会社の先輩がアイドルになった   作:ひょっとこ_

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二話目ドーン


先輩の家でご飯を頂いた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっ、この前言ってたのって先輩の部屋でってことだったんですか……!?」

 

『その、はい。えっと、ダメ、でしたか……?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仕事を終えて帰宅し、洗濯をすませてから作り置きしていたカレーを晩飯とする。

 風呂は湯船には入らず、シャワーを垂れ流してすませる。烏の行水とは昔から家族にも言われ続けてきたことだったが、この歳になって、今さらこの悪癖も治ろうはずもない。

 行水をすませると、今度は冷凍庫に買い置きしているバータイプのアイスを一本齧りながら、柔軟をする。

 日常生活のルーチンを果たすと、寝るまでにさてなにをしていようかとしばし考え込む。

 その頃には、時計は十時を回っているのがいつものことだった。

 これといった趣味といえば読書くらいのものだし、読みさしの本もあるし、やることは決まったかなと膝を叩いて立ち上がると、卓座に置いていたケータイが着信を知らせた。社用のものではなく、個人のほうの端末であった。

 この時間に電話なんて、誰だろうか。

 友人か、家族か。はたまた違うかな、と着信通知を見やると、そこに表示されていたのは最近になって連絡先に加えられた三船美優の文字があった。

 

「お、おう」

 

 ややキョドる。

 や、だって、連絡先を交換してから試しがけの一本きりしか通話がなかったものだから、こうしてなんの前触れもなく電話がかかってきてうろたえているのだ。

 

「……で、出ないと」

 

 言い聞かせるように呟いて、端末を手に取る。

 通話ボタンをタップして、スピーカーを耳にあてる。

 

「も、もしもし、近衛です」

 

 第一声は、少し擦れていた。

 我ながら、緊張しすぎである。

 

『もしもし、三船です』

 

 電話越しに聞こえた三船先輩の声は、普段聞きなれているものとややトーンが違っていた。

 それは、会社で電話に対応するときのそれであった。

 彼女のほうも緊張しているのだろうか。

 それはそうだろう。だって、あの三船先輩だ。電話をかけることすら、きっと大事だろうと思う。

 そう思うと、少しだが、緊張が抜けた。

 

「先輩、こんばんは。どうかしたんですか?」

 

 次に口から出てくれたのは、張りが緩んだいつもどおりの声音だった。

 

『こんばんは、近衛君。その、ですね』

 

「はい」

 

『この前、飲みに行ったときのお話のことなんですが……』

 

「お話、ですか……」

 

 なんかあっただろうか、と首を傾げる。

 わりかしすぐに、答えには辿りついた。

 

「ああ、あれですか。ピカタを食べさせてくれるっていう」

 

『……はい、そのことです』

 

「もしかして、明日作ってきてくれ、」

 

『今週末、私の部屋でどうでしょ、』

 

 声が、重なった。

 心臓が、跳びあがった。

 この人は、三船先輩は、今、なんて言ったんだ。

 

「…………」

 

『えっと、その……』

 

 聞き間違いでなければ。

 そうであってほしいと思うけれど、生憎俺の耳は聡くも音を拾ってしまっていた。

 そう、聞き間違いでなければ、だ。

 

「……先輩。今、先輩の部屋でって言いました?」

 

『その、えっと、はい……言い、ました……』

 

「えっ、この前言ってたのって先輩の部屋でってことだったんですか……!?」

 

『は、はい。えっと、ダメ、でしたか……?』

 

 ダメですかって。

 ダメですかって、なんなんだ。

 俺は返事もできないままに、つい、頭を抱え込んでしまった。

 

「……ダメ、っていうかですね。えっと、その……」

 

 口ごもる。

 そりゃ、そうだ。

 先輩も俺と同じくこの東京に部屋を借りて一人で暮らしているらしいことは前に聞いている。

 つまり、週末、三船先輩と彼女の部屋で二人きりになるっていうことになる。

 それは、えっと、ダメっていうか、なんというか。

 むしろ俺にとっては喜ばしいことだ。うん、違いない。

 

「その、ですね。でも、ですよ? えっと、三船先輩はそれでいい、んですか……?」

 

 それで、とは、無論俺が三船先輩の部屋へ行くことだ。

 言うべくもない。

 

『……私は、問題、ないですけど。あの、もしかして、なにか予定とかが、』

 

「ないです! 予定は、ないです、けど……」

 

 あらぬ誤解をつい食い気味に否定してしまう。

 ていうか、なんだ。なんなんだ、これは。誘っているのか、先輩。

 や、誘われてるんだけど。飯食いに。

 これ、俺がなんか間違っているんだろうか。違うと信じたい。

 

「……わ、わかり、ました。行きます。今週末、お邪魔します」

 

 そして、ついに言ってしまう。

 これで、もう後には引けない。

 

『……あぁ、よかった』

 

 ごくり、だなんてベタに生唾を飲んでいると、不意に、電話越しに安堵の息が聞こえた。

 

「え……?」

 

『いえ、その、近衛君を誘うのに緊張してしまって……。でも、よかったです。ちゃんと誘えて』

 

 天使かな。天使がいるよ。

 いつも以上に緩んだ声音の先輩に、俺も思わず頬が緩んだ。

 やっぱり、うん、さっき言ってたとおりだよ。

 ちょっとだけコミュニケーション能力に富まない三船先輩のことだ。きっと、俺を誘って、ご飯を作って、一緒に食べる。それ以上のことなんて考える余裕すらないに違いなかった。

 つまり、あれだ。

 三船美優は、天然である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな一幕があった一週間を無事に乗り切って、週末、土曜日。

 会社の帰りにスーパーに寄って、ピカタの材料を買い揃えて、三船先輩と一緒に彼女の部屋への道を歩く。

 

「俺、もう腹ぺこですよ。はっはっは」

 

「ふふっ。あと少し、我慢してくださいね。もうすぐ着きますから」

 

 なんて会話の裏で、ただひたすらに悶える。

 やばい。だって、あれじゃん。会社の帰りに一緒に買い物して帰るのって、ほら、新婚みたいじゃん。

 やばい。マジやばいって。これは、あれだ。照れる。照れまくりだ。

 ていうか、なんでこの人はこんなに穏やかなんだ。

 あらあら、近衛君はしょうがない人ね。みたいな、なんでそんなふうに笑ってられるんですかあんた。

 やっぱり絶対天然だよ、三船先輩。

 

「ここです」

 

 そう言って、案内されたのは一人暮らしの女性にふさわしいオートロックのあるマンションの一室。

 

「じゃあ、その、お邪魔します」

 

 ぽつりと、溢すように呟いて、三船先輩の部屋に上がる。

 2DKだろうか。キッチンのある部屋に案内されて、ダイニングテーブルに腰かけるように言われる。

 

「じゃ、じゃあ、その、少し、着替えますので、えっと、待ってて、ね……?」

 

「は、はい……」

 

 お茶を出されて、別の部屋に行く前に、そんな言葉を三船先輩は残していった。

 言葉尻なんか、なんでかちょっと泣きそうだった。

 あれか。今さらになって、俺という異性が自分の部屋にいることを意識したのだろうか。かわいすぎる。

 とは言っても、こうまで無条件に信用を置かれているのだから、俺も不貞を働くわけにはいかない。

 俺は、イヤホンのついた音楽プレーヤーを取り出して、無心に音楽を聴き続けた。

 

 

 

 どのくらい経ったか。よくわからないままに時間が経過していたらしい。

 俺は、三船先輩に肩を叩かれることで再起動を果たした。

 

「じゃあ、私は料理に取り掛かりますので……。えっと、近衛君はくつろいでてください」

 

 薄手のセーターにジーンズを穿いた三船先輩が、女性らしいデザインのエプロンを身につけて、キッチンに立っていた。

 いつの間にか飲み干していたらしいお茶も、新しいものが注がれている。

 

「……あ、はい。わかり、ました」

 

 どうも無心になりすぎていたらしい。

 時計を見れば、数分ほどしか経っていなかったが、頭が少しぼんやりとしている。

 俺、緊張と集中が重なるとこんなんなるのか。知らなかった。

 や、そんなことよりもだ。

 暖かいお茶を頂きながら、俺は、眼前のキッチンに立つ三船先輩の後姿を眺め始めた。

 夢が叶った気分だった。

 夢だなんて、たいしたふうに言ったけれど、なんてことはない。

 女性が俺のためになにか作ってくれる姿を見てみたいっていうだけのことだ。

 以前付き合っていた女性は、そんなに家庭的なところがなくて、結局俺が家事のほとんどの面倒を見ていたりしていた。

 そして、女性との交際経験はその一回きりだったから、軽くではあるが、やはり、こういうことに憧れていたのだ。

 だから、夢が叶った、である。

 

「先輩、まだできませんか?」

 

「ふふっ。もう、近衛君ったら。まだ、作り始めたばっかりです」

 

 俺の催促に、仕方ない人だなぁ、みたいな感じで笑ってくれる三船先輩。

 その表情に、やっぱり俺、この人のこと好きだなって改めて思ったりした。

 まあ、まだぜんぜん付き合ってるとかそういうんじゃないんだけども。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いただきます」

 

 二人の声が重なる。

 目の前に並べられているのは、本日の主菜であるピカタ。同じ皿には温野菜が添えられている。汁物はコンソメスープ。それと、炊きたての白いご飯。

 どれも出来たてで、もう見目にもすでに美味であった。

 合わせていた手ですぐに箸を持ち上げると、その足でさっそくこんがりと黄金色に焼き上げられたピカタに手を伸ばした。

 対面に座る三船先輩は、箸を持ったままにこちらの動向を見守っている。

 不安そうな表情からして、料理の出来を心配しているのだろう。

 そんなに心配しなくても、食べなくてもわかりますって、先輩。絶対、おいしいですから。

 なんてことを思って、ふと一人でに笑みが漏れた。

 

「いただきます、先輩」

 

「あ、はい。えっと、召し上がれ……」

 

 その面持ちのままでもう一度いただきますを言うと、先輩は少し頬を染めて、ちゃんと返してくれた。

 そして、俺は、ピカタを口に運んだ。

 端っこを噛み切って、咀嚼する。

 ご飯も口に含んで、ようく味わう。

 しっかりと嚥下して、俺はもう一度、先輩へ向けて笑ってみせた。

 

「大丈夫。おいしいですよ、先輩。それも、すっごく」

 

「そう、ですか……。ふふっ。よかったです。ちゃんとおいしくできていて」

 

 三船先輩も、笑ってそう返してくれる。

 そんなふうに、その日の食事は進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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