会社の先輩がアイドルになった   作:ひょっとこ_

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三話目ドーン


スカウトされたらしい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、先輩。相談があるっていうのは……」

 

「……はい。実は、ですね――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日も一日、社の先輩に言い渡される雑用その他諸々を片して、勤務を終えた。

 

「では、帰りましょう、近衛君」

 

「はい、先輩」

 

 最近は、仕事にもある程度の慣れを覚えてきた。

 作業の効率化をだんだんとだが、こなせるようになってきたのだ。

 これも、今、隣を歩いている三船先輩の指導の賜物である。

 三船先輩自体もある程度以上に俺と打ち解けてきてくれているのか、会話していてつまることもあまりなくなったし、表情も中々多彩に見せるようになってくれて、正直ここのところ、俺にとってはいいことづくめだった。

 けれど、表情の変化がわかるようになったということは、三船先輩のことに関して理解が進んだということであり。

 

「……その、勘違いだったら申し訳ないんですが」

 

「はい……?」

 

「先輩、最近、なんか悩んでますか?」

 

「あ、え……」

 

 言ってしまえば、時折、なにか考え込むようにする三船先輩の、そういった隙にも感付けるようになったのだ。

 街灯と雑多な店のネオンが彩る道を隣り合わせに歩きながら、三船先輩は俺の指摘に戸惑いを見せた。

 

「な、な、なんで、ですか……?」

 

 露骨なまでに、先輩の目が泳いだ。図星か、さては。

 

「や、まぁ、そこそこの付き合いになってきましたし。先輩、最近、なんかたまに考え込んでますよね?」

 

 俺なんかが踏み込んでいいところで悩んでいるのかはわからないが、尋ねずにはいられなかった。

 まあ、だってその、気になるのだ。気になってしょうがないのだ。

 憧れている人のことだし、なにより、考え込む素振りの中で三船先輩ったら、俺のことをちらちらと見てくるのだ。気にするなというほうが土台無理な話である。

 

「なんか、悩んでるん、ですよね……?」

 

「…………」

 

 畳み掛けるように、再度、尋ねる。

 すると、先輩は顔を伏せて、ついには立ち止まった。

 通りの只中であるし、とりあえず、場所は移そう。

 

「先輩、その、向こうに公園ありますから、そっち行きませんか? 話してくれるなら、俺、聞きますから」

 

「……はい」

 

 公園へ入るついでに近くの自販機で、コーヒーを二つ買う。

 灯りの弱い電灯が照らす広場を横切って、奥にあるベンチに並んで腰かける。

 

「…………」

 

「…………」

 

 沈黙が、続く。

 俺はたぶん、三船先輩がなにか話すまで、黙っとくべきなんだろうか。

 なんて思いながら、缶コーヒーのプルタブに指をかけて、封を切る。

 立ち昇る湯気とコーヒーの香り。

 中身を一口、口内に含むと苦味がいっぱいに広がった。

 

「……その、ですね。相談が、あります」

 

「わかりました」

 

 先輩が、伏せていた顔を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、先輩。相談があるっていうのは……」

 

「……はい。実は、ですね。私、アイドルにスカウトされたんです」

 

「え」

 

「スカウトされたんです。アイドルに」

 

「え、ええぇぇぇっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「落ち着きましたか……?」

 

「は、はい。すみません、取り乱しました……」

 

 思わず、立ち上がっていたところを座りなおして、一つ深く息を吸い、吐く。

 跳ねていた心臓が落ち着きを取り戻していく。

 もう一度、深く呼吸をして、口を開いた。

 

「それで、アイドルにスカウトされたっていうのは……」

 

「はい、本当のことです」

 

「そう、ですか……」

 

 鞄の中から、先方のスカウトのものだという名刺を出して見せてくれる先輩。

 そこにあったのは、俺でも知っているくらいに大御所といってもいい346プロダクションという事務所の名前だった。

 その名刺の出現で、一気に話が真実味を帯びた。

 いや、だって、一介のOLがアイドルにスカウトされただなんて、そんな話、怪しさしかない。

 如何わしいことを疑うのはあまりにも自然だけれど、そこで346の名前が出ると、その怪しさも現実の事実に上塗りされてしまう。

 

「先輩は……。三船先輩は、どう思ってるんですか……?」

 

「私は、そう、ですね……」

 

 まあ、いい。

 如何わしいとか、そうでないとかはこの際置いておこう。

 気になるのは、三船先輩がスカウトについてどう思っているのかということだった。

 だって、あれだ。

 もし、三船先輩がそのスカウトを受けるのなら、彼女は、成功如何に関わらず、アイドルのために今の生活環境を変えざるを得ないだろう。

 つまり、今の仕事をやめてしまうかもしれないということだ。

 

「わた、しは……」

 

 三船先輩の悩みっていうのは、どうもそのことらしい。

 けれど、悩んでいるっていうのは、アイドル稼業に興味もあるっていうことだ。

 踏み切るか、そうしないか。

 先輩は、どう思っているんだろうか。

 

「……私は、その、悩んでいます。私も、もう二六ですし、今からアイドルになるということが簡単なことじゃないのもわかっています」

 

「そう、ですよ……」

 

「私、でも、その、少しだけですが、興味もあるんです……」

 

「…………」

 

 ぽつりぽつりと、呟くように、三船先輩は溢し始めた。

 

 

 

「私をスカウトしてくださったプロデューサーさんが言ってくれたんです」

 

「私でも、輝けるって」

 

「きっと、私の笑顔は素敵だからって」

 

「こんな私でも、変われるからって」

 

 

 

 その呟きを聞いて思った。

 きっと、三船先輩の天秤は、アイドルになる道のほうへ傾いているんだろうと思う。

 

「……先輩は、今の先輩がダメだって、今の先輩から新しい先輩になりたい、変わりたいって思って、ますか?」

 

 なら、一番大事なところはそこだ。

 決めるのは、俺でもなく、新たな道を示してくれたプロデューサーの人でもなく、先輩自身なのだ。

 俺のことを言うなら、それは当然このまま、今の会社で先輩後輩でいたいと思う。

 先輩が、俺のことを憎からず思ってくれていることはたぶん間違っていない。

 だから、このまま、できることなら、俺は、先輩と信頼し合える関係になりたいと思っている。

 そして、それは結局のところ、俺だけの都合だ。

 先輩の思惑を、意思を無視したただの俺の願望だ。

 

「俺は、正直、先輩とこのまま一緒に仕事してたいです……」

 

 ああ、でも、無理だ。

 溢れ出してしまう。

 身勝手だってわかってるけれど。

 俺はどうにもそこまで大人にはなれていないらしいや。

 

 

 

「……やっと。やっと、最近仕事に、今の生活に慣れてきたんです」

 

「先輩の、おかげです」

 

「先輩がいろいろ教えてくれたから、俺、頑張れました」

 

「実は、俺、そこまでやる気のある人間じゃないんです」

 

「でも、先輩が、三船先輩がいたから、もうちょっと、あとちょっとって頑張れました」

 

「よくできたねって言ってもらえるのが、その、嬉しかったんです。年甲斐もないですかね……」

 

「……先輩。俺、先輩のこと、その――――」

 

 

 

 止め処なく。

 機を逸した思いが、堰を切ったようにこぼれだした。

 でも。

 

「言わないで」

 

 三船先輩は、俺の手に自分の手を重ねて、それを止めた。

 

「先輩……」

 

 胸が、苦しくなる。

 俺が口走りかけたことを、三船先輩は理解した上で止めたのだろう。

 ならば、それはきっと、拒絶に違いなかった。

 

「……その先は、言わないでください」

 

 気が、沈んだ。

 顔を伏せて、耳を覆ってしまいたくなる。

 俺では、ダメなんだろうか。

 年下だし。将来性も期待できない。顔もいいとはいえないし、特に人間に優れているわけでもない。

 三船先輩は、だけど、なぜか微笑んでいた。

 

 

 

「その言葉を言われると、私は、その、きっと踏み止まってしまいますから」

 

「ですから、待っていてください」

 

「私、思うんです。ここで踏み出せたなら、きっと変われるって」

 

「さっきの質問の答えをまだ言ってませんでしたね」

 

「私、最近まで、君に出会うまで、自分のことがあまり好きじゃなかったんですよ?」

 

「でも、今は、今の私も、今までの私も、そして、これからの私も、ぜんぶぜんぶ大切に思えるんです」

 

「それは、きっと、近衛君、君のおかげなんです」

 

 

 

 優しくて、暖かい。

 それは、いつもの三船先輩の声だった。

 否定じゃない。拒絶じゃない。

 それだけで、涙が出そうになる。

 でも、きっと、今大事なのは俺の気持ちよりも、三船先輩のこれからだと思うから。

 俺は、涙を飲んで、言葉を紡いだ。

 

「先輩。俺、今まで恋っていう恋をしていませんでした」

 

「はい」

 

「だから、俺、先輩に出会えてよかったです」

 

 大丈夫だろうか。

 俺は今、ちゃんと笑えているだろうか。

 

「はい。……その、近衛君」

 

「なんですか?」

 

「私、これから、頑張ってみたいと思うんです」

 

「はい」

 

「えっと、その……応援、してくれますか?」

 

「もちろん。俺はずっと、先輩の味方です」

 

「……ああ、よかった」

 

「頑張ってください、先輩」

 

「はい、頑張ります」

 

 

 

 少しだけ泣きそうになったこの日の夜のことを、俺はきっと、一生忘れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから、三船先輩は、会社を退職していった。

 控えめで浮いていたが、美人がいなくなったということで、職場ではわりと話題を読んだ。

 寿退社だとか、なんとか。冗談じゃないっての。

 先輩は、正式に346プロダクションに入所して、今はアイドルとしての基礎を作るレッスンに励んでいるらしい。

 今でも、連絡は取り合っている。

 アイドルとして正式にデビューする前ならそんなに忙しくもないらしいので、たまに飲みに行ったりもする。

 その席では、先輩は、それはもう楽しそうに毎日のことを教えてくれる。

 ボイストレーニングが新鮮で楽しいだとか。

 声を出すのは、実はそんなに嫌いじゃないんだとか。

 けれど、ダンスのレッスンは体力不足が祟ってあまり得意ではないとか。

 最近、鏡の前で笑顔の練習を始めたとか。

 本当に、楽しそうに話してくれるんだ。

 

「おい、近衛。ここ、やっといてくれ」

 

「あ、はい。わかりました」

 

 そして、俺はといえば、特段変わりない日々を送っている。

 寝て、起きて、出社して、仕事をこなし、帰って、寝る。

 それだけだ。

 ただそこに、今まではいてくれた三船先輩だけが、いなかった。

 これが、恋い焦がれるっていうことかだなんて、この歳で新しい感情を知った。

 

「……はぁ」

 

 知れず、ため息が漏れる。

 少し、いや、かなり寂しい。

 けれど、そう泣き言も言っていられない。

 

「……よしっ」

 

 自分に、渇を入れる。

 三船先輩のおかげだ。彼女の、自分を変えようとする姿に、俺も励まされている。

 彼女の前へと進む姿勢に、感化された。

 事勿れ主義の俺に、うん、少しばかりの新しい夢ができたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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