帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

139 / 199
糞どうでもいいけどヴィンランド・サガを見ました
ノルマン人(ゲルマン)の野ばn……勇猛さが思う存分見れて良かったです

後ロードエルメロイ二世の事件簿、生意気系金髪ロリ幼女が義妹になるとか最高かよ!


第百三十三話 焦って事を行うとミスしやすいという話

 帝国における門閥貴族同士の面会や訪問には、大概大仰な調整が必要になる。

 

 元々門閥貴族達は普段から遊んでばかりの暇人のように見えて、実際の所は暇ではない。祝宴や狩猟は遊びではなく接待や談合の相談であるし、公的な官職に就いていれば一部の窓際部署を除けば普通に激務だ。それ以前に領地経営を始めとした業務がある。寧ろ官職にしろ領地経営にしろ管理職故に残業代なぞ出ないし、明確な私生活と仕事の境界線がないために場合によっては富裕な平民よりも忙しい場合もあり得た。そんな中で時間を作る必要がある。

 

 男性だけでなく女性もまた帝国上流社会では暇ではない。女性の社会進出が同盟・フェザーンより遅れている帝国ではあるが、代わりにやるべき事は幾らでもある。

 

 以前にも触れたが、銀河帝国の女性は同盟やフェザーンに比べ社会進出こそ遅れているが、社会的立場が低い訳でもその重要性が低い訳でもない。貴族令嬢・貴婦人の家庭での仕事は晩餐会、舞踏会、茶会にサロンの主催、その場に呼ぶべき者の選別と手紙の執筆を当主や夫と共に相談して決める。それらは宮廷での勢力図や各家の血縁・力関係、噂や財力、性格を基に決める訳だが、貴族貴婦人令嬢の蜘蛛の巣のように複雑な(そして時に陰湿な)人間関係はその際の重要な情報源である。

 

 儀礼も大事だ。幼少期から詩に古典・現代文学、裁縫に美術史、哲学、神学、語学、書道、家政学、ヴァイオリンやピアノ等の楽器演奏……これらの教養は社交界に出るまでに身に着ける事が出来て当然として扱われる(どれも実生活では役立たずの時間の無駄遣い?貧乏帝国騎士の金髪の小僧には貴族の洗練された文化が分からんのです!)。そこに場の空気と参加者の機微を汲み取り場に相応しき会話をし、味方を増やす話術、気遣い……一族の繁栄を影ながらも支えるのが貴族令嬢・貴婦人であった。彼女達からすれば何も考えずに遊んでいると思われるのは心外だろう(無論、楽しんでいるのも事実であろうが)。

 

 こうした理由から入念な段取りを経て面会するタイミングが決められるのだが、敢えて面会する機会を遅らせる(される)場合もある。これは当事者の上下関係を知らしめるための一種のパフォーマンスである。尤も、これは面会に来る相手側に準備の時間を与えるための場合もあるが……(特に貧乏貴族の場合は体面を保つための人と物を揃えるのも簡単ではない)。

 

 ……さて、その点で考えた場合、今回彼女への見舞いが遅れた理由は大きく分けて二点あろう。一点目が私がヤングブラッド大佐等との面会を優先する必要があった事、二点目は後程詳しく語るが恐らくはこれまでの私の(意図せぬ)所業の数々から色々と勘違いした母による完全なる善意のせいである。

 

 そしてその結果が八月の始まり頃という、当初の申し出から半年近くも遅れた末の見舞いの訪問という訳であった。

 

 さて、上記の事については私も色々と含む事はあるが、この際は何を言っても言い訳にしかならないのは理解している。だが、せめて……せめてこれだけは言わせて欲しい。…………ストレスでお腹痛い。

 

 

 

 

 

 

 

 

「改めまして、此度の御昇進誠におめでとう御座います。旦那様の御栄達、一族を代表して御祝いさせて頂きます」

「アッハイ」

 

 ソファーに座る二十歳にもなっていない少女は手元のティーカップをテーブルの上に戻すと深々と頭を下げ、完璧な礼儀と形式でそう会釈する。明らかに嫌がらせであろう月日を待たされたにも関わらず、不快気を一切表さずに微笑みながらそう答えられると一層の罪悪感に襲われる。

 

 いや、可笑しいなとは思ってたんだよ。此方に来てから順番に見舞い客とは会って来たんだ。爵位や血統順に両親の親族を始めとして色々な見舞い客と顔を合わせたんだよ。それなりに忙しかったし、ヤングブラッド大佐達や食客達との連絡もあって正直忘れていたんだよ。

 

 気づいたのはヴァイマール伯爵家の小娘達が見舞い(とは言え儀礼的に仕方無く行かされたらしいが)に来た時だ。

 

『ねぇ、従兄。何で私らのグラティアちゃんの御見舞いの手紙だけ無視するわけ?虐め?元から従妹のお尻を奇声上げながら遠慮なくぶっ叩く性根の腐った糞従兄とは思っていたけどそろそろマジで失望するんですけど?』

 

 見舞いに来た(筈の)小娘から塵を見る目で睨まれて漸く事に気付いた。婚約者からの手紙が全て母上の方に流れているじゃないですかやだー。後自然に言っていたから気付けなかったがいつからお前達の伯爵令嬢になった?

 

 取り敢えず従妹からそう言われたと同時に私は母の私室にエキサイティングに突入した。そして母からおおよその内情を聞いた後急いで呼ぶように『お願い』した。

 

 うん、微妙に大変だった。『もう少し待たせた方が良くてよ?どちらが格上かを見せつけないといけないでしょ?』なんて笑顔で言われるんだもん。いや違うんだ母上、全て偶然なんや……結果的には奇跡的な程アレでも別に今まで彼方さんにマウンティング取るつもりなんて微塵も無かったんや……。

 

 どうにかしてこれ以上婚約者の私への印象を下げないようにするため(もう地面にめり込んでいるなんて言わないで!)に見舞いの訪問を了承する手紙を母に書いてもらった。このままだと夫婦生活を始めてすぐに背後から愉悦の笑みでアゾット剣で刺されかねん。

 

 その結果がこれである。以前会った時に比べると僅かに大人びて、しかしやはりどこか幼さを強く感じさせる少女はソファーに座り私に微笑み掛ける。

 

 とは言え外面は何も問題無さそうにしているが中身は分かったものじゃない。普通に考えれば何ヵ月待たしてんだよ!である。私ならばぶちギレているだろう。絶対内心私の事を罵倒しまくってくれているだろうね。

 

「申し訳ない。此方に来てから色々とたて込んでいまして、グラティア嬢をお出迎えする準備を出来なかったのです。どうか御容赦下さい」

 

 予め考えていた言い訳を述べる。もしここで更に深掘りの追及をされても問題はない。あらゆる対応に合わせて三十通りもの返答を用意しているからな!!

 

「いえ、家々ごとに事情がおありでしょう。こうしてお会いさせて頂く事が出来るだけで望外の幸せで御座います。お気になさらないで下さいませ」

 

 小鳥のような声で歌うように答えた後、にこりと愛想笑いを浮かべるグラティア嬢。お、おう……。

 

 正直ここまでへり下られたら何か滅茶苦茶悪い事した気分になる。というか色々考えていた自分が醜く思える。

 

 恐らくは謙遜であろうがそれでも随分と良く出来た娘だと感心する。それだけ厳しい躾を受けて来たと言う事でもあろうが……。

 

「それよりも………」

 

 そこまで言って僅かに陰りのある表情を浮かべるグラティア嬢。その視線は手袋をした私の右手に注がれていた。

 

「……御負傷為されたとお聴き致しまして眠れぬ日々を過ごしておりました。幻痛は御座いませんか?何かありましたら我が家も可能な限り御協力させて頂きます。何なりとお申し付け下さいませ」

 

 僅かに躊躇した後、しかし憂いを秘めた視線を此方へと向けてそう語る婚約者。私が身体欠損した事を慮る。

 

 とは言え先程の言葉を額面通りに受け取る訳にもいくまい。此方への印象は良くないだろうからな。心配していたのは嘘ではないかも知れないが、それは私個人というよりも負傷が遠因となって婚約が破談なり延期なりを憂慮しての事だろう。

 

 目の前の令嬢に心から慕われていると考える程私も自惚れてはいない。そもそも貴族間の婚姻は九割方が政略結婚であり、しかも殆どの場合親や長老衆同士での合意で決められる。まして彼女の家の状況が状況である。私の仕打ちも含めれば打算で心にもない言葉を言われたとしても仕方がない事だ。

 

「御心遣い痛み入ります。ですが御心配は無用です。後遺症は御座いませんし義手も漸く身体に馴染んで来た所です」

 

 もう本物の腕同然です、と手袋を着けた右手の指を動かして見せる。特注のオーダーメイドだから私の神経に合わせてちゃんと調整もされている。感覚と反応だけならば限りなく本物に近いだろう。

 

「それは幸いで御座います。そ、その………」

 

 ふと、何かを考えたように言い澱む婚約者。

 

「どういたしましたか?」

「い、いえ……何も御座いません」

 

 私が反応するものの、当の婚約者の方は僅かに慌てて自身の態度を否定する。

 

「そんな事はないでしょう?……気になるのなら触れて見ますか?」

 

 そういって私は右手の手袋を外して機械仕掛けの腕を差し出す。少女の視線から逆算しての私の提案だ。

 

「で、ですがそんな失礼な事……!!お気になられないで下さいませっ!!」

 

 血相を変えて必死に否定しようとするグラティア嬢。まぁ、義手に触れてみたいなんて言えば見方によっては悪趣味に思われるだろうから否定もしよう。とは言え……。

 

「……いえ、やはり将来夫婦となるからには私の義手に不安を覚えるのも当然の事でしょう。そう深く考えないで下さい」

 

 少し触られる程度ならば気にしませんよ?、とゆっくりと右腕を差し出す。

 

「……そ、それでは誠に失礼ながら」

 

 不安げな表情でグラティア嬢は恐る恐るといった体で身を乗り出す。髪形を変えたのだろう、プラチナブロンドのウェーブのかかったハーフアップにしていた頭が身長差もあり丁度私の首元に来る。ほのかに甘い柑橘類の爽やかな香りが鼻孔から感じた。

 

「そう言えば髪形、お変えになられたのですね?確か……以前はロングヘアーでしたか?」

 

 世間話と緊張感を解き解す目的から私は何気無しに呟いた。

 

「えっ?あ、はいっ……!その……お気に召しませんか……?」

 

 一瞬何を言われたか分からないような顔をして、しかしすぐに理解した伯爵令嬢は上目遣いで此方の態度を窺う。立場が立場とは言え、一々私の機嫌に敏感にならないといけない彼女に気の毒な気分になってくる。

 

「そんな事はありませんよ。貴方の金色の髪に良くお似合いですよ」

 

 取り敢えず貴族教育で学んだ知識の引き出しから貴族令嬢を褒める単語を思い出してそう答える事にする。嘘か真か、女性は髪形や服装、化粧の違いを認識し褒められるのが好きらしい。

 

「そ、そうですか。おほ……いえ、お褒めに預かり光栄ですわ」

 

 一瞬はにかんだような笑みを浮かべた婚約者は、しかし次の瞬間何かを思い出したように沈んだ表情を浮かべ、次いで沈んだ口調で限りなく儀礼的に返答した。解せぬ、然程気の利いた言葉を口にした訳ではないがそこまで落胆される言葉を口にしたつもりは無いのだが……。

 

「あ……改めまして失礼致しますわ」

「あ、あぁ……」

 

 私の思考でも読み取ったのか、僅かに動揺した声でグラティア嬢はそう伝え話題を逸らす。一瞬生じる重い雰囲気。その流れを変える意味もあって再度戸惑いつつも最終的に彼女は銀色に光る腕へとその新雪のように白くか細い指を触れさせる。

 

「……冷たい、ですね」

「まぁ、機械ですから」

 

 大昔の機械式義肢に比べて排熱効率も大幅に改善しているのでよほどの激しい動きかリミッターが解除されない限りは然程熱は感じられないだろう。金属特有の冷たさを纏う機械の腕……。

 

「……触れている感覚はあるのですか?」

「ええ、表面に圧力センサーがありますから」

 

 正確には超極薄の膜のようなものが義手に貼られており、それが圧力を検知すると内部で受信し圧力データを電気信号に変換、コネクタを通じて肉体の神経から伝わり脳が圧力を認識する……と、流石にここまで言う必要はないかね?

 

「………」 

 

 グラティア嬢は沈痛そうな表情を浮かべ義手に流れるように触れていく。優しく、労るように撫で回しその手は次第に指から手首、腕に続き……肘のコネクタ部分で止まる。

 

「お話ではお聴きしましたがこんな所まで………」

 

 痛ましげに肘の機械と生身の身体の境界線部分を見つめ、撫でる。丁度生身の右腕の肘部分に婚約者の手が触れた瞬間、私は僅かに仰け反った。

 

「ど、どういたしましたか!?やはりまだ痛みが……?」

 

 小さな動きではあったが私の反応に怯えと不安を含んだ瞳で尋ねるグラティア嬢。尤も、実態は彼女が思う程深刻なものではない。寧ろ遥かに下らない事だ。

 

「い……いえ、大丈夫ですよ。ただやはり機械からの信号と生身の神経の感覚は微妙に違いましてね。突然生身の方に触られて少し驚いてしまっただけですよ」

 

 私は苦笑する。何と言うべきか……義肢の電気信号は感触として理解出来るしその温度や柔らかさも理解は出来るが、やはり人工の感覚である事が分かってしまう。対して生身の神経だと無機質的だった感覚とは訳が違う。

 

 柔らかく、しかも温かみのある伯爵令嬢の手の感触が突然来て思わず驚いて仰け反ってしまった。碌に女子と手を繋いだ事もない学生かよ、と突っ込まれるかも知れないが、間に義手を挟むどこか無味無臭な感覚で暫く過ごして慣れてしまうと案外これがびっくりするのだ。

 

「ほ、本当で御座いますか……?御無理は為されてはいけなせん。私に落ち度があるのでしたら御遠慮なく……」

 

 表情を青くして小動物のように震える一回り以上年下の婚約者。私は落ち着いた表情を作るのに努め、彼女を安心させるために言葉をかける。

 

「怪我をして心労をかけた身でこう言っては何ですが、それ程心配して頂けるのは嬉しい限りです。御安心下さい、実生活で影響を与える程のものではありませんよ。少なくとも貴方に迷惑がかかるような事は殆ど無いでしょう」

 

 正直、婚約者が毎回危険な目に遭って死にかけるだけでも気苦労するだろう。まして結婚生活に入る前に利き手欠損の義手生活となれば精神的に結婚に戸惑いが生まれるのも仕方ない事だ。とは言え、先程言った通りに彼女からすれば自分からの婚約の破棄なぞ考えられないし許されない。

 

 彼女の悩みやストレスを増やす元凶がどの口で語るか、であるがそれでも実生活で問題無い事をアピールするのはしないよりもマシであろう。

 

「いえ御迷惑をかけるなぞ仰らないで下さいませ。我が家も曲がりなりにも武門の出です。一族にも家臣にも義肢を利用している者はおります。普段の生活で問題がない事は理解しておりますわ。それよりも……」

 

 と私の義手を悲し気に……少なくとも外見としては……見つめて続ける。

 

「覚悟はしていたつもりでしたが……やはり甘い覚悟で御座いました。御怪我をしたと聞いて見苦しくも取り乱してしまいまして……それにこうして実際に腕を見せて頂くと……中々胸のざわつきが収まらないものです。正直今も少し動揺している所が御座います」

 

 そして義手を見ていた視線を此方に合わせる。此方を何度目かの上目遣いで見つめ、若干戸惑い気味に語る。

 

「このような事を口にするのは宜しくないのかも知れませんが……どうか出来得る限り御怪我を為さらず、御壮健で御帰り下さいませ。私も微力ながらも日々旦那様の無事の御帰りを祈らせて頂いておりますれば、どうか御体を御自愛下さいまし」

 

 以前……ハイネセンポリスのクレーフェ侯爵主催の宴会でも彼女の似たような言葉は聞いた事があった。

 

 だが、あの頃の義務的かつ淡々とした言葉に比べて今日の彼女のそれはより感情のこもった、より本音に近いものに聞こえた。少なくとも私にはそう聞こえたし、それが只の勘違いであるとは出来れば思いたくない。

 

「……善処致しましょう」

 

 断言しないのは私の狡い所である。実際問題本当に危険なのはこれからであるのだから。あの金髪の小僧が台頭し始めるとそれこそ命が幾つあっても足りない。故に誤魔化すようにそう答えるしかなかった。

 

「……はい」

 

 しかし義手に両手で触れる目の前の少女はそんな誤魔化しの言葉にそれでも口元を緩め、少し安堵した表情となる。本当は私の誤魔化しを理解している可能性もあるが……それでもその美貌と幼さ、健気さも合わさり僅かに私は惚けていた。同時に自身の『これからの予定』を思うと罪悪感で胸が重苦しくなる。

 

「………そろそろ帰宅の準備を為された方が良いでしょう、この辺りは思いの外暗くなるのが早い。見送りますよ」

 

 どれ程の時間が経ったのか、壁掛け時計が1800時……午後六時の時刻を告げる鐘の音を鳴らす。その音で我に返った私は表情を取り繕いそう進言する。だが次の瞬間に目の前の伯爵令嬢は怪訝な表情を浮かべる。そして口を開いた。

 

「……?今夜、いえ二週間程此方に宿泊する事は御伝え致した筈なのですが‥‥…御聞きになられておりませんか?」

 

 その不思議そうな表情に一瞬私は思考がフリーズしていた。だが、すぐに脳内の思考はフル回転し目の前の婚約者の言葉を分析し、その答えを導き出す。

 

「も、もし御迷惑でしたら今回は「い…いえ、そんな事御座いませんよ?ははは、失念しておりました、申し訳ない!どうぞごゆるりとお過ごし下さい!」

 

 伯爵令嬢の瞳に不安と失望の色が映り退席の言葉を口にしようとしたのを殆ど無理矢理阻止する。若干震えた声で、しかし可能な限りの笑顔を浮かべ歓迎の言葉を吐いた。これ以上彼女を失望させる訳にはいかなかった。

 

(おいおいマジかよ………!)

 

 この時点で私は(殆ど自爆であるが)自身が凄まじい失敗をした事に気付いたのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

   

 

「不味い、ミスった、ファック!糞っ!糞ったれ……!ヤバい…ヤバい…ヤバい……どうする?いや待て待て……だが、いや時間はないし……今からでも連絡を取って計画の修正を……いやしかし……!?」

「慌て過ぎではないですかな?まずは深呼吸して落ち着いたらどうですかな?短気は損気ですぞ?」

 

  撞球室のソファーで一人思考の海に浸り葛藤する私に不良帝国騎士が呆れ気味にそう声をかける。因みに他人事のようにそんな事を言う本人はファーレンハイト二等帝国騎士とその部下のザンデルス中尉と共にポーカーに興じていた。因みに掛け金は私のものである。人から小遣い貰っていてその他人事感は酷くないですかねぇ?

 

「しかし、確かにこの時期に御訪問、それどころか滞在為されるとなると少々困りましたな」

 

 私の対面のソファーに腰かけるダンネマン一等帝国騎士は顎を擦りながら考え込む。此方は若者衆と違い険しい表情を浮かべていた。

 

 困った。そう、大変困った事態になっていた。何もかもタイミングか悪すぎる。いや、此度の課題については私の落ち度もあるが……。

 

「訪問して見舞いだけで終わり、と楽観視した私が甘かったな……」

「そうは言ってもあのまま一度も訪問を許さずに夜逃げ決行、という訳にも行かなかったでしょう?それこそご令嬢の面子は丸潰れですからな」

「滞在中に夜逃げされるのも大概だと思うぞ……?」

 

 不良騎士の慰め(?)の言葉にしかし私は現実を見て答える。どっちを選んでも将来アゾット剣で刺されそうだ。

 

 私のこの別荘兼監獄脱出計画は少なくとも口で説明するだけならばそう複雑なものではない。文字通りこの場にいる者達を中心とした周囲の協力を得ての夜逃げである。(大体私のせいだが)色々拗らせている母の説得は難しいのでほとぼりが覚めるまで遠方に逃げようという訳だ。まぁ、複雑ではないと言いつつも実働の面で言えばそう簡単にはいかないのだが……。

 

 もう少し詳しく言えばレーヴェンハルト中尉を始めとしたメンバーに屋敷警備の穴を調査してもらい、場合によっては作ってもらう。もうすぐ夏到来で梅雨の時期なので闇夜の大雨に紛れて脱走、領地の外で用意された車に乗って付き人と合流、ハイネセン軍事宇宙港に突入する。ヤングブラッド大佐が予め人事異動の書類と宇宙船の便を調整してくれているのでその場で書類を直受けして宇宙船に乗り込む。途中で母が気付いてあの手この手で探しだそうとするだろうがその辺りの対策と偽装は万全だ。……多分。

 

 母の宥め役は父に近い親族にやってもらう予定だ。流石に最前線に送るのは親戚一同反対するであろうが、同時にこの国難の時期に武門貴族の嫡男が何年も安全なハイネセンの片田舎で食っちゃ寝生活している訳にはいかない事は一族の役割としても、ほかの諸侯への外聞としても理解している。

 

 同盟政府からしても私という小道具が軟禁されて使えない、なんて状況は喜ばしくない。自分で言うのも何だが、才能は兎も角血統と階級的には私は中々代わりが用意出来ない道具であると自負している。必ず必要な道具でなくとも少なくとも『子離れも出来ない箱入り娘の我儘奥様』のために使えなくなるのは受け入れられないのだ。

 

 そして……色々と課題はあるのは確かであるがここに来て新たな、そして思いのほか厄介な課題が参戦してきた。

 

「まさか夜逃げ秒読みな時期にお泊りされるとはな……」

 

 正確には夜逃げ一週間前に我が家に婚約者が二週間滞在の予定でやってきてしまったのだ。

 

 二週間の滞在自体は可笑しくない。数日に渡って宿泊する客なんてものは珍しくない。というよりも貴族階級の屋敷が無意味に広いのは見栄もあるが、家臣や客が大所帯でかつ長期間宿泊する事も少なくないためだ。まして婚約者なんて立場ならば何日と言わず泊り込む事も有り得なくはない。

 

 とは言え本当にこの時期に長期間滞在されるのは予想外だった。本来ならば女学院がある筈なのだ。まさか学院を休んでまで……だが、元々見舞いの手紙が来たのは二月頃なのだ。冬先である。学院も休みの時期なのだ。その時期に手紙で二週間の滞在を予定した手紙を送っていた訳で……。

 

 向こう側からすればこの時期になって返しの手紙なんて出されて困った事だろう。学院を二週間も休まないといけない。しかし今更手紙の内容の訂正はやりにくいし、訂正の連絡を入れて悪感情を抱かれたくもない筈だ。結構無理して短期休学の許可を貰ったのだろう。

 

 あの場でもし私が帰させていたら半年近く手紙無視して今更来いと言って、無理して学院休学してきたらその日の内に突き返されたという糞みたいな対応をした事になる。完全に下に見てるよ。全力でマウンティング取ってるよ。刺されても文句言えねぇよ。まごう事なき(精神的)DV婚約者だよ。

 

「近年稀に見る高慢畜生貴族の爆誕ですな。嫁にされる令嬢の何と悲劇的な事か……」

「止めろ不良騎士、その言葉は私に効く」

 

 ダイレクトアタックだよ、急所に当たってるよ、効果は抜群だよ。

 

 うーん、と私は項垂れる。八割くらい自業自得ではあるが流石に精神的にクるものがある。

 

「まぁまぁ!そう悩まずに!いやーな事は飲んで忘れるに限ります!一杯どうですか!?」

 

 背後から現れるのはにこにこと笑顔でブランデーを注いだグラスを差し出すレーヴェンハルト中尉だ。ああ、そうだな。貴様がブランデーに怪し気な薬を入れてなかったら気分転換に一杯くらいは呷っていたかもな?

 

「心外です!ブランデーにただムラムラする栄養剤を入れただけじゃないですか!?」

「完全に有罪じゃねぇか!」

 

 グラスを奪い取って中身を糞従士の顔面にぶちまける。結構高い銘柄なのに勿体ない事をさせやがって……!

 

「皆様、もう少し真剣に考えられてはどうか?若様がお悩みになられているのですぞ?」

 

 ダンネマン一等帝国騎士が非難がましい視線を私以外の者達に向ける。余り冗談の類が効かない中年の騎士にとってはほかの者達の態度は愉快なものではなかったのだろう。

 

「そう言いましてもねぇ、どうするのです?今更急な予定変更は難しいのでは?」

 

 ファーレンハイト二等帝国騎士は肩を竦めて指摘する。今回の計画は数ヶ月かけて調整したものだ。数日ズラすのも簡単ではない。宇宙船や人事異動の書類の発行、赴任先のポストの空きを作るのも、母や母の人脈に気付かれないように手を回すのもそれなりに手間がかかるのだ。しかも時間がかかればそれだけ企みに気付かれかねない。

 

「かといってこのまま抜け出すのもなぁ……」

 

 これまでの所業に更に見舞い途中を狙っての夜逃げとかひょっとしなくても殺意を持たれかねない行為だ。だからと言って変更もいかない訳で………。

 

「八方塞がりだな………」

「いっそ婚約者も連れて夜逃げしますかな?」

「論外だな」

 

 冗談めかして不良騎士が語るが当然却下だ。そもそも連れていける訳がない。

 

「では婚約破棄でも奥様にお願いしますかな?確か噂では余りあのご令嬢を推していなかったそうじゃないですか?」

「不可能ではないが……そんな事したらお前さん、私を見下げるだろう?」

「塵を見る目で失望しますな」

 

 揃えたストレートをゲーム上に繰り出した後、堂々と断言する不良騎士。どこぞの女をとっかえひっかえしている世界線ならば兎も角、この世界では愛妻家の娘大好き人間で通っている。金とコネであちこちでやりたい放題の道楽貴族のボンボンより実家のために健気に尽くす若々しい婚約者の肩を持つのは当然だ。

 

「別に貴方が幾人愛人侍らせようが私としては構いませんよ?無責任に手を出さずちゃんと面倒を持つならばね」

 

 逆に言えば好き勝手した後に無責任に婚約者を放り投げるような扱いは騎士道精神からして許さん、と言う訳だ。まぁ、騎士道精神(と給金)で雇用されているのだから当然だろう。

 

「お前さんも勇気あるな。こちとらお前さんの家族の疎開を後回しに出来るんだがな?」

 

 不良騎士殿の妻と娘、妻の家族は当然アルレスハイム星系にいる。そしてアルレスハイム星系は当然戦火が近付いており家族愛の強い不良騎士は疎開させたい筈である。そして私はそれに口添え出来る立場な訳で……。

 

「それこそ、その時は私の見る目が無かったという訳ですな?」

 

 不敵な笑みを浮かべるシェーンコップ上等帝国騎士。私がしない事を見越しているらしい。そりゃあしないけどさぁ。戦斧で頭かち割られたくないもん。

 

「恰好つけている所で悪いがフルハウスだぞ?」

「あ、フラッシュです」

 

 そう言って机上に手札を公開するファーレンハイトとザンデルス。当然ながら役としては不良騎士の負けである。

 

「おいおい、マジか。お前さん達いつ手札を揃えたんだ?イカサマじゃあなかろうな?」

 

 先程の不敵な笑みから打って変わって納得いかない表情を浮かべるシェーンコップ。薔薇の騎士達の中では娘の養育費を稼ぐために荒稼ぎしているらしい彼も食い詰めとその部下の前には劣勢になる事が多かった。

 

「イカサマとは人聞きが悪い。ルール違反はしていないぞ?ルール違反はな」

 

 それ以外はしているという事である。帝国にいた頃も食費のために賭け事に勤しんでいたそうだ。仲間と組んで場の手札を殆ど暗記して相手の持ち札を推測していたという。どこぞのボンボンの富裕市民や門閥貴族の道楽息子から賭け金を毟り取っていたとか……流石に報復されるから手加減はしたらしいが……。

 

「これではいけませんな。若様、どうです?貴方も参戦しませんか?」

「誰が毟り取られにいくかよ」

 

 あのテーブルは魔窟だ。参加すれば雑魚の私では下着までひん剥かれる事請け合いだ。君子危うきに近寄らずである。

 

「さてさて、どうしたものかな………」

 

 私は今後の事を思い、今はただ天を見上げ嘆息する事しか出来なかった………。

 

 

 

 

 

 

 

「それではごゆるりと御過ごし下さいませ」

 

 案内の女中が頭を下げ退出する。それを見届けた後、ケッテラー伯爵家直系の一人娘は僅かに陰鬱な雰囲気を漂わせながら自室に視線を向けた。

 

「随分と贅を尽くした部屋ですね……」

 

 グラティアはぽつりと呟いた。確かに領地が貧しく財政も苦しいとはいえ、ケッテラー伯爵家は曲りなりにも権門四七家に名を連ねる大貴族だ。唯でさえ質実剛健な気質のある武門貴族の中で特に厳格である事を含めても、流石にそこらの成り上がり男爵子爵なぞにに比べればその暮らしは奢侈を尽くしたものである。

 

 それでも尚、やはり彼女の嫁ぎ先は彼女の実家に比べ遥かに裕福である事をこの宿泊する部屋の内装だけで思い知らされる。人を丸まる焼けそうな暖炉に壁にかけられた名画の数々、マホガニー製の家具に、床には深紅に染められた絹と金糸で作られた厚い絨毯が敷かれ、天蓋付きの大きなベッドが鎮座する。細やかな調度品の数々もその一つ一つが職人が時間をかけて作り上げた工芸品である。

 

 実家との違いに思わず溜息が出てしまう。コルネリアス帝の親征によりケッテラー伯爵家の統治していたフローデン州は荒廃し、多くのインフラを喪失した。臣下の多くも失いその影響は一世紀以上経過した今でも深い傷を残している。

 

 一方で同じ武門貴族でもティルピッツ伯爵家やバルトバッフェル侯爵家が親征で受けた傷は無傷とはいかないまでも然程深くない。両家とも亡命した初代皇帝ユリウスを一応支持はしたが、元々亡命前は別の皇族を皇帝に担ぎ上げようとしていたのだ。亡命政府の前身組織結成の時点で彼らはユリウスから距離を取り旧帝都のあった東大陸以外を領地として開拓した。

 

 親征の後、帝国軍の攻撃で荒廃した東大陸から帝都を移転させた際、ユリウスとその子孫から距離を取り戦力と財力を温存していたこれらの諸侯の勢力は巨大化した。帝室は彼らの支持を得るために帝都としての機能をアルフォートに移転し接近を図る。

 

 当然帝都に近くなれば経済的にも、政治的にもこれらの諸侯の領地は発展する。翻って荒廃した東大陸を領地としたユリウスの初期の支持諸侯達の勢力は衰微する訳だ。一応援助や転封等の救済処置はあったが……。

 

「嫌われないようにしないと……」

 

 もう殆ど顔も覚えていない父が少なくない臣下と共に戦死したのは十五年程前の事だ。唯でさえ裕福とは言えない領地、しかも多くの人材を失い、後継者争いで更に疲弊した。故に援助を受けるための人身御供として彼女は選ばれたのだ。

 

 此度の見舞いもそんな相手の婚約者が重傷を負った故のため、恵んでもらう立場である以上せめて態度だけでも下手に出て機嫌を取り、同時に相手の心変わりが起こらないように観察し時として梃入れの役割も与えられていた。流石に手紙を出して半年近く無視を決め込まれるのは予想外であったが……学院を少しの間休む必要があったが仕方ない事だ。その程度の事で取り止めを伝えたらそれこそ婚約破棄されかねない。

 

 それだけは許されない事だった。弟はこの時期になっての招待に反発したが祖父は急いで仕度するよう命じて学院に休学の連絡を入れていた。従士家も不満を浮かべていた者が多かったが最終的には了承した。それだけ一族の生活が苦しい証拠であった。

 

「っ……!」

 

 僅かに立ち眩みに襲われ体がふらつく。それはきつく締めあげたコルセットだけが理由では無かろう。自身の一挙一動で数千の従士と数万の奉公人、いや領民や食客も含めれば数えきれない数の者達の生活が左右されるのだ。大学生にもなっていない少女には荷が重すぎる。ストレスからくる心労が身体を異様に重く感じさせた。

 

 降りかかる倦怠感にそのままベッドに倒れる。やけに弾力があり柔らかなベッドに更に実家との財力の差を見せつけられた気がして気が沈む。

 

(大丈夫……ですよね?)

 

 ベッドの上で仰向けになり、彼女は今日面会した未来の夫の事を思い返す。

 

 正直な話、腕を喪失したと聞いた時目の前が真っ暗になった。実家を救うための政略結婚だがそのための相手が死んでしまったら元も子もない。生命は無事でも障害があるかも知れないし、精神的に気落ちしているかも知れない。それが元で婚約の解消もあり得たので気が気でなかった。面会の要望に対しての返事がなかったので不安は日に日に肥大化して眠れぬ日々が続いたものだ。

 

 こういっては何だが……蓋を開けて見れば予想以上に穏やかで落ち着いていて内心では驚いてしまった。

 

 実家でも義肢を使う親族や家臣はいるが、流石に二人に一人はショックを受けていた。まして従士や分家なら兎も角大貴族の直系である。相当落ち込んでいるのではないかと危惧していたのだが……笑みを浮かべ義手を触ってみるかとまで言われたのは予想外だった。

 

(いえ、それも当然なのかも知れませんね……)

 

 思い返せばあの態度も当たり前なのかもしれない。耳にしたこれまでの軍功や捕虜収容所で直接目にした姿がそれを補足する。紳士的な所はあるがその本質はローデンドルフ伯爵家の夫人のようなものなのだろうか……?どちらにしろ………。

 

「落ち込んでおられなかった事はとても幸いでした」

 

 無論、腕を失う事は辛い事である。だがそれでも逞しく、此方への気遣いが出来る程に落ち着きを払っていたのは幸運であっただろう。少なくともそれだけで此度の見舞いにおける不安の半分近くは霧散した。

 

 グラティアはその時自身が心底安堵し、口元に微笑を浮かべている事に気づいた。

 

 恐らくはそれは打算的ものの筈であった。婚約者が死なず、約定の破談も無さそうな事への安堵感であった。

 

 だが……その事を自覚すると同時に自身のその考えに言語化出来ない不快感と嫌悪感の感情が生じている事をグラティアは気付いていた。そしてその事に何とも説明出来ない困惑の感情が続く。

 

 虚しく、悲しく、息苦しい、後ろめたく胸につかえるような感覚が彼女を襲った。その幼さを色濃く残す美貌が曇る。一瞬その脳裏に然程顔を合わせた訳でもない筈の婚約者の姿が過っていた。彼女は苛立つように自身の『ブロンド』の髪に触れる。

 

「所詮、政略結婚ですから」

 

 何かを否定するように、険しく硬い表情を浮かべ、冷たい口調で、誰かに言い聞かせるようにグラティアは呟いた。その呟きは妙に室内に反響したように彼女には感じられた。

 

 暫しの間、ベッドの上で彼女は沈黙する……。それは何十秒か、あるいは何分か、何十分であったかは分からない。ベッドの上に横たわる彼女の時間の感覚はいつの間にか妙に曖昧なものになっていた。

 

 そんな彼女の時間感覚を現実に引き戻したのは扉を叩くノックの音であった。

 

「……?鍵はしてないわ。開けて構わないわよ?」

 

 使用人であろうか?と考え少し面倒そうな口調でそう答えた事を数秒後にグラティアは死ぬほど後悔した。

 

「あらあら、屋敷までの道程で御疲れだったかしら?ごめんあそばせ?」

 

 家臣のように侍女を複数人引き連れて入室してきたその貴婦人を目にした時、グラティアの若く温もりのある顔は瞬時に青白く凍り付いていた。

 

「お、おか……伯爵夫人、申し訳御座いません!お見苦しい所を……!」

 

 ベッドから急いで起き上がった少女は最低限見苦しくないように急ぎ足で伯爵夫人の下に向かう。そして頭をさげながら義母様、と口にしようとして次の瞬間に鋭い眼光を受け言い直す。

 

「ふふふ。いいえ、安心して下さいな。その程度(・・・・)の事、気にしないでしてよ?」

 

 笑みを浮かべる屋敷の女主人の言葉に、しかしグラティアは全く安心出来なかった。目の前の婦人の言葉は寧ろ今の非礼を許すというよりも既に手遅れであるが故にこのような些事はどうでもよい、というような意味合いに聞こえたのだ。

 

 肉食獣に捕まり今まさに捕食されようとしている小動物のように縮こまるグラティア。その姿をどこか嘲りを含んでいるように思える笑みを浮かべる伯爵夫人。鮮やかな絵巻の描かれた扇子で笑みに歪む口元を隠し、言葉を紡ぐ。

 

「もし宜しければ……少し御話でも致しませんか?色々と(・・・)、互いに知りたいものでしょう?ヴィレンシュタインの御嬢さん?」

「あっ……」

 

 グラティアは思わず絞殺される鶏の断末魔のような声を漏らしていた。生まれながらに貴族社会で蔑みと好奇と観覧の目に晒されてきた彼女には義母となる筈の貴婦人の笑みが全く違って見えた。

 

 表情こそ優し気で慈悲深いが、その瞳の奥は冷めきっており、鑑識するかのように不躾であり……何よりも狼の群れの主が新参者を見聞するかのように見下す冷酷さが垣間見えた。

 

 同時にグラティアは理解する。此度の訪問において最も注視し、注意すべき人物を完全に見誤っていた事に。この屋敷において彼女が最も媚び、許しを請い、頭を下げるべき相手は……。

 

「さぁ、夕食前ですから軽食しかありませんが、御茶の用意をしたのですよ?御一緒にどうですか?」

 

 御淑やかに、有無を言わせず、凍り付くような笑みを浮かべてティルピッツ伯爵夫人はグラティアの手を半ば無理矢理に引く。

 

 当然、少女がそれに逆らう術なぞありはしなかった………。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。