帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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第百三十話 この世全ての食材に感謝を込めてね!

 私が酒精によって誘われた睡魔から目覚めたのは身体を……正確には肩をそっと、優しく揺すられた事による震動のためだった。

 

「若様……起きて下さいませ」

 

 どこからか女性特有の穏やかで甘い美声に呼び掛けられ、私はうっすらと瞳を開く。ぼやけた視界の中には純粋でどこか幼げな顔立ちの美少女がいた。

 

「んっ……んん……ベアト…か…?」

「はい?」

 

 その雰囲気から私は思わずそう口走る。だが同時に目の前の美少女はその呼び掛けを肯定する訳ではなく、寧ろ驚いたような表情で首を傾げる。同時に私の中で疑念が浮かび上がり、同時に彼女がこの場にいる事は有り得ない事を思い出す。

 

「あぁ……済まん、寝惚けていた。忘れてくれ」

 

 その反応に私は覚醒し、自身の言葉を打ち消す。そもそも私の付き人は髪は黒くないし、もう少し背が高い。何よりもこんな曖昧な反応はしない。

 

 私は目元を擦り、その視界は漸く鮮明となり周囲の状況を理解する。

 

 ……どうやら私は撞球室のソファーで眠りこけていたらしい。傍のテーブルには氷が溶けきって中身が温くなったグラス、そして昨夜食い詰め中佐より受け取った手紙が広がる。記憶が確かであればほかの者達が退席した後も一人この部屋でブランデーを片手に何度も手紙を読み返していた筈だ。

 

「確か……リューディアだったかな?妹が世話になっている。起こしてくれたのか、助かる」

 

 深夜に口にした酒精により若干の鈍痛を覚える重たい頭の記憶を掘り返し、私は瑞々しい黒髪を持つ侍女の名前を口にする。ダンネマン大佐の自慢の娘は恭しく頭を下げ、名乗りを上げる。

 

「はい、ダンネマン一等帝国騎士家より奉公させて頂いておりますリューディアで御座います。奥様よりアナスターシア様の侍女を拝命しております。父兄弟、親族共々伯爵家の格別の恩寵に浴させて頂き、誠に光栄に存じ上げます」

 

 女中服のスカートを摘まみ上げ優雅な所作で自己紹介する侍女。その動きから良く教育されている事が見て取れる。尤もその表情や口調を見るとやはり初めて見た時同様にどこか子供っぽく夢見がちな印象が拭えない。目を離すと質の悪い男に騙されそうな不安を与える。

 

 無論それはそれで他者の庇護欲を刺激するのかも知れないが……妹の侍女としては少し心配になるのはやはり否定出来ない。いや、だからこそ臆病な妹に気に入られたのだろうか?

 

「ああ、御父上については良く知っているよ。私も頼りにさせてもらっている。確か兄と弟がいるのだったか、そちらについても聞き及んでいる」

 

 大佐の話によれば彼女の兄は亡命軍の宇宙軍に所属し弟の方はギムナジウムに通っていた筈だ。叔父や従兄弟もそれぞれ帝国での経験を活かした職場で働くか学生として暮らしているらしい。連座制がある帝国では亡命も個人単位ではなく親族一同纏めてになる事が少なくない。

 

 とは言え一族単位で亡命しても言語や文化の壁があり、それをクリアしても同盟一般市民の差別の視線もあるため、簡単に就職出来るか、といえば難しい所だ。亡命帝国人から亡命政府が支持される最大の要因でもある。

 

 ダンネマン一等帝国騎士家も例外ではない。家族の大半が職場を見つけ安定した生活が出来ているのは、以前にも触れた通り当主たるダンネマン大佐以下が食客として伯爵家の庇護下にあり、そのコネのお陰である。

 

 無論、善意で厚遇している訳でもない。食い詰めを雇う上でのトラブル防止のためだ。同時期に雇ったのに食い詰めだけ重宝して艦長は冷遇する訳にはいかんしね?いや、大佐も思いのほか良く働いてくれているけれども。

 

「それで、何故ここに?」

 

 彼女は妹の侍女だ。妹を起こしに行くのは当然としても私を起こしに来る必要はない。

 

「奥様からの御命令で御座います、御客人も宿泊しているのでそちらに女中を振るので代わりに、と」

「母上から?……ふむ、分かった起きよう。今は何時だ?」

 

 午前六時頃と返答を聞き、私は呻きながらソファーから起き上がる。同時に注意が向かないように自然な所作で側のテーブルに置いていた手紙を懐に隠し、差し出された洗面器を使い顔を洗う。冷たい水が私から眠気と酔いを払い除けていく。

 

「ああ、着替えはいい。自分でやろう。妹の方に向かってやってくれ、私と違って随分と気に入られているようだからな。来ないと寂しがるだろう?妹にお気に入りの侍女まで盗ったと怒られたら流石に辛い」

 

 苦笑いしながら私はシャツを脱いでダンネマン帝国騎士令嬢が運んできた着替えを着始める。既に好感度が地面にめり込んでいる気はするが、敢えてそれを悪化させる必要はないだろう。というかしたくない。彼方がどう考えているかは兎も角、私にとっては一応大切な家族と認識している。そんな人物に殺意を込めた目で睨まれたくない、本気で涙目になる。

 

「い、いえ……お嬢様もそんな事は……」

「ん?何だって?」

 

 私の発言に対して何事か口にしたように思えて私は着替えながら侍女に尋ねる。

 

「えっ?あ……いいえ、問題御座いません!それでは御命令の通り退出させて頂きます!」

「あ?そ、そうか。なら……いや、少し待て」

 

 慌てて退出しようとする侍女。そのまま行かせても良かったが、今日の予定を思い出し咄嗟に私は妙案を思いつき侍女を呼び止める。

 

「済まん、少し聞きたい事があってな」

 

 そして私は、恐らく私以上に妹の事を良く知っているであろう彼女に幾つかの質問を行ったのだった………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝仕度と散歩と朝食、多少の雑事を終わらせた後、私はジャケットに狩猟帽の出で立ちで広大な私有地を馬に乗り進んでいた。

 

「程好い暖かさですね。流石ハイネセン、春は麗かで過ごしやすいものです」

 

 今日の天気は仄かな暖かさを感じさせる快晴、ハイネセン衛星軌道を周回する艦隊埠頭や自動防空衛星群『アルテミスの首飾り』がうっすらと青空にその姿を見せている。絶好の狩猟日和である。

 

「本来ならば秋頃が狩猟の季節なのだがな」

「ははは、こればかりは仕方ありませんね。まぁ春は春で獲物はそう悪くありませんよ」

 

 同じように狩猟用の出で立ちで上等な栗毛馬に騎乗するケーフェンヒラー男爵のぼやきに私は苦笑いを浮かべて弁明する。

 

 冬の獲物は痩せており、夏の獲物は暑さで疲れている。秋の甘い果実を大量に食べた獣が一番肥え太り元気であり狩猟の獲物に相応しい。だからこそ狩猟のメインシーズンは秋なのだが……まぁ春は春で恵みが豊かであり獣達も冬に弱った身体を養い夏に備えるために良く食べ肥えている。決して獲物として悪くはないのは確かだ。実際、完全武装で一ヶ月山岳地帯に篭りラオシャンロン狩りをした程狩猟好きで有名であったリヒャルト一世美麗帝も、皇帝になり『新無憂宮』からむやみやたらに狩猟遠征に出れなくなると春の北苑で狩りをしていたのだ。

 

 そもそも『狩猟』には一応とは言え貴族階級が嗜むべきそれなりの合理的理由が存在する。貴族の贅沢な道楽である事も事実ではあるが、銃器を扱い、体力を要する馬に騎乗し、あるいは徒歩で、普段滅多に足を踏み入れる事のない山や森を進み、時として何泊も寝袋や小屋で外泊し、(門閥貴族から見て比較的)粗末な食事で耐え凌ぎ、獲物を追う。多くの供回りや猟犬を率いて獲物を追い立てるのは基礎的な軍事演習であり、武勇を誇示する機会だ。ほかの貴族や臣下との社交と親睦を深める場という側面もある。

 

 また、狩猟園には自然保護の意味合いもある。銀河連邦末期における有人諸惑星の自然破壊や環境破壊、それによる災害や公害の反省として、銀河帝国は自然保護や野生動物保護に力を注いできた。狩猟園は同時に帝国行政区分においては自然保護区であり、そこに住まう鳥獣を狩る事は園内の個体数管理であり、獲物を食するという事は同時にその土地が汚染されていない環境である事を証明する行為でもある。また、中には民間にも開放されている狩猟園もあり、地元にとっては狩猟税や各種施設利用料をもたらすある種の観光資源でもある。

 

「若様、男爵、こちらが狩猟園で御座います」

 

 馬に乗った狩猟案内人と勢子兼護衛役の供回り、及び荷物持ちが私達と共に柵と有刺鉄線で囲まれた私有地内の狩猟園に足を踏み入れる。その数総勢六〇名、全員が銃器持ちだ。確実に帝国軍もテロリストもいない安全地帯な狩猟園でしかも日帰りでこの人数は異様だ。どれだけ私信用されてないんだよ……。

 

「ですが、山頂部から降りてくる事はまずございませんが、アオアシラを飼育している区画もありますので。やはり念のため………」

「前言撤回だ。これくらい護衛がいるのは仕方ないわ」

 

 寧ろ少ない位ですね、間違いない。ブラスターを数発受けた程度じゃまず死なない化物相手の安全策なら納得ですわ。

 

「おいこらお前達、興奮し過ぎるな」

 

 そう口にするのは付き添いの調教師や勢子達である。狩猟と言う事もあり動員されるのは人だけではない。猟犬として調教された狂暴で利口な角有犬も二ダース引き連れられている。森の中の獣の匂いを感じてか、調教師の後ろからハァハァと息を吐き尻尾を振りながら角有犬の群れが付き従う。

 

 興奮する猟犬達、その一方で当の調教師や勢子達はといえば猟犬が主人や客人に襲い掛からないように宥め続ける。とは言え獲物を追い、襲うだけの闘争心は維持しないといけないので、そこは彼らの微妙な手腕が求められる事になる。

 

「それでは我々は……」

「ああ、頼む。良い獲物を持ってきてくれよ?」

 

 勢子役達が猟犬と共に先行する。獲物を探し追い立てていくのだ。

 

「聞いてはいたけど……凄いね、これは」

 

 一方、形式的にはケーフェンヒラー男爵の付き添いと補助として狩りに参加しているヤングブラッド大佐が感嘆、というよりかは驚愕したような口調で感想を述べる。

 

 それもある意味当然だ。彼が手にしているのは木製の銃床が装着された古めかしいマスケット銃なのだから。

 

 猟銃は当然ながら近代的な自動小銃を使う訳にはいかない。威力があり過ぎるし、連射してしまうと獲物がミンチになってしまうからだ。ブラスターライフルは狙いすませばほぼタイムラグ無しに命中させる事が出来るが、貫通力があり過ぎて逆に撃っても簡単に死んでくれない。何より風情が無いので好まれないそうな(但しそれは銃弾で普通に死ぬ遺伝子操作も突然変異もない一三日戦争以前の原生生物に限る)。

 

 よって、猟銃として使われるのは陸上動物に対しては黒色火薬の先込め銃か単発式ライフル、鳥類であれば散弾銃を使う場合もある。当然ながら宇宙暦8世紀の主力アサルトライフルやブラスターライフルの命中精度とは雲泥の差である。

 

「これで動く動物を撃つのかい?当たるのかな?」

「練習すれば存外当たるものさ。何、手本を見せてやろうか?」

 

 重そうに装飾の施されたマスケット銃をいじるヤングブラッド大佐に男爵が笑いながら答える。こうして見ると一緒に狩猟に向かう祖父と孫のように見えなくもない。

 

「男爵が狩猟していたのは五〇年近く昔では?此方に来てから腕が鈍っていませんかね?」

「おいおい、余り揶揄わんでくれんか?確かに猟銃を持つのは久方ぶりではあるがな。型式は同じであろう?猟銃の構造なぞそうそう変わらん、癖さえ覚えれば良い。ならば幾度か試し撃ちすれば覚えるわ」

 

 心外とばかりに男爵はマスケット銃を漆塗りの箱から取り出し、その手入れ具合を確かめる。その手つきはこなれており、この老紳士が半世紀近く前に恐らく幾度もこのような機会があったのだろう事を証明していた。

 

「男爵、僭越ながら私の方にも御教授を御願いしても宜しいですかな?残念ながらマスケットの扱いは指導されなかったものでして」

 

 そう口にするのは勢子と護衛役を兼ねるファーレンハイト中佐であった。マスケット銃を様々な角度に持って観察する。平民も少なくない数入学する士官学校では近代的な火薬銃やブラスターライフルを扱う機会はあっても黒色火薬を使う先込銃なぞ扱う訳がない。幼少時に最低限の貴族教育は受けていたそうだが、所作や言葉遣いは兎も角、流石に実物が必要なマスケット銃の扱い方は学べなかったらしい。

 

「中佐、ふざけた事を申すな。男爵にご迷惑をおかけするつもりか?」

 

 同じく護衛役として馬に乗るダンネマン大佐は不機嫌そうな表情を作り叱責する。尤も、男爵の方は然程気にしてはいないようであった。

 

「はっはっはっ!いやいや構わんよ。どれ、お前さんの方はどうかね?何なら卿にも指導をしてやろうか?」

 

 逆に楽しげにケーフェンヒラー男爵はダンネマン大佐に尋ねる。

 

「い、いえ……僭越ながら私は嗜む程度には狩猟経験が御座いますので問題は………」

 

 ファーレンハイト中佐よりも幾分か階級を意識するダンネマン大佐は恐縮するように遠慮する。

 

「大佐はオーディン住まいだったか?」

 

 私は純粋な興味から話題に加わる。

 

「はい、代々ハーフェルシュタット街出身で御座います。郊外の国営狩猟園にて休日に良く狩りをしておりました。狐や猪が多く良く撃ちましたなぁ、家族からは雉か山鶉が良いと愚痴を言われましたが」

「狐も猪も処理が面倒だからな」

 

 狐肉なぞ良く煮なければ食えたものではない、大抵毛皮を剥けば捨ててしまう。猪は臭いがキツいのと量が多いので少人数では食べきるのが難しい。

 

「まぁ、この人数であれば問題ない。それよりも……来たな」

 

 森の中から猟犬の遠吠えが響き渡る。ガサガサと森の中を駆ける足音が遠くからうっすらと近付いて来る。

 

「男爵、最初の獲物です。練習がてらにどうぞ」

「ふむ、では戴こうかな?御二人さん、良く観察するのだぞ?」

 

 そうヤングブラッド大佐とファーレンハイト中佐に宣言すると同時に、森から猟犬に追い立てられた山兎に狙いすまして発砲する。筒先から小さな火花と黒い煙、そして特別加工のチタンセラミック製の弾が火薬が燃焼した衝撃で筒先から弾け飛ぶ。

 

 空気抵抗と重力をを受けて軌道が捩れる弾丸は、しかし射手がそれすら想定していたために次の瞬間には猟犬の群れから逃げる山兎に即死の傷を与えていた。

 

「素晴らしい」

 

 その場にいた殆どの者達が拍手で男爵の射撃を讃える。特に動く小さな獲物を一撃かつ即死という点は称賛に値する。狩猟とはいえ、いや狩猟であるからこそ可能な限り獲物に苦痛を与えずに一撃で仕止めるのがマナーであった。

 

「何、要領自体は普通の火薬銃と変わらんよ。弾が球体だからその分の軌道修正さえしてやれば存外当たるものさ。であろう?伯爵公子殿?」

「言うは易し、でしょう?男爵?」

 

 私は次いで森から現れた貂に発砲する。ほぼ同時に弾かれたように黄色い毛皮の貂が草原に倒れる。再び周囲からの拍手。

 

 とは言えそれはどちらかというと阿附迎合だ。今の発砲はミスっていた。角度を誤り毛皮を傷めている。やはり右腕の義手の感覚に慣れきっていないか……。

 

「容赦なく撃つね」

「物心ついた時にはもうやっていたので……止めてくれよ?私はそんな冷酷な人間じゃないぞ?」

 

 私はヤングブラッド大佐の視線に気付くと苦笑いを浮かべながら弁明する。いや、自分でも慣れてしまったなぁ、と思うけどさぁ。

 

 動物愛護の精神は一三日戦争やシリウス戦役をも生き延び、今ではそれらの関連法律等も制定されているため、中央宙域では野生動物の狩猟はほぼ厳禁だ。帝国系や辺境の旧銀河連邦の植民地原住民は『文化保護』を名目に一部地域での狩猟が黙認され、また一部の同盟富裕層が観光時に序でとばかりに大枚叩いて遊んでいる(亡命政府にとっても良い外貨獲得手段だ)が、中流階級等を中心に悪趣味扱いされる傾向が強い。

 

 まぁ今私の撃った貂もそうだが狩猟向けの動物の中にも結構可愛いの多いからなぁ、気持ちは分からん事もないが………。

 

「とは言え………あれだな。狩猟なんてしているとな、ゲスい事言うと優越感を感じるんだよ」

「優越感?」

「ああ、優越感」

 

 狩猟している者全員が感じているかは分からないが少なくとも私は絶対的に安全な立場から、絶対的に優位な立場から弱者をいたぶり狩り取る事に支配欲と優越感を感じる事がある。更に言えば弱者をいたぶる事である種の全能感と無根拠な自信、嗜虐心が増大している自覚があった。

 

 ジギスムント一世や石器時代の勇者のように相手がもっと狂暴な、それこそ完全装備でも命の危険がある獲物相手に狩猟するならば兎も角、抵抗の手段が殆どない獲物相手だと撃ち殺す度にどこか歪んだ高揚感を感じる。門閥貴族の屈託した精神が育まれる一因が分かった気がするよ。

 

「それはそれは………」

「人間相手にやるよりはマシなんだろうけどな」

 

 とは言え、彼方の帝国では犯罪者を使った『狩猟』なんてのもあるので一概には言えんが。

 

 次の獲物は一応『客人』枠たるヤングブラッド大佐が狙った。とは言え穴熊を狙った弾丸は空気で大きく逸れてしまい獲物を驚かせる以外の成果は出せなかった。

 

「やっぱりいきなりは無理だね、事前に練習すれば良かったかな?」

 

 肩を落とす学年首席。まぁ、普通は今時マスケット銃の練習をする軍人なんていないからな……撃てる実物が同盟国内に何丁ある事やら。

 

 次に発砲したファーレンハイト中佐は意外にも一撃で先程ヤングブラッドが逃した獲物を仕止めた。脳天を貫通しており、即死である。

 

「おお」

「これは凄い」

 

 これには男爵やほかの勢子達も儀礼と接待の範囲を越えて心から賞賛の拍手を送る。時代錯誤な先込め式の猟銃をほんの僅かな練習でいきなり命中させるなぞ誰にでも出来る行為ではない。

 

「いやはや、流石で御座います。あのようなどこの馬の骨とも分からぬ貧乏騎士を雇うなどと仰った時には色々と異論が御座いましたが……シェーンコップ帝国騎士の時と同じく若様の先見の明、誠に感服致します」

 

 勢子役の年寄り従士の一人が拍手しながら口を開く。百年二百年仕える程度では『短い歴史』扱いされる従士家にとって、食客は同じく主家に仕える家臣であり同僚ではあるが内心では所詮一時雇いと軽視、あるいは敵視する傾向があるのも事実だ。特にその食客が家柄が良く無く、厚遇されている場合はその傾向が強い。

 

 故にその反発を抑え込むには実際に食客に功績を立ててもらい、また目の前で実力を示してもらうのが一番だ。シェーンコップ上等帝国騎士やダンネマン一等帝国騎士はまだ比較的ましな家柄だが、ファーレンハイト二等帝国騎士は文字通りの貧乏で歴史もない生まれである。その分ヘイトが集まり易かったが……先日の『レコンキスタ』での各種戦闘での戦功と今回の狩猟での礼儀と成績を見せればその反発も幾分か和らぎそうだ。

 

 ファーレンハイト中佐はケーフェンヒラー男爵の助言を受けつつ更に射撃の練習を始める。その様子は少し離れた所から見ても和やかで、これまた事情を知らず見た者には祖父と孫の関係に見えよう。

 

「本当は本物の子や孫相手にしたかったのかも知れんがね……」

「私も良く孫か何かのように扱われているんじゃないかと思う時があるよ」

 

 マスケット銃の手入れを控える使用人に渡して行わせ、ヤングブラッド大佐は私の下にやって来た。

 

「………」

 

 ヤングブラッド大佐の発言を聞いた後私は再度、そして静かにケーフェンヒラー男爵を見つめる。寝取られ男爵閣下も同盟の文化に染まっていると言っても根っこは帝国門閥貴族である事に相違はない。そして帝国貴族は身内を、一族の関係と繁栄を最も重視する。

 

 本来ならば男爵も妻と子供をもうけて良き夫、良き父、そして良き祖父となっても可笑しくない歳なのだ。まぁ、現実は妻は愛人の屋敷に逃げてそんな男の子供を産んでくれやがった訳だが。同盟ならば憐憫交じりの笑い話になるかも知れないが、帝国貴族社会ではそんな事されたら洒落にならない。情けない寝取られ男の所に娘を嫁入りさせようと思う門閥貴族は相当変人の部類に入る。

 

 ヤケクソで軍人となった後捕囚となって色々と燃え尽き熱病も怒りも冷めてしまっている男爵ではあるが、やはり一族と先祖に負い目を感じて後悔の念はあるのだろう。男爵は辛辣で毒舌に見えてその実若者や子供相手にどこか甘い所がある。子や孫がいない事の代償行為にしているのかも知れない。

 

「仮政府の方でもそんな感じだね、御姫様と宰相閣下を孫扱いだよ。茶菓子持参で会議に出てほれ食えと来ている。まるで茶飲み話の集会扱いだね」

「おい、その話は……」

 

 私は今の話が聞かれていないか周囲を見渡す。まぁ、ヤングブラッドの事だ。間抜けな私と違い周囲に注意して聴こえない位の音量で口にしたのだろうが……私には心臓に悪いから止めて欲しいのだがな。

 

「……あの二人はやはり其方からすればかなり使えるのか?」

 

 周囲を確認した後私は尋ねる。あの二人の事を聞く理由は半分は好奇心、もう半分は巻き込んだ責任感と罪悪感からだ。

 

「まぁね。やっぱり私達がセールスするのとでは集客率は段違いだ。ビッグネームはやっぱり効果があるものだね」

「私達や同盟政府が客寄せしても不審がって集まらないからな」

 

 旧クレメンツ派が宮廷で粛清されその首魁が『事故死』した後の同盟ないしフェザーンに亡命した残党は大人しいものだ。いや、大人しいというより怯えていると言った方が正しいだろう。神輿はないし、現帝国皇帝派が直接旧クレメンツ派にクーデターを実施しているのだ。皇帝が世代交代しているなら兎も角、今でもフリードリヒ四世の近臣達には旧クレメンツ派を始末するべき理由がある。彼らの盟主は実は亡命政府や同盟政府が陰謀で暗殺したという疑惑もある。生き残った旧クレメンツ派は息を潜めて消えていく以外の道は無かった。……少なくともこれまでは。

 

「亡命政府には及ばないにしても彼らも搔き集めればそれなりの人と金は集められるだろうからね。貴重な駒、時の流れの中で自然消滅する前に再編して有効に利用したいものだよ」

「酷い言いようだな。まるで廃品リサイクルじゃあないか」

 

 まぁ、そうは言いつつも私もその片棒を担いでいる立場であるのだがね。

 

「……接触は出来たのか?」

 

 探るように私は尋ねる。

 

「警戒されてはいるけど最終的には此方につくしかないさ。君の言った通り相当干されているみたいだからね。近いうちにフェザーンで面会してもらうよ」

「感動の御対面と言う訳か。喜劇だな、まぁ今更ではあるが……」

 

 私は冷笑しながら狩猟帽を脱ぎ手で弄ぶ。

 

(それに……使える内に使いたいのは此方も同意だしな……)

 

 原作について私は思い返す。媒体によって微妙に違うし、そもそも全て原作通りに進むとは限らない。

 

 それでも旧クレメンツ派残党の維持する人と金は魅力的だ。特に帝国領遠征の少し前に発生したあの事件はタイミング次第ではかなりの影響を帝国に与えられる筈だ。上手くいけば………まぁ問題はその程度ではあの金髪の小僧にとっては大した障害になり得ない事であるが。切れる札は多いに越したことはない。

 

「………今はやれる事をやるしかない、か」

 

 私はマスケット銃を手に、再度狩猟を再開する。焦燥感と苛立ちを発散し、誤魔化したかったのだ。……それが余り健全なやり方ではないとは理解していても………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 途中狩猟園内の小屋での昼食と休息を挟み、男爵の接待を兼ねた狩猟は比較的短め、その日の夕刻頃にはお開きとなった。

 

 狩猟の終わりにもマナーがある。帝国貴族の狩猟の礼儀として獲物に対する称賛は欠かせない。より上等な獲物から小枝であしらえた絨毯の上に並べ、奉公人達がホルンで獲物達を讃える音楽を演奏する。

 

 その日の狩猟で最も上等な獲物の血に浸した小枝は獲物とそれを狩った射手を讃えるためのものだ。大きな牝鹿を撃ったケーフェンヒラー男爵の狩猟帽に枝印が刺される。

 

「ふむ、やはり帝国にいた頃と作法も同じか。変わらぬ伝統……と言えば聞こえは良いが、何とも珍妙さを感じるものだな」

 

 枝木の刺さった狩猟帽を被りながら興味深そうに男爵は此度の狩猟をそう評した。国家が違い、五〇〇〇光年も距離の隔たりがありながら帝国のそれと全く同じ作法と儀礼が伝わっている事実は、その国家が帝国の体制と文化を敵視する戦時下の民主政国家である事も含め確かに珍妙な事に見えるのかも知れない。

 

「さて、次は解体か」

 

 獲物と客人を称えればここから先はR‐18Gの世界である。獲物はそれなりの数を狩ったが、当然この全てを……毛皮剥ぎ用の貂や狐を除いたとしても……私や客人だけで食べきれる訳がない。なのでこれらの大半は最も上等な部類のもの以外は狩猟に参加した勢子や供回り、雑用等に『御慈悲』として下賜される。あるいは屋敷の使用人達の夕食に追加されたり、狩猟に参加していない友人や臣下、愛人が入ればそちらに贈与されたりもする。

 

 勢子や雑用がナイフや鉈で獲物の解体を始める。ある獲物は毛皮を水で洗い、あるいは火で焼き剥ぎ取る。毛皮を重宝する獲物は特に慎重に、破れないように皮を剥ぎ取る必要があった。

 

 獲物の毛皮を剥げば血抜きを行い腹を裂き、内臓をこれまた傷つけないようにゆっくりと取り除いていく。特に腸や胃袋は中身がこぼれでないようにしなければいけない。

 

 狩猟場はいつの間にか此処彼処どこも赤色で血生臭い空気が広がるようになっていた。猟犬達は興奮しながら吠え、調教師が獲物から切り取った肉を褒美に分け与える。待て、と躾して従うものから肉片をぶら下げていく。あるいは洗った内臓を投げ与えれば我先にと臓物に食らいつく。いやぁ、グロいグロい……と思ったが同盟の完全自動化精肉工場もこれとは別の意味で凄まじいのだが。

 

「……大佐、中佐、少し仕事をしてもらっても良いか?代わりにと言っては何だが私の撃った鴨と雉を何羽か渡すから頼まれてくれないか?」

 

 そんな中を馬で通りすぎ、自分達の獲物を見ながら談笑していた食客達を見つけると私は頼み事をする。

 

「それは構いませんが……何用でありましょう?」

 

恭しく礼をしてダンネマン帝国騎士が尋ねる。

 

「ああ、そこで捌かれている獲物を裾分けして来て欲しい。それと……」

 

 馬でダンネマン大佐に自然に近寄り、周囲から影になる角度で手紙を押し付ける。

 

「分かるな?」

「………承りました」

 

 ダンネマン大佐とファーレンハイト中佐は再度頭を下げて承諾する。

 

「迷惑をかけるな。そのうちにまた慰労を考えておくから頼むぞ」

 

 私はフォローを口にした後に手綱を引いて馬の進む向きを変える。彼らにはストレスが溜まるだろうが……とは言え自由にかつ密命込みで動かせる人手は余りないから仕方無い。

 

 粗方の獲物の処理を終えた所で狩猟団は行進しながら屋敷に戻る事になった。途中の村を通れば村長含む住民から出迎えられるので何頭かの猪を下賜してやる。

 

 屋敷に辿り着く少し前に早馬が駆けて屋敷側に出迎えの準備をする知らせを伝える事になる。

 

「あらあら、こんなに沢山……随分と楽しんできたのかしら」

 

 馬車によって運ばれる獲物を見て使用人達を引き連れて屋敷から出迎えた母が微笑みながら口を開いた。

 

「男爵、どうでしたか我が家の狩猟園は?」

「春先でしたので正直期待はしていませんでしたが……想像以上に良い獲物が揃っていて大変素晴らしいものですな。流石伯爵家といった所ですかな?」

 

 ケーフェンヒラー男爵は御世辞半分称賛半分に母の質問に答える。

 

「そう言って頂けて夫もきっと満足していることでしょう。秋口になりましたらまたほかの諸侯の方々とお越しになるのも宜しいでしょうね。もっと良い獲物が獲れると思いますわ」

 

 客人の数はその貴族のステータスの高さに比例する。なので母も訪れる客人を増やす努力は怠らない。

 

「ああ、料理長。良かった、結構な量が狩れたから処理を頼む」

 

一方私は白衣に長帽子、つまりコックの集団に向かいその長に呼びかける。

 

「此度の成果、おめでとう御座います。して、どの獲物を御使いすれば?」

 

 元々先祖はテオリアの高級ホテルの料理長で、代々伯爵家の料理を拵える太った従士は馬車の肉の山を見た後に尋ねる。

 

「ああ、今夜は山鷸で頼みたい。それと明日はこの牝鹿をメインにしてくれ」

「承知致しました。それにしても一……二……三……四……五羽もですか。随分と多く狩りましたな」

「勢子に頼んであちこち探させたからな。ナーシャも好きなんだろう?」

 

 朝に思いつきで女中に尋ねて正解だった。色々迷惑をかけているので少し位は御機嫌を取っておきたい。……まぁこの程度で靡く事はないだろうけど。

 

「はい、秋口に旦那様が御狩りになられていたものをお嬢様が大層美味しそうにお食べになられておりました。では調理法も……?」

「ああ、妹が好みそうなやり方で頼む。それとデザートは果物のソルベを頼む。……ああ、後これは屋敷の使用人達に分けてやってくれ」

 

 そう言って後続でやってきた馬車に乗せられた余り物の獣肉の山を指差す。

 

「承知致しましたが……兎や猪は良いとして鹿……それに雉肉は使用人相手に少々上等過ぎでは?」

 

 料理長が尋ねる。帝国は階級社会であり、全ての待遇は階級で決まる。故に『たかが』使用人達に兎や猪なら兎も角、鹿……まして雉はかなり豪華な部類であり食卓に出すなぞ『身の程知らず』なものと見做される可能性もあった。

 

「なぁに、日頃の礼だよ。まぁ、流石に全員には行き渡らないだろうからな。下級使用人には悪いが兎や猪を、侍女や執事達には鹿と雉をやってくれ。余り高級でなければ蔵の葡萄酒の瓶も開けてくれて構わんよ」

 

 流石に助言を受けた侍女にだけとなると贔屓になるし、いらぬ誤解も与えかねない。今回に限ってはその他大勢と一緒に礼品を与えた方が良かった。

 

 ついでに厨房の者達で楽しめるように山鶉を何羽か料理長に渡してから私は母の下に向かう。そろそろ顔見世しなければ不審がられる可能性があったから…………。

 

 

 

 

 

 

 

 ハイネセン北大陸のティルピッツ伯爵家の私有地から東に六〇キロ程向かった先がその一族の保養地である。その一族の私有する総面積八〇平方キロメートルの土地は決してティルピッツ伯爵家の傍である故購入されたのではなく、唯単にこの一帯は山林地帯や盆地が多く、鉱物資源に乏しい田舎であるため土地が安いからだ。実際ほかにも十数家余りの亡命門閥貴族が大なり小なりこの周辺地域を私有していた。

 

 同盟政府からすれば大して価値のない山林地帯なぞ持っていても使い道はない。寧ろ物好きな亡命貴族共が金を払って購入してくれるならば儲けもの、とばかりに星道地域等を除いて少なくない土地を売り払っていた。

 

 無論、一部の極右勢力からは先祖が開拓した『神聖なる祖地』を売り払うなぞ言語道断という意見もあるのだが、中央政府や官僚はそんな声に耳を傾ける積もりは更々無かった。どうせ寝かしていても意味がない土地である。文句を言っている者達が代わりに土地を有効活用してくれるのなら兎も角、移住する者なぞいない事位理解している。ならば土地を売った金で国民年金の予算を確保する方がイデオロギーや狭隘な排外主義政策を進めるよりも効率的であった。

 

 兎も角も、そういう訳で亡命貴族リューネブルク伯爵家の別荘地がこの土地に建っていた訳だ。尤も、今この別荘に住まう者達の数は貴人から下人まで合わせても二〇人もいやしないのだが。

 

『はぁ、貴方には呆れましたよヘルマン!』

 

 書斎に備え付けられたテレビ電話のスクリーンからは呆れと怒りと嘆きが絶妙な比率で配合された女性の声が響く。

 

「御怒りは分かりますが……こればかりは御容赦頂けませんか?男爵夫人?」

 

 書斎の椅子に座り、困った表情で下手に出ながら先日戦功で大佐に昇進したリューネブルク伯爵家の当主ヘルマン・フォン・リューネブルク伯爵は電話相手に尋ねる。その姿を見た者は誰でも困惑した事であろう。

 

 当然である。自由惑星同盟軍の陸戦部隊の中でも勇名を轟かせる精鋭部隊が一つ『薔薇の騎士連隊』、その副連隊長が自身よりも三〇近く年上の初老の女性にたじたじであったのだから。

 

『出来るわけないでしょう!!』

 

 リューネブルク伯爵の母方の叔母、ザルツブルク男爵夫人はその品のある表情を歪ませて叫んだ。幼少時から実の息子のように可愛がっていた甥っ子を叱りつけるように男爵夫人は言葉を続ける。

 

『各方面から苦情が沢山来ているのを分かっているのですかっ!!?今すぐにでもその屋敷に隠している物を追い出しなさい!!』

 

 それは高圧的ではあるが同時に最大限甥っ子の立場を思いやった助言であった。当然だ、渦中の従士の小娘なぞ匿ってリューネブルク伯爵家が要らぬ争いに首を突っ込む必要なぞない。

 

 リューネブルク伯爵家は爵位こそ伯爵号を有する三〇〇年以上続いてきた武門の家柄であるが、亡命政府における立場は決して高いものではない。

 

 リューネブルク伯爵家は亡命帝の暗殺と同時に当時の当主が着の身着のまま帝都から脱出したがために、殆どの財産も家臣も持たずにサジタリウス腕に逃亡する事を余儀なくされた。所領は帝国軍に接収され、残された親族と家臣の大半は抵抗の末討ち取られるか処断された。極一部の生き残りだけが同盟や亡命政府の手引きで、あるいはフェザーン商人の協力を受けて当主に合流できた。

 

 亡命政府における資産や領民、あるいは家臣と言った基盤が無いがためにリューネブルク伯爵家一門の立場は極めて不安定であり、それ故に亡命政府内での立場を築くために一族郎党は積極的に従軍し前線で武功を立てた。一族や家臣の敵討ちという側面もあっただろう。

 

 その甲斐もあって決して大きくはないがどうにか亡命政府内での足場を築き上げる事に成功したリューネブルク伯爵家一門は、しかし引き換えに唯でさえ少ない血族と臣下の殆どを喪失しており、いつ断絶しても可笑しくない一門でもある。その立場は万全ではない。にも関わらず……。

 

『よりによってティルピッツ伯爵家相手に……!』

 

 テレビ電話の先にいる男爵夫人は扇子片手に項垂れる。喧嘩を売るにもせめて相手を選べないのか、と呻く。

 

 同じ武門貴族かつ伯爵家であっても両家の差は一目瞭然だ。片や一族と臣下の大半を失った弱小諸侯であり、片や帝国建国時からの名家であり亡命政府成立初期から所属する大諸侯である。亡命時には一〇〇万近い領民と膨大な資産、そして家臣団の殆どを持ち逃げした。その財力と武力の差は歴然だ。

 

『それに、貴方も彼方の家には随分と世話になったそうではないですか?小耳に挟んでおりますよ?騎士団の再編時に随分と人と金を融通してもらったのでしょう?』

 

 『薔薇の騎士連隊』の事、第五〇一独立陸戦連隊の再編自体は以前より計画はあったが、これまでのイメージもあり積極的な予算の分配が為されるかと言えば難しい所があった。連隊長リリエンフェルト大佐の着任こそ決まったもののリューネブルク伯爵家を始めとした数家の援助では力及ばず、人材・装備面ではかなりの妥協が必要であると当初は思われた。

 

 亡命政府軍が方針転換して積極的に『薔薇の騎士連隊』への人材と装備の投下を始めた一因はティルピッツ伯爵家の援助がある。それが呼び水となってほかの家々も各々に金と人を連隊に注ぎ込む事で長らく形骸化していた愚連隊は再度軍規の保たれた精鋭連隊に変貌する事が出来たのだ。

 

『それにエル・ファシルで包囲された際には救援も送り込まれたそうではないですか?それだけされながら彼方の奥様がお求めになられている引き渡しを誤魔化すなんて……恩を仇で返すつもりですかっ!!?』

 

 何やら交渉や根回し等もあり各方面での大がかりな追求や処理は行われていないが、伯爵家の一粒種が利き手を切り落とされたのだ、宮廷の婦人会の主役の一人でもある伯爵夫人が荒れに荒れたのは言うまでもない。下手人には呆れた額の賞金が掛けられたのは当然として、それ以外にも幾人かに怒りの矛先は向いている。その一人が現状リューネブルク伯爵家の別荘に匿われている小娘であるのだが……。

 

『この前彼方の実家からも返還要請があったそうじゃないの。その時に押し付ければ良かったではありませんか!』

 

 先日件の従士家の本家から娘の返還のため使者が送り込まれたが面会した伯爵はあの手この手で追求を逃れ、丁重に使者を返した所である。

 

「その先を予想出来れば到底返還なぞ出来ませんよ。まして此方は『約束』をした身、それこそ借りがありますのでそれを違える訳にはいきますまい?」

 

 そもそも返還せず匿って欲しいと手紙を送り付けて来たのはその嫡男なのだ。現当主はこの事態に対して沈黙している以上、リューネブルク伯爵からしてみればエル・ファシルで救援を受けた手前、その借りを返すべき義務があった。

 

『ああ、本当あそこの嫡男は問題児だわ……!夫人はどういう躾をしてきたのかしら!!夫人も夫人だわっ!宮廷を放り投げてハイネセンなんぞに向かうなんて……!』

 

 ザルツブルク男爵夫人は愚痴る。あそこの嫡男は気難しく我儘の癖に妙に家臣に甘い所もありその差が周囲を困惑させる。その母親とくれば経緯が経緯にしろ子供を優先し過ぎる。普通に考えれば帝室の血を引く伯爵夫人が帝都からハイネセンに移るなぞ有り得ない事なのに……!

 

結局、男爵夫人は甥を追求するがその度に話を躱され続け、諦めるようにテレビ電話を切る。

 

「とは言え、明日もかけて来るのだろうがな」

 

 何ともいえない苦笑を浮かべるリューネブルク伯爵。断じてあの叔母が嫌いなわけではない。寧ろ数少ない身内であるが故に伯爵にとって最も大事な人物の一人である。それでも譲る訳にはいかない事もある訳で……。

 

「それにしても……叔母様も避難して欲しいのだがな」

 

 はぁ、と溜息をつきながら伯爵はテラス越しに夜空を見つめる。幾度か手紙で疎開を進めてはいるのだが。それが叶わぬならせめて傍にいたかった。尤も叔母からすればそれこそ論外なのであろうが……。

 

「旦那様、失礼致します」

 

 と、椅子に座り込み考えていると扉をノックの音が響き、次いで彼の付き人の一人が入室する。エッダ・フォン・ハインライン少佐は自身の主君に訪問客が来た事を告げた。

 

「訪問客?この夜中にか?」

 

 発条仕掛けの壁掛け時計は2100時、即ち午後9時頃を示していた。本来ならばこんな時間帯に客人が訪れるなぞ常識知らずであり、彼は今の自身の立場を思い警戒する。まさかとは思うがティルピッツ伯爵家の刺客が来ないとも限らないのだ。

 

「先日訪問した食客、ファーレンハイト二等帝国騎士で御座います。恐らくは御返事で御座いましょう。後手間賃代わりに、と荷物も御座います」

「荷物?」

「は、血抜き処理が為された鹿肉で御座います」

 

 恭しくハインライン従士は答える。淡々としたその報告には、しかし長年の付き合いであるリューネブルク伯爵には気づける、ほんの僅かの喜色も浮かんでいた。鹿を……それも持続可能な規模の群れを放し飼いするとなると、相応の広さの私有地、狩猟園が必要だ。

 

 当然リューネブルク伯爵家はそんな広さの土地を持っていないし、それを維持する資産もない。故に鹿肉を食べる機会は少なく、無理して飼ってもそれほど柔らかく味に深みのある個体は育てられないであろう。その分この一門における鹿肉の価値は他所の比ではない。それ故の喜色であった。

 

「ほぉ、裾分けか。気が利くようだな。……ふむ、料理長を呼べ。悪いが今日の晩餐は一品追加だ。皆に伝えろ、良い鹿肉が届いたとな。……そうだ、客人も晩餐に誘って差し上げろ」

「はっ!」

 

 ハインライン少佐の敬礼にリューネブルク伯爵は微笑みながら頷き立ち上がる。……と、ここで気付いたように伯爵は再度従士に尋ねる。

 

「贈られた鹿は何頭だ?」

「えっ……確か二頭だったと記憶しておりますが。牡鹿と牝鹿が一頭ずつです」

「ふむ……」

 

その報告に伯爵は暫し考え込み、命令する。

 

「我々が頂くのは牡鹿の方のみとしよう。牝鹿の方は『宿泊客』に振舞うとしよう。主家の土地で取れた材料ならば喜ぶだろうしな」

 

 伯爵は従士に屋敷の厨房に知らせるように命じる。書斎が再び彼一人になると伯爵は部屋を照らすランプの下に向かう。そして小さな声で呟く。

 

「さて……そう長くはもたんな」

 

 誤魔化しきれるのも後二、三か月と言った所か……このままでは最悪実力行使される可能性すら有り得た。流石に人手の少ないリューネブルク伯爵家ではその襲撃に耐えきれまい。それまでにあの後輩には事態の収拾を願いたいものである。

 

「とは言えあの悪運ではもう一波乱ありそうだが」

 

 小さな笑い声を漏らし、伯爵はランプの明かりを消し書斎を後にする。曲りなりにもティルピッツ伯爵家の使者である。リューネブルク伯爵家の当主として使者を直接もてなすのは当然であったのだ……。

 

 


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