帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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第百二十四話 リア充共は纏めて地獄に落ちればいいのに

 第四次シャマシュ会戦に敗れた帝国軍はタンムーズ星系にて決戦を挑んだ。相次ぐ敗戦で減少した帝国軍二個艦隊は警備部隊と独立部隊で増強した上で大型戦闘艇をかき集めた。

 

 大型艦艇二万二〇〇〇隻に大型戦闘艇六〇〇〇隻からなる戦力は同盟二個艦隊と激突した。後方拠点と地上軍の支援を受けた帝国軍はしかし、12月4日から開始された第三次タンムーズ会戦に大敗した。開戦から僅か四日の決着は帝国軍に衝撃を与え、同盟軍を大いに奮い立たせるものであった。

 

 同時に、当初の想定よりも遥かに低い損失と時間で第4星間航路奪還に成功した搦め手から戦力を抽出し、激戦の続くエル・ファシル方面に対して増援部隊を送り込む事が決定された。

 

「第一一艦隊をエル・ファシルに派遣する」

 

 搦め手の司令官を兼ねる第八艦隊司令官シドニー・シトレ中将は自艦隊を掃討と治安維持に充て、第一一艦隊をエル・ファシルに派遣する事をエル・ファシル星系で激闘を指揮するヴォード元帥に通達した。

 

「それで我々は碌に休めずに進軍か」

 

 第一一艦隊旗艦『ドラケンスバーグ』の士官サロンで第一一艦隊司令部直轄の第六九〇駆逐隊司令官ウィレム・ホーランド中佐は堅苦しい表情で呟いた。同盟標準時で昼過ぎであるために士官サロンの人影はまばらだ。

 

「仕方ないわ、寧ろ主戦場は彼方よ。こっちが勝っても彼方さんが撤退する事になれば奪還作戦は失敗扱いされるわ」

 

 ソファーで腕を組んでホーランドの言に答えるのは第一一艦隊司令部作戦課のコーデリア・ドリンカー・コープ中佐だ。手前のテーブルには注文したのであろう湯気の上がる珈琲とマロンケーキが置かれている。マルドゥーク星系産の栗を使った絶品ケーキは第一一艦隊が他艦隊に誇る名物であり、艦隊所属の女性軍人は休憩時間に必ずと言っていい程これを注文する事で評判だ。

 

「特に地上軍が問題よ。三個地上軍の撤収なんて……軍団規模で取りこぼしが出るのは確実よ」

 

 地上軍の撤収となると唯でさえ手間取るのだ。同盟軍は四〇〇万に及ぶ地上戦部隊をエル・ファシルに投入している。しかも数百キロに及ぶ戦線で激戦を繰り広げているのだ。撤退となれば相当数が取り残される事になる。将官も間違いなくその中に含まれよう。

 

 大規模艦隊戦と並行した地上戦の例といえば第二次ティアマト会戦が挙げられる。一般的にはブルース・アッシュビーと730年マフィアが帝国宇宙艦隊を壊滅させた事のみが色濃く記憶されるが、同時期ティアマト星系では同盟軍五個地上軍と帝国軍七個野戦軍が激戦を繰り広げた事でも有名だ。

 

「そうなると追撃もあるでしょうし、相当数の犠牲が出る事になるわ。帝国軍の二の舞はごめんよ」

 

 コープは毒づく。第二次ティアマト会戦は帝国軍、そして帝国門閥貴族社会の人的資源に致命的な打撃を与えた。『軍務省にとって涙すべき40分』の間に宇宙艦隊は六十名もの宇宙軍将官を喪失した。それ以前の戦闘とその後の追撃戦、帰還後の怪我の悪化等で失われた宇宙軍将官の総数は一〇〇名を超えると言われている。

 

 帝国地上軍もまた、宇宙軍の決定的敗北による制宙権喪失によって、陸と宇宙の両面から大反攻を受け、この会戦全体を通じ将官のみでも八〇名もの戦死者を出し、兵員三五〇万を喪失し八六万が捕虜となった。

 

「第二次ティアマト会戦は帝国軍の人材を枯渇させたからな、同じ轍を踏む訳にはいかん」

 

 ホーランドもコープの言に同意する。

 

 帝国の門閥貴族の人口は一〇万前後であり、女性の社会進出は一部例外を除き遅れている。老人や子供、学生を除くと帝国門閥貴族の成人男性で領主や私兵軍幹部、正規軍人、官僚、企業経営者等の立場にあるのは四万名を下回り、その内現役の正規軍人は平均一万名を超える程度であると言われている。

 

 第二次ティアマト会戦で帝国軍は三〇〇〇名を超える門閥貴族軍人を失った。第二次ティアマト会戦は帝国軍にとっても一大決戦であった。将官は当然として艦隊司令部の参謀や副官、宇宙軍の梯団や戦隊司令官、地上軍の軍や師団、旅団長……帝国軍の現在と将来を担う門閥貴族の第一級の人材がその脇を支える従士や帝国騎士、士族と共に永遠に失われたのだ。ファイアザード、ドラゴニアを始めとしたそれ以前の損害を含めたら、恐らく当時の門閥貴族階級出身の正規軍人の半分以上……それも恐らくは最も濃いエッセンスが消え去った。

 

 彼らはまた帝国軍にとって若手貴族士官や生徒の模範であり、宮廷にとって軍とのパイプたる代理人であり、貴族社会において『高貴たる義務』の教えを次世代に伝える良き父であり良き夫でもあった。それらが一挙に失われたのだから帝国にとってその喪失は数字以上の意味があった。

 

『皇帝陛下!我が伯爵家はティアマトにて愛する夫を失いましたっ!父も兄も、三人の叔父と四人の従兄も、再従兄弟も甥も!忠勇なる臣下達も!!皆ヴァルハラに召されました!私と伯爵家には最早この子しか残されておりません!この子を失えば代々続いて来た一族は断絶致します、それを軍務尚書殿は武門の家柄だと言って取り立てようと仰る!これが四〇〇年に渡り帝室に忠誠を誓ってきた我が家に対する仕打ちで御座いますか!?』

 

 時の皇帝コルネリアス二世不運帝の前でそう直訴したのは式を挙げて一年余りで夫と一族の多くを失った喪服姿の若い未亡人であったという。泣き叫ぶ彼女の腕の中にいるのは生まれたばかりの赤子であった。その直訴はその場に参列していた皇后や侍女、同じく父や夫を失った貴族の女性達の涙を誘ったという。

 

 流石に皇帝も軍務尚書もこれを咎める事は出来なかった。多くの武門貴族が跡継ぎを失い、未亡人達は幼い子や孫の将来の帝国軍への提供を拒否してもそれを軍部も皇帝も認めざるを得なかった。

 

 帝国軍は一〇年かけてティアマトの損失を補填したとされるが、それはあくまでも表面的なものに過ぎない。武門貴族の多くが物理的に失われ、断絶し、生き残りも多くが軍役を拒否したがために士官の穴埋めの多くが平民階級の成り上がりや数十年の歴史もない二等帝国騎士で占められ、それでも足りずに文官貴族や地方貴族が代わりに軍役を受け持った。

 

 階級社会の体面と貴族の義務のために不本意ながらも軍人となった文官貴族や地方貴族の倅達は勇猛ではあるが無謀であり、その稚拙な戦いは本人を含む多くの犠牲と市民の顰蹙を買った。下士官兵士の質もかなり劣化しており喪われた士族や軍役農奴の代わりに徴兵した平民で空いたポストは補填された。

 

 結局、数こそ補填され、増強されたものの、精強なる帝国軍は遂に再建される事はなかった。第二次ティアマト会戦以降730年マフィアと相対したゾンネンフェルス元帥以下の『七提督』が名将と称されるのは彼らの軍略もあるが、それ以上に弱兵を以て同盟軍の精鋭と渡り合った事が要因だ。

 

「あそこまで酷くなくても無駄な損失は避けたいものね。唯でさえ此方は地上軍の質で劣っているのに、ここで一線級部隊を軍団単位で降伏なんてさせたら唯でさえ人手不足の地上軍志願兵が激減するわ」

 

 溜め息をつくコープ。同盟軍の志願兵の多くが泥臭い地上軍よりも宇宙軍を希望する事は有名な事実だ。旧世紀の陸軍と海軍のイメージを引きずっているのか地上軍よりも宇宙軍の方が清潔で待遇が良いと思っている嫌いがあった。無論、現実は甘くないのだが……。

 

「そのための騎兵隊、と言う訳か」

「功績の横取り、という面もあるでしょうね」

 

 肩を竦めてコープが補足する。一大反攻作戦『レコンキスタ』であるが、当然ながら同盟中央宙域や市民が注目しているのは搦め手である第4星間航路の戦況ではなく、主攻たる第10星間航路だ。エル・ファシル陥落以降一億近く発生した難民の帰国は同盟政府の至上命題である。市民の生活のため、という理由だけでなく、彼らの生活保護の予算も馬鹿にならないのだ。作戦成功の暁には親戚等も含めて億単位の票が与党のものとなるという汚い打算もある。

 

 『レコンキスタ』を主導するヴォード元帥からすれば『派閥への配慮』のために一番美味しい第10星間航路解放に非長征系・長征派の部隊で固めたのだ。戦局を決定する騎兵隊の役目に子飼いの艦隊を送り込みたい事であっただろう。搦め手を指揮するシトレ中将も上官の無言の意思表示を忖度して敢えて第八艦隊ではなく第一一艦隊を派遣した(面倒な派閥争いから距離を取りたいという意味もあっただろう)。

 

「まぁ貴方にはどうでも良い事かしら?英雄様?」

 

 目の前のマロンケーキにフォークを刺して一口口に含んだ後、若干の呆れと嫌味を含んだ声でコープはホーランドに尋ねる。

 

 実際、ウィレム・ホーランド中佐率いる第六九〇駆逐隊は第三次タンムーズ星域会戦にて称賛されるに十分な戦果を挙げた。僅か二八隻の駆逐艦が挙げた戦果は撃沈艦艇のみでも戦艦二隻に巡航艦二四隻、駆逐艦一〇隻に上る。しかもその内には巡航艦群旗艦一隻と巡航艦隊旗艦二隻が戦果に含まれている。

 

 一方の損失はと言えば撃沈艦は皆無、中破三隻と小破二隻に過ぎない。余りにも一方的過ぎる戦果だ。敵艦隊の砲撃を駆逐艦の俊敏性で擦り抜けて戦列に浸透、擦れ違い様のゼロ距離射撃で次々と巡航艦を撃沈する姿は『クルーザースレイヤー』等と既に艦隊内で冗談半分畏敬半分で話題となっていた。それ以前の戦闘での戦功も含めれば昇進は確実であろう。まず英雄扱いされても可笑しくはない。

 

「止めろその言い方。むず痒くて堪らん」

 

 しかしその功績から天狗になっても可笑しくない筈の本人は、寧ろ不快気に腕を組み渋い表情を作り出す。

 

「あら、英雄扱いは御嫌いで?」

 

 意地の悪い笑みを浮かべ珈琲を飲むコープ。不機嫌そうに帰化帝国人は反論する。

 

「揶揄うな、俺が好かれていない事位知っている」

 

 士官サロンの端で政治論議をしつつ此方を見やる集まりにちらりと視線を向ける。そそくさと視線を逸らした参謀達。ホーランドは自嘲の笑みを浮かべ、視線を正面の作戦参謀に戻すと警告気味に言葉を紡ぐ。

 

「その公明正大な性格は良いが、お前も空気を読んだ方が良い。……余り俺の傍にいない方が良かろう?」

 

 冷笑、と呼ぶには悪意と力の弱い笑みを浮かべるホーランド。実際彼は自身の立場も、目の前の同期の立場も良く知っていた。

 

 構成員の七割を長征系ないし長征派とその混血で占められる第一一艦隊は、第二艦隊と並び余所者に冷たい艦隊だ。まして自身がアルレスハイム生まれともなればさもありなんである。例え帰化していようとも、それこそ根っからの長征派の中には下手すれば祖父母に一人でも帝国系がいるだけで忌み嫌う者すら存在するのだ。

 

 一方、コープ家は当然の如く建国の父アーレ・ハイネセンと共にアルタイル星系脱出とその後の航海で中心的役割を果たした名家だ。過去、そして現在までにジョン・ドリンカー・コープを筆頭に高級軍人や官僚、星系議会議員や首相を輩出してきた。彼女の母はルグランジュ家出身、祖母はアラルコン家であり従弟は士官学校首席卒業、一〇年に一人の秀才と持て囃されるワイドボーン家期待の長男だ。本来ならば会話するだけで仰天物なのだ。

 

 ホーランドからすれば故郷……亡命政府の不興を買って危険な最前線に送り込まれ続ける事は覚悟はしていたが、だからと言って自身を引き抜いて貴重な艦隊司令部勤務や陸戦部隊勤務等様々な部署で経験を積む機会を与えてくれた同期に感謝はしている。しているからこそ自身に必要以上に構われる事に否定的であった。

 

 彼女が単に同期でありライバルである自分が無駄死にする事を厭っている事は理解している。自身の戦果が結果的に引き抜いた彼女の功績に還元される事に文句はない。だが構われ過ぎて変な噂が広がっても困る。自分は兎も角、恩義ある彼女にまで嫌疑がかかるのは宜しくない。ホーランドは他者の足を引っ張ろうと考える程に卑屈な精神の持ち主ではなかった。

 

「…………」

「……そもそ…むぎゅ……!!?」

 

 ムスッと不機嫌そうな表情を向けるコープに納得していない事を理解したホーランドは更に言葉を続けようとするが……そこにフォークに突き刺さったマロンケーキを半強制的に口内に突っ込まれる。口の中に甘ったるい栗の味が広がる。

 

「長い、そしてウザい、上から目線、後話し方が教師みたいに他人事なのが腹立つわね」

 

 心底不機嫌そうにコープはホーランドの言葉に文句をつける。

 

「……少なくとも俺の口の中にケーキを捻じ込む必要性は無いと思うが……」

「そんなの知ったこっちゃないわよ、いつもいつも固い表情しちゃって、うちの義兄じゃあるまいし。甘い物でも食べて顔を弛緩させなさいな?」

「いや、その理屈は可笑しい」

「あんた、人が慰めてやっているんだから流れに身を任せなさいよ……」

 

 ホーランドからすればそもそもコープの義兄も甘党の癖に周囲から怖い顔扱いが拭われていないとか、それ以前に甘い物は苦手なのだとか色々と言いたい事があるがそんな事知った事ではないとばかりにコープはその赤毛を掻いて面倒な表情を向ける。

 

「そもそもあんたから空気読めなんて台詞が出るとはね、空気読んでいるアルレスハイムの帝国系が帰化申請出す訳ないでしょうに……」

「むっ……俺の人生だ。お前に選択肢をとやかく言われる筋合いなぞ無い」

「それはどうも、私も自分の人生よ、あんたの指図は受けないわ」

 

 売り言葉に買い言葉とばかりにコープはしたり顔で鼻歌を歌う。少々困った表情を作るホーランドに対してケーキを切り取り突き刺したフォークを口にして作戦参謀は追撃をかける。

 

「私の事なんて気にしなくていいわ。同盟は自由の国よ、少なくとも同盟憲章に違反しない限りは個々人が何しようとも文句を言われる筋合いなんてないわよ。そうねぇ、迷惑料なら今度の『盟友クラブ』の机上演習のチームでも組ませなさいな。それで十分よ」

「『盟友クラブ』だと……?それこそ針の筵だぞ?」

 

 特に士官学校戦略研究科出身の長征系若手エリート士官が次世代の戦略について研究を行う勉強会として『盟友クラブ』は賛否の分かれる評価を受けている。無論、彼らの政治性は兎も角その研究内容自体は有意義なものではあるが。

 

「そう思うなら勝てばいいのよ、正直言うと最近妙に色目使われて鬱陶しいのよ。一つあんたに活を入れて貰えばあいつらも真面目に研究に没頭するでしょうよ」

「おい、俺を更に面倒事に引きずり込もうとしてないか?」

「知るものかしら。あいつらにはいい薬よ。それとも折角怯える美女の願いを無碍にするのかしら?」

「自分で美女と言うな」

 

 はぁ、と脱力したようにホーランドは溜息をつく。そう言えば他人が言った所で唯々諾々と従うような女じゃなかったな、思い出す。活力とプライドに満ちた独善的な自信家なのだ。下手に能力があるのと恩があるのが質が悪い。

 

「………」

「………どうした?」

 

 ホーランドは胡乱気に手元の珈琲に手を出すと、ふと尊大に手足を組むコープがこちらを見ている事に気付いた。先程の偉そうな態度から急に焦れたようにこちらを睨む。

 

「……返事」

「はぁ?」

「私だって流石に相手が嫌がるのに無理強いはしないわ。こちらとしては来てくれた方が助かるけど……どうなのよ?」

 

 むすっと不機嫌そうに、しかしどこか不安げに確認を取るコープ。変な所で義理堅いな、などとホーランドは内心で呟く。

 

「………」

「……な、何よ?」

「いや………」

 

 ホーランドはこちらの様子を窺うコープを特に意味なく見つめる。

 

(………何を考えているのだろうな、俺は)

 

 内心で浮かんだ一抹の感情を自嘲しながらホーランドは返答する。同時にコープのどこか不安げな表情は花が咲き誇るような笑みに変わり、見るからに機嫌良さそうに手元のケーキを口にしたのだった。

 

尚……。

 

「………待て、今思ったのだがそのフォークは先程俺の口に突っ込んだ………」

「……煩い黙れ止めろ触れるな、ぶち殺すぞ」

 

 ホーランドは指摘しないで良い事を指摘したがために目の前の同期であり戦友である女性士官に無表情でそう罵られたのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「痛っ……ベア……中尉、大丈夫かっ!?撃たれていないか!!?」

 

 テレジア・フォン・ノルドグレーン同盟宇宙軍中尉は一瞬思考が停止していた。それ程までに思いがけない事であったからだ。

 

 至近と言えるだろう。従士は目と鼻の先に必死の表情の主人の姿を視認した。同時に今に至る状況を思い出す。

 

(今……私は押し倒されたのですか?)

 

 確か上着を差し出されたと同時に押し倒された筈だ。もしこれが伯爵家の屋敷の一室での事であれば『そういう事』を要求されている場面であるのであろうが、ノルドグレーン中尉の決して無能ではない思考能力はすぐにその可能性を打ち消していた。

 

「あっ………」

「ちぃっ……!!」

 

 ノルドグレーン中尉が何事かを口にしようとする前に彼女の主人は次の行動に移っていた。乱暴に彼女の肩を掴むとそのまま横に向けて自分ごと回転するようにソファーの影に移動した。同時に彼女の視界に映るのは先程まで二人がいた場所を通り過ぎる光条であった。この時点で彼女は自分達がどのような状況に置かれたのか完全に理解した。

 

 同時に自身の頬に何かがついている事に気付く。嫌な予感と共に頬に触れれば指先に濡れるような感覚。その指を見れば絵具のように真っ赤な血液がこびりついていた。自身が撃たれた訳ではないのは分かった。ならばこの状況で返り血が飛んで来るとすればその血の主は一人しかあり得ない。つまり……。

 

「若様………!?」

 

 ノルドグレーン中尉はじわじわと上着の右肩に広がる赤いシミに血の気を引かせて顔を青くする。

 

「そこに伏せていろ……!!」

 

 ノルドグレーン中尉にそう命令すると彼の主人は跳び跳ねるようにその場から立つ。負傷していない左手で腰のホルスターからハンドブラスターを引き抜き、物陰から相手に向けて限りなく正確な射撃を放つ。だが……。

 

「避けたかっ……!」

 

 向こう側から響いたかすかな足音から彼女と彼女の主人はすぐにそう判断した。そしてそれは間違っていない。

 

「不味いな……」

 

 自身の主人の呟きの意味をノルドグレーン中尉はすぐに理解した。

 

 これは奇襲だ。まずそれにより心理的に劣勢に置かれ、しかもこちらは装備が不足していた。いや、正確にはない事もないがそれはあるだけだ。今彼女と彼女の主人の手元にはブラスターライフルもなければ防弾着を着込んでもいない。そしてそれを装備する時間なぞないだろう。そんな事をしている間に射殺されるのがオチだ。

 

 故に、今の衣服にハンドブラスター程度の装備で相手の戦力も分からぬまま戦わなければならないのだ。その上………。

 

「若様っ……肩に怪我を……!!」

「も、問題ないっ……訳ではないが………命に関わる程のものでもない、それよりも………」

 

 ノルドグレーン中尉が慌てて駆け寄るが、当の主人でもある同盟軍中佐は神妙な顔で僅かに物影から向かい側にいるだろう帝国兵を覗きこむ。

 

「っ……!!」

 

 きらり、と光る閃光を視認したと同時に頭部を引っこめる。すぐに低出力レーザーが真横を通り過ぎていった。

 

(随分と正確だな……スコープ、それに暗視装置もあるか………?)

 

 亡命貴族の一人息子は肩の痛みを誤魔化しながら……風邪を誤魔化す薬のお陰で痛覚は僅かながらに鈍っていた……敵について分析していく。

 

(痛むな………)

 

 掠り傷とは到底言えない。低出力レーザーは肩口の肩甲骨を完全に貫通していた。今も容赦なく出血が続く。

 

 それでも実弾でないのはある意味で幸いであろう。火薬式のライフル弾であれば肩の骨が砕け散り、肉は抉れ、より多量の出血をし、碌に戦闘すら出来なかっただろう。

 

 実の所、相手が宇宙軍所属であり火薬式銃よりもブラスターライフルの入手が容易であったこと、そして相手を射殺よりも可能な限り生け捕りすることを目指していたがための幸運であった。とは言え、最悪ではないだけで限りなく最悪に近い状況である事に変わりはなかったが……。

 

「若様、止血を………!」

 

 ノルドグレーン中尉は必死の表情で着ているシャツを破り傷口を縛る。医療キットは取りに行けなかった。相手の射線に身を晒す事になる。ならばその場にある布地を使いせめて止血だけでもしようと言うのは間違った判断ではない。

 

「………すまん、助かる」

 

 歯切れが悪そうにそう謝意を伝えたのは決して自身の付き人を疎んでの事ではなかった。どちらかと言えばより俗物的で邪な理由……押し倒した時の付き人の身体の柔らかい感触や匂い、そして今まさに衣類から覗く谷間や破った場所から見える横腹の白い肌に相応に思うところがあり、それを誤魔化すためのものであった。

 

 尤も、当の付き人からして見れば余りに素っ気ない態度が叱責と同様かそれ以上の悪意の証左に思えたのだが……。

 

「……中尉、装備は?」

「……ハンドブラスターとナイフが一つ御座います。……それと、閃光手榴弾が二つ御座います」

「そうか、こちらはハンドブラスターとナイフだけだ。はは、不味いな」

 

 敵の数は不明、だが一気に襲って来ない所を見ると最大でも分隊、完全装備だろうからブラスターライフルがある事は間違いない。当然防弾着もあるだろう。火力の低いハンドブラスターだと受け止められる可能性があった。いや、それ以上に……。

 

「短期決戦しかないな」

 

 ここに至っては敗残兵二人にとって時間は敵であった。増援を呼ばれたら詰みである。その前に敵を無力化するか逃げるかしなければならなかった。

 

「……中尉、裏手に回れ。援護を頼みたい、止めは私が……」

「……いえ、それには及びません」

 

 しかし亡命貴族の嫡男の提案を付き人は拒否する。

 

 事態を把握し、立場を理解した付き人は震える声で、しかし可能な限り平静を装いながら言葉を紡ぐ。

 

「……ゴトフリート少佐に比べれば力不足では御座いますが……私が命に代えてでも血路を開きます、どうか御退避下さいませ」

 

 しかし、そう進言する従士の表情はこれまでにない程に悲壮な決意に歪んでいた……。

 

 

 

 

 

「中尉……?」

 

 その表情に私は一瞬息を飲む。ベアトに比べて物分かりが良く、私を盲従しない中尉ならば過剰な忠誠心から無茶な進言をしないと考えていた。

 

 だが、目の前のひきつった表情を浮かべる女性を見ると私は何も言えなくなる。

 

「若様をこれ以上の危険は晒せません。今こそお役目を果たすべき時で御座います、どうぞお気になさらないで下さいませ」

 

 硬い表情を浮かべて、しかし覚悟を決めたように付き人は礼をする。

 

「っ……馬鹿を言うな、こんな場所で大事な従士を捨てられるか……!」

「こんな場所だからで御座いますっ……!若様は栄光ある伯爵家を継ぐべき身、このような場所で雑兵共に捕囚となるのも、討たれるのも許されません!若様を確実にお助けするためにここで多少の損失をお気になさるべきではありません……!」

 

 ノルドグレーン中尉は自身の事を損失、と口にする。必要な犠牲であり、捨てるべき駒であるとも。

 

「中尉!?どうしたんだ一体……!!?こんな時にっ……!!」

 

 私は苛立ちよりも困惑を強く含んだ口調で尋ねる。彼女の忠誠心を疑う事はない。その時が来れば一切の戸惑いなくその命を使い潰して役目を果たすだろう。だがベアト程ではないが五年以上彼女といた私には分かった。進言する彼女の言葉に忠誠心以外の心情……怒りや嘆き、そして恐らくは投げやりな諦念?……が滲んでいた事に。故に困惑した。私が彼女のどのような逆鱗に触れたのか分からなかったからだ。

 

「私は唯……!」

 

 ノルドグレーン中尉が何かを口にしようとする。だがそれは敵わない。すぐに敵兵が銃撃を再開し、その応戦をしなければならなかったからだ。

 

「……!中尉、勝手な事をするな!今は無駄話している場合じゃあないだろ!?命令だっ!!応戦しろっ!」

 

 そう声を荒げながら私は利き手では無い左手で物陰からハンドブラスターを発砲する。

 

「っ……!り、了解致しました……!」

 

 苦い表情を浮かべる中尉は、それでもこちらの命令を受け入れて同じくハンドブラスターを構えて応戦する。

 

「ちぃっ……狙いがいいっ!」

 

 相手は正確に、間断なくブラスターライフルを発砲する。お陰でこちらは断続的な反撃しか出来ない。救いがあるとすれば恐らく今銃撃戦を行っている敵兵は低出力レーザーの光から見て単独ないし二人程度だろう事だ。

 

(少なすぎる……後方に控えている?それとも斥候?っ……!!)

 

 次の瞬間天井の電灯にブラスターの閃光が飛ぶ。目潰しかっ……!!

 

 電灯が火花を上げて砕ける。恐らくは安全性を重視したプラスチック製であろうがそれでも重力に縛られ落ちてくる電灯の破片は痛い。そしてそれ以上に危機的であった。明らかに相手の意図する事は闇に紛れての近接戦闘だ。陸戦重視で装備が豊富な帝国軍の事だ、暗視ゴーグルがあるのだろう。一方こちらはその手の装備を地下一階の倉庫に置いてあるので取りに行くのは不可能だった。縛りプレイとはふざけやがって……!

 

「中尉っ!下の階に逃げるぞっ……!来いっ!」

 

 私は中尉に向けて叫ぶ。視界が見えなくなる以上、下の階に避難する以外の道は無かった。閃光手榴弾による目潰しも考えたが、自分達の視界も潰される。相手の戦力が不明な状況ではリスクが大き過ぎた。

 

 破壊された電灯がチカチカと完全に破壊される前に点滅を繰り返す。今しかない。暗視装置は暗闇では視界良好であるが、明るければ逆に視界が狭まってしまう。完全に暗くなり狩りの獲物にされる前に一気に避難するしかない。

 

 残って足止めしようとしていたのだろう、私は激痛の走る右腕でノルドグレーン中尉の腕を掴み無理矢理引き寄せて命令する。

 

「下の扉を開けておけっ……!」

 

 乱雑にそう命じて力づくで私と共に立たせる。当然ハンドブラスターを乱射して相手の動きを止めてだ。

 

「来たっ……!早くしろ!」

 

 こちらの負傷を知っているのか野戦服を着た長身の帝国兵が背を低くして猫のように跳ねるような走りで接近するのが見えた。どことなくオルベック准尉が足止めしていた敵兵に似ているのは気のせいだろうか?

 

 私は激痛に目元に涙を浮かべながら中尉を後方に投げるように押し込み、身体を右側に一歩踏み出してから(奥の敵兵と吶喊してくる敵兵の射線を私と合わせるためだ)左腕でハンドブラスターを構える。立ち上がってからここまでの時間は間違いなく五、六秒程度しかなかったであろう。

 

 奥からの支援射撃を封じた私は吶喊する帝国兵の頭に銃口を向け発砲する……が次の瞬間帝国兵は床に滑り込むように回避する。ははっ、猟兵じゃああるまいにっ!

 

 私の足元にまで滑り込んできた帝国兵が暗視ゴーグルのレンズ越しにこちらを睨む。これ程懐に入り込まれたらハンドブラスターも扱い辛いだろう。つまり相手の得物はっ……!

 

 一〇センチは刃があるだろう小型ナイフを腰から抜いた帝国兵は跳躍するように立ち上がりそれを突き立てる。

 

「っ……!?」

「……!今のを避けたかっ!」

 

 私はのけ反るように首を上げる事で顎に突き刺さる筈であった一撃を紙一重で回避した。正直殆ど奇跡に等しい。

 

 私は御返しに左手で腰のナイフを取り出し引き抜き際に相手のナイフを持った腕を切り落とそうとする。胴体は悪手だ。間違いなく防刃繊維によって止められる。その手の防護の薄い関節部を狙いたかった。

 

「させんっ……!」

 

 だが相手の方が一枚上手だった。すぐに手を引きこめこちらの一撃をナイフの刃で受け止めた。しかもっ……!!

 

(そりゃあ……!押されるよなっ……!!)

 

 腕力は辛うじてほぼ互角、だがこちらは利き腕ではなく、姿勢的にも少し力むのは苦しい状態だった。そりゃあジリジリと押されるのも残当だ!

 

 このままだと押し負ける。私はナイフの刃の角度をずらす事で斬撃を逸らす。だが敵兵はそこまで考えていたのだろう、斬撃を逸らされると同時に身体ごと一回転、そのままの勢いに任せて私に鋭い刃の一突きを仕掛ける。

 

「ちぃっ……!!?」

 

 私は瞬時に状況を分析した。重心がずれた自身の体勢ではあの勢いづいた一撃を避けるのは無理だった。かといって受け止めようにもこちらは軽装で防御には期待出来ない。となると……。

 

(どうせ元から怪我して使えないか……!!)

 

 私は覚悟を決めた。

 

 そして次の瞬間炭素クリスタル製のナイフが私が盾代わりに構えた右腕を突き刺した。

 

「いっ………!!!??」

 

 私は上げそうになる悲鳴を圧し殺す。今にも激痛に理性を無くしてのたうち回りたくなるのを辛うじて我慢して反撃に移る。

 

「ち、畜生がっ………!!」

「何っ……!?」

 

 帝国兵は私の次の行動に驚愕した。そりゃあそうだろうさ、ナイフ突き刺されたのをそのまま相手の方に重心を乗せてのし掛かればな……!!

 

「くっ……!?」

 

 相手の利き手がナイフを持ち、そのナイフは深々と私の右腕に突き刺さるが故に骨と筋繊維に引っ掛かり簡単には抜けない。そしてそのまま体重を乗せれば相手は利き腕を封じられたまま姿勢でバランスを崩すという寸法だ。ははは、痛くて泣きそうだ!!

 

 そして私は怪我をしていない左手に持ったナイフを構えて相手の喉元に……!!

 

「ちぃ………!!?殺らせるかっ!!」

 

 文字通り肉を切らせて骨を断つ戦略でナイフで突く私であるが相手も必死だ。一撃目の突きはギリギリで避けて左肩を掠る。だめ押しの二回目の突きもまた相手の頬に僅かに切り傷をつけるだけだった。ふざけるなっ!!これじゃあ割が合わねぇだろうが……!!

 

「糞がっ……!!」

 

 焦る相手に足技を食らわせてやる。こちらのナイフに集中し過ぎたのだろう、払い蹴りにバランスを崩し、手に持っていたナイフから手を離した。そこに私は止めの一突きを加えようとしたが……!

 

「ロイエンタール!!」

 

 次の瞬間ブラスターライフルの閃光と共に私の手に持っていたナイフが弾き飛ばされる。どうやら刃にライフルの低出力レーザーが当たり弾けたらしい。ナイフの取手から上が無くなっていた。糞ったれがっ……!って…………。

 

「ロイエンタール………?」

 

 私は咄嗟に奥からこちらに向かってくる小柄の帝国兵に視線を向け、次いで床で姿勢を崩して急いで立て直そうとする帝国兵を見た。そして未だに点灯する照明の光でどうにか私はその敵兵の顔立ちを見やり、目を見開く。

 

「はは、マジかよ……!!」

 

 乾いた笑い声が口から漏れる。おいおいおいおい、よりによって……よりにもよってこいつらかよ……!!

 

「っ……!!?ここは引くしかないかっ……!?」

 

 小柄な、そして点灯する光で判別がしにくいが恐らくは蜂蜜色の髪をした帝国兵の銃撃を前に私は急いで退避する。このままこいつらの相手なんか無謀過ぎた。

 

「待て!」

 

 ロイエンタールと呼ばれた帝国兵は立ち上がり私の後を追って走る。はは、殺されかけておいてすぐ反撃しようとしてくるその神経、正直図太すぎるぞ……?

 

 当然その静止の声を聞いてやるわけがない。私はシェルターの奥に走りその角を曲がる。

 

「若様……!!?」

「早くっ……!扉を閉めろおぉ……!!!」

 

 私のぼろぼろの姿に殆ど悲鳴のような声を上げる従士、だがいちいち説明する時間なぞない。私は怒鳴り散らすように声を荒げる。私が地下三階に続く鉄製扉に殆ど滑り込むように逃げ込むとノルドグレーン中尉はすぐに重い扉を閉じようとする。

 

 ほぼ同時に角を曲がって姿を現した長身の均整の取れた青年が鋭い眼光でこちらを射抜き、芸術的な手捌きで腰から予備のナイフを完璧なフォームで投擲した。

 

 真っ直ぐ、鋭く、恐ろしいまでの正確さで私に目掛けて投げ付けられたそれはしかし、次の瞬間私との間を遮るように閉じられた鉄製扉に突き刺さったのだった………。

 

 

 

 

 

 

 

 

「反乱軍の航空部隊っ……!来ます!」

「近接防空戦用意……!!」

 

 同盟空軍のクルセイダー大気圏内戦闘機や同じく亡命軍のそれをライセンス生産しているJU-78クロウ大気圏内戦闘爆撃機の編隊が低空から長距離レーダー警戒網を潜り抜けて機体を急上昇させる。森林地帯を『騎乗』し、行軍する装甲擲弾兵達の内、防空隊に当たる兵士達は迅速にトリウマから飛び降りると携帯式短距離ミサイル『フリーガー・ファウスト』やMG機関銃を構え、あるいは分解してトリウマや小型半無限軌道式自動車(ケッテンクラート)に乗せていたFlak30対空砲を急いで組み立て直し攻撃に備える。

 

「ファイエル!!」

 

 防空指揮官の命令と同時に次々と天に向けて撃ちあげられる曳光弾が、青紫色に移り行く黎明の空を照らす。濃密な弾幕の嵐……だが、大型の防空レーザー砲台や長距離防空ミサイルなら兎も角、この程度の防空網ではある程度の自衛は出来ようとも敵機の撃墜なぞ不可能だ。クルセイダー戦闘機は危険を察知しチャフとフレアをばら撒いて高度を取り、クロウ戦闘爆撃機に至っては装甲を頼りに多少の被弾を無視して機首のビーム機関砲を軍列にばら撒いた。

 

 ビームコーティングまでされた高価な重装甲服も、流石に航空機のビーム機関砲の相手は想定されていない。精強な装甲擲弾兵達も被弾すれば人体を半分に引き裂かれ、掠るれば腕が宙を飛ぶ事となる。

 

「ちぃ、忌々しい奴隷共め……!制空権があるからと盛りよって……!」

 

 機銃掃射に成功して真上を通り過ぎるクロウ大気圏内戦闘爆撃機を睨みつけながら競馬用であったのだろう、一際図体が大きく屈強な足を有するトリウマに騎乗するオフレッサー大将は罵りの声を上げる。唯でさえ反乱軍……いや、亡命軍の精鋭部隊と正面からぶつかり、その後も数倍する反乱軍増援部隊との戦闘を繰り広げ、相当消耗しているのだ。反乱軍の追いすがるような空からの迫撃にさらされ、装甲擲弾兵第三軍の最後尾部隊は少なからぬ犠牲を出す。

 

 ……そう、最後尾部隊である。同盟軍の背後に浸透し、一時期は逆包囲すらされていた装甲擲弾兵第三軍は、しかしオフレッサー大将指揮の下、その残存部隊は殆どは同盟軍の追撃を躱して辛うじて安全圏内まで退避か隠れる事に成功していた。この森林地帯を進む三〇〇〇名余りの騎兵の隊列は、オフレッサー大将殿直々の指揮下で殿を務めた者達であった。

 

「まさかこのような事態になりましょうとは……」

 

 オフレッサー大将の付き人の一人であり、右腕として頼りとするキルドルフ大佐が面をしかめる。

 

 浸透奇襲作戦は途中まで上手くいっていた筈なのだ。全てが狂いだしたのは、たかだか一個大隊に過ぎない敵が、損害を無視した狂ったような攻勢で包囲網突破を図ったことに始まる。さらには、これに呼応して亡命軍の一個軍団が陽動を兼ねた牽制部隊を問答無用で排除しながら前線に進出してきたのだ。

 

 押し寄せてきた亡命軍一個軍団の動きは明らかに軍事的合理性を無視していた。彼らが得ていたであろう情報の範囲で全体の戦況を掴めていたとは考えられず、あの場で前線に殴り込みを掛けてくるのは余りに無謀で向こう見ずであった筈だ。到底有り得ない動きであるために、事前の机上演習でも誰も想定すらしていなかった程だ。お陰で装甲擲弾兵第三軍は包囲網形成に失敗し、それは第九軍の戦略そのものに変更を強要してしまった。そして今無敵の筈の彼らは軌道爆撃や航空爆撃に怯えながら後退する惨状にあった。無論、だからといって舐めて襲い掛かった同盟軍地上部隊は、全員その血を以て思い上がりの代償を払ったが……。

 

「敵が想定外の行動を行う事は戦場の摩擦、致し方ありません。ですが……やはり足が逃げたのは痛いですな」

 

 同じくオフレッサー大将と古くからの臣下であるゼルテ少佐が苦虫を噛む。彼の言う『足』とは今まさに騎乗しているトリウマの事だ。

 

 宇宙暦8世紀になっても通信とその妨害手段はいたちごっこを続けており、それらの影響を受けにくい伝令犬や伝書鳩といった動物による連絡は部分的とは言え重要な通信手段として使われ続けていた。移動手段でも同様に、小規模ながら動物よる運搬が未だに使われている。特に車両が使えない山岳地帯で例が多く、特殊部隊や偵察部隊では時として地球の産業革命以前のように驢馬に荷物を運ばせて馬に騎乗する、なんて事態も有り得る事であった。

 

 尤も、此度の戦いで装甲擲弾兵第三軍が実施したのは軍団規模の騎乗による山岳地帯走破であった。車両類も移動に使うものの、軍団規模となればどうしても発見の可能性が高くなる。オフレッサー達が着目したのはエル・ファシル占領の際に大量に現地で放置されていたものを鹵獲した牧場の食用ないし観光用、競馬用に飼育されていたトリウマだった。騎乗技術を持つ同盟軍人なぞ士官学校卒業者や特殊部隊訓練を受けた者、あるいは牧場主の倅位の者であり、万単位の兵士が騎乗して険しい山岳地帯を移動してくるなぞ到底考えられない事だろう。

 

 だが帝国軍では違う。特に装甲擲弾兵に採用されるのは士族や貴族だけであり、彼らの多くが当然のように乗馬を嗜む。馬ではなくトリウマという訳で多少の練習こそ必要としたが、慣れるまでに一週間かかる事は無かった。そしてトリウマに騎乗した竜騎兵ともいうべき装甲擲弾兵第三軍は当初の計画通り峻険な山地を突破し、後は皆が知る通りである。問題があるとすれば………。

 

「恐らくは反乱軍の逸れ部隊ですな。まさかこちらの足を持ち去っていくとは……」

 

 装甲車両は兎も角、流石にトリウマまで前線に持っていくつもりはなく、山岳走破後は途中で下馬し森林地帯で待機させていた。そして想定外の激戦になり主力が戦場に拘束されている間に一〇数キロ後方で待機させていたそのトリウマの集積場を襲撃されてしまった。

 

 それだけならば戦場では良くある事だ。だがその場で帝国軍の「足」を射殺するのではなく持ち逃げされるのは想像していなかったが……。

 

「散逸と死亡したのも合わせればかなり足を持っていかれましたからな。お陰で今の状況ですか」

「まさか奴隷共に馬術の心得があるとはな」

 

 鼻を鳴らして不快気な表情を作り出す装甲擲弾兵副総監。もしこれが唯の同盟軍の軽歩兵ならば「足」を殺している間に、あるいはそれを終えて退却を行う間に追いついてその報いを与える事も出来たが流石に騎乗して逃げられたら追いつけない。

 

「……航空攻撃が止みましたな」

 

 キルドルフ大佐が気付いたように呟く。いつしか熱核エンジンの爆音は遠ざかり機銃掃射や爆撃の轟音も消えていた。

 

「恐らくこちらの航空隊の攻撃に備えているのだろうな、通信が本当ならばツィーテン大将は後退準備に入っているらしい。陽動の攻勢がある筈だ」

 

 オフレッサー大将はその理由を正確に言い当てる。戦力に余裕のない反乱軍からすれば敗残兵の追撃よりもその攻勢への対応の方が優先と言う訳だ。

 

「殿を務めるウェンツェル達には感謝するべきであろうが……何とも不愉快なものだな、叛徒共に無視されるというのは」

 

 再度ふんっ、と荒い鼻息を鳴らした後、オフレッサー大将はトリウマで部隊を駆け回り怒声を上げて負傷者の回収と行軍の再開を厳命する。彼らが味方の勢力圏に退避するまでに、更に二日の時間を必要とした………。


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