帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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第百二話 家族関係が面倒なのは新年の日本も帝国も同じ

 宇宙暦788年6月22日1930時頃、私はアイリーン・グラヴァー氏を誘いクラムホルム市の喫茶店「ブリュメール」に入店した。

 

「ブリュメール」は一見すると良くある中流階級向けの喫茶店であるが、その実余り知られてはいないが店長以下の従業員の多くは退役軍人や元軍属である。別に正式に決められている訳ではないが同盟軍の情報部等では秘密の会合や書類の受け渡しにこういう元軍人の経営する店を利用する。同じ軍人という事で口が固く、必要以上の説明をしなくても良いためやりやすいためだ。このような店はハイネセンだけで数百店にも及ぶ。

 

 私が店員にテーブル席を希望すると一番奥側の席に誘導される。他の場所から見えにくいそこを案内されたのは私の歩き方が軍人のそれであるためだ。一般的同盟人風の私服姿でも店員達はこうした少しのヒントで私の正体を見抜くのだ。

 

「さぁ、こちらにどうぞ」

 

 レディーファーストとばかりに私はグラヴァー氏に先に席に座るように伝えるが彼女の方は不機嫌そうな表情を向ける。それが私が彼女を逃がさない事を意味していると理解しているためだ。

 

「ここの代金は貴方持ち?」

「当然です」

 

 そのように会話した後、一層不機嫌そうにグラヴァー氏はテーブルの席に座る。そしてすかさずメニュー表を見やり、御冷を持ってきた店員にオーダーを伝える。

 

「オレンジジュースとアイスティー一つずつ、それにオニオンスープとマッシュポテト、ソーセージ盛り合わせ、南瓜グラタンを御願い。後デザートにこの抹茶パフェとマロンケーキとチーズケーキを頂戴。いいわよね?」

「……勿論ですとも」

 

 少し表情が引き攣るがそれを誤魔化して余裕ぶって答える。相手は腹いせのつもりであろうがそれに反応する訳にもいかないのだ。

 

 私は珈琲とザワークラフトとソーセージを注文して席に座る。

 

「………で?見た所……軍人?多分貴族よね?亡命政府の人間が私みたいな逸れ者に何の用?」

 

 私を観察して大体の当たりをつけたのだろう、不機嫌そうに尋ねるグラヴァー氏。

 

「逸れ者、とは卑下し過ぎでしょう?鎖国派は別に少数派ではないのですから」

「私達は連帯も組織化もされていない無関心層の寄せ集めよ。御世辞を言わずとも立場は理解しているわ」

 

 亡命帝国人のうち民主主義を信奉して積極的に同盟に同化する共和派、そして帝国文化を尊重しアルレスハイム=ゴールデンバウム家を頂点にミニ銀河帝国を運営する帰還派、そして鎖国派が亡命帝国人の三大派閥であるが正確には鎖国派は派閥と言えるかは怪しい。

 

 推定でも数億人はいると思われる彼らは別に統一された政治思想がある訳でも、指導者がいる訳でもない。帰還派程にガチガチに帝国社会を再現して息苦しい生活はしたくないが共和派のように文化を捨て去り同化したくもないという層を総称して呼んでいるだけだ。独自の全国政党なぞなく、あるとしても地域の市議会や惑星議会に幾らかの席を持つローカル政党位のもの、しかも各政党の連携すらしていない。限りなくノンポリに近い思考であり戦争やら同化政策に関心はなく、あるのは税金問題や社会保障、就労問題についてである。同盟社会にそれなりに適応している者から身内だけで集まる者、元奴隷から貴族までおり正に雑多で統一した勢力とは言い難い。同盟議会や政治学界においても彼らは浮動票として見られている。

 

「何の信念もない私達みたいな俗物、偉大なる亡命政府の貴族様達にとっては愚民そのものでしょう?言わなくても分かるわよ」

 

 腕を組みそう言い捨てるグラヴァー氏。私はその発言に誤魔化すように笑みを浮かべるしかない。

 

「いえ、決してそのような事は………グラヴァーさんが善良かつ模範的な同盟市民である事は承知しておりますし、それが帝国系移民にとってのある種の理想である事は疑うべき事ではありません。それはそうとして、幾つか確認と質問があるのですが宜しいですね?」

「……料理が来てからならね」

 

 その言葉通り事情聴取は注文された料理がテーブルに出揃ってから始まった。

 

「貴方はクレメンツ大公のクルーザーに乗船してフェザーンに向かった、と記録にはありますが相違ありませんね?」

「……ええ、オーディンで乗船したのよ。クレメンツ大公やヴェスターローデン男爵の娘……ほかにも乗船していた方には何人か当時の私と同年代の子供がいたわ。当時の私には何が何だか分からなかったから取り敢えず同乗していた子と毎日遊んでいたわ。後は知っての通りフェザーンに着く直前にクルーザーに砲弾が当たって私は気を失ったわ。以前にもしつこく尋ねられたけど当時の私にこれと言って伝えられた事は無いから何か新情報を求めているなら無駄よ?」

 

 そう言いつつスプーンでオニオンスープを優雅に口に含む。物音一つ出さずに流し込むようにスープを飲む姿は一見そこらにいる同盟市民に見えても幼少時に厳しく宮廷マナーを指導された事を証明していた。少しだけぎこちないのはこちらに来てからこのようにマナーを気にする機会が少なかったからだろう。私と相対するからこそ礼儀作法通りに食事をしているのだろう。

 

「そのようですね。お訊ねしますが御父上が亡命政府に合流されなかった理由は御存知でしょうか?」

 

珈琲を一口飲んだ後私は尋ねる。

 

「……警戒したんでしょうよ。貴方も知っているでしょうけどあの事故に亡命政府が関与していないとは言い切れないから」

 

 クレメンツ大公は保守的な兄リヒャルトに比べて改革派であった事で知られる。緊縮財政の緩和に同盟との和平の推進はその一例だ。

 

 亡命政府に関してはクレメンツ大公は亡命帝の時期に提案された藩王国化する事を支持していた。亡命政府や同盟政府としてもクレメンツ大公に裏で援助をしていたとも言われ、同盟領における亡命者からも比較的好意的に見られていた。

 

 しかし、同盟政府は兎も角亡命政府にとってクレメンツ大公は帝国にいてこそ意味のある存在であった。あくまでも頂点はアルレスハイム=ゴールデンバウム家であり、これまで亡命してきた皇族も一族に吸収するなり家臣として扱う事を前提としてきた。

 

 だがクレメンツ大公は同盟でも人気が出過ぎた。正確には守銭奴な皇帝の時期、同盟に亡命してきた帝国人は増加の一途を辿りその多くが緊縮政策による増税や経済の悪化による生活難によるものであった。亡命して歴史の浅い新参者の亡命者達は同盟に同化出来ず、しかし亡命政府に組みしてもそれ以前からいた者達との格差がつけられてしまう。そのため少なくない亡命者がクレメンツ大公に期待を寄せていた。実際、大公も亡命政府における一家臣になる度量はなく、新たな亡命者組織の結成や皇帝即位への野心を捨ててはいなかったようであった。

 

 亡命政府からすれば銀河に皇帝が三人も鼎立する事態は権威の面から見て好ましくない。クレメンツ大公が新たな組織を同盟で設立すれば亡命政府の亡命者への影響力の低下をもたらすだけでなく、同盟政府が亡命政府の代わりにクレメンツ大公と手を結ぶ可能性すらあった。事実クレメンツ大公が亡命を決意した時期には既に怪情報ではあるがアルレスハイム=ゴールデンバウム家がクレメンツ大公暗殺を計画しているという噂が流れていた。

 

 問題はそれが事実か不明ながら実際にクレメンツ大公が事故死した事である。無論これに関しては亡命政府以外にもフリードリヒ暗躍説、リヒャルト派残党復讐説、同盟関与説、フェザーン陰謀説、果てはクレメンツ大公偽装死生存説まであり、そんな数多くある説の一つに過ぎない。

 

 当時の司法省も大公の死を公式には事故として処理している。更に当時皇帝の密命にてクレメンツ大公を調査・捜索・追跡していたファントムハイヴ伯家当主には確保失敗と大公を追い詰めすぎた事を理由に自決と男爵への降格、流れ弾により大公を殺害する事になった事により航路警察局の局長トランシー伯爵は同じく自決と子爵位への降格、現場指揮官であったランドル男爵も自決と領地の半分を召し上げに処されている。

 

 これらの処分は対象となったのが警察や司法・社会秩序維持局等の治安組織、諜報組織、法務組織への影響力の強い家々である事から考えてもほかに大公の死の責任者がいるのならばここまで厳しい処断が為される可能性は少ないと見られている。

 

 それでも一部では亡命政府による暗殺の可能性を信じている者もいる。ましてクレメンツ大公の食客であったクライバー帝国騎士にとってはそんな亡命政府に近寄る事は不可能であっただろう。

 

「同盟に帰化後、クラムホルムに移住、父は警備員、後に同盟公用語を学び「移民者社会結合推進法」(帰化して一定の基準を満たした亡命者を同化促進のため特定の役職の公務員として雇用する法律)に従いクラムホルム市役所勤務ですか」

「ええ、公務員と言ってもほかの同盟人なら嫌がるような仕事を薄給でやらされたのだけどね。文句を言う奴も多いけどだったら自分達がやればいいのに」

 

 不満そうにソーセージをナイフで切って口に入れるグラヴァー氏。好景気時代、一部の過酷な公務に人が集まらないために立場の弱い亡命者を「公務員」という社会的立場を与えるのと引き換えに使い倒したこの法律は大昔程ではないが議論が残る法律だ。だが現実問題一部の公務はこれが無ければ維持出来ないのも事実なので制度自体は未だに効力があり亡命政府の庇護を受けていない亡命者はそれを利用する事が少なくない。

 

「失礼、そして貴方は義務教育終了後は専門学校に進学、推薦で現在の職場に就職した、で宜しいでしょうか?」

 

 さらりと流したが義務教育での成績は客観的には上の下、芸術系の専門学校ではトップクラスの成績、今就職している会社は超一流とはいかずとも同盟人の三人に一人は知っているくらいには有名なブランドだ。親が必死に働いて金を稼ぎ、子は苦学の末に同盟社会に同化して大企業に入る。亡命政府を毛嫌いする政治思想を持つ者から見れば正に「模範的移民」という訳だ。

 

「そうよ、父は死んじゃったけど今では年収5万ディナールはある立派な同盟の中流階級という訳ね」

 

 南瓜グラタンを掬いながら流暢な同盟公用語で答えるグラヴァー氏。

 

「それは結構な事です。さて、本題ですが……これまで帝国系と積極的に関わる事が無かった貴方が近頃捕虜……知っているでしょうがここから一〇キロ程離れたサンタントワーヌ捕虜収容所に収容されている人物と交流がある事についてです」

「この自由の国だと捕虜と会話してはいけないのかしら?」

「違法ではありませんが対象が対象ですので」

 

皮肉気に語るグラヴァー氏に私は遠慮がちに答える。

 

「貴方がここ二年程交流を持っている人物について知っている事をお聞きしても?」

「……ハンス・シュミット、歳は三十位、階級は……中佐?大佐?余り詳しくないから断定は出来ないわ。フォンが無い通り平民の士官のようね、多分お金持ちなのだろうけど」

 

 少し迷った後にグラヴァー氏はハンス・シュミット大佐に対する個人記録とほぼ同じ内容を口にする。

 

「交流のきっかけを御聞きしても?」

「……元々は彼がアルバイトとしてヌーベル・パレの本屋にいた事が始まりよ。ファッション研究の資料を買おうとしていたのだけれどその時に彼と会ったの。捕虜である事はすぐに分かったわ、衣服が捕虜服だったもの。ヌーベル・パレに限らずクラムホルムや隣町のヴァランスやサントでもアルバイトをしている捕虜はたまに見るから驚きは無かったけど。……やはり富裕市民だからかしら、ファッション関係への造形も深くてね。色々説明してくれたわ。その後お互いオーディンの出身だと分かって以来友人関係を結んでいるわ」

 

 内容は矛盾の無いものであった。これまで盗聴ないし記録された会話との齟齬はない。尤もそれだけであるが……。

 

「成程、同郷と……オーディンでも面識が御有りで?」

「さぁ、どうかしら?オーディンに住んでいたのは随分昔の事だから余り詳しく覚えてないわ。それにオーディンと言っても広いから断定出来ないわ」

 

 僅か、僅かに声のトーンが変わったのを私は感じた。無論私は気付いていないように話を続ける。

 

「此度の事情聴取の理由はそこでして……はっきり申しますと我々は彼の個人情報が偽証であるという疑いを持っているのです」

「我々?それって同盟軍?亡命政府?」

「そこは軍機ですので失礼ながら答えられません」

 

 むすっとした表情を作るグラヴァー氏。機嫌を損ねたかな?

 

 私は彼女が抹茶パフェの上のアイスとホイップクリームに手を付けた時点で話を再開する。

 

「我々は彼が貴族、大貴族の血縁であると考えております」

「大貴族?じゃあ何で態々偽名を?貴族なら優先的に返還されるらしいじゃない。そうでなくても保険で収容所でも宮殿での生活が出来るそうじゃないの。何の理由があって態態平民を名乗るような事をするのよ?」

 

 ぶっきら棒に答えるグラヴァー氏の主張は正しい。だがそこに僅かに否定に誘導したい意志が感じられるのは予め私がそう考えているためであろうか?

 

「いえ、有り得ますよ。例えば宮廷闘争の敗北者は捕虜となれば実家に一層の迷惑をかけますので敢えて自決を選ぶ場合も多いのは御存じでしょう?」

 

 名誉の戦死ならば宮廷での体面は持つであろうが大貴族が奴隷(帝国貴族からの見解)の捕囚になるなど惨めそのものだ。宮廷ではすぐに噂は広がる。落ち目の貴族なら一層冷ややかな視線が浴びせられるだろう。実際それが原因で捕虜収容所で自殺した貴族もいる。

 

「………」

 

 沈黙するグラヴァー氏。帝国系であればその発言の説得力は同盟人以上であろう。

 

「ヨハン・フォン・クロプシュトック、同じく帝国系であれば御分かりだと思いますが彼のクロプシュトック侯爵家直系の息子ではないかと我々は推測しています」

「………!」

 

 彼女の瞳に僅かな動揺が見えた。相変わらず予め構えていなければ分からない位の変化だ。

 

「………それで、私に何をお望みな訳?」

 

 胡散臭そうに、探りを入れるようにこちらを見るグラヴァー氏。

 

「別に善良な同盟市民を危険に晒すつもりはありませんよ、その点は保証致しましょう。我々としては彼、ハンス・シュミット大佐が本当に本人であるのか、違うのならば誰であるのかを確認したいだけなのです。グラヴァーさんにはその協力を御願いしたいのですよ」

「そしてそれを持って何か彼を脅す訳?」

「取引が出来れば良いとは考えております」

「物は言いようね。まるで宮廷の物言いだわ」

 

 処刑が急死、病気療養が収監、自裁が殉死、敗北が転進に変わる銀河帝国の宮廷では言葉の言い換えは日常茶飯事である。

 

「それで私が協力しなければ職場を退職させられるのかしら?それとも暴漢に後ろから襲われるの?」

 

 そして帝国人はこの場合「協力」を文字通りに受け取らない。グラヴァー氏は深刻な表情でこちらを睨む。

 

「……ここは自由の国です。そしてこのデリケートな時期に手荒な真似はしたくないとも考えています」

 

 一拍置いて私は答える。元より超法規的手段はしたくないがそう言っても毎度黒に近い灰色(あるいは灰色に近い黒)な手段を取る事で有名な亡命政府の後ろ盾を持つ私の言葉を鵜呑みにするとは思えない。なので敢えてこちらの弱みを見せてその意志が無い事を伝える。

 

「………友人を裏切る事は出来ないわ。勧誘の協力は出来ない。但し会話の中で気になった部分について伝える位ならば許容するわ」

「無理強いは致しませんよ。貴方の可能な範囲での協力で構いません」

「……本当に言葉通りか不安ね」

 

 そう言いつつもマロンケーキに手を付けるグラヴァー氏である。おいこら文句あるなら代金払えや……とはここでは言えないので我慢である。何、不良士官や食い詰めに比べれば可愛い食事量だ。

 

 最後のチーズケーキを胃袋に収めると水を一口飲み、立ち上がる。どうやら店を出るらしい。

 

「……御馳走様、ここの料理は美味しかったわ」

「最近は物騒ですから護衛をお付け致しましょうか?」

「監視役はせめてこっそりおいて頂戴。視界の中にいられると疲れるわ」

 

 私の言葉に皮肉気味に返すとそのまま立ち去ろうとし、一旦足を止める。

 

「……余り期待は出来ないけど……余り追い詰めないで上げてくれる?」

「……善処しましょう」

 

 私の言葉に、目を細めグラヴァー氏は店を立ち去る。暫しして私服姿の従士達が入店する。

 

「若様」

「追う必要はないさ。余り手荒な真似はするべきじゃない」

「ですが……!」

 

 そう食い下がるのはベアトだ。店外から警備をしていた彼女は同時に盗聴器で会話も聞いていた。彼女にとってはグラヴァー氏の非協力的な態度は同胞の裏切り者に等しいし、私への無礼である。

 

「あの生い立ちだ。いきなり顔を合わせてあんな要求をすれば良い返事を期待する方が可笑しい。消極的な協力を得られただけで十分と考えるべきだ」

 

 そういって私はずっと手をつけず放置していたソーセージとザワークラフトにフォークで手をつけ始める。お、冷めていても結構いけるな。

 

「二人共、寒い中見張り御苦労。何か注文するといい」

 

 従士達にメニュー表を渡し、私は内心で次の計画について考え始めた。

 

 ………因みにグラヴァー氏の食事の出費は45ディナール55セントであった。あの野郎、地味に高めの料理ばかり注文しやがって。

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 エル・ファシルの陥落は同盟軍にとって想定外の事態であった。戦略的にも戦術的にも本来ならば帝国軍がエル・ファシルに侵攻する事自体補給の観点から見てあり得ない事であり、駐留軍が敗北する事は更に想定外であった。

 

 この状況は同盟軍の反攻作戦の計画そのものを狂わせた。難民の対応に人手が取られるだけでなく帝国軍は分艦隊規模とはいえ新たな拠点を手に入れ、しかもエル・ファシルには反攻作戦に備え相応の物資が貯蔵されていた。結果として同盟軍は作戦の一時中止を命じざるを得なかった。

 

 クラーゼン上級大将率いるサジタリウス腕方面討伐軍は同盟軍の進撃の停滞に呼応して戦力の再編を行い、逆撃に転じる。本国からの援軍の到着もあり、サジタリウス腕方面討伐軍は僅か数ヶ月の間に急速に強化された。

 

 6月15日にはエル・ファシル星系に隣接するカナン星系より350万人の市民が避難、7月3日にはジーランティアより500万人がシャンプールに疎開する事になった。7月7日にはクィズイール星系外縁部に強行偵察艦を発見、7月20日にはシグルーン星系に帝国軍偵察艦隊が進出した。7月22日には激しい攻防戦の続くカキン星系に亡命軍地上軍五万名が増援として派遣された。

 

 劣勢、同盟軍の状況を表すとすればこれ程的確な言葉はないだろう。エル・ファシル陥落以降同盟軍は苦戦を強いられ、それは同盟市民にとって帝国系市民への敵意と言う形で還元される。

 

「お陰様で私もここ暫くは外出が出来ずに困ってしまいます」

 

 決して広くない部屋の中でシュミット大佐は苦笑いする。

 

 田舎なら兎も角今のハイネセンのような都会では捕虜の服装で街中に出るのは余り奨励される事ではない。多くの捕虜は必要なものはネット通販で取り寄せる。直接買うのに比べて運送料等がかかるため特に下級士官出身者には不満を持つ者も増えている。

 

「まぁ、私の場合はせいぜいアルバイトと本を探す位ですから我慢すればいいだけなのでしょうがね。幸運にも時間だけはここではいくらでもある」

 

 労働こそあるが朝から夜までと言うわけでもない。一般社会程の贅沢は望めないにしろ食事と寝床と入浴は用意されている。インターネットは制限付きで出来るし図書館もある。一年二年収容所から出なくても問題はない。

 

「研究の方は捗っていますか?」

「それなり、と言った所でしょうね。ミヒャールゼン提督暗殺事件について少し家系図について洗っている所なんですがやはりあの時期で憲兵隊なり社会秩序維持局なりが彼に危害を加えるのは難しいですね」

 

 同盟ならば兎も角、帝国においては粛清を行う上で血縁は極めて重要視される問題だ。帝国は連座制であり一人処断されればその親族や臣下にも罪状は飛び火する。

 

 同時に貴族達は政略結婚と養子縁組により相互に連携し、複雑な血縁関係の網を形作っている。何代か遡れば一人の貴族が十、二十の家系と縁を結んでいるようなものだ。そしてその程度の距離ならば十分身内扱いである。

 

 結果何が起きるかと言えば門閥貴族一人処理するのに連座して何十という家々にも影響が及ぶのだ。そのため宮廷も弑逆や反乱等帝室に関わる問題でもなければ簡単に貴族の処理は出来ない。親戚への根回しがいるし、彼らが罪状の飛び火や罪を犯した同胞の庇いだてを行う。そのため多くの場合は貴族が処刑される事は極めて稀であり、大概は名誉ある方法での自裁を命じられる。

 

 その点から見てやはりミヒャールゼン提督が暗殺されるという事態は異様過ぎる。ミヒャールゼン伯爵家の分家に当たるリンダウ=ミヒャールゼン男爵家当主たるクリストフ・フォン・ミヒャールゼンの母は権門四七家が一つキールマンゼク伯爵家の直系、妻は同じく権門四七家のハルテンベルク伯爵家の分家の男爵家出身、二人の息子と一人の娘がおり彼らはそれぞれ相応の家から配偶者を迎えている。ここがミヒャールゼンの巧妙な所であり、これらの婚姻により自身が処理された場合連座制により幾つもの名家が取り潰しの危機に瀕する事になるし、情報も集めやすくなる。憲兵隊や社会秩序維持局も彼の親戚関係を気にして調査が難しくなる。

 

 特にミヒャールゼンの子供達の婚姻相手は絶妙な采配だった。長男はブルック子爵家、次男はシュタイエルマルク男爵家より娘を嫁に迎え、末娘は本家に一時養子に出した後最終的に後のオトフリート五世となる皇太子の三男の寵妃となりクレメンツ大公の母となる。

 

 この辺りの政治的嗅覚は流石と言える。まだジークマイスター機関の構成員として疑われていなかった時期に婚姻を結んだブルック家、シュタイエルマルク家の当主は知っての通り第二次ティアマト会戦後の帝国軍を支えており、ミヒャールゼンの粛清が行われれば当然彼らは責任を取り最低でも隠居せざるを得なかった。そしてそんな事をすればどうなるかは分かり切った事であろう。

 

 また当時はコルネリアス二世が晩年に偽ヘルベルト大公事件を起こし、次の皇帝たるオトフリート三世は人間不信の余り在位一年で餓死してしまった。本来ならば直系の皇太子が次の皇帝に即位するべきなのだがそれが後の「強精帝」オトフリート四世であり、常時発情状態の青年を即座に皇帝に推戴するのは憚られたためにコルネリアス二世の叔父にあたるエルヴィン・ヨーゼフ一世が繋ぎとして即位していた。このエルヴィン・ヨーゼフ一世というのが齢八六の棺桶に片足を突っ込んだ老人であり、第六代皇帝ユリウス一世と違い年相応に弱弱しく後宮に向かう体力もない、今にも死にそうな風貌の人物であったと伝えられる(事実即位後三年で死去した)。

 

 そんな訳で短期間の間に皇帝が次々と代わってしまい宮廷は混乱しており、ミヒャールゼンはその隙を突いて新皇帝オトフリート四世の三男の息子の一人に娘を宛がう事に成功していた。当然ミヒャールゼンの粛清は皇太子の有力候補であったオトフリート四世の三男(後のオトフリート五世)にも影響を与える。二重三重の保険を掛ける事でミヒャールゼンは機関の下部組織が次々と壊滅する中でも自身の身の安全を完全に確保していたのだ。

 

「ケーフェンヒラー大佐もその辺りに疑念を抱いていましてね。少なくともあの時期あのようなやり方で彼を害する事が可能でかつ必要な勢力があるのかとね。私としても同感でして、さてさてどういう事なのか……」

 

 困った表情をして安物のインスタント珈琲を口に含む大佐。

 

「……この珈琲もそろそろ切れそうですね。もし可能でしたら兵士に頼んで買ってきて貰えませんか?豆はどれでも良いですし、きちんと立て替えますので」

「お望みでしたら連絡を取りたい方への言付けも承りますが?」

「………」

 

 私の言に珈琲を飲むのを止めこちらを観察するように見やる大佐。

 

「……はぁ、買い被られたものですね」

 

肩を竦めながら苦笑いのような表情を浮かべる大佐。

 

「信じてもらえるかは兎も角、私個人としては隠し事なんて無いですし、スパイとかをしている訳でもないのですがね……」

「だと良いと私も考えます。ですがそれを判断するのは私ではないのですよ」

 

 相手の返答としては想定内のものであるために私もまた平静を装いそう答える。

 

「確かに私はこちらの収容所に来てから良く交流する友人がいますし、その人は元を正せば帝国系です。ですが別に私は工作員の密命なんて帯びていませんし、その手の技術もありませんよ。正真正銘同郷であるために親交を得たに過ぎません」

 

 シュミット大佐はわざとか、それとも実際にそう考えているのか、私が彼を帝国軍の工作員として見ていると仮定して話す。実際帝国は亡命者や宇宙海賊、フェザーン人を通じたスパイ網を同盟に張り巡らしていると言われており、その中には敢えて捕虜となり同盟に潜入する者もいる。

 

「でしたらどうぞお気にせずに普段通り御過ごし下さい。この同盟では帝国と違い証拠なく処断される事はありませんし、まして拷問や自白剤を使う事もありません」

「存じておりますよ。この国は少なくとも帝国に比べて人権意識が高い。そうでなければこんな呑気に研究なんて出来ませんからね。帝国の捕虜になった同盟人がどれ程過酷な環境に置かれるかは知っております」

「捕虜収容所に勤務した事が御有りで?」

「………そうですね。大尉時代に少し」

 

そこまで口にして言い淀む。

 

「………実の所、そこで捕虜と少し交流しましてね。こちら側の話について聞きました。知っての通り帝国軍では民主主義思想は過激な宗教扱いです。少なくない帝国人が捕虜となるのを恐れている。私は捕虜との交流でそこまで酷くはなかろうと考えたために大人しく降伏する事が出来ました。もしそれが無ければ私はここにはいないでしょうね」

「………望郷の念は無いので?確かにこちらの方が研究や生活の上で安全でしょうがそれでも故郷が恋しくなる事はあるでしょう?」

「だから故郷を取り戻し、帰還するために協力をするべき、ですか?」

 

 こちらを見つめる大佐に対して私は無言でもって答える。即ち肯定である。

 

「………正直余り望郷の念は無いのですよ。研究で協力しているケーフェンヒラー大佐は確か四〇年以上収監されているそうですね?あの人のようにとは言いませんが今の所積極的に故郷に帰りたいとは思いません。この捕虜収容所で本に囲まれ、趣味の研究に打ち込み、偶に外の喫茶店を利用して静かに暮らすのもありかと思いましてね」

「家族に会いたい、とは思わないので?」

 

 咄嗟にそう口にしてすぐに余り好ましい選択ではない事に気付く。少し深堀し過ぎであるのは明らかであった。

 

「………余り人に言う話ではありませんが、家族の事で問題がありましてね。正直実家には戦死の知らせが届く方が気楽に思う事もあるんですよ」

 

しかし大佐は自嘲気味にそう語る。

 

「そう………その方が良い。その方が………」

 

 反芻するように呟きながらカップの中身をぼんやりと見つめる大佐。そしてふと我に返ったような顔をしてカップを口元に運び、その後テーブルにゆっくりと置く。私は彼の発言からふとケーフェンヒラー大佐が先日彼にソリビジョン越しに面会した時の感想を思い出した。

 

『これは私見であるが……何か彼は親近感の湧く雰囲気があってな。ふむ、どう説明するべきか………諦観的というか、失望しておるというか、少なくとも単純に「故郷に戻らせてやる」などと言う捕虜を誘惑する常套句では首を振らんだろうな』

 

 確かに大佐は望郷の念は無いらしい。想定はしていたが……クロプシュトック侯爵家の嫡男が故郷に戻りたくないと言いかつ家族と問題を抱えているとなると……結構闇が深いな。

 

「時間は幾らでもあります。焦る事も、早急に結論を出す必要もありません。我々は幾らでもお待ち致します」

 

 私は時間はある、と強調する。彼が追い詰められて無茶な行動を起こさないようにだ。

 

 私は宮廷風に暇の挨拶をすると先程から控えていた従士達を連れて部屋を去る。

 

「頑固、と言うわけではないが……中々手強いな」

 

 部屋を出た後の廊下で私はそう肩を竦める。まぁ、その分私はこの安全な捕虜収容所にいられるのだから良しとするべきなのだろうが……。

 

「お静まり下さいませ、見る限り少しずつ警戒心は小さくなっております。以前に比べて会話も長くなっておりますし、本音を吐露する事も増えております」

「そうでございます。お疲れではありましょうがどうぞご辛抱下さいませ」

 

 私が苛立っているように見えたのかベアトとノルドグレーン中尉が私にそう諫言する。いや、別にそこまで腹が立ってはいないが……というかグラヴァー氏の時と態度違い過ぎるんですけど。多分手強さで言えば大佐の方が面倒なんだけど……あ、身分が違うから?じゃあ仕方無いね(白目)。

 

「さて、この後は夕食の案内か」

 

 私はベアトに確認する。因みに言うと相手は所長やその他の上官でも、親族でも友人でもなく、この収容所の捕虜の主たるボーデン大将である。あの人マジこの収容所で堂々と貴族しているな。お陰で私も警備の兵士達に毎日収容所でランチ食べてる天下り貴族士官扱いだよ。「給料上がんねぇかなー」なんて食堂でパスタつつきながらぼやく兵士達がジト目で見てくるレベルだ。泣けてくるね。

 

 ……正規の食堂より捕虜との食事の方が気が楽とかマジかよ……。

 

 さてボーデン大将以下の招待を受けた夕食、そしてその後の参事官補としての会議の出席や残業の事務を終えて2100時になりようやく職務を終えて無人タクシーで官舎に辿り着く。

 

「お先に失礼致します」

 

 ベアトが先にタクシーを降りて街灯と家々の照明だけが灯る街道に出る。残業があったために帰宅時間を過ぎ、人気はない。ベアトは腰のハンドブラスターに手を添えて周囲に隠れる者がいない事を確認した後ポストを慎重に開く。警備の厳しい士官用官舎を襲撃しに侵入者が入り込む可能性は低いが絶対ではない。二週間前にパラスの軍官舎の帝国系軍人の自宅に低威力の小型爆弾入りの小包が届き数名が軽い火傷を負う事件も起きていた。

 

「………問題御座いません」

 

 ポストの中から幾つかの手紙や封筒を取り出した後、玄関と窓に侵入の跡が無い事を確認してようやく私を招き入れる従士。

 

「これは……私の分か」

 

 玄関をくぐり抜け照明を点けた後、上着をノルドグレーン中尉に渡して代わりに手紙と封筒をベアトから受け取る。

 

「実家にクレーフェ侯、ゴールドシュタイン公、それにこれは…………」

 

ソファーに座り込み一つ一つ検分していく中で最後の一つの差出人を見て手を止める。

 

 上等な封筒に封蝋されたそれはよく見れば蝋の部分に印璽で紋章が刻まれているのが分かるだろう。帝室の藩屏を意味する盾に武門の表す槍、前足を上げる一角獣の略章………それだけで門閥貴族ならばどこの家からのものかは即座に分かる。

 

「ケッテラーの……やはりか」

 

 封を開けば高級紙に達筆に書かれた婚約者(というよりも担保として宛がわれた哀れな娘)からの手紙を読む事が出来る。参事官補に着任してから週一回程度での頻度で手紙のやり取りをしているが……流石物心ついた頃から厳しく躾けられているからだろう、毎回見ても季節の挨拶から始まる内容は完璧な作法であり、その言い回しは修飾詞に彩られ詩的な美しさがある。はっきり言って見事と言うしかない。

 

………合理主義者が見れば無駄の塊に思えるだろうけど。

 

「形式的な挨拶と前回送った分の返事に……げっ!?」

「いかがいたしましたか?」

 

私の首元のスカーフを解いていたベアトが目の前で漏らされた呻き声に反応する。

 

「いや……あー、伝えた方が良いか。ここを読め」

 

そう言って手紙の文末の辺りを指し示す。

 

「これは………」

「何事でしょうか?これは……」

 

事態に気付いてノルドグレーン中尉も傍に来て手紙を見やり僅かに驚いた表情を作る。

 

「泊り先やその他の用意は向こうで準備するそうだが………この時期となると少々面倒かも知れんな」

 

私は困惑を含んだ表情で手紙に改めて視線を向ける。

 

 そこに記述される内容から修飾詞を排除して簡略化するとこうなるだろう、「夏季休暇に訪問させて頂きます」と。




本作における第二次ティアマト会戦以降の歴代皇帝設定
コルネリアス二世 不幸続きにティアマトの敗戦で発狂、偽アルベルトに騙され(?)無事精神が焼ききれ崩御

オトフリート三世 ティアマトの尻ぬぐいしてたらいつの間にか皇太子から降ろされ取り巻きが偽アルベルトに転向、人間不信で無事即位一年後に餓死

エルウィン・ヨーゼフ一世 皇太子が下半身過ぎたせいで再教育のための時間稼ぎのために死にかけ状態で玉座に押し込まれる。尚即位中後宮に入り浸っていたのは皇太子で本人は一度も向かっていない

オトフリート四世 再教育の成果が出なかったオットセイ皇帝、五年で五〇〇〇名は流石に誇張で前皇帝時代から仕込んでいたのも多分含まれている。無事即位五年後に腹上死

オットー・ハインツ二世 流石にオットセイが五年で死ぬとは思って無かったので急遽繋ぎとして即位した御老体、エルウィン・ヨーゼフ一世の弟。「嫌だ!俺は兄貴みたいになりたくない!」

オトフリート五世 オットセイが家柄とか格式とか考えず見境なく子作りしたのでその子供達で蟲毒して生き残り即位。短期間の間に皇帝が変わりまくり、ティアマトの敗戦もあるので金欠状態の財政再建のために色々ケチりまくる。

フリードリヒ四世 ロリコンの熟女スキー

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