き記し、それから心に刻みつけるように見つめ続け、完全に諳んじたと感じると、大きなタメ息をついた。
「はぁぁぁぁ……終わった…」
とても疲れた様子で四葉は畳へ座り込んでいる。張りつめていた空気がやわらいだので司が訊く。
「四葉、大丈夫?」
「ええ。それより今は何時?」
「えっと、………11時20分だよ」
「もう、そんな時間なの………。いえ、間に合っただけ、よかったのかな………」
そう言った四葉は急に甘えるような瞳で司を見ると、ねだるような声でいざなう。
「ねぇ、こっちに来て、司」
呼ばれて司は本殿の中央にいる四葉に近づき、問う。
「なんで、テッツーじゃないのさ?」
急に呼び方を変えられて、ごく自然に質問していたけれど、四葉は生真面目な顔で司を見つめながら告げる。
「テッツーっていう名前は、テッシーの2号、2番目って意味がこもってるでしょ。姉さんが克彦さんをテッシーって名付けたことの二番煎じだけど、もともとテッシーも、お母さんがお父さんの俊樹をもじってトッシーって呼んでたことの真似、だからテッツーは二番煎じどころか、三番煎じなの」
「そう……だったのか……そんな歴史が……。でも、なんで急に?」
「私は自分の伴侶を、そういう風に呼びたくないの。ちゃんと本当の名で司って呼びたい」
「はっ……伴侶……って…?」
司が驚いて赤面していると、四葉は静かに抱きついた。
「う、うわっ…」
さらに司が驚いて、どうしていいか、わからなくなる。四葉へ告白はしたし、受け入れてもらえたような気もしていたけれど、あまりの展開の速さに思わず司は一歩さがる。さがった分だけ四葉は近づいて男の顔を見上げ願う。
「抱いて」
「えっ……う……うん…」
ここまで言われると、司は動揺しながらも抱きつかれている状態から、抱き返して、抱き合った。
「…………」
「…………」
そのまま抱き合い、四葉は男を見つめているけれど、司は照れくさくて四葉の瞳を正視できない。大好きだった女の子と抱き合っている喜びよりも、急すぎる進展についていけず、そして疑問は糸守町を囲う山々ほどあるのに、四葉は抱き合ったまま、右手でブラウスのボタンを次々と外していき、前を全開にして肌を見せると、スカートのチャックをおろし、ホックまで外してしまった。
パサっ…
スカートが畳へ落ちる衣擦れの音がして、四葉の顔が牡丹のように赤く染まった。
「司……抱いて」
「そっ…そっちの意味で?!」
ますます驚いて司が大声をあげると、さらに四葉の顔が赤くなる。けれど、その意志は固いようで抱きついたまま離れない。そして恥ずかしさで目を潤ませながらも頷く。
「うん。そういう意味で………抱いて」
「ちょっ、ちょっと待ってよ! 四葉! 待ってくれ!」
司は四葉の肩をつかんで引き離した。
「どうしたんだよ?! 急に!」
「………」
問われて四葉は困ったように目をそらし、少し考え込むと、また求める。
「お願い、抱いて」
「………四葉……そんな、急に言われても……」
「…………。っ……ごめんっ……今の、無し。………忘れて」
そう言った四葉が、とても悲しそうに、とても淋しそうに、泣き出しそうな顔になって、耐えきれず両目からポロポロと涙を零して顔を伏せたので、司は強烈な切なさを覚えて、強く四葉を抱きしめた。まるで今、抱いておかないと何かを失ってしまいそうな気がして、抱きしめる腕に力を入れ、そして問う。
「待ってくれよ、四葉。せめて少しは何か教えてくれ」
「……………」
「どうして急に? それに、あの調べた三人は、どうする気なんだよ?」
「…………質問は……しない約束」
「それでもさ! それでも………四葉は伴侶になる相手に、何も言ってくれないのかよ?!」
「っ……それは……」
四葉の瞳が迷っているように宙を彷徨い、また溢れるように涙を零してから、まっすぐに司を見つめた。
「私のお母さんは、お父さんへ何も言わなかった。私も、目覚めるまで悟れなかった。………でも、もう、わかってる……それを、司に黙っているのは……司に悪いよね」
「四葉?」
「………。何から話せばいいのかな………、とにかく、ビックリしないで聴いてほしい。私のお母さんが、私が小さい頃に亡くなったのは知ってるよね」
「ああ。……」
「私も、あのくらい短い命なの。きっと」
「っ?! どうして?!」
驚かないでほしいと言われたけれど、驚かずにはいられなかった。今、腕の中にいる四葉は健康そのもので、どこにも死の影などない。なのに、早世するという四葉の言葉は信じがたい。けれど、前例を出されると、半信半疑になり不安になった。そんな司の視線を受け止めて、四葉は微笑をつくった。
「それが宮水の巫女の宿命だから」
「……宿命………宮水の巫女………。……もしかして、それは三葉さんが時間を跳躍したかもしれない話と、関係あるのか?」
「ええ」
ひょっとしてと司が考えた可能性は言っていて事実とは考えにくいものだったけれど、四葉は明瞭に肯定した。
「っ…そんな……でも、やっぱり三葉さんは時間を……彗星落下を予知した……あのウワサは本当だったのか………」
「そうよ」
「いや……けど、あの話は、そもそもが、おかしくないか?」
当時、司も10歳だったけれど、町に流れた噂は神秘的かつ奇跡的だったので覚えている。あの隕石落下で誰一人死傷しなかったのは奇跡だったし、まるで悲惨な未来を知っているかのように隕石が落ちてくると騒ぎ立てたのは三葉だった。それでも流れた噂話に矛盾点は感じているし、その矛盾点ゆえに町民たちも半信半疑でいる。けれど、半分は信じているので宮水の巫女への信仰は事件後、かなり厚くなっている。そこに疑問を投げかけるのは、かなり勇気のいることだったけれど、それを率直に問う司へ、四葉は問い返した。
「どのあたりが、おかしいと思うの?」
「だってさ、もしも入れ替わりが時間を跳躍して起こっていたとして、隕石落下を知ることができたから未来から過去へ危険を伝えたとしたら、その未来の方では犠牲者がいたはずなのに、その存在があやふやになるし、何より未来から過去へ危険を伝えようって動機が生じないことになってしまう。かりに、うまくいったとしても、今度は、うまくいった未来から過去へ、伝えようって動機が生じない。どうどう巡りのパラドックスにおちいるはずだろ?」
「うん。それは初歩的なタイムパラドックスの概念ね」
「そうだよ。もしや、パラレルワールドってことなら、それはそうであって町の人たちが死んでしまった世界も、すぐ隣に続いているのかもしれないけど。でも、それだと町の人たちが、奇跡が起こって、みんな助かったって噂をすること自体、もう、おかしな話じゃないのか。何より、三葉さんが最初に結婚したって相手は会うはずのない存在になるはず」
「司、まず自分が認識している世界や世界についての概念が、認識や想定の通りだとは限らないって考え方は、できる? 根本から世界観を多様に持てる?」
「………」
司が考え込み、そして問う。
「太陽は地球の周りを回っているとか。地球は丸くない、皿のような大地で、世界の下部で巨大なゾウが大地を支えている説みたいな?」
「そう。さすがに、頭が柔らかいね。話ができて助かるわ。人は見えている世界、観測できる事実のみを、すべてだと考えてしまいがち」
そう言いながら四葉は髪を一纏めにしていた組紐を解いた。
「パラレルワールドという考え方は時間軸や世界の道筋を数直線のように想定して語られたもの。だから、どこかで分岐が生じると、そのから先は平行線。向こうは、向こう。こっちは、こっちで関係ない。だから、宮水三葉と立花瀧は出会うはずがない、まして結婚するなんて、ありえない。でも、出会った。結婚までした。なぜ、出会えたのか?」
四葉は組紐を両手で持ち、ピンと張って司の目の前に呈示した。
「よく見て。紐は、何本もの糸で構成されてるでしょ」
「あ…ああ…」
糸は複雑に絡み合い、見事な模様を造って紐になっている。単なる平行な糸の束であるよりも、組まれて紐になっていることで、はるかに強靱で安定していて使いやすい。
「時間軸や世界の道筋は、か細い数直線でも、交わることのないパラレルラインでもないの。むしろ、この組紐ようなもの」
「ひも?」
「一つ一つの世界の可能性は、一本一本の糸のようなもの。その細い糸が組み合わさって、太い紐、世界の総体になっていくの」
「……………」
「紐だから、もしも一本の糸が切れても、紐のままでいられるの」
四葉が組紐の擦れて切れた部分を見せる。糸の繊維が摩擦で切れてしまい、ほつれているけれど、紐全体としての強靱さは保っている。
「途中のどこかで糸が切れていても、他の糸が補完して、支え合って力は分散、可能性は分岐して埋まり、世界の総体も補完される。けど…」
四葉が組紐の末端を司に見せる。すべての糸が終わり、そこから先に紐は無い。
「すべての糸が切れてしまったら、紐も終わってしまう。そして、糸と糸は相互に干渉し合うの。良いことがあれば良い影響を。悪いことがあれば悪い影響を。どちらも隣接している糸へ影響させてしまう。だから、一本の糸が焼き切れれば、その隣りの糸も焼き切れるかもしれない。さらに、それを放置しておけば、また隣りへ。そんな風に悪影響の連鎖が始まると、世界は終わってしまう。私たち宮水の巫女のような存在は、それを防ぐために存在しているの」
「…………そんな……」
「7年前に奇跡が起こった。そんな記憶が町の人たちにあるのも、糸と糸が影響を与え合うから、記憶に揺らぎが生じるの」
「………。だ……だとしても……だとしてもさ! どうして、四葉が長く生きられないんだよ?!」
切実な問いに、四葉は申し訳なさそうに、そして明白な諦めをもって答える。
「私たち宮水の巫女は、この奇跡を行う度に、残りの寿命の半分を失うの」
「っ……半分」
「そう、半分」
四葉の目に恐れは無いけれど、悲しみと淋しさは溢れていた。
「そんな…………いや、でも! お婆さんは?! 一葉さんは、すごい長生きじゃないか! 長生きする方法だって、あるのかもしれない!」
期待を込めた司の言葉へ、四葉は静かに首を横へ振った。
「お婆ちゃんは一度も飛んでないの。ううん、正確には飛べない。そんな夢を見たことがあるくらいで、幸か不幸か、お婆ちゃんには、その力が、ほとんど無かった。お姉ちゃんも、それに近くて、よく飛べて3年か、5年。それに本人の能力に対しての自覚も薄いから、口噛み酒を造ったとき、寿命の半分を捧げるのかもしれない、って感じてもいないの。二人とも、ただの比喩だと思って口伝してる。けれど、逆に私やお母さん、お婆ちゃんの母だった初葉さんには、きっと強い自覚と使命感があった」
「自覚と…使命感……」
「お母さんが亡くなる前に、私にだけ話してくれたこと、聞いたときは意味がわからなかったけど、今になって世界が紐であること、自分が飛べること、命が長くないこと、わかってしまうの。まるで、鳥が飛び方を教わらなくても知っているように。蝉が求愛を来月へ先送りにしないように。蜉蝣が一日の出会いへ、すべてをかけるように」
「………そんな……そんなの……あんまりだ。………ウソだと、言ってくれ」
「ウソや私の誤認なら、どんなにいいか。けど、宮水の巫女に特別な力があることは、他のことでも説明できるの。たとえば、司は酒税法って知ってる?」
「酒税法? いや、知らない。消費税みたいな?」
「知らないのが普通だよね。普通の高校生は知らない。けど、お姉ちゃんは知っていた。なぜなら、予知夢を見ていたから」
「予知夢?」
「宮水の巫女は、ときおり予知夢をみたり、予知、予感したりして危険を避けることもある。私が小学生の頃、お姉ちゃんへ口噛み酒を商品化したら面白いよ、って言ったときに、当時は高校生だったお姉ちゃんは即答で酒税法違反だって答えたの」
「そんなことがあったのか……」
「あの後、私も予知夢をみた。予知夢というより、ちゃんと酒税法に違反しないように商品化したら、どうなるのかなって考えて寝たら、一時的には事業は成功するんだけど、急に忙しくなって商品管理や流通が追いつかなくて、消費者の一人が食中毒で亡くなってしまうの。もともと、身体の弱い人だったみたいで口噛み酒のせいじゃないはずなのに、これがキッカケで週刊紙やテレビに面白おかしくゴシップにされて、あげくに私もお姉ちゃんも食品衛生法違反で逮捕される。そんな夢をみたの」
「………それは、ただの……」
「うん、ただの夢、妄想かもしれない。けど、小学生が、そんな夢をみる? 高校生が酒税法を気にする?」
「…………」
「予知夢で危険を回避するのは、まだ簡単に済む方。大変なのは、悪い歴史を改変すること。時間を遡って、歴史の糸を組み直すの。これまでにも何度も宮水の巫女は歴史へ干渉してる」
「どうして、それがわかるんだよ?」
「歴史の教科書を読んでると、なんとなく感じるの。たとえば、南北朝の頃、天皇家が割れて大変だった時期に楠木正成、新田義貞なんかの主立った武将が、あっさり敗死していたり、朝鮮への出兵にこだわった豊臣秀吉が病死していたり、徳川慶喜が奇妙なほど、あっさりと新政府軍に恭順したりね」
「……戦乱を治める方向に?」
「そうよ。そして、一番大変だったと感じるのは、ひいお婆ちゃんの初葉さんの時代と、お母さんの時代」
「ひいお婆さんは時期的には……第二次大戦の頃?」
「正解。あの日本の大敗戦で何人が亡くなったか覚えてる?」
「たしか300万人から500万人くらいじゃなかったかな。軍民を合わせて」
「それは総人口の何%?」
「人口を1億とすれば、3~5%かな」
途方もない数ではあったけれど、ただの数として司が計算し四葉は小さく頷いた。
「あの破滅的な敗戦、末期の徹底的な無差別空襲と、さらには原爆。なのに、あえて悪い言い方をすると、たった3%しか殺されずに済んだ。レーダーもない、高射砲も届かない、ろくな迎撃機もない。そして昼夜いつ空襲があるか、わからない。そんな過酷な状況なのに97%の人々は逃げ、生き延びることができた。私は、これ、絶対ひいお婆ちゃんが何度も何度も、たくさんの人と入れ替わって、危険を知らせたんだと感じてる」
「…………」
司が見つめる四葉の瞳には、誇大妄想にかられた少女の不安定さなど一欠片もなく、曾祖母の偉業への確信的な誇りが光っていた。そして状況と計算から司も納得してくる。
「たしかに………、あれだけの負け方で………意外なほど少ないのかも……奇跡的なくらい最小限で……戦後には奇跡の復興を……。でもさ、お母さんの時代は? その頃は平和だったはずじゃないか?」
「冷戦を忘れたの?」
「冷戦………」
「キューバ危機の前後にも、何度も緊張は高まったよ。それでも、とうとう今の私たちの世界では核戦争は起こらなかった。きっと、お母さんが寿命を削って世界を守ってくれたから」
言いながら四葉は涙を零した。会ったことのない初葉のことは、ただ純粋に誇らしく想えても、母親のことは誇らしさよりも悲しみと淋しさが、はるかに強いようで唇と喉も少し震えている。
「核兵器って本当に最悪」
心から憎むように四葉が言った。
「……他の兵器とは、……違うのか?」
「言ったでしょ。一本の糸が焼き切れると、隣りの糸へも影響を及ぼして、そうなるかもしれない。今の私たちの世界だって明日、ミサイルが絶対に飛んでこないって言える? 1発のミサイルから始まって、応酬、そして破滅」
「………第一次大戦も……一発の銃弾から始まってる……」
司が自分たちが享受している平和が薄氷の上に成り立っているのだと、感じ始めた。四葉は組紐を、もう一度、司へ見せる。
「世界は紐のようなもの。糸と糸は、組み合わさるとき、その外周と内周で少しズレがあって他の糸と接するよね。だから1990年代の破滅が、2020年代に影響してくる可能性だって、大いにあるの。だから、放置しておけない」
「四葉………まさか…君も………」
「お母さんは頑張ってくれた。だから、私も頑張るの。そして今回が成功しても、あと2回か3回は、また私に入れ替わりが生じて、頑張らないといけない時が来る予感があるの。だから、私の寿命は、…………きっと、長くない」
「…………そんなのって……」
話を信じてしまうと、信じたくない事実が重くのしかかってくる。四葉は瞬きして涙を払った。
「ごめん。………こんな……早く死んじゃう女で」
「………四葉……」
「イヤだよね。………お母さんは、お父さんへ説明してなかったみたい。でも、私は言っておく。言ってしまうと、相手にしてもらえなくなりそうで怖いけど、黙っているのは、悪いよね」
「四葉………そんな冷静に……け、けど! でもさ! その運命は変えられないのか?! そうだ! さっき揺らぎって言ったろ?! 過去を変えれば、当然に未来も変わる。そして、揺らぎがあるって! その揺らぎで、四葉の運命なり宿命なりを変えられないのか?!」
「………司……」
四葉が儚く微笑んだ。どうにか助けようとしてくれることを少し嬉しそうに、けれど絶対的な諦めと受容をもって答える。
「そんな代償なしに、成果だけなんて、ご都合主義は無理よ。揺らぎがあるっていっても、ほんの少し。たとえば、早耶香と沙耶香の名前が入れ替わってしまったりとか。もっと古い過去の変え方が少し違っていたら、お母さんが二葉じゃなくて双葉になっていたりとか。そんな風に、揺らぎでは因果律の糸は大きくは変わらない。大きく因果を変えるのは宮水の巫女が意図して行うこと。揺らぎは意図しなかった小さなこと。もっとも、人それぞれの決断や、そのタイミングでも未来は変わるよね。たとえば、進学先とか結婚のタイミング。お姉ちゃんも、あんなに慌ててサヤチンさんの結婚式に合わせて挙式しなければ……もっと落ち着いて交際してからの結婚なら、うまくいってたかもしれない。……ううん、あの二人は根本的に相性が悪いかな……どっちも片親みたいな家庭環境で、あんまり相手のことに気がつくタイプじゃないから………。だいたい、たまたま、お母さんが入れ替わり相手だったお父さんと結ばれたからって自分もそうなるはずって思い込むなんて……なんてバカな姉」
「…よ……四葉はジャギさんのこと、どう想ってるんだよ?」
ずっと内心で不安に感じていたことを司が問うと四葉はクスクスを笑った。
「大丈夫だよ、司。私は、そんなロマンチストでも運命論者でもないもの。何よりジャギさんは2020年頃には、もう初老のはず、おじさんとお爺さんの間くらいだよ」
「そうなのか……」
「そもそも跳躍先の器として、たまたま入れ替わっただけの相手と結婚なんて、どこかの面白宗教の合同結婚式じゃあるまいし、恋愛に対する真面目さが欠如してるよ。恋愛は、そんな偶然と勢いでするようなものじゃないよ」
「……じゃあ、四葉は恋愛を、どう考えてるんだ?」
「この人となら、ちゃんと子供を育てていける、ちゃんとした家庭を築けるって見極めるための通過点」
「………なるほど……ずいぶん現実的というか……実用的というか…」
ごく幼い頃に母を亡くし、なのに父が家を出たという生い立ちのためか、それとも東京のイケメンというキーワードを叫ぶ姉の背中を見て育ったからか、四葉の恋愛観は、ひどく現実的で極めて実用的なもののようだった。
「とにかく私とジャギさんが結ばれることは無いよ。けど、私が前世紀の筋書きを変えることで、バタフライ効果のように今の世界も認識しているまま、認識している世界とは違っているかもしれない。いえ、きっと、そうなる」
「それって、もしかしてボクと四葉のことも……変わるかもしれないのか? だから、抱いてくれなんて、慌てたようなことを急に言い出してるのか?」
「ううん」
四葉が嬉しそうに微笑んだ。
「それは別の理由よ。私と司のことは、きっと変化しない」
「どうして、そう言い切れるんだよ?」
「だって」
四葉の細い指先が司の胸に触れて、甘えるようにスーッと撫でた。
「あの司の告白があったから、今の私と司がいて、私の決断があるからよ。あんなに、しっかりと因果律を成立させてくれたら、変わらないよ、絶対」
「……よかった。………でも、じゃあ、どうして? とても焦った風に、さっき抱いてくれって………別の理由って何だよ?」
「それはね。………」
四葉が愛おしそうに自分のお腹を撫でた。
「それはね、今日、私と司が結ばれれば、赤ちゃんを授かれる予感があるから。そして今日を逃すと、しばらくチャンスは遠のく予感もあるの」
「っ…赤ちゃん……」
「私の寿命は長くない。だから、早く産んで、少しでも長く、この子と過ごしたいの。一ヶ月でも、一週間でも長く。いっしょにいたい。いてあげたい」
そう言って四葉が双眸から、とめどなく涙を流すので司も胸が痛くなった。母親に早く去られたことが、どれほど悲しかったことか、そして同じことを自分も繰り返すとわかっているので、せめて少しでも早くと想う気持ちを恋人から感じて、司の目頭も熱くなる。
「四葉……」
抱きしめて頷いた。
「わかったよ。そうしよう」
「ありがとう、司」
お礼を言って四葉はブラウスも脱いだ。真新しい畳へブラウスとスカートが落ちている。初めて伴侶となる相手に下着姿を晒すと、四葉は恥ずかしさで再び頬を真っ赤に染めた。それが可愛らしくて司は男としての衝動を強く覚える。
「四葉……好きだよ」
「ありがとう、司。私も司が好き」
そっと二人がキスをして、そのキスが深まる。キスが終わると、四葉は顔をますます赤くしながらブラジャーを自分で外し、ショーツも脱いで裸になった。四葉の身体から汗の匂いがする。
「ごめん……入れ替わりが始まってから、忙しくて、ずっとお風呂にも入れてないの。臭かったら、ごめんなさい」
「……そんなことないよ。四葉の匂い……いい匂いで好きだ」
四葉の身体は何日も入浴していない様子なのに、不思議な甘い香りがした。まるで兄と前兄嫁が東京で挙げた結婚式に食前酒として出てきた貴腐ワインのような甘く熟れた匂いで、司は強く本能を刺激された。けれど、四葉は一人の女の子としては、とても恥ずかしくて涙ぐんでいる。
「司……ごめんね、ムード無くて……時間が無い予感がするの。………失礼な言い方だけど、早く済ませて。お願い」
「……わかったよ、四葉」
「こ…ここから、どうすればいいの?」
積極的ではあっても経験がないので裸になってしまうと、その先がわからない。学校の保健体育では詳しく手順まで教えてくれないので四葉は無知だったけれど、司は兄が購入したムー以外の雑誌やDVDを見ているので知っていた。
「じゃあ、四つん這いになって、お尻をこっちに向けて」
「ぅ………うん…」
言われた通りに実行すると、四葉は羞恥心で背中まで真っ赤に染めた。お互い気持ちの高ぶりは頂点に近いので、もう衝動のまま一つに結ばれる。
「…ハァ……ハァ……四葉、痛くないか?」
「大丈夫、平気。……恥ずかしくて変になりそうだけど……」
「四葉………本当に妊娠させていいんだね? 中に出す……ってことで、いい?」
むしろ司の方が、まだ躊躇っている。二人とも高校2年生で初体験には適齢期であるけれど、いきなり妊娠という言葉が出てくると、やはり重い。本当に、それでいいのか、司は迷っていたけれど、四葉は求める。
「いいの。お願い、妊娠させて」
「……わ……わかったよ…」
司が緊張して生唾を飲み込みつつも、ゆっくりと腰を振っていく。
パン! パン!
突かれて四葉のお尻が音を立てて鳴る。妊娠したいと強く想っている四葉は初体験なのに快感を覚えて息を乱しているうちに、ヨダレまで垂らしていく。けれど、司は緊張して、なかなか最後の衝動まで至れない。
パン! パン!
そのうちに四葉のスマフォが鳴った。
チャラッチャア~♪ チャララタララチャチャタラタァ~♪
四つん這いのまま、四葉はスカートへ手を伸ばしてスマフォを出している。
「四葉、電話に出るの?」
「うん。……ごめん。ハァ…時間が無いの。司は…ハァ…続けていて」
「続けるって……」
「電話が終わったら、すぐ行かないといけないから。お願い、ちゃんと妊娠させて」
「…わ…わかったよ」
パン! パン!
「もしもし…ハァ…四葉です」
四葉は司と結ばれたまま、電話に出た。
「私だ」
かけてきたのは父の俊樹だった。
「四葉、電話かまわないか?」
「ええ…ハァ…」
四葉は赤く紅潮した顔で、なるべく冷静な声を出しているけれど、強い快感のために、どうしても熱っぽく息を吐いてしまう。
パン! パン!
司に突かれる度に身体の芯へ快感の波が走り、喘ぎ声を出してしまいそうになるけれど、それを我慢して父親との会話を続ける。
「四葉、声がおかしいようだが、大丈夫なのか?」
「…大丈夫よ。…用件をお願い。…パパ」
「………」
いつになく優しく甘えた声でパパと言われて、俊樹は自分でも意外なほど嬉しかった。思い返せば、パパと呼ばれること自体、何年ぶりだろうか、町長になってから一度も無かったかもしれない。
「…ハァ…ハァ…んっ…」
「四葉、息が荒いようだが?」
パン! パン!
「用事があって走っていたの。ハァ…用件を早くお願い」
便宜的なウソをついて四葉は会話を促した。
「わかった。北斗神拳について調べがついたぞ」
「そう、よかった。ありがとう、パパ! ハァ…んっ…」
「うむ」
俊樹が嬉しそうに返事している。ありがとう、パパ、という言葉の響きは心地よかったし、四葉の声には甘えたような湿っぽさがあって余計に感情を感じる。
パン! パン! パン!
「……。いつになく四葉の声が優しいな」
パン! パン!
「頼み事を実行してくれた人に対する礼儀よ。ハァ…」
パン! パン!
「お前も大人になったな」
パン! パン!
「ええ。…んっ…」
四葉は身をよじって鼻声を漏らしながら、スマフォを持っている手の小指を自分で噛んでプルプルと震えた。そうしないと喘ぎ声をあげそうなほど気持ちよくて、頭が真っ白になるような快感が背筋から攻め上ってきて性感の頂点を迎えている。なのに、緊張している司はなかなか終わってくれない。とくに電話の相手が父親のようなので娘さんを妊娠させてしまって本当にいいのかと、たじろいでいる。
「…ハァ…」
やっと四葉は強烈な快感の波が少し静まってくれたので、司を促すように腰をくねらせた。それで萎えかけて迷っていた司が再開する。
パン! パン! パン!
「っ…はぅ…」
再び突かれると、静まっていたはずの快感が、すぐに燃え上がってしまい、四葉は声を漏らさずにはいられなかった。もう恥ずかしいという気持ちより、しっかりと司の両手が倒れそうになる四葉の腰をもって突いてくれるのが本能的に嬉しくて、また快感の頂点が次々と波になって押し寄せてくる。
「あぁぁ…ハァ…」
「…四葉? どうした?」
「ぉ…お願い、早くして。ハァ…ハァ…いろいろ時間が無いの。お願いっハァっ…ハァ」
四葉は父親と恋人へ、早く終わらせてくれるよう懇願した。
「そ、そうだな。まず北斗神拳は暗殺拳だそうだ」
パン! パン!
「諸説あるが1800年から2000年の歴史があると自称している」
パン! パン!
「にせ、んっ…」
また四葉に快感の絶頂が来襲して身もだえする。喘ぎ声を我慢するために噛んでいる小指にヨダレが流れてスマフォも濡らしている。防水仕様のスマフォなので問題はなかったけれど、電話しながら、もう片方の手で四つん這いを維持するのが苦しくなり、上半身は崩して畳へ伏せると、お尻だけを突き出すような体勢になり、その状態で突かれると奥深くまで司が入ってきて結ばれ、何倍も快感が強くなり、四葉の瞳が蕩けた。
パコン! パコン!
深く結ばれる二人の立てる音も少し変化した。
「形としては寺院だが、宗教法人格はないようだ。檀家や信徒もおらず、ごく少数の弟子がいるようで、寺宝は巨大な阿吽の像だが、文化庁による年代測定を拒否している。作風から鎌倉期のものと思われるそうだ」
パコン! パコン!
「ハァ…代表者は? ぁハァ…」
「現在の伝承者は北斗ラオウというらしい」
「ラオウさん…んっ…。在籍者にジャギさんか、ハァハァ…ケンシロウさんの名前はある? ハァ…」
パコン! パコン!
「いや。手元の資料にはないな。本当に息が荒いな。大丈夫なのか?」
「んっ…、うんっ、…大丈夫よ…、つ、続けて」
パコン! パコン! パコン!
四葉は突き続けられて、また絶頂する。
「あはっ…んんっ…」
喉の奥から喘ぎ声が溢れてしまい、四葉はヨダレを流してよがった。
「ハァっ…ハァ…」
パコン! パコン!
「四葉、とても大丈夫とは思えないのだが………息が、それに声も…」
「は、走ってるの。…他にも用事があって…ハァ…急いでハァるから…ハァ…んっ…」
パコン! パコン!
「それなら、あとにしようか?」
「ううん、パパとの…ハァ…話も大切だから…ハァ…お願い…続けて…ハァ…」
パコン! パコン!
「わかった。え~っと……とても大きな馬を飼育しているらしい。…いや、これは、どうでもいいか。なにか、質問はあるか?」
「ハァ…ラオウさんは今どこに? ハァ…連絡を取る方法はあるの?」
パコン! パコン!
また四葉が絶頂してプルプルと震える。今度は喘ぎ声を漏らすことは我慢したけれど、快感が強烈すぎてオシッコを少し漏らしてしまった。娘の様子がおかしいと思いつつも、俊樹は話を続ける。
「東京の八王子に寺院があり、そこにいるようだ」
「八王子……たしかに、そのあたりなら都心が爆心地なら生き残れて…ハァ…ハァ…連絡は?」
パコン! パコン!
「直接の連絡は難しいようだ。電話も引かれていない。ただ、八王子にあるトキ鍼灸院が窓口になっているそうだ」
パコン! パコン! パコン! パコン! パコン!
ようやく緊張していた司も快感が高まってきて、より強く早く突いていく。その強さと激しさで四葉は喘ぎ声で父親へ返事する。
「ハァ…トキ鍼灸院…んんっ!」
「ううっ! 四葉。出る! 出るよ!」
「うん、お願い。んっ、んあああ! あああ!」
喘ぎ声が絶叫になり、四葉は送話口を指先で押さえながら、お尻を快感で激しく痙攣させた。そうして身体の奥で熱い迸りを感じて、これで妊娠できるという悦びに蕩けた笑顔で涙を零した。
「ハァ…ハァ…トキ鍼灸院ね…ハァ…」
少し息が静まってから四葉が再確認する。
「……、ああ」
俊樹は冷めた声で返事した。
「ハァ…お姉ちゃんの容態は?」
「あのままだ。点滴はしているが、容態は悪い。医師は水分と栄養補給のために鎖骨下静脈からの点滴が必要だと言うのだが、とても太い針を胸のあたりに刺さなければならない。そうすると三葉が精神的ショックで死んでしまうかもしれないとも言っている。だが、どんどん衰弱している。もう時間が残されていない」
「ドクターヘリを呼んで」
もう性交が終わったので四葉は冷静な声で言った。余韻に浸る間もなく司から離れるとショーツをはいている。
「ヘリを? だが、どこに搬送する気だ?」
「トキ鍼灸院よ」
「……東京だぞ?」
「東京だからヘリなの。私も乗るわ。ラオウさんに会わないといけないから」
強い使命感で動いている四葉の声は強引で有無を言わさない迫力があった。さっきまでの蕩けた声と違うので俊樹も緊迫して問う。
「それも、また、とても大切なことなのか?」
「ええ、お願い。パパもついてきてくれると助かるわ」
「四葉……今は町議の選挙中で……」
「お願いよ」
甘えた声をまじえても、断らせない押しの強さがある。お願いよ、と言いつつ、命令よ、と言っているような絶対さがあった。
「ついてきて、パパが必要なの」
「……頼ってくれるのはいいが……」
「お願い」
「………わかった」
俊樹が従うと決断した。
「そうだな、そうするしか、あるまい。お前は宮水の巫女なのだから」
「ありがとう。パパ」
四葉が心から礼を言った。それを聴いてから、俊樹は父親として告げる。
「ただ、一つだけ言っておく」
「何かしら?」
「父親との電話口でセックスをするな!! お前は行動が二葉に、そっくりだ! いいところも悪いところもなッ!!」
「ぅっ……ごめん…なさい。お父さん」
子供として四葉が謝った。
「わかったら、町のヘリポートは知っているな?」
「はい。病院の裏駐車場よね?」
「そうだ。すぐに来いよ」
「はい」
電話を終えると四葉が頭を抱える。プルンと可愛らしく、おっぱいが揺れた。
「あ~んっ…バレちゃってたよ。もお、どんな顔して、お父さんに会えばいいの……」
「…………。けどさ、二葉さんに、そっくりだってことは………同じこと、してたってことじゃないか?」
「あ、そっか。……こうやって私も産まれたのかな……ね、五葉。お誕生、おめでとう」
もう名前が決まっていて、産まれてくると確信して、お腹に語りかけている四葉を見ていると、司は大変な一族と関わることになったのかもしれないと思い、御神体とされている隕石へ視線をやると、あまり深く考えないことにした。
「じゃあ、司、いってきます」
「ああ、いってらっしゃい」
司に見送られて、四葉は町の病院まで走り、裏駐車場へ着陸していたドクターヘリへ乗り込んだ。すでに三葉と俊樹も乗っていて、すぐに東京へ向けてヘリは離陸した。飛騨高山地方と東京の八王子は交通の便は極端に悪いけれど、直線距離にすれば200キロしかなく時速300キロを超えるドクターヘリで移動すれば、フライトそのものは40分ほどで四葉たちがトキ鍼灸院に近いビル屋上のヘリポートへ降りたのは14時前だった。そこから、さらに救急車とタクシーに分乗して目的地に到着した。
「ここがトキ鍼灸院……」
四葉は雑居ビルの地下一階にあるトキ鍼灸院への下り階段を見下ろして、つぶやいた。八王子の商店街の裏通りにある古ぼけた雑居ビルで雰囲気は良くない。トキ鍼灸院という看板は出ているけれど、手作りのようで木の板にマジックペンで書いてあるし、掲げられているわけではなく、ドアへ釘で打ち付けられているだけだった。四葉が不安になり、それは俊樹にも伝染する。
「四葉。本当に、こんなところで三葉の症状は治るのか?」
「う~うっ! 痛いぃぃ! ひぃいい痛いぃいい!」
今も三葉は苦しんでいる。担架に寝かされてドクターヘリを降りてからは東京都の救急隊員が搬送してくれているけれど、あいかわらず服を着るのも毛布をかけられるのも激痛のために拒むので、せめて四葉と俊樹が左右で毛布を広げて通行人の視線から裸体を隠している。
「迷っていても仕方ないから、とにかく、入ってみる」
三人と救急隊員が中に入ると、受付にいた男性が挨拶してくる。受付をするには不似合いなほど、立派な筋肉をした男性で髪は短く、眉は太い。青年のようにも見えるけれど、もう若くもないようにも見える。
「ようこそ、トキ鍼灸院へ。ご予約の宮水様ですか?」
「そうだ」
俊樹が答えると、受付の男性は習慣的な動作で用紙とペンを出してくる。
「こちらの問診票にご記入いただき、少しお待ちください」
「……。わかった」
俊樹は素直に問診票を受け取ろうとしたけれど、四葉が苛立って言う。
「急いでるのっ!」
四葉が男性を睨む。
「……」
睨まれて男性は目をそらした。立派な筋肉のわりに気が弱いのか、四葉へ頭を下げた。
「すみません。トキ先生は先客の治療中ですので…」
「………」
四葉は睨んだまま、男性の胸元にある名札を見た。
「……田中ケンシロウ…。あなたはケンシロウさんなの?」
「え? あ、はい。そうですけど」
「…………」
四葉がジッと観察するように見ると、またケンシロウは目をそらした。若い女の子に見つめられて困惑しているような様子だった。見た感じで年齢は俊樹より少し若いくらいの壮年なのに、若作りのつもりなのか青いジーンズを着ている。受付としての制服は無いようで、私服と思われ、もう何十年も着古したような色合いだった。四葉が疑わしげに問う。
「本当にケンシロウさんなの?」
「は、はい。ケンシロウですけど……」
「あなた、いい身体してるけど、拳法とか強いの?」
「え? 拳法? いえ、そういうことは、ぜんぜんしません。自分は人を殴ったり蹴ったりといったことは嫌いですから。暴力は何も解決しませんよ、お嬢さん」
「………。田中ってことは、北斗ケンシロウではないの?」
「っ…北斗……そ、そ、その話は、トキ先生へ、お願いします!」
北斗と聴いて、ひどく動揺したケンシロウを四葉は時間の無駄とばかりに押しのける。
「記憶を消されて……もういいわ。あなたに用は無いの。トキさんに会わせてもらう」
「あ、まだ、治療中で…」
引き止めようとしたケンシロウの手を払って、四葉は治療室へ押し入った。室内では治療台に白いヒゲの長い眼鏡をかけた老人が座っていて、そばに松葉杖が立てかけてあり、膝を患っている様子だった。
「その足を治すツボは、これです。たぶん…」
トキが針を老人の膝へ、ドスッと突き刺した。
「ああ!! うぐっ!! ぐああ!!」
「ん? ……ま…まちがった…かな…。やっぱり、この老人の足は時間がかかる…かな」
老人がガクガクと苦しみ、ビシシッと痙攣しているので、トキの顔に冷や汗が浮かぶ。老人の付き添いだった中年女性が怒った。
「お爺ちゃんに何を?!」
「あ、いえ、その、こ、この世には病に悩む人間が、なん千なん万といる、わけで、この老人も、その一人というわけですよ」
「ふざけんじゃないわよ! 訴えてやる!! お爺ちゃん、しっかりして!」
女性は痙攣する老人を抱き支えながら出て行った。ケンシロウが治療室に入ってくる。
「トキ先生、今の方、治療費は、どうしますか?」
「ケンシロウ、お金だけがすべてではないぞ」
「そうですね」
「オレにはな、夢があるんだ。ケンシロウ、お前だけはわかってくれると思う」
「兄さん……ボクだけはわかっていますよ、トキ兄さん」
「ああ、わかってくれるのは、お前だけだ」
「四葉っ!!」
俊樹も治療室に押し入って来て怒鳴った。
「お前は、こんな男たちに三葉を診せる気かっ?!」
「…ぅ…………」
四葉も困る。困っている四葉の肩へ、トキが優しく分厚い手のひらで触れて、澄んだ瞳で見つめてくる。治療家にしては不似合いなほど立派な筋肉をしていて白髪を長髪に伸ばしているのが怪しいけれど、澄んだ瞳と丸太のように太い腕は頼りになりそうな気もする。着ている白衣も胸筋の厚さでピチピチになっていて四葉なら10人でも持ち上げてしまいそうな力強さは感じた。
「お嬢さん、どうか落ち着いて。もう大丈夫です」
「……」
「ご家族を心配する、あなたの気持ち、よーく私に伝わりました。どうか、私に任せてください。きっと、治してみせます」
「……トキ先生…」
優しくて穏やかで純粋なトキの瞳に見つめられると、四葉は信じたくなってしまう。
「と、とりあえず、診てもらおうよ。お父さん。いい人っぽいし………腕前は、……。でも、他に方法もないし……」
「四葉………」
他にあてがないのは俊樹もわかっている。医師は原因不明と首を振るばかりだった。
「ご安心ください。それで病人は?」
トキが問い、待合室から三葉が担架で運ばれてきた。
「痛いぃぃい! ひぃーーっ! お願いぃぃ! そっと、そっと、おろしてぇぇ!」
「こ……これは……」
トキが一目見て驚き、それから考え込む。
「これは、……え~っと……これは、何だったか……腰椎の……いや、胸椎の…ツボのような……ツボでないような……」
何かを思い出そうとして頭を絞っている。
「ん~……なんだったか……」
「「「………」」」
四葉と俊樹、そして三葉が不安になってトキを見つめる。その視線を感じてトキは取り繕うように自分の胸を拳で叩いた。
「大丈夫、大丈夫ですよ。この身体を治すツボは、これだ!」
グリっ…
トキは三葉の両こめかみを左右から両の親指で強く押した。
「イキャあああああああああああああああああああああああ!!! ひでぶぅううううううううううううううう!!!」
ほんの少し触れられるだけでも激痛が走って身悶えする状態なのに、グリグリと親指でこめかみを押されて三葉は聞いたことのないような悲鳴をあげて、のたうち回った。涙とおしっこを噴き出すように流している。トキは首を傾げて指を離した。
「うむ……違ったか……では、これだ!」
トキは三葉の両わき腹に人差し指と中指を突き刺すように押しつけた。
「あべしいいいいいいいいいいいいい!!!」
また、三葉は奇声をあげて苦しんでいる。
「では、これかも!」
トキは三葉の左肩に人差し指を突き立てた。
「ううっ! うわっ!! ひい!!! いっ、いっ! いたああいいい!! やめてえええ! くだけそぉなのおおお!!」
三葉の左手は本人の意思に関係ないようにグーパーを繰り返している。
「あいいぎあが!! あががが~~!! たわばあああああああ!!」
「これも違ったのか……」
「貴様っ!!!」
俊樹がトキの胸倉をつかむ。
「これの、どこが治療だ?!」
「落ち着いてください。大丈夫、安心して」
乱暴に胸倉をつかまれてもトキの筋肉と体格は、ほぼ同じ年齢に見える俊樹より、はるかに大きいので微動だにしない。優しく微笑み返して、娘を心配する父親の瞳をまっすぐに見つめた。
「どうか、落ち着いてください。お父さん。私には、イメージがある。この病は、ほんの一つ、いいところを押せば、きっと、たちどころに治る。そんなイメージがあるのですよ。今ね、そこを探っているのです。ええ、お父さんが見ていてつらいように、私もつらい。ですが、一番苦しいのは娘さんです」
「ハァひっ! ハァひっ!」
三葉はガタガタと震えて変な呼吸をしている。
「三葉……こんなに苦しんで……」
俊樹がトキから手を離した。トキが新たな閃きをもつ。
「そうだ。やはり指圧ではなく、針。しっかりと皮膚にズブズブと入れた方がよいイメージがあります。しかも、あなた方は運がいい。ちょうど、鉄工所に頼んでおいた特注の針が仕上がっているのです。ケンシロウ、あれを」
「はい、兄さん」
すぐにケンシロウがステンレスバッドに入った大きな針をもってきた。それはトキの指と同じ形、同じ太さをしている。
「やはりね、人間の指では鋼鉄のように人の皮膚をズブズブと突けない。どんなに鍛えてみても人間の指は鋼鉄のようにはならない。そこで私は考えた、このような針を造って突けば、きっと、あらゆる病が治る」
「ハァひっ…ハァひっ…」
大きな針を見た三葉は逃げようとしない。むしろ、涙目で愛おしそうに針を見上げた。
「ハァひっ……お願い……もう…ハァひっ…早く…」
「お姉ちゃん……」
四葉は姉の表情で感じた。もう姉は死にたがっている、殺されたいと願っている。この苦痛から解放されるなら、死こそ甘美な結末として、この針を刺してもらえばショック死することが感じられても、逃げるどころか望んでいる。針を見つめる姉の目は、セックス好きの女が長い長い愛撫のすえに、ようやく男根を向けられたときのような、待ちわびた好色的な瞳になっている。
「早く……刺して…」
「あなたも、わかるのですね。これが効くと」
トキが心得たとばかりに頷く。
「…お願い…、…早く…」
「お姉ちゃん……」
このままでは危ないのではないか、四葉は不安になる。けれどもトキは自信満々に微笑して針を振り上げた。
「さあ、いきますよ。むんっ!」
「待って!!」
四葉が叫ぶのと、俊樹が手を出すのは同時だった。
ズブっ!
トキが三葉の胸を突こうとしていた鋼鉄製の指のように太い針は、俊樹の手のひらを突き刺していた。
「ぐっ…」
「な…なぜ…」
トキが悲しそうに俊樹を見つめる。俊樹は娘を守るために一喝する。
「これ以上、貴様にッ!! 指一本たりとも娘は触らせん!!」
「ハァひっ…お父さん…ハァひっ…、邪魔しないで…早く……早く殺してよ!!」
「お姉ちゃん……お父さん………あっ?!」
不意に四葉は治療室の壁にかかっている鍼灸師の免許証が目に入った。そこには氏名が表示されている。
「山田トキ……っ! 私は、大変な考え違いをしていたわ!!」
「お嬢さん、どうかしたのですか」
「あなたは北斗トキではない!!」
「え? あ、はい。山田トキですが、それが何か?」
「北斗は?! 北斗の人は、どこに?!」
「「北斗……」」
トキとケンシロウが困った顔をする。
「北斗に会わせて!! ラオウさんに!!」
「はて、何のことやら……」
「あ、そうか。紹介料! お父さん!」
四葉はヘリで移動中で読んだ北斗神拳に関する資料の中にあった紹介料のことを思い出した。手を刺さされている俊樹が痛みに耐えつつ、四葉へ問う。
「その話は、三葉の後ではないのか?」
「私が考え違いをしていたの。鍼灸院なんていうから期待してしまったけど、この人たちは北斗であって北斗でないの。もう記憶を失っているのよ!」
「四葉……お前の言うことは、なにがなんだか……まあ、いい。ここまできたら、お前を信じよう」
俊樹は負傷した手でスーツの内ポケットから百万円の札束を出した。
「これで、北斗に会いたい」
「…………」
トキの表情が変わる。今まで優しい瞳をしていたトキが冷たく悲しそうな目をして直立不動で構えた。
すーーーっ…
仏を拝むように両手を合掌して、俊樹が差し出す百万円を受け取ると、流れるような鮮やかな動作で白衣のポケットに入れた。
「たしかに、頂戴いたしました。これより北斗へと、ご案内いたします。救急隊員の方は、お帰りください。担架は私とケンシロウが持ちます」
東京都の職員を帰して、トキとケンシロウが三葉をのせた担架をもち、トキ鍼灸院の玄関には休憩中の札がかけられて、再び移動する。商店街を通ると、大都会らしい強引な客引きがされていた。
「ただいま、アミバ整骨院ではキャンペーン中です! 一回5万円の小顔矯正コースが、なんと回数券を購入すれば一回あたり2980円に! さらに、天才治療家アミバ先生考案のO脚矯正サポーターを、お友達を紹介するとキャッシュバックキャンペーン中ですよ! 頑張る君を応援したい、レツゴーアミバ!」
怪しいものが多いので四葉たちも、あまり目立たずに移動できる。トキとケンシロウは、すぐに裏通りへ入り、何度も路地を曲がって人間の方向感覚が不確かになってくる頃、大きな寺院へ四葉たちを導いた。
「こちらです」
「「……」」
四葉と俊樹が無言で頷き、トキが付け加える。
「ご契約の成立にかかわらず紹介料は返却いたしませんので、あしからず、ご了承ください」
五人が寺院に入ると、巨大な阿吽の像があり、その足下に一人の大きな男がいた。男は剃髪した僧侶のような頭で、僧衣を着ている。
「あなたが北斗ラオウさんですね?」
四葉が問うと、ラオウは頷いた。
「いかにも」
「私は宮水四葉、大切な用件が二つあり、ここへ来ました」
四葉は姉を指して頼む。
「まず、姉の三葉を治していただきたいのです」
「ほォ、これは…」
ラオウは三葉の様子を見ると、すぐに指を三本、立てた。
「3000万」
「………。お父さん、払える?」
四葉が不安そうに父を振り返る。
「払えなくは、ないが……本当に、それで三葉は治るんだろうな?!」
「我にはできる。そして、我以外のこの世の誰にもできぬ」
「…………わかった。支払う」
「よかろう」
ラオウは三葉に近づくと、その裸体に軽く指先で触れた。
「っ…、……痛くない……痛くない! ど、どうして?!」
ずっと苦しんでいた三葉が立ち上がり、自分の手を見て不思議がっている。そして歓喜に満ちた顔になった。
「治ってる! 私、もう、どこも痛くないの! お父さん!」
喜びのあまりプルンプルンと、おっぱいを揺らしている。
「三葉……よかった」
俊樹と三葉は抱き合い、そしてスーツの上着を脱ぐと娘の裸体に着せてやった。四葉が礼を言う。
「ありがとうございます。ラオウさん、やはり、あなたが正統継承者なのですね」
「して今ひとつの用件とは?」
「私に北斗神拳の奥義を教えてください。今から日没までに可能なだけ」
「愚かな小娘だ」
もう話は終わったとばかりに、ラオウは踵を返して背中を向けると歩み去ろうとする。その背に四葉が問う。
「ラオウさん、ジャギさんという方を、ご存じですか?」
「ぬっ?!」
去りかけていたラオウが振り返って四葉を睨んでくる。
「小娘、その名を、どこで知った?!?!」
咆吼といっていいような詰問でラオウの背中から爆炎のような闘気が噴出し、奔流となって四葉を押し流そうとする。
「ひっ…」
「ううっ…」
その余波を受けただけの三葉と俊樹が気圧され、少し離れていたトキとケンシロウも数歩さがった。それなのに、四葉は動じることなくラオウを見据えていられた。ラオウが驚き、目を見開く。
「我が闘気を受けて微動だにせぬとは……小娘、貴様は何者だっ?!」
「最初に名乗りました。宮水四葉、宮水神社の巫女です」
「ぬう……では、宮水、どこでジャギの名を知った?! 返答次第では、ここから生きて帰れぬと思え!!」
「私は巫女として時間を飛ぶことができます。そして、1990年代後半の世界にいるジャギさんと心と体が入れ替わったのです」
「世迷い言を!! 捻り殺してくれる!!」
ラオウの右手が四葉の顔に迫るけれど、寸止めだった。基本的に女の子へ暴力は振るえないタイプのようで威嚇だけに終わっている。その威嚇に四葉は動じていない。
「たしかに、ものすごい闘気。でも、あの世界にいたケンシロウさんに比べても、ジャギさんに比べても、凄味も殺気も乏しいです」
「おのれェ」
ラオウが大きな手のひらで四葉の身体を握り込むと、持ち上げて顔を近づけて睨む。
「………」
「………」
二人の目と目が合い、瞳を見つめ合う。
「小娘………貴様は半分、神か? 天の者か?」
「そうなのかもしれません。使命を帯びているときは」
「バカなことを……もう一度、問う。ジャギの名、どこで知った?!」
「この2020年の私と、1990年代後半のジャギさんの心と体が、何度も入れ替わったからです。そして、こことは歴史の流れが違う1990年代の世界でジャギさんはケンシロウさんと激しく争っていました」
「ジャギとケンシロウが……」
ラオウがチラリと今ここにいるケンシロウを見る。見られたケンシロウはありえないとばかりにブンブンと首を横に振っている。その様子から、とても人と争うような性格ではないと伝わってきた。再びラオウの視線が四葉を見据えると、四葉は真っ直ぐに見返した。
「お疑いならば、逆に問います。さきほどまでの私の姉、三葉の症状は北斗神拳によるものではないですか?」
「むっ…」
「あれはジャギさんが私の身体に宿っておられたとき、ほんの指先一つで突いただけで、あのようになったそうです」
「むぅぅ……。あれは、確かに今は我しか知らぬはずの秘孔……」
ラオウが呻り、四葉を床へおろして手を離した。四葉が自分のペースを掴めたと思い、さらに問う。
「もう一つ問います。どうか、教えてください。ジャギさんは今どこにおられますか?」
「………。おらぬ」
「どこへ行かれたのですか?」
「この世のどこにも、おらぬ」
ラオウは指を一本立て、天を突いた。
「ジャギは天におる」
「天………それは、…まさか…」
「あやつは我が殺した」
そう答えたラオウの瞳に深い悲しみの色が浮かんだ。
「ジャギ……その男の名は、かつて弟と呼んだ男」
「…………」
「あの男は北斗神拳継承の掟により、北斗神拳に関する記憶を奪うことに同意するか、拳をつぶすか、いずれにも抵抗しおったゆえ、我と戦い、我が殺した」
「っ……そんなっ……ジャギさんが死んでいるなんて……」
四葉がショックを受けて、膝をついた。ひどく動揺し困惑していた。何度も入れ替わった相手が今現在は死んでいるというのは、やはりショックが大きかったし、何よりも四葉が考えていた行動計画も狂ってしまう。
「……ジャギさんが……死んで……」
「ジャギの死が悲しいか? ならば、我を憎め」
「………」
憎めと言われて四葉はラオウへ強い意志を込めた視線を向けたけれど、そこには憎悪は一欠片も無かった。
「ぬぅ……お前の目は、何を見ている……何を見てきた?」
「私は憎しみの連鎖が、より大きな憎しみの呪縛しか産まないことを、そして破滅しかけた世界を、さんざんに見せられて、ここに来ているのです」
「では、どうする?」
「…………。やはり予定通り、私に北斗神拳を教えてください」
「バカなことを。そんな細腕に何ができる? お前の意志の強さは認めよう、だが、その身体は小娘そのもの」
「言ったはずです。私にはジャギさんになる時間もあるのです。そのとき、北斗神拳を知っていれば、取れる選択肢は飛躍的に増えるはず」
「ジャギ………あの男は我が倒した中で最強の男であった……」
ラオウが遠い目をして昔のことを思い出している。
「後にも先にも、あれほどの男はおらなんだ」
世紀末に継承者争いをしてからは、ときおりある暗殺の依頼を受けていたものの、たいていは鍛え上げた拳法家などが相手ではなく、力を出し切るような戦闘は経験していなかった。
「あのジャギに、お前がなるというのか………信じがたい。……だが、お前の目はウソを言っていない」
「お願いします」
「しかも日没までにと言いおったな」
「はい」
「一つだけ方法がある。秘孔、心霊台。これを突けば、その後に我が教授する技、すべて一度で習得できよう。ただし、その習得した技は3日で消え、その後にお前の身体は今の半分しか筋力が残らぬ、歩くことはできても二度と戦うことなどできぬ身体になるであろう」
「………」
「しかも、心霊台を突いた直後、全身を激痛が襲う。その苦痛で、その場で発狂し死ぬやもしれん。それでも、やる覚悟はあるか? お前の姉が受けていた苦痛を上回る苦痛が少なくとも1時間は続き、それは全身を切り刻まれるような痛みだ」
「………3日……」
四葉が悩み、そして決断した。
「それでも、かまいません。お願いします」
「「四葉っ?!」」
俊樹と三葉が驚き、思い止まるように叫ぶ。
「四葉! 冷静に判断しなさい!」
「そうよ! 私の痛みを上回るって! そんなの耐えられるわけない! あれが、どんな地獄だったか! いっそ殺してって思うような痛みだったのよ!」
「お父さん、お姉ちゃん」
父と姉が止めてくるのは予想していたので、四葉は振り返って微笑む。
「どのみち私は宮水の巫女として半分は捧げてるの。筋力の半分くらい、おまけみたいなものよ。赤ちゃんを抱っこする力くらい残るでしょう」
四葉がラオウを見上げて頼む。
「お願いします。今すぐに」
「よい覚悟だ。では…」
ラオウが、また指を3本、天に向けて立てた。
「3億」
「っ………、…………」
予想より2桁ほど大きかった。四葉が不安そうに父親を振り返る。
「……お父さん……払える?」
多選の町長として娘のために3000万円を決断してくれただけでも立派だと尊敬しているけれど、さすがに3億円は無理な気がする。四葉の不安げな視線を受けて、俊樹も呻いた。
「3億とは……また……しかも、3日のことに……」
正直に無理だとは言わず俊樹が悩む素振りを見せると、ラオウが足元を見てくる。
「北斗神拳の歴史は2000年、その奥義を知るに、わずか3億。おしくば、去るがよい」
「……わずか3億ですか…」
俊樹が自分のこめかみへ指先をあてトントンと触れながら言う。
「たしかに、わずか3億といえば3億。わが町の年間予算程度だ。高速道路建設費で言えば、地価や難工事箇所によっては3メートルに満たないでしょう。ところで、北斗さん」
まるで世間話をするような穏やかさと平静さで俊樹が、逆にラオウの足元を見返していく。
「お飼いになってる老馬のお加減は、いかがですか? ずいぶんと高齢で、しかも癌を患っている。獣医への支払いも大変でしょうね」
「ぬぅ…」
「それに、お義父さんのリュウケンさんも有料老人ホームに入っておられ、月に36万ほど、ご入り用のようですね」
「貴様、どこで、それを知りおった……」
「いやはや、ちょっとした世間話ですよ、世間話」
俊樹は調べさせた資料にあった内容からラオウの足元を見定めていく。経験豊富な町長として交渉ごとは日常茶飯事で、相手の足元を見る眼力は拳法家を、はるかに凌駕していた。
「何より、この阿吽の像。そろそろ大規模な修繕が必要ですね。わずか3億では、こういった立派な文化財の修繕は、とてもとても」
俊樹が元学者らしい観察眼で北斗家に伝わる巨大な阿吽の像を見上げて微笑む。ラオウが眉をピクリと動かした。
「貴様、何が言いたい?」
「ご商売の方はいかがですか。暗殺業ですよね、最近では受注が減っているようで。平和な時代だ、需要そのものが減っている」
「………」
「たまに暗殺の注文を考える人がおられても、バイクと拳銃で、さっさと済ませる業者に仕事を取られたりね」
「我を愚弄するかっ?!」
ラオウが一喝したけれど、俊樹は受け流して言い募る。
「いえいえ、立派なお仕事だと思いますよ。素手による暗殺。伝統技能の継承もまた大切なことです。ただ、少し将来性というか、持続可能な事業展開や施設の維持、ご家族の介護といった面から、私にも協力できることが、あるのではないかな、と愚考した次第ですよ」
俊樹が畳み掛けに入る。
「たとえば、ですね。有料老人ホーム、これを特別養護老人施設へ変更するだけでも、月々の支払いは3分の1で済みます。ただ、いかんせん待機者が多くて東京都では1施設あたり360人待ちだそうです。ひるがえって、うちの町でなら、私の顔もあって、なんとでもなる」
「……………」
「うちの町はね、山奥ですが空気はきれいだ。土地もある。長年、連れ添ってこられた愛馬にも、最後の時間を過ごしてもらうのに、広い牧場があれば、どんなに喜ぶことでしょう」
「…………」
ラオウの脳裏に田舎の牧場を穏やかに歩く黒王の姿と、もう何年も毎月支払っている有料老人ホームからの請求書が去来した。俊樹の口撃は続く。
「この阿吽の像、とても立派ですね。ですが、以前に文化庁から年代測定を打診されたとき、先代のリュウケンさんが断っておられる。これが、500年以上前のものであれば修繕に補助金をつけることが可能になりますが、そういった補助金も順番待ちという事情もあり、なかなか。だが、私はね、町長となる前は民俗学者なんかをやっていましてね。その関係もあって文化庁に顔もきく、修繕の順番を決める分科会に参加している学識経験者には友人や後輩もいます。また、多選のおかげで全国市町村長会で副議長も務めております」
「北斗神拳の歴史は2000年っ!」
ラオウが反撃したけれど、すでに俊樹は見切っている。
「はい、この阿吽の像、見たところ鎌倉期であることは確実でしょう」
「一子相伝! 我以外に、なせぬ!」
ラオウの言の葉は、俊樹の勢いを止めることはできなかった。
「そうですね。うちの娘は北斗神拳へ相当に、こだわっているようだ。ですが、父親の私としては、ここは止めたい。だって、そうでしょう? こんなに可愛い娘だ。その娘が筋力が半分になる? なのに、効果は、たった3日? その前に全身を切り刻まれ発狂し死ぬような痛み? とんでもない話ですよ」
「………」
「それにね、自分の娘だから、わかるんですが、この子はジャギさんが亡くなっていたことで、頭の中で考えていた計画が狂っている。いわゆる計算違いというやつですな。なのに、とりあえず北斗神拳を身につけておけば、なんとかなるかもしれない、という当初の計画を捨てきれず、なのに先が見えない、いわばノープランな状態で突き進もうとしている。そんな顔をしています」
「ぅ…お父さん……」
四葉は痛いところを突かれて、よろめいた。
「この子は、よく母親に似ている。だから、わかるんです。きっと、どう転んでも何とかするでしょう。だから、私個人としては3億も投じて娘に苦しい想いはさせたくない。ですが、娘が望むことであれば、かなえてやりたい気持ちもあります」
「貴様は何が言いたい?! 話が長いぞ!!」
俊樹からの言葉の拳が百烈してくるのに耐えかね、ラオウは不利なところで結論を急いだ。俊樹は勝利を確信したが、ほくそ笑んだりせず、誠実な顔で頼む。
「簡単な提案ですよ。3億ではなく、リュウケンさんの特養への入所、愛馬への牧場を亡くなるまで提供すること、阿吽の像の修繕を斡旋すること、この3つで手を打っていただけませんか。でなければ、この話はなかったことに」
「……………ぬぅぅ……。………」
ラオウが呻りつつ考え、問うような目でトキを見た。
「ラオウ兄さん、いい話ですよ」
トキが頷いた。
「そうか。トキがそう言うのであれば、いいだろう」
実弟の意見を長兄が採用するという形でメンツも立て、ラオウは了承した。
「では、始める。背中を向けよ」
「はい」
返事をして背中を向けた四葉のブラウスをラオウが剥ぎ取って投げ捨てた。ラオウへ背中を向けているので、俊樹たちには乳首を向けている。次女の乳首に俊樹は反応しなかったけれど、トキは目を伏せ、ケンシロウも赤面して目をそらせた。
「お父さん、お姉ちゃん、外で待っていて。大丈夫、きっと耐えてみせる」
「……わかった。行こう、三葉」
「四葉………頑張って。四葉なら、きっと…」
覚悟を決めている四葉を残して、二葉の頃から、こうなったら引っ込みがつかない一族だと思い知っている俊樹と、やっと地獄の苦痛から解放されて、ほんの少しだけ状況がわかりかけてきた三葉が建物を出る。扉を閉める寸前、ラオウと四葉の声が響いてきた。
「心霊台!!」
「くうっ!! うわあっ!! ああわあ!! はあっくう!! うわわっ!! あ!! きゃあっ!! はあっ!! うあっひあああ!! わあ~!! あかわわ!! んんん~~~!!」
四葉の小さな背中がラオウの太い指で突かれると、それだけで死ぬのではないかというような様子だったし、突かれた四葉は直後から激痛を感じているようで、のたうち回って苦しみ悲鳴をあげている。三葉が心配で振り返った。
「四葉……」
さきほどまで同じような苦痛を味わっていただけに強く同情している。俊樹が三葉の肩を押した。
「ここで見ていても仕方ない。ともかく三葉の服を買いに行こう。四葉のブラウスも破られてしまったからな」
そう言いながら俊樹はスーツのズボンを脱いだ。
「これを着ていなさい」
「ありがとう、お父さん。ごめんなさい、そんなカッコにさせて」
感謝してズボンを受け取る。やはり全裸に上着だけでは街を歩けないので父親の配慮はありがたいけれど、代わりに俊樹は下半身が白いブリーフだけになってしまうのが申し訳ない。俊樹は肩をすくめた。
「娘が、つらい想いをするよりは、ずっといい」
「お父さん……本当に、ありがとう」
三葉は男物のズボンをはいて、上着の前も胸元が見えないように閉じると、寺院を出て最寄りの商店で、とりあえずの衣服を買ってもらった。丸4日間も絶食だった上に激しい苦痛に呵まれて喘ぎ続けたためか、ぽっちゃりと太っていたウエストが高校生だった頃のように、すっきりと細く戻っていたのは、ものすごく嬉しかったけれど、今は喜びにひたっている場合ではないので、四葉にもブラウスを買って寺院へ戻った。途中で三葉は俊樹から、四葉がジャギと入れ替わりながら何かを進めていることと、今の状況を聴いて知った。そうして日没まで建物の外で待っていると、扉が開き、四葉とラオウが出てきた。
「四葉っ! 大丈夫なの?!」
「うん」
四葉は微笑み、手の甲を見せた。
「爪が3枚ほど飛んじゃったけどね。そのくらいで済んだよ」
「四葉……」
「四葉、まず服を着なさい。買っておいたから」
ずっと上半身裸で北斗神拳の奥義を学んでいたのかと思うと、俊樹はラオウの配慮の無さを残念に思ったけれど、顔には出さない。四葉はブラウスを着て、ラオウに礼を言う。
「ありがとうございました。ラオウ先生」
「うむ」
頷いて、初めての女弟子を送り出しつつ、ラオウは付け加える。
「3000万と、さきほどの件だが」
「えっと……お父さん、大丈夫?」
「お金は1週間以内に、ご指定の口座へ振り込みます。さきほどの件も進めますが、こちらと連絡のつく電話番号を教えていただけますか?」
「ならば、トキ鍼灸院へ電話するがよい」
「わかりました。今後とも宜しくお願いします」
多選の町長らしく事後処理を進め、三人は寺院を出た。東京の雑踏の中で俊樹が四葉へ問う。
「四葉、これから、どうすればいい?」
「糸守へ帰ります」
「わかった。今からだと、明日の朝になるな」
俊樹が腕時計を見て言うと、四葉の顔色が凍りついた。
「どうしてっ?! 今日中に帰らないと困るの!!」
「そう言われても、ここは八王子だぞ」
「だって来るときは40分だったのに!」
「それはヘリだったからだ。電車なら東京駅に出てから新幹線で名古屋、もしくは山梨県の方から帰るかだが、そちらは列車の連絡が悪い。どちらにしても糸守に着くのは明日の朝になるな」
「そ…それじゃダメなの! 今日中に! 夜の12時までに! 糸守へ帰りたいの! ラオウ先生のところにいるのを日没までにしたのは、帰りの時間を考えてだったのに……そんなに糸守まで時間がかかるなんて……お願い! なんとかして! お父さん!」
「そう言われても、うちの町が、どれだけ田舎か知っているだろう。名古屋からタクシーを飛ばしても……無理だ。12時は過ぎる」
町長として東京へ陳情のために出向くことは多いので、どれだけ移動時間がかかるかは熟知している俊樹が言うと、四葉が絶望的な顔色になる。
「……そ……そんな……」
「お父さん、なんとかしてあげられない? たぶん、入れ替わり現象にとって糸守の地にいることは重要な要素だと思うの」
三葉が妹をかばうように言う。
「しかも、四葉は私みたいな不定期じゃなくて、確実に一日で入れ替わってるってことみたいだから、また今夜、入れ替わるのよ」
経験のある三葉が真剣に言うと、俊樹も悩む。
「う~む………いや……しかしだ。……」
俊樹はスマフォを操作して乗り継ぎ検索したけれど、どのルートでも到着は明日になる。
「いっそ、ここからタクシーで……いや、間に合わない。むしろ小松空港か、富山までフライトして………それでも最後の山道が……糸守まで走ってくれるタクシーも、なかなか…」
「「ヘリはっ?!」」
四葉と三葉が同時に問うたけれど、俊樹は首を横に振る。
「ドクターヘリは帰してしまったよ。もう誰も病気ではないのだ。いくら私でも公私混同にすぎる。消防の方でも拒否するだろう」
「そんな……」
また四葉が絶望するけれど、三葉は社会人だったので再提案する知識があった。
「民間のヘリをチャーターすればいいじゃない! 東京なら航空会社いっぱいあるはず!」
「それも難しい。費用は80万ほどだろうが、そもそも糸守のヘリポートはドクターヘリなどの緊急公務用だ。民需での離着陸は、よほどでないと………、それだけ大事なことなのか? 四葉」
「お願いします、お父さん」
すがりつくように娘から頼まれると、俊樹はノーと言えなかった。すぐに電話をかけ、ヘリを予約した。
「かなり無理を言って予約したよ。今夜は東京で花火があるらしい。おかげで夜間飛行可能なヘリは出払うのだが、花火が終われば、戻ってくる。それで帰れるよ。料金は150万と言われたがな」
「ありがとう! お父さん!」
四葉に抱きつかれると、俊樹は二葉の面影と重なって娘が見え、そっと黒髪の頭を撫でた。
「本当に、お前らは無茶ばかり……。おい?」
抱きついていた四葉がズルズルと崩れてくるので俊樹は慌てて抱き留める。
「大丈夫か? 四葉、どうした?」
「四葉、どうしたの?」
三葉まで心配すると、四葉は力なく恥ずかしそうに言った。
「ご…ごめんなさい……目まいが……お腹が空いて……力がでない……朝から何も食べてなくて………やっと、一段落して安心したら急に空腹が…」
「まったく。本当に二葉のようだ……」
俊樹は四葉を抱き支えながら提案する。
「どうせ、花火が終わるまでは東京にいるんだ。しっかりした食事を摂りなさい。四葉が食べないことを、お義母さんも心配していたし。三葉も、ずっと食べていなかったろう。どこか、行きたい店はないか?
「それなら私は! IL GIARDINO DELLE PAROLEに行きたい!」
「え~……あそこぉ…」
言の葉の庭というイタリア語を、ずっと覚えていた四葉が即答すると、姉は行きたく無さそうな顔になる。
「あそこ、美味しいけど………」
三葉は入れ替わっていた時にバイトしていたこともあるし、東京で暮らしているときにも何度か利用したことがあるイタリアンレストランへ、離婚した今となっては行きたくない気持ちだった。渋られて四葉が拗ねたように言う。
「お姉ちゃんが食べた料理とか、デザートの写真はインスタで何度も見せてもらったけど、結局、私は一回も行ってないし食べてないもん!」
「うっ、う~ん……」
東京生活の華やかな側面だけはSNSなどにアップして披露していたので、それを妹が羨ましいと感じていることに責任を感じなくもない。俊樹が店の位置を調べて頷いた。
「利用するヘリポートにも、ごく近い。三葉、それほどイヤか?」
「わかりました。ご案内しますよ!」
三葉が諦めて予約を入れ、タクシーで移動してレストランで食事にする。四葉は朝から何も食べていなかったし、三葉は4日間も絶食だったので、行きたくないと言っていたけれど、いざ食べ始めると黙々と食べている。
「少し電話してくるよ」
俊樹は席を外して喫煙所で電話をかける。町議選の最中で連絡すべきことは多いし、夜中に糸守町の緊急用ヘリポートを使うことの調整もしなければいけない。娘たちに心配をかけないように、それらの連絡をしていると、このレストランのオーナーらしき男性もタバコを吸いながら電話していた。
「ごめん、ミキちゃん、やっぱ行けそうにないわ」
「ギリギリまで私を待たせておいて、ドタキャンする気なの?」
オーナーのスマフォからは藤井ミキの声が響いてくるけれど、俊樹にとっては長女の結婚式で一度だけ挨拶した間柄でしかないので、もう忘れていて気づきもしない。むしろ今は選挙戦の差配をツイッターなども駆使して黙々と進めている。オーナーが大きくタバコの煙を吐き出した。
「ごめん。ホント、ごめん。急に店へ奥さんが来ちゃってさ。抜けれないんだわ」
「ふーん……待ってるうちに、ワイン空けちゃったのよ」
「その支払い、オレのカードでしといてよ。ね? もう一本いってもいいからさ」
「花火は、どうするのよ? ヘリをチャーターしてくれたんでしょ?」
「それも難しいんだよ。奥さんが何か疑ってる感じでさ。もうマジ抜けれないわ」
「………。楽しみにしてたのになぁ。横から花火を観るの」
「今からじゃキャンセルしても、キャンセル料100%だからさ。ミキちゃんだけでも観てきてよ。ね?」
「女一人で乗れっていうの?」
「いっそ旦那でも呼べばいいよ。どうせ、二人分を払ってあるから」
「司にヘリの代金のこと、どう説明するのよ? たしか58万とか言ってたよね。花火の日って特別料金でさ」
「懸賞に当たったとかウソつけばいいよ。まあ、ボクの心の中ではミキちゃんを、ときどき借りてるレンタル料みたいな気持ちで払っておくからさ。たまには夫婦で楽しんでみたら?」
「当日、いきなり? 司に今朝、何も言ってなかったのに……。っていうかさ、そういうウソからバレていくのよ。奥さんに疑われてるのも結局そのへんの甘さなんじゃないの」
「あははは! 痛いとこつくね。じゃあ、2号君は? 不倫相手の2号君いるんでしょ。え~っと、あの…タチだか、タキだか、なんとか君」
「タキ君よ。私に2号君がいること、勘づいてたんだ?」
「そのへんは、ぬかりないさ」
「ふーん……タキ、あいつは今夜、ヒマかなぁ……当日の今で来られるかなぁ…」
「きっとヒマだよ」
「なんでわかるの?」
「だって先週、うちに面接に来たから。なんか再就職うまくいってないらしくて。もう一回、ここで働かせてくれないかって。ランチタイムだけ、ディナータイムだけのバイトでもいいからって」
「雇ったの?」
「まさか。うちは出戻りはお断りって言ったよ。まあ、ホントは彼って使いやすい方だったから欲しかったけどさ。ミキちゃんと穴兄弟なんだから、発覚したとき店でトラブられてもイヤだし」
「賢明な判断ね。まあ、いいわ。今夜は許してあげる。不倫は、お互い様だし」
通話を終えると、オーナーは舌打ちした。
「ちっ……だんだん図に乗ってきたな。セフレ風情が。もう歳だし切り時かな。先週、可愛い女子大生も雇ったことだし。そろそろ更新時期かもな。やっぱ女は24歳までだな、賞味期限」
オーナーは高級腕時計を見て時刻を確かめると厨房へ戻っていった。俊樹は選挙戦の指令とお願いをスマフォから送り続け、ずいぶんと時間が経ったので、一度はテーブルに戻った。
「すまない。もう少し連絡事項があるんだ。二人で食べていてくれないか」
「はーい」
四葉は素直に返事をして鯛の包み焼きを頬張ったけれど、三葉はナプキンで口を拭いて席を立った。そして父親へ頭を下げる。
「ごめんなさい、お父さん。選挙のこと、いろいろ大変なんでしょ」
「いや……たいしたことは、ない」
「ウソを言わないで」
「……」
「立候補者の私が4日も倒れていて、選挙活動がストップしているのに、大変じゃないわけないもの」
「……三葉…」
「今からは私も戸別電話をやります。電話なら東京からでもできるから」
「もう大丈夫なのか? 体調は」
「はい。もう平気。四葉、一人で食べていられる?」
三葉に問われ、四葉は口の中のものを飲み込んでから答える。
「小学生でも食べるくらい一人で食べてるよ。お姉ちゃんは、やっぱりお父さん似だね。選挙が性に合ってるのかも。いってらっしゃい」
すっかり選挙モードになっている父と姉に手を振って、四葉は長年にわたって話だけは聴かされ、写真だけは見せられていたイタリアンを、ゆっくりと味わう。その四葉が座っているテーブルの隣りには、柄の悪い二人組の男たちがいた。
「兄貴、そろそろタイミングじゃないっすか」
「そうだな。いつものヤツいくか」
男の一人が食事の途中で料理へ爪楊枝をさし込むと、店員を呼びつけ、文句を言って無料にさせている。その一部始終を四葉は気づいていたけれど、余計なトラブルは抱えたくないので黙って食事を続けた。
「うまくいきやしたね、兄貴」
「おうよ。この店は4年ぶりだからな」
「もうバイトは、ほとんど入れ替わってオレらの顔を覚えてるヤツもいない感じっすね」
「同じ店でやるのは最低4年あけないとな」
「爪楊枝が一つあれば、三食、タダ飯っすもんね」
「指先一つでぇ~、ってなもんよ」
「あの技の方も今夜も、またヤるんすか? あのカッターナイフで女のケツ肉を切らずにスカートだけを斬る絶妙の神業。あれがデキるヤツは、そうそういないっすよ。すげぇ神業っす」
「ああ、あの新人っぽい女子大生、可愛いしな。あの女のスカート、斬りてぇな」
「よっ! 待ってました!」
「だがな、今夜のオレは昨夜までとは違う。新たな技をマスターした。もうカッターナイフなんてものは使わねぇぜ」
「じゃ、どうするんすか?」
「素手よォ、素手。素手でスカートをバラバラに切り刻んで、パンツ丸出しのディナーショーにしてやるぜ。素手なら、そこまで剥いても証拠がねぇ。女のスカートが勝手にバラバラになったってことで警察沙汰にもならねぇ」
「そりゃぁ素手なら証拠は無いっすけど……けど、そんなこと可能なんすか?」
「フフフ、オレはなァ、この4年ずっと修行してきたのよ。シン師匠のもとでな」
「それってアレっすよね。太極拳みたいな健康体操をやる拳法道場の。たしかシン&ユリア美容院とかで、どっちかというとエステのチェーン展開で大成功してるユリア社長のが有名っすけど。拳法道場ってオマケじゃないんすっか?」
「それは表向きの姿よォ。裏では本格的な殺人拳を教えてくれる。まあ、授業料は500万もして、タダ飯で浮いた金を全部つぎこんだがよ。その甲斐はあるほどの拳法を教えてくれたぜ。しかも、オレは筋がいいってシン師匠に誉められたんだ。斬るセンスがいいってよ」
「兄貴のカッターナイフさばきは、かなり超人的っすもんね。ケツ肉を切らずにスカートだけ斬る、しかも相手に気づかせないって普通できないっすよ」
「フ、お前の言う超人的ってのは、まだまだ常識の範囲、常人のレベルよォ。オレは、もはや常人の域を超えた。見るがいい! 我が南斗聖拳を! シャォォ!!」
ちょうど通りかかったウエイトレスは四葉へデザートを運んできた女子大生だったけれど、その臀部に触れるか触れないかの間合いで、素早く手を一閃した。
パラリ…パラパラ…
ウエイトレスのスカートが直線的に切り刻まれ、床に落ちていく。スカートが無くなると、女子大生の臀部は丸出しになり、下着も少し斬られていたので肌も見えている。それでも皮膚は切れておらず一滴の血も出ない。急に下半身が涼しくなって女子大生が下を見る。
「っ、キャーッ?!」
悲鳴をあげて座り込んだ。
「す……すげぇ…兄貴……すげぇ…」
「ざっと、こんなもんよ」
「最高っすね! ヒョーォ!! このレストランはいいな! こんなショーまでしてくれんのかよ!」
大声をあげられると注目が集まり、座り込んでいたウエイトレスは混乱して泣き出した。他の店員がフォローに出てきて、泣いているウエイトレスは奥へ連れて行かれ、オーナーが周囲の客に謝って営業を再開すると、四葉が手を挙げた。
「はい、何でしょう?」
すぐにオーナーが駆けつけて問い、四葉は穏やかに答える。
「私のデザート、さっき落とされたんですけど。作り直してもらえますよね?」
「あ、はい! 申し訳ありません、すぐに! どうか、少しだけお待ちください」
オーナーが厨房へ急ぐように指示しつつ、まるで見張るように睨んでいる正妻へは、オレはちゃんと仕事してるぜ、という視線を送る。すぐにデザートは作り直され、別のウエイトレスが四葉の前に置いた。それを、ゆっくりと味わって食べ終えると、再び四葉は手を挙げる。
「はい、どうかされましたか?」
オーナーは柄の悪い二人組が帰るまではフロアにいるつもりだったので、すぐに四葉へ対応してくれる。問われて四葉は二人組を指して、はっきりと言う。
「さっき、あの二人は自分たちで爪楊枝をさし込んでから、店員さんへ文句を言っていました。お店の責任では無いと思います」
「………」
オーナーは4年前にも来た客でない客のことを記憶していたし、その所業をわかってもいた。それでいて、さもしい飢えた野良犬にエサをやった気分で、無料にして穏便に帰ってもらうつもりだったのに、女子高生のように見える四葉が余計なことを言い出したので、今までの接客マニュアルに無い対応を考えなければならず、つい黙り込む。替わりに二人組が騒ぎ出した。
「ああん?!」
「んなっ証拠が、どこにあんだ?! コラッ!!」
オーナーの背後から、予想通りの反応が返ってきている。柄の悪い二人が怒鳴りだしたので他の客は驚いているけれど、四葉は落ち着いて反論する。
「私の証言が証拠です」
「………」
オーナーが悩む。
「おい、コラっ!! お嬢!!」
「クソガキっ! しばくど!!」
「私の証言以外にも、その男たちの身体検査をすれば、次の犯行に使う爪楊枝も出てくるでしょうし、このレストランにある爪楊枝と仕入れ先や商品が違うのも、詳しく調べれば明らかにできることです」
「………。お客様方、まあ、ここは穏便に」
オーナーは面倒なことは避けたかった。詳しく調べる過程も面倒だし、二人分の被害額などしれている。ここまで揉めれば、もう二度と二人組は来店しないかもしれないし、それでいいので終わりにしてほしかった。もう明日以降の営業のことや、何より浮気に勘づきかけている正妻への対応に専念したい。オーナーが逡巡していると、四葉は席を立って二人組に近づいた。
「私と外で、お話しませんか?」
「お? …お、…おう! いいだろう!」
「この女、アホっすね」
「お客様方……」
オーナーは四葉の身が心配になるけれど、外で起こることに店は感知しないのが原則だった。四葉は店外に出ると、人目のない裏路地まで歩いた。当然、二人組もついてきている。
「お嬢ちゃん、わざわざ人目の少ないとこまで、ありがとうよ」
「マジでアホっすね、このアマ」
「一つだけ私の質問に答えてくれますか?」
四葉が問う。
「ご飯をタダにしてもらっただけで満足すればいいのに、どうして、女の子のスカートまで斬ったの? 何のために?」
「お? ……てめぇ、見てやがったのか」
「話も、だいたい聴こえていましたよ」
「そうか。そんじゃ、教えてやらねぇとな」
「お嬢ちゃんのアホさ加減をな!」
弟分の男が襲ってくるのを、四葉はハイキックで撃退する。四葉が攻撃してくることなど考えてもいなかった男は押し倒して性的な悪戯をしようと無防備につかみかかろうとしていたところに、四葉の蹴りがあざやかに決まる。
「はァっ!」
四葉の気合いと同時に、相手の顔面に四葉の靴底が直撃し、一撃で昏倒させた。大きくスカートはめくれあがったけれど、裏路地は暗く日没後なので四葉の下着は見えなかった。弟分を一瞬で倒されて、残る男の顔から笑いが消える。
「この女………腕に覚えがあるようだな。どうりでスマしてやがると思った」
四葉の身体に悪戯しようと企んでいた顔から、本気のケンカをする顔になっていく。
「いいぜ、やってやろうじゃねぇか。オレは油断しねぇぞ」
「………」
四葉は無表情に再び問う。
「質問の答えが、まだです。どうして、女の子のスカートまで斬るの?」
「フっ……決まってるだろ! 斬りてぇからよ!」
もともと下品だった男の顔が、ますます下品に歪んだ。
「斬りてぇから斬った! それ以上の理由なんざ必要ねぇ! 最高だぜ、実にいい気分になる! 今夜もグッときたぜ! ヒャッハーッだ!」
「…………そう……それだけ……」
疑問に思っていたことを知り、四葉が深いタメ息をつく。
「はぁぁ………。こっちの世界にも、こんなクズがいるのね」
「あん?」
「いえ、もともとは同じ世界。一つの紐のうちの糸。東京だからかな………ううん、うちの田舎にも似たようなのがいたし、世界がどうであっても、都会でも田舎でも、人口の一定層はクズってことなのかな。正直、うんざりするわ」
「何をブツブツ言ってやがる?」
「悪党どもに祈る言の葉は無いって話よ」
「けっ! 腕に覚えがあるようだが、ちょっとばかり今夜は相手が悪かったな。このオレ様は南斗聖拳の初歩をマスターした男よォ」
「そう」
「お前はスカートだけじゃねぇ。すっぽんぽんの真っ裸に剥いてやるぜ! ヒャッハーーー!! 斬れろ、斬れろ、斬れろォ!!」
男が襲ってくる。四葉も構えた。
ザウッ!
四葉と男が交差して、すれ違う。
「ォ…オレ様の南斗聖拳をかわした……」
「っ……せっかく、お父さんに買ってもらったのに……」
かわしきれず四葉はブラウスの袖を切り落とされて、ノースリーブにされていた。
「それだけで済むとは、お前は何者だ?! なにか拳法やってるだろ?! お前の名を教えろ!」
「もう死んでいる人になら、教えてもいいかな」
四葉は構えを解き、少し考える。
「私の拳は北斗神拳」
「っ…北斗……」
「名は………そうね、北斗の末弟よりも末席の女、拳…四葉………。拳四葉でケンシヨウとでも名乗っておくわ。本名は、やっぱり秘密よ♪ 一応、暗殺拳だから」
「ケンシヨウ………お前、男か?」
「………。本名は、もっと可愛いから」
四葉が気を悪くしたように言う。ノースリーブにされて見えるようになった肩もスカートから伸びている脚も、ほっそりとしていて女の子らしいけれど、さきほど一撃で男一人を倒したのも事実だった。
「フン、まあいいぜ。じわじわ素っ裸にして、本名もマンコも晒してやんぜ。うっ……なんだ? すげぇ……腹が気持ち悪りぃ……ボディなんか、くらってねぇのに…」
男が腹部を押さえて呻いている。四葉は死にいく者へ告げる。
「北斗巫娼拳の奥義、秘孔、咽倫義を突いたわ。すぐに、ああなる」
四葉が最初に蹴撃した男を指した。昏倒していた男は嘔吐を繰り返して喘いでいた。
「…ううっ…あ、兄貴……た…助け…うえ! うげぇええ!」
吐いているのは内臓だった。自分の内臓を吐き出して苦しんでいる。
「なっ?! 何をしやがったんだ?!」
「この秘孔は地味に効くの。じわじわと吐き気が強くなって、吐き続ける。まずは、さっきのディナー」
「うっ…うええ!!」
アスファルトにイタリアンだった嘔吐物が拡がった。
「けど、それは地獄の玄関前にすぎない。次に吐くのは自分の胃」
「胃っ?! …ぅう?! は、腹が! 腹がよじれる?!」
「胃の次は十二指腸を吐いて、そのままズルズルと小腸を吐くの。気をつけなさい。吐き出した内臓を傷つけると大出血を起こして死ぬから」
「ひっ?! うっ、うええええ!」
男が胃を吐いた。それに連なって腸も吐き出している。
「こ…こんな…バカなことが…うえぇえ! あって……たまるか…ハァ…ハァ…ぅう! うええ! うおえええ!」
内臓を吐き出す激痛と息苦しさで泣きながら悶え苦しんでいる。
「腸を吐き終わったら食道を裏返しに吐くわ。まあ、その頃には死も近いでしょうね」
「そ…そんな…うえええ!」
「頭や心臓を一気に破壊するわけじゃないから、秘孔の中でも苦しみが続く方ね。吐いて吐いて、窒息死するか、消化器官の血管がちぎれたことで失血死するか、どっちになるにしても、とても苦しい」
「ひっ…ぃ、イヤだ! た、助けてくれ! うおおええ!」
男の口から腸が垂れ下がっている。傷つけないよう両手で支えているけれど、出血している血管もあった。すでに最初に蹴撃された男は内臓を吐き尽くしてアスファルトに転がっている。あまりの苦痛に、その顔は死後も引き攣ったままだった。
「た……助けて……お嬢さん……お、お嬢様…うぶっ…ぷ…うええ…」
もう言葉もうまく吐けないけれど、助けを求めて来ている。四葉は冷徹に言った。
「今日までタダで食べた御飯、全部吐き戻して死になさい」
「ううおええ! うええばああ!」
あまりに苦しくて窒息しそうにもなり、自分の内臓を噛んでしまい、大出血を起こして、のたうち回る。四葉は完全に死ぬところまで静かに見守ると背中を向けた。俊樹に連絡を取り、予定していたヘリポートに向かった。そろそろ花火大会が終わる時刻で、豪遊していたカップルたちのヘリが次々と戻ってきている。わずかな時間のフライトでも20万円を超える設定金額なので、あまり普通のカップルはいない。経済的に成功した老夫婦か、経済的に成功しつつある男との不倫や水商売系の女とのカップルが目立った。おかげで俊樹に連れられている三葉と四葉は一瞬、変な目で見られる。二人とも顔立ちは母親似なので親子だと思ってもらうには時間がかかる方だった。それでも三人とも他人の視線など気にせずヘリの搭乗手続きを、降りてくるカップルたちの横で進めていく。手続きが終わりヘリポートそばの待合室で出発を待っていると、三葉は最後に着陸した大きめのヘリから降りてきたのが、離婚した元夫と藤井司と結婚している藤井ミキだったので驚いた。
「っ、タキっ?! どうして、ここに?!」
「え? うわっ?! お、お前こそ、どうして、ここに?!」
お互い不意に離婚した相手と出会って驚いている。
「私には色々あるのよ! もうタキには関係ないでしょ!」
「お、お前だって、もうオレと関係ないだろ! …うわ? しっかりして! ミキさん!」
いっしょに降りてきたミキはワインを2本も呑んでからフライトしたために、泥酔と乗り物酔いが重なってフラフラとしている。倒れそうになったのを抱き支えられて、閉じかけていた目を開けた。
「え~? ……大丈夫……大丈夫………花火、まだ?」
「終わってますよ。いっしょに見たじゃないですか?」
「あ、ん~……うん、そう見た。横から! 花火! 見た! って、あれ、この女……えーっと、もと彼女……じゃなくて、ほら、……ド田舎の……誰だっけ?」
ミキが三葉を見て、名前を思い出せずにいる。三葉は不快そうに目をそらした。
「……」
「すごい田舎の……えっと……隕石が落ちたとこの……モトカノ?」
「モトカノじゃなくてモトヨメです。ほら、水」
水をもらってミキは少し落ち着いて待合室の椅子に座った。今度は値踏みするように三葉の姿を見てくる。再婚してから太り始めたスタイルは4日間の絶食で戻っているけれど、今は着ている服が、とりあえず急いで買った物なのでコーディネイトもしていない。なるべく俊樹に負担をかけないようセール品を選んだので安っぽい服装だった。それに対してミキは高そうなワインレッドのドレススーツを着ている。花火を横から見るという贅沢なデートに相応しい姿だった。値踏みが終わってミキはクスと微笑み、三葉へ挨拶する。
「お久しぶりね。三葉ちゃん」
「………あなたに、そういう風に呼ばれたくありません」
三葉は会話したく無さそうだったけれど、降りてきたヘリは燃料補給とチェックのために、すぐには出発しない。ミキは酔いがひどいので、しばらく動かずに座っている様子だった。俊樹は娘が離婚相手と、どんな会話をするのか心配ではあったけれど、あえて離れて聴かないようにしている。ミキはチラリと俊樹へ視線を送り、彼氏や再婚相手ではなく親子だと察した。
「で、三葉ちゃん、タキと離婚してから、どうしてるの? 彼氏とか、いる?」
「……再婚しています」
答えないと負けた気がするので三葉が言った。
「あ~……そっか、そうだったね。たしか不倫したんだよね」
「くっ……誰のせいだと思ってるの?!」
三葉が耐えかねて怒鳴る。
「あなたが結婚してからもタキに、ちょっかい出すから!!」
「それでタキをケンカして出て行って、親友の旦那と再婚でしょ? ハッピーエンドでいいじゃない」
「どこがっ?!」
「勝ち組、勝ち組! あ~……タバコ吸いたい……って、ここ禁煙か……ちっ…」
「あなたこそタキの友達だった藤井くんと結婚したくせに! 今夜だって、どうしてタキといるの?!」
「司って退屈なのよね」
「…」
ずっと黙って無関係という顔をしていた四葉の耳がピクリと動いた。ミキはタバコを吸おうとして係員に止められ、諦めてハンドバックに戻して話を続ける。
「頑張ってプロポーズしてくれたから、とりあえず結婚したけどさ。まじめで人並みの給料はもらってくるけど、ただそれだけ。まあ、タキは今フリーターだけど。キャハッハ♪ でも、今夜は懸賞で当たったヘリで花火を横から見れて最高だったよね。このあとは、どうしよっかな? ね、タキ」
まだ酔いが強いようでミキは饒舌に語りつつ、男にしなだれかかる。不倫相手はコンビニでバイトしていたところを急に呼び出されたようで、バイト先の制服を着ていた。三葉が見たくないものから瞳をそらして問う。
「不倫なんて楽しいですか? 私には後悔しかない」
三葉は胸が悪くなるような痛みを覚えた。親友だった早耶香から克彦を盗った感触は今でも後味悪く覚えている。自分の新婚生活がうまくいかず、それで逃げ込んだ先にいた克彦の優しさに甘えて盗った。三葉は自己嫌悪で身震いした。ミキが笑って言う。
「チンポ3本」
「は?」
思わず問い返した三葉へミキは指を三本立てて語る。
「不倫するなら、3チンポ握れ。っていう西原理恵子の格言を知ってる?」
「誰それ?」
「毎日新聞で連載漫画やってるよ。でね、女は不倫するなら、1本じゃダメだってこと。一つにだけウエイトを置くと不安定になるでしょ。三脚でも、そう。しっかりと立つには3本くらいが、ちょうどいいのよ。それなら、そのうちの1本が急に消えても大丈夫、自分は安定していられる。ようはバックアップを持てってことよ」
「くっ………こんな人に………私の新婚生活を乱されて……」
「お姉ちゃん、久しぶりだし、そして最期になるかもしれないんだから、彼と話しておいたら? 私は、この人と話してみたい」
四葉がミキを誘う。
「少しだけ、お話しませんか。あちらで」
「ふ~ん……妹ちゃん? よく似てるわね。いいわよ。お説教したそうな顔してる。女子高生が、どんなこと話すのか新鮮そうで聴いてみたいから、お誘いに乗ってあげるわ」
ミキが立ち上がって酔った歩調で歩き、四葉は待合室を出てヘリの発着場で会話する。高層ビルの屋上なので風とヘリの音があり、やや大きな声で問う。
「さっき話していた司って、旦那さんですか?」
「ええ」
「愛していますか?」
「クスッ…ええ、それなりに。初々しい質問ね、答える方が恥ずかしいくらい。クスクス…若いって、いいわぁ」
「司さんは不倫のこと、知っていますか?」
「ううん。そんなヘマはしない。あなたたちが告げ口するなら別だけど。あ~…今夜は酔いすぎたわ、こんなことペラペラ話しちゃって。横から見た花火が、あんまりキレイだったから、かな」
「ご自分のされていること、許されると思いますか?」
「ええ」
「………。その理由は、ありますか?」
「私が美人だからよ」
「……………」
「美人は何をしても許されるの。男は、そういうものよ。あなたも可愛いから、もう少ししたら、わかるかもしれない。もう少し長く生きて経験して、お化粧とかすれば、きっと輝くようにキレイになるわよ。せめて田舎臭いところを抜けば、いくらでも男がよってくる。電話一本で犬みたいにダッシュしてくる。すーっと前を歩くだけで、私の残り香を嗅いで発情するの。私は確実に美しいもの」
「あなたは長く生きすぎた」
「はァ? お姉さんと、そんな変わらない歳…っ?! 何するのよ?!」
ミキは急に四葉が身体に触れてきたので一歩さがった。指先で強く突かれ、とても不快だった。
「何のつもりよ?!」
また一歩さがる。
「北斗神拳奥義、残悔積歩拳」
「はァ?」
ミキは仕返しに四葉の肩を押してやろうと思ったのに、本人の意思に反して、また一歩さがる。さらに一歩、さがる。
「え? え? なに? なんで、足が勝手に?!」
「秘孔、膝限を突いたわ。あなたの足は意志と無関係に後ろへ進む!! 地獄まで自分の足で歩いていきなさい!!」
「な、何を言って……、こ、この先は、たしか!!」
ミキが振り返る。高層ビルの屋上にあるヘリポートなので手すりもなにもなく、このまま歩き続けると、地上まで真っ逆さまだった。
「うわあ!! と…とめてよ! あ…足を!! とめてよ!!」
「ほんの偶然だと思う。司なんて、よくある名前だから、ごく偶然に重なっただけ。なのに、こんなに腹立たしいなんて、いつのまにか、私は彼を強く愛している」
「何を言って……と、とめてよ! 助けて! 誰か助けて!!!」
もうミキは大声で叫んだけれど、ヘリポートにいるスタッフは花火の前後の混雑で疲れていたし、四葉たちの乗るヘリの準備に追われ、気づいていない。どんなに大声をあげてもアイドリングしているヘリの羽音にかき消されて四葉以外は誰も聴いていない。
「うわあああぁ! あわわあ!!」
あと落下するまで1メートルもなくなると、いよいよ恐怖で顔中が汗に濡れて、つけまつげがとれている。目の上下につけまつげをしていたので、下のまつげが涙で流れ、上のまつげは目蓋の変なところに貼りついている。涙でアイメイクが溶け、黒い涙を流して、ファンデーションが汗で落ちていき、顎に白い汁がダラダラと滴っている。
「い…いやよ! たすけてぇぇぇ……な…なぜ、私が、こんな目に!! 美人の、この私が、なぜぇぇ~!!」
とうとう爪先だけで屋上の端に立っている。下を見ると、地上200メートルはありそうで背筋が凍る。
ジョワジョボジョボ!!
ミキは恐ろしくて失禁してしまい、漏らした尿がビル風とヘリが巻き起こしている旋風で舞い上がり、本人の顔や上半身を濡らして藤井司名義のリボ払いで買ったワインレッドのドレススーツが、ワイン2本を飲んで分解した臭い尿で染まっていく。
「あわ…」
最期の一歩を踏み出して、ミキの身体が落ちていく。
「うわっ! うわああ!! たわばぁぁ………」
たすけて、わあ、と最期に言ったのか、もう声は聴こえなくなった。四葉が黙って待合室に戻ると、係員に呼ばれる。
「宮水様、3名様、ご出発の準備が整いました! ご搭乗ください! お帽子やスカーフなど飛びやすい物は必ず手に持っていただくか、カバンに入れてください!」
四葉と俊樹が呼ばれた方へ進み、三葉も会話していた元夫に最期の言葉を告げる。
「ごめん。結局、なにもかも、急ぎすぎたのが、いけなかったのかも」
「オレの方こそ、ごめん。未熟だった。君の気持ちを考えられなくて、ごめん」
「じゃあ。さよなら」
「ああ……さよなら…」
男に見送られて三葉は背中を向けると、ヘリに乗った。ドアが閉まると旅客向けのヘリなので会話できるくらいには静かになる。
「三葉、大丈夫か?」
俊樹が、不意に離婚相手と出会ってしまった娘を心配して問い、三葉は微笑んだ。
「うん。話せて、よかった。ずっと弁護士任せで離婚したから、会って話して気持ちがスッキリしたわ」
「そうか、よかったな」
気がつけば、もうヘリは上昇していて、スカイツリーを見下ろす高度になっている。花火が終わった後の渋滞で道路は輝き、ビルやネオンも宝石のように見えた。
「東京………この街が………人を、おかしくしてしまうのかも……私、サヤチンに謝りたい。どんなに謝っても許されないとしても、謝りたい」
「「…………」」
俊樹と四葉も眼下を見下ろす。出発したヘリポートのあるビルの下に救急車やパトカーが集まり始めているのに気づいたのは四葉だけだった。
「東京、たしかに、こんな街、焼き尽くしてしまったらとも………ううん、それはダメ、なんとか防がないと……でも、疲れた。もうクタクタ……」
四葉は倒れ込みそうなほどの睡魔を覚えたけれど、頭を振って意識を保つ。
「ダメダメ! 寝ない! 寝ない!」
「ねぇ、四葉、今夜も入れ替わるの?」
「たぶん、ううん、きっと。……眠い……ごめん、お姉ちゃん、寝そうだから、何でもいいから話しかけて」
「何でも、って言われると……あ、ほら、もう東京が終わるよ。空から見ると、あんなに小さい都市だったんだ」
三葉が窓の外を指した。キラキラと輝く人工の光りが途切れ、山梨県に入ると眼下は、ほぼ真っ暗だった。
「私たちの町も、上から見ると、こんなに暗いのかな?」
四葉の問いに俊樹が答える。
「その分、星がキレイに見えるさ」
「そうだね」
四葉は星を見ようとしたけれど、旅客ヘリの窓の構造上あまり上方は見えない。しかも、空は曇っていた。
「お客様」
副操縦士が客室と操縦室を隔てる戸を開いて声をかけてきた。
「山梨県から長野県にかけて濃い霧が出ているとの情報です」
「そうか」
「大変申し訳ありませんが、山梨県内にて着陸いたします」
「っ、それは困る!」
俊樹が声をあげ、四葉も叫ぶ。
「お願い! 岐阜まで飛んでください!」
「そうおっしゃいましても、きわめて危険ですから」
「どうしても戻らないといけないの!!」
「追加料金が発生してもかまわない! 飛んでやってくれ!」
「金額の問題ではないのです。運行規定違反になりますから、着陸いたします。料金は後日全額返金されますので、どうか、ご了承ください」
「そ……そんな……」
「どこに着陸するんだ?!」
「検討中です。どうか、お静かに」
そう言うと副操縦士は戸を閉めてしまった。しばらくして、ヘリが山梨県内にある日本航空高校のヘリポートへ緊急着陸した。降り立ってみると、周囲は真っ暗で何もない。コンビニの光りさえ、遠かった。
「………あと2時間も、ないのに……」
「四葉、しっかりして、顔色が悪いよ。まだ、方法はあるかもしれないから!」
三葉が励まし、俊樹が電話をかける。
「タクシーを呼ぼう!」
電話で呼んだタクシーが来るまでに30分を要して、中央自動車道を進むけれど、ヘリと違い、飛騨までは大きく山脈を迂回しなければ到着できない。霧の濃い高速道路を運転手に無理を言ってスピードを出してもらっても、ようやく長野県に入り諏訪湖の近くを通る頃になって、夜の12時になってしまった。
「日付が……四葉っ?! 四葉、しっかりして!」
三葉は妹が、ぐったりとしていることに気づいた。
「寝ちゃダメなんでしょ?! 起きて!!」
大声で呼びかけて揺すっても反応がない。助手席に座っていた俊樹も心配して振り返る。
「四葉の様子は?」
「ぜんぜん反応がないの! 四葉! しっかりして! 四葉!!」
三葉が頬を叩いても反応が無いどころか、顎に力も入っていなくて口が開いてヨダレが垂れてしまう。目蓋にも力が無くて、閉じているというより半眼で瞳に動きもない。
「四葉……」
三葉はゾッと腹の底が喪失の恐怖で冷たくなる。もう四葉からは生きている様子が消えてきている。母親を亡くしたときと同じ、身内を喪ってしまうかもしれないという重く冷たい恐怖感が三葉の背筋に貼りついてきた。
「四葉……四葉! お願い! 四葉、生きて!」
抱いている妹の全身には少しも力が入っていなくて、とても重たい。じわりと三葉はお尻が温かく濡れてくるのを感じた。触ってみると、同じシートに座っている四葉が小水を漏らしている。
「…おしっこまで、もらして……四葉……息は…」
三葉は死んだように動かない妹の口元に耳をあてた。
「っ! お父さん! 四葉が息してない!!」
「なっ…」
驚いた俊樹は慌てかけたけれど、長女に言い聞かせる。
「こんなときこそ、落ち着きなさい」
「そんなこと言われたって!! 息してないのよ! 四葉が!」
もう泣き出しそうな声で三葉が叫ぶ。助手席にいる俊樹は何もできないけれど、慌てずに言った。
「私も、どうするのが、いいか考える。お前も考えなさい」
すでに妻を亡くしたことのある男が静かに諭すと、三葉も少しだけ冷静になれた。
「……どうすれば……どうしておくのが……いいの……息が……なら! 息をっ!」
三葉は唇を四葉と重ねると、大きく息を吹き込んだ。