迷いの竹林にある一件の屋敷━━永遠亭。
その一室に臆病な玉兎"鈴華”はいた。
「…………」
今にも泣きそうな彼女の顔の先には、ベッドに横たわる一人の少年。
満身創痍の状態で、かれこれ一日ほど目を開けていない。
目立つような外傷こそなけれど、
彼の内部はズタズタだった。それはこの屋敷に住む、……関係性といえば、外の世界での自らが勤める会社を辞めた社長職か会長職に相当する人物が言っていた。彼女が言うのだ、間違いはない。
それに彼女が治療してくれなければ少年はとっくに死んでいた。彼を襲っていたのは"クモ膜下出血”という病気らしい。極端な話、彼の頭の中で出血が起きた、ということみたいだ。
地上の人間の病気故、彼女にはよく分からなかったが少なくとも薬で治るような病気ではないことは、昨晩、六時間に及ぶ手術が行われたことから分かる。
その手術により、彼の頭の中は元通り、後遺症も残らないとのこと。相変わらず物凄い技術だと彼女は思う。外の世界で名前が伝わっていれば、医療の神様として信仰されていたかもしれない。
しかし、それはあくまでももしもの話。
何故、彼女達がこの永遠亭という外界から隔離された時間の経過を許さない場所に住んでいるのかを考えれば、その可能性は絶対に有り得ないのだから。
「…………」
少女は両手で握っていた少年の左手をもう一度強く握る。
早く起きて、お願いだから。
早く起きて、謝らせて欲しい。
早く起きて、許してほしい。
いいや、許してくれなくても構わない、ただ謝らせてくれ。
こんな臆病で人に頼ってばかりの自分ができるのは、それだけなのだから、と。
「ご、めんな……さい」
少年の左手に、一粒の涙が落とされた。
後悔が混じった懺悔の涙。流したところで何かが変わるわけではない。しかし、自然と溢れてしまう。止めようとしても出来ないのだ。
「何、泣いてんのよ」
扉の方から声がした。
腕で涙を拭って鼻をすすってから首を動かす。そこには、鈴仙が立っていた。怪我をした様子はないが、その代わりに酷く疲労しきった顔をしていた。まるで悪夢にでもうなされたかのようだ。
「……レイセン」
腫れた目のまま戦友のほうを見て、彼女の過去の名を言った。
「やめてよ。今の私はその名前じゃない」
彼女は眠そうな目をこすりながら、
「過程はどうあれ、貴方が知りたかったことが知れたから良いじゃない」
「でも、彼が!」
つい、大声で言い放ってしまう。
「分かってる。だけど、こんな状況じゃないと喋る気にならなかったんじゃないの?」
「そうだけど……」
確かに、目の前で眠っている少年なら、あんな質問をされても適当にはぐらかすだろう。それか無理矢理話を変えて、意地でも本心は言わないはずだ。
「それにさ、あんな状況で、死にかけの時に言ったのよ。あれなら、嘘偽りない本心だって確信できるでしょ?」
「……うん」
「それとさ、一応聞いとくけど……満足した?」
「……当たり前よ」
鈴華がそう言うと、鈴仙はいきなり柱に背中を押し付けて座り込んだ。
「え、何? どうしたの!?」
友人の異変に、鈴華は慌てふためく。そんな鈴仙は隈が出来た目を鈴華に向けながら言う。
「なら、良かった」
ホッとしたように鈴仙は息を吐く。
「あと、もうこんな事頼まないでよ、あんな恥ずかしいこと二度と言いたくないから」
「分かってるよ! 私だって恥ずかしかったんだから!!」
「なんでアンタまで恥ずかしがってんのよ」
そして、顔を見合せた2人の間に笑いが起こる。
こうして直接顔を合わせたのは何年ぶりなのだろうか。少なくとも、30年は経っているのは確かだ。
そんな事を考えながら、鈴華は言う。
「ねえ、そういえば言ってなかったけどさ」
「なに?」
「地上、って案外楽しいとこだね」
「……私は
「へ?」
「外の人間は、どんな感じだったの?」
「難しいこと聞くね、キミ。外の世界の人間はどんな感じって……そりゃ、いい意味でも悪い意味でも十人十色だったさ」
「……ふぅん」
彼女の素っ気ない返事を聞いて、鈴華は察した。
「まさか、まだ
「まあ、ね」
「キミ、地上に来て何年? 一度や二度くらいは人間と会わなかったの?」
「うん。色々あってさ。なんなら、最近までこの竹林から出たことないかも」
「嘘でしょ?」
「本当」
彼女が言うなら嘘ではないのだろうが。にわかに信じられない話だ。
それに、この屋敷に鈴仙が
つまり、約1300年の間、この屋敷は時間の経過という変化を拒絶してきたのだ。人間にせよ、玉兎にせよ、妖怪にせよ、1300年という時間はあまりにも長すぎる。この屋敷の主が、1300年間という長い時で何を思って過ごしたのだろう。
いや、今はそんなことはどうでもいい。
考えなければならないのは目の前のことだ。
と、その時。目を閉じていた鈴仙が急に目を開けると、ボソリと呟くように言った。
「……ねえ、鈴華」
「なに?」
「さっきさ、過程がどうとか、こんな状況じゃないとー、とか言ってたけどさ」
「うん」
「正直、やりすぎた」
「今更ぁ?」
「今思うと、一番痛いヤツかましちゃったし、ちょっとボコボコにしすぎたかな。……いや、ほんと悪いことしたわぁ」
「それを言うなら、直接言ってあげなさいよ」
若干、呆れ気味に鈴華は言う。しかし、鈴仙の意識はもう既にどこかに飛んでいて、話を聞いているかどうかさえ怪しい。
「というか、どうしたの?」
「何がぁ?」
「なんでそんなに眠そうなのよ?」
「ちょっとね……昨日のあの後、お師匠様に怒られちゃってさ。そのあと、手術の手伝いして。今日は一睡もしてない」
まぁ、自業自得だけどさ。と、言うと鈴仙は背中を柱に預けたまま、遂に眠ってしまった。
この様子だと相当、疲労が溜まっていた様子だ。
鈴華がそう思っていると、不意に欠伸が口から出てきた。
(そういえば、私も寝てないや……)
思えば彼女自身もこの日は一睡もしていなかった。
手術が終わった後もずっと祈るように少年の手を握りしめながら、延々と涙を流していたため寝ることなんて出来なかった。後悔と罪悪感が彼女を眠ることを許さなかったのだ。
━━━しかし、そこで寝ている友と話したことで何かが楽になったのだろう。彼女はゆっくりと瞼を閉じていく。そして、体が少年の体の上に落ちると、やがて少女の意識は暗闇の中へと落ちていった。
翌日。
永遠亭の玄関先に神川 仁と鈴華は立っていた。
「ホント、永琳先生はすげぇや……」
そう言う少年の腕はギプスで固定されている。この二日間の間で、少年の怪我は骨折以外は完治していたのだ。
クモ膜下出血も、細かい擦り傷さえも全てだ。
しかし、骨折だけは治っていない。ギプスが巻かれた左腕がその証拠だった。
彼はクモ膜下出血を治すために手術を受けたが、それ以外は治療は治療でも投薬治療が殆どだったのだ。その治療の際に使った薬の量は尋常ではなく、それ以上投薬すれば少年の体は治るどころか逆に壊れてしまう程だった。なので、安全のため骨折は最低限の処置だけ行い、後は時間と彼自身の肉体に任せることにしたのだ。
「そりゃ、そうよ。あの方は月でも超がつくほどの天才だったの。治せない病気なんて何も無いし、作れない薬もないのよ」
「なら若返りの薬なんてつくっててもおかしくないのか」
「…………」
「? どした?」
「何でもない」
「そうか。……というか、永琳先生って月にいたのかよ。ん? 待てよ。なら、何で地上に居るんだ?」
「色々と事情があるのよ。ま、貴方みたいな、ちんちくりんには一生分かりっこないよ」
ニヤニヤと笑顔を浮かべながら鈴華は言う。
「んだと!」
ギャーギャーと騒ぐ二人は竹林の中を歩いていた。
相も変わらず十二月の風の冷たさは肌に優しくないが、この日の天気は晴れていた。暖かい日差しが二人の照らしている。
「にしても、まさか鈴仙とお前が友達だとは思わなかったぜ」
「ボクも君と彼女が知り合いだとは思ってもなかったよ。にしても……、今回は迷惑かけてごめんね」
「ん? なんで、お前が謝るんだ?」
そして、なんともバツの悪そうな顔をすると言った。
「今回迷惑かけたのは、
「……え?」
「だってさ、俺がお前に色々話してなかったせいで鈴仙がお前のこと心配して、あんなことしたんだろ? 確かに、何考えてるか分からないヤツと一緒にいるのは嫌だもんな」
あはは、と薄笑いを浮かべながら言う少年。……その表情にどこか物悲しさを感じるのは気の所為だろうか?
それよりも、何故彼が謝るのだろう。
彼が何も話してくれなかったのは、確かに腹が立った。しかし、それはほんのわずかだ。すぐに怒りは収まるほど、僅かなものだったのに。
なのに、自分達は強引に聞き出して、少年に大きな傷を追わせてしまった。
どちらが悪いかと問われれば、確実に自分たちが悪いのに。
と、その時。
「やべ、向こうに携帯忘れた! 悪い、先行っててくれ。後で追いつくから」
そう言って、踵をかえすと少年は来た道を逆に進み始めた。
「あ、ちょ待っ、て……」
鈴華が止めようとした時にはもう彼の姿は竹の陰に隠れて見えなくなっていた。
少年が永遠亭へと戻ると、玄関の前に居たのは鈴仙だった。
「で、なんで俺を呼んだんだ? 話すことなら、あらかた話したつもりだぞ」
少年が言うと、鈴仙はその赤い目で少年を睨みながら答える。
「最後に一つだけ聞きたかったことがあるのよ。確かに、あの時は悪かったわ。謝罪する。けど、それだけよ。貴方があの娘に傷を負わせたのを許したわけじゃない」
「……分かってる。俺の力不足で、あいつが怪我しちまったんだからな」
それはあの運動公園で行った妖怪退治の時の話。
あの時、少年が無茶をしたことにより本来なら危害が及ぶ可能性が少なかった少女が血を吐いて倒れたのだ。
少年の力量不足、精神の未熟さ。それがこの結果を招いた。
「分かっているなら、いいわ。で、よ。最後に聞きたいのはあの娘のことよ」
鈴仙は、一息だけ深く息を吸うと、
「絶対にあの娘を守るって誓える?」
「ああ、当たり前だ。二度と傷なんてつかせない」
「……分かった」
鈴仙が言うと、彼女は睨むのを止めて口元に笑みを浮かばせる。
「なら、合格」
「何だよ、急に。怖いぞ」
「失礼ね。……ま、良いわ。ほら、これ忘れ物」
彼女はそう言って、少年に向かって黒い物体を投げる。
「別に忘れ物なんてしたつもりないんだけどな……って、これは?」
黒い物体の正体は、鈴華が幻想郷に持ち込んでいた拳銃"USP”だった。
「貴方の、ってよりあの娘のね。にしても地上の銃なんて初めて触ったけど、中身は古臭いのに見た目は良いのね」
「一言余計だ」
少年は拳銃をポケットに仕舞いながら言った。そして、再び鈴仙の方に向くと、
「……で、アンタは来なくていいのか?」
「私? 行くわけないでしょ」
「何でだよ、昨日、あんなに仲良かったのにさ」
「昨日って……貴方、起きてたのね」
「まあな。でも、あの場で目を開けるのは気が引けてたから、静かにしてたんだ」
「あ、そう。……で、なんであんなに仲良いのに、って? 確かに、私はあの娘が大事よ。だけど、今はあの娘にはあの娘の居場所があるし、私には絶対に離れられない居場所がある。だから私は一緒に行けない」
「そう、か」
「ま、そういうこと。というか、あの娘を置いて来てるんだから早く行きなさい。また悲しませたら、今度こそ殺すから」
「わ、分かってるよ!」
言うと、少年は後ろを向いて走り出した。が、数歩ほどで足を止める。そして、振り向くことなく口だけを動かして、
「ありがとうな。お前のおかげでなんか吹っ切れたわ」
そう言って、少年は足早にその場を去り、相棒の元へと向かって行くのだった。
残された鈴仙は、その背中を見届けながら呟く。
「……なんか、寂しくなるなぁ。前に戻っただけなのに」
呟く少女の赤い瞳には、前へ前へ、そして竹林の外へと走る少年が映っていた。
今回は鈴華視点です。
こういった描写は初めてだったのですが、自分的には満足のいく結果なったので万々歳です。
少しだけ今回の補足というか、ちょっとした説明を1つ。
前話で仁くんの能力で、物をうんたらかんたら、と言いましたが実際には物を二つ以上能力で動かしても頭はオーバーヒートしません。というのも、頭がオーバーヒートをする条件は、能力を第四、五以下省略…の腕として使うことです。なにを言っているか分からねえと思うが、自分でも何を言っているか分からねえんです。
頑張って説明します。まず、この能力━━手で触れずに物を動かす程度の能力というのは汎用性が高く、様々な使い方が出来ます。物を上下左右に動かすことは勿論、物体の向きを変えたり、衝撃波のように無差別に物を吹き飛ばすことも可能です。
しかし、仁は、物を動かす、という固定概念に囚われているせいで、
それはともかく、彼的には能力を使用する時は、透明な手で物を掴んで動かす、とイメージしています。実を言うと、ここには彼の性格が現れています。本来であれば、この能力は頭の中で"動け”と念じるだけで発動するんです。しかし、彼の場合、そんな雑に使うことは出来ないだろう、と勝手に思い込んでいるため、わざわざ、能力で空間に手を形作ってから物を掴む、という回りくどい事をしているのです。その分、精度は良いのですが、代わりに脳への負担が大きいという弱点を作り出すことにもなります。なので、二つ目の"腕”を作り、それを操る、となると脳への負担は限界突破することになります。
だから、この弱点を無くすには彼の中の能力のイメージが、「腕が物を動かす」から「物自体を動かす」に変わならければいけません。
それが今後どうなるかも含めて、このお話を楽しんで頂けると幸いです。
それでは、今回はこれで。
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