帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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第百三話 貴族は食わねど高楊枝らしい

 自由惑星同盟でも五本の指に入るサービスで有名なチェーンホテルグループであるカプリコーン・ギャラクティック・ホスピタリティ社の運営するホテル・カプリコーンサウスハイネセンはその名の通りにハイネセン南大陸ヌーベル・パレ中心街に建設された地上四〇階建ての高級宿泊ホテルであり、地元の名士や政治家が祝宴を上げたりセレブが旅行に使う事でも名を知られたホテルだ。当然勤務するホテルマン達もホテルの格式に合わせた最高級のマナーと技術を持つ者達で構成されゲストのあらゆる要望に応えるように指導されている。だが……。

 

「流石にここまでの事は初めてだ……!」

 

 ホテル・カプリコーンサウスハイネセンに二〇年勤務するベテランのホテルマンは出迎えの準備をしつつ愚痴を吐く。よし、フロアの貸し切りの要望?OK、それ位我がホテルは簡単に承りましょう。二一階から三四階まで?宜しい、その程度の要望ならば以前にも御座いました。三週間滞在したい?どうぞどうぞ、いつまでお泊り頂いても結構です!そちらで用意した使用人も使いたい?技術と作法が我がホテルの要求する水準でありましたら構いませんよ?厨房も借り受けたい?ええ構いません。我がホテルには四つの厨房と八つの食堂が御座いますれば金銭次第でお受けいたします!

 

 ここまではホテルマンも支配人もにこやかに承る。だが、ゲストからの注文は続く。

 

 ホテルの内装を変えたい?……ええ、全てそちらで負担して頂き後で直して頂けますなら。護衛のための武器を持ち込みたい?我がホテルの警備はあのフリーダム・セキュリティガード社に委託しておりますれば安全対策は………いえ、とんでもない。迷惑料と安全対策の取り決めを厳守して頂けるならば。我がホテルの従業員のボディチェック?ははは、我がホテルではその程度自主的にやっておりますので手癖の悪い者なぞ一人も………よ、宜しいでしょう、そこまで仰るならば実際に直に確認して頂こうではありませんか!

 

 その後も長々と要望が来る事全三三個、ここまで注文してくる顧客は流石に初めてであり、本当に宿泊するつもりがあるのかと支配人もホテルマン達も訝しんだ。

 

 尤も問題はこの後で予約を入れて来たゲストの名前を聞いてそれが悪戯の類ではない事を理解し、次いでその情報を聞きつけたグループの役員達が急に支配人に電話をかけて来た。普段ならば滅多にない役員達からの電話に恭しく出る支配人に役員達が第一声に叫んだ言葉はこうだ。

 

『じゃが芋野郎共から予約?人員は送るし赤字が出てもいいから完璧なサービスを出せ!我らのホテルがどれだけ素晴らしいか、偉そうにふんぞり返るじゃが芋野郎共に思い知らせてやれ!クレーム一つ言わせるな!』

 

 限りなく殺意を含んだ役員達の命令に支配人は思わず真っ青な表情で頭を下げホテルマン達は残業代と臨時ボーナスと引き換えにこれまでにない体制でゲストを迎える準備をさせられていた。

 

「全くやってられませんよ、あんなに細々と注文をつけて……サービスするにも限度がありますよ。しかもこんな時期に……」

 

 別のホテルマンがぼやく。唯でさえ国境では多くの難民が発生し、それに乗じた反帝国極右勢力が勢力を伸ばしているのだ。先日にはハイネセンポリスを始めとしたハイネセン主要十四都市で大規模な移民排斥デモがあり一部が暴徒化して帝国街に突入、亡命系警備会社の警備隊や自警団と衝突した。一部で発砲事件まで起き、事態を憂慮した警察出身のヨブ・トリューニヒト議員が事態沈静化のため同盟警察の機動隊の緊急投入を議会に提案し可決、最終的に一万名近い検挙者が逮捕される大事となっていた。

 

 比較的リベラルなヌーベル・パレではそのような事態はまだ起きていないがこの時期に貴族が高級ホテルを複数フロア貸し切り、しかも好き勝手に改装するとなると危ない連中を集めかねない。

 

「全く、面倒な事をしてくれる!」

 

 ホテルマンも聖人君子ではなく給金を代価にサービスを提供する労働者に過ぎない。こんな時期にこんな事をさせられれば悪態の一つもつきたくもなる。

 

「よし、全員服装は整えてあるな?皴や埃はないな?列を乱すな、背筋を伸ばせ!いつも通り笑顔で出迎えの挨拶をしろ!ヤマダぁ!ネクタイが曲がっているぞ!今すぐ直せ!」

 

 ネクタイが曲がっている新人を叱責して、ベテランホテルマンは支配人と共に従業員達の最前列に立ちその時を待つ。周囲には退役軍人や警官より従業員を雇用する同盟の大手警備会社であるフリーダム・セキュリティガード社の社員達が警備に当たる。この場にいるのは防盾に警棒やパラライザー銃を持った者だけだが、裏手にはブラスターライフルを始めとした殺傷兵器を装備した特別護衛チーム二個小隊も控えている。本来は宇宙海賊の跋扈する航路やテロで政情不安定な惑星に宇宙船や支店を置く企業向けのものであるが今回多額の保証金と保険金と引き換えに警備体制に組み込んでいた。

 

「流石に此処までの警備がいるのかは疑問だがね、ここはマーロヴィアでもエリューセラでもなくハイネセンだぞ?しかも彼方からも警備要員が来るとは……」

 

 呆れ果てるように首を振る初老のホテル支配人。これまでも色々な事情で警備を厳重にしなければならないゲストの持て成しや宴会を指揮してきたが今回より厳しいとなると最高評議会委員が来た時かハイネセン星系首相が来た時位のものだ。

 

「全くその通りです。……支配人、来ましたよ。御貴族様です。きっと偉そうで図々しい奴なんでしょうねぇ」

 

 ホテルの敷地に向かってくる車列を見て小さくベテランホテルマンは呟く。以前ハイネセンポリスのホテル・カプリコーンハイネセンポリスに勤務していた頃の記憶が蘇った。あの時も今回程ではないが大仰な大名行列だった。その時のゲストと言うのが随分と肥満で汗臭い白豚のような人物で、確か何とか侯爵様だった筈だ。隣の小柄な女性は最初娘と思ったが妻だと後で知った。何てひでぇロリコン野郎だと思ったものだ。

 

 ベテランホテルマンはそこまで考えた後、小さく嘲笑してすぐに雑念を吹き払い背筋を伸ばし人の好い笑みを浮かべる。此処からは仕事の時間だ。どのような相手であろうと金銭に見合うサービスを出すのが彼の仕事であり、その代価はすでに支払われている。ならば後はプロとして相手を持て成すだけだ。

 

 敷地に次々と停車する車列。一般大衆車もあればそう見せかけた軽装甲車、明らかに銃撃戦に備えた厳つい大型装甲車もありその全てが黒塗りであった。それらから黒スーツにサングラスをかけた没個性的な警備員達があらわれ周辺を警備する。アルレスハイム民間警備会社所属の元軍人(どころか現役も含まれる)からなるシークレット・サービスである。恐らく実力ではホテル側の契約している警備員と同等、一部では凌ぐであろう、かなりの威圧感であった。

 

 別の車からは明らかな使用人達が現れる。一人の執事が支配人の所に駆け寄り尋ねる。

 

「失礼、注文の品はご用意されておられるでしょうか?」

「ええ、勿論ですとも」

 

 支配人は従業員に命じると数名がかりで従業員達は赤い絨毯、つまりレッドカーペットを持ってくる。絹糸と金糸を使った職人の手作りのそれをマーケットで落札するのには骨が折れたが支配人が直接ハイネセン西大陸ルデディア市で手に入れた。役員達から金の心配はするなと言われたので文字通り札束で相手を殴るように落札した。

 

 執事は一瞬意外そうに目を見開くがすぐに恭しく頭を下げそれを受け取る。女中達がカーペットを広げるのとリムジンが止まるのはほぼ同時だった。リムジンの後部座席の扉が開いた。整列する使用人達が、ホテルの従業員達も一斉に頭を下げる。

 

(さて、ご尊顔を拝見させてもらいましょう‥……!?)

 

 恭しく頭を下げたホテルマンは、ゲストの姿を一瞥すると内心で驚いた。それもその筈、彼は今回の余りに細々とした注文をした貴族に対して高慢な肥満男か、そうでなくても目付きの悪い青年か、鼻持ちならないお嬢様を想像していた。故に流石に現れたゲストに衝撃を受けた。

 

(子供……?)

 

 歳は一五、六歳程度であろうか、少なくともハイスクールに通学しているかいないかと言った所であろう。日傘を差す華奢な体、幼さの残る顔立ちは十二分に美少女に見える。高慢さは余り感じられず大人しそうな姿だ。

 

 だが、その表情にどこか影があり、陰鬱そうに見えるのは日傘のせいだけではないだろう、長年ゲストの微細な機微を観察してサービスを提供してきた経験からホテルマンは殆ど確信していた。

 

「このホテルの予約を致しましたケッテラー伯爵家の長女グラティア様であらせられる。貴方がここの支配人か?」

「えっ……は、はい。その通りで御座います。此度はホテル・カプリコーンサウスハイネセンのご利用、誠にありがとうございます」

 

 執事の一人が支配人に尋ね、ゲストの幼さに同じく驚愕していた支配人は慌てて答える。

 

「お嬢様は長旅で御疲れです。失礼ながら部屋の案内を御願いしたい」

「ええ、勿論ですとも!こちらで御座います」

 

 支配人自らの案内、その後ろを使用人達に守られるようにゲストが、次いで荷物を持つ女中達が一ダース程続き、さらに護衛達も列を作る。

 

 ホテルマンは暫し唖然としつつもすぐに我に返り、ゲストについてきた調理人達と食材を運ぶ荷役を貸し出した厨房に誘導を始める。8月8日、こうして大名行列のような大仰な隊列を作り亡命貴族の令嬢は避暑のためハイネセン南大陸のホテル・カプリコーンサウスハイネセンにチェックインしたのである。

 

 

 

 

 

 

 

「……であって、これに反応した反帝国過激派等が襲撃計画を練っていたが先日アジトを強襲して制圧したと同盟警察から連絡があった。現在収集中の情報によれば「人民裁判会議」のメンバーがこの南大陸への入管を企てているとの事だ。各員最大限の警戒を行うように………それでティルピッツ少佐、この件に関して今更とやかく言うつもりは無いがトラブルが起きないように貴官にも最大限の努力を求めるが、構わんだろうな?」

「アッハイ」

 

 収容所幹部会議中、サンタントワーヌ捕虜収容所所長クライヴ准将の面倒臭そうな表情で行う注意に私は殆ど反射的に答えていた。

 

 ハイネセン南大陸はハイネセンポリスのある北大陸と季節が反対であり、避暑地には確かにうってつけ、特にリベラル色の強いヌーベル・パレは過激派も少なく、芸術活動も盛んなため確かに夏休暇に住まうには丁度良い。良いのだが………ちょっと目立ち過ぎじゃないですかねぇ?

 

「予想はしていたがやはり白い目で見られるなぁ」

 

 会議が終わり廊下を出た私は項垂れる。このデリケートな時期に目立つ大名行列してくれて、しかもその原因が従士を侍らして毎日お喋りばかりで仕事しないぼんぼんの少佐と来ればなぁ……。警備主任のブレツェリ中佐なんて本当に不機嫌そうな表情をしていた。まぁ彼からすれば捕虜やら兵士やら市民の安全管理やらと文字通り命を預かっている以上ストレスが溜まるのだ、そこに唯でさえ神経を使うのに遊んでいるように見える参事官補が更に面倒事を増やしてきたように見えるのだからさもありなんである。

 

「そうは仰いますがこちらとしても最大限の自衛を致しております。それなのにあそこまで腫物に触れるような態度をする必要があるとは思えません」

 

 会議中の幹部達の態度に不満を吐露するのはベアトである。

 

「違う、そうじゃない」

 

 思わず真顔でそう答えてしまう。ベアトから見れば警備の手間は亡命政府やケッテラー伯爵家が自前で安全対策と警備体制を敷いたから問題ないだろう、と思っているのだろうが、同盟警察や軍が心配しているのはそれにより市民が巻き添えを食らう事なのだ。御貴族様の命は一応政治的にも、一同盟市民としても守るのは当然としても、だからと言ってほかの市民の生命と財産を無碍にして良い訳ではない。いっそのことあんな大仰にするくらいならばこっそり来てくれたら良いのに態々あんなに目立つパレードをするな!と言う事だ。

 

 相変わらず微妙に感性のズレている従士達に内心で溜息をつく。

 

「ふんっ!もういい!貴様なぞの力はもう借りんわ!」

 

 シュミット大佐のもとに向かおうと廊下を歩くとふと、そのような叫び声が響き渡る。続いてバンッ!と荒々しく扉が開き、憤慨する男が数名の取り巻きと共に飛び出す。

 

 いきなりの事で唖然としてそれを見ていると男達の方が我々に気付く。

 

「……ちっ!」

 

 我々を一瞥して舌打ちするとそそくさとその場を去ってしまう。続いてもう一隊が部屋から出てくる。こちらは先ほどの集団と違い幾分か紳士的で少なくとも部屋の主に恭しく礼をしながら身を翻す。我々に気付くとその頭領らしき男が礼儀正しく頭を下げ、同じく取り巻き達と共にその場を去っていく。

 

「あれは確か………」

「捕虜自治委員会の幹部のミュンツァー中佐とコーゼル大佐で御座います」

 

 すかさず脳内の記憶から先ほどの人物達の名前を答えるのはノルドグレーン中尉だ。因みに荒々しい態度だったのがコーゼル大佐、紳士然としているのがミュンツァー中佐である。何故ミュンツァー中佐の名を先に口にしたのかは言うまでもない。

 

「いやぁ、御見苦しい所を御見せしましたね、申し訳御座いません」

 

 我々が室内に入れば苦笑いを浮かべたシュミット大佐がそう出迎えた。

 

「先程の二人は……」

「いえ、少し協力を求められましてね。可能な限り丁重な対応をしたのですが……」

 

 恐らくは二人に出していたのだろう珈琲のカップを片付けながら大佐は説明する。

 

 どうやら二人はボーデン大将を指導者とする現在の自治委員会に不満を持ち、同じく自治委員会の下級幹部たる大佐に自治委員会の権力奪取の協力を仰ぎに来たのだという。

 

「二人共この捕虜収容所の危険人物リストのメンバーですからね、断るのは正解です」

 

 エリック・コーゼル大佐は五本の指に入る士族階級の名門コーゼル家の末席に名を連ねる人物だ。所謂帝国における平民士官の多くは代々職業軍人であるか士族がなるものであるが、それでも将官を輩出する程の家は滅多にない。コーゼル家は過去複数名の将官を出してきた名門であり、特に有名なのは第二次ティアマト会戦における第五竜騎兵艦隊司令官ハリル・コーゼル大将であろう。

 

 だが、第二次ティアマト会戦における大敗によりコーゼル家は二ダースに及ぶ一族を失い軍部における影響力を喪失したと言われる。エリック・コーゼル大佐はそんな中三十代前半で大佐にまで昇進した勇猛な陸戦指揮官であり、カキン星系では旅団を率いて粘り強い抵抗を見せつけた。当初は玉砕も覚悟であったというが司令部に砲撃が命中し気絶、気付いた時には捕囚となっていたらしい。この捕虜収容所に来てからも三度の脱獄未遂を起こし、捕虜達に何度も暴動の扇動をした前科がある。自治委員会はそれを宥める理由もあり形だけの委員に指名したと言うが結果はこの通りだ。

 

 一方のフェリックス・フォン・ミュンツァー中佐は権門四七家の一つにして武門十八将家が一つミュンツァー伯爵家の末端の分家筋に当たるハウフドルフ=ミュンツァー上等帝国騎士家に属する四十代半ばの宇宙軍軍人だ。こちらは戦艦の艦長であったそうでティアマト星系で艦を喪失後生存者を臨時陸戦隊に編成して地上戦を展開、最終的には装備の大半を失い、部下の大半も戦闘に耐える状況ではなくなり止む無く降伏しこの捕虜収容所に収監された。コーゼル大佐程過激ではないが毎週収容所の捕虜達に演説をし、新聞やニュースから同盟の軍事・政治・経済研究を行い、机上演習や殆ど軍事訓練のような鍛錬を同志達と行っている事が知られている。

 

「ボーデン大将以下の主要幹部は、こう言っては何ですが日和見の嫌いがあるようですから」

 

 シュミット大佐の言の通り、現在のサンタントワーヌ捕虜収容所自治委員会の主要幹部は積極的に民主主義に共感を覚える訳でなければ亡命政府に協力するのでもない、だからと言って帝国への帰還を求める訳でなければこの捕虜収容所で反同盟活動をしている訳でもなく、唯々サロンを開き、趣味に興じるばかりの者が大半であった。

 

 まぁ、それもある意味当然である。民主主義は元より生理的に無理であろうし、亡命政府に協力するのも領地に残した家族や臣下の事があるしそれが良くてもどうせ新参者として下に見られる。と言っても帝国に帰還する気にはなれない。捕虜となるのは恥であるし特に現在の自治委員会幹部の多くはオトフリート五世時代に捕囚となった身、権力闘争で前線に負担を押し付けた宮廷に思う所があるだろう。何よりも現皇帝が道楽と遊興にふけっていたフリードリヒ四世となると忠誠を誓う気にはなれまい。反同盟活動を行う程無謀でもないので多くの幹部は保険で保障された収容所内での(門閥貴族にとっての)それなりの生活を続け、各々の趣味を楽しんでいる訳だ。

 

「尤も、若い捕虜には自堕落にも見えるのでしょうね。あの二人は収容所内のそういう不満を持つ者を集めているようです」

「ええ、こちらの幹部会でも監視対象とされていますよ、過激思想を堂々と演説していますから。それで大佐の下にもあの二人が来たわけですか。形ばかりの下っ端でも集まればそれなりの影響力がある、と」

「そのようです。やれやれ、私はここの暮らしを気に入っているのですがねぇ……」

 

困った表情を作る大佐。

 

「何かあれば自治委員会上層部か、我々に御報告下さい。可能な限り迅速に対応させて頂きます。ああ、そうでした、こちら注文の珈琲ですよ」

 

 私は以前頼まれていたインスタント珈琲の袋と幾つかの菓子箱を差し出す。

 

「ああ、助かりますよ。御代は後程御渡しします。お飲みになりますか?」

「ぜひ」

 

 差し入れした珈琲をカップに注ぎ、給湯器で湯を入れ大佐は私の目の前のテーブルに置く。私はそれに応えるようにベレー帽を取り安物のソファーに座る。

 

「そうそう、聞きましたよ。どうやら随分と許嫁の御嬢様が派手にお越しになられたそうで」

 

私は口に含んでいた珈琲を吹き出しかけた。

 

「げほっ……!ごほっ……けほ…けほ……嘘、話広がるの早すぎでしょう……!?」

 

 むせる私の元に従士達が駆け寄り慌ててハンカチを渡し、背中を摩られる。私は咳をしながら涙目で大佐を見た。

 

「何せこの話題の少ない収容所、しかもここ最近は外出を控える者も多い。それに御貴族様の御話ですからね、属する国は違えど同じ貴族の話題と言う事でここの貴族階級の捕虜の間ではそこそこ話題になっています」

 

 そして、同じ収容所にいる平民階級にも伝わり結果全体で話題になるわけ、か。帝国人は同じ階級で会話をする事が多く、貴族同士での噂や会話は宮廷帝国語を使うがここの捕虜は平民でも富裕層が多い。語学力の面でも文化的にも貴族と変わらない者が多いからこその広がりだろう。

 

「いや、お恥ずかしい。夏の日差しから逃げるにしてももう少し大人しくやって欲しいのですが……」

「彼方にも体面がありますからね、あれでも無理と妥協をしたのでしょう?」

 

 その言葉を私は否定出来ない。面倒な時期ではあるが貴族の面子として貧相な事をすれば陰口を叩かれる。だが同時にケッテラー家も人手不足で動員された警備や使用人は亡命政府資本の警備会社や人材会社から臨時に雇い入れたり、親戚筋から借り受けた従士や奉公人が相当数を占める。ド派手に見えるがあれでも伯爵家の格式と現実的な予算の範囲で恥ずかしくないギリギリの範囲で妥協したものだった。

 

「同盟人にとってはあれでも派手ですからね。今はどうあれ建国以来の伯爵家の権威から見れば確かにあれくらいは当然ではあるのでしょうが……」

 

 そこまで口にして私は言い淀む。同盟人には爵位や門地による権威の差がどれくらいのものか、門閥貴族がどれ程の支配権を持っているのか良く分かっていないものも多い。故に貴族の見栄張りの基準も分からない。

 

 四〇〇〇を越える門閥貴族は最低の男爵位、その中でも最小の貧乏男爵ですら十数万の領民を持ち、ドーム型都市や地方都市、人工天体の領主であり、鉱山や大農園のオーナーである。

 

 そして門閥貴族の九割以上は男爵や子爵、伯爵位以上は二〇〇家余りしかない。伯爵位ともなると最小でも一惑星の過半と一〇〇〇万人を越える領民を支配し、平均すれば有人惑星を有する星系を一つ以上、数十個の無人星系に十数個の鉱山、数百の荘園、数百万の奴隷と数千万の領民、十数万の私兵を保有する大領主だ。

 

 無論、今言ったのは平均した伯爵位の規模である。当然帝国開闢以来からの歴史を誇る権門四七家(ルドルフ大帝時代に伯爵位以上の爵位を得た家)に連なる家々は最低の伯爵家でもほかの伯爵家とは格が違う。

 

 オーディンの典礼省の記録によれば同盟に亡命する直前の時点でケッテラー伯爵家は二つの有人惑星と三八の無人星系、それらに置かれた三一の鉱山と四つのドーム型都市、一つの人工天体、荘園二一四個を有していた。奴隷の数は五〇〇万、領民は七一〇〇万に上り、分家として子爵家二家、男爵家七家、帝国騎士家一九家を枝分けし、二〇〇家近い従士家を従える押しも押されぬ大貴族であった。その頂点に立っていたという「事実」は亡命した後も消えず、貴族社会においてはその出自に相応しい態度と出費を求められる。

 

「落ちぶれても気品を求められる。税収も利権も減っているのに出費は同じですからね。しかも下手にけちると周囲から侮蔑される。そして悪評が広がると貴族にとっては致命的……大貴族とは難儀なものですね」

 

 大佐は憐れむように語る。当主がヘタレた挙げ句、社交界から追放されたクロプシュトック侯爵家の嫡男(暫定)が口にすると説得力が違う。社交界から追放されれば親族や家臣の婚姻も敬遠され、官職の席も回ってこない。新規のインフラ事業や鉱山開発等の儲け話も回ってこなければ通商航路から外されるようにもなる。行き着く所まで行くと家臣がほかの門閥貴族に仕える縁者を頼って鞍替えし始め、商人等の富裕平民も金に任せて移住を始める。

 

 ……今更ながらこれで当主は隠居も自裁もしないんだからある意味凄いよな。絵画や荘園程度と引き換えに社交界復帰を許したブラウンシュヴァイク公爵は(門閥貴族基準で)聖人かよ(社交界復帰のために裏で派閥を宥めていた筈だ)。そりゃあ寛大に許したのにボンバーマンされたら面子のために領地に突撃して略奪しに行くわな。

 

………やはり実家との関係が大佐の偽称に関係しているのだろうか?

 

「私のような立場の者が偉そうに言うのも何ですが、平民にも平民の苦労と言うのがあるのでは?」

 

 私は少し意地悪な質問を投げかけた。それは随分と貴族生活が面倒とは言うが平民の生活とて気楽ではなかろう、貴方は平民の生活をどこまで知っているのだ?という意味だった。仮に本当にクロプシュトック侯爵家の生まれであれば平民の気苦労は分かるまい。ここでボロを出してくれたら良いが……どうやらそう甘くはないようだ。

 

「否定はしませんがね、とは言え私も富裕層の出ですから。寧ろ金はあっても貴族のように無理してまで体面を守る必要が無いだけ気楽に思えます。まぁ……中流以下の平民には別の苦労もあるのでしょうが、そこまで行くと生きている世界が違うので私も想像が出来ませんよ」

 

 上手い切り返しだ。階級社会の帝国では貴族同士、平民同士、ましてや農奴や奴隷ですらその内部で細かく区分され文化や生活水準、価値観にまで差がある。富裕市民層は平民階級の最上位であり貴族階級に近い生活と贅沢をし、貴族階級の特権に付随する柵や面子とは無縁だ(無責任ともいう)。貴族の体面と中流以下の平民の生活を挙げて答えるのは説得力がある。そしてその内部でも大きな違いがある平民達を全て一括りにして見なす大貴族はその事に気付きにくい。クロプシュトック侯爵家ともなると全て纏めて賎民扱いで考えても可笑しくない、言葉だけ聞けば侯爵家の人間の言葉とは思わないだろう。

 

 だが、同時にあくまでもその内容は富裕市民の物言いではない。富裕市民は貴族階級に憧憬と共に敵愾心を抱き、中流以下の平民階級には同胞意識と共に蔑視を抱いてきた複雑な階級だ。常に貴族階級と平民階級の狭間で価値観と文化面で揺れ動いてきた立場……そしてその事を余り自覚出来ているとは言い難い。彼の認識はフェザーンの帝国階級社会に対する客観的な学術分析に近い。富裕層に属する本人から出るとは思えなかった(因みに帝国ではより上位身分を遺伝子的優良種として神聖視し、同盟では平民以下の階級を一括りにした搾取される被害者層と認識する者が多い)。

 

 即ち、その言葉は自身の考えではなく恐らくはフェザーンの文化分析書籍から拝借した言葉であろう。私が伯爵家の人間だから平民階級を一括りにしていて関心の薄い人物と考えて口にしたのだろうが……その実、私が残念貴族である事には想像力が届かなかったらしい(態度と実績的に当然かも知れないが)。

 

「そうそう、友人……御存じだとは思いますがアイリーンとの面会の約束があるのですがそちらの許可は出ますか?時期が時期ですので可能な限り安全に会いたいのですよ」

「余程品行が悪かったりでもなければ面会許可が下りないなどという事はありませんよ。捕虜と市民の権利ですからね」

 

僅かに不安そうに尋ねる大佐に安心するように答える。

 

「そうですか。……いえ、分かってはいるんですが……頭では理解していても、なかなか帝国にいる時の常識が抜けないものですね」

 

 帝国では軍部なり警察なり、社会秩序維持局に睨まれたら友人や家族と会おうとしてはいけない。あらぬ疑いをかけられ周囲に危害が及ぶ事もあり得る。私に睨まれている大佐も似たような事が頭によぎるようだ。

 

「……本日はお疲れの御様子なので、早めに切り上げた方が宜しいですね」

 

 私は茶菓子を置いていくと、カップの珈琲を飲み干して立ち上がる。

 

「大佐、御不安に思う事もおありでしょう。元凶たる私が口にするのも嘘臭いかも知れませんが、私は貴方の味方でありたいと考えているのです。同じ「同胞」として貴方の助けになれると自負しています」

「……助けに、ですか」 

 

複雑そうな表情を浮かべる大佐。

 

「……まだ時間はありますが、永遠ではない事はお忘れなく。この平和な収容所で一生勤務するのは安全ですし気楽ですので私も長居したいのですが戦闘が激しくなる中、いつまでも勤務させてもらえるかわかりません」

「脅迫なのか助言なのか、少佐の言葉をどう解釈するべきなんだろうね……」

「少なくとも私は助言として口にしております」

 

 実際、私のような者以外が説得役(脅迫者とも言う)を行えばどの派閥出の者であろうともっと高圧的であるだろう。そして様々な派閥に揉みくちゃに利用される事は請け合いだ。正直利用されるなら統一派に繋がっている私に頼れる今が一番なのだが……。といっても信用されるか分からんだろう。口ではいくらでも言える。

 

「そう信じたいものですね………」

 

 憂いに満ち、力なく呟く大佐。少しずつ追い詰められているその姿を見て、思い出すのは彼の研究内容だ。ミヒャールゼン提督やクレメンツ大公もこのように逃げ場を失っていたのだろうか?

 

 同時に思う。クレメンツ大公は同盟に亡命を決め事故死し、ミヒャールゼン提督は亡命を選ばず殺された。逃げなければ死に、逃げようとしても死んだ。そして逃げた後も…………。大佐、あるいはグラヴァー氏、婚約者の少女、叔父達の境遇を考えると私は同盟にいる帝国人として異様な程に恵まれている立場である事を再確認する。

 

そしてそんな私が彼らにしている事は………いやはや、まるで弱い者虐めのようだな。

 

「同胞……同胞、か」

「若様?何か御座いましたか?」

 

大佐の部屋を後にし、廊下を歩く私はふと呟く。当然の如くベアトはどこか力の無い私に心配そうに尋ねた。

 

「いや、何でもない。気にするな」

 

 そう従士を安心させるように宥め、同時に私はアムリッツァ……帝国領遠征が決定した時の亡命政府や亡命者の気持ちにふと共感を覚えてしまっている事に気付いたのだった………。


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