帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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次話は少し遅れそう(最大二週間程、もう少し早いかも)
代わりに今回は少し長めです

多分今回除き、後二話位で今章は終わります


第百二十五話 どいつもこいつも運命の女神に愛されやがって(半ギレ)

『各車傾聴!奴さんのお出ましだぞ』

『これはこれは……たかだか一個装甲旅団相手にここまでの戦力とは……随分と高く買われたものですわね?』

『一個旅団?馬鹿言わんでくれ、もう一個大隊あるかないかですぜ?』

『何、スコアを上げる良い機会ではないですか。賊軍共め、数ばかり揃えても無駄という事も分からんのかね?』

 

 各塹壕内に隠れたフェルディナンド重戦車、あるいはその補助用のティーゲル重戦車やルクレール(中)戦車の短距離無線機でそのような軽口が交わされる。とは言え現実はそんな呑気な事を口に出来る程甘くはない。

 

 四六七高地の攻防戦の熾烈さはその頂点にまで達していた。帝国軍は四六七高地を陥落させるために二個装甲師団と一個歩兵師団、二個装甲擲弾兵連隊を増援として投入した。航空部隊による爆撃と砲兵部隊による支援を受けながら帝国軍は戦車部隊を前面に押し立てて前進する。

 

 対する四六七高地守備側の装甲部隊は既に限界に近い状況であった。

 

 主力たる第六五八装甲旅団は当初二個重戦車大隊、八八両のフェルディナンド重戦車と一個重戦車大隊、四二両のティーゲル重戦車、二個中隊二四両のルクレール戦車及びその他戦闘用装甲車両を含めて一七六両から編成されていた。

 

 それが今や五度に渡る総攻撃と常態化している砲爆撃、歩兵部隊の決死の肉薄攻撃により車両の七割近くを喪失していた。主力のフェルディナンド重戦車の残数は三二両、二個中隊程度という有様であり、その他要塞に立て籠もっていたほかの部隊の保有する車両に至っては文字通り全滅していた(脱出できた乗員は相応にいるが)。

 

 無論、防衛側も唯やられていた訳ではない。苛烈な反撃によりスクラップにされた帝国地上軍の戦車は三〇〇両を超えていた。その他の戦闘車両を含めればその数字は七〇〇を超えるだろう。圧倒的な戦力差を考えればかなりの善戦であると言える。要塞に立て籠もる陸戦部隊も装甲旅団に比べれば損失は少ないがそれでも損耗率は三割を超えていた。

 

「各車、妨害を受けているデータリンクなぞ当てにするなよ?……先頭の車両から潰せ。前衛部隊をスクラップにして足を止めろ。射程と装甲はこちらが上だ、接近戦に持ち込めなくすれば賊軍の戦車なぞ恐るるに足らん」

 

 指揮官車両に乗車する旅団長フーゴ・フォン・ノルトフリート大佐は危機的な状況にあってもなお泰然とした表情で各車に命令する。今更騒いだ所で大して意味がない事くらい彼は良く理解していた。そんな暇があるなら少しでも頭を働かせて効率的に賊軍の撃破のための戦術を練るべきだ。

 

 射程に勝るフェルディナンド重戦車から次々と砲撃が開始される。電磁砲塔から放たれる劣化ウラン弾は帝国軍の主力戦車レーヴェや最新鋭のパンツァーⅣ戦闘装甲車の装甲を易々と貫いて爆散させていく。

 

「糞ッ!あの距離からレーヴェの装甲を貫通するのかよっ!?発煙弾を撃ちまくれ!居場所を捕捉されるなっ!!」

 

 帝国地上軍の戦車部隊の指揮官は叫ぶ。発煙弾や閃光弾、重金属ミサイル等が雨あられのように打ち上げられる。フェルディナンド重戦車の精密射撃を妨害しその懐に入るための手段だ。

 

「各車、手動照準に切り替えろ!一両たりとも通すな!!」

 

 第六五八装甲旅団に配属された代々戦車乗りの職務を受け継いできた末裔達は数倍する数の暴力を必死に食い止めようとする。その行為は相当数の帝国軍戦車を鉄の棺桶に還元したものの、同時に櫛の歯が欠けたように一両、また一両と残存する旅団戦車の喪失を招いていたのもまた事実であった。

 

 山岳部の地上における戦車部隊の激突と並行して要塞内部に帝国兵が次々と乱入する。

 

「どけぇ!奴隷共が!!」

 

 通路に突入し戦斧で地下通路を防衛する同盟軍兵士を血祭に上げるのは帝国陸戦部隊の精鋭『装甲擲弾兵』である。髑髏を象った重装甲服を着た屈強な兵士達がブラスターライフルを撃つ同盟兵の胴体を切り捨て、戦斧を構える同盟兵の頭を叩き潰し、背を向けて逃げる同盟兵を追い回し一刀両断する。返り血に濡れた装甲擲弾兵は敢えて下品に笑い、残虐に敵の死体を引き裂く事で奴隷の子孫達の恐怖心を煽り、その士気を打ち砕く。

 

 そのままの勢いで髑髏の戦士が要塞の深部に突入しようとした瞬間……突如横合いの通路から振り下ろされた戦斧の一撃でその頭部が切り落とされた。

 

「っ……!?」

 

 先頭の戦友の末路に戦士達の足が止まる。そして通路の曲がり角から姿を現すのはフルフェイスの重装甲服に身を包んだ同盟軍宇宙軍陸戦隊の陸戦隊員達だ。

 

「おのれ……!!」

 

 戦友の敵討ちとばかりに一人の装甲擲弾兵が躍り出る。だが……。

 

「ふんっ!この程度かっ!!」

 

 勇猛で熟達している筈の装甲擲弾兵は次の瞬間戦斧の一振りに死体に成り果てる。

 

「何ぃ!?」

「馬鹿なっ!?」

 

 流石にこうまであっけなく帝国軍の精鋭が二人も切り捨てられると残る装甲擲弾兵達も驚愕し、たじろぐ。

 

 その様子に独立第五〇一陸戦連隊戦闘団第二大隊長ヴァーンシャッフェ少佐は不機嫌そうに鼻を鳴らして帝国兵の中に突撃し、敵の戦闘集団一個分隊を瞬く間に死体へと変えた。第二大隊の重装甲服を纏った陸兵達が戦斧や着剣した火薬銃を手にその後に続く。気付けば通路全体にゼッフル粒子が充満し始め携帯式光学兵器は使用不可能になっていた。狭い通路内で血を血で洗う陰惨な戦いが続発する。

 

「第六通路に敵兵侵入!」

「第九中隊、第一八通路に展開します!」

「Eブロックは放棄、工兵部隊は爆破処理急げ!」

 

 前線で苛烈な白兵戦が展開される一方、要塞に立て籠る防衛側司令部では通信士が立て続けに流れて来る情報の報告と整理を行う。前線と違い流血はないが、彼らのミスや遅れはそれだけで要塞の陥落に直結しかねない重要な役割を持つ。それ故に激しさという意味では前線を凌ぐ喧騒であった。

 

「………!…!……!」

「Kブロックに防衛線を構築、敵部隊の進出と共に第二〇通路から二個小隊を後方に浸透させ退路を絶て。Jブロックには一個中隊を増援に投入、漸減作戦を行いつつキルゾーンに誘導せよ、との事だ」

 

 某初代バッタ風改造人間の仮面を装着した『薔薇の騎士連隊』こと独立第五〇一陸戦連隊戦闘団第一〇代司令官リリエンフェルト大佐は手話で指示を出し、付き人がそれを翻訳して命令を通達する。出で立ちも含めて正直ふざけているのかと言いたくなるが、指示される内容はどれもこれも外見からは想像出来ない程大真面目かつ合理的であるがために誰も突っ込まずに(その余裕がない事もあるが)忙しくそれに従う。

 

「……敵襲、か?」

「どうやらそのようです」

 

 帝国軍の最終的攻勢を前に要塞全体が徹底抗戦のために一秒ごとに騒がしくなる中、司令部の隣のブロックに設けられた臨時野戦病院の簡易ベッドでそのような会話が為される。

 

 重傷を負いながらも有望な情報と共に亡命をしてきた主計准将は、ベッドの上で点滴を受けながら事情聴取を受けていた。とは言え、帝国軍の攻勢が始まり最早悠長にそんな事が出来る時間は無かったが……。

 

「御安心下さい、賊軍がここまで辿り着く事はありません、我々の命に代えても准将閣下の御命は御守り致します」

 

 独立第五〇一陸戦連隊戦闘団副連隊長ヘルマン・フォン・リューネブルク中佐は安心させるように鷹揚に語る。後ろに付き人でもあるカウフマン少佐とハインライン大尉を従え、その事情聴取を質疑していたのが副連隊長であるのは何も彼が暇である訳ではなく、帝国的・貴族社会的にそれが適任であったためだ。相手は伯爵家の三男かつ准将である。連隊長は指揮から外れる訳にはいかず(それ以前に変人である)、そうなるとその次に階級が高く家格面で問題無い中佐が指名されるのはある意味当然の事だ。少なくとも貴族社会の価値観においてはそうであった。

 

「いや、私もこれまで危険な橋を渡ってきた身だ。覚悟は出来ている。ぐっ……」

 

 大型の爆弾でも落されたのだろう、要塞が轟音と共に僅かに揺れる。その震動にまだ塞がっていない傷口が開き呻き声を上げるフォルゲン主計准将。

 

「そ、それよりも……アレはどうなった?同盟軍の司令部には届いたか?」

 

 苦悶の表情で、不安げに伯爵家の三男は尋ねる。彼にとってその情報を伝えるために危険を冒したようなものだ。元々憲兵隊等に疑惑を向けられており、必要ならばいつでも亡命するつもりではあった。だが敢えて負傷するを厭わずこの局面で逃げて来たのは、この戦いに決定的な結果を与える可能性のある情報を同盟軍に送り届けるためだ。そのために命を賭したのだ。

 

「問題ありません、我が隊でも一番の腕ききに託しました。必ずや送り届けてくれるでしょう」

 

 リューネブルク中佐は主計准将を安堵させるためにそう語る。実際の所、この局面では彼と言えど上手く任務を果たせるかは怪しい所ではあるが……ここで敢えて不安にさせる事をいう必要はあるまい。

 

「……旦那様、僭越ながら命令が下りました。退出致します」

「うむ、分かっている。良く励んでほしい、だが無理はするな」

 

 伝令兵からの耳打ちにカウフマン少佐が恭しく退席を申し出る。司令部から前線に出る事を命令されたのだ。リューネブルク中佐はそれを咎めず、その身を案じつつも送り出す。中佐もまた最前線でどれだけ激しい戦いが続いているのかは理解していた。

 

 カウフマン少佐が退席すると同時に再度要塞が揺れる。その震動に再びベッドの上の亡命者が呻き声を上げる。脇腹の包帯は赤く染まり、衛生兵が駆け付けて止血準備に入る。

 

(現状のここの装備では治療は困難か……)

 

 リューネブルク中佐は内心で呟く。命を賭して帝国軍の機密情報を提供してくれた同胞はしかし、このままでは数日持つか怪しい。可能な限り早く後方のより充実した野戦病院に送らねばならなかった。しかしそのために帝国軍の包囲網をどうにかしなければならず……。

 

(望みがあるとすれば………)

「……頼んだぞ」

 

 リューネブルク中佐は険しい表情で小さく呟く。恐らく今頃隠し通路から帝国軍の包囲網を抜けて後方に伝令に向かっているであろう部下であり後輩の成功と無事を祈りながら………。

 

 

 

 

 

 

 

「う……うぐぐっ……糞っ!糞っ!糞ったれ……!畜生!!痛ぇ……あの野郎共、…畜生……!絶対ぶっ殺してやる………!!」

 

 私はシェルター地下二階と三階を繋ぐ階段の手前……地下二階側の手前で醜い芋虫のようにのたうち回りながら汚い言葉を感情のままに吐き捨てる。私はナイフが深々と突き刺さり、じわじわと出血を続ける右腕をもう片方の腕で握りしめ、歯を食いしばり、襲い掛かる激痛に耐える。息は荒くなり、額からは大量の汗が流れ、目元は潤む。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「ひっ……!?わ、若様っ……!!」

 

 厚い扉の鍵を閉め終えた付き人が絶望した表情でこちらに駆け寄る。

 

「う……うぐっ……ち、中尉……い…医療キットは……あるかっ……!!?」

「い……い、今探してみますっ……!」

「急いでくれ……!!」

 

 私に急かされて必死の形相でノルドグレーン中尉が医療用キットが無いかを探し始めた。そう言えば彼女の前で重傷を負うのは初めてだったな、今更のように気付いた。これがベアトなら多少耐性があるのだろうが……。

 

「うぐっ……痛っ……ま、まぁ……カプチェランカよりは……マシか……?」

 

 あの時は頭の表皮が少し捲れたそうだからな。飛んできた鉄片が数センチずれていたら頭蓋骨から中身が出ていたとか……考えたくもない。少なくとも右腕にナイフが現在進行形で突き刺さっているのは『まだマシ』な筈だ。笑えないね。

 

「ぐぐっ……大動脈は……傷ついていないよな?」

 

 一応突き刺される時に角度は調整したのでセーフだと思うが……。

 

「わ、若様っ……!御座いました!!」

 

 地下三階まで下りて簡易医療キットを見つけ出した中尉が若干よろめきながらも白い箱を持ってくる。

 

「よ……よし……中尉、何か紐をくれ!!腕を縛る……!それと局所麻酔をした後消毒液をぶっかけてくれ!ピンセットと止血用の冷却スプレーはあるよな!!?」

「わ、若様……!?まさか……!!?」

「分かり切った事を言うなっ!これを抜いて止血するんだ!急げ!!」

 

 私は中尉に命令する。今の私では腕に刺さるナイフを抜くなぞ不可能だ。中尉にやってもらうしかない。

 

「ひっ……は、はい……い、今治療をさせて頂きます……その……痛みがあれば御声おかけください……」

 

 いや、ずっと痛いんだけどとは突っ込まない。かなり萎縮する彼女を馬鹿にする訳にはいかないし、そんな冗談を口にする余裕も無かった。

 

 腕を縛ってから無針注射で局所麻酔を施す。若干痛みが鈍くなるのを確認すると消毒液を周囲に塗られ(血で洗い落されているのでどこまで効果があるかは分からないが、後で抗生物質を飲まなければ)噛み物を口に咥えて覚悟を決める。

 

「そ、それでは……いきます……!」

「ああ、やってくれ……ぃぃ……!!!?」

 

 ピンセットも使ったナイフの刃抜きは最初の段階で後悔する程の激痛が襲い掛かった。暴れそうになる身体を自身で止め、歯が砕けそうになるくらい全力で噛み物を噛み締める。

 

「若様……!」

 

怯えた、泣き声に近い声を上げる中尉。

 

「いいから……早く…しろ……!はやく………!!」

「は、はいぃ……!」

 

 私が顔を歪ませながら命令すれば涙声で従士は作業を再開する。泣きたいのはこちらだよ……!

 

 ゆっくりと、慎重に、血管を傷つけないようにナイフの刃が引き抜かれていく。次いで再度消毒した後止血冷却スプレーを患部にかけ、培養保護フィルムを被せる。そしてガーゼで患部を覆っていく。

 

「ぐっ……はぁ……はぁ……はぁ……お…おわった……のか………?」

「お、応急処置は終えました」

 

 シャツと手を真っ赤に染めて、震える声で従士は重々しく言葉を発した。何時間もかかった気もするし、ほんの十数分であったかも知れない、兎も角もどうにか右腕に突き刺さっていたナイフは取り除かれた。やはり応急キットの無針麻酔では量も効力も足りないようで、未だに焼けるような激痛を右腕から感じる。

 

「こ、抗生物質をくれ……患部が…炎症になったら困る……」

「り、了解しました」

 

 恐る恐ると抗生物質をペットボトルのミネラルウォーターと共に差し出される。抗生物質を受け取り口に含みキャップを外した水を飲ましてもらう。私は息切れする呼吸をゆっくりと整えていく。

 

「はぁ……はぁ…うぐっ……助かった。私だけでは到底処置出来なかった。恩に着る」

 

 私は少し前まで私の腕を突き刺していた血塗れのナイフを掴む。柄には双頭の鷲の紋章。はっ!士官学校上位成績卒業者に授与される恩賜のナイフという訳か。あの女誑しめ、こんな場所で使うものじゃねぇぞ……!!

 

「よ、よし……っ…中尉、ち、調査を……今ある装備の…三階にある物資の調査を頼む……!後ブラスターも……!!」

「若様……!?今下の階にお運び致します……!御休息下さいませ……!!お願いします……!!」

「んな時間あるかっ……!あんな厚さしかない扉、そう長く持たないぞ……!!?」

 

 せいぜい五センチ余りの鋼鉄製の扉、鍵を破壊すればあっさりと開けられる事は疑いない。まして相手はあの双璧である。開けられない道理がなかった。

 

(クソっ……クソッ!クソッ!クソッ!ふざけるなっ!!ロイエンタールだとぅ!?じゃあなんだよもう一人はっ!!?ミッターマイヤーだとでも?ははっ!ナイスジョークだ、クソッタレがっ……!!)

 

 私は内心で罵詈雑言を吐き続ける。余りに冷静さを欠いた精神状態は必ずしも怪我の痛みだけが原因ではない。

 

(よりによってこんな状況であの化物共相手かよ……!!)

 

 ふざけるなっ!と再度内心で吐き捨てる。当然だ、相手が悪すぎる。

 

 オスカー・フォン・ロイエンタール、ウォルフガング・ミッターマイヤー……原作『銀河英雄伝説』を知っていればまず知らない者はいないだろう、そして当然のように敵対したくない相手だ。先程生き延びる事が出来たのは奇跡に等しい。そして、奇跡はそう続けて起きてくれる程簡単な事ではない。

 

「しかしそのお怪我では………!」

「構わん!さっさと命令を実行しろっ!」

 

 最悪過ぎる状況に苛立っていた私は呑気に休むように提案する中尉に不快感を持ち、睨みつける。

 

「ですがっ……!」

「っ……!随分と口ばかり動くな中尉!!何故私の命令が聞けないっ……!?私がいつ……」

 

 そこまで口にして私は言葉を紡ぐのを咄嗟に止めた。数年前、その言葉を口にして失敗した事をふと思い出したからだ。とは言え、気付くのには少し遅すぎたようだが……。

 

「わ、若様……」

 

 怯えた表情でこちらを窺う従士、元より顔立ちが似ているからだろう、その姿が私の最も古く忠実な部下と重なる。そしてそんな顔立ちでまるで飼い主に捨てられた子犬のようにショックを受けた表情を浮かべ……。

 

 その表情に私の苛立ちはすぐさま霧散する。そして深く深呼吸をして今度はゆっくりと、穏やかに口を開く。

 

「………いや、何でもない。……落ち着きがないのは見苦しいな。気が立っていた、許せ」

「…………」

 

 私は付き人を安堵させるように優しく声をかける。だが、中尉は未だに親に叱られる事を恐れる子供のように震え、その目元は潤み、只でさえ日焼けしてない白い顔立ちは今や完全に血の気が引き、青くなっていた。身体を震わせ、その瞳は虚空を見るように焦点が合っていなかった。

 

「中尉……?」

「御免なさい……」

 

 それは今にも消え入りそうな、弱々しく、涙ぐんだ声だった。

 

「御免なさい…御免なさい…ご免なさい…ごめんなさい…ごめんなさい……ごめんなさい………」

 

 ブツブツと、怯えながら、子供のように頭を抱えて副官はその言葉を何度も何度も呟く。ぼろぼろと大粒の涙を流し、歯をかたかたと鳴らし、酷く下手な泣き方でその美貌をくしゃくしゃにする。

 

「ごめんなさい…ごめんなさい……ゆるして……わかさま……どうしたら…ごめんなさい………ひくっ…おねえちゃん……いやっ……わたしは……わたしは………!!?」

 

 相当狼狽しているのだろう、気づけば子供のような口調で早口で言葉を吐き出していた。次第に言葉と共に感情まで吐露し始めたのか顔を赤らめひくっ、と本格的に嗚咽を漏らし始める。

 

「………違っ……これはっ……わ……わ……私は………わたしはっ………!……?ひくっ…ごめんなさい………!ごめんなさい…!!おねがいします……わかさま……ひくっ…おねがいっ…………みすてないで……!」

 

 悲痛な、それでいてくぐもった泣き声が地下室に反響する。そのソプラノのような声で奏でられる泣き声は聴く者の良心を抉る。

 

「中尉………」

 

 私もまた、普段大人らしく余裕のある表情を崩さない従士が義務教育すら受けていない子供のように感情剥き出しで涙を流すその姿に驚きと共に罪悪感を感じ取っていた。

 

(だが……)

 

 私は一瞬茫然自失するものの、脳内は殆ど反射的に門閥貴族として学んできた心理学と指導力と煽動能力が冷徹に、そして利己的にこの場でどのような行いを行うのが最善かを導き出した。

 

 状況は最悪だ。壁の向こう側には『あの』双璧様がいる。恐らくこのまま私という脂の乗った獲物を放置する筈もなし。仮にその手段が無くてもそれなりの規模の味方を連れてこられたらアウトだ。

 

 同時にこちらの取れる手段は限られている。利き手を負傷した現在、私の戦闘能力は半分以下と言ってよい。負傷していないノルドグレーン中尉が貴重な戦力であるがこの様だ。

 

「………」

 

 私が為すべき事は目の前のパニック状態の従士を落ち着かせる事であろう。この場で回復の見込みがあるのは彼女の精神だけだ。故に……私は彼女の弱みに付け込んだ。

 

「……中尉」

 

 私は再度そう呼びかけると同時に泣きじゃくる彼女の傍に寄る。

 

「ひっ……いやっ……ごめんなさい……やめて……ごめんなさい…!」

 

 叱責か何かを恐れての事だろう、中尉が近づく私に怯えるのが分かるが無視する。そして利き手の激痛を我慢して……彼女を抱擁した。

 

「ひっ……!」

 

 抱き寄せた付き人の体が恐怖で竦むのが分かった。小刻みにその体は震え続ける。耳元では彼女のその呼吸が緊張で荒くなるのが分かる。故に私はその緊張をほぐすべく行動する。

 

「済まない中尉、私が全て悪かった。許しておくれ。本当に済まない……」

 

 耳元で穏やかに、懇願するように優しくそう囁きながら彼女の頭部と肩をゆっくりと摩る。本来ならばセクハラも良い所だが彼女の忠誠心と心理状態なら多分誤魔化せる筈だ。

 

「あっ…ちがっ……わ……わかさま……っ!わたし……!」

「何も言わなくていい。……色々と苦労をかけていて済まないな。今は気にしないから好きなようにしなさい」

 

 パニックになりながらも自身の行いがどれだけ無礼なのか把握しているのだろう、私に何か言おうとするがそれを止めさせる。まずは中尉の精神衛生を優先すべきだ。取り敢えず不満や不安は全て吐いてもらうに限る。

 

「ちがうんです……わたしは……わたしは……ひくっ……ごめんなさい……ごめんなさい……」

「………」

 

 泣きじゃくる中尉に私は黙ってその背と頭を撫で、可能な限り守ってやるように、あやすように抱きしめてやる。うーん、やっぱりこれ下手しなくてもセクハラだよなぁ。

 

(差し詰め、女の弱みに付け込む糞貴族、と言った所かね?)

 

 客観的に見たらどう思われるだろうか、私は内心で自身を嘲りながらも嗚咽を漏らし続ける中尉を優しく慰め続ける。

 

「ひくっ………ひくっ………」

 

 暫く、地下室では中尉の啜り泣く声だけが響き渡る。

 

 そして次第に落ち着きを取り戻したのか、私に縋りつきながら中尉がぽつぽつと自身の気持ちを吐露していく。

 

「……申し訳御座いません……大変見苦しい所を御見せ致しました」

「いや、構わんよ。こちらこそ、色々と負担をかけて済まなかった」

 

 元より私の下に来た時の態度や騒動から一際私と接する時の精神的負担と不安は強かったのだ。まして彼女の背中には姉や千人単位の家族や臣下の命運が掛かっている。厳しかった祖父や父の圧力もある、日々ストレスに苛まれていた筈だ。

 

「分かってはいるんです……私が元凶なのは分かってはいるんです……ですが………」

 

 話を聞く限り、特に私との距離感は相当苦労していたらしい。ベアトと自身を比べる事は最早日課だった。内心私に疎まれていないか?失望されていないか?そこに自身の疲労、それに私の負傷と叱責により溜めていた不安が爆発したように思える。

 

「その……呼び方も違いますし……」

「あー」

 

 ベアトは愛称、中尉は階級かファミリーネーム呼びだからなぁ……。

 

「いや、別に他意は……無い訳ではないが……そこまで気にしてくれなくても良かったんだがなぁ」

 

 ベアトは幼少期からの呼び名をそのまま今も呼んでいるだけだ。中尉に関して言えば寧ろ姉の事で色々と問題を起こしてくれた私がファーストネームで呼ばれても気分が良くないと考えていたのだが……。

 

「その……何だ、色々と気を使わせたな」

 

 謝罪の意味を込めて再度頭を撫でた後、これは少し上からなやり方だと思い至る。尤も、泣き腫らした中尉は心細いのか小さく頷き、そのまま体重をこちらに寄せたが。

 

「しかし……足手纏いを続けた挙句……咄嗟の激情で却って若様に大怪我を……」

 

そこまで言って再び顔を曇らせる中尉。

 

「恐らく奥様や父から御叱りを受ける事になりましょう。……それは自己責任ですから仕方ありません。ですが……」

 

こちらを不安げに見上げ、中尉は懇願する。

 

「ば、罰で御座いましたら私一人で負います。どのような罰を受けようと御恨みなぞ致しません……!ですので……ですのでどうか家族や臣下達は……姉達の事は御容赦下さいませ………!」

 

 それは殆ど縋るような申し出であった。

 

(家で苦労しているのは私だけではない、という事だな。いや、私より遥かにか……)

 

 我儘を幾らでも言える私と違い中尉は私の御守りをしなければならず、少しでも不興を買えばそれだけで大問題だ。彼女は一族本家の娘として家族と臣下達の生活のために様々な意味で伯爵家の人身供養にされる事が生まれの役目だ。好き勝手出来る私が上から目線で評価出来る訳もない。……というよりもストレスやトラブルの元凶だ。

 

「……安心しろ、中尉の家族や臣下達には今回の戦いでも何度も助けられた。少佐達の献身を忘れんよ」

 

 ノルドグレーン少佐を始め、連隊戦闘団には彼女の親族や臣下も少なからずおり、その多くが私を逃がすために義務を果たした。彼らが義務を果たしたのなら私もそれに応える義務がある。

 

「………」

「それに別に私は中尉を疎んでなぞいないし、その忠誠心を疑ってもいない」

 

 不安げにこちらを見上げる中尉に対して私は苦笑いを浮かべる。そして触れるのは中尉の脇腹だ。そこはかつて私を庇って裂傷した箇所だった。既に傷跡なぞ殆どないがそれでも中尉が私を庇った事は疑いなき事実である。

 

「信頼してなかったら六年も傍に置かんさ。あの時の献身で十分過ぎる程に信頼しているとも。周囲からの下らん声や視線なぞ気にするな、我儘は私の十八番だ。どうにかしてみせるさ。だから……今後も傍にいてくれるな?」

 

 私は困ったような表情を浮かべ……それは半分程演技で残り半分は本音だった……頼み込む。

 

「……!は……はいっ!」

 

 私の申し出にようやく少しだけ元気のある返事をするノルドグレーン中尉。その姿に私も思わず笑みが零れる。尤も、内心ではある意味醒めながら自分の行いを批評していたが。

 

(全く、立場や身分制度を悪用してあくどい真似をしているな)

 

 内心自虐の笑みを浮かべる。人の純粋さや献身を利用しているのだ、戦争で百万単位の人間を殺戮せずともこれだけで死後地獄に落ちるには十分だろう。……私の立場的に地獄があるのか怪しいがね。

 

 兎も角も、中尉との蟠りは……少なくとも表面的には……ほぼ解消されたようだった。私はその事に安堵し……そして本題に入る。

 

「それでだ……中尉、色々と迷惑をかけてしまって悪いが……こちらの頼みを聞いてくれないか?」

 

 私は中尉に自身の懸念を伝える。流石に双璧の事は伝えられないが、それでもあの二人が只者ではない事、下手しなくても鋼鉄製の扉を突破するだろう事、そのためにこちらも対策が必要で中尉の協力が必要不可欠である事を伝える。

 

「いけるか……?」

 

 私は不安げに尋ねる。中尉に負担をかけている事は分かっているが今の私一人では到底時間も体力もない。中尉の協力が必須だったのだ。

 

 だが、私の不安は杞憂だった。次の瞬間には鋭く、生気に富んだ返答が返されたからだ。

 

「はっ、お任せ下さいませ若様。不肖の身では御座いますがこの身、髪の毛の一本まで御捧げ致しますればどうぞ御命令を果たさせて頂きます……!」

 

 そう語った中尉の表情は普段の、頼り甲斐のある大人らしさを印象付けるそれに戻っていた。

 

「ただ……」

 

 しかしすぐに言葉を濁し、暫し迷った表情をした後小さな声で彼女は願い出る。

 

「もしお気になされないのでしたら……僭越ながらどうか今後私を呼ぶ際には……そのテレジアと呼んでいただければ幸いです。その……駄目…でしょうか?」

 

 恐る恐る尋ねる付き人の従士家令嬢。その計算していないにも関わらず行われる保護欲を誘う視線はその美貌と小鳥の囀りのような美声も含めて一種の美術品を思わせる。

 

「むっ……」

 

 そして分かり切った事だが、単純思考な私には、先程の会話もあって到底その願いを断る事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれは中々のレア物だぞ?いや、唯の狐狩りと思っていたが思ったより歯応えのある獲物になりそうだな」

「ふっ、所詮は格下である事には代わりは無かろうさ。確かに宮廷で脂肪を揺らす豚共に比べれば出来るだろうが所詮豚は豚だ」

 

 蜂蜜色の小男の言葉を怪し気な虹彩を帯びる金銀妖瞳の帝国騎士は否定する。成程、ある程度白兵戦の心得はあるようだ。

 

 だが逆に言えばそれだけだ。怯えて部下を見捨てて逃げたのは事実であるし、幼少から費用対効果を無視したエリート教育を受けながら士官学校を出たばかりの庭師の倅と不貞の息子相手に終始押され重傷を負い、最後は逃げるように厚い鉄の扉の内側に閉じこもったのも事実だ。

 

 そもそも前線で女を連れ込んで追い詰められていても碌に罠を仕掛ける事もなく肉欲ばかりは盛んな時点でオスカー・フォン・ロイエンタールの採点表では不合格であった。その意味で豚呼ばわりは寧ろ相応しい呼び名ではなかろうか?嘘か真か、牡豚は獰猛で肉欲の衝動が強いのだという。獰猛であっても所詮豚は豚でしかない、少なくともこの均整の取れた貴公子にとってはそう思えた。

 

「随分と辛口評価じゃあないか?そんなに反撃で顔を斬られたのに腹が立ったのか?」

「よしてくれミッターマイヤー、まるで俺が狭量みたいじゃないか?俺はそんな偏見で動く人間ではないぞ?」

 

 茶化すようなミッターマイヤーの冗談に冷笑でロイエンタールは返す。この程度の冗談に機嫌を損ねる程この漁色家の精神は偏屈でもないし貧相ではない。冗談を冗談として受け入れる事が出来る程度には豊かな精神的余裕はあった。

 

「だが……確かに少々苛立ちはあるがな。……言っておくが出し抜かれた事ではないぞ?あの程度の出し抜きに狼狽した自分に苛立ったのだ」

 

 ロイエンタールは自身の頬の傷に触れながらそう指摘する。頬の傷は浅く既に血は止まっていた。肩口の傷も同じで恐らく一週間もせずに跡も残らずに完治する事だろう。

 

 だが、肉体に残る傷跡よりも精神に刻まれた傷の方がこの際ロイエンタールにとっては深いものであった。

 

(油断し過ぎたな。俺とした事が軍人ではなく狩人の気分になっていた、という所かな?いやはや増長はいかんな)

 

 士官学校を卒業して以来特にこれと言って失敗という失敗もなく、戦えば常に敵を術中に嵌め、文字通り獲物を狩る猟師のように功績を立てて来た。しかも今回の獲物は亡命貴族と来ている。幼少時の経験からか、怠惰で好色で、堕落している宮廷の門閥貴族に対して一種の蔑視の視線を向けていた彼にとって今回の経験はあるいは今度二度と来ない可能性すらある経験であった。門閥貴族を合法的に狩れる経験……さしものロイエンタールもまだ若く、その余りに魅力的な機会を前に油断と驕りがあった事は否定出来ない。

 

(だが、二度目はない)

 

 一度の失敗で臆する事なく、そしてその油断を完全に捨て去る事が出来たのはオスカー・フォン・ロイエンタールが稀有な才能を有する事実の証明である。恐らく、次相対した時には件の門閥貴族の牡豚は全く反撃すら許されずに息の根を止められるだろう。少なくとも二度とこの帝国騎士が窮地に陥る事も、まして掠り傷一つつける事すら出来まい。

 

「さて、無駄話はここまでだな、準備はいいかミッターマイヤー?」

「おうよ、こっちも準備完了だ!」

 

 雑談をしながら作業をしていた二人はその手を止めて確認し合う。

 

「これくらいならばこの厚さの扉を壊すには十分だな」

 

 ロイエンタールの視線の先には鋼鉄製の扉、そしてその開口部の隙間や留め具の各所に爆薬やケーブルが設置されていた。

 

「よし、いくぞ。もう少しさがってくれ」

「ああ、任せた」

 

 ミッターマイヤーの言に従いロイエンタールは悠然と扉の前から去る。それを確認したミッターマイヤーは爆薬と繋がれたケーブルが延び、その端で纏められたスイッチに触れる。

 

 スイッチが押されると共に鋼鉄の扉で幾つかの小さな爆発が起きる。そして黒煙が充満する中、厚さ五センチはあった扉はゆっくりと倒れていった。

 

「さて、ゲームの再開だな?」

 

 にやり、と犬歯を見せて笑みを浮かべるミッターマイヤーは親友と共にブラスターライフルを構えて警戒しながら扉を乗り越えた。

 

「行くぞ……!」

 

金銀妖瞳の帝国騎士もまた続く。

 

 扉の先は明かりこそついてはいなかったが待ち伏せをしている敵はおらず、ブービートラップの類も設けられていなかった。

 

「これは少し拍子抜けだな」

「見ろ、これを」

 

 周囲を警戒しつつ進むミッターマイヤーに対してロイエンタールは床にこびりついた血痕を指差す。庭師の息子はすぐにそれが何を意味するのかを察する。

 

「ほぉ、思いのほか肝が据わっているようだな。あのナイフを抜いたのか?」

 

 思い出すようにミッターマイヤーは口を開く。恐らくは扉を閉めた後すぐに右腕に突き刺さったナイフを抜いたのだろう、見た限り深々と筋繊維を抜け骨まで届いていただろうから相当の痛みだった筈だ。

 

「血痕が続いているな。……下か」

 

 足元の血痕はそのまま地下三階に続く階段に点々と跡をつけていた。

 

「……これはあれか?誘っているのか?」

「十中八九そう見るべきだな。だが虎穴に入らざれば虎子を得ずともいう。ここは誘いに乗るべきだ」

「そうだな、仕方あるまい。俺が先行する。支援を頼む」

 

 ミッターマイヤーは暗視装置を装着してブラスターライフルを構えながら先行する。その十歩程後方からロイエンタールはサポートする形でついていく。警戒しながら階段を下り、その先の地下三階に辿り着く。

 

「ここも電灯はついていないな。どうだ?電源は使えそうか?」

「ああ、ブレーカーが落ちているだけだ。つけるか?」

「……いや、このままの方が良い。相手は暗視装置は装備していないからな」

 

 ミッターマイヤーの言にロイエンタールは頷く。そして腰から閃光手榴弾を二つ取り出し……次の瞬間機械室に投げ込んだ。暗闇の中待ち構えているであろう獲物をいぶり出すために、だ。

 

 そしてほぼ同時の事であった。機械室が爆発したのは………。

 

 

 

 

 

 

「痛っ…想像以上に上手くいったか………!?」

 

 地下二階と三階を繋ぐ鋼鉄製の扉、その上にあった換気口から降りた私は爆発の震動に痛みを覚えながらもトラップが上手く発動した事に笑みを浮かべる。

 

 勝因は単純だ。私達が待ち構える側であり、内部構造を把握していて地の利があった事だ。

 

 こちらに暗視装置が無い事は向こうも知っていた筈だ。だから照明を付ける事はあり得ないと分かっていた。換気口に隠れるというのは余りにも使い古された手ではあるが、暗闇と血痕で上方への注意を奪う事でどうにか気付かれないで済んだ。

 

 その上であの二人が機械室で行う事は当然強襲だ。そして恐らくは油断していないであろうから装備の差を存分に利用するだろう。閃光手榴弾でこちらの五感を奪ってから突入する筈だ。

 

 そこにこちらの付け入る隙がある。非致死性兵器とは言え閃光手榴弾の放つ五感を奪うほどの光は相応の熱量を発する。油断すれば可燃性液体や揮発性の気体に引火して爆発する事も十分にあり得る。故にそれを利用した。

 

 機械室には発電機や空気清浄機、浄水器、その他酸素ボンベもある。水を電気で水素と酸素に分離、酸素ボンベも全て開放、次いでに潤滑油やその他の燃料類も全て開けてばら撒いてやった。最後に空気清浄機を止めて室内の空気の流れを止めれば地下三階は正にマッチ一本すら危険な空間に様変わりという訳だ。そこに閃光手榴弾を投げ込めばどうなるかといえば……。

 

「出来ればアレで死んでくれていれば有難いのだがな……!」

「若様、行きましょう……!」

 

 テレジアが私に呼びかける。彼女が先行する形で我々は地上に向けて走る。駆け出してすぐに私の淡い願望は裏切られた。

 

「ちぃっ……!期待はしてなかったが……本当に怪我もしていやがらねぇ……!!」

 

 地下二階と一階を繋ぐ通路で背後から銃声が響く。振り向けばそこには煤けているが怪我一つしていない帝国兵二人の影。どうやらギリギリで気付いて伏せるか逃げるかしたのだろう。主人公補正でも働いているのかよ!?ブッダファック!!

 

「若様……!」

「ちぃっ!問題無い、走るぞ!」

 

 悲鳴に近い声を上げるテレジアに、しかし私は足止めに留まる事を禁じる。その心を弄んだ身でいうのも何だが、彼女を捨て駒にするつもりは無かった。最早この後に及んで小細工をする余裕もない。唯銃撃を避けるように逃げるだけだ。

 

「テレジア、最終手段だ。タイミングを合わせろ……!」

「り、了解しました!」

 

 テレジアは私の呼びかけに僅かに浮ついた声で答える。

 

 無論、浮つくのは声だけで彼女は指示を忠実に守った。テレジアは私と共に手元の閃光手榴弾を同時に後ろに投げる。轟音と閃光が響く。これは時間稼ぎだ。そう、一瞬で良い、一瞬の時間さえ稼げれば良かった。

 

目の前にシェルターの出入り口が見えていた……。

 

 

 

 

 

 

「くっ……!やってくれる!」

 

 オスカー・フォン・ロイエンタールは舌打ちをする。油断はしていないつもりだった。だが、それでも尚、この事態は想定外だった。

 

 地下三階の罠に気付いたのは奇跡に等しい。閃光手榴弾を投げ込んだ瞬間に嗅覚が異様な臭いを嗅ぎ取り、同時に本能が危険性を知らせた。彼の親友も同様で、二人は次の瞬間には部屋から一ミリでも離れるために走り、爆発と同時に床に伏せた。殆ど負傷しなかったもののそれは二人が運命の女神に溺愛されていたからに違いない。恐らく気付くのが数秒遅れていれば二人はミディアムステーキになっていただろう。

 

 全てを悟った二人は次の瞬間地上に向けて駆けだした。そして獲物達の背中を視認すると共に射殺するつもりで銃撃を始めた。既に二人とも生かして捕獲出来るなどという幻想なぞ持っていなければ、最早狩猟なぞとは考えていない。これは文字通りの殺し合いである。油断すれば狩られるのは自分達である事は間違い無かった。

 

「閃光手榴弾かっ……!」

 

 すぐさま暗視装置を捨て耳を塞ぎ、目を閉じて光の海に飛び込む。銃撃される恐れはない事は理解していた。

 

 相手の装備はせいぜいハンドブラスターだ、精密な狙撃なぞ期待出来まい。寧ろこの光と轟音が銃撃からロイエンタールを守ってくれた。それに相手は一度も反撃してきていない。即ち敵は逃げる事を最優先にしているのだ。ならばこちらも躊躇している場合ではない……!!

 

 光の海を抜け、若干ちかちかとした視界の中、ロイエンタールはシェルターの出口を視認した。その出口を出る人影が一瞬見切れる。

 

(森に逃げ込む気だな……!させん……!)

 

 ブラスターライフルを構え、シェルターの出入り口から飛び出すようにロイエンタールは現れる。そして背を向けて走る女性兵士に照準を合わせ……。

 

(いや待て……!もう一人はどこだ……!?)

 

 ロイエンタールが照準器から視線を外し周辺を警戒しようとする。ほぼ同時の事だった。彼の左腕に焼けるような痛みが走ったのは。

 

 

 

 

 

 

 

「畜生がっ!てめぇどんだけ幸運の女神垂らし込んでいるんだよっ!ふざけんなっ!」

 

 私は殆ど悲鳴に近い罵倒を叫ぶ。当然だ、こんな理不尽あるか!

 

 私はシェルターを出ると共にその影に隠れた。飛び出してきた漁色帝国騎士野郎が正面のテレジアに銃口を向けた所を数刻前まで私の右腕に突き刺さっていたナイフを返還するつもりだった。但し、横腹に向けてな。

 

 そのまま心臓まで突き刺そうと腕を伸ばしたと同時にこの帝国騎士は体勢を変えてくれやがった。結果どうなったかと言えば一撃で仕留める筈がナイフは相手の腕に刺さった訳だ。しかも利き手じゃないであろう左腕にな?畜生!

 

 私はナイフを無理矢理引き抜いてやり第二撃を放つ。だが……。

 

「甘いっ……!」

 

 御返しとばかりに私の足を蹴り上げてこけさせる漁色野郎。痛ぇぇ……!!糞っ!お前も道連れじゃ……!

 

 私はロイエンタールの傷を負った左腕を掴み共に倒れる。私と比べて痛みへの耐性が低いのだろう、激痛に顔を歪めて漁色野郎も姿勢を崩し共に地面へと倒れた。そのまま私は苦悶の表情を浮かべる帝国騎士に馬乗りになり喉元にナイフを突き立てる。

 

「くっ……!」

 

 互いに一本のナイフを掴み、一方はそれを押し込み、もう一方はそれを押しのけようとする。

 

「ロイエンタールっ……!」

「ちぃ!」

 

 その呼び声と共に私に襲い掛かる銃撃を私は身を翻して避ける。同時に帝国騎士は反撃とばかりに私に飛び掛かり私の首を締め上げた。

 

「動くな!」

「止まれ!」

 

 テレジアとミッターマイヤーが殆ど同時に叫んだ。二人はそれぞれハンドブラスターとブラスターライフルを構える。

 

沈黙と静寂が場を支配した。

 

「「「「…………」」」」

 

 四者は微動だにせず、互いが互いを牽制するように見やる。状況は一触即発だった。私は背後から漁色家に首を絞められ、テレジアはそんな漁色家にハンドブラスターの銃口を向ける。そして庭師の倅はブラスターライフルをテレジアにいつでも発砲出来る体勢であった。

 

「……ふっ、膠着状態となったな。どうだ?そこの愛人兼護衛、これを見捨てるならば今ならば見逃してやる。卿も貴族のボンボンの御守りは疲れるだろう?」

 

 本気で、というよりも挑発に近い言い方でロイエンタールは提案する。怒るなり迷うなりで隙が出来れば上々と考えているのだろうが……。

 

「……微動だにしない、か。中々面倒だな」

 

 若干殺意を強めたテレジアの視線にふっ、と小さな笑みを浮かべるロイエンタール。当たり前だ、我が家の従士を舐めるな、と内心で吐き捨てる。

 

「まさかここまで縺れるとはな……!中々やるじゃないか?」

「はっ……!そりゃあどうもチビがっ……!」

 

 私はロイエンタールに首を締め上げられた状態でそう嫌味を言ってやる。漁色家の握力が強くなった気はするが当のチビ男の方は特に気にする事なく、凄惨な笑みを浮かべる。

 

「気が強くて何よりだ。そう来なくてはな?」

 

 楽しげに蜂蜜色の髪の小男は口を開く。そしてその数秒後、その瞳を細め、不満げな表情に変える。

 

「だが……残念だ。本来は俺達だけでケリを付けたかったのだがな……」

 

……暗い森の中から人影が次々に現れる。

 

「……悪いがゲームオーバーだ。降伏しろ、捕虜として礼節を尽くす事を約束する。命を無駄にせん事だ」

 

 心底、心底残念そうに『疾風ヴォルフ』は提案した。気づけば森から現れた一個中隊を越える帝国兵が我々に銃口を向けながら包囲網を作り出していた………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウォルフガング・ミッターマイヤー中尉、オスカー・フォン・ロイエンタール中尉、二人はどうやら上位司令部に増援の連絡をしていたらしい。臨時陸戦大隊長レーヴァンテイン少佐率いる一個中隊によって私達は捕囚の憂き目にあった。

 

「武器を捨ててもらおう」

 

 数十もの銃口を向けられて抵抗なぞ不可能だ。テレジアは葛藤の表情を浮かべるが最終的に私が命令すれば苦渋の表情でハンドブラスターをぬかるんだ地面へと捨てる。

 

「よくやった、ミッターマイヤー中尉、ロイエンタール中尉、これは昇進物だぞ!」

 

 機嫌の良さそうにそう声を上げるレーヴァンテイン少佐。亡命貴族を捕らえたのだから当然だ。単純に士官学校出の中佐の捕虜というだけでも十分な価値があるが亡命貴族の子弟という肩書はその価値を軽く十倍以上にするだろう。

 

 とは言え二人の中尉は少し不満気だ。大体理由は想像がつく。本来ならばベアト達と逸れる事になった襲撃で私は捕まる筈だったのだ。それが途中から別の部隊の割り込みで逃げる事が出来た。恐らくはこの本隊がその割り込んだ部隊なのだろう。直接私を仕留める前にやってきた、と言う事も理由かも知れない。

 

「若様……」

「……分かっている、言わなくていい」

 

 地面に座らされ、数名の兵士に監視される中、横で絶望に青ざめた表情で……それこそ涙すら流しそうに……テレジアが呟く。私は頭を振って言わんとする事を止めさせる。彼女の思いは既に良く理解していた。分かっている、だから今は言わなくて良いんだ、と視線で伝える。……今は私に任せて欲しい。

 

「さて、これが例の捕虜か?」

 

 悠々とこちらに近づいて鑑賞するように見下す指揮官。因みに彼以外にも幾人もの帝国兵が我々を不躾に見て何やら話し合っていた。はっ、まるで動物園の見世物だな。

 

「さて……卿の姓名を確認したいのだが宜しいかね?」

 

 明らかに愉悦と嘲りの笑みを浮かべて恐らくは帝国騎士であろう少佐は尋ねる。

 

「………名乗りなら先に言うのが礼儀ではないかな?悪いが目下に先に挨拶する程私は堕ちてはいないし、卑しい生まれでもないのでな?」

 

私は冷笑を持って返す。あからさまに少佐殿は不機嫌な態度を取った。

 

「ふむっ……どうやら状況が飲み込めていないようですな?まさかこれから歓待の晩餐会でも行うとお思いで?」

「この時間帯だと朝食のお誘いではないかな?ああ、ベーコンエッグと林檎パイは外さないでくれよ?大好物でね」

 

 私は皮肉気に答えてやる。恐らくもうすぐ夜明けだろう、空は青紫色に微睡んでいた。

 

「……ちっ、身の危険がないからと随分と横柄な事だな、裏切者の分際で……!」

 

 舌打ちしながら侮蔑に近い表情でレーヴァンテイン少佐はそう言い捨てる。選ばれし高貴な血族でありながら帝室と帝国を裏切り叛徒共に組みし、その癖捕虜となれば生まれにあった待遇を求めるのだ、ある意味顰蹙を買うのも当然だった。

 

(構わんさ………今は一秒でも時間を稼がんとな……!)

 

 私は内心の緊張と恐怖を誤魔化しながら余裕の表情を浮かべる。

 

 今この場で家名を口にする訳にはいかない。この状況で私が捕まった事が分かればベアトやテレジア、いやそれ以外の連隊の臣下やその家族にとって致命的過ぎる。イゼルローンで漂流した時とは違い逃げる手立てもない。私が口を開けば無線で私が捕まった事は瞬く間に広がる筈だ。彼ら彼女らのために家名を口にするのは避けたかった。もう少し……もう少しなんだ!もう少しだけ時間を稼げれば……!

 

「随分と頑固な事だ。だが……いつまでそのような態度が取れるか見物だな?」

 

 だが、こちらが何かを待っている事に少佐は気付いたようで腰からハンドブラスターを引き抜く。そして……次の瞬間躊躇なくテレジアの左足を撃ち抜いた。

 

「きゃっ……!?」

「テレジア!?」

 

 呻き声を上げる従士、一方レーヴァンテイン少佐は鼻を鳴らし口を開く。

 

「戦場に愛人連れ込みとは感心できかねますな、ここは軍事ピクニック用の荘園ではなく正真証明の戦場で御座いますればご注意願いたいものです。人肌が欲しければご自宅のベッドでなさるが宜しいかと。それとも外でなさるのが御好みでいらっしゃったでしょうか?」

 

「貴様……!」

 

 私は殺意のこもった形相で少佐を睨む。何故彼がこのような行いをしたかは分かっていた。私を傷つける事が出来ないから御気に入りの愛人であろうテレジアを人質にしたのだ。

 

「ふっ……さぁ御坊ちゃま、家名と爵位を御伝え下さいませ。さすれば相応の待遇を持って遇させて頂きましょうや?……とはいえ残念ながら我が部隊にはキングサイズのベッドは御座いませんがね?」

 

 明らかにこちらを嘲るような口調で少佐は尋ねる。恐らくは下級貴族にとって今の私の姿は実に惨めで見応えがある事だろう。帝国の階級社会では一生に一度拝めるかも分からない光景な筈だ。あるいは彼もまた中間管理職として帝国門閥貴族の横暴やら我儘にストレスでも抱えていたのかも知れない。随分と生き生きとしていた。

 

「ぐっ……」

「うっ……だ、駄目です若様……!いけません……!私は……!問題御座いません……!」

 

 テレジアの撃たれた足から出血して赤い模様が広がる。それでもテレジアは痛みに若干涙声になりながらも無理矢理笑みを浮かべ私を制止する。

 

 だがレーヴァンテイン少佐が不機嫌そうに再度彼女に銃口を向けるとなると私には選択肢なぞ無かった。私を信頼し、健気にも忠誠を誓ってくれた彼女を見捨てるなぞ出来なかった。ましてレーヴァテイン少佐がテレジアの額に銃口を向けた瞬間、私の選択肢は消えていた。

 

「わ、分かった!口にする!だから……だから止めてくれ……!!」

 

 苦渋の表情を浮かべ、葛藤しながらも私は家名を口にしようとする。

 

「若様……!」

「いいんだ。……いいんだ……」

 

 テレジアが非難、というより懇願に近い視線を向けるが私はそれを退ける。家臣達への後の責任も、アフターフォローもどうにかしよう。命なら兎も角、私の名誉程度のために彼女を見殺しなんて出来ない、出来る筈もない。

 

「私の……私の名前は……ヴォ……」

 

 そして私は屈辱に震える声で名前と家名の最初の文字を口から漏らす。

 

 ………その次の瞬間であった。森から大きな影が現れたのは。

 

「えっ……?」

 

 それに最初に気付いた帝国兵は次の瞬間顔面をその鉤づめ状の足で踏み潰された。周囲があっけに取られる。私もだ、流石に私もこれは想定してなかった。

 

 クエッ!とどこか場違いな鳴き声を上げる黒いトリウマ。同時にその後方から更に何十頭という様々な羽毛を纏ったそれが現れた。

 

「な、なんだ!?一体何が……ぎゃっ!?」

 

 狼狽するある帝国兵は訳の分からないままにトリウマの巨躯による質量攻撃にひき殺された。

 

「なっ……!?撃て!撃ち殺……ぐあっ!?」

 

 火薬銃を構えた帝国兵はしかし、次の瞬間横合いからサーベルで切り捨てられる。え?誰に?トリウマの背に乗る騎兵隊以外にないだろう?

 

「き、騎兵隊だとぅ!?」

 

 帝国軍は文字通り混乱状態に陥った。当然だ、今時時代錯誤な騎兵突撃なぞ想定する筈もない。しかも奇襲だ。森の中で一気に距離を詰められた。近距離ならば銃火器の威力は半減するし騎兵の突破力は洒落にならない。文字通り帝国軍臨時陸戦隊は騎兵突撃の前に混乱した。そこに騎乗する浅黒い肌のターバン姿の戦士達が火薬銃や拳銃を撃ち、あるいはサーベルで切り伏せる。

 

突撃(ヤシャシーン)!!」

 

 遊牧民の使う古いシャンプール語で叫びながら千近い騎兵が襲い掛かる。その人馬の波の前に帝国軍は一気に混乱状態に陥った。想定外の事態に兵士達は我先に武器を捨て、背を向けて逃げ出す。

 

「に、逃げるな!反撃しろっ!!」

 

 咄嗟に拳銃を撃ち、逃げようとする兵士達を止めようとするレーヴァンテイン少佐。だが止まらない。既に部隊の統制は不可能となっていた。

 

「くっ……来いっ!」

 

 レーヴァンテイン少佐は数名の兵士と共に私達だけでも連行しようとする。無理矢理私を立たせる。テレジアが足の痛みに倒れこむと舌打ちしながらハンドブラスターを彼女に向けようとする。私はすかさずテレジアと少佐の間に割り込む。

 

「糞!どけボンボンが……!」

「誰が退くかよ……!」

 

 レーヴァンテイン少佐が苛立ちながらこちらに銃口を向ける。銃撃を受ける覚悟を決め歯を食いしばった私は次の瞬間騎兵隊の中で一人混じる金髪の人影を認めた。それもまた私を見つめると目を見開き、トリウマの手綱を操りこちらに向かう。

 

「少佐、後ろ……!」

「ん……?」

 

 兵士の指摘に背後を見たと同時だった。怒りの形相で金髪の女性はトリウマを跳躍させて一気に距離を詰めた。そのまま擦れ違い様に臨時陸戦大隊長はサーベルで斬り捨てられる。

 

「少佐!?よくも……ガっ!?」

 

 慌てて迎撃しようとした周囲の兵士達は一人がけしかけられたトリウマに弾き倒され、一人が後ろ蹴りで首の骨を折って即死した。更に一人は銃撃を加えるが手綱を引かれたトリウマはすぐにそれを避ける。そしてそのまま発砲した帝国兵まで距離を詰めると即刻彼はサーベルの露と消えた。

 

「若様……!」

「大丈夫だ、味方だ……!」

 

 私を守るために立ち上がろうとするテレジアを宥める。そしてそのまま件の騎兵に視線を戻す。

 

 軽やかにトリウマに騎乗し戦う彼女のその姿は美しく乱れる黄金色の長髪も合わせて幻想的だった。戦女神とはあるいはこのような姿なのかも知れないなどと場違いな事を思う。

 

 瞬時に私を連れ去ろうとしていた敵兵を無力化した彼女はこちらにトリウマを操り歩かせる。その背後から数名の騎兵が現れ私と彼女の周囲を守るように取り囲み警戒を始めた。

 

 彼女は改めてこちらを見上げると感動と激情に目元に涙を浮かべる。そして私の目の前まで辿り着くと急いでトリウマから降り立った。そして頭を深々と下げる。

 

「はぁ…はぁ…はぁ……申し訳御座いません……!若様……!漸く御会い出来ました……!ベアトリクス・フォン・ゴトフリート、若様を御守り申し上げるべく只今参上致しました……!」

 

 自責と安堵、恐怖と後悔、それらが複雑に交じり合った第一声であった。

 

「申し訳御座いません……!若様を……若様の下を離れ、それどころかこのような危険な事態を招き……本当に……本当に申し訳御座いません……!」

 

 地面にめりこみそうな程頭を下げ、若干涙声で謝罪……いや、贖罪する従士。その姿はまるで親に叱られるのに怯えるような子供のように気弱で、頼りなさげに震えていた。

 

 長い付き合いだ、彼女の気持ちはよく理解しているつもりだ。故に私は立ち上がると彼女の肩に手を添える。びくりと竦みあがりこちらを不安げに見上げる彼女。

 

 ……別に私としては彼女に対して不安なぞなかった。寧ろ生存した上に助けに来た事に感動していた程だ。彼女は最後には私を助けてくれる。カプチェランカでは最後に盾になってくれたし、イゼルローンでは私を不安と恐怖から解放してくれた。

 

 そして……あの嵐の夜に私を救ってくれた。いつだって一番苦しい時に彼女は救いの手を差し出してくれる。それが無性に嬉しかった。

 

 ……故に私はこれ以上彼女を不安にさせないように屈託のない笑みを浮かべる。

 

「……よく来てくれた。また助けられたな。……待ってたぞ、ベアト」

 

 周囲で騎兵隊と帝国兵が激しく乱戦を行う中、私は心から安堵の表情を作り、忠実かつ献身的な付き人の功績を労ったのだった………。

 


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