放課後の学園。
皆が帰り、誰もいなくなった戦車の格納庫に西住みほがただ独り、ぽつん、と立ち尽くしていた。
どうしてこうなったんだろう、と考えずにはいられない。
ついこの間まで、ちゃんと断ろう、もう戦車道はやらない、そう思っていたはずなのに。
気づけば戦車道を履修し、最初の授業で戦車を探し、洗車し、次の授業でいきなりの試合。
道中で拾ったクラスメートも含め、何だかんだと乗員五人全員揃ってしまい、いつの間にやらみほが車長に。
逃げよう逃げようとするたびにいつの間にか回り込まれている。
避けよう避けようとしてもいつの間にか向こうから近づいてくる。
まるで戦車道とは、西住みほの人生にかけられた呪いのような存在だと思った。
何よりもみほを落ち込ませたのは。
そんな戦車道が……もうやらない、二度とやるまいと思っていたはずの戦車道が、嫌じゃなくなっている自分に気づいてしまったこと。
大洗女学園の戦車道は二十年に復活したばかりであり、二十年もの間途切れそこに伝統や格式などといった肩ひじ張ったものはあらず。
自由にのびのびと、まるで遊びか何かのように戦車道を
そんな戦車道をみほは知らなかった。
西住みほにとって戦車道とは『西住流』のそれである。
―――撃てば必中 守りは固く 進む姿は乱れ無し 鉄の掟 鋼の心
常に勝利を求め、勝利に飢え、弱さを切り捨て、強さだけを求める。
そんな戦車道がどうしても受け入れられなくて、嫌になって、逃げだしてきたみほにとって、大洗女学園での戦車道は、まさしく未知だった。
負けても良い戦い、戦車に乗るということや仲間と共に戦うことそのものを楽しむこと。
勝利を求め、常に緊張の糸を張り詰めさせているようなことも無く。
練習中も常に笑顔に溢れている、そんな光景をみほは十数年の人生で見たことが無かった。
そこに至る差異は結局、どれだけ戦車道を重視しているか、ということに他ならないのだろう。
みほの元いた黒森峰女学園において、戦車道とは学園艦を代表する存在であり、みほの母、西住しほがその基礎を築き、長年に渡ってそれを守り続けてきた黒森峰の歴史そのものと言っても過言では無い。
対して大洗女学園での戦車道は、格式も無ければ伝統も無い。ただの授業の一環なのだからそこに何の気負いも無く、言うなればクラブ活動の真似事に過ぎないのだ。
そこにかける思いも、執念も、熱意も、何もかもが違い過ぎて、西住みほにはそれが同じ戦車道であるということが信じられなかった。
「何だかなあ」
思わず呟かずにはいられない。
ここでなら、この大洗女学園の戦車道でなら、みほも楽しんで戦車道をやれるのかもしれない、もう一度戦車道を好きになれるのかもしれない。
そんな期待にも似た思いがある。
良いのかなあ、と。
だからこそ、思ってしまうのだ。
それは西住みほの後悔の一つであり、清算しきれなかった過ちであり、同時に罪悪感でもある。
かもしれない、ではなく。間違いなく、ここでならば西住みほが戦車道を好きになれる、そんな確信があった。
そしてだからこそ、だ。
「私がまた戦車道をやって、良いのかな」
そんな言葉が漏れ出てしまう。
前の学校のことを気にしている―――わけではない、否、全く無いとは言わないが、最も大きな理由はそれでは無い。
だって西住みほは……。
「おかしなことを言うな?」
漏れ出た独り言に唐突に返事が返ってきた。
そのことに驚きながら声のしたほうへと振り返り。
「……会長?」
大洗女学園会長の角谷杏にそっくりな少女がいた。
一瞬少女を杏と見間違えたみほだったが、よく見れば髪の色や肌の焼け具合など微細な違いのある別人だと分かる。
同時に会長と初めて会った時にも感じた強い既視感を目の前の少女へと覚える。
「なんだ、オレのこと何ぞ覚えてないか? まあ後からあんなことがあればそれも無理無いか」
皮肉気に口角を歪める少女の姿は、みほの知る角谷杏の姿と余りにも違い過ぎて。
だからこそ、気づくことができた。
何よりもみほは……少女のその目を覚えていたから。
「知波単学園の……隊長さん?」
「角谷李だ、こうして面突き合わせるのはあの大会以来だな、西住妹」
両腕を組んで、ふんぞり返る少女、李の言葉に。
「角谷? 会長と同じ苗字」
「従妹だ、その縁もあって今はこっちに転校してきている」
なるほど、と頷く。
「隊長さんも、戦車道に? あれ、でも……」
ここ数度の授業に居た覚えが無い。
「他にも戦車が無いか探していた……まあ空振りだったけどな」
嘆息する李に、何だか不思議な気分だった。
こうして出会い、何気なく会話していることが。
* * *
西住みほが角谷李という少女を知ったのはまだ黒森峰女学園に居た頃の話だ。
第六十二回戦車道全国高校生大会において、知波単学園というある種有名な学校が準決勝の舞台にまで進んできたことは、高校戦車道関係者を大きく驚かせた。
知波単学園はある意味で有名な学園だ。練度では全国でも有数のものがあり、組み合わせの妙もあり、過去にはベストフォーにまで上り詰めたこともある。
だが知波単学園を有名にするのはその戦車道の在り方である。
突撃し散ることを至上とするその戦車道、全国的に見て余りにも無謀としか言えない戦術を繰り返す、強さというよりは見世物的な意味での有名さが知波単学園にはあった。
名前は知っている、強さとは別のところで。
それが知波単学園戦車道の周囲からの評価と言ったところだろうか。
そんな知波単学園が並み居る強豪校を押しのけ、過去最高と同じベストフォーにまで……しかも今度は実力でのし上って来た。
今年の知波単学園は違う、それを全国に知らしめさせたのは黒森峰と知波単との準決勝戦だった。
知波単学園の基本戦術は突撃だ。
基本、というかそれしかない。
過去のデータを洗ってみても本当にそればかりで毎年一回戦負け、まぐれで勝っても二回戦で敗退することばかり。
これで一体何の参考にしろというのか。
だから、と思って今年の一回戦、二回戦の映像資料を取り寄せ。
いつも通り突撃する知波単学園の姿があった。
準決勝にまでたどり着いたのは幸運とまぐれ。
黒森峰メンバーの大半がそう結論付けるのも無理も無い話であり。
―――恐ろしいほどの練度だな。
そう告げたのが西住まほだった。
西住みほもまた、それに気づいていた。
知波単戦車道のレベルが過去よりも遥かに高い。
やっていることが同じだからこそ、その勝利が偶然に見えるかもしれないが、けれど中身はまるで違う。
突撃とは名ばかりに真っすぐ突っ込んでいるだけだ……ただ真っすぐ突っ込む、という行為一つに一切の迷いが無い。
戦車とは当たり前だが、近づけば近づくほど砲撃の威力が跳ね上がっていく。
知波単学園の戦車はその性質上近づかなければ話にならない。
だが当たり前だが誰だって被弾を恐れる。いくら特殊カーボンで守られているからと言って、音速を超えて飛来する鋼鉄の塊が恐ろしくないはずがない。
突撃する、とは戦車に向かって突っ込むこと、つまりそれは砲撃の雨に向かってその身を投げ出すに等しい行為だ。
一瞬でも身を縮こまらせ、足を止めればたちまち砲撃の雨に飲まれ、撃破されるだけだろう。
だと言うのに。
知波単学園は一瞬も止まらなかった。
まるで死を恐れぬ死兵と化したかのように、何の躊躇も無く砲撃の雨を掻い潜って喉元へと噛みついてくる。
その強靭な精神性も恐るべきことだが、さらに今年の知波単学園はチーム全体のレベルが例年より高い。
運が良いから砲弾の雨から生き残った、否だ。全体が砲撃の当たらぬ機動で走っているのだ。
隊長車に至っては撃たれる直前の方向転換で砲撃を避ける場面が何度もあった。
危険な相手である、それが西住姉妹の共通見解であり。
それでも、負ける、という考えはなかった。
そもそも使っている戦車からして大きな差がある。
黒森峰が主に使用する戦車はどれもこれも重装甲、高火力の重戦車ばかりであり、特にティーガーⅠは世界大戦当時に敵を
当然ながら当時よりもさらに技術の進歩した現代において、その性能は向上している。
それだけ言えば知波単学園の戦車だって元の物よりも性能は上がっているだろうが、けれど元となった戦車の格が違う。違い過ぎる。
重厚なる装甲と絶対の火力、足回り、機動性にこそ難はあれど、それを補う密集陣形と連携。
突出した才を持った選手によって一時代を築く、そんなことも戦車道のみならずよくある話だが。
常に勝ち続けること、それをするために必要なのは才能ある指揮官ではない。
根底を支える重厚な土台と選手を育てあげる土壌だ。
大会九連覇は伊達でも誇張でも無い。
例え指揮官を凡庸な誰かに置き換えようとも黒森峰はただ固まって掃射する、それだけで並み居る強豪校を薙ぎ倒せるだけの強さがあるのだ。
そしてそれだけの土台と土壌にあって。
西住まほという絶対のリーダーの存在が何よりも黒森峰のメンバーに勝利を確信させた。
そうして望んだ準決勝。
いざ蓋を開けてみれば、知波単学園は黒森峰を後一歩のところまで追い詰めた。
何せ、西住まほの乗った隊長車をすら撃破してみせたのだ。今大会初の快挙と言っても過言では無かった。
とは言え、結果的には黒森峰女学園が勝利を収めた。
隊長車を囮にし、隊長車に気を取られた知波単フラッグ車を後ろから撃ったのが。
―――他ならない、当時フラッグ車に乗っていた西住みほであった。
* * *
「あの時は良くもやってくれたな、と言った気分だったな」
「あ、あはは……」
撃った側と撃たれた側。
勝った側と負けた側。
勝者として敗者にかける言葉など、みほは母親から習わなかった。
それでも、今は同じ戦車道のチーム、仲間であり。
だからこそ、余計になんて言えば良いのか分からなかった。
「まあそれは良い。あれはオレがしくじった……それだけの話だからな」
そうしてばっさりと切り替える李の判断の早さに助かったと安堵の息を吐いて。
「それで……戦車道をやっていいのか、なんてそんな不可思議なこと言ってどうした?」
「え……あ、えっと」
先ほどの呟きが聞かれていたことにみほの言葉が詰まる。
呟きは半ば自らへの問いかけであり、誰かに聞かれているなどと思わなかったので、そこに触れられる覚悟がみほには無かった。
視線を落とし、言葉に詰まるみほの姿を李が数秒見つめ。
「ふむ……悩みのほうか、ならこれ以上踏み込むのも悪いな」
あっさりと言葉を翻す。
腕を組み不敵に笑うその姿、杏と同じみほよりもやや低い背のはずの少女が、何故か自分よりも大きく見えた。
「もっと素直に楽しめ、戦車道を」
こちらに背を向けながら去っていく李の姿を、みほはただ見送り。
「戦車道は独りじゃできない……仲間がいてこそ、だからな」
友人たちを先に返し、独り残ったみほの胸に、李が零した言葉は何よりも突き刺さった。
そうして格納庫から出ていく李の姿が完全に見えなくなり。
ほう、とため息を吐いた。
「仲間……」
それはこの大洗女学園に着てから何よりも感じたものであり。
それはかつての黒森峰女学園において終ぞ感じることのできなかったものだった。
分からない、分からない、分からない。
西住みほは本当に戦車道を楽しんで良いのだろうか。
分からない、分からない、分からない。
西住みほは親友を裏切った……裏切ってしまった。
致命的な間違いを犯してしまった、結果的に親友を泣かせてしまった。
「泣いたのは……初めて、だったかな」
IV号戦車の上に腰かけ、そこから見える格納庫内の景色を眺める。
黒森峰のものとは規模が圧倒的に違う小さな格納庫。
それでも同じ戦車の格納庫だけあって、置いてある機材などは見覚えのあるものも多い。
それに懐かしさを覚えると共に、どうしようも無く過去を想起し。
「どうしよう」
なんて言ったって、本当はどうしようも無い。
だって西住みほはすでに戦車道を履修してしまっているのだから、今更覆しようも無い。
授業の選択科目である以上、通知表にも記載されるだろうし、その前に母のことだから、どこからか聞きつけるかもしれない。
怒るかな?
なんて考えて、まあ怒るだろうと簡単に予想できた。
きっと母は怒るだろう。戦車道から逃げたはずの先で、再び戦車道を始めるみほを。
それを考えれば鬱々とした気分にもなるが、けれど。
「どう……思うのかな」
それ以上に、彼女はどう思うのだろう。
怒るのだろうか、呆れるのだろうか、泣くのだろうか、それとも。
「都合、良すぎるよね」
嫌われたくないな、なんて。
今更そんなの虫がいい話だ。
約束を破ったのはみほだ、断りもなく転校を決めてしまったのも、助けてくれた彼女に不義理を働いたのも、全部みほ自身だ。
それでも彼女は見送ってくれた、いつものように皮肉気な言葉の裏に確かな優しさを乗せて。
もう戦車はしない、そう言った時の彼女の表情が忘れられない。
転校する、そう伝えた時の彼女の表情が忘れられない。
さようなら、そう口にした時の彼女の表情が忘れられない。
考えども考えども、答えは出ないままに延々と思考が空回りを続ける。
どうしようも無く苦しくて、辛くて、吐き出しそうで。
逃げるようにして、その場を後にした。
鬱いけどインサイドではシスコンニキでない模様(
時期的にはアニメ2話~3話あたりの話かな。