「君の名は?! ジャギ!!」R15   作:高尾のり子

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第4話

 

 

 四葉は肉体をともなわず、意識だけが空を飛んでいるのを感じていた。

(…ここは……あっちの世界……核戦争があった世紀末……)

 濁った空と赤茶けた砂漠のような大地が見える。その大地に墓石が立つように、ところどころコンクリートのビルが残っていて、ここが核戦争後の世界なのだと思い知らせてくれる。

(……させない……こんな核戦争は……絶対に……させない……でも、私、糸守にいなかったから入れ替わりがハンパに発生して……身体が……ジャギさんは……あ、ジャギさんがいる)

 空の高いところにあった四葉の意識が、だんだんと降下していき、地上200メートルのビル屋上を認識して、ジャギを見つけていた。

「ウワッハハハ! どこに逃げようとも炎が貴様を追いつめる!! ここは地上200メートルどこへも逃げられんぞ!!」

 そのジャギはケンシロウに向かって、勝ち誇って哄笑している。すぐ近くまで四葉が降りる。

(あ、結局は拳法で戦わずに罠にしたんだ。まあ、その方が確実かな)

 そう考えている四葉がジャギと重なった。すっと四葉の意識がジャギに入っていく。

「うっ…痛い…、けっこうダメージ受けてる。な? 何だ?! オレの中に…」

 一つの肉体に二つの意識が宿り、ジャギが頭を振った。

「うぅ! 頭を振らないでよ、すごく痛い! 何だ?! これは?! どうなってやがる?! そうか! 四葉とかいう女! お前だな!」

「………ジャギ……貴様……」

 ジャギが自問自答している様子が変なので、ケンシロウは怪訝な顔で見ている。ジャギは身体の中にいる四葉へ怒鳴る。

「オレ様から出て行け! ごめんなさい、私も、こうしようと思って、こうなってるわけじゃないの! オレ様は今忙しいんだ! とにかく静かにしてやがれ! ぶっ殺すぞ!!」

 ケンシロウと戦闘中だったジャギが殺気立っているので四葉はいながらにして静かに見守ることにした。見守っていると、ジャギは屋上に火を放ち、ケンシロウを炎壁で囲む。

(お見事……まるで孔明の罠……意外に頭脳派なんですね)

「………。フ、オレは拳法だけがすべてとは思ってないからな。ようは勝てばいいのよ、勝てば」

 四葉が声を出さずに意志を伝えてみると、ジャギも誉められて悪い気はしないので得意そうに微笑んだ。そして、ケンシロウに向かって、冥土のみやげと称して昔話を語って聴かせている。ユリアのことでシンを焚き付けた話を得々と披露した。

「シンをゆさぶり消えかけた炎を再び燃え上がらせたのだあ!!」

(なるほど、色恋沙汰を利用して……むしろ、もう拳法家より策士の才能があるんじゃないですか。にしても、ジャギさん、ものすごく熱いです)

 足元の業火は熱が上にも伝わってくる。一つの肉体に二つの意識でいる四葉へも皮膚感覚が伝わってきて、足先が焼けるように熱い。ジャギの機嫌を損ねないよう四葉が恐る恐る指摘してみる。

(そろそろ脱出しないと危険じゃないですか。私たちが立ってる、これって燃料タンクですよね)

「うるせぇ! これからケンシロウのヤツを最大限に悔しがらせてから焼き殺してやるんだ。お前は黙ってろ!!」

(はい、すみません)

 そんなことに時間を潰していないで早く脱出した方がいいと四葉は思ったけれど、ジャギとケンシロウに、どんな確執があって争っているのか理由を詳しく知っているわけではないので、積年の恨みもあって語りたいのかもしれないと考え、再び静かにする。ジャギは昔話を続けて語り終えると、高笑いする。

「ひゃあはは! どうだ、悔しいか?! 悔しいかあ?! はははあ!! ウァハハ! オレ様は誰だ! 名を言ってみろ!! オレは北斗神拳の伝承者ジャギ様だ~!!」

(……自分に様付けするんだ……私が自分で自分に四葉様って言ったら司とか、どんな顔するかな……)

 四葉の思考はジャギに伝わってしまったけれど、ジャギは感じなかったことにする。

「……。ウァハハハ! 貴様からすべてを奪いとり、そして今貴様の命も尽きるのだ!」

「ぬうう!!」

 燃料タンクの下で炎に囲まれながら話を聴いていたケンシロウが激怒した。

「うおおお!!」

 雄叫びをあげ、怒りのあまり筋肉が大きく膨張して上半身裸になった。

「な?!」

 驚いているジャギに四葉が伝える。

(ジャギさん、そろそろ脱出を!! 足、火傷してますよ!)

(そうだな。そろそろ…)

 ジャギも声を出さずに四葉へ意志を伝えることが自然とできた。一つの身体にいるからか、単に思っていることが、そのまま伝わってしまうようだった。ジャギが目線でチラリと脱出のために用意しておいたケーブルを確認したときだった。

「おおお!! ぬああ!!」

 ケンシロウが咆吼し、さらに屋上の床を殴りつけている。

 ドコォッ!!

 人間離れした強烈な一撃でコンクリートの床がヒビ割れていき、そのヒビが燃料タンクの方まで走ってくる。

「な…なに…、ゲェ!! うわあ!! キャーっ?!」

 屋上の床が崩壊して燃料タンクごと落とされてしまい、ジャギが驚き、四葉は悲鳴をあげた。

「ゴホッ…な…なんてヤツだ…」

「ジャギ…オレの名を言ってみろ!」

 ケンシロウも落ちたけれど、まったくダメージを受けておらず迫ってくるので、四葉が叫ぶ。

「待ってください! ケンシロウさん! バカめ!」

 ジャギの手が素早く動きケンシロウの顔を浅く斬った。その寸前にジャギらしくない口調で発声していたのでケンシロウに隙もできていた。斬られたケンシロウが少し驚く。

「こ…この技は!! 南斗聖拳!!」

 ケンシロウが動揺しているので、ジャギは得意げに微笑む。

「フフフ…その通り、オレも昔のジャギではない」

(四葉、てめぇ、次に余計なことしたら、マジでぶっ殺す。お前を殺せなくても、次に入れ替わったとき、沙耶香とテッツーを八つ裂きにするからな)

 ジャギはケンシロウに語りつつ、四葉へは声に出さず警告した。四葉とは入れ替わりが起きる関係なので直接に殺害はしにくいので、沙耶香と司を人質にする論法だった。

(ごめんなさい、それだけは許してください! お願いします!)

「だったら、黙ってやがれ! 男同士の間に入るな!」

「……」

 ジャギが声に出して四葉を怒鳴ると、ケンシロウは会話のキャッチボールが成立しないので少し困っている。四葉は二人を人質にされて今度こそ黙って見守る。四葉が静かにしていると、再びジャギとケンシロウが戦い、ジャギは南斗聖拳で挑むけれど、すぐに押されていき、また追いつめられた。

「うっくく…き…貴様、使ったな。北斗神拳の奥義、醒鋭孔を!!」

「そうだ…胸椎の秘孔、龍頷を突いた! 今、貴様の身体は、むきだしにされた神経で包まれている!! 指でふれただけで全身に激痛が走る!!」

 ケンシロウが指先でパパパッと触れてきた。

「うぎゃあ!!」

(うっくぅぅぅ…痛ぅぅ……心霊台とは、また違う痛みで、これは、これで、きついよ)

 ジャギの身体が秘孔を突かれると、その痛みは四葉にも伝わり、とっさに四葉はラオウから習った対応する秘孔で痛みを取り去った。勝手に手を操られたジャギが怒る。

(四葉、てめぇ、またオレ様の身体を勝手に動かして…)

(ごめんなさいっ、つい!)

 四葉は慌てて謝り、ジャギはそれほど怒らなかった。

(まあ、いいだろう。ケンシロウのヤツが驚いてやがるしな)

「な…なに…ジャギ……なぜ、お前が正統伝承者しか知らぬはずの秘孔を知っている?!」

 問われてジャギも気づいた。

「あ、そうだ! お前、なんで秘孔を知ってるんだ?! いつの間に北斗神拳の奥義を?!」

「………。ジャギ! 貴様に訊いている!!」

 ケンシロウが重ねて詰問しているけれど、四葉はジャギへ説明する。

(私の身体がいる世界が2020年なのは気づいてますよね。その2020年にいるラオウさんから教えてもらったんです)

「兄者から……なるほど、それで。……いや! けど、そんな簡単に教えてくれるものか?!」

 うっかり声に出して問うていることさえ気づかないほどジャギは驚いている。四葉が続けて説明する。

(簡単ではありませんでした。3億円って言われたけど、お父さんが交渉して、なんとかしてくれたの)

「3億……3億円って金か?! 金で北斗神拳を売ったのか?! 兄者は?!」

「……。ジャギ!! 貴様は何を言っている?!」

 もともと激怒していたケンシロウは会話が成立しないことに苛立って殴りつけてくる。その拳を四葉との意思疎通に気を取られているジャギの意思ではなく、四葉の意思でヒラリと回避した。

「「っ、その足運びは、ラオウ…」」

 ジャギとケンシロウがともに驚いている。これをチャンスと捉えた四葉が一気にお願いを始めた。

「お願いです! どうか二人とも私の話を聴いてください!」

「………ジャギ……貴様は……」

「四葉! てめぇ! 余計なことを言…お願い!! 聞いて! 私は2020年から来たの! そこでは核戦争は起こらなかった! こことは違う平和な世界があるの!! オレ様には関係ねぇ!! 私は核戦争の無い世界を…それが、どうした?! あっちは、あっち! こっちは、こっちだ!」

「………。あたたたァ!!」

 ケンシロウが蹴りを連発してくる。もう会話よりも戦闘を進めることに決めた様子の攻撃だった。

「くくっ!」

 ジャギが防御して間合いを取る。

(おい、四葉)

 ジャギは声に出さず、体内にいる四葉へ声をかけた。四葉が緊張して謝る。

(はい、すみませんでした。どうか、司とサヤボボのことは…)

(その話じゃねぇ。四葉、お前も北斗神拳が使えるんだな? ラオウ兄者の)

(はい)

(なら、いいことを考えた。お前がオレの左腕を操れ、オレは右腕で南斗聖拳を放つ。そんな混成攻撃ならケンシロウのヤツも混乱するだろう)

(あ、なるほど。使えるものは、何でも使うんですね。そういうの好きです。では)

 ジャギと四葉が二心同体で構える。

「南斗! 北斗!」

「……」

「ヒャハッ! 剛掌波!」

 ジャギの両腕が左右バラバラの攻撃を放った。右腕は南斗の動き、左腕は北斗の技だった。

「な…」

 ケンシロウが頬を斬られ、胸を打たれた。ジャギが得意そうに微笑む。

「どうだ、オレ様の拳は一人で二人分、北斗と南斗の合わせ技よォ」

「……。あいかわらず、北斗神拳の真髄すら忘れたままか」

 ケンシロウが構え直した。

「もう一度、そのくだらん技を見せてみろ」

「フフ、お望み通り地獄へ送ってやる」

(ジャギさん、二度目は通用しない気がします)

(だからって、他に手はねぇんだよ)

(含み針とかは?)

(アレは最初にやったけど、受け止めやがった。まあ、修行時代にも、やったからな。ケンシロウも二度目はくらわなかったんだろうよ)

(ってことは北斗南斗の合わせ技も二度目はダメなんじゃないですか)

(たしかに意表を突いただけで、ぜんぜん効いてねぇからな。ヤツの目、明らかにカウンターを狙ってやがる)

「どうした。ジャギ、早くかかってこい」

 ケンシロウが待っている。四葉は諦めずにジャギへ問う。

(お二人が仲直りして共通の世界平和という目的のために協力してくださる、という私の提案は無駄ですか?)

(無駄だ。せめて、ケンシロウを倒してからなら、お前の話も聞いてやろう)

(ケンシロウさんを……、わかりました。私に作戦があります)

 意外にもジャギが、とりあえずは話を聴いてくれる様子なので、四葉は停戦を諦め、乱世のならいに従い、ケンシロウを倒すことにした。

(私がケンシロウさんに色々と話しかけます。その間に、ジャギさんは攻撃してください)

(ほォ、ヤツの集中力を奪う作戦だな。いいだろう。はじめろ!)

「ケンシロウさん、どうか聞いてください!」

「……」

「本当のあなたは、もっと優しい人のはずです! もし核戦争が起こらなければ、あなたはトキさんの鍼灸院で平和な時間を過ごしていたのです! 受付として!」

「トキ兄さんの……」

 ケンシロウが有り得たかもしれない世界の可能性を見てきたように言われて、やや闘気を弱められた。そこへジャギが攻撃する。

(くらえ!! 北斗羅漢撃!)

 ジャギが放った突きの連続は防御されてしまったけれど、四葉もジャギも諦めない。四葉が切実に話しかけ、ジャギが狡猾に狙う。

「西暦の2020年、私はケンシロウさんに出会いました。そのとき、あなたは言った。自分は人を殴ったり蹴ったりといったことは嫌いですから。暴力は何も解決しませんよ、お嬢さん、と」

(死ねェ!)

「………」

 ケンシロウは激しいジャギからの攻撃と、四葉からの言葉を受け流している。

「今のあなたは本当のあなたではない! あなた自身、望んでいなかった世界の、望んでいなかった自分なんです! 私は、こんな世界を変えたい! だから、もう一度だけチャンスをください! 私に時間を!」

 喋っているのは四葉でも、声はジャギなので、とても気持ち悪い。ケンシロウは拳を握り直した。

「ジャギ、寝言は地獄の底でわめいていろ!」

「うっ!」

(ぐう! 強い、やはり昔のケンシロウではない…)

 ジャギは反撃を受けて吹っ飛んだ。四葉も驚く。

(ううっ……これが、あのケンシロウさんなの……まるで、違う……八王子の鍼灸院で受付をしていたケンシロウさんとは……まるで…)

(ああ、昔のヤツには、こんな凄味はなかった。この非情さ……乱世が、こいつを変えたんだ)

「最後に、これは…」

 ケンシロウが鬼気迫る顔で近づいてくる。

「貴様によって、すべてを失った。オレの…」

「ケンシロウさん! もう一度だけチャンスをください!」

「このオレの怒りだあ!!」

 ケンシロウの渾身の怒りを込めた突きが、ジャギの胸を突いた。

「(うぐっ……この秘孔は、……新血愁)」

 突かれたジャギも四葉も北斗神拳を知っているので、突かれた秘孔の効果もわかる。それでもケンシロウは丁寧に説明してくれる。

「秘孔、新血愁を突いた。3日後、全身から血を噴き流して死ぬことになる!!」

 さらにケンシロウは説明を追加する。

「貴様は、なぜか、秘孔、龍頷に対応する秘孔を知っていた。だが、この新血愁に対応する秘孔は心霊台のみ! たとえ、それを突いたとしても貴様の死は変わらぬ!! 今までの罪! ぞんぶんに悔いるがいい!!」

 そう言い放つとケンシロウは去っていった。

「ゴホッ…、ゴホっ……クソ! 痛てぇぇ…」

(ごめんなさい、ジャギさん……)

「よりによって新血愁か……クソっ…」

(3日間……)

「クソっ!! ケンシロウめ!!」

(ううっ…痛い…)

「呻くなよ、余計に痛いだろ」

 すでに秘孔による身体の変調が始まり、四葉とジャギは苦痛に震えた。

「ぐうう……」

(ううっ……今、この時代、この世界でラオウさんとトキさんは、どうしているんですか?)

「生きてるらしいくらいの情報しか知らねぇ。携帯電話とかスマフォみたいな便利なものは無いからな。それに、たとえ兄者たちに会えても、新血愁の効果は打ち消せねぇ。それは、お前にもわかるんじゃねぇのか? ぐふっ…」

(ケンシロウさんは、それをわかっていて突いたから………ううっ…)

 苦しくて膝をつき、肩で息をしている。

「3日か、長ぇな……死ぬのか……クソっ!!」

(あああっ! …痛い……痛いぃい!)

「そういや、お前、オレが死んだら、お前は、どうなるんだ?」

(わかりません。このまま、いっしょに死ぬのか、元に戻れるのか。そもそも、ここに二つの意識があること自体、もう私の体は死んでいるのかもしれない。………赤ちゃん……いたかもしれないのに……ぐすっ…)

「泣くなよ、余計に痛みが増す! 四葉、お前、妊娠してたのか?」

(してたら、いいな、くらいに)

「相手はテッツーか?」

(はい)

「あのチェリーめ、しっかり決めやがって」

(私から誘ったの)

「なんだ、据え膳か」

(司……それに、赤ちゃん……五葉……)

「もう名前を決めてあるのか、単純なネーミングセンスだなぁ」

 ジャギが立ち上がった。

「くだらねぇこと言ってたら、だんだん痛みが治まってきたな」

(はい、今は少しだけ、という感じですけど)

「オレは死ぬとしても、四葉は戻れるといいな、あっちの世界によ」

(ジャギさん……)

「あっちの世界……よかったな、いろいろと……飯も美味かったし…」

(一つだけ、助かるかもしれない方法があります。無駄かもしれませんが)

「おっ、いいこと言うじゃねぇか!」

(本当に、どうなるかわからない。ただ、何もしないよりマシというだけの可能性ですけれど)

「もったいぶらずに早く言えよ」

(この世界の岐阜県、飛騨高山に3日以内に到着できますか?)

「う~ん……バイクで道路が崩壊してる箇所が少なければ、まあギリギリ」

 ジャギが歩き出した。

(え、もう行くんですか? 私、どんな方法か説明してないのに)

「どうせ、やることねぇしよ。ギリギリって言ったろ。まあ、バイクも乗りたい気分だしな」

 ジャギが階段を下りていく。下に行く途中で、手下たちの死体を、いくつも見た。すべてケンシロウに倒されたようで北斗神拳による惨殺死体だった。

「こいつらにも貧乏くじを引かせちまったな。逃げ延びてるヤツがいるといいが」

(ジャギさん……少し人が変わってませんか?)

「そうさなぁ……もう死ぬって決まるとなぁ……悔しいが今からケンシロウを追いかけて最後の決戦を挑んでも結果は見えてるしなぁ……飛騨高山……いいところだったな。核攻撃を受けてないといいな」

 外に出たジャギはバイクに跨った。

 ドルゥウン!

「最後のドライブだ。行くぜ」

(はい)

 二人は砂漠化した関東平野を走り抜け、山梨県、長野県を駆けた。日付が変わり、長野県に入った頃から日本アルプスが見えている。

(この世界でも山脈はキレイですね。雪が降り積もって)

「そうだな。雪化粧した山脈の眺めが人生のエンディングみてぇだ」

(小川の水もキレイ……雪解け水が、すごく透明で……放射能さえ、なければ)

 雪解け水が小川になっているけれど、周囲に植物はない。山脈も美しいけれど、森林限界以下の高度でも緑がない。強い放射性物質の存在を示していた。人も獣もいない、死の山脈だった。

「人にも出会わねぇってことは、このあたりは住めねぇ、移動もできねぇ、ってくらい放射能がきついんだろ。オレらも3日の命じゃなきゃ、通ろうって気にならないほどにな」

(それって変じゃないですか?)

「どこが?」

(核攻撃による放射線は7の法則で最初の49時間で100分の1になるはずなのに)

「ふーーん……そういえば、シェルターに避難したとき、そんな放送があったなぁ」

(核戦争から、ずいぶん経つはずなのに、植物も生えないなんて……どうして)

「それは、お前、あれだよ。核の冬とか、なんとか。あと、このあたりに原発があったんじゃないか。そこにミサイル来てたら、しつこく放射能あるだろ」

(岐阜も、福井の原発が、すぐそこに……日本一の原発銀座だったから)

「まあ、風向きによってはヤバいかもなぁ」

 二人の不安は的中して飛騨地方に入ってからも植物は生えておらず、生命の気配はなかった。美しかったはずの緑は一つもなく、山々が岩肌を見せ、わずかな平地は砂漠化し、建物は朽ちかけている。

「あの婆ァは生きてりゃ、今、いくつだ?」

(えっと……今が1997年だとすれば、お婆ちゃんは66才かな)

「婆ァは婆ァだなぁ。四葉のオカンは?」

(お母さんは……26才だと思う)

「26才か、年頃だな。生きてるといいな」

(…………)

「黙り込むんじゃねぇよ。何か喋ってろ。暗くなるだろ」

 意外にも励まされて四葉は気を取り直して問う。

(年頃って何よ。エッチなこと考えてない?)

「沙耶香も可愛かったけど、お前は肉付きが足りないな。オレは、もう少しグラマーなのがいいんだ。しっかり成長した感じの女がよ。こうハイヒールが似合ってそうな脚でミニスカでよ。肩とか露出してると最高だな。髪もボリュームがあるのがいいな。ちょっと染めてるくらいの。お前らの学校、ホントみんな黒髪ばっかだったな。本当に未来か? すげぇ保守的だったな」

(東京とド田舎の違いだと思うよ、たぶん)

 色々なことを二人で話ながら、とうとう糸守町に到着した。町に核攻撃はなかった様子なのに誰一人いない。建物も半壊しているものばかりだった。

「誰もいねぇな」

(うん……予想はしてたけど……やっぱり福井の原発のせいみたい。かなりの放射能汚染があって建物もボロボロになってる)

「原発は攻撃目標になったからな。まあ、仕方ねぇよ」

(都心だから危険、田舎だから安全なんて、核戦争に関係ない。どこもかしこも傷だらけ)

「泣いても、待っても、はじまらねぇな」

(使用済み核燃料まで最終処分せずに、いつまでも施設内においておくから爆撃されて舞い上がって。戦争を想定してない安全基準に何の意味があるの……)

「お前、いろいろ勉強してんなぁ」

 ジャギが感心しているのか、あきれているのか、半分半分で言ったとき、バイクの燃料が切れた。

「ここからは徒歩だな。お、あれは四葉の家じゃないのか?」

 ジャギが見覚えのある家屋を指したけれど、四葉は否定する。

(ううん、あれは隕石が落ちた後の仮住まいで、本当の家は、こっち)

「この町は、いろいろ大変なんだな」

(その危機はお姉ちゃんが救ったから………ここが私の家)

 宮水神社と宮水家に到着した。やはり半壊しているし、緑溢れる土地柄だったのに草一本生えていない。

(…………)

「入るのは、やめておくか?」

(ううん、見ておく。知っておくべきだと思うから)

「そうか。じゃあ、お邪魔するぜぇ」

 宮水家に入ってみる。家屋は雨戸がすべて閉じられ、玄関や窓にガムテープを貼った後があるけれど、もう剥がれていてボロボロになっている。戸も壊れていた。中に入ると見覚えのある間取りで、すぐに居間を見た。

「まあ、こうなるはな」

(予想通りね……)

「あんまり気落ちするなよ。予想してたことだ」

(うん)

 居間には白骨化した遺体が2つ、寄り添うように並んでいた。体格から一葉と二葉だとわかる。死んでからも肉は腐らず、ミイラ化して、肉がボロボロになって白骨化したような様子で、死ぬ前に全身から出血していたのが、畳に残るシミで伝わってくる。

「避難する場所もなく、家の中で死の灰をやり過ごそうとしたんだろう」

(核戦争があったのが、1992年だとしたら、お母さんは21才)

「それから5年ほどか」

(っ?!)

 ずっと身体を動かす主導権をジャギに任せていた四葉が何かを見つけて柱に駆け寄り、手で擦った。そこには包丁で刻み記した文字があった。紙にインクで書いたのでは放射線のために朽ちてしまうことを見越したような、しっかりと深く刻んだカタカナだった。

「(ココハ…ホウシャセン…ツヨイ…ハヤク…イキナサイ…四葉)」

 二葉が書き残したメッセージだった。

「…うっうっ…お母さん…うっ……、泣くなよ、オレの身体でよぉ、オレが泣いてるみたいだろ、バカ野郎…ぐすっ…」

 溢れてきた涙をジャギが拭った。四葉も気持ちを引き締める。

(ジャギさん、もう目的地へ急ぎましょう)

「そうだな、もう身体がもたねぇ」

 涙には血が混じっていたし、口の中も血の味がする。これが新血愁によるものなのか、放射線によるものなのかは、すでにどうでもいい。残り時間が少ないことだけは確かだった。宮水家を出ると、早歩きになり、ご神体のある山地へ向かい、駆けた。

「ハァ…ハァ…ぺっ! ここか?」

 血の混じった唾を吐いて、ジャギが問い、四葉が答える。

(はい、この巨石の中なの)

 巨石の奥へ進むと、そこに奉納された口噛み酒があった。

「意外と、ボロボロじゃねぇな」

 封印は数年を経て古ぼけているけれど、町の荒廃に比べると放射線の影響は少ないようで形を保っていた。

(そっか……この御石様が放射線から守ってくださって…)

「なるほど、こんだけぶ厚い石ならシェルター並みかもな」

 ジャギが口噛み酒を手に取り封印を解いた。

「これを飲めばいいんだな?」

(はい、お願いします)

「酒か……オレは下戸だからな。まあ、もう、どうでもいいが」

 そう言ってジャギが二葉が造った口噛み酒を飲んだ。

「………もう味は感じないな……オレの舌がダメになってやがるのか……」

(お母さん………お願い…)

「………………何も起こらねぇな」

(…………ごめんなさい、ジャギさん…)

「いや、もう期待してなかったからいいぜ」

 ジャギは外に出る。もう新血愁を突かれてから3日が過ぎようとしている。

「ダルいし、痛いし、もうダメだな」

(はい……すみません。無駄足をさせて)

「もう、いいって言ってるだろ。ぐっ…」

 バフォッ!

 ジャギの右肩から血が噴き出し、棘のついた肩パットが飛んでいく。

「痛てぇな……クソ…」

(はい、痛いっ…ものすごく……これが北斗神拳の被害者の痛み……)

「オレ様の死に場所……ちょうど、墓石にいいかもな」

 そう言ってジャギは巨石の上に登り、寝転がった。

「痛てぇ……この痛みとも、あと少しで、おさらばよォ……」

 ジャギがマスクを取り去り、左前頭部を撫でた。

(とても痛い……苦しい……寒気がするのに熱い……)

「ああ、そんな感じだな…」

(これが北斗神拳で殺される人の……ううっくう……最悪の痛み……、核兵器も、北斗神拳も、本当に最悪の存在……)

「そうだな、そうかもな……なんで、オレ、こんな拳法、はじめたんだっけ。ああ、そうか、家が貧乏でクソリュウケンとこ養子にやられて……ああ、やばい、走馬燈きた」

 ジャギが天へ手をかざした。

「死兆星が見えやがるぜ。あんなに、はっきりと」

(死兆…うううっ!)

「ぐあああ!!」

(あああぁ…痛い、痛いい…)

「痛てぇな……クソ……けどよぉ、四葉……お前といっしょで、よかったぜ。なんか、痛み、半分って気もするからよ」

(半分……ジャギさん……あぐっ?!)

「あ~おごっ!」

 ジャギの全身から血が噴き出していく。

「(うわあああぁああぁ!!!)」

 いっしょに絶叫し、そして肉体が飛び散る。

「(ばわっ!!)」

 血と肉片が巨石の上に拡がった。

(………)

 ふわりと四葉は意識が上へ登るのを感じた。

(……ジャギさんは…)

 四葉は半透明のジャギを見つけて、手を握り、そして手を引いた。

 

 

 

 ジャギは布団の中で目を覚ました。

「………なんか悪い夢だった気がする……けど、女も出てきたような」

 寝返りをうち、身体の痛みを思い出した。

「痛てぇ、リュウケンめ。あんな突きをくれやがって」

 起き上がって状況を思い出した。訓練中に突きを受け、気絶して寝ていたのだった。

「クソ……」

 洗面台で顔を洗って、鏡を見た。

「……オレ様の顔……」

 一瞬だけ、左前頭部が秘孔を突かれて破裂しかかった顔を見たような気がする。

「クソ、頭も打ってるのかもな」

「ジャギ兄さん」

 ケンシロウが入室してきて声をかけてくる。

「大丈夫ですか? ひどく魘されていましたが」

「あ! ケンシロウ、てめぇ!!」

 ジャギはケンシロウの胸倉をつかむ。その顔に怒りが浮いたけれど、すぐに困惑へ変わっていく。

「てめぇ……てめぇ、何だっけ……なんか、すごくケンシロウがムカつく気がしたんだが……何だったか……」

「勘弁してくださいよ」

「……。貴様、なぜ、ここにいる?!」

「夕飯が、できたことを伝えに来ただけです」

「そ……そうか……飯か…」

 ジャギは手を離した。部屋を出てケンシロウと食堂に向かいつつ問う。

「おい、ケンシロウ、今年は何年だ?」

「え……さあ、あまり、そういうことを気にしないので、すいません」

 二人で食堂に入ると、トキとラオウ、リュウケンもいた。

「兄者、今年は何年なんだ?」

「……」

 ラオウが無視して食べ始め、トキが答えてくれる。

「元年と呼ばれるだろうね」

「がんねん?」

「1年ということだよ、ジャギ」

「1年、2001年なのか?」

「ジャギ……さきほど、ひどく頭を打ったようですね」

「ジャギ兄さんは、かなり魘されていましたよ」

「そんなことはいいから、今は何年なのか、教えてくれ!」

「今年は平成元年となるよ」

「平成……西暦でいうと?」

「1989年です」

「1989年………」

「いったい、どうしたというのです?」

「あ……いや……何だっけ……」

 ジャギは頭を撫でながら着席した。テーブルには大きな丼が置いてある。

「ケンシロウ、お前、またこれか」

「すみません。時間がなくて」

「けっ、まあいい」

 ジャギは丼を食べ始めた。

「このよォ、魚肉ソーセージ丼よォ、安っぽい味だよなぁ。テキトーに切った魚肉ソーセージとよ、卵とタマネギで親子丼みたいにしてよォ、ほんの少し鰹節がかかってよォ。飛騨牛コロッケとはいわねぇからよォ、もう少しなんとかならねぇのかよ」

 文句を言いながら食べるジャギの両頬が涙で濡れた。

「ジャギ兄さん、どうして泣いているのですか?」

「ああん?」

 言われて頬に触れてから気づいた。

「オレ様が……なぜ…」

 トキが心配そうに見てくる。

「さきほどの模擬戦で、秘孔に影響があったのかもしれない。食事が終わったら私の部屋に来なさい」

「お……おう」

 ジャギは食事が終わると、トキとラオウの部屋に入った。部屋にいたのはトキだけでラオウの姿はない。

「ラオウ兄者は?」

「筋トレの続きをしているよ」

「頑張るなぁ……」

「そこに座りなさい」

 トキが指した椅子に座った。

「こちらを見て」

 ジャギは素直にトキと目を合わせる。

「……うむ、とくに異常はないようだ。秘孔の影響も見られない」

「そうか。よかったぜ」

「だが、今夜は早めに休みなさい」

「あいよ」

 ジャギは言われたとおり、早めに寝て、いつも通りに起きた。

「……夢だったのか……変な夢だった」

「ジャギ兄さん、夕べも魘されていましたよ」

 二段ベッドの上にいるケンシロウが眠そうな目で教えてくれる。

「かなり大声で何度も……おかげで、眠れなかった」

「オレ様は何か言っていたか?」

「えーっと……四葉、とかなんとか」

「四葉……そう……四葉……って何だっけなぁ…」

 もう記憶が曖昧でわからない。けれど一週間も同じような夢を見たジャギは再びトキに診てもらう。

「ほう、毎晩、同じような夢を」

「ああ、これっくらいの小せぇ女だ。そいつが何度も何度も、何かをお願いしてきやがる」

「どんなことを?」

「いや、それを忘れちまうんだ。かなり大切なことみてぇで泣いて頼みやがる」

「なるほど」

 一通りにジャギを診たトキは優しく頷き、義弟の両肩に触れた。

「ジャギ、それは愛というものだ。この病は私には治せない」

「………。そ、そうか? 違うような気がするぜ、トキ兄者。ケンシロウといっしょにするなよ。あいつ、毎晩、ユリアに手紙を書いてから寝てやがるんだぜ」

「うむ、ともかく身体に異常はないよ。どうしても気になるなら起きた直後にでも夢の内容をメモしてはどうだろう? 枕元に紙とペンを置いておくといい」

「メモねぇ……」

 ジャギは半信半疑だったけれど、部屋に戻るとケンシロウが手紙を書いていたので命じる。

「おい、オレ様にも紙とペンをよこせ」

「はい、どうぞ。誰かに手紙を書くのですか?」

「余計なことは気にしなくていいんだ!」

 とりあえず秘孔を外して蹴りを入れた。ケンシロウは腿を蹴られて、痛そうに呻きつつも、つい問う。

「ううっ……、もしかして、四葉さんにですか? ……」

 ケンシロウが探るような瞳でジャギを見てくる。ジャギが苛立った。

「なんだ、その目は?! それが兄に対する弟の目か?!」

 もう一発殴ると詮索を止めて静かになった。

「ったく」

 ジャギは二段ベッドの下へ潜り込むと、トレーニングで疲れた身体を休めた。翌朝、ジャギは見慣れない女子のような字で書かれたメモを見た。びっしりと細かい字で用紙いっぱいに書かれている。それを読み終わったジャギは立ち上がった。

「………」

 荷物をまとめているとケンシロウが起きる。夕べも眠れなかったようで眠そうな目をしていた。

「ジャギ兄さん、どこかへ?」

「少し行くところがある。必ず戻ると兄者やオヤジたちに伝えておいてくれ」

「わかりました。……四葉さんのところですか?」

「……」

 ジャギが視線を送るとケンシロウは防御の構えをとる。ジャギは攻撃せずに答えてやった。

「似たようなものだが、違う。じゃあ、オヤジたちによろしくな」

 ジャギは義弟の頭をポンポンと叩いた。

「ケンシロウ、お前は、その甘い感じがいい。今まで、けっこう何発も蹴ったり殴ったりして、すまなかったな。じゃ」

「ジャギ兄さん……」

 ケンシロウを置いてジャギは出発した。

 

 

 

 五ヶ月後、ジャギはビジネスホテルの一室でテレビを見ていた。テレビはニュースを伝えている。

「米戦艦アイオワの砲塔爆発事故で乗組員47人が死亡した件で当局は乗組員の一人が自殺をはかるため爆発物を仕掛けたのが原因と発表しました。続いて、アフガニスタンからソ連軍が撤退を完了したニュースです。9年あまりにおよぶソ連の軍事介入からボリス・グロモフ駐留軍司令官が最後の部隊を率いてアフガンとの国境を流れるアムダリア川にかかる友好の橋を渡り撤退いたしました。ソ連軍の介入は79年から10万3000人の兵力を常時投入、アフガン政府軍と協力してムジャヒディン・ゲリラと戦闘、約1万5000人の戦死者を出したほか、アフガン市民を含めた9年間の死者は100万人をこえるもようです」

 ジャギはベッドで寝返りを打った。

「四葉、これで、お前の狙い通りなのか………オレには、さっぱりだ」

「またカンボジア領内に侵攻していたベトナム軍の残存部隊2万6000人が撤退を開始し、78年以来10年にわたるカンボジア侵攻に終止符がうたれるとのことです」

「さてと、そろそろ帰らねぇとリュウケンに殺されるな」

 ジャギは潜伏していたビジネスホテルを出ると、まっすぐに八王子の寺院へ戻った。中に入るとリュウケンとトキがいた。

「どこへ行っておった。この愚か者めが」

「ジャギ、どこへ行っていたのです?」

「どこだろうと、オレが破門になることに、かわりはねぇんだろ?」

「「…………」」

 トキが厳しい目で質問してくる。

「ジャギ、よもや、遁走中に北斗神拳による暗殺を行ってはいまいな?」

「ああ、掟は破ってねぇよ」

 ジャギは平然とウソをついた。四葉の依頼を受けて政府の高官、大企業家、ロケット技術者を3人、自殺や事故にみせかけて殺していた。ただ、ジャギとは無関係の人間で、金銭の動きもない、バレるはずがないと堂々としている。

「オヤジ、もう伝承者は決まったのか?」

「決めた」

 リュウケンが答え、ジャギが頷いた。

「やっぱり、ラオウ兄者か」

「いや、トキに決めておる」

「っ……歴史が…揺らいでやがるのか…」

「今の世にラオウでは激しすぎる。ケンシロウでは甘すぎる。トキが、ちょうどよいのだ」

「そうかい」

「北斗神拳伝承の掟により、ジャギ、貴様は北斗神拳に関する記憶を消すことに同意するか、でなけば拳をつぶすか、また北斗を名乗ることも許されん」

「ケンシロウとラオウ兄者は、どうした?」

 トキが答える。

「ケンシロウは記憶を消すことに同意してくれたよ。ラオウは……姿を消してしまった」

「そうか……」

「ジャギ、私はお前と戦いたくはない」

「トキ兄者なら、そう言うだろうな。ああ、オレも記憶を消す方で頼む。名も……ケンシロウは、どうした?」

「田中ケンシロウとしている」

「……田中……オレは、どうなるんだ?」

「山田か、それとも希望があれば多少は融通する」

「山田もイヤだなぁ……う~ん………宮水もオレには似合わねぇし……飛騨も画数が多くて書くとき面倒だな。そうだ、高山というのはどうだ?」

「高山ジャギか。お前が、それでよければ、そうしよう」

「ああ、頼む」

「では、ジャギ、こちらへ」

 トキが促し、ジャギが近づく。

「今から北斗神拳に関する記憶を奪う。頭の中で北斗神拳に関することをすべて考え、思い浮かべるようにしなさい。うまくいけば一度で済みますが、失敗すれば完全に消えるまで何度も突くことになる。下手をすると、ジャギ、自分が自分であることも忘れてしまう。だから、素直に北斗神拳に関する記憶を消すと念じなさい」

「ああ、わかった」

 ジャギが目を閉じるとトキが秘孔を突く。

「むん!」

 ジャギの側頭部を4本の指で突いた。

「ぐっ…………」

「ジャギ、どうですか?」

「どうと言われても……痛かった……」

「構えてみなさい。戦いの構え、お前の得意な攻撃で」

「オレの………」

 ジャギが構えをとる。それはケンカのような構えだった。

「蹴ってきなさい」

「いいのか? トキ兄者」

「さあ」

「……おら!!」

 ごく普通の蹴りだった。

「うむ。秘孔というものを知っていますか?」

「非行? タバコを吸ったりとかか?」

「一度で済んだようです」

 トキがホッとしたようにリュウケンを見て、リュウケンも頷いた。

「で、これからオレは、どうすればいい? なんか、いろいろ大事なことを忘れちまった気がするんだが」

「私は、この寺院を守る傍らで整体院を開設するつもりです。この世には病に悩む人間がなん千なん万といる。そんな人たちの役に立てたら、と」

「で?」

「そこで受付を募集しているのですが、ケンシロウといっしょに働く気はありませんか?」

「ねぇな。くだらねぇ」

「そうなると、支度金と新しい高山姓の住民票を渡しますので、ここから出て行っていただくことになります」

「おう。それがいい」

「わかりました」

 トキが義弟の進路相談を終え、リュウケンが懐から出した封筒をジャギに渡した。

「ジャギ、これまで…」

「あばよ」

 ジャギはリュウケンの別れの言葉を聞かず、背中を向けた。寺院を出て八王子の街を歩く。とりあえず、封筒を開けてみた。

「……一万円かよ……リュウケンめ…」

 文句を言いながらトンカツ店に入り、食事を摂る。

「トンカツ定食大盛り、お待ちどう」

「ようやく、あの魚肉ソーセージ丼とも、おさらばだな」

 ジャギは美味そうにトンカツを頬張り、食事を終えると爪楊枝を使う。

「……………」

 爪楊枝を使っていて、ふと思いついた。

「プッ!」

 勢いよく爪楊枝を噴き出した。狙い通りに飛び、紙ナプキンに刺さった。

「うむ、3本くらい同時でもいけるかも」

 今度は3本の爪楊枝を口に入れる。

「プププッ!」

 狙い通りには飛んだけれど、1本がテーブルに当たり、どこかへ飛んでいった。

「オレ、こんな特技があるんだな。これは使えそうだ」

 とりあえず爪楊枝を10本ほどポケットに入れておく。ジャギが伝票を持って立ち上がったときだった。

「店員さん、この味噌汁に爪楊枝、入ってるんすけど」

 男子高校生が店員にクレームをつけている。店員だった中年女性は人情味のある対応で謝った。

「あらあら、ごめんよ。どっから入ったのかねぇ。すぐ交換するね。あと今日はね、タダでいいから許しとくれよ」

「え? ヤッタァ! マジで?! おばちゃん、サンキュー!」

「これに懲りずに、また来とくれよ」

「兄貴、ラッキーっすね!」

「ついてるな、今日!」

 男子高校生が後輩と喜んでいる。ジャギは自分のせいかな、と思ったけれど黙ってレジの前に立つ。

「おあいそ」

「あいよ」

 支払いを済ませると所持金が8320円になった。再び爪楊枝を咥えつつ街を歩く。

「これから、どうするかな……岐阜でも行くか……って、なんで、オレ、岐阜なんかに興味があるんだ……あんなド田舎……しかも、この金じゃ、もう行けねぇだろ」

 目的地も今夜の泊まるあてもなく歩いていて、ふとプロレスのポスターが目に留まった。見てみれば、ちょうどプロレスジムの前だった。

「プッ!」

 爪楊枝を噴くと、ポスターに突き刺さる。

「………オレ、意外と鍛えてるな……何してたんだっけ……」

 自分の腕を見ると、かなり太い。胸筋も腹筋もバキバキにキレている。

「寮あり、飯つきか……やってみるか」

 ジャギはジムの入口へと進んでいった。

 

 

 

 五年後の1994年、ジャギは高級ホテルのスイートルームで、お気に入りのキャバ嬢たちとノンアルコールのシャンパンを開けていた。

「乾杯だ!」

 自分の勝利を祝いながら、今夜の試合の録画を大型ブラウン管テレビで見ている。

「さあ、はじまりました。注目の一戦! 高山ジャギVS馬場ジード、総合格闘技界のトップを決める一戦、プロレスから転向してきたジャギ選手と、対するはボクシングからのジード選手。この二人、どうでしょう」

「ジャギ選手はプロレス時代、相当に卑怯な勝ち方をしてきましたからね。含み針のジャギという異名もあるほど。ですが、総合格闘技に入るにあたって、そういった卑怯技を封印して、ごくまっとうな戦い方に変化しているようですから、これは、わかりませんよ」

「このジャギ選手ですが、プロレス以前は、どこに所属していたか不明でありながら相当な力量があったとのことですね」

 もう終わった試合なので、それほど真剣に見ていない。キャバ嬢たちと談笑しながら、乳房を揉んでいると、1ラウンドで試合終了となり、テレビのチャンネルを変えた。

「3日前に落馬事故で亡くなったと報道されました北海道すすきののクラブ・ユダに所属していた人気DJラオウこと北斗ラオウさんの死因について、北海道警察は遺体に殴り合った痕などの闘争痕跡が見受けられたことから、詳しく調べ、東京八王子の整体院経営、北斗トキ容疑者を全国に指名手配しました。二人は養親からの相続で以前から争っており、事件当日にJR北海道から東京八王子駅まで移動する北斗トキ容疑者が、複数の監視カメラで確認されており、また殴られたものとみられる打撲傷や出血もカメラに映っており、警察では殴り合いの末にラオウさんを殺害、その後に落馬事故にみせかけて逃走したものとみて、手配しています」

「………兄者たち……」

 ジャギがテレビに見入っていると、手下の一人が声をかけてくる。

「ジャギ様、お電話が入っております」

「おう」

 ジャギは300グラムほどの大きな携帯電話を受け取ると、発信元が公衆電話からだったけれど、すぐに出た。

「オレだ」

「ジャギか……私だ。テレビは見たか?」

 トキの声だった。

「ああ、たった今」

「そうか………私は伝承者として大きな過ちをおかしてしまったのかもしれない」

「伝承者? って、何の? あの寺のか?」

「ああ、そうか、そうだった。そうだったな。ジャギ、私は警察へ行く前に、お前に会っておかねばならない」

「おう、いい弁護士を紹介するぜ」

「いや、そういうことではなく、とにかく会って話そう。二人きりで」

「……わかった」

 ジャギは電話を終えると、トキが指定した埼玉県の山寺へ向かった。行ってみると寺は無人で夜中なので暗い。

「兄者ァァ! いるかぁ!」

 ジャギが大声で呼ぶと、気配もなく無から生じたようにトキが現れた。

「うわっ?! ビビった。急に足音もなく…」

「これは無想転生、哀しみを知った者のみ体得できうる北斗神拳の究極奥義だ」

「ほくとしんけん?」

「今からジャギ、お前の記憶を戻す」

「記憶を……? たしかに、オレには、なにか、忘れちゃいけねぇことを忘れてるような、そんな感じはあるが……」

「ジャギ、私を信じ、目を閉じて、忘れていることを、大切なことを思い出す気持ちを頭にめぐらせ、念じていてくれ」

「………わかった。兄者は触れるだけで人を治したりするからな、まあ、信じるぜ」

 ジャギが目を閉じるとトキは指先で頭部を突いた。

「…………っ………四葉………ケンシロウ……、そうか……そんな世界も……」

 ジャギが深い哀しみを瞳に宿した。

「兄者……すべて思い出したぜ。すべて、な」

「そうか。では、これより北斗神拳の伝承者のみに知らされている秘孔と奥義を伝授したのち、お前が私の記憶を封じよ。そして、私を警察に」

「……わかった。意外と便利に記憶を封じたり、戻したりできるんだな」

「北斗神拳の歴史は2000年、一子相伝、ある程度のバックアップがなければ、続かなかったことでしょう」

「それも、そうだな」

 夜明けまでトキと過ごしたジャギは埼玉県警に義兄と出頭すると翌日、岐阜県飛田高山の糸守町へ新幹線で向かった。迷うことなく宮水家を訪ねてみた。

「すいません、ここに、宮水二葉って人、いますか?」

「こんにちは」

 二葉が待っていたように庭で出迎えてくれる。まだ23才のうら若い女性で、よく四葉に似ていた。

「私が四葉の母です」

「そうか……あんた……未来がわかるんだな。オレが今日、ここに来ることも」

「すべてではありませんが、ある程度わかります」

「じゃあ………自分が……」

「自分の寿命のことも知っています」

「…………少し身体を診せてくれないか」

「ありがとう。でも、無駄です」

 二葉は礼を言い、無駄と言いつつも、ブラウスを脱いで上半身を見せてくれた。しばらく診てジャギが詫びる。

「……すまねぇ……オレには何もできねぇ。たぶん、トキ兄者でも」

「ご厚意は感謝しますよ」

 そう言いながら二葉がブラウスを直していると、俊樹が家から出てきて驚いた。

「二葉?! その男は?!」

「お客様です。大切な」

「いや、でも、お前、今、服を……」

 俊樹は35才にしては、少し老けた顔で新妻が見知らぬ男に肌を見せていたことを詰問しようとしたけれど、ジャギと目があって、おそろしく体格が立派なので穏便に済ませることにする。

「こ…こんにちは」

「ああ、こんにちは。えっと、町長の旦那だっけ…」

「は? 私は学者ですが」

「ジャギさん」

 二葉が少し怒った顔で見つめてくる。

「ああ、そうか……そうだな……黙ってなきゃ…」

「あなたにお願いがあります」

「お、おう! 何でも言ってくれ!」

「今から26年後……」

 二葉は話しかけて俊樹の視線に気づいて告げる。

「トッシーは少し離れていて。私たちの声が聞こえないくらいの距離に」

「……けど……二葉……」

 さっきまで肌を見せていた新妻と見知らぬ男が密談をすることに強い抵抗を覚える俊樹だったけれど、二葉は容赦ない。

「離れていて。あと、ジャギさんとの話の次には、トッシーとも大切な話があるから、どこにも行かないで待っていて」

「………わかった」

 俊樹が離れていくと、二葉は話を再開する。

「今から26年後の2020年10月18日、この町の病院に入院して3日目になる四葉の意識が戻るよう北斗神拳で刺激を与えてください」

「わかった。……あんたは北斗神拳のことまで、知ってるのか……」

「リュウケンさんには何度か、暗殺を依頼したことがあります。お安くないので大変でしたが」

「……そんな優しい顔して殺したいヤツがいたのか……」

「100万人を助けるために一人なら、初歩的なマキャベリズムです」

「………まあ、そうかもな……四葉は、たった3人で億単位だった。いや、全世界を救った。天使様みたいなもんだ」

「私たち宮水の巫女は半神半人です。半分は人、半分は神、人として心が痛みもしますが、報いは寿命の半減で受けてもいます」

「そうだな………えっと、10月18日だったな」

 ジャギは忘れないようにメモをする。メモが終わると、二葉は糸守町の観光マップを差し出した。

「キャバクラはありませんが、キレイな水なら、たっぷりありますよ」

「そいつはいい」

「あとで案内します」

 そう言ってジャギと別れると、二葉は俊樹を呼ぶ。

「トッシー」

「ボクに話っていうのは?」

「次の次にある町長選挙に立候補して町長になって」

「は?」

「今から近所に愛想良くしたり、子供ができたらPTAの役員とかも積極的に引き受けておいて」

「いやいや意味不明なんだけど! ボク、学者だよ! 民俗学者! 二葉も知ってるよね?! 政治学、経済学とかじゃない、民俗学だよ!」

 驚いて慌てる俊樹へ、二葉は断定的に告げる。

「私と婚約したとき、言ったよね。理由は説明しない。ただ実行してって」

「けどさ、民俗学からって進路として無茶だよ……」

「それはそれで役に立つから、とにかく準備しておいて」

「…………どんな役に立つんだよ?」

「父親に権力がある方が、私たちの子供に役立つでしょ」

「……それって子供が間違った風に育たない?」

「いいことにしか使わないはずよ。たとえ周囲が理解してくれなくても、胸をはって生きられる子に」

「…………わかったよ…………町長って……ヤダなぁ。責任重そうだし……しがらみとか、面倒そう……学者のままがよかったなぁ……っていうかさ、この町で町政にかかわるってことは、あの勅使河原のオッサンと付き合わなきゃいけないよね……あのオッサン、町内会の飲み会でも、しつこいしさ………二葉の口噛み酒を一口でいいから欲しいとか言ってくるからイヤなんだけどなぁ……」

 ぼやいている夫を置いて二葉は、せっかく訪ねてくれたジャギを歓迎するために飛騨牛コロッケが美味しい店を教えに行った。

 

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