帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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今章は今回含めて後二、三話程で終わる予定です


第百十話 現実は生き残る事がまず難しい

 彼にとってその少年時代は恐らく最も幸福な時代であり、そして絶望の始まりであった。

 

 二〇年以上経った今でも彼は思い出す事が出来る。「新無憂宮」………この世全ての美が集められた楽園、その南苑は皇帝を始めとした皇族が生活を営む場所であり、本来ならば門閥貴族とはいえそう易々と入る事の許されない場所だ。

 

 だが彼は日常的にその地に立ち入る事が許されていた。より正確に言えば、南苑の一角にある「ニンフェンブルク宮殿」へ殆ど日常的に訪れていた。

 

 女神達の城を意味するそれはリヒャルト大公亡き今、事実上の皇太子となり権勢を振るうクレメンツ大公一家の住まう宮殿であり、バロック様式の大宮殿では毎日のように大公とそれを支持する、あるいは取り成しに訪れる貴族達が祝宴とアルコール交じりの談合……彼らの言によれば帝国の将来を真剣に討論しているそうだ……を繰り返す不夜城と化していた。その宮殿の広間の様相は非好意的な者の言を借りるならば「下町の酒場の如き醜態」というべき惨状であったという(尤も、それは流石に言い過ぎであろうが)。

 

 幼い彼を連れた父も、流石にこの少々無礼講に過ぎる祝宴に子を参加させるのは好まなかったようで、多くの場合彼は宮殿の中心から外れた屋敷に連れられた。所謂古代フランス様式の庭園に囲まれた屋敷は、色鮮やかな草花が咲き誇る美しい場所であった。

 

 そして彼はそこでほぼ確実に幼い少女の世話役を命じられた。正確には世話役よりも遊び相手という表現が相応しいだろう。実際の世話は一ダースはいる侍従と女中がすぐ側で控えており、しかもその外側には炭素クリスタル製の騎士甲冑を着た近衛兵達が少女達を囲むように守る。彼のやる事と言えば気紛れで飽きっぽいお転婆娘のままごとなり花遊びなりに付き合う事であった。正直な話、自宅の使用人達を使った軍隊ごっこの方が彼にとってはずっと楽しいものであったが、だからといって少女の我儘を無視する事は許されないし、父も厳しくその事については注意をしていた。

 

「ねぇー、おはなしきいているの?」

「え?はい、勿論ですともフロイライン」

 

 草花の咲き誇る庭先の一角、敷物の上で座り絵本を開く子供に言葉に彼は我に返る。しかし少女の方は頬を膨らませて不満気のようで彼は気付かれない程度に溜息をつくと手元で編んでいた花の冠を差し出す。

 

「フィリップは闇の魔導士シャンバーグの嗾けた魔物達を次々屠り、シャンバーグの悪辣な罠を掻い潜って遂に討ち取るのでしょう?」

「うん!それでね、囚われのマグダレーナ姫と幸せに暮らすの!」

 

 童話『マグダレーナ姫』の絵本を放り出して少女は御機嫌そうに頭を向ける。彼は少女の期待に応えて花冠を彼女の頭に優しく載せた。

 

「えへへ、ねぇねぇ。かわいい?」

「ええ、勿論ですとも。イレーネ様の髪の色に合わせて白薔薇を使いました、良く映える筈ですよ。鏡を見ますか?」

「みるー!」

 

 すぐに控えていた女官が進み出て恭しく銀の取手を付けた手鏡を差し出す。彼はそれを受け取ると少女の顔が映るように固定する。

 

「わぁ!」

 

 歳相応の感性を持つ少女は目を輝かせて鏡の中に映る自身を見つめる。暫しの間様々な角度で観察し、気が済んだのか、その後に少女は彼の方に満面の笑みを浮かべる。

 

「これかわいいわね、ありがとうね!」

「いえ、この程度の事お安い御用で御座います。イレーネ様の御望みであれば私の力の限り叶えさせて頂きます」

 

 年下の少女(とは言え二、三歳程度年上なだけだが)の礼にしかし、彼は貴族が皇帝にそうするように恭しく答える。例え寵姫の娘であるとは言え、次期皇帝となる者の娘であり、母方もまた生粋とは言わねども門閥貴族……しかも幾つかの権門四七家の血を引く出だ。立場では少女の方が上であり、彼もまた子供とは言えとるべき態度について理解していた。

 

「もう!またそうやってすぐにかたくるしーこという!かざったようないいかたはいいの!もっときさくにして!」

 

 しかし、その門閥貴族の子弟としての態度に対して少女は再度不快気に頬を膨らませる。この大公姫はほかの姫君に比べて他人行儀を好まず、下の者達に対しても比較的気さくで、他者にもそれを求める嫌いがあった。

 

 尤も、サジタリウス腕の反乱勢力ならいざ知らず、厳しい身分制度を敷くゴールデンバウム王朝ではその性格は寧ろ仕える者達にとっては困ったものであった。気さくに、と主人から叱られたとしても、付き人や使用人達にとってはそれを額面通り受け取る訳にはいかない。門閥貴族や皇族の気紛れによって下級貴族以下の者達の生殺与奪が握られている以上、礼節を逸した言葉を口にするリスクを犯せる者は滅多にいないし、少女は良くとも周囲のほかの大貴族、特に次期皇帝の最有力候補たるクレメンツ大公の存在を思えば実際に対等に近い口を聞ける者は極々僅かの大貴族……それこそ権門四七家に名を連ねるような名家位のものだ。

 

 逆に言えばそんな数少ない気さくな会話ができる少年すら周囲の女官達のような態度を取るため、一層少女は不機嫌にしている面もあった。とは言え………。

 

「そうはおっしゃりますがイレーネ様、貴方様も帝室の一員、しかも御父上は皇太子殿下であらせられます。即位した暁には貴方様も皇女殿下、そのような御方に対して非礼な物言いを出来る程、私も太い神経は有しておりません」

 

 彼は教師が生徒に言い聞かせるように当然の事実を少女に教える。このような会話は過去何十回にも渡って繰り返されてきたのだが、この大公姫にはあまり効果はありそうになかった。

 

「いーでしょ!どーせわたしあなたのおよめさんになるんでしょ?おとーさまがいってたもん!」

 

少女は平然と爆弾発言を投げつける。

 

「それはっ………まぁ、そうなるだろうね」

 

 溜息をつきつつも彼は少女の発言を認める。皇太子が地盤固めのために娘を支持者の一族に嫁がせるのは良くある事だ。まして名家の出であり、国務尚書の地位を約束されているらしい父が自身を何度もこの少女に会わせるとなればその意味位流石に彼にも分かる。結婚式当日に初めて顔を合わす、なんて事も珍しくない貴族階級の結婚事情から考えれば比較的マシな部類ですらあるだろう。

 

「む、なにそのたいど!わたしじゃいやなの?」

 

 刺々しく、しかしどこか不安そうな口調で少女は尋ねる。

 

「うーん……」

 

 彼は改めて少女を見やる。紅色にフリルをふんだんに使ったドレス、白く潤いのある肌はドレスの色と合わさり一層映える。母譲りの紺色がかった豊かな黒髪はウェーブがかかり、一方瞳の方は父方譲りの蒼く透き通っている。子供らしくあどけない美貌、小生意気で、しかし人を不快にさせずどこか愛嬌のある性格は父クレメンツ大公の若い頃そのものである。

 

「いや……とても可愛いよ?」

 

 暫し迷った後、彼は降参したように手を上げながら答える。礼節から言って否定する訳にはいかないし、それを抜きにしても事実として外面も、内面も、その社会的地位すら有望なのだ。完全無欠ではないしろこれで不満を垂れるのなら余りにもえり好みし過ぎと言われるであろう。

 

「ふふーん!そーでしょ!わたしでいーでしょ!わたしはこーてーへーかのおひめさまなんだからね!」

 

 彼の全面降伏を確認し、少女は胸を張って誇らしげに鼻歌の歌う。しかしその耳が若干赤らんでいる事に彼は少しして気付いた。だがそれについて口にする事は無かった。少女の名を呼ぶ声が遠くから聞えて来たからだ。

 

「レーネ?レーネ……あらあら、ここにいたのね?そろそろお昼になるから屋敷に戻りませんか?」

 

 よく響く上品な声で少女の愛称を呼ぶのはその少女を丁度二十歳程大人にしたような婦人であった。

 

 いや、正確にはイレーネを二十歳歳を取らせた上で御淑やかにしたら、であろうか。落ち着いた色のドレスは肉付きの良い身体を却って強調し、薄幸そうな少し陰のある表情が何とも言えぬ魅力を引き立てる。クレメンツ大公の最初の寵妃であるローゼンタール伯爵夫人は既に三十を過ぎている筈なのだが、その姿を見た者がそれを知れば驚愕するであろう、まして一児の母である事なぞ信じまい。其ほどまでに若く美しく見えた。

 

「あ!おかーさま!!」

 

 庭園の奥から数名の侍女を侍らせて護衛の騎士を連れたローゼンタール伯爵夫人は彼とこちらに駆け寄る娘を見つけると優しく微笑む。

 

「娘がいつも世話になりますね?この子、元気過ぎて大変でしょう?」

「いえ、その美貌で知られるイレーネ様のお側にお仕えする事が出来るだけでも望外の幸せでございます。どうぞお気にならさないで下さい、伯爵夫人」

 

 彼は少女の母に対して最大限の礼節を持ってそう答える。

 

「ねぇねぇ、きょうのランチはなにー?」

 

 少女は母である伯爵夫人の足元に抱きついた後、笑顔を浮かべ、期待に胸を膨らませてそう尋ねる。

 

「ふふ、今日はルラーデと魚のグラタンだそうですよ。そうそう、アフタヌーンティーには杏のタルトとサンドイッチが出るそうです」 

「やった!」

 

 娘を抱き寄せてメニューについて教えれば少女は満面の笑みを浮かべる。杏のタルトは彼女の大好物だ。

 

「早くお家に帰ろ!」

「はいはい、分かりました。慌てずに、手を洗いましょうね?」

 

 必死にランチを食べるために自宅に戻る事を提案する娘にころころと品の良い笑い声を上げながら伯爵夫人は少しずつ庭先を歩き始める。と、夫人は思い出したように彼の方向を向く。

 

「貴方もレーネの世話をしてくれてありがとうね。さぁ、一緒にランチにしましょう?」

「いこー?」

 

 夫人の呼びかけに続くように彼の元に駆け寄るイレーネ。服の袖を引き邪気のない笑顔を向ける。

 

「……慎んで、ご一緒させていただきます」

 

 彼は夫人と少女に向け頭を下げ、恭しくそう答えた………。

 

 

 

 

 その政変は晴天の霹靂であっただろう。宮廷はクレメンツ派の天下であった。病床のオトフリート五世の影響力は殆ど失われていた。

 

 末期のゴールデンバウム朝銀河帝国において、皇帝の椅子に座るために血統が必要なのはもちろんだが、同時に後ろ盾となる貴族達もまた重要であった。帝政初期に比べると皇帝の直接統治する中央と辺境の貴族領の経済格差は縮小しており、そもそも各尚書等を任命するにしてもド素人を選ぶ訳にもいかなければ、皇帝自身と政治方針を違える人物を選ぶ訳にもいかない。

 

 そして高位の役職に就けるだけの教養と経験を有し、かつ皇帝となるような人物が直にその政治的な方針を確かめる事の出来るような人物は門閥貴族階級位のものである。そのため皇帝としての職務を果たす上で後ろ盾となる貴族達、正確には方向性を同じとする派閥の存在は現実的に考え、国家の運営のためには必要不可欠であった。

 

 そのため当時、クレメンツ派によるリヒャルト大公謀殺は当初は発覚した所で問題なぞある筈が無かった。最大の敵であった旧リヒャルト派は大公自身が自裁を命じられ、その擁立者である主要な貴族も同じく処断されていた。大公の子息自体は存在するが、後ろ盾となる貴族達がいない以上殆ど脅威になり得ない。ほかの帝室の遠縁にあたる大公家や貴族達も同様で、半数がクレメンツ派に降り、半数が派閥を切り崩され虫の息だ。

 

 そういう訳でクレメンツ大公の派閥以外が無力化されているのに引きずり落とすなぞ帝国の運営の面から見ても危険過ぎた。引き摺り落しても後釜となる派閥がいないではないか?クレメンツ大公もそう考え、司法省と皇宮警察に圧力をかけた。こうして全ては「無かった事」になる筈であった。そう、その筈であった。

 

 しかし、誰もが忘れていた人物が一人だけいた。オトフリート五世の次男、フリードリヒ。彼を担ぎ上げた帝国警察庁長官ブラウンシュヴァイク公爵、帝国軍統帥本部総長リッテンハイム侯爵、社会秩序維持局長官ベルンカステル侯爵による宮廷クーデターは最初無謀だと思われた。

 

 しかし、クーデターは大勢の予想を裏切り、最終的に如何なる交渉の末か司法尚書ハルテンブルク伯爵や宮内尚書リッペントロップ侯爵、内閣書記長カルステン公爵、近衛軍団司令官マイルフォーファー侯爵、皇宮警察長官シェッツラー子爵と言ったオトフリート五世の腹心達の支持を得て成功、帝都にいたクレメンツ派の主要家の当主は屋敷を包囲された後自裁を勧められ、同時に就任した新当主はフリードリヒ四世の支持を表明を強要される事になる。

 

「馬鹿なっ!こんな事が有り得るのかっ!?」

 

 偶然領地に帰郷していたがためにこの宮廷クーデターから逃れる事が出来た彼の父は驚愕の表情を浮かべる。家令は書斎で帝都で起きた事件を額に汗を流して説明していた。

 

 彼は扉の隙間から父と家令の会話を覗いていた。彼の顔もまた蒼白の顔で愕然としていた。宮廷クーデター!その意味が分からぬほど彼は幼稚ではなかった。同時に彼の脳裏に一人の少女の顔が浮かぶ。皇族である以上命だけは無事である事を彼は大神に祈る。

 

「そ、それで……クレメンツ様は!まさかブラウンシュヴァイクに捕まったのか……!?」

 

動揺しながらも家令に問い詰める父。

 

「い、いえ……!どうやらブラウンシュヴァイク公らの追っ手からは逃げ延びたようです!家族や一部の臣下と共にオーディンを脱出したとか……」

 

 その言葉に父と彼は同時に安堵する。最悪の事態だけはどうにか免れたようだ。このまま父の領地なりほかのクレメンツ派の領地に大公が逃げ込めばどうにかなる。オーディンから追い出され、オトフリート五世の重臣達がブラウンシュヴァイク公爵を支持したとしても、まだまだ巻き返すチャンスはあった。派閥を結集させれば相応の戦力にはなるし、何なら反乱軍と講和を引き換えに一時的に同盟を結ぶ手もある。

 

 いや、実際にそうしなくてもブラフとしての意味はあるし、最悪フェザーンにブラウンシュヴァイク公爵らへの仲介を頼んでも良い。クレメンツ大公さえ生きていればやりようは幾らでもある。

 

 父もその事を理解しているのだろう、直ちにほかの同志と連絡を取ると共に私兵軍の動員を命じ、領地で籠城戦の構えを取った。

 

 しかし、父を始めとしたクレメンツ派の生き残りの下に大公が来る事は無かった。この事を訝しんだクレメンツ派は、クーデターから三週間後に再び驚愕する事になる。

 

 クレメンツ大公事故死、その事実はクレメンツ派にとって全ての終わりを意味し、そして彼らの人生が百八十度変わった瞬間であった。

 

 だが、一族の繁栄の道が閉ざされた事も、父が醜態を見せて宮廷から遠ざけられた事も、まして彼の新たな縁談が不可能になった事も、どれも大した問題ではなかった。

 

そう、彼にとって一番の絶望は………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………夢、か」

 

 深夜、ハンス・シュミット大佐………いや、ヨハン・フォン・クロプシュトック大佐はヌーベル・パレ軍病院の一室で目を覚ました。

 

「お目覚めですか、シュミット大佐?」

 

 ふと、ベッドのすぐ傍に佇む人影が視界に入る。そしてその声質からそれが誰なのか、彼はすぐに理解する。

 

「ティルピッツ少佐か……」

「はい、ここはヌーベル・パレ軍病院です。失礼ながらここに運ばれた理由は覚えておいででしょうか?」

 

 未だぼんやりとした脳内から記憶を掘り起こし、彼は頷く。

 

「それは良かった。御安心下さい、蜂起は無事鎮圧されました。シュミット大佐のご友人にもお怪我はありませんよ」

 

 ベッドの隣に置かれた丸椅子に座りながら、ティルピッツ少佐は数日前に発生した捕虜収容所の蜂起について説明する。

 

 結局、多くの先例に倣い、サンタントワーヌ捕虜収容所における武装蜂起は半日も経たずに鎮圧された。特殊部隊による人質救出と前後して包囲部隊が一斉攻撃を開始。と言っても、蜂起した捕虜だからと見境なく射殺する訳にも行かないので、催涙弾や白煙弾を大量に撃ち込むと共に地上用ドローンを盾として、可能な限り生け捕りにしながら包囲網を絞っていった。完全に鎮圧されたのは蜂起した日の2215時である。

 

 最終的に、同盟軍側に21名の死者と39名の負傷者、蜂起した捕虜にも死者69名と負傷者113名を出した。また、軍属や市民の人質に関しては亡命政府系列の警備会社の護衛等に数名の負傷者こそ出たが、死亡者は皆無であった。

 

 例によって、この騒動の発端は帝国の工作員の手によるものである。しかし、呼応する筈であった同盟国内の反帝国過激派が同盟警察によって拘束されたため、捕虜収容所を襲撃し、捕虜を脱走させて市街地戦を行う計画は一旦休眠する事になった。だが……。

 

「ボーデン大将達に気取られたのは武器、かな?」

「そういう事のようです」

 

 シュミット大佐の言をティルピッツ少佐は肯定する。捕虜収容所は曲りなりにも軍の施設である。収容されている捕虜が三桁の銃器と爆弾を持ち込む事は困難を極めるし、まして短期間では不可能だ。部品単位で分解した上で、何十年もかけて持ち込む必要があるだろう。

 

「そして外部からそれが出来るのはフェザーンの保険会社、という訳だ」

 

 個人用から企業用、合法の物から犯罪すれすれの物、大貴族から宇宙海賊まで利用するフェザーンの大手保険会社「ロゴス・ライフ・アシスタンス」は、サンタントワーヌ捕虜収容所に比較的簡単に立ち入る事の出来た業者だ。それこそ大貴族達の求めに応じて自治委員会の室内を貴族風に改装し、おまけに隠し部屋を作って宝石を持ち込む事まで出来るのだ。ある程度の時間さえかければ、多数の武器をばらして持ち込む事も不可能ではなかった。

 

「ボーデン大将達にとっては精々が護身用や交渉用と言った所だったんだろうね。武装蜂起するつもりならばロケットランチャー位は持ち込んでいただろう」

 

 クロプシュトック大佐が自治委員会の上層部の意図を推し量る。あるいは、仮に帝国軍がハイネセンにまで攻め込む事態になった時のために「ゲリラとして帝国軍を支援した」という実績を作るためかも知れない。兎にも角にも、ギリギリの状況にでもならない限りは彼らも使うつもりは毛頭なかった筈だ。

 

「ミュンツァー中佐は過激とは言え同じ貴族、ボーデン大将達の隠した武器についてもある程度知っていたらしい」

 

 恐らくボーデン大将達に対して、ミュンツァー中佐は表向きはその過激思想は有事に備えた物、と言い訳していたのかも知れない。そして武器の在処を知る中佐と人手を集めるコーゼル大佐が手を組み蜂起計画を立てた。

 

 だがその当初の計画は中止、武器を動かした形跡をボーデン大将達に感づかれた二人は急いで蜂起せざるを得なかった。次の目標は運よく捕虜収容所に来た亡命貴族ケッテラー伯爵家の令嬢である。伯爵令嬢とそれ以外の人質を天秤にかけた脅迫と交渉を行う事で、同盟国内における亡命者(特に亡命政府)とそれ以外の対立を煽動する目的であった。

 

「どうにか大事になる前に鎮圧出来たのは幸いです。上も火消しに随分と動いたようですし」

 

 市民の犠牲者が出なかった事実、事件解決における帝国系軍人(ティルピッツ少佐・ゴトフリート少佐・クリスチアン大尉等)や捕虜(交渉しようとして重傷を負ったシュミット大佐等)の功績を宣伝。加えて、事件への極右組織の関連等の報道も為された。また、トリューニヒト議員やウィンザー議員、グエン議員のテレビ出演は世論操作に一役買う事になった。更に、たたみかけるように他の話題を大量に報道する事によって、サンタントワーヌ捕虜収容所で発生した事件は一気に矮小化された。

 

「後は蜂起した者達の軍法裁判、それにボーデン大将ら自治委員会と保険会社に釘を刺して一応の幕引きを図る、と言った所ですね」

 

 ティルピッツ少佐は椅子の上で手を組みながら苦笑いする。恐らくは上層部の混乱と慌てぶりに呆れての物であろう。

 

「成程………それで、私にこう詳しく説明したのはそういう事ですね?」

 

 話を一通り聞いた後、ふぅと小さく溜息をつき、クロプシュトック大佐はティルピッツ少佐に核心をつく言葉をかける。

 

 簡単な話だ、態々少佐と言う立場の人間が彼の入院先に出向き、しかも説明の必要のない情報まで長々と説明する必要はないのだ。

 

「私の身元が完全にバレたのかい?」

「はい。血液型に髪と瞳の色、身長と体重はシュミット大佐とほぼ同じ。ですが、血液を改めて遺伝子レベルで調べればすぐに別人と分かります」

「だろうね」

 

 クロプシュトック大佐も成り済ます上で自身とよく似た者を態々探して選んだ。遺伝子情報は予め採取しておいた故シュミット大佐のそれとすり替えた、が所詮は捕虜となった時の最初の検査にしか使えない手だ。今回のように輸血のための血液検査にかこつけて詳細な遺伝子検査も行えば簡単に発覚する事だ。

 

 無論、本人の髪の毛なりなんなりから無断で調べても良いが、それでは客観的な証拠にはならない。捕虜には遺伝子検査を拒否する権利がある(帝国の劣悪遺伝子排除法の存在により同盟では遺伝子権の意識が強い)。後々の情報公開を考えると無理強いは出来なかった。何よりも本人の心証を悪化させるだけだ。

 

「うっ……まぁ、それ以前にあの場でアイリーンにヨハンと呼ばれちゃったからね」

 

 体をベッドから起こして苦笑いを浮かべるクロプシュトック大佐。まだ傷口が閉じ切っていないためか僅かに呻き声をあげる。

 

「………それで?たかだか零落れた侯爵家の嫡男一人のためにここまで迂遠な事をしている訳じゃあないだろう?」

 

 正確に言えば、貴族の家柄を極めて重視する亡命政府ならするであろう。だがクロプシュトック大佐は理解していた。この亡命貴族の出にしては妙に物分かりの良い少佐は、亡命政府とは別の者達から指示を受けて自身に接触してきた事を。そして少佐に命令を下せるのは亡命政府を除けば同盟軍、あるいは同盟政府ぐらいである。彼らがここまで迂遠な手段を使うのは大佐のためではなく………。

 

「……恐らくですが、帝国にも存在がばれています。少なくとも上はそう判断している筈です」

 

 ティルピッツ少佐はクロプシュトック大佐に説明する。ヘリで国防事務総局情報部からのエージェントに会い、そのまま記録上はサンタントワーヌ捕虜収容所にいる形でキプリング街の国防事務総局ビルの地下一四階に向かった彼は、そこで匿名の数名の上官に対して此度の事件に関する彼が知る限りの事を説明し、逆に説明も受けた。そして、帝国側が態々数ある捕虜収容所の中でサンタントワーヌ捕虜収容所を選んだ理由についても………。

 

「そうでなくてもボーデン大将は一目で気付いたようですし。……随分と驚いていましたよ?」

 

 ティルピッツ少佐は目を見開いて絶句する伯爵の顔を思い出して答える。

 

「だろうね。ボーデン大将は……正確には本家のボーデン侯爵家は当時の宮廷で中立派だった。クレメンツ大公は中立派を引き込むためによく宴会なり訪問なりをしていたからその時に顔を合わせていても可笑しくない」

 

 クロプシュトック大佐は補足するように説明する。彼もまた念には念を入れて、面会は可能な限り外で行い、収容所内で面会する時は顔を知られている可能性の高い自治委員会幹部に用事があるタイミングを狙うように心がけていた。

 

「まぁ、それはいいよ。………それで、宮廷の犬共が嗅ぎ付けたと言う訳だな?伯爵」 

 

 クロプシュトック大佐の纏う空気が変わったのをティルピッツ少佐は感じ取った。いや、あるべきものへと戻ったと言うべきか。そこにいたのは何処か気弱で厭世的な平民将校ではなく、確かに高貴で高慢な門閥貴族であった。

 

「そうでなければ可笑しいでしょう?暴動を起こすにうってつけの収容所ならほかにもあります。寧ろサンタントワーヌ捕虜収容所はそういう工作がやりにくい場所、帝国からしてみれば態態手を出す場所ではありませんよ」

 

 更に言えば、当初の計画に従えば自治委員会の幹部達や捕虜の中の穏健派も殺害対象であったと言う。当然その中にはクロプシュトック大佐も含まれている。

 

「自治委員会の上層部の殆どは門閥貴族階級、それらを敢えて殺害するなぞ普通の帝国の工作活動では余り例のない方法です。まるで容疑者を全て始末しようとしているようではないですか?」

 

 命令を下した者達は恐らく、目的の人物を保護している者、あるいは匿っている者、存在を承知している者達を、その容疑者を含めて全て抹殺するつもりだったのだろう、とティルピッツ少佐は語る。

 

「実行を命じたのはどこだと思う?伯爵。私に言わせれば、あの無気力で虚無的なフリードリヒが今更動いたとは思えないが………」

 

 クロプシュトック大佐の脳裏に浮かぶのは「新無憂宮」の最奥の玉座に居座る男の姿だ。

 

 彼は、父親程には皇帝を偏見と先入観という屈折したレンズを通して見ている訳ではない。だが、万事に対して意欲の無い、漁色と薔薇の世話のみの人生を送るくたびれた前皇帝の次男が皇帝に相応しい人物だとも感じてはいなかった。同時に、彼が然程玉座に固執していない事も理解していた。

 

「その点に関してはまだ断言は出来ません。動機のあるブラウンシュヴァイク、リッテンハイムの両者が最有力候補でしょうが、ほかにもリヒテンラーデ、リンダーホーフ、ベルンカステル家の辺りも有力な候補です。……どちらにしろ、最早オーディンから一万光年離れたこのハイネセンも既に安全圏ではない言う事ですね」

「安全圏ではない、か」

 

 クロプシュトック大佐はベッドの上で目を閉じてティルピッツ少佐の言葉を反芻する。

 

「………どこまで逃げても、それこそ自由と平等の国にまで逃げても、身分という物は付き纏うものだね。まるで呪いだよ」

「間違ってはいないと思いますよ。我らが称えるべき大帝陛下の残した、永代に続く血の呪いです」

 

 クロプシュトック大佐の自虐的な物言いに、冗談半分で(しかし半分程本気で)ティルピッツ少佐は答える。

 

 現在でこそ強固な銀河帝国の爵位や身分社会も、その成立当初は決して大層な物ではなかった。幾ら口で、あるいは書類上で上下関係を決めようとも、そこに実質的な拘束力や権威は無かった。議会で皇帝を名乗ろうとも、辺境で自らの爵位を名乗ろうとも、ただ嘲笑されるのがオチであった。結局、その権威を保証したのは当人の自前の財力や才能、そしてそれらに裏打ちされた「強制力」であった。

 

 五世紀という時間は張り子の虎であった名に実を与えたが、だからこそ生じた伝統と権威がその子孫を代々縛る呪いへと変わった。実力が無くとも、関わりたくなくとも、逃げようとも、宮廷の陰謀と抗争は高貴な血を受け継いだ者を逃がさない。血を受け継いでいる事、それ自体が暗闘を繰り広げる者達にとって無視するには重要過ぎるのだ。

 

「無害であろうとも、野心が無かろうとも、血さえ流れていれば幾らでも正統性を主張出来ますし、神輿にも出来る。寧ろ無害を装う事すら擬態に見えて疑心暗鬼を生じさせる元になる。それこそ生き残りたいならば孤立するよりも派閥を形成して寄り集まる方が余程マシですからね、下手に孤立している方が優先的に「処理」される危険すら有り得ます」

 

 現銀河帝国皇帝フリードリヒ四世すら本当の意味で宮廷で孤立していた訳ではない。繁華街での放蕩にはノイケルン子爵、カルテナー子爵と言った非主流派や中立派、あるいはジギスムント大公のようなアンタッチャブルを必ず(巻き添え目的で)同行させており、警備には腹心であるラムスドルフに指揮を取らせ、侍従武官であり護衛たるグリンメルスハウゼンを片時も傍から離す事は無かった。

 

 何せフリードリヒに皇帝としての意欲や才覚が無くとも、傀儡にして国政を牛耳ろうとする者が絶えたことは無かったし、最悪兄と弟が互いに相手を陥れるために暗殺をする可能性もあった。フリードリヒは常に一見無能な放蕩児であり続け、尚且つ完全に無防備にはならず、かといって目を付けられる程の脅威でもなく、手を出せば不利益の方が多くなる立場を維持しつつ、忘れ去られるように息を潜めていた(流石に兄弟が共倒れになって自身に御鉢が回ってくるとは考えていなかったであろうが)。

 

 それに比べれば、今回の目標なぞそれこそ腹を晒して寝ているに等しいだろう。とは言え流石に今更思い出したように手を伸ばして来るとは………。

 

「まぁいい。それで?宮廷の魔の手からの保護と引き換えに君達は何が望みなんだい?」

 

 半分程予想がつきつつも、クロプシュトック大佐は確認するように同盟政府の代理人に視線を向けて尋ねる。

 

「仲介役、と言った所ですかね……?」

 

 その言葉を待っていた、と言った表情を浮かべつつ、代理人たる少佐は要求の説明を始めたのだった…………。


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