YUMIYA~ある弓道部員の物語~   作:伊藤ネルソン

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「皆さんこんにちは作者です。」
「同じく涼太です。」
「前回に引き続き解説編としました。」
「今回はフランス革命当時の兵器と戦術並びにペタン元帥が来てから開発に成功した兵器並びに戦術について紹介したいと思います。」
「これに関しては登場人物以上にぶっ飛んだ内容にはなりませんが」
「ライフルとマスケット銃が混在したいわば南北戦争の時のような状況にはなります。」
「そのため、兵器に関しては50年から100年は先を行くと思って下さって構いません。」
「以上の事を念頭において読んでくださると幸いです。」


番外編 解説回② 兵器 戦術等(陸上編)

 〜フランス革命期〜

 

〜兵器〜

 

 フリントロック式マスケット銃

 

射程 約100〜150メートル

弾丸 球形弾 (ライフリングが無いため散弾も発射出来た。)

施条 なし 

装填方式 先込め

発射速度 毎分2〜3発

 

 主に滑腔式の先込め銃で発射方式にフリントロック(火打ち石)を用いるマスケット銃

マッチロック式(火縄銃)と比べて火縄の管理の必要が無く、雨が降っていても発射

が可能なため集団での戦術(戦列歩兵等)で使いやすく採用された。

 

しかし、欠点として、フリントが打ち金に当たる際に大きな振動が生じ、それに

より、狙いがぶれたり、またマッチロック式と違い火種が無いため、不発が生じ

安いという点があった。(欠点のうち前者の理由で日本では、流行らなかった。)

 

 またフリントロック式だけで無くマスケット銃全体に言えることとして先込め式の

ため、発射に時間がかかる事や手順が複雑な事、(火薬が発射薬と点火薬両方

こめねばならず不便な事)ライフリングが無いため、命中制度が悪いと言った点が

あった。

 

これらの解決はミニエー弾の開発とドライゼ銃の開発まで待たなければ

ならなかった。

 

 有名な物としてフランスのシャルルヴィル、イギリスのブラウンベス等がある。

 

 ライフル・ド・マスケット

 

弾丸 球形弾

施条 あり

装填方式 先込め

 

 プロイセン等で作られ始めたライフリングが刻まれたマスケット銃。丸い口径と

ほぼおなじサイズの弾丸を押し込み発射する。命中制度が良いためスナイパー等が

使うぶんには向いてるが戦列歩兵が使うとなると、装填にとても時間がかかってしまう

ためミニエー弾が開発されるまでは主流にはならなかった。

 ちなみに普及しなかった理由として宗教上の理由もある。

 某黄色い魔法少女が使ってるのもこれである。

 

アメリカ独立戦争では民兵が使用し、散兵戦術(ゲリラ戦術)も相まって大活躍した。

 有名な物としてアメリカの民兵達が使ったケンタッキーライフル等がある。

 

 大砲

 

射程 球形弾で900、キャニスターで500メートル(12ポンドグリボーバル砲)

弾丸 球形 キャニスター ぶどう弾等様々

施条 なし

装填方式 基本先込め

発射速度 毎分1〜2発

 

 フランス革命期辺りまでの大砲は基本的にマスケット銃と同じ、先込め式の

滑腔砲であった。しかし、フリントロック式マスケット銃との違いはこの頃でも

まだマッチロック式が主流であり、ガンロック(フリントロック式)の物は少なかった。

 また、大砲の治金技術の影響で近代のそれと比べて装薬の量が少なく、また

耐久性を高めるために太く作られたために持ち運びに不便であった。

 また榴弾も開発されたが、その当時の物は暴発を起こしやすく、陸で使うぶんには

まだしも、戦列艦に積んで使うには危険な代物であった。

 

 これらの問題を改善したのがグリボーバルシステムである。

フランス王国の砲兵士官であったグリボーバルはいくつもの種類があった大砲を

規格ごとに分類し、大砲の均一化を図ると共に製造方法も変更することによって

射程を犠牲にせず、軽くて均一な大砲を作ることに成功した。 

 その成果はアメリカ独立戦争やナポレオン戦争で発揮され、ペクサン砲が開発

されるまでフランス陸軍の主流となった。

 

 コンクリーブロケット

 

射程 約3キロ

弾頭 鉄製 約1〜10キログラムの黒色火薬入り

発射方式 金属の台または木製の台より発射

 

 

 現代のミサイルの始祖とも言えるロケット兵器

マイソール戦争でマイソール王国が使ってた物を真似てイギリスで作られた。

形状としては中国で使われていた火箭にそっくりで違いと言ったら弾頭が鉄で出来てる点

ぐらいである。

 命中精度は火箭同様良くないがその炸薬と時間あたりの投射量で持って面を制圧

するのに向いている。

 しかし、大砲の発達により、命中精度だけで無く、投射量でも劣ってしまった

ロケット兵器は第二次世界大戦前夜再び光が当たるまでしばらく主力からは離れて

しまう。

 ちなみに米英戦争中イギリスはこれを用いてアメリカ本土を攻撃し、その時の印象

はアメリカ国歌にも歌われている。

 

 星型要塞(ヴォーバン式要塞)

 

時代 15〜18世紀

発祥 イタリア

 

 15世紀頃イタリアより広がった要塞の方式で、フランスの軍人ヴォーバンによって大成

された方式の要塞。それまで球形の大砲の砲弾を弾くために円を何個も重ねたような形状

の要塞が作れていたが、その方法では死角が生じ、火力の偏りがあるような問題が生じた

 そこで、丸くなっていた要塞の端を尖らせ死角を減らし、火力を均等に発揮出来るよう

にした。そしてこのような要塞は要塞の価値が無くなるまで続き、ヨーロッパのみならず

日本の五稜郭等幕末の城にも使われた。

 そして、日露戦争や第一次世界大戦でもこの星型要塞より発展して多角形の堡塁となり

活躍、敵に出血を強いることに成功した。

 

 

 

〜戦術〜

 

 戦列歩兵

 

 マスケット銃がこの時代の基本の兵器なら戦列歩兵はこの時代の基本の戦術。

古代のファランクスやスペインのテルシオ等と同じ重装歩兵の系列の戦術で、

マスケット銃はまさしく彼らが使っていた槍の進化系(長い槍)

とも言える。

 彼らは3列程の横隊で行進し、太鼓の合図で行動する。50メートル程の地点に到達したら一斉に筒先を敵に向け、太鼓の合図で斉射する。

 そして一段目が終わったら二段目、三段目と交代で射撃する。

敵が混乱し始めたら銃剣を付け

 敵の陣形が崩れ出したところで突撃、敵を刺殺す。

この戦列歩兵は練度が低くてもある程度訓練すれば陣を組めることから

専門的な傭兵だけで無く、犯罪者で構成された懲罰部隊もこのような戦術が取られた。

 そのため逃亡したり死んだふりをしたりしない様に逃げたら士官がサーベル

で斬り殺したりした。

 彼らは見分けやすくするために華やかな服装をしており、纏まった陣形と相まって

見ているぶんには華やかだが、実際に戦っている部隊にとっては地獄であった。

 戦列歩兵は、一見騎兵部隊に弱そうに思われるが、キチンと纏まった陣形を

突き破るのは難しく定期的に飛んでくる銃弾の雨にズタボロにされるのが

落ちであった。

 しかしそんな戦列歩兵もライフル銃の発明や砲術の発展、機関銃の発明などにより、

密集体型で行軍すると的にしかならなくなり、散兵戦術に変わっていった。

 

 

 散兵

 

 その名の通り密集体型を組まずにバラバラに散らばって攻撃する戦術。

戦列歩兵の様に纏まっていないため各個撃破される危険が高いが、バラバラゆえに

敵を撹乱したりするのには優れている。ゲリラ戦術向け

 ライフルドマスケットが開発されると、彼らはそれを装備して

遠距離より狙撃したりした。

 アメリカは独立戦争の時にこの戦術を用いて英国軍を撹乱し、勝利に

貢献した。(彼ら民兵はミニットマンと呼ばれ、後の世の弾道ミサイルの名前にもなった。)

 この散兵戦術は後送式ライフルの発明と大砲の発達と共に戦列歩兵を駆逐して

散兵線を構成した主力戦術となっていく。

 (そして、第一次世界大戦の塹壕戦術につながっていく。)

 

 騎兵

 

 戦場においてその機動力を活かし、偵察、追撃等速度が必要になる戦術に

おいては欠かせない戦術。

 古代より世界中で行われ、モンゴル帝国の騎馬隊やポーランドのウーラン等が有名である。

 フリードリヒ大王らが活躍した18世紀中頃、当時の成熟した近代軍制において、

騎兵は一般に以下の3種に専門分化した。

 

重騎兵

大型の馬に乗り、騎馬突撃で敵歩兵の隊列を粉砕するエリート騎兵。防御用の胸当てを付けたものは胸甲騎兵などとも言われる。銃器の発達により軽騎兵に吸収される形で次第に衰退した。第一次世界大戦までは存在したが、その後は完全に見られなくなった。

軽騎兵

小型のアラブ馬に乗る軽武装の騎兵。偵察や奇襲、追撃に使われた。ハンガリー騎兵をモデルにサーベルを装備したユサールが代表的であるが、ポーランド騎兵(ウーラン)をモデルに槍で武装した槍騎兵や、猟騎兵と呼ばれるものもあった。

竜騎兵

古くは馬で移動し下馬して戦う乗馬歩兵を指したが、後に中型の騎兵全般を指すようになる。国により軽騎兵に属したり、重騎兵に属したりした。

 

 彼らは戦場において花形とされ、貴族達がこぞって騎兵を志望していったが、

しだいに戦列歩兵同様歴史の流れに取り残されていき、

第一次世界大戦で機関銃を前に騎兵突撃をした部隊は全滅した。

 そして第二次世界大戦でポーランド騎兵が侵攻してきたドイツ戦車部隊に

負けてからは戦車などの装甲車両やヘリコプター部隊等に機動戦の主力の座を

譲った。

 

 砲兵

 

 戦場において他の部隊を掩護する、火力担当。

18世紀の砲兵の砲は丸い球形の弾が主流であり、地面に跳ね返るような角度で

発射する事で敵の歩兵をなぎ倒すのを主流とした。

 攻城戦ではそれまでのバリスタ等よりはるかに威力の高い武器として城壁を

破壊し、シンデレラ城の様な高い塔と切り立った壁で構成されていた城を

比較的なだらかだが、死角の少なく砲撃に強い要塞に変化させていった。 

 また、至近距離用にぶどう弾やキャニスター等の散弾等も施条が無いため

自由に使えた。

 しかし、榴弾はまだまだ威力が低く、榴散弾を用いた曳火射撃が基本であった。

またこの頃の野砲は重く移動にも時間がかかり且つ大砲一門あたりの単価が高かった

ため、数を揃えられず、装填速度の遅さも相まって機動力は無かった。

 また射程距離も短く直接射撃をしていたため、敵の部隊に近距離まで接近されると

全滅するリスクもあった。

 そのためこの時代にはまだまだ戦場の主力とは言えなかった。

そんな彼らが活躍するのはナポレオン戦争の時まで待たなければいけなかった。

 

 擲弾兵

 

 英語でグレナディアーズと呼ばれるこの部隊は擲弾(手榴弾)を運用する部隊で

軍隊の中の特殊部隊とも言えた。

 この部隊をヨーロッパで一番最初に編成したのはルイ14世で特に屈強な

大男を集めて編成された。

 しかし、戦列歩兵の発達により、投擲点まで到達出来なくなり、射程距離を伸ばす

ために擲弾筒(グレネードランチャー)等が作られたが、徐々に廃れていった。

しかし、屈強な大男を集めて作った精鋭部隊である、擲弾兵部隊は名誉称号

としてのこり、擲弾を運用しなくても服装は擲弾兵の格好をした部隊が主に

王宮の警護等重要な役目を負った。

 今でもイギリスでは王宮衛兵として擲弾兵部隊を見る事ができる。

 

 塹壕戦

 

 第一次世界大戦で戦争の形態を総力戦と変貌させることになった戦術、塹壕戦は

すでに18世紀の段階で何度か発生していた。

 しかしその用途は第一次世界大戦の様な野戦で用いるのではなく、要塞を攻める

ために使われた。

 その方法としては

要塞を包囲した後に、要塞の城壁に平行な壕を掘り、それを基幹に何本も壕を掘り、

要塞に接近するといったものであった。

 このように塹壕は攻城戦で使われるものであり、夜戦では使われなかった。

 しかし、時代が下り、火器がさらに強力になってくると身を隠すために伏せる

ようになり、膠着した戦場では長い塹壕が掘られるようになった。

(南北戦争や日露戦争等)

 

 

 改変後18世紀

 

〜兵器〜

 

 銃砲編

 

 ミニエー弾

 

 1849年にミニエー大尉により発明された弾丸で、それまで扱いが難しく普及

しなかったライフル銃を一般化することに成功した弾丸。

 この弾丸が発明されたことにより、戦場は様相を大きく変えていく。

この弾丸は口径よりもやや小さい大きさの椎の実弾をコルクと一緒に銃身に込め、

 発射される際にコルクがガスにより弾の後部を膨張させ、弾丸の周囲に刻まれた

溝がライフリングに噛み合いガスがもれずに回転が与えられる。

 この弾はたちまちヨーロッパ中に普及し、マスケット銃にはどんどんライフリング

が刻まれていった。

 そしてこの弾を用いることにより、精度と共に一気に射程も伸びてミニエー銃を

用いて戦列歩兵を組んだ南北戦争では以上な程の戦死者が出た。

 そしてこの銃は日本にもわたり、幕府も薩長も運用したことで、戦国時代から

続く火縄銃を駆逐した。

 

 本小説ではペタン元帥が雷管と共に一番最初に開発した物で、途端にフランス

中に伝わり、フランス国内だけで無く、ライバルであるイギリスにも普及し

ヨーロッパは早くもライフル銃が主流となった。

 この事に驚いた彼は情報の秘匿と共にさらに優秀な弾丸、雷管と一体化した薬莢

の開発に専念することになる。

 ちなみに、まだミニエー銃を用いた実戦を経験していないこの世界では

戦列歩兵がまだ主流であり、後に手痛い損害を被ることになる。

 

 パーカッションキャップ

 

 1806年頃に発明された、点火用のキャップ。

 雷丞を用いて発火するため、当初は暴発のリスクが高く危険な物であったが改良

を重ねるうちに安全に扱えるようになり、天候に左右されず不発のリスクも 

フリントロック式と比べて低いため、ミニエー同様フリントロックの機関部を改造

して取り付けられていった。

 キャップを発火させるのにはフリントロック程の衝撃はいらず、また機構も

単純にできることから連発式のリボルバー拳銃を作るのにも貢献した。

 後にミニエー弾と合わさり実包となり、後送式ライフル並びに機関銃を作る

原動力となった。

 

 本小説ではミニエー弾と共に一番最初に開発され、科学者ラボアジェ

等との関係を持つもとにもなった。

 こちらもヨーロッパ中に普及したが雷丞の開発に手間取り、ミニエー弾ほどは

普及していない。

 

 リボルバー拳銃

 

 パーカッションキャップの開発により、実用化に成功した連発式の拳銃。

パーカッションキャップが開発されるよりも前にもフリントロック式のリボルバー等

はあったが機構が複雑で暴発しやすい物であったため、あまり流行らなかった。

 しかし、パーカッションキャップが開発されたことによって、機構の簡略化に

成功し、扱いが難しかった連発銃を実用化することに成功した。

 初期の回転式拳銃(パーカッションレボルバー)は薬莢を用いて居らず、

薬室に直接装薬と弾丸をはめ込み、パーカッションキャップをはめていたため

 違う薬室の装薬に誘爆をするリスクがあったため、グリースを塗る必要があった。

 (ドラグーンリボルバー等)

 しかし、S&Wが開発した、S&W2型拳銃はコルト社がまだ採用していなかった

薬莢を採用したことにより、以前は装填に時間を要していた作業が一瞬で出来る

ようになった。 

 そのため、世界中で人気が出て、パーカッションリボルバーに変わり主流となった。

(ちなみに高杉晋作から坂本龍馬に渡った拳銃も新式のこれである。)

 

 この小説では一通りライフル銃の生産が軌道に乗った後にペタン元帥が所持

していた拳銃を元に生産が始まり、特殊部隊や王宮の衛兵達、ヴィシー学園の教師等に

配備された。

 最初はフリントロック式のを元にドラグーンリボルバーの様なパーカッション 

リボルバーが作られていたが、徐々に紙薬莢、金属薬莢と進化していった。

 この拳銃は浸透戦術の訓練をする際に短機銃の代わりに使われる事となる。

 

 ドライゼ銃

 

 射程 250〜600メートル

 弾丸 椎の実弾

 施条 あり 4条

 装填方式 後送単発式

 発射速度 毎分12発

 

 ドイツを統一に導いた世界最初のボルトアクション式小銃。

 銃工ドライゼによって開発されたこの銃は今までに開発されたパーカッションやミニエー弾等の新技術を組み合わせて作られた、画期的な銃であった。

 この銃の元ドイツは諸国民の春を乗り切り、デンマーク、オーストリアそしてフランスに

勝っていった。

 普墺戦争では、オーストリア(先込め式)が一発打つ間に7発の弾を打て、普仏戦争では

同じボルトアクション式のジャスポーとの直接対決に勝った。

 このようにドイツの発達を支えた銃であった。

 この銃の構造としては銃後部の長い撃針がスプリングの力で勢いよく押し出され

薬室にセットされた紙製薬莢の雷管を叩き、弾丸が発射されると言う仕組みで現代

のライフル銃とそこまで変わらない仕組みとなっている。

 ただ、後送式のため、射程距離は先込め式のライフル銃に劣り、ガスが漏れて

しまっている。その点を改良したのがライバルフランスのジャスポー銃である。

 長い撃針を使う為、ニードル(針)銃とも呼ばれる。

 この銃の登場依頼、兵は伏せて弾を込める事が可能になり、戦列歩兵が無くなり

代わりに、散兵を一定間隔に配置し散兵線を形成しての散兵戦術が基本となった。

 

 この小説ではペタン元帥が未来の銃についてルイ16世に話したのをきっかけに

ルイ16世自身が狩猟用に自分の趣味の知識(鍵職人)を生かして作ったのを

始まりとして生産が始まった。

 ルイ16世自身鍵を作る技能に優れていたため、すぐに模倣出来たのだと思う。

 そしてその新型のライフルは王宮の近衛部隊と精鋭の騎兵連隊に配備され

  改良型のジャスポーが配備されるまでの間、戦力の強化に貢献した。

 ルイ16世が作ったためこの銃はロワイヤルフュジ(王の銃)と呼ばれている。

 どうも彼自身は狩に使っている様であり、非常に気に入っている。

 

 ジャスポー、グラース銃

 

 射程 1200メートル

 弾丸 椎の実弾 (ジャスポーは紙製薬莢、グラースは金属薬莢)

 施条 あり

 装填方式 後送単発式(グラースは後の改良でマガジンを設置)

 発射速度 毎分12発

 

 ドイツがドライゼ銃を配備したのを受けて急遽生産された、フランス

自慢のボルトアクション式小銃。ナポレオン三世による第2次帝国の時に発明された、

優秀なライフル銃で基本的な構造はドライゼと変わらないが、ドライゼがガス漏れを

おこし、射程が先込め式ライフルに負けていたのに対し、この銃はゴムパッキンを

使用することによってガス漏れを無くし、ドライゼ銃の2倍の射程距離を実現した。

 しかし、いざ実戦ではドイツ軍の鉄道や電信を駆使した巧みな戦術により、

ナポレオン三世はセダンで捕まり、帝国の崩壊を防ぐ事は出来なかった。

 このジャスポー銃が一番活躍したのは不名誉ながら、パリに立て籠もった

コミューン達の鎮圧、処刑であり、あまり評判はよろしくない。

 また、この頃の紙薬莢は雷管の精度の問題もあって、湿気に影響されやすく

また、銃本体も白みがき(銃身を黒錆で保護しない)であったため、植民地の

ベトナムなどで使うには不便であり、中国軍との戦闘で火縄銃を持った部隊に

負けることもあった。

 そのため、これらの問題を改善し、能力的に限界であった紙製薬莢を腐食

にも強く、燃えカスが残らない金属薬莢に変えた銃、グラースが作られた。

 このグラースは非常に優秀で連発式の小銃が主流になった後にも改造され

使われた。

 そして、この小銃はフランス本国で使用されなくなってからもゲリラの手に渡り

AK47の用に、独立運動や反乱運動の主役として2度の世界大戦でも使われた。

 また、日本にもいくつか輸出され、十三年式村田単発銃が作られるもととなった。

村田小銃は日本初の国産実用ライフルである。

 

 この世界ではミニエー弾と雷管が開発されてすぐに開発が始まった小銃であり、

初のボルトアクション式小銃として、何度も試行錯誤(ボルトが煤で固まり、

引けなかったり、撃針が折れたりした。)を繰り返した後に、ドライゼに遅れつつも

実用化に漕げつけた。

 しばらくは紙製薬莢を使用する、ジャスポーが主流であるが、金属薬莢を生産

可能な工作機械が整ったところもふえつつあるため、徐々にグラースに更新され

つつある。

 ちなみに、ヴィシー学園ではペタン元帥の配慮のもと特別にグラースが提供され

ており、生徒に配布され軍事教練などで使用されている。

 

 4斤山砲

 

 射程2600メートル

 弾丸 椎の実弾(榴散弾、榴弾)

 施条 あり 

 装填方式 先込め式

 

 フランス第2帝国で生産されたライフリングが刻まれた優秀な山砲。青銅製である。 

 

 フランス第2帝国では、オーストリア相手の戦争で活躍し、優秀な成果を納めたが、

その反面、普仏戦争でもこの砲に頼っていたため、後送式のクルップ砲を装備した

プロイセン軍に負ける原因の一つにもなってしまった。 

 この砲はフランス本国での活躍もさることながら、輸出先の日本での活躍も非常に

大きい。

 幕末、幕府陸軍を始めとして、薩摩などの諸藩の有する大砲の旧式化が問題として

挙げられた。そこで、彼らは外国より輸入したこれらライフル砲をコピー生産し、洋式

野戦砲として、配備した。

 中でも、4斤山砲は日本の地形にあった大砲であり、日本中の藩が生産した。

まだまだ、ライフリングが甘かったり、問題点も多かったが、戊辰戦争で活躍し、

西南戦争や日清戦争でも使われたのがあった。

 そして、主流が後送式の砲になるとともに引退していった。

 

 この世界では今までに作られてきた砲にライフリングを掘り、4斤山砲が揃うまで

ライフル砲の数を揃えてきた。

 そして、小銃の開発が一段落ついたところで4斤山砲の量産に入った。

 4斤山砲はドライゼやジャスポーの用に、今までに無いものの組み合わせではなく、

基本は山砲にライフリングを掘っただけの代物であったため、すぐに普及し、国内の

部隊はほとんどがこの砲を持つこととなった。

 しかし、まだまだ大砲のライフリングを刻む技術は未熟なため、幕末の諸藩の

物のように工廠ごとに多少のばらつきは出てしまっている。

 

 6.5サンチ施条後送砲(架空砲)

 

 射程 2600メートル

 弾丸 椎の実弾(榴弾、榴散弾)

 施条 あり

 装填方式 後送螺旋式&垂直鎖栓式

 

 青銅であり、先込め式である4斤山砲等先込めライフル砲を代替する目的で

作られた軽砲。

 4斤山砲は構造的に先込め滑腔砲とあまり変わらないため、ペタン達傘下の

工場だけで無く、国中の工廠で作られたため、やや供給過剰気味になってし

まっていた。

 そこで、作られたのが本砲である。

 本砲は4斤山砲で得られた大砲に対する、施条技術を活かし、ライフル弾を

速い発射速度で発射するため、後送式にした大砲である。

 後送式の大砲はフランキ砲等随分昔からあるにはあったがガス漏れが

激しく、射程距離という点でも問題となっており、あまり流行らなかった。

 しかし、本砲は後にアームストロング式と言われる閉鎖方式(垂直鎖栓式)

を採用し、ライフル砲の後送化と共に、今まで問題となっていたガス漏れも

何割かは改善され、そして発射速度も先込め式の10倍近い速度で発射できるように 

なり面を制圧するにはもってこいの兵器となった。

 しかし、垂直鎖栓式は尾栓がもろく、爆風に耐えられずに暴発するリスク

があった。そのため、後期に量産されたものには螺旋式の尾栓も付属し、後に

垂直鎖栓では無く、螺旋式の尾栓が主流となっていった。

 ちなみに、本砲は口径の小ささもあり、軽量化に成功しており、後に生産

されるk1などの自走砲にも搭載され、威力を発揮した。

 

 7.5サンチ速射砲

 

 射程 4500メートル

 弾丸 榴弾 榴散弾 対物鋼芯徹甲弾

 施条 あり

 装填方式 段隔螺旋式

 発射速度 毎分8~10発

 

 6.5サンチ後送施条砲を生産する上で問題となった点を元に改良された砲。

 6.5サンチ砲では威力不足と共に、今までにあまり量産していない口径の砲 

となってしまったために、口径が約一サンチほど上げられた大砲である。

 本来の予定ではそれだけの予定であったが、当初の予定以上に新技術の開発

がスムーズに進んだため、そこで開発された物をふんだんに取り込んだ。

その結果、後のM189775ミリ野砲に近い優秀な性能の大砲として出来上がった。

 特に優秀な点としては、閉鎖方式に段隔螺式を採用した事と、駐退機を用いる

ようになったことである。

 段隔螺式はアームストロング方式にも用いられていた螺旋式の尾栓を発展

させたもので、6分の1ほど回す事で開閉が出来た。

 駐退機(駐退復座機)とはその名の通り、砲撃時、発射の衝撃を逃すために、

砲身だけを後ろに後退させ、バネや油圧の力で元の位置に戻す装置である。本

砲はバネ式を用いており、これにより、発射後にいちいち狙いを付け直す必要が

無くなり、精度も発射速度も向上した。

 これらの新技術により、今までの大砲ではまだまだ実現できずにいた、弾幕の

ような濃い射撃を出来るようになり、また閉鎖機の性能も向上しガス漏れのリス

クも無くなったことで、強装薬による射程向上が実現できた。

 その結果、相手の射程圏外から一方的に鉄の暴風を降らすことが出来、この

砲の存在は陸上兵器のドレッドノートとも言われた。(主にペタン元帥より)

 しかし、反面技術に生産能力が追いついておらず、まだまだ生産数は100にも

満たない数である。それ故、配備される場所は分散され、まだまだ主力は6.5サンチ

砲である。

 ちなみに、対物鋼芯徹甲弾とは装甲で防備された弾薬庫や司令部などの施設を

砲撃するために作られた貫通専用の弾で、内側に硬い鋼鉄、外側に柔らかい軽金属

で構成されている。この弾は後に戦車などの装甲車両が登場した場合に対抗する

意味も含めて開発されたが、現状装甲化された施設は少なく、また生産に非常に

手間がかかることからあまりたくさん生産されていない。

 

  7.5サンチ迫撃砲

 

 射程 500メートル 

 弾丸 榴弾 榴散弾 照明弾

 施条 なし

 装填方式 先込め

 発射速度 10〜15発

 

 7.5サンチ速射砲と同じ口径の滑腔曲者砲。7.5サンチ砲弾との互換性を向上

させるためにこの口径にされたが、迫撃砲弾はロケット砲弾のように発射薬が

付属しており、改造が必要なため、あまり意味は無い。しかし、工廠で生産する

際には便利である。

 仕組みは花火に非常に似ており、砲口から弾を滑り込ませて、底にある撃針に

雷管が当たることによって発火、発射される。

 その簡単な構造上、速射しやすく、またとても軽く作れるため、持ち運びに

便利である。

 ゆえに、大量生産され歩兵部隊に配備されている。

 ヴィシー学園でも軍事教練の選択でこの砲の使用方法を習い、実際に使用され

ることもある。

 ちなみに、照明弾にはマグネシウム等燃焼時に光を発する部室が必要なため

別途試行錯誤を得て、完成された。夜間襲撃などには欠かせない存在であり、

量産された。

 

 

 その他

 

 k1自走砲

 

 最高速度 時速20キロメートル

 駆動方式 前輪駆動 蒸気式

 搭載砲 6.5サンチ砲または7.5サンチ速射砲

 

  世界初の交通事故を起こした事で有名なキョニーの砲車を改良して作られた車両。

前輪側に設置された蒸気機関で動輪を回し、また前輪で旋回などもするというように

やや複雑な構造で扱いが難しい。

 しかし、この自走砲は蒸気機関の改良により10キロ以下までしか出せなかった砲車を

20キロまで出せるようにした。

 それにより、機動性が向上するとともに、より重量のある大砲や大量の砲弾を積むこと

が出来るようになった。

 まだまだ生産は進んでいないが、速度が大事になる騎兵連隊等に配備され、支援

攻撃に効果を発揮することとなる。

 また、本車両は数が揃ったら騎兵連隊より切り離され、本車両のみで構成された

部隊での運用も想定されている。

 そのため、未来がある車両でもある。

 

 軍用気球

 

 ルイ16世の協力のもと、飛行に成功した熱気球はガス気球とともにすぐに軍事に

利用された。ペタン元帥は熱気球とガス気球を比較し、熱気球では無く、ガス気球

の方を軍用として利用することとなった。

 本来、気球部隊が出来るのは革命戦争中であり、本来はまだないはずだが、彼の

おかげで10年以上早く実戦部隊に配備されることとなった。

 まだまだ技術が足りないため、自由気球を作ることはできず、索によって固定され

た係留気球が中心となっている。

 こういった航空兵器が作られたため、高仰角を取ることができる対空砲も作られた。

 

 電信 発光信号

 

 ペタン元帥の指導のもと、狼煙に変わって普及した、電気を用いる信号。

本来電信は19世紀になってから普及するものであり、腕木信号もまだ登場していない

当時としては画期的な物であった。

 本来、モールスがモールス符号を作ってから本格的に普及するのだが、ペタン

元帥は、少しでも早く情報を伝達することこそが、戦争を勝利に導くと考えて

おり、ライフル銃同様優先して整備した。

 しかし、フランス国内の貴族達の反発にあい、配線できたのはヴェルサイユ、

ヴィシー間の街道沿いの道と国境の見張り台との間のみである。

 

 〜戦術〜

 

 散兵

 

 ミニエー弾やボルトアクション式小銃の存在は、戦列歩兵を単なる的に変えた。

 そこで陸軍は考えた

   「集まったらやられるのなら散らばればいいじゃない!!」 

 そんな考え方で主流となっていったのがこの戦術である。

 ボルトアクション式の小銃は銃を立てずに装填することができ、銃を伏せて

撃つことが可能となった。

 そこで、敵の前でバラバラと散開し、一定間隔に伏せ、ジリジリと匍匐前進

しながら、接近する戦術である。

 そのため、銃自体も数を撃つことよりも、射程距離を向上させるのに重点が置かれ

列強は互いにこれを少しでも長くすることに全力を尽くした。

 

 塹壕戦術

 

 それまで塹壕戦は攻城戦の一環として行われる戦闘であり、野戦で行われる事は

無かった。しかし、雨あられと砲弾を降らす速射砲の存在と、敵を一斉に薙ぎ払う

事ができる機関銃(まだこの世界には登場していない。)の存在は兵を安全な

地下に潜らせた。

 一度塹壕戦に入ってしまうと敵も味方も突破するのは難しく、たった数メートル 

進むだけでも苦労する、地獄の戦場となる。

 しかし、本格的に塹壕戦に入る前に終らす方法も第一次世界大戦中に研究され

ており、それら突破戦術の集大成とも言えるのが電撃戦である。

 またこの世界ではまだまだ速射砲は普及しておらず、主に配備されている国は

ペタン元帥の協力のもと7.5サンチ砲の開発に成功したフランスぐらいである。

 そのため、フランスからしたら、一時的な防御目的に塹壕を掘って待ち構えて

置くのも有効な戦術になると言える。

 そのため、ヴィシー学園では軍事教練の一環として塹壕戦での戦い方と突破

方法としての浸透戦術を教えており、もし革命が勃発してしまった場合には

学園で、暴走する市民の攻撃を食い止められるようにしてある。

 

 浸透戦術

 

 第一次世界大戦中、塹壕を突破するために研究され実際に実行された戦術。

 当時、この泥沼の戦場を突破するために、塹壕戦を戦っている国の中で

様々な検討が行われ、実際に試された。

 その中でも、1916年に行われたロシア軍によるブルシーロフ攻勢は凄まじく

一気に東部戦線を推し進め、オーストリアに致命的な一撃を与えることに成功した。

 これを見たドイツ軍は精鋭部隊をもってして敵の弱点を突き、攻撃出来ない頑丈

に防御されたトーチカ等を避けて司令部を攻撃するといった、水が出っ張りを避け

て流れるような戦術、浸透戦術を編み出した。

 それにおいて重要なのは短時間に集中的な準備砲撃をすることと他の部隊との

連携を密にひたすら前に進むことである。

 それをすることにより、敵を混乱させ、相手が対処する隙を作らせずに

突破出来た。

 しかし、突撃部隊は突破に成功はしたものの、兵站が追いつかず、突破した

先で攻勢限界を迎えるのがほとんどであった。

 そのため、他の部隊との連携は非常に大切である。

 こういった浸透戦術での勝利が戦略的な勝利に繋がるのは突撃部隊と支援砲を

戦車と爆撃機に代替した電撃戦まで待たなければ行けなかった。

 また、浸透戦術はドイツのカイザー攻勢にも、ロシアのブルシーロフ攻勢にも

いえるが非常に国の負担が大きく、成功すれば良いが失敗した場合、国が滅びる

ことになる非常にハイリスクな戦術でもある。

 (実際、攻勢後にロシアではロシア革命、ドイツではドイツ革命が起き

国が崩壊した。)

 ヴィシー学園では塹壕戦での戦い方とともに突破方として教えており、戦闘

が行き詰まった際には使えるようにしている。

 




「いやぁ、長かった。」
「作者の予想じゃ、数千で終わると思ってましたからね。」
「僕自身、最初は南北戦争ぐらいの感じで良いかと思ってたけど、ペタン元帥が来たんだったらね、ww1ww2の戦術も混ぜないとまずいと思ってね」
「だけど、だいぶ無理しましたよね。機関銃の代わりに速射砲を量産して塹壕戦に持ち込むとか........」
「まあ、だいぶキツイとは思うけど、カンベンしてください(汗)」
「あと、陸上編は出て来ましたけど海上編はどうします?」
「ひとまず、本編の方を勧めたいのでもうしばらくお待ちください。」
「まあ、海は作者の好きな分野ですからね(作者じー)」
「.......まぁ期待せずにお待ちください。」
「さて、次回以降本編に戻ります。」
「解説編でだいぶ長いこと間が空いたので忘れられてる方も多いと思いますが」
「私達も少しでも読者の方々が楽しめるよう努力いたしますので」
「これからもどうぞ」
「「よろしくお願いいたします!!」」
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