帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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そんなに話は進まないかも


第百三十二話 忠誠心の値段は何ディナール?

「それでは健闘を祈る」

「あぁ、苦労をかけるね」

 

 三日間に渡ったケーフェンヒラー男爵の訪問も終わり7月5日の早朝頃、帰り支度をした男爵とヤングブラッド大佐の暇を見送った。屋敷の玄関で使用人達が並び、母や妹と共に男爵に挨拶と土産を差し出す。男爵がそれに対して礼の口上を述べ皆が注目をする一瞬の合間に、私はその傍らに控える学年首席殿に耳打ちをした。

 

 男爵と大佐が屋敷に滞在中、私は直筆で各種の仲介のための手紙をしたためていた。そして二人がこの屋敷を去る直前にその手紙を渡した。これらの紹介状を有効利用出来るかは大佐とその上にいるお歴々方の話術と賄賂次第だ。

 

 ………賄賂ってぶっちゃけている時点で私も原作でいう立派な国家の寄生虫だよなぁ。

 

「では、そろそろ失礼しようかの?フロイライン、またお手紙を送らせてもらうよ?」

「はい!男爵もどうぞごそうけんでいらしてください!」

 

 帽子を脱いでにこやかに一礼するケーフェンヒラー男爵に妹はにこやかに答える。ゲームをしたお陰かそれまで警戒気味であった妹は男爵に懐いていた。男爵の方も実の孫娘のように可愛がるのでこの二人の関係は短期間の内に良好になっているようであった。

 

「では御二人を頼むよ?」

「了解致しました。……毎度の事ながら御苦労が絶えないようですな?」

 

 二人の馬車を護衛するために馬に騎乗したファーレンハイト二等帝国騎士が優雅な敬礼で答える。答えた後に不敵な笑みを浮かべ小さな声で揶揄う。

 

「言ってろ」

 

 次のボーナス削るぞ、と内心で毒づく。

 

 男爵と大佐が馬車に乗り込めば御者が手綱を引いて馬車は進発する。後続には土産を載せた荷馬車が続きその周囲には一個分隊の護衛が囲む。

 

「さぁヴォルター、そろそろ御屋敷に戻りましょう?」

 

 馬車が遠目でしか分からないようになると母はにこやかに微笑みながらそう口を開く。

 

「そうですね。ナーシャ、行こうか?」

「あっ…は、はいっ……!」

 

 私が名前を呼べばナーシャは一瞬戸惑いつつもすぐに笑顔を浮かべとてとてと私のすぐ後ろからついてくる。

 

 これまでの妹の内気な性格を理解しているがために、母はその様子を見て鳩が豆鉄砲を食ったような驚きの表情を浮かべた。そしてその姿を見て思わず私は妹と目を合わせて悪戯の成功した子供のように小さく口元を綻ばせていた。

 

 

 

 

 

 私がハイネセンの片田舎で療養……という名の監禁生活を過ごしている間にも銀河社会の情勢は目まぐるしく変わっていった。

 

 7月16日、最高評議会及び同盟上下両院にて国防委員会が提案し統合作戦本部が作成した同盟辺境正常化作戦の予算認可が採決された。『レコンキスタ』によって敗走した帝国軍一部部隊が合流し、また流出した大量の兵器で武装した宇宙海賊やマフィア、外縁宙域諸勢力への対処は、旧式兵器と訓練不足の兵士の比率が高い星系警備隊や星間航路巡視隊だけでは荷が重かったのだ。

 

 統合作戦本部の作成した辺境を『大掃除』する作戦の範囲は広大だ。国境に面する第二方面軍管轄域の一部にフェザーン方面たる第七方面軍管轄域のほぼ全域、ネプティスを司令部とする第五方面軍の受け持ち宙域の半分……全一二航路、有人惑星を有する星系は一一三個、領域内人口は約三二億人、単純な空間的な比較では同盟の国土の三割以上の宙域が掃討作戦の範囲に含まれる。

 

 総司令官は先日の『レコンキスタ』の搦め手として帝国軍に圧勝し、その後宇宙艦隊副司令長官に任命されたシドニー・シトレ大将が務める。極めて有能な将帥であるのは間違い無いが、治安戦よりも正規戦にこそ適性がある人物であるのも確かだ。本作戦の総司令官として宇宙艦隊司令長官にして治安戦の専門家たるカーン大将を推す声も大きかったのでこの抜擢はある種の意外性を持って受け止められた。

 

『宇宙艦隊司令長官は帝国軍との有事の際に実働部隊の総指揮を務める必要があります。故に歴戦の名将たるカーン大将には中央で睨みを利かしてもらい、まだ若く経験の浅いシトレ大将に大軍指揮の経験を積ませる。そのような考えからこの人事が最適であると判断した次第です』

 

 記者会見にて統合作戦本部長に就任したばかりの英雄デイヴィッド・ヴォード元帥がにこやかな笑みを浮かべそう説明したが、少なくとも同盟軍の主だった高級士官達はこの言葉を鵜呑みにはしていない。

 

『物は言いようだな。実態は点数稼ぎだ』

『老いぼれのカーンをさっさと退役させてシトレを後釜に据えようって魂胆さ。あの阿漕なヴォードらしい』

『シトレめ、宇宙艦隊司令長官の椅子欲しさにヴォードと組んだようだな』

『中立を気取っていても所詮は同じハイネセン・ファミリーってこった』

 

 これらのシトレ大将に向けられた悪評は第三者の目で言えば当然の反応であるが、もう少し裏側を知る者であれば寧ろ同情の念すら起きるだろう。シトレ大将は巻き込まれただけの存在に過ぎないのだから。

 

 その筋から情報を受け取っている者であれば、ヴォード元帥が消去法でシトレ大将を宇宙艦隊副司令長官に抜擢したことも、なぜ本作戦の総司令官に据えたのも分かる筈だ。

 

 投入される戦力の主力部隊は第七艦隊及び第一二艦隊、第八地上軍である。ここにそのほか総司令部直属部隊・方面軍直属部隊、星間航路巡視隊・星系警備隊が編入される事になる。総兵力は七五〇万四二〇〇名、戦闘・支援用艦艇五万五八〇〇隻。数的戦力では半年前に実施された『レコンキスタ』の半分以下ではあるものの、それでもかなりの大動員である。

 

 これほどの戦力の投入は大袈裟に思えるかも知れないが、何せ範囲が範囲である。その上、星間国家にとって航路の安全は社会・経済的に文字通りの死活問題である。末期の銀河連邦は議会と財政の混乱から辺境の治安を維持出来なくなり、地方の民心と加盟国の離反を招き、諸勢力の台頭と抗争の時代を経てルドルフの強権政治を市民が支持する原因ともなった。同盟としてはかつての銀河連邦同様の事態だけはどうしても避けなければならない。

 

 故に相手が戦力的に圧倒的に格下であろうとも同盟政府は全力でそれを叩き潰すつもりだ。同盟警察の巡視艦隊や地方自治体の星系警察や自警団、地元各企業の有する警備部隊等もこの作戦に協力する事が決まっていた。

 

 確かに、これだけの動員を行いながら対帝国戦にまで遠征部隊を派遣するのは難しいだろう。彼らの肩を持つ気はないが、暫く大規模な遠征を控えたいという気持ちは分からなくもない。

 

『掃討作戦の期間は凡そ六か月、来年の二月までには該当範囲の治安を正常化し、市民の生活の安全を回復させる次第であります。改めまして議会と市民の軍への協力を御願い致したく思います』

 

 そう取材に答えたのは第二次マクドナルド政権の国防委員会委員長イノウエ議員である。第二次ティアマト会戦にて右腕と右足を喪失し自由戦士勲章も授与された八六歳の地上軍予備役中佐は人当たりの好い笑みを浮かべ深々と頭を下げる。

 

 その後ろにはトリューニヒト議員、ネグロポンティ議員を始めとした数人の現職国防委員議員が控え、更に一歩下がった場所に丸々太ったガマガエルのような異様な風貌を纏う国防委員会補佐官が目立たぬように小さく液晶画面に映りこんでいた。 

 

 先代後方勤務本部長たるワン・ジェンミン大将は国防事務総局と並び同盟の国防体制の方針を決定する影の支配者だ。階級と役職こそヴォード元帥が凌ぐものの、それはあくまでも適材適所として配属された結果に過ぎない。純粋に軍人として国政に関わりたいのならば国防委員会補佐官か国防事務総局局長の地位に着任するのが一番だ。

 

 その点で言えば、ワン大将は純粋な軍事的指揮能力こそせいぜいが分艦隊司令官が限界であるが、それ以上に後方勤務としての手腕は抜群であった。

 

 近年の成果と言えば『780年代軍備増強計画』であろう。同盟軍の後方支援体制や艦艇調達体制の改革、単座式戦闘艇スパルタニアンやラザルス級宇宙母艦の採用に当時のジャムナ国防委員会議長とタッグを組んで取り組んだ。

 

 更に過去の軍歴に遡れば憲兵総監として軍部の極右クーデターの阻止に成功し、第三方面軍司令官時代には事務処理体制の改革で人件費の抑制と業務の効率化を推進、第一輸送軍司令官時代にはアレックス・キャゼルヌやシンクレア・セレブレッゼ、ジョセフ・ロックウェルと言う名だたる若手の逸材を引き抜き自ら現場の実習と技能を徹底的に叩き込んでいる。お陰様で同盟軍の後方支援体制は今後数十年は安泰と言われていた。恐らく此度の辺境正常化作戦の予算採決でも裏で暗躍している筈だ。ヤングブラッドの上司の一人でもある。

 

 一方で後方勤務本部長時代に物資調達等のコンペで企業から多くの賄賂を受け取り私腹を肥やしていたとも言われる。そのため、一部では同盟軍の典型的な腐敗将校とも囁かれる。

 

「兎も角も、これで前線への大規模な遠征軍派遣は完全に頓挫した訳だな」

 

 私の呟きは誰もいない部屋全体に静かに反響する。

 

 屋敷の居間の一室、ニュースを流す衛星テレビの備え付けられたその部屋で、私はソファーで足を組みながらノイエ・ヴェルト紙の見出しに視線を移す。辺境正常化作戦……正式作戦名称『パレード』……の投入戦力や諸将の一覧の端に申し訳程度の同盟軍の国境派遣部隊の人事についてのコラムがあった。

 

 一個戦隊に三個師団。余りにも少な過ぎる国境への増援部隊であるが、これですら恐らく苦しい予算とローテーションの中で捻り出したのであろう事を考えると、つくづく同盟軍の総戦力の絶対数不足が悲しくなってくる。

 

 同盟正規軍の増援に対しての小さな取り扱いとは打って変わって、次のページに印刷された記事は遥かに大きな空間が割かれていた。

 

『ヴァラーハ星系政府議会、本邦に対して星系警備隊派遣を可決!!』

『エルゴン星系政府首相、義勇軍募集を認可。来年度までにアルレスハイム星系に派遣する事で調整』

『ポリスーン星系政府、星系警備隊の国外派遣を示唆。派遣先はアルレスハイム星系か?』

 

 本来ならば星系警備隊を国外派遣なぞ世論が許さないだろう、それが国境諸星系が前線への動員を計画しているのは『レコンキスタ』の直後であり有権者の理解が得られやすいからだ。

 

 また彼らからすればエル・ファシルの悲劇を繰り返したくはなかったのだろう。国境諸星系でも特に重武装のアルレスハイム星系政府が陥落すればその軍事的衝撃はエル・ファシル陥落を超える。難民の数も馬鹿になるまい。

 

 国境地域の経済にも大打撃を与える。この周辺宙域にて商工業が最も発展しているのはエルゴン、ヴァラーハ、アルレスハイムの三星系であり、ほかの国境諸星系政府も含めこれらの星系は経済的には相互依存関係にある。その一角であり一人当たりGDPに至っては最も高いアルレスハイム星系が戦火で荒廃すれば、唯でさえ中央宙域に人口が流れ込み気味ある国境宙域経済にとっては致命的だ。同盟政府が『パレード』の実施に踏み切った以上彼ら自身で動かざるを得ない。

 

「憂鬱になるな……」

 

 残念ながら私もアルレスハイム星系の戦いの正確な年と月日は覚えていない。そもそもこんな立場になるなんて想像もしていなかったからそんな細かい設定なぞ暗記出来る訳がない。それ以前に私のせいかそれ以外の理由か、あるいは元々パラレルワールドなのかは知らないが既に細かな所では原作と乖離していた。故にアルレスハイム星域会戦すら原作通り始まるかは分からない。だがもしこの世界でも会戦が起こるとすればその原因は恐らく………。

 

「……前線の状況も厳しくなっているか」

 

 ノイエ・ヴェルト紙の三ページ目に視線を移せば戦局についての情報もある程度推測出来る。

 

 アルレスハイム星系政府は段階的に予備役の動員を繰り返しているが、今月に入り更に予備役一八個師団の動員、同盟及びフェザーンの民間軍事会社より追加で五万名に及ぶ傭兵の雇用契約を結んでいる。

 

 防衛戦力たり得ない女子供の一部や亡命政府各機関、亡命貴族の妻子の疎開計画も始まっており、ハイネセンポリスのシェーネベルク区等の各地の帝国人街、亡命貴族の所有する後衛の私有地への避難が行われていた。戦局が更に悪化すれば各種企業や工業設備、温存が必要な熟練労働者や技術者、学者、専門家等の『希少価値の高い人材』の避難も検討される筈であった。尤も、大多数の市民の避難は貴重な予備戦力確保のために、また物理的困難性故に行われないと思われる。

 

 フォルセティ星系を突破した帝国軍はシグルーン星系に達し、その周辺宙域にて亡命政府軍との激闘が繰り広げられている。

 

 亡命政府軍はこの星系の各所に防衛拠点を構築し星系全体を要塞化、周辺星系を出城として同盟軍と共同して幾度も帝国軍の攻勢を弾き返している。

 

 しかし帝国軍が『レコンキスタ』の敗北から立ち直り増援部隊が最前線に到着すれば防衛線の突破は時間の問題だ。その後方にも幾つかの防衛線はあるが、何れもシグルーン星系のそれに比べれば簡易的なものであり、そこまで長い抵抗は不可能であろう。このままでは本土たるアルレスハイム星系に帝国軍が進出を果たしてしまう。そうなれば……

 

「その前にどうにかしないとな……」

 

 尤も、色々と前途は多難であるが。特に母とか母とか母とか……。心苦しいが事が事だ、最悪は強硬手段を出るしかあるまい。というか多分十中八九強硬手段に出る事になりそうだ。あぁ、今から腹が痛くなる……。

 

 まぁ、それはそうとして……。

 

「おい、何部屋に入ってきて自然に人の靴にしゃぶりつこうとしていやがる?」

 

 取り敢えず悩みは棚に上げるとして、私は足元で跪き発情期の犬みたいにはぁはぁ荒い鼻息をする騎兵隊軍服の従士に尋ねる。

 

「いえっ!若様のお靴が汚れていそうなのでここは忠実なる従士のお務めとして一つお掃除をして差し上げようかと……!」

「そうか、まずは病院で治療を受けてから掃除をしたらどうだ?多分PTSDか何かに罹っているぞ。間違いない、私が保証する」

「先日定期健康診断を受けて正常との結果が出ております!!」

 

 腹立つ程のキメ顔で敬礼をする従士。亡命政府軍の医務局も人材不足のようだ、こんな奴を精神状態問題なしとして通すなんて弛んでる。

 

「弛んでいませんよ!あ、それともむっちり系がお好みでしょうか?」

「いや、体形の事じゃない」

 

 衣服を上に上げ腹を地肌ごと見せ抓る馬鹿に私は冷静に突っ込む。(相手が相手の事もあるが)この程度の事でいちいちドキマキする程私も初心ではない。

 

 因みにこの馬鹿の脂肪は(一部を除いて)そんなに多くない。パイロットなので筋肉が引き締まるのだろう、腹を抓るも然程肉はないのが分かる筈だ。

 

「きゃっ!若様が私の身体を隅々まで舐め回すように観察してる!」

「おう、目玉腐ってるな」

 

 自分自身を抱きしめるように両手を交差し赤面しつつ軟体動物のようにくねくねと動く中尉。その恥を晒しまくっている姿を歴代の御先祖様が見れば血涙を流して嘆き悲しむ事であろう。

 

「むー反応薄いですよー。泣いちゃいますよー」

「一人で泣いてろよ」

 

 私が淡々と返答して新聞に視線を移すので若干不満気にムスっと頬を膨らませる栗毛の女性士官(子供か)。私が胡乱気な視線を向けると漸く彼女はこの馬鹿げた会話を終わらせる。

 

「はぁ!むっつりスケベの若様は仕方ありませんね!それでは改めまして御挨拶を!イングリーテ・フォン・レーヴェンハルト亡命軍宇宙軍中尉、宇宙暦790年7月16日を持ちまして此方ティルピッツ伯爵家私有地ミネルウィアの警備に配置換えになりました!どうぞ宜しくお願い致します!!」

 

 諦めたように溜息を吐いてから姿勢を正し、私の目の前でニコニコと笑顔を浮かべ再度敬礼するレーヴェンハルト従士家の面汚し娘である。その姿と口上を見聞きして正直もう色々とげんなりしてきた所ではある。とは言え……。

 

「……ああ、着任御苦労だ。フォルセティでは大変だったな」

 

 胸元の戦傷章と空戦徽章をちらりと見やり仕方なしに私は労いの言葉をかける。流石に母艦が吹き飛んだ上に空戦中に軽傷とは言え戦傷した家臣を罵倒し続ける程私は性格が悪い人間でもない。

 

 昨年の『レコンキスタ』において、陽動・牽制として第24星間航路方面で攻勢に出た同盟・亡命政府軍の混合部隊に参加したイングリーテ・フォン・レーヴェンハルト少尉はしかし、艦隊が帝国軍の奇襲を受けた事で母艦であったホワンフー級宇宙空母『テーティス』が爆散、命からがら発艦した所で敵味方の入り乱れた乱戦に参加する事になった。

 

 空戦で五機のワルキューレのほか砲艇二隻を撃沈、巡航艦一隻を共同撃破したのと引き換えに流れ弾で機体が中破、飛び散った機体の破片が腕に食い込む怪我を負い後方の友軍の下に撤退を余儀なくされた。

 

「いやぁ、機体がスパルタニアンで幸運でした!グラディエーターでしたらどうなっていた事か!」

 

 へらへらと頭を掻いて笑う中尉であるが実際の所は笑えない。一世代前のグラディエーターに比べてスパルタニアンは搭乗員の生還率を飛躍的に向上させた。一例として大型化による装甲強化に新規採用の耐Gスーツ、機体内部の漂流時用の備品も拡充されている。

 

 何より注目すべきは『子守唄』とも称される自動着艦システムであろう。正確にはこのシステムと類似のものはグラディエーターやカタフラクト等の前世代型の単座式戦闘艇にも備えられていたが、スパルタニアンに装備されているそれは出来が違う。

 

 機体の損傷やパイロットの負傷に合わせて簡易人工知能が母艦ないしその場で最も近い収容可能艦艇の下に敵の攻撃を回避しながら向かうそれはパイロットの生命線だ。また長距離航行中等の自動操縦・自動警戒も受け持ちパイロットの負担軽減も行ってくれる。レーヴェンハルト中尉も腕の負傷で操縦が難しくなった所でこのシステムのお陰で退避出来た。その意味では確かに幸運だ。

 

「全治一か月だったか?」

「プラスでリハビリに一か月です!」

 

 シャキーン!と言ったポーズで答える中尉。こいつはいちいち人をムカつかせながらでないと返事が出来ないのだろうか?

 

「そうか、どちらにしろもう元気そうでなりよりだ。後遺症もないのだろう?」

 

 そう尋ねると中尉は雷に打たれたような衝撃を受けた表情を浮かべる。

 

「若様が私を心配している!?もう終わりです!銀河は滅びます!けどいいわっ!この愛に包まれて死ねるのなら!!」

「よし、そろそろふざけるの止めような?」

 

 流石にガチで腹立ってきたぞ。

 

「それで?ここに来る次いでに訪問して来たのだろう?会えたのか?」

 

 私は新聞を閉じ横に置くと目の前の従士に『本題』について尋ねる。

 

「それについてですが……まず御屋敷全体の空気が御通夜でした。家人から使用人、奉公人まで屠殺を待つ家畜みたいでしたよ?あ、後凄くもてなされました」

 

 帰りにお菓子貰ったのですが要りますか?と何処からともなく菓子箱を出して来る。いらんがな。

 

「腐ってもレーヴェンハルト家の直系だからな。少しでも味方が欲しいんだろうな」

 

 目の前のこいつの脳味噌が腐敗しているとはいえ、レーヴェンハルト従士家自体は伯爵家の家臣団の中でも重鎮に類する。大変不本意であろうがそこの本家長女をもてなさない道理がないし、まして面会を謝絶も簡単には出来まい。寧ろ今後の事を考えると少しでももてなさないといけないだろう。

 

 彼女が此方に人事異動になったのを良い事に、私は中尉に一つ『御使い』を頼んでいた。即ち、ゴトフリート家への訪問である。いや、正確に言えばハイネセンのゴトフリート家別邸で『療養』しているベアトへの面会と言うべきか……。

 

 ベアトは私と共に『リグリア遠征軍団』に回収された後、最低限の治療を受けてそのまま病院船で移送されハイネセンの第四軍病院で療養、その後ゴトフリート家が半分程力ずくで連れ帰り、疎開に備えてハイネセンのド田舎に買っていた別荘で『自宅療養』を受ける事になった。

 

 私も重傷を負っていたのでテレジアと違い匿ってもらえる場所を用意する時間は無かった、恐らくは私のローデンドルフ少将への『御願い』がなければ今度こそ母の命令で怪我が悪化して『急病死』していた事だろう。それは回避されたが相変わらず連絡を取る手段は無かった。前回と違って問うべき『罪状』そのものが消失しているものの此方が使者を送っても丁重に誤魔化されてしまう。

 

 臨時雇いの新参食客で駄目ならばどうするか?もっと格のある使者を送るだけだ。本人の人格は兎も角として家柄は優れている目の前の従士ならば下手に追い出される事はないと踏んでいたが、どうやら正解だったらしい。

 

「まぁ、彼方の御当主さんと御隠居方達と軽ーく駄弁りましてね?何だかんだあって会わせてもらいましたよ!」

 

 あの手この手でやんわり言いくるめて御帰り頂こうとしたのかも知れない。まぁ、こいつには効かないのだが。

 

「それで?様子はどうだった?」

「あー、そうですねぇ………」

 

 私の更なる質問に対してレーヴェンハルト中尉は少し歯切れが悪そうにする。

 

「何と言いますか、精神的に中々堪えているようでして……」

 

 余裕が無さそうでした、と答える従士。

 

「余裕がない、か」

「はい、客間で面会が許されましたが真っ先に若様の御容態についてしつこく聞かれましたよ」

「まぁ、彼方からすれば責任問題だからな」

 

 ベアトは味方に回収された段階でかなり意識混濁状態だった。私の腕が斬り落とされている事も気付いておらず、知ったのは間違い無く医療用ベッドの上の筈だ。最後まで護衛の立場でいた身からすれば気が気でなかっただろう。下手すればある日いきなり自裁強要も有り得た。

 

「念のために聞くがベアトの方は……」

「少なくとも手酷い目には遭っていない筈です。会話も出来ましたし、痣なども残っていません。歩く事も出来ていました」

「……それは良かった、か」

 

 少なくとも逃げないように足を折ったり、会話が出来ないように喉を潰すような『躾』はされていないと言う訳だ。まずその事実に安堵する。え?それ虐待じゃねぇかって?帝国は家長制の傾向が強いし周囲への面子のためなら可能性は低いにしろ有り得ない事ではないから困るんだよ……。

 

「そうか。言付についての返事はどうだ?」

「それは……自分の事はお忘れ下さい、と」

 

 少し困った表情を浮かべて、頬を掻きながら気まずそうに答える中尉。

 

「……そうか」

 

 私はその伝言に暫く瞠目し、一言も口にせず沈黙する。その言葉の意味を咀嚼し、飲み込み、分析し、生じる感情を処理してから、私は再度口を開いた。

 

「ご苦労だった、レーヴェンハルト中尉。此方の警備に配属との事だが……まぁ、見ての通り、こんなハイネセンの田舎を襲撃する物好きなぞいないからな。実質有給休暇みたいなものだ。暫く羽を伸ばしてくれ。車は言えば借りられるだろうから近くの街に観光に行ってもいい。好きにしてくれ」

 

 私は『お使い』を終えた臣下に労いの言葉を伝える。実際、明らかに航空科の彼女を警備としてここに配属するのは通常ならば可笑しい事であり、実態は負傷と軍功による休暇を与えられたと言うべきだった。私からの仕事も終えた以上後は気楽に過ごさせてやるのが筋であろう。尤も、当の本人は少し違う意見があるようであった。

 

「いえいえ、御心配なく!御用とあらばいつでも仰って下さいませ!私も基本的に此方に滞在致しますので!」

「?別にパイロットを必要とするような仕事はこっちでは無いが……」

「御手持ちの食客ではやりにくい御役目も色々ありますでしょう?折角此方に派遣されたのですから私が受け持った方が良いのでは?」

「………」

 

 ニッコリ笑みを浮かべて尋ねる中尉。私は少しだけ彼女の企みについて逡巡し、答える。

 

「……正直お前さんに益は無いんじゃないか?」

 

 唯でさえ呆れられているのにそこにトラブルの片棒まで担ぐ必要もあるまいに。こいつそのうち勘当されるんじゃないか?

 

「何を仰る!若様と秘密を共有する絶好の機会!二人だけの爛れた秘密なんて背徳的で興奮しませんか!?」

「あっそう」

「あはっ!完全に関心失ってますよ!!」

 

 私はどうでも良さそうに返事をしながら新聞を読み直し始める。こいつの話に付き合った私が馬鹿だった。

 

「冗談ですから!本当冗談ですから真顔で新聞読まないで下さい!」

「おっ、ヘンスローグループの業績が上がってるな。この分だと来期の配当は期待出来そうだな……」

「マジすみません!ふざけないので無視しないで下さい!!」

 

 ギャーギャーと騒ぐので仕方なしに視線を戻してやる。普段からふざけなければ周囲も冷たい目で見てこないと言うのに……。

 

「うー、マジで凹みますー。私も無視られ続けたら流石にきついんですよー?」

 

 涙目になりながらうーうーと唸る従士令嬢(の筈の存在)。

 

「それで?お前さんも私の反抗期に協力すると?後で母上から怒られるぞ?」

「私は奥様の臣下では御座いませんので」

 

 一応の警告をするが中尉はどこ吹く風とばかりに嘯く。確かに正確には母上は伯爵家の出身ではないが……酷い屁理屈だ。

 

「お前さんの忠誠は我が伯爵家と?」

「それは正確ではないですねー」

 

 そう呟いてレーヴェンハルト従士は改まったように立ち上がり咳払い。背筋を伸ばして敬礼する。

 

「私、イングリーテ・フォン・レーヴェンハルト従士は若様に仕え、忠誠を尽くしているが故に奥様の勘気を問題視していないのです」

 

 その端正な容貌に怜悧な表情を浮かべ、中尉は断言する。そこには先程までのふざけた女の姿は一欠けらも無かった。

 

「……言ってろ」

 

 私は暫く沈黙した後、仏頂面でそう短く返答した。本当に酷い屁理屈であると私には思えた………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その若干薄暗い室内では会話が続いていた。

 

「あぁ、そうだ。暫くはそちらに戻れそうにない。本邸に残した者達だけで業務をしろ。再来月には其方に戻る。……あぁ、分かっている。この難事の時期に代々禄を食んできた我々が尻尾を巻いて逃げ出すなぞ有り得ん事だ」

 

 優美な格調を持ち、しかしどこか過剰な装飾気と退廃感も備えるヴィクトリア様式の執務室。その奥でベルベット生地張りの椅子に座り、マホガニー製の執務机に備え付けられた黒電話の受話器に話しかける壮年貴族の会話だけが室内に反響する。その声調は低いが、僅かに苛立ちと疲労も読み取れる。

 

 ルドガー・フォン・ゴトフリート亡命政府軍准将、自由惑星同盟軍予備役大佐とゴトフリート従士家当主、シュレージエン州グライヴィツ郡長を兼任する金髪紅瞳の男は電話越しの会話を終えるとガチャンと若干荒く受話器を戻して険しい顔を作り出す。

 

「そうだ、有り得ん事だ。我が家がそのように恥知らずな家系である訳がない……!」

 

 静かに、しかし苦々し気に近頃流れる不愉快な噂を否定する一族の当主。そしてその不快感を胸に抱えたままルドガーは執務室の壁に掛けられた肖像画の数々に視線を向ける。

 

 そこに描かれるのは誇り、讃え、敬うべき自身の先祖、名誉ある歴代のゴトフリート従士家の当主達の姿であった。

 

 総勢二八人に昇る歴代当主、その彼らの大半が自身と同じく豊かな金髪に紅玉のような瞳を有する。それは幼少時から主家に忠実に仕えた崇拝すべき初代当主から代々受け継いだものであった。

 

 賢臣がいた、主家を守るためにその身を犠牲にした忠臣がいた。武功を重ねて軍将官や高官に昇進した者もいるし、帝室や主家から格別の褒美を賜った者、主家の庶子を妻に貰った者もいる。

 

 だがそんな彼らが今はただ不安げに、心配そうに此方を見つめているように彼には思えた。無論、彼らはあくまでも絵画であり絵が動く訳がない。それでも彼にはどうしても今の状況から目が錯覚するのか、彼ら先祖達が憂いを秘めた瞳で彼の動きを見ているように感じられてしまうのだ。

 

 唯一違う表情で此方を射抜いているとすれば一族の始祖であろうか?高圧的に、侮蔑するかのように彼を見下ろすその視線に肖像画である事を理解していてもルドガーは思わず溜め息をつく。

 

「分かっておりますとも。……えぇ、分かっております」

 

 現当主は始祖に対して弁明するかのように小さく呟いた。当然ながら返答はないし求めてもいない。その意味では何方かと言えばそれは自身を奮い立たせるものであったかも知れない。

 

「………」

 

 暫く沈黙した壮年の当主は、次の瞬間覚悟を決めたように椅子から立ち上がる。

 

 執務室を出た先の廊下は妙に薄暗かった。回廊と展示室を兼ねるロングギャラリーを進めば、その端で奉公人出身の数人の女中や執事達が不安げに立ち話を囁き合う声が聞こえて来る。

 

「どうなると思う、これから?」

「俺に分かるわけ無いだろう?そんな事……」

「まさかとは思いますけど……流石に御取り潰しまでは……」

「だけど伯爵家の奥様は御嬢様に相当お怒りだってよ。あっちで女中してる従姉妹が言ってたぞ?」

「最悪、親戚を頼ってほかの仕え先探すしかないな……」

「ほかの家からも少し距離取られ始めているしな。御当主様はどう考えているんだ……?」

「お嬢様さえしっかりしてくれたら我々もこんな気苦労なんてしなくていいのに……!」

 

 苛立ちと焦燥感に駆られた彼ら彼女らの言葉。相当話に熱中しているようでお陰でその当主が傍に来ている事に気付いていないように思える。

 

「卿ら、何をしている?遊ぶでない。仕事に戻れ」

 

 淡々と声をかけるルドガー。その声に顔を青くした奉公人達は慌てて彼の方を振り向き礼をすると気まずげにそそくさとその場から退散する。その奉公人達の後ろ姿を見つめ、彼は渋い表情を作る。

 

「一族だけでなく、奉公人共にも噂は広がっているようですね、御父上」

「……ジークムント、もう此方に着いたのか?」

 

 ゴトフリート従士家の当主は背後からの声に振り向く。そこにいるのは彼同様に豊かな金髪に血のように赤く輝く瞳を持つ、三〇代半ばを過ぎているであろう亡命政府軍の軍服を着た端正な紳士だった。その足元には荷物があり、彼が屋敷に来たばかりである事が分かる。

 

「ええ、先日の便で此方に来ました。……話によれば可愛い妹がまた何か仕出かしたとか?」

「浮ついたような声で話すでない。事の重大性を理解出来ないか……!」

 

 ロングギャラリーに飾られた絵画を鑑賞しながら口を開く息子にルドガーが叱責するように注意する。既に主家に提供した一族直系の娘が何度やらかして来た事か、まして今回は失態の規模が違う。責任の所在こそ有耶無耶になっているが、少なくない家々が表立って口にはしないもののゴトフリート従士家に非難の視線を向けている事をルドガーは知っていたし、それが一族に与える影響も理解していた。下手をすれば従士家としての立場を失う可能性すら零ではないのだ。

 

「あの愚女一人の失敗で一〇〇名を超える一族同胞と一〇〇〇名もの家臣とその家族が路頭に迷う事になりかねんのだ。全く、あの一族の恥晒しめが……!」

 

 ルドガーの娘を貶める言葉は、しかし父親としては兎も角一族の当主としては極めて全うなものであった。一族直系の令嬢として彼の娘は一族と家臣達の立場を守り、主家に滞りなく、従順に奉仕する義務がある筈なのだ。それが蓋を開けてみれば誠心誠意仕えるどころか失態の繰り返し、それどころか将来主家を継ぐであろう嫡男の腕を目の前で斬り捨てられ、しかも足手纏いになっていたともなれば……!

 

「本来であればアレは今すぐ自裁して御当主様と若様にお詫びしなければならぬ立場だ。それを……」

「助命は妹がお願いした事ではないでしょう?全てあの子に入れ込んでいるお坊ちゃまの我儘だ」

 

 肩を竦め嘲るようにゴトフリート従士家本家の長男は指摘する。

 

「ジークムント、口が過ぎるぞ……!!」

 

 主家の嫡男を貶めるような言い草を注意するように叱りつける当主。彼の『長男』の立場を考えればそれはある意味当然の事であった。尤も、当の彼はどこ吹く風ではあるが。

 

「そうお怒りにならずとも良いではありませんか?事実でしょうに。それに……『御父上』も本当はあの子の事が心配でしょう?」

「………」

 

 口では罵詈雑言を吐きつつも長男は父が父なりに妹を愛している事を見抜いていた。子供達の中で年が離れた唯一の娘であり、今は亡き妻に最も顔立ちが似ているがため、目の前の父が赤子の頃から愛情を注いでいた事位ジークムントは知っている。

 

「寧ろ御叱りを受けるべきは彼方では無いですかな?全く、前線になぞ首を突っ込まずにオフィスで食べて飲んで寝ての生活をしておけば良いものを……我儘に付き合って血を流すのはいつも我らが一族だ」

「ジークムント……!」

 

 剣呑さを僅かに含んだ苦い父の声に、しかし嘲笑と仄かな憐憫を含んだ笑みを浮かべる長子。顔を横に振り形ばかりの謝罪の言葉を口にする。

 

「口が過ぎましたね、どうぞ御容赦下さいませ御父上。長旅で疲れてしまい口元が緩んでしまっているのですよ」

 

 何せ前線から一月半も船旅でしたから、と続けるジークムント。

 

「……そうだな。疲れれば心にもない言葉を口にする事もある」

 

 彼の『父』は周囲で話を聞いている者がいないか入念に警戒した後に続ける。

 

「お前は良く我が家と主家に仕えてくれている。我が一族を継ぐに相応しい良き『息子』だ。そのような言葉、一時の気の迷いだ。分かったな?」

「……はい、『父上』」

 

 その仰々しい返事に僅かに眉間に皴を寄せるルドガーは、しかし暫しジークムントを見つめ、踵を返してその場を去る。恐らくは屋敷の一室で軟禁状態の娘に会いに行くのだろう。

 

「……やれやれ、父上も貧乏籤を引いたものだ」

 

 父の背中を嘲りと哀れみを混ぜ合わせた瞳で見つめるジークムント。あの怒りの半分程は事実としてももう半分程はポーズに過ぎない事を彼は読み取っていた。寧ろ、あれくらいの怒りを見せなければ他家や分家への示しがつかないのだ。

 

 警備や雑務を行う奉公人や食客達も親戚が他家に仕えており、それを経由して父の態度や発言をある程度伝え聞いているだろうし、それ以上に分家や長老衆が面倒だ。立場の弱く打算的な半分はゴトフリート従士家の権威を守るために、盲目的で忠誠心過剰判断力過少の半分は純粋な怒りから本家の末娘を文字通り『吊るし上げ』ようとしているのだから。そう思えば敬愛すべき『父』の立場にある種同情の念すら浮かんでくる。

 

「本当に困ったものだ。そうでしょう?初代様?」

 

 ジークムントは壁に掛けられた油彩画を見つめる。そこには明らかな敵意の感情が籠っている。

 

「貴方の身勝手な信仰で我々は今でも血を流し、犠牲を払っているのですよ?そろそろこんな因習や呪いから解放されたいのですがね?我々も一人一人意思を持ち、感情のある人間だ、飽きられたら捨てられる門閥貴族の従士(玩具)じゃない」

 

 語りかけるような、罵倒するような、詰るようなその言葉に当然ながら答える者はいない。

 

「………我々はもう十分過ぎる程に主家がために犠牲を払って来ました。もうこれ以上我々が貴方の信条に付き合う義理なんて無い筈だ」

 

 少なくとも私は貴方の主義のために自分の子供達を、家族を贄にするつもりはない、と冷たい声で続ける一族の末裔。

 

 彼の独白に対して、彼の睨みつける油絵に描かれた教条的なルドルフ主義者であり狂信的な貴族主義者でもあったという一族の始祖は静かに、しかし剣呑な表情で彼を非難するように見つめ続ける。少なくとも彼にはそのように見えた。

 

 分かっておりますとも。この恩知らずの放蕩者が、とでも言うのでしょう?と末裔は内心で尋ねる。成る程、そういう見方もあろう。

 

 だが彼からしてみればそれこそが可笑しい。どれ程に報酬があろうとも誰が好き好んで自らの兄弟姉妹の命を差し出し、自分の子供を贄にし責め立て、一族で失態を演じた者を侮蔑せねばならないのか?家族同士で憎しみ合わされなければならないのか?その報酬を有り難がるなぞまるで我々は飼い犬……いや、奴隷以下の卑しい存在ではないか?

 

「………我々に後どれだけの一族を、家族を生け贄に差し出せと言うのです?」

 

 ジークムントは目を伏せながら視線を逸らし暫し間その場に佇む。だが数刻もすると静かに彼はその場を去る。薄暗いロングギャラリーの奥から階段を上り宿泊部屋に向かうつもりだった。その一歩進む度に暗くなる長い廊下が一族の行く末を隠喩しているようにジークムントには思えた。


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