帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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二点、読者への謝罪について

一点目:前回の前置きはネタでしたが不快な気持ちになった方が多かったようです、申し訳御座いません、ジョークだから許して

二点目:流石に120件以上の感想返しとか無理ぃ……。

と言う訳で幕間です、次章は比較的優しい世界だから許して…………




投票者数444人って運命感じるよね?(聖母の微笑み)


幕間
そして喜劇の幕裏で、伝説の開幕準備は整えられる


 ゴールデンバウム朝銀河帝国の首都星オーディン、その北大陸は雪解けの季節であった。未だ大地は冬の女神によって純白に輝いてはいるが、恒星ヴァルハラから降り注ぐ太陽神ソールの恵みは地表を優しく温め、凍てつく雪の大地の下では花々の種子が春の到来今か今かと待ちわびている事であろう。

 

 宇宙暦790年、帝国暦481年の3月末、『新無憂宮』外苑に隣接する五世紀の歴史を誇る煉瓦造り、クイーンアン様式の地上軍総司令部庁舎の一室でその会議は行われていた。

 

「……以上が現状把握、報告されたエル・ファシル星系における戦闘の詳細であります」

 

 帝国地上軍総司令部参謀本部付副官レルゲン大佐は淡々と説明を終えた。

 

 紅色に染め上げたシルクのレースカーテン、風情のある暖炉、最高級の天然木材の長テーブルには書類と黒檀のインク入れ、象嵌の羽ペン置き、金塗りの燭台がテーブルに等間隔で並ぶ。

 

 テーブルとセットであるマホガニー材にベルベット生地張りの椅子には漆黒に銀縁の軍服に煌びやかな勲章の数々を着飾る高級軍人達が厳つい、あるいは渋い表情を作りながら各々席に着席する。彼らの手前に置かれたノイエ・ヘッセン産の赤葡萄酒が注がれたワイングラスは表面に水滴がこびりついており、注がれてから相応の時間が経過しているのを示していた。

 

 重厚にして荘厳な地上軍総司令部庁舎第二会議室では帝国地上軍の最高指導者達が午後の大本営会議に備え地上軍の意志統一を目的とした集まりが行われていたが……参謀本部付副官の説明に誰もが発言に苦慮している。

 

「我らが地上軍の戦死者は六八万七〇〇〇名、負傷者九八万八〇〇〇名……更に推定二〇万名の捕虜、第九野戦軍は司令部要員の半数を喪失し兵員の六割の損害を被りました。……はっきり言いましょう、これは大敗です」

 

 淡々とした口調で、しかし手厳しく指摘するのは地上軍総司令部参謀本部長ゼートゥーア上級大将である。古い歴史を持つ騎爵帝国騎士家出身の名参謀長は、決して虚飾で取り繕ってこの結果から現実逃避する事はない。

 

 会議室の空気が一層重々しくなる。皆腕組み、苛立ちの表情で目を閉じて沈黙する。

 

 決して反乱軍を甘く見ていた訳ではない。そのような甘い幻想なぞする輩はこの会議に出席に参加出来る程の地位を得る事はない。銀河帝国地上軍はそのような軟弱な組織ではない。

 

 だが……785年の第四次イゼルローン要塞攻防戦とそれにより生じた故ブランデンブルク伯爵の死は、帝国軍に報復の討伐軍を派遣させる結果となった。そして敵地深くに進出した友軍は叛徒共の大軍の反撃を受け最終的にエル・ファシルにおける決戦を挑んだのだが……。

 

「まさかこれ程とはな……」

 

 一個野戦軍が文字通り壊滅したに等しい損害……一つの戦いでここまでの犠牲者を出したのはイゼルローン要塞建設期に生じた惑星ジンスラーケンでの敗北以来の事だ。宇宙軍の損失を含めれば反乱軍との戦いで生じた損害は『レコンキスタ』全期間を含めて一一〇万名に上る。

 

「……問題は大本営における会議でこの損害をどう言い繕うかだな」

「宇宙軍はこれ幸いに予算を掠めとろうとするでしょうな」

 

 禿頭の地上軍総軍副司令官パッペンハイム上級大将、老齢の地上軍総司令部軍務局長ノームブルク大将がそれぞれゼートゥーア上級大将の後に続くようにどうにか言葉を紡ぐ。

 

「それどころの話ではあるまい、ツィーテン公やシャフト中将が捕囚の憂き目にあったのだ、この損失は野戦軍一つ失ったのと同等以上の問題だ。我ら全員の首が飛ぶ事すらあり得る」

 

 地上軍総軍司令官ブッデンブローク元帥は険しい表情で腕を組んでいた。前者は帝国宮廷社会でも名門中の名門、後者は此度の出征が終われば軍務省の技術総監、ないし副総監の候補に選定されていた人物だ。そのほかにも幾人も有望な参謀が反乱軍の手に落ちた。唯でさえイゼルローン要塞建設以後その発言力が低下しつつある地上軍に此度の敗戦は余りにも傷が深すぎる。物理的には兎も角社会的に首が飛ぶ可能性は十分にあり得た。

 

「しかも唯一我が方が勝利したアルレスハイム方面は宇宙軍の管轄と来たものだ。これでは地上軍の立つ瀬がありません」

 

 ゼートゥーア上級大将が追い討ちをかける。反乱軍の呼称に合わせるのならば先日の戦いは大きく四方面で行われた。両軍の主力が激突した第4・第10航路、そして陽動や別動部隊が衝突した第16・第24航路である。

 

 この内第4・第10航路において帝国軍は大敗し、第16航路の戦線は膠着して然程大規模な戦闘は行われず、帝国軍が勝利したと言えるのはカイザーリング中将率いる第24航路方面……即ちアルレスハイム方面軍のみであった。そして唯一戦場で勝利したカイザーリング中将は地上軍ではなく宇宙軍の所属……他方面では等しく敗北した宇宙軍と地上軍ではあるが、御前会議で宇宙軍がこの話題を持ち出す事は想像に難しくない。

 

「幸い、此方も弁明の余地はあります。一つは此度の討伐軍の司令官が宇宙軍のクラーゼンであった事、もう一点が情報が正しければツィーテン公を捕囚としたのが奴隷共でない点です」

 

 ゼートゥーア上級大将がテーブルから手に持ち掲げるのは銀河帝国の国営新聞でなければ三大民間紙でもない。だが当然地方紙でなければゴシップ紙でもない、紙面の文字はフェザーン方言でもない。紙面にはフラクトゥーアの帝国公用語で『ノイエ・ヴェルト新聞』と印刷されている。

 

「亡命政府軍……いや、これを読む限りでは亡命した我らが同胞か、ツィーテン公を捕縛したのは」

「はい、少なくとも奴隷や蛮族相手ではなく同胞である事……この事実は無視出来る事ではありません」

 

 ゼートゥーア上級大将の指摘に場に揃う将軍達は同意を示す。完全なる階級社会である帝国においては『何を為したか』ではなく『誰が為したか』の方が遥かに重要なのだ。

 

 それこそ神聖不可侵なる皇帝への批判は平民には僅かたりとも許されないにも関わらず、大貴族ならば公然と叫んでもなお、時として知識人の機知に富んだ発言として見逃されるどころか賞賛される事すらある。近年ではブラッケ侯爵やリヒター伯爵の皇帝批判等が一部の急進派官僚や富裕市民層の賛同を得ているが、それとて権門四七家の一つであるが故に発言が許されている『特権』であった。

 

 ……話を戻そう、故に帝国軍においても同じく降伏は『どう降伏したか』ではなく『誰に降伏したか』がより宮廷と民衆の耳目を集めていた。

 

「ティルピッツ伯爵家か……まだ存続していたのは驚いたな、あそこは確か当主と子息が双方失われていたと記憶しているが……」

「これはノームブルク子爵、御知りでは御座いませんでしたかな?あそこは確か次男が継いだ筈です。確か……バルトバッフェルと婚姻したのだったかな?」

 

 ノームブルク大将の疑問に地上総軍副参謀長カルクロイド中将が答え、参謀本部付副官に確認を取る。

 

「はい、父はバルトバッフェル侯爵家の当主の弟、母はアルレスハイム公王の末妹であると存じております。件の人物は伯爵家の嫡男であると記されております」

 

 レルゲン大佐は淀みなく話題に上がっている人物の血縁について説明する。帝国貴族たるもの、数千ある門閥貴族個々人の血縁関係の把握は最早最低限の常識である。

 

「同じ武門十八将家出身、亡命したとはいえ名門の一族相手の降伏だ。公爵家も最低限の面目は保たれた訳だ、ティアマトの時と違ってな」

 

 パッペンハイム上級大将は不愉快気に葉巻を咥えマッチで火をつけた。伯爵家とは言え新興の彼の家は事あるごとに古くから帝国軍首脳部を独占する武門十八将家によって圧力を加えられてきた。その恨みからの毒であった。

 

「反乱軍の中佐……此度の戦功で大佐ですか。名門伯爵家の嫡男としては少々昇進が遅くはないですかな?」

「いや、叛徒共の平均で比べればこれは早い部類らしい」

「自由戦士勲章……確か叛徒共の中では最高位の勲章でしたかな?宣伝目的もありましょうが、彼方でも相応の功績としては扱われているようですな」

「私としてはこの記事の内容が信じがたい。あの獣相手に二度も逃亡するなぞ……これこそプロパガンダではないか?」

「いや、その真偽は本人から話を聞いている。どうやら事実らしい……」

「それはそれは……ある意味公爵を捕縛する以上の功績ではないか?そちらの方が現実味がない」

 

 諸将達が顔を見合わせる。彼らもエル・ファシルに従軍した装甲擲弾兵副総監の事は良く理解している。アレと戦う位ならば丸腰で成熟したガララワニを仕留める方がまだ勝算があるだろう。一度遭遇して助かれば幸運の女神に祈りを捧げるであろうし、まして二度も逃げきるなぞ奇跡に等しい。

 

「流石は高貴な血筋と言う訳ですかな?いやはや、アルレスハイムの家々は気性が荒い者が多いですが……」

 

 肩を竦めてカルクロイド中将は苦笑いを浮かべる。困った奴らだ、とばかりの表情だ。彼らにとって亡命政府軍や亡命貴族は同じ文化と青く高貴な血を継ぐ同胞、心から憎しみ合う相手ではなかった。故に幾ら平民が彼らのために死のうとも軍首脳部の将軍達にとっては困った親族扱い、という側面があった。……彼らにとって平民の犠牲者は数に含まれないともいえる。

 

「……」

 

 新聞記事を見ながらそんな会話を続ける将軍達を二人が冷めた目で見つめる。一人はゼートゥーア上級大将であり、今一人は此度の会議の最高責任者である。

 

「……ふむ、では御前会議の地上軍の方針としては、此度の損失の原因は宇宙軍の指導にある事、ツィーテン公の捕縛は不可抗力であるという論評で良いか?」

 

 約一時間に及ぶ会議を観察し続け、場を鎮めるように地上軍総司令部長官ファルケンホルン元帥が確認する。恰幅の好い身体に見事なカイゼル髭をたくわえた、帝国地上軍の最高位を占める存在であり次期軍務尚書候補の一人でもある初老の元帥は、これ以上の議論をしても目新しい意見なぞないと悟り幕引きを図る。

 

「異議なし」

「それ以外ありますまい」

「私も賛同致しましょう」

 

 この会議に参加する十数名の将軍達はある者は積極的に、ある者は消極的に元帥の方針に賛同の意思を示す。

 

「宜しい、御前会議における我らの意見は決定した。本日は御苦労、各自解散してくれ」

 

 その号令に合わせて諸将は椅子から立ち上がりそれぞれに書類を抱えながら退席していく。席に残るのは地上軍総司令部長官、地上軍総軍司令官、総司令部参謀本部長の三名だ。

 

「……どうですかな、総司令部長官殿?第九野戦軍の再編許可は下りそうですかな?」

 

 異様なほどの静けさが漂う会議室、その沈黙をゼートゥーア上級大将が最初に破った。

 

「……恐らくは駄目であろうな、近頃は宇宙軍に人員を優先されてしまっている」

「ではやはり欠番に?」

「そういう事だ」

 

 難しそうな表情を浮かべる総司令部参謀本部長、地上軍の実質的軍令を司る総司令部直属の筆頭参謀である彼にとって主力たる野戦軍の実質的解体は全軍のローテーション、動員計画に対して著しい悪影響を与える筈であった。その苦労を思えばこのような渋い表情も作ろう。

 

「余りそのような表情を作らんでくれんか?私とて好きで解体したい訳ではない。しかし……ツィーテンともあろう者が偶然とはいえ捕囚の憂き目に遭おうとはな……」

 

 椅子に深く座り込み、瞑目するファルケンホルン元帥。ツィーテン大将は傑出した将軍ではないにしろ、緻密で隙の無い計画を立てる事に定評があった。司令部の移転に際しても綿密に、安全を考慮した計画の基に実施されていた筈であるのだが……。

 

「やはり噂は事実なのでは?」

「あの話か、だとしてもあの妖怪は認めんだろうな。証拠も残すまい」

 

 ブッデンブローク元帥の言にファルケンホルン元帥は頭を横に振る。エル・ファシル攻防戦に従軍していた某伯爵家の子弟が反乱軍に内通し防衛計画を漏洩していた、という噂は、討伐軍の帰還以降まことしやかに広がっている話だ。仮にそれが事実とするならば立場的にあの『妖怪』が間違いなく一枚噛んでいる事であろうが……ファルケンホルン元帥にはその尻尾を捕まえられる自信は無かった。

 

「どうせ此度の御前会議もあの妖怪の筋書き通りに話が進むであろうな、忌々しい」

 

 吐き捨てるように地上軍総司令部長官は『妖怪』を罵る。

 

 現在の帝国軍は『妖怪』に追従する旧守派とそれに反発する平民階級や下級貴族の『実戦派』や非武門貴族、及びそれらと結びついた士官による『統制派』、長老政治に反発する若手士族・武門貴族からなる『革新派』、それらの間で蠢動する『中立派』等に大別が出来る。そしてファルケンホルン元帥やブッデンブローク元帥は古い歴史を持つ武門貴族ではあるが、『妖怪』を始めとした老いぼれ達が居座り続けるのに反発し『革新派』に属していた。

 

「御苦労、お察し致します」

「抜かせ、総司令部参謀本部長、我々が消えれば卿も元帥への道が開けよう?中立派として漁夫の利を狙っておるのだろうて?」

 

 ファルケンホルン元帥の言に肩を竦めるゼートゥーア上級大将。

 

「これは心外です。確かに私は中立派に属してはおりますが、それは職務に精励するためです。私にとって重要なのは栄えある帝国地上軍の存亡であってそれ以外に関心は無いのです。同じく地上軍に所属する身としてその点元帥方との協調は可能と愚考致しますが?」

「いけしゃあしゃあと舌の回る参謀本部長な事だ」

「頭が回る、と言って欲しいものです」

「ほざきおる」

 

 悪びれもせずに語るゼートゥーア上級大将に両元帥は鼻を鳴らす。とは言え、発言自体は真っ当なので態々これ以上追求する意味も無かったし、その時間も無かった。……御前会議の時刻が迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 華やかな装飾の施された八頭仕立ての馬車に乗り込み、地上軍の元帥二人は広大な『新無憂宮』の敷地を進む。長らく馬車に揺られた末、漸く二人はその宮殿に出仕した。

 

 東苑の一角、『黒鳥宮』、その一階にある『羽休めの間』が会議の舞台であった。それはここ一世紀の間変わる事はない。

 

 銀河帝国軍の最高決定機関、帝国軍大本営会議は常設の機関ではない。本来ならば軍部の決定は宇宙艦隊最高幕僚会議、地上軍参謀会議にて纏められた最前線・実働部隊の意見を基に軍務省参事会(帝国軍将官会議)にて精査・分析、軍事以外の諸分野の資料や意見も考慮に入れつつその方針を決定する筈であった。

 

 大本営という機関はジギスムント一世公正帝の時代にその大反乱の鎮圧のために初めて設けられ、以後エックハルト伯爵暗殺、カスパー一世失踪後の『フランケン帝国クライスの反乱』や『シリウスの反乱』の鎮圧等の際にも特例で設置され、その収束後に解体された経緯がある。

 

 それが常設されるようになったのはダゴン星域会戦以降慢性的に続くサジタリウス腕の反乱軍との戦争、特にコルネリアス帝の親征にて大本営が設置されてからであり、それ以来この機関は実質的に継続し続けて帝国政府の戦争方針の決定の場となり続けている。

 

 近衛兵が左右を固める重厚な樫の木で作られた扉が開くと、その先に広がるのは二十名は余裕を持って入れる会議室である。明らかに先刻の地上軍首脳部が会議を行ったそれよりも華美な内装で内部は満たされていた。紅色の壁紙に幾何学的な文様が金色に輝く。胡桃の木を使った長テーブルと同じく落ち着いたデザインの椅子が綺麗に並べられて置かれている。机上に置かれるのは黄金色の燭台に動物を模した銀製の置物、極彩色に彩られた陶器には様々な花が添えられ互いに妍を競い合う。

 

 ファルケンホルン元帥は会議室を一望する。既に幾つかの席は埋まっていた。文官の席では内務尚書リンダーホーフ公爵に内閣書記官長キールマンゼク伯爵、大本営報道部長メルシー伯爵の席が埋まっていた。それにリトハルト侯爵にクーシネン騎爵帝国騎士、カルステン公爵……幾つかの枢密顧問官、即ち元老の出席も確認出来る。

 

 元老院とも呼称される枢密院は皇帝直属の機関だ。法的拘束力を有しないものの皇帝個人の意思でその構成員を選出出来、その『相談役』ないし『助言者』として一定の国政への影響力を行使出来るし、逆に暗君を制止する歯止め役ともなりえる存在だ。また殆ど形式的とはいえ前皇帝の遺言に従い全構成員一致による新皇帝の擁立と容認も出来る。そのため枢密顧問官を務める貴族達を『選帝侯』と呼称する事もある。

 

 とは言え、現皇帝の国政への意欲を考えれば現在のその影響力は限定的であり事実元老の半分は欠席しているようであった。

 

 武官の席を見やる。宇宙艦隊司令長官に野戦機甲軍・狙撃猟兵団・装甲擲弾兵団の総監、帝都防衛司令官……各帝国クライスの長官は必ずしも出席の義務もなく、此度の会議では参集も受けていないので彼らの席は空席となっていた。

 

 出席者達に形式的な挨拶をしてからファルケンホルン元帥とブッデンブローク元帥がそれぞれ指定された席へと座る。

 

(前座だな)

 

 この場にいる自身達を含めた出席者の面子を確認しファルケンホルン元帥は内心でそう評した。この場にいる者達は銀河帝国における最高権力者達であるのは間違いない。だが、それでも尚これから会議室に入室するであろう者達と比べれば間違いなく自分達は前座であった。

 

 その時が来た。再び会議室の扉がゆっくりと開く。

 

(来たな……)

 

 最初に現れたのはふくよかな体格を持つ宇宙軍幕僚総監たるシュタインホフ元帥であった。続いて高齢から近々引退が予定される統帥本部総長ゾンネベルク元帥、十年近くその役務を務める肥満体の身体を揺らしながら歩く財務尚書カストロプ公爵が続く。カイゼル髭を整えた枢密顧問官たるリッテンハイム侯爵が現れ、殆ど尊大さが固形化したような表情を称える人物は枢密院議長ブラウンシュヴァイク公爵である。そうそうたる顔ぶれだ。

 

「ほぅ、もう随分と揃っているようだな」

 

 クラウス・フォン・リヒテンラーデ侯爵は礼服に杖をつきながら参上した。内務・宮内・財務尚書を歴任し、六年間に渡り帝国国政の頂点に立つ経験豊かな政務者であった。そしてその影から背筋を伸ばした老紳士が現れる。

 

「諸君、本日は会議への出席誠に痛み入る。……さて国務尚書殿、我々も待たせる訳にはいくまい。そろそろ席に座りましょう」

(妖怪め………)

 

 その理知的で成熟した老人の声を聞きつつも、しかしファルケンホルン元帥は内心で忌々しく毒づいた。ヘルムート・レべレヒト・フォン・エーレンベルク、齢七〇を超えるこの軍務尚書を例えるのにこれ程的確な言葉はなかった。

 

 第二次ティアマト会戦にも出征したこの片眼鏡をかけた元帥は、今や軍部に居座る最後の『七提督』である。

 

 第二次ティアマト会戦以後の反乱軍の帝国領侵攻を食い止めた英雄である『七提督』は、その大半が晩年は不遇であった。筆頭たるゾンネンフェルス元帥はオトフリート四世によって『才能・財力・精力の全て』を吸い上げられた。前述の言葉を残したブルッフ上級大将やシュタイエルマルク上級大将は政争の結果軍を追われたし、ボーデン大将はイゼルローン要塞建設のための足止めとして戦い未だに叛徒共の捕囚となっている。エックハルト大将は家族に先立たれ孤独な老後を送り消えるように亡くなっていたし、ブレンターノ中将は叛徒の宿将ジョン・ドリンカー・コープを討ち取ったもののフレデリック・ジャスパーの前に敗れ去った。

 

 このように不遇な人生を歩んだ『七提督』の中で、唯一未だに帝国軍の最高位に居座るのがエーレンベルク元帥だ。軍務尚書についてから今年で一四年、元帥号を得てからは二二年になる。

 

 軍務省は軍政を管轄する。即ち軍内や宮廷の政治抗争や派閥抗争の調整力が求められ、かつ自由惑星同盟を始めとする反乱勢力に備えた組織体制の構築も求められる。即ち伏魔殿といえよう。

 

 四半世紀近くそんな場所に居座り続けるなぞ名門の出身とは言え通常では有り得ない。現状の銀河帝国軍内部における最大派閥『旧守派』の首魁でもあり、軍務省以外にも統帥本部、宇宙軍幕僚総監部等を間接的に手中に収めている。その調整能力をもって平民階級の台頭や武門貴族以外の貴族階級の軍部介入を阻み続け、不穏な動きをする中央・地方軍を厳しく統制、第二次ティアマト会戦以降生じた帝国軍と帝室の権威の失墜、それによる内戦の危機を回避したその手腕は正に化け物……『妖怪』と呼ぶに相応しい。

 

「諸君、集まってくれて何よりだ。陛下は所用で遅れるとの知らせを受けている。その間に先に会議を始め、忌憚なく意見を出し合って欲しいとの事だ。また承知の事だと思うが政務秘書官も陛下の御傍に控える関係から後から出席する事となる」

 

 エーレンベルク元帥は厳かに会議出席者達に伝えるが、その言葉を鵜呑みにする者なぞこの場には半分どころか三分の一もいやしないだろう。

 

 漁色と薔薇の世話以外に関心のないあの皇帝の事である。会議への参加すら億劫になり適当な事を言って出席時間を減らそうとしている事は皆が薄々と理解していた。特に最近は長年お気に入りであったベーネミュンデ侯爵夫人に代わり、数年前に後宮に納められたという二等の帝国騎士の娘に入れ込んでいるらしく、以前にもまして国政への関心が薄れているようであった。

 

 とは言え出席者達にとっては必ずしも悪い事ではない。寧ろ明らかによかった。決して帝室を蔑ろにする訳ではないが、同時にあの無気力な皇帝がこの場にいても正直気を使うだけで一利もない事も確かだったのだから……。

 

「では本日の議題であるが、事前の予告通り先日帰還した征伐軍についてで宜しいかな?」

 

 狐を思わせる容貌を纏う国務尚書リヒテンラーデ侯爵が重々しく、しかしいの一番に切り出した。

 

「ええ、勿論です」

 

 エーレンベルク元帥は帝国軍の代表として国務尚書に応える。

 

「では尋ねるが、先日報告として受け取ったあの情報はどういう事かね?」

 

非難するように不機嫌そうな口調で国務尚書は尋ねる。

 

「反乱軍の攻勢により占領地の過半から撤収、その上一〇〇万近い戦死者が生じたのだ。帝国軍は常勝不敗でなければならぬ。これだけの損失を出し、しかも撤収ともなれば民心の動揺は計り知れぬ。既に帰還兵から不穏な流言が帝都に広がっておる」

「財政的にも大きな課題ですしな。此度の戦死者、遺族年金の支給のみでもどれ程の額になる事か。喪失した兵器の補填に負傷兵の医療費もある、軍部にはもう少し財政への考慮を願いたいものですな。平民共に課税するにも限度がある。税は薄く、広く絞ってこそより多く、より安定的に歳入を確保する事が出来るのですぞ?」

 

 リヒテンラーデ侯爵、次いで意地の悪い笑みを浮かべカストロプ公爵が言葉を紡ぐ。

 

 地方一六爵家筆頭たるカストロプ公爵家当主オイゲンは地方貴族らしく中央政府に対して大規模な派閥は持たない。だが、逆にだからこそ国政に対してより一層利己的かつ現実主義で、自領と一族の繁栄を最優先に考えており、その点戦争による帝国の無駄な出血、それによる経済的な疲弊を厭う立場にあった。中央政府が衰弱し過ぎれば地方もその影響を受ける事を公爵は良く理解していたのだ。

 

「その点に関しましては我ら軍部も深く憂慮しております。此度の征討に関しては我が方としても深追いをし過ぎたとは理解している次第です」

「ならば話が早い。此度の討伐軍による出費、軍部としていかにしてその補填を行うのかと尋ねておる。帝国宰相代理を兼任する身として暫くは大規模な出征を控えてもらいたいのだが……」

 

 リヒテンラーデ侯爵はそのまま軍務尚書からほかの元帥達に視線を向けていく。

 

「時にツィーテン公は叛徒の捕囚となり、その手勢も痛手を受けたと聞くがそれは真であるか、地上軍総司令部長官?」

 

 確認するように尋ねる国務尚書にファルケンホルン元帥は少なくとも形式上は恭しく答える。

 

「はい。真に遺憾ながら、武勇の誉れ高きツィーテン公は叛徒共……否、アルレスハイム公王の手勢に囲まれ、不本意ながらも名誉ある降伏の道を選んだ由であります」

 

 その発言に特に此度の『撤収』に対して然程詳細を知らぬ文官勢と枢密顧問官達の間でどよめきが起こる。

 

「……して、どこの家の者か?まさかツィーテン公ともあろう者が公王の軍相手とはいえ平民の士官相手に降伏した訳ではなかろうて?」

「現状伝え聞く限りではティルピッツ伯爵家の一族のようです」

 

 その発言に一層どよめきが大きくなった。半分が純粋な驚き、もう半分は血統に対する賛辞に近い。

 

「ほぅ……これはまた懐かしい家名を聞いたものだ。あ奴ら、叛徒共の地で堕落していると思っていたが存外良く血統は保存していたようだな」

 

 いかめしい老貴族は賞賛と嘲笑を交ぜた独特の口調で同じ権門四七家たる伯爵家を評する。帝国貴族社会においても最も保守的かつ階級に厳しい治世を領地に敷いているカルステン公爵家の当主にとって、伯爵家の存在と此度の活躍は単純に割り切れないものだった。

 

「ふむ、これは驚いたな。私の下にまだ話は伝わっておらなんだ。ここは曲りなりにも近縁の一族として祝儀でも献じてやらんとならんな」

 

 薄いカイゼル髭を整えながらそんな事を口にしたのは同じく枢密顧問官たるヴィルヘルム・フォン・リッテンハイム三世侯爵であった。ティルピッツ伯爵家とリッテンハイム侯爵家は亡命前に婚姻関係にあって双方に互いの一族の血が流れている。一世紀半前の事とはいえ、帝国貴族にとってそれは決して遠い血縁ではない。故に互いに剣を突き立てるべき関係でありながらもそのような発言が飛び出す。リッテンハイム侯爵にとっては伯爵家によってどれだけの平民の兵士が異郷に躯を晒そうともそれは関心の外にあるようだ。

 

 無論、それだけがこの発言の理由ではない。武門十八将家の一角として軍部への影響力を深めたいが、今では宮廷の文化に染まり殆ど武門の色合いの薄れてしまったが故にエーレンベルク元帥以下の長老組によりポストを締め出されているリッテンハイム侯爵からすれば、ファルケンホルン元帥以下の『革新派』と共に連携するメリットは大いにあった。

 

「リッテンハイム侯、余りそのような軽挙は困ります。唯でさえ此度の戦で民心は動揺している。そんな中、曲りなりにも敵の一族の功績を祝おうなどと……もう少し臣民への配慮が必要ではないですかな?」

 

 『旧守派』の長老である統帥本部総長ゾンネベルク元帥が窘めるように皇帝の娘婿を注意すると、リッテンハイム侯はあからさまに不機嫌そうにする。彼にとって卑しい賎民に配慮する必要なぞ感じられなかったし、寧ろ侯爵は自身の行いを極めて紳士的であるとすら考えていた。優れたる者は敵であれ賞賛するのは武門十八将家の名家として当然ではないか?

 

 尤も、リッテンハイム侯にとっては奴隷の軍隊もその将もただの駆除対象であり、彼にとって優れていると素直に評する事が出来るのは対等の立場の階級……即ち同盟においては亡命貴族階級以外は対象になりえないのだが。

 

「左様、先程も申したが民心が動揺しておるのだ。そのような行いは許しませぬぞ……!」

 

 リヒテンラーデ侯もまたゾンネベルク元帥に追従しリッテンハイム侯を牽制する。前例主義のリヒテンラーデ侯爵が保守的なエーレンベルク元帥と連携する事は想定済みの事である。だが……。

 

「そのようなもの、別の事で目を逸らしてやればいいではないか。所詮賤民共なぞ目先の事しか考えんからな。そのような事で同じ高貴な血に非礼を為すなぞ、吾等正統なる宮廷貴族の名折れではないか?国務尚書殿は我らに恥を晒させたいのかな?」

 

 そう発言したのは茶髪を品良く整えた偉丈夫であった。肩幅の広い大柄な身体に必要以上に華美に装飾した装い、その肉体は服装の下からでも相応に鍛えているのが分かる。尊大さと高慢さが服を着ているような自信に溢れた表情を浮かべる中年貴族だ。

 

 帝国貴族社会でも五本……いや三本の指に入る権勢を持つ大貴族ブラウンシュヴァイク公爵家、その現当主オットー・フォン・ブラウンシュヴァイク公爵は人好きのする笑みを浮かべて自らの意見を妙案だとばかりに口にする。リッテンハイム侯爵は潜在的な対立相手ではあるが、同時にリヒテンラーデ侯爵、エーレンベルク元帥もまた対立派閥である。故に敵の敵は味方の理論で公爵は塩を送る。

 

「むっ……ほかの事と仰るが……ブラウンシュヴァイク公は如何様な手を想定しているのかお聞かせ願いたい。言わせていただくが、臨時にパンや葡萄酒を配るなぞその時限りで大した効果はありませんぞ?」

 

 嗄れた声でリヒテンラーデ侯爵は注意する。その表情は横から口を挟まれた事への不快感が僅かに見えた。

 

「ふむ、そうだな……やはり古代より下民の不平を解消してやるには熱狂出来る祭典があれば良いと言う。うむ、ここは一つ余興として適当な罪人共を纏めて公開処刑してやればいい。さすれば奴らは下らん噂なぞ忘れ、偉大な帝国への畏敬の念をより深くするであろうな……!!」

 

 同盟人が聞けば正気を疑うであろうブラウンシュヴァイク公爵の提案に、会議に出席する幾人かは顔をしかめる。とは言えそれは同盟人の思うような理由ではない。

 

「枢密院議長、余りそう気軽に提案をしないで欲しいのだがな。刑の執行にも手順というものがある。正式に公衆の前で刑を執行するからには内務省や司法省としても手続きがいる。卿の言う通りに刑を執行し臣民の戒めにするとすれば、全土で最低でも数千から処罰せねばならん。短期間の間にそれらを行うにはどれだけ面倒であるか、警察総局にも勤めていた卿ならば理解できることだろう?」

 

 内務尚書リンダーホーフ公爵はしわがれた声で心底面倒そうに語る。ブラウンシュヴァイク公の意見に従うならば処刑は映像ではなく直で見せつけなければ意味がない。となれば帝国の各惑星の各都市ごとに処刑を行う必要があった。

 

 その手間は並大抵の事ではない。法的な処刑は社会秩序維持局が行うような『拘留中の事故死』とは訳が違う。法的手続きは同盟に比べ人命……正確には貴族以外の人命……を軽視する帝国の刑法でも煩雑であるし、処刑方法も貴族階級相手に行われるギロチン刑や毒を含んだ葡萄酒による自裁とは違い、準備に手間のかかる車裂きや八つ裂きである(より残虐に処刑する事で臣民への戒めとし、犯罪を抑制する意味がある)。そもそも如何な帝国とは言え刑務所にそこまで多くの処刑対象者なぞいやしない。

 

「ふんっ、そんなもの適当な罪人共を使えばいいだろうに。手続きも事後承認にすれば良いのだ。処刑の準備ならゆっくりやれば良い。その方が平民共も興奮するであろうからな!」

 

 鼻で笑うようにブラウンシュヴァイク公は解決案を提示する。彼にとって平民の命なぞその程度の気紛れで奪えるものに過ぎなかった。

 

 彼が警察総局局長であった時代、帝国警察は僅かでも怪しい者は見境いなく刑務所に放り込み拷問の末獄死させた。その数は数万名に上るが、彼からすれば『その程度』の平民が事故死した代わりにこれまで小賢しくも逃げ回っていた犯罪者や隠れ共和主義者を何百人も処理出来たと高らかに誇るべき出来事でしかなかった。この事例だけで公爵の中での平民の生命の価値がどれだけ安価であるかが理解出来る筈だ。

 

「うぐっ……だがっ………」

 

 リンダーホーフ公爵は困ったような表情をリヒテンラーデ侯爵に向ける。自分では対処出来ないからと国務尚書に対応を投げたのだ。

 

「……公爵の意見は伺いました。賎民共の処刑には確かに一定の効果があり、採用の余地はありましょう。ですが……少々話がそれましたな。此度の会議の主題は先日の出征の損失の補填、それに誰が占領地放棄の責を負うのかですじゃ」

 

 国務尚書はそう語り話を本筋に引き戻す。尚、公爵の意見は後に限定的に容れられ、最終的に帝都を始めとした主要な帝国直轄領にて数百人の罪人が公衆に石を投げられた後、車裂きや八つ裂き、串刺しや火刑にて公開処刑され、臣民はこの『祭典』に熱狂する事になる。

 

「此度の責任というのならば、それこそエル・ファシル放棄は地上軍の混乱が原因ではないですかな?」

 

 リヒテンラーデ侯爵が話題を戻したと同時に鋭く指摘したのは宇宙軍幕僚総監たるシュタインホフ元帥であった。惚れ惚れする程のタイミングでのこの指摘に、事前の打ち合わせが無かったと考えるのは楽観的過ぎるだろう。

 

「……それは心外ですな。吾等地上軍は皇帝陛下が御ために戦い、多くの兵士が異郷で躯を晒したのですぞ?それに対してそのような物言い、誉れある帝国軍人のそれとは思えませんな」

 

 ブッデンブローク元帥は軍務尚書の腰ぎんちゃくに不快感を一切隠さずに物申す。

 

「それは異な事を。兵士の損失を厭うのは私も同様です。ですが損害を出した責任を回避する理由にはなりませぬぞ?まして討伐軍司令官であるクラーゼンが撤収を決断せざる得なかったのは地上軍の不手際が原因ではないですかな?」

 

 そのふくよかな体からは想像出来ない程キレのある言葉でシュタインホフ元帥は指摘した。

 

「左様、クラーゼン上級大将は艦隊戦において叛徒共に対して互角の戦いを演じていたと報告を受けておる。その均衡が崩れた理由は……御分かりでしょうな?」

 

 ゾンネベルク元帥はすかさずシュタインホフ元帥の援護射撃を行った。中立派の宇宙艦隊司令長官レーダー元帥は一言も口を開かずそのやり取りを見つめる。

 

「ぬ……」

「それこそ異な事を、惑星防衛は宙陸一体の軍事作戦が必要不可欠。しかるにクラーゼン上級大将は叛徒共の策に嵌り敵地上軍の上陸を許し、禄に抵抗が出来なかったではありませぬか!そしてクラーゼン上級大将は宇宙軍所属の筈。あの者が失敗しなければ我らはより万全の体勢で叛徒共を迎え撃つ事が出来たのです!最大の責任があるとすれば防衛の総司令官にこそ帰すべきではないか!?」

 

 地上軍総司令部長官はブッデンブローク元帥に代わり反論を放つ。ブラウンシュヴァイク公、リッテンハイム侯等の反旧守派がこの意見に同調する。

 

「地上軍の意見も一理ある、撤収の責任を司令官が担う事は当然ではないか?」

「左様、強いて言えばそのような人選を行った者にも責はあろうて?」

 

 リッテンハイム侯爵は特に突っ込んだ意見を口にする。クラーゼン上級大将の任命者、即ち人事権を保有する軍務尚書と統帥本部総長への責任を追及しようと言うのだ。会議室が緊張する。

 

「………」

 

 会議の始まり以来、沈黙を続けていたエーレンベルク元帥は、漸く動き出す。小さく息を吐いた後片眼鏡の老紳士はゆっくりと口を動かし始めた。

 

「……成程、地上軍、それにブラウンシュヴァイク公、リッテンハイム侯の御意見は理解致しました。ですがその発言は少々行き過ぎというものですな」

「……どういう事だ?」

 

 エーレンベルク元帥の意味深気な返答に対して元老院長は怪訝な表情を浮かべた。そして軍務尚書に迫撃の弾劾の言葉を放とうとした次の瞬間であった。喇叭の甲高い音が鳴り響いたのは。

 

 その喇叭の音に全員が注目し、次の瞬間には急いで席を立ち、背筋を伸ばして起立する。近衛兵によって重厚な会議室の扉が開かれる。同時に会議室にいる全員が頭を恭しく下げた。大貴族であり帝国の重臣でもある彼らが揃いもそろってこのような態度を取り歓迎する人物は銀河で一人しかいない。彼らが頭を下げた先、そこには漆黒のマントを身に纏った至尊の玉座の人物がいて、その背後に侍従達を引き連れて彼は会議室に入室する。

 

「……ふむ、どうやらまだ会議は続いているようだな、余も途中からになるが参加して良いな?」

 

 本人にどこか不似合いな帝冠を頭上に載せる皇帝フリードリヒ四世は皇帝政務秘書官ジッキンゲン男爵、侍従武官長グリンメルスハウゼン少将を引き連れ、気だるげに会議室をきょろきょろと見渡した後、一切覇気のない声で出迎える臣下達に尋ねた。

 

 

 

 

 

 

 

「皇帝陛下、ご出席を臣下一同大変御待ちしておりました。陛下の御前にてこのように帝国の指針を定める場に立ち会える事、誠に光栄の誼で御座います」

 

 漸く会議室に入室した銀河帝国皇帝フリードリヒ四世に対して、国務尚書にして帝国宰相代理でもあるリヒテンラーデ侯が全出席者を代表して少なくとも形式的には完璧な挨拶を行った。尤も、肝心の皇帝はその挨拶に対しても然程興味が無さそうであったが。

 

「うむ。侍従、椅子を」

 

 皇帝のその声に従い侍従達が会議室の一番奥にあり、一際絢爛な椅子に駆け寄り、彼らの主人が座りやすいように引く。皇帝は頷き幾人もの侍従を連れてとぼとぼと椅子へと向かい、その間会議の出席者達が微動だにせず頭を下げ続ける。

 

 ようやく猫背気味に椅子に座り終え、「楽にすると良い」と皇帝が命じる事で会議の出席者達は感謝の言葉と共に頭を上げた。

 

「さて、此度の会議は……ああ、先日の出征の事であったな」

 

 暫く考えていると横から侍従の一人が小さく耳打ちし皇帝は殆ど忘れ去っていた議題を思い出す。

 

「此度の敗北は実に残念であったな。だが軍務尚書、卿の推薦したクラーゼンは良く働いてくれたようで安心したぞ?おかげで秩序だった退却であったと聞く。それに……ほかに推薦したカイザーリングに……オフレッサーだったか、その者らも良く軍功を挙げたと聞いている」

「はっ、司令官たるクラーゼン提督は清廉にして勇敢、公正にして果敢な人物で御座います。兵員の九割近くが帝国に帰還出来たのも一重にクラーゼンの指揮の賜物、またカイザーリング中将やオフレッサー大将も期待通りの戦果を挙げました」

 

そして……、一層恭しくエーレンベルク元帥は続ける。

 

「そして同時に彼らの戦果はその才を認め任命を為された陛下のご慧眼のなせる業、軍務尚書として陛下の御決断の正しさには恐れ入るばかりで御座います」

 

 どこか芝居がかった軍務尚書の言に、少なくともこの場にいた反エーレンベルク派は内心で盛大に舌打ちした。

 

(くたばり損ないの妖怪め……!)

 

 軍務尚書の狙いは明らかであった。彼らがクラーゼン、延いてはその任命者を糾弾しようとするのを、この妖怪は皇帝をも巻き込む事で回避したのだ。神聖不可侵の皇帝を誰が糾弾出来よう?

 

 特にファルケンホルン元帥達にとって友軍たり得たブラウンシュヴァイク公、リッテンハイム侯を無力化されたのは手痛い損失だ。娘を次期皇帝に担ぎ上げようと画策する両名にとってここで皇帝の不興を買うのは割に合わない。

 

「ほほ、そうか。余の功績か。……そうだな、その通りだ。余の功績だな」

 

 一方、会議室で行われる策謀を知ってか知らずか皇帝は朗らかに……少なくとも見かけは……笑みを浮かべる。そして侍従に用意された葡萄酒をグラスに注がせるとその芳醇な香りを楽しみ始める。

 

「……して、余が入室する前ブラウンシュヴァイク公は何やら口にしようとしていたと思うが……何であったかな?」

 

 アルコールの香りを暫し楽しんだ後、グラスを置いてからフリードリヒ四世は娘婿に尋ねる。いきなりの事に一瞬戸惑う公爵は、しかし誤魔化すように自身の意見を引っ込めた。引き込まざるを得なかった。

 

(おのれ……まさか皇帝陛下が遅れてくる事すら利用しようとはな……!!)

 

 誰にも気付かれないように地上軍の元帥達はエーレンベルクを睨み付ける。尤も、当の妖怪はどこ吹く風だ。

 

「とは言え、ファルケンホルン元帥の言う通り、折角解放した辺境を放棄せざるをえなかったのは事実ですじゃ」

 

リヒテンラーデ侯がそこに口を挟む。  

 

「それは承知しております。此度の遠征が十全な結果でなかったのは事実、責任を取る者が要りましょう。ですな?」

 

エーレンベルク元帥はゾンネベルク元帥を見つめる。

 

「陛下、私は統帥本部総長の任にありますが同時に宇宙軍出身として宇宙艦隊司令長官、宇宙軍幕僚総監の任を歴任した身でも御座います。此度の討伐において陛下よりお預りした宇宙軍将兵を少からず失った責、この身を以て取る事を御許し頂きたい」

 

 恭しく頭を下げるゾンネベルク元帥。自身の引退を申し出る老元帥に対して、しかし会議に出席する大半の者はその潔さを讃えるよりも狡猾さに苦虫を噛んでいた。

 

 ゾンネベルクはここで引退せずとも後二、三年余りで軍を退く立場だった。統帥本部総長の上となれば軍務尚書位しかなく、しかもあの『妖怪』がその席を退くとは思えなかった。『旧守派』からしてみればゾンネベルクが今退こうとも痛くも痒くもあるまい。

 

 そして、軍務尚書や統帥本部総長の言を聞けば分かるであろうがあくまでもこれは『宇宙軍の責任』を取る事に過ぎない。即ち……。

 

「……で、では宇宙軍にのみ責を取らせる訳にはなりませぬな。私が地上軍の最高指揮官として此度の責任を負いましょうぞ」

 

 地上軍総司令部長官は苦渋に満ちた表情で退役を宣言する。宣言せざる得ない。それがこの場で『最善』の判断であるが故に。

 

「ファルケンホルン元帥……!」

 

ブッデンブローク元帥が負けず劣らず苦悩の表情を作る。同志の発言の意図を理解しての事だ。

 

 ゾンネベルク宇宙軍元帥が自主的に退役を申し出るとなれば地上軍としても相応の人物を腹切り要員として供出しなければならなかった。少なくとも宇宙軍・地上軍の融和を建前に求めるエーレンベルク元帥はそう圧力をかけるであろう。であるならば機先を制され人事権を盾に処断される前にファルケンホルン元帥が『自主的』に退役をするのが最もマシであった。

 

「ふむ、そこまで仰るのでしたら致し方ありまぬな。ファルケンホルン元帥、誠に残念です」

 

形式だけ残念がってみせるエーレンベルク元帥。

 

「後任はブッデンブローク元帥が繰り上がるのが当然として……実戦部隊の司令官は……確かゼートゥーア上級大将が総司令部参謀本部長だった筈ですな?彼で宜しいですかな?」

「……異論はありません」

 

 嘘である。敵派閥でないにしろ日和見主義で事大主義の『中立派』が地上軍の第二位に就くのだ、『革新派』は少なくとも地上軍においてその勢力を削がれる事は間違いない。

 

「くっ……」

 

 敗北である。全てはまるで台本に沿った予定調和の喜劇の如く進んでいた。恐らくはここまでの会議の進行はほぼ片眼鏡の忌々しい老いぼれの思い描いた通りに進んだ筈だ。だがそれでもその台本に従わない選択肢なぞ無かった。それ以外の道は破滅しかなかったのだから。

 

「無念だ……」

 

 それは絞り出すような声であった。ある程度予測は出来たとはいえ実際にこのような事態に状況が推移するとなると屈辱感は相当なものであった。ファルケンホルン元帥は無力感に打ち震える。

 

「……そうそう、そう言えば忘れる所でしたな。私めより此度の戦についてどうぞ御一考して頂きたい意見があるのですが……」

 

 だが、その敗北宣言は早計であったかも知れない。次の瞬間に発せられた悪意に満ち満ちた財務尚書の言が、本格的に地上軍の元帥の精神に致命傷を与えていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「気苦労が絶えませぬな、軍務尚書」

「いや、全くその通りですな国務尚書殿。お互いに………」

 

 皇帝が退出し終え、頭を上げると同時に両者は意味深げにそう言葉を交わした。

 

 此度の会議は全てこの二人の望む形で推移し、望むように収束した。エーレンベルク元帥は自派閥のゾンネベルク元帥の抜けた人事を完璧に操った。子飼いのシュタインホフを統帥本部総長とし、現場組で参謀経験の薄いレーダー元帥を宇宙軍幕僚総監に捻じ込んだ。恐らくは数年の内に引退する事になろう。そうなれば無派閥のクラーゼンを自動昇格させられる。清廉で愚直なクラーゼンを操り人形とするのはエーレンベルク元帥にとって然程難しくはない。クラーゼン上級大将の任じられていた宇宙艦隊副司令官には派閥ではないが保守的なミュッケンベルガー上級大将を着任させる予定だ。更には反旧守派の地上軍元帥も一方を追放した、もう一方も長くは持つまい。結果は万々歳と言って良かろう。

 

 同時にリヒテンラーデ侯にとっても事態は歓迎すべき事であった。イゼルローン要塞がある現在、地上軍の勢力を削ぎ、軍事の選択と集中を進める事で帝国財政が好転する事は明らかであった。出兵を抑制する効果もある。また保守的な気風の強い『旧守派』が軍内での地位を維持するのは前例主義の国務尚書にとっては都合が良い。そして何よりも……。

 

「我らの誤算が暴かれずに済みましたな」

 

 周囲を見てから、エーレンベルク元帥が小声で呟いた。そう、二人の此度の遠征における極秘任務の失敗が白日の下に晒されなかった事は今回彼らの手に入れた最大の戦果だ。

 

「死体は見つかったのかね……?」

「いえ、追跡中の憲兵隊は爆撃で消えてしまいましたので」

 

 リヒテンラーデ侯の質問に軍務尚書は難しげに頭を横に振る。極秘に用意した中央憲兵隊は叛徒共の軌道爆撃の前に部隊ごと消滅し、エーレンベルク元帥は極秘に命じたその仕事が成功したのか判別がつかなかった。

 

「事は帝国の名誉に関わる。フォルゲン伯とハルテンベルク伯も仕事の仕上がりを気にしておるしの。もし例の者が亡命に成功しているのなら……最悪刺客を送らざるを得まい」

 

 険しい表情を浮かべ国務尚書は指摘する。そう、全ては帝国貴族社会の沽券に関わろう。まさか大貴族の子弟が叛徒共と繋がっているなぞ……。

 

 彼らにとってフォルゲン伯爵家の不肖の息子は必ず、そして自然にヴァルハラに旅立って貰う必要があった。

 

 大貴族……しかも権門四七家に連なる家柄の娘と婚約した准将が麻薬密売に手を染めていただけでなく共和主義思想にすら汚染されていたなぞ、宮廷や軍部の主流派にとって十分過ぎる程にスキャンダルであるし、下民共にとっても格好のゴシップだ。故にカール・マチアス・フォン・フォルゲンは名誉の戦死を遂げなければならなかった。だからこそ両伯爵から相談を受けたリヒテンラーデ侯は一計を講じ、エーレンベルク元帥はそのお膳立てをしたのだ。

 

「そちらの方は私も調査致しましょう。それにしても……」

 

 ちらり、とエーレンベルク元帥は議場の一角に視線を移す。そこには殆ど放心状態の地上軍の代表達が座り込んでいた。その表情は心ここにあらず、というに相応しい。

 

「……恐ろしいものですな、カストロプ公は。何も事前の接触なぞ無かったというに我らの打ち合わせに乗ってこようとは……」

 

目を細めて、声を低くして最大限の警戒をするようにエーレンベルク元帥は呟いた。

 

 財務尚書カストロプ公爵の提案は決して荒唐無稽のものではなかった。既に戦死者・負傷者を除く第九野戦軍の残存戦力は五〇万前後でしかなく、正規野戦軍としての再編にはかなりの時間が必要と思われた。しかも司令官・参謀長が捕虜となる不名誉な部隊であり、副司令官ヴェンツェル中将以下の将兵達にはその不名誉を一日でも早く濯ぐ必要があった。

 

「名誉挽回の『機会』を与えるために残存部隊をそのまま再編して戦線に投入させるなどと……畜生の行為ですな」

 

 軍務尚書は公爵の提案を反芻し、鼻白む。

 

 カストロプ公爵は第九野戦軍残存部隊を未だに戦闘が膠着している戦線に投入する事を提案した。恐らくはこれを機に正規野戦軍の一つを欠番にして予算節約を行いたいのであろう。本国から改めて部隊を派遣するよりも安上がりという事もある。とは言えボロボロの兵士達に暫しの休息と物資は与えられるとは言え再度戦線に投入するとなると……。野戦軍の解体は覚悟出来ても流石にそこまで非道な真似をされるとはファルケンホルン元帥達も想定していなかったようだ。

 

「じゃが反対はせぬのだな?」

「正規野戦軍の縮小の機会ですからな。イゼルローン要塞がある今、帝国軍は宇宙艦隊の増強こそ力を入れねばなりますまい。それに反対すれば統制派が介入する可能性もありますからな」

 

 故にエーレンベルク元帥はカストロプ公爵の提案に反対しなかった。そしてゾンネベルク元帥、シュタインホフ元帥が追従すればほかの参列者もそれに倣うほかはない。装甲擲弾兵・狙撃猟兵・野戦機甲軍の各総監も地上軍は戦域が重なる潜在的な競争相手であり地上軍の縮小は相対的に自らの影響拡大を意味するので積極的に反対はしない。文官勢も軍部が反対するなら『帝国の名誉』や『皇帝陛下の権威』を盾に口を出す可能性があるが、賛同されれば介入の隙がないので沈黙をもって答えざる得ない。

 

「悪辣な事じゃな」

「全くですな」

 

 軍務尚書と国務尚書は互いに財務尚書の悪知恵に舌打ちする。尤も議場に参列したほかの者達にとってはどの口で語るのか、と吐き捨てるであろう。カストロプ公爵の意見は確かに私欲からのものであるが、逆に言えば軍務尚書と国務尚書の立場に配慮した提案であり、それはつまり『奇術』を持って莫大な国家予算を横領する財務尚書にとっても両者との対立を避け、おもねる事でしかあの場で意見を通せない事も意味するのだから……。

 

「して、奴の意見を聞き入れてやるとして……軍務尚書、消耗するはするとして出来得る限り無駄遣いはせぬように願いたいがその点は配慮しているのかね?」

 

 国務尚書は探るように尋ねる。曲りなりにも番号付き正規野戦軍は帝国地上軍の第一線戦力を担う精鋭だ。使い潰すにしろ有効活用するべきだ。

 

「承知しております。後程会議にかけますが予定とすればアルレスハイム方面への投入を念頭に入れております。カイザーリング中将は先の戦においても寡兵にて叛徒共を追い払った名将です、丁度増援を求めておるようですから渡してやれば良いでしょう。有効に使い切ってくれましょうて」

 

 中将とは言え末席のカイザーリング中将は正規艦隊も正規地上軍も保有していない。保有するのは各独立部隊や敗残兵等を寄せ集めた宙陸統合部隊であり艦艇五〇〇〇隻、地上軍三〇万前後に過ぎない。少なくとも本国の各独立部隊を再度送りつけるよりも敗残兵とは言え正規の野戦軍を纏めて提供する方が彼方としても助かるであろう。

 

「成程のぅ……良かろう。その方面で調整を頼もうかの。儂の方も男爵の功績に報いるように勲章の推薦を陛下に進言しておこうかの、指揮官としての箔付けにはなろうて。全ては帝国と皇帝陛下が御ためにじゃ」

 

 リヒテンラーデ侯爵は軍務尚書の意見に頷き提案する。帝国は階級社会の国である。名誉と権威が無ければ実力があろうとも中々兵士はついてこない。クラーゼン上級大将が思うままに指揮が取れなかったのも彼自身の爵位が低い事が理由だった。田舎の一男爵に大軍を指揮させるとなるとこれくらいの配慮はいるだろう。その程度の配慮で叛徒共との戦が楽になるならば安いものだ。

 

 その後、幾つかの確認の会話を交えた後リヒテンラーデ侯爵は別れの挨拶をして踵を返し、議場から去る。その後ろ姿を老元帥は先程までの友好的な表情とは打って変わり、目を細めて冷たく見つめていた。

 

「……狐めが」

 

 エーレンベルク元帥は小さく呟いた。如何にも中立と平穏を望み、帝国の体制への忠誠を誓っているように見えて、国務尚書のその奥底に眠る野望と独善を限りなく正確に軍務尚書は看破していた。

 

 ……恐らく将来的に生じる可能性の高い皇太子ルードヴィヒと門閥貴族連合、あるいはブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯の対立は最悪では内戦に繋がるであろう。

 

 特に後者の危険は日に日に高まっている。両諸侯を宥めるべきベルンカステル侯の体調が悪化し、既に余命幾何もないためだ。

 

 クレメンツ大公を追放した宮廷クーデターを敢行した三諸侯の内、存命なのは既に当時のベルンカステル侯のみだ。彼の娘がフリードリヒ四世の皇后として皇姫たるアマーリエとクリスティーネを産み、それが同志であった当時のブラウンシュヴァイク公・リッテンハイム侯の嫡男と婚姻した。第二次ティアマト会戦とそれ以降の度重なる皇帝の崩御による帝室の権威低下を塞き止めるためのやむを得ない手段ではあったが……先代の遺訓として現ブラウンシュヴァイク公・リッテンハイム侯もベルンカステル侯に配慮しているが、その死去後まで両者が友好を維持出来ると考えるのは楽観的過ぎる。

  

 ……そしてその対立の間隙を縫い、あの国務尚書は国政を完全に我が物とし、自身が信奉する主義に従った政治に邁進する筈だ。さすれば帝国軍と武門貴族もまた……。

 

「そう思い通りにはさせんわ」

 

 今や軍部の長老にして『旧守派』の長たるエーレンベルク元帥は、古き良き武門貴族の伝統を守る立場にある者としてそれを許すつもりはない。今でこそブラウンシュヴァイク公やリッテンハイム侯、そのほか新興の平民や下級貴族将校への牽制としてリヒテンラーデ侯爵は手を組むべき相手だ。だがそれらの脅威が消えた暁には先手を打つ事にためらいはない。

 

「………」

 

 エーレンベルク元帥もまた議場から軍務省へと戻る準備をする。今、一つの陰謀は密かに終わり、それが原因となり幾つもの新たな陰謀が企てられ、蠢動しようとしていた。終わる事のない陰謀の連鎖という無間地獄、誰もが敵であり味方であり裏切者、弱みを見せれば寄ってたかって食い殺され、溺れた犬には容赦なく石が投げつけられる……それこそが煌びやかな黄金樹の王朝の裏の顔である。そして今回の会議もまたその地獄の極極一部であり、断片に過ぎなかった。

 

 螺旋階段とロングギャラリーを過ぎてエーレンベルク元帥は宮殿の門からまだ肌寒い外に退出した。そのまま待たせていた豪奢に彩られた馬車に乗りこむ。護衛の近衛騎兵隊の一個小隊に囲まれながら十頭立ての馬車は悠然と走り出した。

 

「……ようやく抜けたな」

 

 馬車は約二時間余りかけて白銀色に輝く『新無憂宮』の外苑の外に辿り着く。その間も馬車に待機させていた副官より受け取った報告書に目を通し決裁していたが、それでも軍務尚書にとっては決して短いと言える時間では無かった。

 

 荘厳な構えの王宮の門へと馬車が辿り着く。従士でもある副官が馬車から降り門の衛兵に馬車の中の人物がどのような貴人であるかを宣言すれば優美な外套に身を包んだ衛兵隊長が頭を下げ、兵士達が巨大な門を十名掛かりで開いていく。人力であるがために数十秒程かけて漸く門が開ききるとエーレンベルク元帥の馬車は進み始め帝都の官庁街に足を踏み入れる。

 

「あれは……」

「幼年学校の生徒達でしょう、見学会のようです」

 

 外苑沿いに街道を進む馬車は教官であろう、士官に引率された幼年学校の生徒と擦れ違う。教育の一環として帝都の官庁街や軍事基地、宮廷周辺を見学するのは良くある事だ。

 

「そうか、懐かしいものだな」

 

 副官の報告と馬車の窓から見える生徒達を見やり、ふと半世紀以上前の記憶を思い出し元帥は呟いた。教官が馬車に気付き、生徒達に叫ぶ。数百人からなる生徒が慌てて直立不動の姿勢を取り敬礼する。その姿を見て自身の時は宇宙艦隊司令長官だったな、等と呑気な事を思い浮かべた。

 

 エーレンベルク元帥は馬車の窓越しに答礼する。本来ならばその必要もないのだが、特に理由もなく元帥は微笑みながら敬礼をしていた。『妖怪』扱いされる血も涙もない彼も、流石にまだ子供らしさを残す生徒達にまでは悪意を向けられなかったのかも知れない。    

 

「……若いな」

 

 生徒達を見やり、元帥は呟く。生徒の多くは宮廷権力者とは違い、事実上の帝国軍の最高司令官に純粋な尊敬と羨望の視線を向けていた。『七提督』最後の一人として胸元にこれまでの戦歴を証明する煌びやかな勲章の数々を飾り立てていればさもありなんである。その純粋な瞳はエーレンベルク元帥にある種の後ろ暗さと気まずさを覚えさせた。

 

「……!?」

 

 一瞬の事であったがエーレンベルク元帥は動揺した。擦れ違ったその生徒の視線に思わず狼狽えたのだ。

 

 それは温和そうな赤毛の生徒のすぐ隣で敬礼していた金髪の美青年だった。この事については元帥を賞賛するべきであろう。多くの死線を切り抜けた元帥だからこそ一瞬の事でもそれに気付く事が出来たのだ。

 

 まるで熾天使の生まれ代わりのような美貌の生徒、だがその視線は明らかに特異であっただろう。ほかの生徒と違いそこに羨望の色なぞなく、鋭い射抜くような視線はまるでこちらの実力を見定める獰猛な金獅子のようで………。

 

「……?どうか為さいましたか?」

「ん?い、いや……なんでもない。……次はこの書類であったか?」

 

 副官の声に軍務尚書は我に返る。そして僅かに困惑するがすぐに言い知れぬ困惑を振り払い次の書類へと意識を向けた。彼にとって『たかが』一幼年学校の生徒なぞ意識する事ではなかった。それ以上に気にしなければならぬ事が多すぎた。

 

 ……故に彼はすぐにその金髪の青年の事を忘れ去っていた。そしてこの老元帥が一瞬感じたその懸念を思い出す事はそれが決して遠くない未来、軍務省で赤毛の提督が突きつける銃口という形で目の前に現れるまで遂になかったのだった……。


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