会社の先輩がアイドルになった   作:ひょっとこ_

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またやっちゃったのでよければ読んでください


サシで飲んだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上京して、大学を出て、そこそこの企業に入社した。

 べつにこれといった滞りもなく、このままそこそこに出世して、実家へ仕送りをして、恋人を作って、結婚して、子供ができて。

 そんなふうな人生を送っていくのだろうと、ぼんやりとそう思っていた。

 けれど、人が生きていくうえで、やはり大きな転機というやつが訪れるものだ。

 一般に、進学とか、入社とか、そういう身辺の環境が一気に変わってしまうものがいわゆる転機といわれるものにも思えるが、今思い起こしてみれば、そういうことではなく、俺にとっての転機とはやはりあの人との出会いがまさにそれであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あ、えっと、そこは違います、よ? ここは、こう、です」

 

「あ、すみません。先輩」

 

「……いえ、構いませんよ。また、わからないことがあったら、聞いてください、ね」

 

「ありがとうございます、先輩」

 

「はい……」

 

 新入社員の俺につけられた教育係の先輩が、その人であった。

 三船美優さん。二つ上の先輩で、おっとりとした雰囲気の美人さんである。

 教育係として紹介されたときは正直役得とも思ったが、いかんせん社内で、しかも教える側と教えられる側では先輩後輩としての仲は深まったとしても、そういったことに関してはまったくといっていいほど縁がなかった。

 

「……はーぁ」

 

 人の温もりがほしい。

 最近、そう思うことが多くなった。

 上京して今年で五年目になる。一年くらいならまだよかったが、二年目に入ると、一人暮らしの部屋にぽつねんといるのがわりと辛くなってくるのだ。

 ペットを飼うことも考えた。犬か、猫か、爬虫類か。なんでもよかったけれど、ネットでいろいろと調べていくうちに飼育費もあまり馬鹿にならないことを知り、断念した。

 そんなこんなで四年が過ぎて、今年。大学の四年の中でついぞ得ることがなかったあるものがほしくなってきてしまったのだ。

 恋人である。

 べつに肉欲的なことをしたいとかじゃなくて、ただ単に隣にいてくれる人がほしいのである。

 入社したての若造に押し付けられる雑用と社内教育に疲れて帰ってくる俺を迎えてくれる温かな場所がほしかったのだ。

 

「ん、いかんな」

 

 思わず漏れたため息を誤魔化すように、眼前のパソコンのモニターから顔を上げて、目頭を揉んだ。

 とりあえず、今は仕事のほうに集中しなければ。

 まだ、覚えなければいけないことは多い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お先に失礼します」

 

 オフィスの先輩方に頭を下げて、タイムカードを切る。

 

「……では、帰りましょう、近衛君」

 

「あ、はい。今行きます、先輩」

 

 エレベーターを呼び出しておいてくれた三船先輩の隣に並ぶ。

 ビルの出入り口のある階のボタンを押すと、昇降機が降り出すのが感覚でわかった。

 

「……ふぅ」

 

 抑えきれず、息が漏れた。

 たいした根性も身につかないままに今までを生きてきてしまったので、俺はたぶん他の新卒よりか、やる気のない部類に入るだろう。

 ブラックでこそないが、このくらいならできるだろうという目算で押し付けられる雑務を日々こなすのは存外にしんどいものだった。

 

「……近衛君」

 

「え、あ、はい。なんですか、先輩」

 

 聞かれてしまっただろうか。

 いや、まぁ、最近一番距離の近い人がこの三船先輩だから、数の多くなってきた俺のため息は、きっと腐るほど耳にしていることだろう。

 怒られるだろうかと、少し身を竦めた。

 だって、普段は少しおどおどしていて、特にコミュニケーション面では新卒の俺にすら劣るこの三船先輩だが、本当に実直な人なのだ。

 ため息だなんてネガティブだし、このとき、咎められるだなんて思ってしまった。

 

「今日は、このあと、お暇ですか……?」

 

「え……?」

 

 普段からあまり変化のない表情のまま、小首を傾げて尋ねてくる。

 年上なのに、たまにこうしたかわいらしい仕草を見せる三船先輩のこういうところは、俺も気に入っていた。

 しかし、このあと暇かだなんて、どういうつもりだろうか。

 

「まぁ、暇、ですけど……」

 

 意図は図りかねるが、それを推測する前に、返答は口から出ていた。

 少し、期待したのかもしれない。

 

「……このあと、その、飲みに行きませんか?」

 

 ぽつぽつと、溢すように呟かれたその言葉を俺は聞き漏らさなかった。

 

「……はい、ぜひ!」

 

 知らず、笑みが漏れた。

 三船先輩と俺は、今まで飲みの席を共にすることはなかった。

 会社の方に誘われても、三船先輩はそれを断っていたのだ。会社の飲みの席に彼女が姿を見せたことは今までなかった。

 そういうことでグチグチ言われる職場ではなかったけれど、俺としてもいわゆる飲みニケーションというものが持つ人同士をつなげる力を過去に実感していたこともあって、少し、心配していたのだ。

 三船美優はあまり対人関係が得意ではない。

 それは見ていればすぐにわかった。もともと下がっている眦をさらに下げて、困ったように、窺うように人と接するその様は、見ていて心配になるくらいだ。

 仕事はできる人だ。先に述べたとおり実直な女性だし、彼女に教えられる俺の成長ぶりからも、そこを疑う余地はない。

 けれど、どこか一線を引いている彼女は職場で浮いていたし、どうも彼女もそのことを気にしているようだった。

 だって、昼の休憩とか、帰り道とかをこうして一緒に過ごすことが多くなっていくにつれて、如実に三船先輩の印象が変わっていくのだ。

 こんなふうに笑うんだ。拗ねるんだ。怒るんだ。悲しむんだって。

 まだ短い間だけれども、俺が知っている三船先輩と周囲が思う彼女の印象はきっと、絶対違っている。

 そして、この飲みの誘いだ。

 彼女のことをもっと知れる。そんな予感に、俺は浮かれた。

 

「……よかった。断られるかもって、少し、心配でした」

 

 俺の二つ返事に、三船先輩は少しだけ微笑んだ。

 自身がいつもお誘いを断っていることもあって、その引け目があったのだろう。

 

「いえ、俺が先輩のお誘いを断るなんて、きっとないですよ」

 

「……え」

 

「だって、会社で散々世話になってますし、その、こうして綺麗な人とサシですから、嬉しくないわけ、ないです、から……」

 

 あまり、リップサービスなんてしたことなんてなくて、言葉は尻すぼみに終わった。

 や、べつに世辞ではない。本心だ。俺は三船先輩ほどの女性を未だかつて知らない。

 恋人がほしい、だなんて、そんなことを思うようになったのも彼女に憧れを抱き始めてからのことだ。

 わかりやすいな、俺。まったく。

 

「……そう、ですか。綺麗だなんて、ありがとう、ございます」

 

「い、いえ……」

 

 互いに、視線を外す。

 三船先輩の耳が紅潮していたのをそのとき、俺は視界の端に捉えた。

 くっそ。

 なんだこれ。中学生かよ。

 

「じゃ、じゃあ、さっそくどっか店探しましょう」

 

「そ、そう、ですね……」

 

 ネオンが瞬く中に居酒屋を探して、俺と三船先輩は踏み入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「三船先輩って、結構酒強い人だったんですね……」

 

「そう、でしょうか……。あまり、人とは飲まないので、わからないです……」

 

「ですか……」

 

 都合三杯目のジョッキを片手にケロリとした顔で言われても、俺にもどうしようもない。

 俺はまだ一杯目だ。そんなに酒に強いわけでもないし、どっちかというとおつまみのほうに食指が動く。

 

「ん、ここの卵焼き、おいしいですね……」

 

 卵焼きは好きだ。

 毎朝自分で作って朝食にするので、ついでに昼食の弁当も自作するようになるくらいには、卵焼きは俺の生活に食い込んできていた。

 

「好き、なんですね……」

 

「はい。まあ、卵料理はたいがい好きですよ、俺」

 

「……卵といえば、この前、ピカタを作ったんです」

 

「ピカタ、ですか?」

 

「詳しくは知りませんが、西洋のお料理です……」

 

「なるほど」

 

「それで、そのピカタなんですが、我ながらおいしくできまして」

 

 少し、語調が上がる。

 料理が好きなのだろうか。人間、好きなものの話は自然盛り上がるものだ。

 

「そうなんですか。ピカタって、どんな料理なんです?」

 

「豚肉に塩胡椒をして、小麦粉をまぶしたものをチーズを混ぜた溶き卵でソテーするんです」

 

「へぇ、うまそうですねぇ」

 

 俺も結構自炊するほうなので、調理方法を聞けば、おぼろげながら味の予想もできる。

 聞いたことのない料理だったが、ピカタ、ぜひ今度自分で作ってみよう。

 そんな算段を立てて、向かい合わせに座る卓座の中央から、また卵焼きを口にする。

 

「……近衛君」

 

「ん、なんですか、先輩」

 

 ゆっくりと嚥下をしてから、返答する。

 三船先輩は、少し迷うような素振りで、しかし、なにか硬い表情で言葉を続けた。

 

「その、よければ、なんですが……。今度、お作りしましょうか、ピカタ……」

 

 頬を赤らめての申し出であった。

 思わず、卓の下で拳を握りこんだ。

 

「い、いいん、ですか……?」

 

 上擦った声音で慎重に、尋ね返す。

 

「……め、迷惑でなければ」

 

 同じような調子で返された言葉に、これこそが役得かと思った。

 だって、そうだろう。憧れの女性の手料理である。

 それに、女性が手料理だなんて、なんとも思っていない男に振舞おうはずがない。

 まあ、こうして三船先輩にサシで飲みに誘われた以上、俺が他の馬の骨よりか二歩も三歩も彼女に近い位置にいることはきっと間違いない。

 女性経験もたいしてない俺だが、本当にこのときばかりは期待が膨らんだ。

 

「その、お願いします」

 

 軽く頭を下げる。

 酒も入っているせいか、やけに体が熱い。

 控えめに言って、マジヤバい。

 

「……じゃあ、その、プライベートのほうの連絡先、交換、しませんか?」

 

 新たに飛び出たその申し出に、俺は目を見開いた。

 だって、あの人付き合いが苦手な三船先輩がこうまで言ってくれているのである。

 嬉しくないわけがなかった。

 

「えっと、あの、その、ですね。社用ケータイで個人のやりとりをするのは、やはりはばかられるな、と……」

 

 こちらも顔を赤くして、しどろもどろに言い訳のような言葉を呟く三船先輩。

 その様子に、俺はたまらず、吹き出した。

 

「ふ、あははっ。三船先輩って、積極的なところもあるんですねっ」

 

「……あ、もう。笑わないでください。私だって、人が嫌いとかじゃないですから」

 

「あっはっはっ」

 

「近衛君……もう……」

 

 拗ねた表情で、ジョッキに口をつける三船先輩。

 俺も笑いが落ち着くと、残っていたビールをぐっと飲み干した。

 今日は酒がうまかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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