帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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前話を少し修正しているので今話の前に読み直しした方が良いかも知れません


第百八話 先入観は良くないという話

「あー、ですからその件に関しては……」

 

 捕虜の蜂起とその対処……特に増援の受け入れや近隣住民・行政に対する対応……により騒がしさの増す捕虜収容所司令部にて、参事官ノーマン中佐は特に面倒な相手の応対を重ねていた。

 

 一方、ケッテラー伯爵家従士ヘイルハイム従士の方は必死だった。

 

 軍務よりも、どちらかと言えば屋敷での世話ばかりを生業としていたヘイルハイム従士家の老執事は、自身の主人が未だに安否不明と言う状況下において殆んどパニックになっており、手元の警備員だけでも主人の救出を敢行しようとする始末であった。当然それは非現実的提案であるし、従士としてもその余裕の無さは叱責される対象になり得るのだが、逆説的に見る者が見ればそれがケッテラー伯爵家における人材不足がどれ程の水準に達しているのかを証明していた。

 

「しかしこのままではお嬢様の御身に危険がっ……!!何かあったら貴方方はどう責任を取るつもりなのですかっ!!ああ、お嬢様……今頃どうしておられるのかっ……!!」

 

 狼狽しつつノーマン中佐の目の前で心底不安そうにそう呟く白髪の老執事。正直うざったいのだが、人質を無事に救出出来るのか?と言われれば中佐も自信を込めてそれを断言も出来ない。

 

 ノーマン中佐は苦い顔をしながらかれこれ三十分近くこのような会話を続ける老執事に再度落ち着くように語りかけようとした。次の瞬間であった。その声が響いたのは。

 

「落ち着くがいい老人よ。我々がいるからには、人質には怪我の一つも許さん」

 

 大柄の男だった。厳つい顔立ち、筋肉が引き締まった身体、視線だけで人を殺せそうな鋭い視線、それが気づけば中佐や老執事のすぐそばに佇んでいた。

 

「うおっ……!?」

 

 思わず仰け反るように驚くノーマン中佐を笑える者なぞいないだろう。其ほどまでに気配を完全に消していたのだ。

 

「老人、御気持ちは分かるがここからはプロの仕事だ。人質の安否ならば我々の名誉にかけて保証する。安心して欲しい」

「はっ……はぁ……」

 

 屈強な地上軍士官の言葉に老人はそう情けなく答えるしかない。其ほどまでに士官は背が高く、その屈強な肉体から来る圧力は有無を言わせない迫力があったためだ。こんな男の言葉にはい以外言える訳がない。  

 

 尤も、男の方には別に悪意もなければ高圧的に接するつもりもなかった。口調は丁寧であり、老人に対する態度は礼節を弁えたものである。厳しい顔つきも寧ろ彼としては誠意を示しているつもりだった。

 

 悲しい事に生来の顔立ちのせいで何より先に恐怖が先行してしまう。そして彼もまたその事にはとっくに慣れていたので、特に不快感も感じはしなかった。

 

「大尉、こちらに来てくれ」

「了解致しました、では……」

 

 ブレツェリ中佐の命令に答え、ノーマン中佐と老執事の双方に惚れ惚れする程に美しい(しかし顔立ちのせいで恐怖も感じる)敬礼をしてから所長の下に向かう男性士官。足音は聞こえない。

 

「よく来てくれた大尉」

「はっ!」

 

 クライヴ准将の呼び掛けに敬礼で大尉は答える。准将もそれに対して敬礼で答え、連絡をする。

 

「大尉達がここに来る少し前に幸運な知らせが来た。大まかではあるが立てこもる収容所棟の内部映像が入手出来た。人質の位置や監視の数も判明している。君達にはそれらを見て作戦の最終確認を行って欲しい」

「了解致しました。……しかしその映像は信用出来るのでしょうか?疑う訳ではありませんが前提条件の相違は人質の生命にも関わります。情報のソースの確認をしても宜しいでしょうか?」

 

 上官に対して大尉は堂々とそのように意見する。しかし、クライヴ准将もそれに対して目くじらは立てない。人質の安全のためには寧ろ当然の言及であった。

 

「情報のソースに関しては問題ない、我が軍の士官が蜂起の参加者に成り済まして携帯端末にて映像を送信している」

「成る程、では突入の際に誤射の危険性がありますな。その士官について資料を頂けますでしょうか?」

「う、うむ……」

 

 准将はそこで少々険しい表情を作り出すが、最終的には大尉に潜入した士官の資料を差し出す。大尉はそれをじっくり読み込む。

 

(巡り合わせの悪い……)

 

 准将は内心でぼやく。この大尉は良くも悪くも有名だった。優秀な地上軍兵士であり、特殊作戦への経験も豊富だ。専科学校を卒業して伍長として任官してから三十代前半で大尉である。その昇進速度から見ても有能な軍人といえよう。

 

 だが、悪い意味でも彼は有名であった。元を辿れば「カップ大佐反乱事件」に巻き込まれた帝国軍下士官であった祖父が連座を受ける前に帝国から亡命し、彼はその子孫に当たった。幼少時は不遇と言えただろう。突発的に亡命する事になったために亡命に対する備えも知識もなく、親族は亡命者が少ない地方の下町で極自然に帝国的価値観で生活したために周辺から孤立し、近隣から差別と嫌がらせを受けた。半分村八分にされていたと言える。

 

 このような境遇で育った人間にどのような人格が形成されるかには極端に差があり、多くの場合は差別に反発して極度に帝国(あるいは亡命政府)を信奉するか、あるいは同盟の体制を信奉する国粋主義者になるかである。

 

 彼の場合は後者だった。共和派の右翼学生団体から専科学校に入学した彼は、優秀な成績と戦功を挙げる一方、かつては帰還派や反戦派とのトラブルを起こした経験もある。流石に士官になってからはそのような軽率な行動はないが……准将にとっては情報提供者の身元を考えると何とも居心地が悪かった。

 

「問題はありません」

 

 准将の内心を察したのか、大尉が機先を制するように答えた。

 

「小官の言葉なぞ余り信用は置けないとは思われますが、私も公私の区別はつけているつもりです。このような場で自身の思想を優先するつもりはありません」

 

そして、資料を廻り大尉は続ける。

 

「そして、私は何よりも行動を重視致します。その結果として、私は情報提供者を信用に値する者であると判断しました」

 

 潜入して情報提供を行っている士官は、確かに彼にとって毛嫌いしている門閥貴族である。自由の国においてすら特権階級として高慢に振る舞う者共だ。

 

 だが、同時に経歴を見る限り、その人物は後方のオフィスで安穏とする臆病者ではないらしい。祖国のために血を流す真の軍人である。即ち……同胞だ。戦友だ。ならば、その者から伝えられた情報を疑うべき道理はない。

 

「……顔立ちは把握しました。部下にも徹底させます。これで我々が潜入中の友軍を銃撃する可能性は御座いません、御安心下さい」

 

 恐らく不測の事態を危惧しストレスが溜まっているだろう准将に対して、大尉は安心するように口を開く。

 

「……そうだと良いがな」

 

 准将の疲れた返答に大尉は型通りの敬礼で返し、さっと踵を返し司令部出口へと歩み始める。部下達と最終確認をする予定なのだ。

 

 1700時、こうしてアーノルド・クリスチアン大尉を隊長とする第九特殊作戦グループC小隊がサンタントワーヌ捕虜収容所司令部に到着した……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、ここだ。この隠し部屋を探すんだっ!!」

 

 自治委員会本部があるE-2号収監棟四階大広間、防弾硝子製の大窓がしつらえられたこの部屋で、コーゼル大佐が怒鳴り声を上げる。命令に従う捕虜達は、自治委員会本部の壁に設置された気密扉を必死でこじ開けようとしていた。尤も、ワイングラスを片手に余裕の表情で観察するボーデン大将の様子から見てまた外れであろうが。

 

 脅迫が無意味と理解したコーゼル大佐は室内の捜索を始めた。すると隠し部屋や金庫が見つかる見つかる……恐らく三十年以上かけてフェザーンの保険会社を通じて「内装工事」をした結果であろう、あるいは彼以前からの住民達が設置した物もあるかもしれない。

 

 どちらにしろ捕虜収容所側は無論知らなかったし、初期の設計図にも記載されていない。後で尋問が必要な案件だ。当然、フェザーンの保険会社に対しても抗議の必要があった。

 

 尤も、この手の会社は同盟兵士向けの捕虜生活保険や富裕市民向けの返還保険も運営しているであろうから形だけの物になるかも知れないが……。

 

 因みに中には帝国マルクにフェザーンマルク、同盟ディナール札の大金、宝石に指輪、金のインゴット、恐らくは違法入手の携帯端末、同盟・帝国・フェザーンの様々な階級の服装、偽造パスポートまであった。これだけでも後で同盟軍からの尋問があることは間違いない。

 

 五つ目の隠し部屋(あるいは金庫)もまた彼らの要望を満たす物は隠されていなかった。出てきたのは木製の貴金属入れである。中身を確認してもきらびやかな装飾品はあっても人の姿はない。

 

「ちぃっ……また外れかっ!!おいっ、そんな物は捨て置け!それよりも小娘だっ!」

 

 白金製の腕輪と金剛石が嵌め込まれた金の指輪をどこか怪しげな目で見ていた捕虜達をコーゼル大佐は叱責する。捕虜達は慌ててほかの隠し部屋を探そうとするが、大佐に隠れて数人がこっそりと宝石を懐に隠したのを私は見逃さない。

 

「全く……人の物をすぐにくすねるとは、賤民共は困ったものだな?」

 

 小声で呟く大将。だがそれが独り言ではない事を私は知っている。私に愚痴を言っているのだ。

 

 ちらり、と大将は自身を監視する捕虜……私へと視線を向ける。体格を誤魔化すための二重の捕虜服に髪型を変えて眼鏡もかけた姿は、恐らく元から怪しまなければすぐには私とは気付くまい。

 

 ここまで言えば諸君もお気付きであろう。今、私は自治委員会本部にいる。……反乱を起こした捕虜の振りをして、だ。

 

 三桁の捕虜の蜂起、しかも何割かは蜂起の流れに乗って参加した者すら含まれている。そうなれば一々個々人の顔立ちなぞ覚えていない訳だ。その上、帝国軍人の常識では亡命貴族で同盟軍人である私が蜂起した捕虜の中に紛れ込んでいるなぞ普通は考えない筈だ。そわそわせず、堂々と帝国公用語を話していれば案外バレないものだ。私はブランデンブルク師団の兵士かよ……。

 

 私はノルドグレーン中尉と一芝居打ってみる事にした。中尉には人質の役となってもらい、私が彼女を引っ捕らえたように装う。そして、監視役の捕虜には現場の上官より自治委員会本部の方に向かうよう命令を受けたと伝える。理由は確保した同盟軍人や市民の人質が増えているだろうから追加の監視役として送られたとでも言えば良い。

 

 実際、私達の芝居のように、隠れていたところを発見されて拘束された者がちらほら自治委員会本部に連行されており、蜂起後に参加した捕虜が自治委員会本部に回される所も見た。十中八九いける筈だ‥‥…そしてそれは実際上手く行った。中尉と私でそれぞれ懐に隠した携帯端末のカメラと通信機能を司令部に繋ぐ。中尉には銃を交換してもらい、ハンドブラスターを懐に隠させた。両手を縛る縄は当然ながら見せかけでしかない。

 

 そうやって潜り込んだ私達は、現在この自治委員会室内の情報を携帯端末で本部に伝えつつ、中尉は小声で特に人質となった兵士達といざという時の行動を話し合い、私はこのように自治委員会の重要人物の近くで監視しているように見せ「その時」に迅速に護衛に回れるように待機していた。

 

(後はベアトがどうしているか、と御隠れ中の御嬢様か……)

 

 私はちらりと人質達の群れを見る。見たところ二十名余り、うち重傷を負っているのが同盟兵が三名、それに護衛の黒服が一名……会話から察するに、恐らく黒服は脅迫に沈黙したために撃たれたのだろう。

 

「くっ……大丈夫かっ……?」

「う……うぁ………」

 

 両手を縛られた黒服が腹の辺りを撃たれた相方に問いかける。尤も随分と弱っているように見える。このままではそう長くはないだろう。司令部が早く救出作戦を実行してくれなければ死亡する可能性が高い。

 

(急所を狙い殺害しないのは見せしめ、あるいは同盟軍が救出作戦を行う際に足手纏いを増やすため……恐らくは両方か、間違ってはいない)

 

 問題は相手が脅迫に屈するようなタイプではなかった事か……。それにしても……。

 

(これは随分とチグハグな計画だな……)

 

 この自治委員会本部での会話と現況から見て、計画の不自然な推移に疑問を抱く。曲がりなりにも三桁の同志と、彼らに十分行き渡る数の銃器と爆弾を用意出来ているのだ。計画は何年もかけて行っていたと考えるのが妥当だろう。

 

 にも関わらず、人質として狙ったのは偶然訪問した伯爵令嬢である。しかも、訪れる日が決まったのは直前のため十分な下準備ができる猶予は無かっただろうし、案の定取り逃がすと来ている。それならばいっそブラフをかけて同盟軍に要求をすれば良いのに、それもせず律儀に見つけ出してからにしようとしていた。……いや、そもそもコーゼル大佐自身、この捕虜収容所に収容されて二年程度の筈。こんな大それた事をするには時間が足りない筈だ。となると……。

 

(装備の出自から見ても恐らく………)

 

 私は大体の予想をつける。状況証拠しかないが、詳しく事情聴取すれば恐らくは裏付けは取れるだろう。

 

まぁ……そんな事、今はどうでも良いのだけれど。

 

 今大事なのはベアト達とグラティア嬢の安否、更に言えば私や人質達が同盟軍の突入の時にどう対応するかであろう。

 

「ちっ……!糞ったれがっ!!こんな物今はいらないんだよっ!!」

 

 また新しく見つけた金庫から宝石類を掴むと、感情に任せて乱暴に床に投げ捨てるコーゼル大佐。怒り心頭な大佐とは裏腹に数名の捕虜は飛び散った宝石に目を奪われる。大佐がそんな捕虜達をギロリと睨み付けると慌てて捕虜達は目を反らした。

 

「ふんっ!………うん?」

 

 捕虜達の態度に鼻息を鳴らした大佐は、しかし次の瞬間、神妙な表情を作り出す。

 

「…………おい貴様ら、このテーブルを退かせろ、椅子も撤去して絨毯を捲れ」

 

 ………あ、これはヤバい。絨毯の皺とテーブルの位置のズレに気付いたか。

 

「で、ですが……」

 

 捕虜達は一瞬戸惑う。テーブルの上には幾つもの皿があるし、自治委員会幹部達に腰を上げる気配はない。もし絨毯を捲ろうとすれば貴族である自治委員会幹部を強制的にどかせる必要があった。それは流石に彼らにも抵抗があったらしい。逆に言えば、そうそう考えつくことではなかったためにここまで捜索されなかったとも言える。

 

「何だ?嫌か?」

 

 尋ねるように語りかける大佐に、捕虜達は顔を見合わせた後恐る恐る頷く。

 

「もう一度確認するぞ、それほど嫌か?」

「流石にそれは……」

「そうか……」

 

 残念そうに大佐が答える、と同時の事だった。次の瞬間ブラスターの銃声と共に難色を示した捕虜の一人が頭部から血を流して倒れる。人質達が小さな悲鳴を上げる。捕虜達は唖然として上官を見た。

 

「……ほかに意見のある奴はいるか?」

 

 大佐は剣呑な声で尋ねた。思いのほか脅迫に動じず堂々としていた貴族達のせいで捕虜達が不安を感じ始めていたのを察していたのかも知れない。恐怖で命令を強制するのは軍隊において良くある手法だ。一説では士官の拳銃は元々逃げる味方に命令をするためのものだったとか……。

 

 どちらにしろ、効果は絶大だった。捕虜達は急いでテーブルをひっくり返した。高級なグラスや皿が床に落ちて砕ける。彼らは頑固に椅子に座りこむ自治委員会幹部の手足を押さえて引き摺るようにどかしていく。

 

「おいっ!やめろ!無礼じゃぞ!?やめろ!止めんか!!」

 

 少し前に銃口を向けられても平然としていたらしい幹部達は打って変わって必死にそう叱責するが捕虜達も命は惜しい。自治委員会幹部を拘束して椅子から立たせる、あるいは椅子ごと持ち上げて移動させてしまう。

 

「絨毯を捲れ!」

 

 それは私に命じられた命令だった。一瞬迷うがここで怪しまれる訳にもいかなかった。

 

 私はボーデン大将と一瞬視線を交差させ、次いでコーゼル大佐に従い絨毯を捲っていく。可能な限りゆっくりと行うが所詮は悪足掻きに過ぎない。すぐに絨毯の下から隠し部屋の取手が視界に入る。

 

「開けろ」

「……了解」

 

 私は恐る恐るといった感じにゆっくりと扉を開く。鍵がかかっている事を告げるが残念ながら鍵を見つけるのではなく大佐のハンドブラスターによる銃撃で鍵は破壊された。

 

「おい貴様っ!何て事を……うごっ!?」

 

 ボーデン大将が大佐の行為を非難しようとするがすぐに大佐の命令を受けた捕虜により口を塞がれる。そして再度大佐は私に扉を開くように命令をする。

 

「………」

 

 私は恐る恐る小さな扉を開いた。次の瞬間、私と小さな隠し扉の中で丸まって小動物のように怯えている少女の目が合う。

 

「っ………!」

 

 私は息を飲む。私を見る瞳は完全に震えあがっていた。私を悪魔か何かのように凝視する。どうやら先入観もあるだろうが、私が婚約相手であるとは気付いていないようだった。

 

「……失礼、お越し願えますか?」

 

 私は周囲に動揺を見せないようにそう礼節を持って紳士的に頼み込む。

 

「………分かりました」

 

 周囲を見渡し、目を閉じ、口元を震わせた伯爵令嬢は何かに耐えるように、苦渋の口調でそう答え、ゆっくり立ち上がろうとする。私はその手を持って支える………と共に私は周囲を確認した後に一瞬近寄って耳元でそっと囁く。

 

「早まらないで下さい、もう少しすれば救助が来ます」

「えっ……?」

 

 疑問と共に伯爵令嬢は小さくそう呟くが私は返事はしない。そんな暇が無かった事もある。次の瞬間、横合いから伸びた太い筋肉質の腕が少女のか細く白い手を引っ立てる。

 

「さっさと立て!小娘がっ!」

「きゃっ……!?」

 

 怒鳴り声と共にコーゼル大佐が力づくで立たせたためにグラティア嬢は恐怖の悲鳴を上げる。温室育ち……とは言わないが流石にこの状況で怯えるのは寧ろ当然だ。

 

「ふんっ!ようやく見つけたぞ……!おい!ミュンツァーを連れてこい!ようやく要求が出来そうだ……!」

 

 コーゼル大佐は怯えるグラティア嬢の頭にハンドブラスターの銃口を向けると部下の一人にそう命令を叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一度自治委員会本部を去ったミュンツァー中佐が部下を連れてコーゼル大佐の言で再度戻って来たのは1710時の事であった。部屋の出入り口でコーゼル大佐はミュンツァー中佐を出迎える。

 

「どうですか大佐、そちらは?」

 

 戦闘の後か汚れた服装でミュンツァー中佐はコーゼル大佐に尋ねる。

 

「ん?ああ、中佐か。ようやく小娘を見つけた所だ。……ふんっ、よりによって床下で縮こまっていやがった。見てみろ、まるで怯え切ったマルチーズだな。武門貴族の娘の癖に情けないものだ」

 

 自治委員会本部室の隅に視線を向けた大佐は小馬鹿にするように鼻を鳴らす。監視の捕虜二名に囲まれた伯爵令嬢は一見気丈に振舞っているように見えるが、すぐに肩を竦ませ、足は震え、捕虜達の表情を伺っている事が分かるだろう。コーゼル大佐にとってはその姿は愉快なものに見えた。ビッテンフェルト家やルッツ家等と並ぶ士族の名門生まれの彼にとって武門貴族はある種気に食わない存在の筆頭であった。

 

 武門貴族は自分達こそが帝国軍の支柱と考えているが、コーゼル大佐からすればそれは間違いだった。確たる戦果を挙げた先祖なら兎も角、五世紀もの間宮廷で権力闘争を繰り返し、領地の私兵軍で軍隊ごっこに興じている今の武門貴族共を敬う理由なぞ無かった。まして亡命貴族!元より堕落した貴族共は嫌いだがその上、武門の癖に亡命してまで宮廷ごっこに興じる者達なぞ嘲笑と侮蔑の対象でしかない。

 

「まぁ、そんな事はどうでも良い。それよりも中佐も随分と汚れているが、地下の鼠は掃除出来たのか?」

 

中佐の出で立ちを観察した後、コーゼル大佐は尋ねる。

 

「鼠、というには中々手強かったですがね。余裕を持って追い込んだつもりですが五名も殺られました。最後は人質を使いようやくです」

 

 ミュンツァー中佐は地下通路での戦闘を思い返す。地下の部下達からの連絡で向かったのだが……足手纏いを二人も連れた状態で奮闘していた女性軍人の顔をミュンツァー中佐は知っていた。少し前に赴任した亡命政府の従士の娘だった。

 

 尤も、中佐もこの少佐を所詮唯の世話役かと思っていたが……甘すぎる考えであったと現在は思う。女ではあるが主人に負けず劣らず狂暴な武門貴族であった。肩と足を撃ち抜かれたにも関わらず暗闇で反撃して二人殺された時には部下達がたじろいだ程だ。最後は人質を取る事でようやく確保に成功した。

 

 そう語ってミュンツァー中佐は後ろに控えさせた部下達に確保した従士と裏切者と市民を連れてこさせる。基本的に人が足を踏み入れる事の少ない地下配線通路にいたからだろう。砂と埃、そして出血と返り血に塗れた金髪の少佐は、引き立てられる度に銃創の怪我から苦悶の表情を浮かべている。

 

 この屈辱的な状況、ゴトフリート少佐の気質からして連行される前に自決しても良い筈ではあった。だがミュンツァー中佐も同じ帝国貴族の出、その価値観は理解している。彼はすぐに先手を打ち、自決した場合、護衛していた捕虜と市民を射殺すると脅迫していた。

 

「女で、この年で少佐か。うん?こいつ……どこかで見覚えがあるが………」

 

 曲りなりにも貴族であるミュンツァー中佐と違いコーゼル大佐は士族階級であり、貴族嫌いである。すぐに連行された同盟軍人が昨年配属された亡命貴族の付き人である事を思い出せなかった。結局、ミュンツァー中佐の説明でどうにか思い出した。

 

「ああ、そんな奴もいたな。ふん、お高く留まった従士様も所詮実戦ではこんな物だな」

 

 小馬鹿にするように鼻を鳴らした大佐、ゴトフリート少佐はそんな大佐にぎろりと殺意を含んだ視線を向ける。コーゼル大佐は怯えるどころか特大の敵意を向けて来る少佐の態度に舌打ちをすると、続けて連行された捕虜服の男を不機嫌そうに睨みつける。

 

「シュミット大佐、このような形で再会した事、真に残念だと思うぞ?」

「そ、それはどうも……かな?」

 

 両腕を縛られ、レンズの割れた眼鏡をかけたシュミット大佐が弱弱し気に答える。暴行を受けたからだろう、鼻血を出して、顔に痣がある。

 

「どうかね?今からでも遅くはない。我らと共に崇高なる帝国軍人としての本分を果たすつもりは無いか?」

 

 笑み……友好的というよりも肉食動物が獲物に向けるそれに酷似していた……と共に殆ど脅迫に近い提案をする士族。

 

「コーゼル大佐、それにミュンツァー中佐。こんな事は止めた方が良いよ、今からでも降伏するべきだ。今なら同盟軍も君達の早期返還を認める筈……ぐふっ!?」

 

 確かに同盟軍にとってもトラブルや暴動を起こす捕虜をいつまでも収監するより帝国に突き返した方がマシだ。今なら降伏と交換条件で優先的に捕虜交換リストに載る事も可能な筈だった。だがシュミット大佐の提案は即座に腹に受けた拳の一撃と共に却下された。

 

「非国民めっ!一度の降伏すら許され難いというにまた降伏しろだとぅ!?ふざけた事を抜かすな、モヤシがっ!それに奴らの事を同盟軍なぞと呼ぶな!反乱軍だ!」

 

 そう言って呻くシュミット大佐の顔面を殴りつける。衝撃で眼鏡が床に飛んだ。

 

「よ……ハンスっ!?」

 

 殆ど悲鳴に近い声でシュミット大佐の名を呼ぶのは服装からも明らかに民間人と分かる女性だ。アイリーン・グラヴァーに視線を向けた後、コーゼル大佐は一層不快そうにシュミット大佐を見つめる。

 

「情けないものだな、シュミット大佐。その臆病さは反乱軍の娘に誑かされたか?呆れ果てたものだな?この帝国軍の恥さらしめ!」

 

 シュミット大佐はその挑発に乗る事はなく、だんまりを決め込む。代わりに食いついたのはグラヴァーの方だった。

 

「両手を縛って、人質まで取っておいて何を偉そうな事言っているのよ!そもそもここにいる時点であんただって同じ穴の貉でしょうがっ!」

 

 怒気を含んだグラヴァーの言葉にコーゼル大佐はぎっと睨みつける。

 

「武器も持っていない女で良かったな、男か軍人ならここで射殺してやったぞ……!」

「……大佐、お喋りはここまでにしましょう、時間が惜しい」

 

 グラヴァーの顔に一発殴りつけてやろうかと思っていたコーゼル大佐に対して、しかしミュンツァー中佐は意見する。唯でさえ当初の予定が狂っているのだ。これ以上の遅延は避けるべきであった。

 

 コーゼル大佐は一瞬不機嫌そうにミュンツァー中佐を見るが、舌打ちしてその諫言を受け入れる。身分的には相いれない二人だが、共にこの捕虜収容所に収監され続けている事、そして自治委員会上層部への不満という点では一致していた。此度の蜂起に対してもこの二人が協力しなければ実現は困難であっただろう。ここで態々その協力関係に亀裂を入れる必要は無いし、大佐もその諫言に理がある事は理解していた。

 

 中佐の部下達が引き立てた新しい人質達を改めて一瞥し、コーゼル大佐は踵を返して自治委員会本部の部屋へと入室する。次いで中佐、そして中佐直属の部下と引き立てられた部下が後に続く。

 

「ようやく通告が出来るな。貴様ら、その小娘を連れていけ!」

 

 監視役の捕虜にコーゼル大佐は命じる。この大部屋の隣に設けられた部屋にはテレビ電話があり、主に自治委員会上層部の門閥貴族達がフェザーンの保険会社に要望の物品を取り寄せさせたり、収容所の同盟軍幹部を「呼び寄せる」のに使われていた。

 

 彼らにとってはこの蜂起は予定外の連続の結果だった。元々の計画は何ヵ月もかけて計画された物であった。それが土壇場で続行不能となったのは仕方無い事だ。彼らからすればそのまま次の機会まで雌伏する事を考えていた。

 

 だが、自治委員会の幹部達がコーゼル大佐達の計画を朧気ながら嗅ぎ付けた事が引き金だ。もし発覚すれば彼らは自治委員会幹部を除名……いや、もしかしたら同盟軍に計画が密告される可能性すらあった。

 

 結果として、彼らは自治委員会に事が露見する前に蜂起する事を強いられた。そしてそれが今日である事は偶然ではない。

 

 コーゼル大佐もミュンツァー中佐も民主政治に共感はしなくともどのような政治体制であるかはこの捕虜収容所でそれなりに研究し、その弱点を研究していた。自治委員会に所属する貴族が幾人死のうとも政治家や反乱軍の上層部は兎も角、市民達は関心を持つ事は無いだろう。民主政治において人質としての価値は低いと言える。

 

 その点、亡命貴族と言う存在は、ある意味唯の市民よりも遥かに人質としての利用価値があった。法的には同盟市民であり、しかし同盟の絶対的多数にとっては必ずしも同胞として扱われない。

 

 更に踏み込めば政治的・経済的には同盟社会に小さくない影響力があり、帰還派の亡命者やほかの亡命貴族にとっては同胞である。しかし同盟市民の多数派にとっては所詮一市民でしかない。そこに利用価値があった。

 

 ……実の所、蜂起した捕虜達の大半には伝えていないが、コーゼル大佐もミュンツァー中佐も生きて帝国に帰還出来るとは考えていなかった。

 

 いや、正確には帰る訳には行かなかった。帰った所で降伏した帝国軍の恥さらしとしての汚名が待つだけだ。寧ろ故郷や親族のために彼らは名誉の戦死をする必要があった。そして、同じ戦死ならば可能な限り反乱勢力にダメージを与える方法を………。

 

「さて、ここからが本番ですか………?」

 

 ミュンツァー中佐はそう大佐に声をかけながら、情けなく拘束されている自治委員会の幹部達を見やり、ふと違和感を感じた。

 

 そして中佐は拘束されているボーデン大将が驚愕の表情を浮かべて誰かを見ている事に気付き、極自然にその視線を追う。その先には既に捕らえられた人質達の姿とそれに合流しようとしている三名の新たな人質が映る。

 

「………?」

 

 目の前に銃口があろうとも平然と葡萄酒を吟味できる大将が何に驚愕しているのだろうか?中佐が疑問を感じていると、ふと人質の中に見覚えがある顔立ちを確認する。

 

「あれは……もう一人の付き人はもう確保済みでしたか」

 

 中佐はコーゼル大佐に尋ねる。彼の確保した少佐と共に、亡命した大貴族の付き人の姿があったからだ。無論、それがボーデン大将の表情の意味と繋がるとは思えないが………。同時に中佐は捕らえた付き人達の主人が人質の中に居るか自然に探していた。尤も人質の中に該当する顔はない。となれば、恐らく彼女らが逃がしたのだろう。まぁいい、人質は伯爵令嬢だけで十分だ。寧ろあの少佐はいない方が良い。

 

 そもそも貴族嫌いで関心の薄いコーゼル大佐と違い、中佐の方はその婚約者を人質にする予定だった事もあり、赴任していた亡命貴族出身の将校を十分に警戒していた。反乱軍の憲兵共からの評判は悪いが、中佐にとってはその高慢な態度と荒々しい経歴は古き良き武門貴族を彷彿とさせる。寧ろ、堕落した亡命貴族にも未だ見習うべき者がいるのだと感心したものだった。これまでの経歴からすると、逃亡せずどこかに潜伏していたとしてもおかしくはない。

 

(そうだな、先祖に倣うのなら……例えば変装して敵に紛れ込んでいる可能性もあるかも知れん)

 

 半分有り得ないと思いつつも室内の捕虜達にふと視線を移す中佐。と、そこで中佐は一人の捕虜に注目した。伯爵令嬢を監視していた捕虜は無表情を装いながらも隠し切れない驚愕の表情を浮かべてボーデン大将と同じ方向を見ていた。中佐はその態度に疑念を持ち、次いでその捕虜の出で立ちに違和感を感じた。

 

 捕虜が中佐の視線に気付き、両者の視線は交差する。ここまでの時間は恐らく十秒も無かっただろう、ミュンツァー中佐はその捕虜にどこかで見たような既視感を覚える。そう例えば、先程まで脳裏で意識していた亡命貴族の子弟に良く似ているようにも…………。

 

「っ………!?」

 

 ミュンツァー中佐が驚愕と共に腰の火薬式の拳銃を抜くのと、捕虜が舌打ちと共に横で同じく監視についていた捕虜の首根っこを掴んだのは殆ど同時だった。中佐の発砲した拳銃弾はしかし、射線に引きずりこまれた哀れな捕虜の腹を抉った。彼は何が起きたか分からぬ間に絶命する。

 

 中佐は殆ど反射的に身を翻していた。同時に腹を撃たれた捕虜の胸から飛び出した光条が中佐の先程までいた空間を通り過ぎ、不意打ちでその先にいた中佐の部下の一人を撃ち抜いた。この時点で誰も何が起きたのか分からなった筈だ。

 

 床で体勢を建て直した中佐は即座に拳銃を唖然とした表情の伯爵令嬢に向けた。同時に侵入者は既に盾にされて絶命した捕虜ごと伯爵令嬢を守るように中佐の拳銃の射線に滑り込む。

 

 だがそれは中佐の狙い通りだった。次の瞬間に中佐は銃口を拘束されている自治委員会幹部達に向けて潜入者に脅迫の言葉を口にしようとして……光条に拳銃を弾き跳ばされた。

 

「っ……!?」

 

 拳銃が弾き跳ばされた事とそれに伴う右手の激痛に中佐は驚愕の表情を浮かべる。光条の元をたどれば、そこには先ほど拘束されていた筈の付き人の中尉の姿。見れば中尉の足元では捕まっていた人質達のうちの数名が立ち上がり、捕虜達に襲い掛かろうとしていた。音に反応して中佐の方向を見ていた捕虜達は前を向き直すと驚愕の表情と共に銃を向けようとする。

 

 ミュンツァー中佐が再度視線を戻せば、中尉が彼に向けて狙いを定めようとしているのを確認する。それに対応するように中佐は慌てて予備の拳銃を引き抜こうとして………。

 

「全員その場を動くなっ!」

 

 コーゼル大佐の怒声にその場にいた全員の動きが止まった。銃口を人質達に向けていた捕虜も、そんな捕虜達に襲い掛かろうとしていた人質の同盟軍兵士も凍り付くように動きを止めた。訳の分からぬままに怯える伯爵令嬢を庇うように立ってた潜入者は苦虫を噛み、ノルドグレーン中尉とミュンツァー中佐は互いを牽制するように微動だにしない。ボーデン大将以下の自治委員会の幹部達はある人物を見つめた後深刻な表情を浮かべ熟考し、軍属や民間人の人質はコーゼル大佐の掲げる手……正確にはその手の中の物を見て戦慄していた。

 

 場の全員の視線がコーゼル大佐の手元に集中する。彼の手元にあったのは安全装置を引き抜いたジャスタウェイであった………。


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