帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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第百三十五話 悪い噂程中々消えない

 血統……即ち血縁、家柄、血筋の事であるが、帝国人は帝室や貴族階級は当然として、下層の農奴、時として奴隷階級すら血統による出自を重視する。 

 

 同盟人やフェザーン人の大多数にとっては黴臭く、前時代的で、非合理的な考え方に思えるだろう。一三日戦争……いや原始産業革命以前の封建時代でもあるまいに、と嘲る事請け合いだ。

 

 無論、同盟やフェザーンでもある程度の縁故や家柄の重視は当然ある。そうでなければ所謂名家なぞ生まれようもない。代々続く一族経営の財閥やコンツェルン、高級士官を幾人も輩出する軍人家系、先祖の支持基盤を受け継いだ二世・三世議員は珍しくもないしハイネセン・ファミリー長征派の如く歴史ある家柄から強い特権意識を持つ者だって存在する。

 

 それでも……それでも帝国の血統主義は多くの同盟・フェザーン市民にとって教条的かつ極端であり、その拘りは異様にみられる事が多い。余りに時代錯誤な考えであり、血筋によって国家の指導階層を独占するのは非効率的であると指摘される。

 

 ……より専門的な学者達は別の分析をする。彼らの研究結果は帝国の別の側面を照らし出す。

 

 第一に、帝国は同盟やフェザーンの一般市民が思う程に不平等な社会体制ではない。帝国は階級により経済的に断絶しているが逆に言えばそれは一種の社会的セーフティでもある。

 

 帝国では貴族なら貴族、平民なら平民、奴隷ならば奴隷としてその階級の最低限の待遇は帝国政府により保証されている。厳しい階級制度を敷く以上、逆説的にその階級から落ちぶれないようにする事も帝国の国家的な責任であるのだ。薬物等の依存症にでもならない限り家庭や生活が破滅する事は滅多にない。

 

 例えば、貴族階級で最も落ちぶれる者の多い貧乏騎士達には所得に応じて最低限生活可能な額が貴族年金として支給される。年頃の娘ならば宮内省や典礼省に頼めばそれなりの資産を持つ家の正妻なり妾なり、自身と家族を養って貰える先を紹介してもらえる。

 

 平民階級はそもそも徒弟制や世襲制で職に就く者が多い。あるいは郷土臣民兵団や諸侯の私兵団は軍隊と派遣労働力を兼ねる人気の職場であるし、殆ど出血サービスな政府の職業斡旋所に行けば取り敢えず飯を食える働き口が紹介される。

 

 農奴階級や奴隷階級はかなり待遇に差はあるが、それでも最低限生活は保証される。危険性の高い仕事に就く者が多いために事故死の可能性はほかの階級に比べて高いが、少なくとも計画的に過労死や餓死に至らしめる程の安全を無視した強制労働は行われない。特に帝国史上最も幸福な時代であった『五賢帝時代』になると開明的な皇帝達によって流刑地の待遇改善が始まり奴隷階級の労働組合の結成が許可され、支給品や労働時間の改善要求まで行われるようになった。

 

 その上、決して才能ある奴隷や平民がその実力を活かせない体制でもない。弱肉強食・適者生存・優勝劣敗の原則に従い、才能ある者が上に伸し上がる道自体は険しいものの存在する。

 

 そもそも貴族と平民や奴隷は直接関わる事自体が珍しいのだ。同盟に当てはめるなら、例えば大企業の社長が平社員を一々確認なんてしないようなものだ。実力ある平民や奴隷は普通にある程度までは昇進出来るし、そもそもそういう存在を諸侯は見逃さない。才能ある者は余程に反骨精神溢れる者でもなければ頭角を現した時点で積極的に食客や奉公人、従士として取り込まれる。

 

 え?貴族は碌に働かないのにすぐに昇級する?それは勘違いだ。貴族階級が平民や奴隷よりも昇級や昇進が早いのは、単に学歴や実力を期待されて功績を上げやすい部署に配置される例が多いからだ。無能なのに昇級している者はしかし、大概は名誉職で飼い殺しにされ実権なぞ与えられていない。実権ある立場にある貴族は当然のように実力もある。

 

 また才能ある平民や奴隷に対して帝国は同盟やフェザーン人が思う以上に広く門戸を広げている。少なくとも下級貴族になるのはある程度の手腕があれば不可能ではない。帝国政府のエリート官僚の登竜門たる帝国高等文官試験(帝文)の内容も合格水準も貴族と奴隷とで殆ど差はない。

 

 オフレッサー家は士族から代を重ねて男爵位を得た。諸侯ですら簡単に就けぬ顕職に一族を送り込んで来た士族の名門コーゼル家、現国務省政務秘書官ワイツ二等帝国騎士は三代前まで平民であったが帝文にて次席で合格した事で帝国官僚組織のエリートコースを邁進しているし、現社会秩序局副局長ハイドリッヒ・ラングは下層平民の出である。

 

 皇帝のすぐ側に仕える者達すら例外ではない。アウグスト流血帝の近衛軍団司令官シャンバーグは奴隷階級出身、コルネリアス一世元帥量産帝時代の単座式戦闘艇総監は自治領民と平民の混血は元帥号を受け取っていた、エーリッヒ一世酷薄帝の時代なぞ帝国宰相は元鉱山奴隷、近衛軍団司令官は自治領出身、侍従武官は賞金首の宇宙海賊という信じがたい面子だ。

 

 原作におけるミューゼル家やロイエンタール家も元平民であるのが事業の成功で富裕な貴族階級となり、前者は兎も角後者に至っては零落れたとはいえ門閥貴族から借金の補填を代価に娘と婚姻出来る程の資産を稼ぎ出す事が出来た。帝国軍の双璧を筆頭とした名将達は言わずもがな、金髪の孺子が台頭する前から将官や佐官と言った高級士官だった。これらの例は本人達の才能もあろうが、それ以上に帝国の体制が存外才能ある者に対しては公平である事を示している。

 

 一方で帝国社会の研究家達はそのような実力主義社会である帝国が翻って血統や血筋を妄執的に貴ぶ理由も分析している。

 

 以前にも触れたが、星間国家において国民の連帯と同胞意識を保つのは簡単ではない。それ故に文化・宗教的な統一を行う事で人工的な『民族主義』を形成し、一方で『伝統』を以て体制の存続を図る。

 

 そして門閥貴族階級は帝国の国家体制存続の文字通りの最も重要な柱として存在している。

 

 血統による政治権力の相続は帝国において『正義』に他ならない。代々領地を統治するが故に支配に関して責任を持ち、長期的視野に立った地方自治を行う事が出来、また領民との距離も近くなり銀河連邦末期のような腐敗と搾取を抑制することも可能となる。寧ろ帝国的価値観においてはどこの馬の骨とも知れぬ者に統治権がある方がおぞましい。いくら優秀であろうとも外国人に統治などされたくないと思う感覚と言えば分かりやすいだろう。臣民にとって領主は中央に対する地方の権利の代理人である。

 

 中央から見ても、諸侯という地方の代理人とだけに交渉の窓口を一本化できるのは政策の推進の面で極めて効率的だ。また諸侯と諸侯、諸侯と帝室との婚姻による結び付きは帝国の同胞意識の醸成と利権調整の面でも効果的だった。

 

 門閥貴族の血統に平民や下級貴族の血が混ざる事が嫌がられるのは正にこの利点が失われるからだ。

 

 正確に言えば当主の血に卑しい血が流れる事が大きなデメリットであった。平民や下級貴族の血が流れている事は即ち諸侯との血の結び付きが薄れる事を意味する。支配階層の自覚が薄れ、その同胞意識が失われるのではないかと訝しまれ、距離を取られるのだ。

 

 諸侯同士と同じく、あるいはそれ以上に領主の血に下賎な血が流れる事を嫌うのは領民である。ほかの諸侯や宮廷から距離を取られればそれは即ち領主の領民の権益の代理人としての役割を果たせなくなる事を意味し、同時に領主の領地に対する責任意識の希薄化が起こるのではないかと恐れられるのだ。

 

 故に門閥貴族の正妻は殆どの場合門閥貴族に限定される。下級貴族や平民の妾からの子供は爵位を継ぐ事は一部の例外を除いて殆どあり得ないし、分家を立てるとしても帝国騎士家か従士家が大半だ(無論、その後に功績で爵位を得る場合はあるが)。

 

 そもそも妾ですら一部の好色家や放蕩貴族を除けば単なる性欲のためだけに抱えている訳ではない。臣下の家々や有力な領地内の富裕市民との結び付きを強め、また爵位を継ぐ必要のない帝国騎士位の分家を形成して領主と領民を仲介する中間支配層を作り上げる、あるいは本家と血縁の繋がる将校や官僚を帝国政府内に送り込み派閥形成の駒とするためだ。

 

 即ち、門閥貴族階級が血統に拘るのは文化的側面もあるが、それ以上に実利的理由が大きいのだ。賎しい血が混ざれば宮廷からも領民からも白い目で見られ、宮中政治どころか領地経営すらままならなくなりかねない。

 

 それは諸侯よりも遥かに権威のある帝室すら……むしろ、だからこそ例外ではない。現在でこそ同盟歴史学会にて帝国中興の祖とされている(尤も、ひと昔前の評価はまた大きく違ったが)マクシミリアン・ヨーゼフ二世晴眼帝も母方の家柄からその即位には当時猛反発が行われた。

 

 ‥‥…尤もこの事に関しては別の要因もある。一つには帝室の権威の低下が挙げられるだろう。特にリヒャルト二世忌血帝時代の『領内平和令』以降一世紀以上に渡り続いた軍縮とダゴン星域会戦における大敗により帝室の武力は弱体化しており、またエーリッヒ二世止血帝時代に諸侯と結ばれた『盟約』がルドルフ大帝時代に始まりジギスムント二世恥愚帝を経てエーリッヒ一世酷薄帝時代に完成した帝室の専制体制を拘束した事も公然とかつ大規模な帝室への反発を助勢した一因だ。

 

 兎も角も、半ば強行された晴眼帝の即位は最終的には血統卑しき皇帝に対しての一部保守派大諸侯による分離独立運動すら引き起こした。『シュヴァーヴェン四諸侯の反乱』や『ユグドミレニア公の反乱』、『コスモバビロニア王国建国戦争』はその代表例だ。

 

 皇妃ジークリンデの存在もまたそれに拍車をかけた。従士家の名家であり幾らか諸侯の血が含まれようともワーグナー家は所詮は下級貴族。寵妃なら兎も角、皇妃なぞおこがましいにも程がある。晴眼帝が帝室の遠縁から養子を迎えたのはその養子……コルネリアス一世元帥量産帝の才覚もあるが、それと同じ位に皇妃と自身の子供を次の皇帝に据えるのは諸侯の反発から極めて困難であったためだ。仮に子を成して即位を強行しても百日帝や亡命帝の如く即座に暗殺された事であろう。

 

 まぁ、このように門閥貴族の当主が正妻や後継者に同じ階級以外の血を入れる事はかなり稀な事という訳だ。それこそほぼ宮中に出仕する事のないようなかなりのド田舎の小諸侯か、逆に相手の一族が相当の資産や才覚を有しているかでもなければ……いや、それでも尚理解を得る事は容易ではなかろう。

 

 まして、オーディンの本家とは違うとも名門中の名門のサラブレッドたる私の母の血統に対する鑑識眼の厳しさは、当然ながらそこらの諸侯とは比較にならない程のものであったのだ……。

 

 

 

 

 

 

 水晶のシャンデリアに金塗りの壁、ベルベット張りの椅子とマホガニーの長テーブル、その上に絹のテーブルクロスが敷かれ、黄金色の燭台に花々を生けた花瓶、高級な陶磁製と銀製の食器の数々とそれに盛りつけられた朝食……煌びやかな朝の会食はしかし、余りにも静か過ぎた。

 

 いや、給仕服や燕尾服、調理師服を着て控える数十名の使用人達が沈黙するのはいつもの事だから構わないのだ。問題は本来ならば朗らかな会話が交えられてもいい筈の屋敷の主人達と客人の間ですら重苦しい空気が流れている事であろう。

 

 銀のフォークとナイフが料理を切り分ける音すら殆どしない。もし公の場でそんな事を行えば宮中マナー違反になり暫くはパーティーに参加出来なくなるので門閥貴族たる者子供の内に食事の作法位マスターさせられる。可愛くて幼い妹すら少し苦戦しつつも殆ど雑音を奏でずに食事を進めている事からもそれは分かろう。

 

 故にこの場で明瞭に聞こえる音と言えば精々壁掛け時計の針の音かこの朝食用食堂(当然のように食堂が複数あるんだ……)に設けられた窓から漏れ聞こえる小鳥の囀り位のものだ。

 

(………気まずい!!)

 

 私は殆ど作業的に焼き立てのパンを千切って口に放り込みながら内心で叫ぶ。

 

 余りにも静か過ぎて辛い……。妹の方に視線を向ければ不安そうな表情を作りつつ母や婚約者と目を合わせないように目の前のパイを食べる姿が見える。この場で自分が下手に話題を振る事の危険性を理解しているようだった。

 

(というか、昨日の夕食も似た感じだよな……アレ?まさか私滅茶苦茶空気読めて無かった?)

 

 昨日の自分を思い返して腹痛すら感じ始めて来る。とは言え……私なぞよりも婚約者の方が針の筵なのだろうが……。

 

 取り敢えず昨日妹から聞いた話もあり、私としても自分自身や信用出来る食客や使用人を通じて情報を集めている所ではあるが……うん、今分かった情報だけでも結構エグいわ。

 

 まさか伯爵令嬢も初日からマウンティングされるとは思ってなかっただろう。私は知らなかったが昨日の内に(強制)お茶会に参加させられてた。断片的に分かる内容だけで完全に頭抑えにかかってるぞ。

 

 母が余り伯爵令嬢との婚約に賛成していない事自体は聞いていた。皇帝陛下や父、軍部と典礼省等が政略的な理由で賛同しどうにか納得させた事も聞いていた。説得した者達が者達である。母も従うしかないし、一度認めた以上は当然ながら簡単にそれを反古にする事なぞ出来ない。平民と違い皇族であり貴族でもある母の言葉は重い。故に私もそこまで無茶な事はしないと思ってはいたのだが………。

 

「どうかしら御客様?我が家の朝食は?」

 

 一見優しげに、しかし聴く者が聴けば明らかに冷たい美声は母から客席に向けられたものであった。

 

「あっ……は、はいっ!大変美味しゅう御座います!どの料理も新鮮で、それに調理も素晴らしいものです……!流石伯爵家の御屋敷であると感服致しました……!」

 

 いきなり話題を振られた伯爵令嬢は一瞬身体を震わせて、しかしナプキンで口元を拭いてから取り繕った笑みを浮かべ賛辞を述べる。まぁ、貶す言葉なんか言えないからねぇ。

 

 しかし、この極平凡かつ過失のない言葉に対して母の返答は実に意地の悪いものであった。

 

「あら、それは良かったわぁ。料理長が言うには今日の食材の質は然程宜しくなくて出来もなかなか上手くいかなかったそうなの。ですからお口に合うか随分と不安だったのだけれど……特にオムレツの出来だったかしら?」

 

 フリルをふんだんに使ったドレスを着こなした母の白魚のような白い手が口元を隠す。クスクス、と加虐的で冷えた笑い声が食堂に反響した。

 

 一方で蛇に睨まれた蛙……というよりは栗鼠、というべきか。怯えるように婚約者は肩を震わせる。それは怒りよりもどちらかと言えば恐怖から来るもののように思えた。彼女のすぐ目の前には先程まで口にしていたバターとクリームたっぷりの半熟のオムレツがある。うわ、絶対これタイミング狙っていたわ。

 

 陰湿過ぎるように思えるが、そもそも母は名門中の名門の血筋だ。即ち宮廷女性社会の主要プレイヤーの一人である。これくらいの意地悪は残念ながら『可愛い』ものでしかないのかも知れなかった。

 

「あっ……」

「粗食なぞ提供し、我が家としては恥じいるばかりでしたのよぅ、けど……どうやら御満足して頂けて幸いでしたわ」

 

 何か謝罪しようと声を震わせた伯爵令嬢に、しかし機先を制してそう続ける母。謝罪の言葉すら許さないとは……。

 

「………」

 

 ここは流石に助け船を出さないといけないだろうなぁ、私の立場としては。

 

「……味が少し濃いな、バターと塩を入れすぎたか?」

 

 自分の手元のオムレツをスプーンで一口口にすると私は肥満気味の料理長に優しく尋ねた。

 

「は、はいっ……!その通りで御座います……!大変申し訳御座いません……!」

 

 この剣呑過ぎる空気の中でいきなり私に声をかけられたために料理長は僅かに狼狽えた声で答える。

 

 別に私としては料理長を責めるつもりは微塵もない。そもそもオムレツは料理の基本中の基本だ。それをそこらの民間シェフなら兎も角、代々厨房を預かる門閥貴族のお抱え料理人集団が味付けを間違えるなぞ……正直どこまで只のミスなのか怪しいものではあったし巻き込まれた立場であろう料理長に対して寧ろ同情の念の方が強かった。

 

「いや、構わんよ。正直……私も従軍中は濃い食事ばかりだったからな、少し懐かしくなったよ」

 

 そして横槍が入る前に婚約者の方を見て続ける。

 

「フロイラインは濃い味付けがお好みのようだ。御実家は常在戦場の武門の家ですから幸いでした。……どうか此度の食事は御許し下さい」

 

 私は自然な流れで伯爵令嬢に軽い謝罪の言葉を口にする。 

 

「い、いえ……問題御座いませんわ、おきになさらないで下さいませ」

 

 少し緊張気味に、しかし確かに安堵するようにグラティア嬢は顔を僅かに伏せて答えた。

 

「そういう事だ料理長、悪いがこれから私のものは少し濃い味付けで頼めるかな?」

「し、承知致しました……!」

 

 深々と頭を下げて了承する料理長。その額の汗は多分私の申し出が理由ではなかろう。

 

「……そろそろ朝食も終わりかしら?」

 

 その声に導かれるように私は母の方向へと視線を映す。ナプキンで口元を拭くその姿は優美であるが同時にその表情には不機嫌……というかむくれたような感情が垣間見えた。あー、うん。虐めネタが無くなるのは不満だよね、貴族のお嬢様にとっては。

 

 正直介入したのが私だからこの程度で済んでいるのだ。これがほかの者ならもっとあからさまに不機嫌な表情を浮かべていただろう。というか裏工作で宮廷から永久に追放された筈だ。無論、もしグラティア嬢が母に楯突いていれば同じように彼女の実家は詰む事になるだろう。逆らう事が出来ないのを良いことにエゲつないなぁ。

 

「ええ、私はオムレツと珈琲を頂いてそろそろ終わりますよ。無論、まだ食べ終えていない方はこのまま残って下さって構いませんよ?」

 

 とは言え下手にそれに触れるのは家族関係としても礼儀作法から言っても宜しくないので私はにこやかにそう切り返す。

 

「ナーシャはもう少し食べた方がいいかもしれないね、今は育ち盛りなんだから遠慮しない方が良い。それに……急ぐと身体に悪い」

「えっ……?う、うん……はい」

 

 私はそういって慌てて手元の杏子とホイップとチョコレートソースのかかったパラチンケを食べ終えようとしていた妹を落ち着かせる。そして既に珈琲を淹れていた給仕からティーカップを受けとった。せっせとオムレツを珈琲と共に頂くとナプキンで口元を拭いて立ち上がる。

 

「それでは御先に失礼致します」

 

 家族と伯爵令嬢に礼をして私はその場を何事もないかのように去る。うーん、背後から突き刺さる母親の視線が辛い……。

 

「ああそうだ。これを後で渡してくれ……部屋に戻った後に、な?」

 

 そして、食堂から出たと同時に私は伯爵令嬢の世話役を仰せ付けられている使用人の一人で伝言の手紙を差し出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 正直な所、ここまで冷遇されるとは彼女……グラティア・フォン・ケッテラー伯爵令嬢も流石に想像していなかった。

 

 無論、彼女も婚約に至るまで宮廷にて行われた各種の交渉と談合は断片的に耳にしていたし、婚約相手の母親が最大の反対者であった事は聞いていた。それでも尚、甘いと言われたとしても現実は彼女の想定以上であったのだ。

 

『こちらではオーディンとは勝手が違いますの。不慣れかも知れませんけど貴方の御実家の作法は一旦お忘れになった方が宜しくてよ?』

 

 昨日の御茶会で彼女の義母となる筈であるその夫人は本当に四〇の半ばの女性とは思えない程に妖艶で妖精の如き美貌で笑みを浮かべていたが、その口から放たれる言葉はナイフのように鋭く、毒々しかった。

 

 実家……それがケッテラー伯爵家を指す言葉ではないことは彼女をヴァレンシュタインの令嬢として呼んだ時点で確定しているし、当然ながら勝手が違うとは御茶会の礼儀作法なんぞではない。

 

 即ち、義母の言葉から礼を消して訳すると大方次のような意味合いになる。

 

『オーディンの偽帝の時みたいに下品で淫らな色香で我が家を乗っ取れるなぞと甘い事を思うなよ?この下賎な血が流れている分も弁えぬ恥れ者がっ!!』

 

 言い過ぎ?いや、寧ろこれでも控えめな表現かも知れない。それほどまでに義母になる筈の貴婦人が自身を敵視している事をグラティアは確信した。

 

「完全に言い掛かり、といえないのは確かですが……」

 

 伯爵令嬢は沈痛かつ重苦しく嘆息する。そう、確かに義母の言葉は言い掛かりでない。

 

 ヴァレンシュタイン公爵家……いや、子爵家が時の皇帝ウィルヘルム一世武帝に娘を献上し、ウィルヘルム二世の御代に外戚として専横を尽くしたのは事実だ。それだけで子爵家の娘を貰い受ける家からすれば不快な事この上無かろう。

 

 まして彼女の父……当時のケッテラー伯爵は保守的な一族の中で比較的開明的で知られ、周囲の反対を押し切って母に求婚し、添い遂げた(それだけの功績を立てていた事もある)。それが第二次イゼルローン要塞攻防戦による当主の不幸な戦死とそれによる混乱、それらが収拾された時に残されたのは夫人が統治する弱体化したケッテラー家である。

 

 母方の一族の歴史を客観的に見返せばまともな諸侯ならば相当な拒絶観を持つ筈だ。そして彼女が嫁ぐ理由は政略のためで……成程、あのような罵倒も可笑しくない。自分は警戒されてしかるべきであり、同時に自分はひたすらに頭を下げ、それこそ奴隷の如く卑屈に嫁ぎ先の一族に尽くさなければならない。

 

 そう、それこそどのような辱めを受けようともだ。全ては実家と臣下と領民の生活と繁栄のために………。

 

 故にグラティアは陰鬱な覚悟を持ってこの屋敷を訪れた。だからこそ思う。

 

「あの人は何を考えているのでしょう……?」

「はい?何か御座いましたか?」

 

 ぽつりと口にした独り言に先導する紺色の騎兵服……パイロットである事を意味している……を纏った妙齢の士官が緊張感のないあっけらかんとした表情で答えた。

 

 針の筵のような朝食を終えていそいそと退席した時、使用人から伝言の手紙を受け取り、それに従い部屋で待ってれば迎えに来たのが目の前の女性士官だ。後は結構無理矢理に連れられて屋敷の庭先を歩む。

 

「い、いえ……何も御座いません」

 

 慌ててそういい繕い、グラティアは栗毛の将校の階級章と勲章をちらりと見る。亡命政府軍宇宙軍中尉……帝国軍と違い、人的資源が不足しつつも国是から可能な限り高級将校に貴族階級を着任させたがる亡命政府軍には、市民軍の影響もあり貴族階級の女性将校も少なからず存在している。

 

 とは言え、流石に従士家とは言え本家筋の者が最前線で暴れるのは極めて稀であったが……。

 

(そういえば……)

 

 自身の婚約者が常に傍に置いていた付き人も本家筋の従士であった事を思い出す。物腰が良く、大人らしく、豊かな金髪……。

 

「………」

 

 さわり、と自身の髪に触れる。一見薄い金糸のように見えるそれはしかし虚飾でしかない事は何よりも自分が理解していた。高圧的な母方の祖父がどこからか仕入れた話に従い染めた髪は、しかし近寄って観察すれば目敏い者であれば亜麻色の地毛に気付かれてしまうかも知れず常に戦々恐々としていた。

 

 何せ『国政の名君、後宮の凡君』と称されたアウグスト一世愛髪帝の前例があるし、かなり薄いにしても皇族との婚姻を幾度も行ったためにティルピッツ伯爵家の直系にはその血脈が流れているのだ。流石に愛髪帝程尋常な『趣味』ではないにしても歴代伯爵の中には黒髪をこよなく愛した者やウェーブをかけた者ばかり妾にしていた者もいた。

 

 ちらりと再度先導する従士の髪を見やる。馬の鬣を連想させる豊かな栗毛を少し短めに切り揃えている。その事に少しだけ羨望の感情を抱く。

 

(この人の髪は地毛……ですよね?)

 

 恐らくは自身と違い染めていないのだろう。自身の婚約者は数いる従士の中から態々豊かな金髪の従士を寵愛し、次いで義母から与えられた別の従士も一説ではその髪質から愛用していたと噂されていた。そのためティルピッツ伯爵家に仕える従士家の中でも名家に属するレーヴェンハルト従士家本家の長女が栗毛を、それも短いままにして平然としている事に軽い驚きがあった。

 

「?髪が気になりますか?」

「えっ?」

 

 少々子供っぽくにこにこと笑みを浮かべて振り向く従士に、グラティアは一瞬反応が遅れる。

 

「いやぁ、もっと長くしてみたいのですけどねぇ。ヘルメットを被るとなると中々長く伸ばせないんですよぅ。腰辺りまで伸ばしてみたいんですが……」

「は…はぁ、そうですか……」

 

 到底主人の婚約者に向ける口調ではないがその独特の空気のせいであろうか?グラティアは無礼と言う感情も不快な感覚も抱かず、寧ろあっけに取られてしまう。

 

「まぁ、若様は別に髪フェチって訳でもないですけど……それでも長い方がプレイの幅も広がりますよね!巻いてこすったり出来ますし!」

「それは確かに……ふぇ!?」

 

 適当に返答しておこうかとそう口にした所で口が止まるグラティア。ちょっと待て痴女、今の言葉どういう意味だ?グラティアの内心の突っ込みに、しかし目の前の従士は当然答えず興奮気味に話を続ける。

 

「ですよね!!やっぱり手数は多い方が良いですよね!同じプレイばかりだとマンネリ化しますよね!人間たるもの、向上心を持って新しい事にチャレンジすべきですよね!大帝陛下も向上心の無い輩は馬鹿だと遺訓を残しておりますし、飽くなき(快楽に対する)開拓心の発露は社会全体の発展のためにも正しいですよね!」

 

 顔を紅潮させ、鼻息を荒くして叫ぶ従士。酷い遺訓の曲歪である。ルドルフ大帝が聞けば血の涙を流しながら筋肉バスターをかけていた事だろう。

 

「えっ…えっと……」

 

 グラティアは少し引き気味になりながら……といよりも幼さの残る顔立ちを引き攣らせて周囲を見渡す。庭師や使用人が近くにいなくて幸いであったと心から思う。こんな話をしている恥女と話しているだけで自身と一族の格式が地面にめり込みそうな錯覚を覚えた。

 

「そ、そう…です……か。その貴女は旦那様の……」

「激しく(スポーツ飲料を)頭からぶっかけられて(買ったスポーツ飲料の)臭いを体まで染みつかされてべとべとにされるような関係です!」

 

 恐らく本人が現場にいれば悲鳴を上げながらスライディングしていた事であろう、悍ましき情報操作が行われていた。完全に名誉毀損であった。カッコを外せ、カッコを。

 

「な、成程……」

 

 たじろぎながらも振り絞るようにそう答えるグラティア。ここまでの言葉で気丈に振舞おうとしていた心が半分位粉砕されていた。

 

「むふふふふ!」

「……」

 

 目の前で異様な声を漏らし何か得体の知れない事を妄想する婚約者の部下を見つめながらグラティアは思う。これからどこに連れて行かれるのか?何のために呼ばれるのか?何をされるのか?

 

 時たま耳に聴く婚約相手の不穏な噂が脳裏に過り、グラティアの胸中に言い知れぬ不安が薄暗く広がっていた………。

 

 

 

 

 

「と言う訳で若様!ケッテラー伯爵令嬢を無事御連れ致しました!」

「ぶっ殺すぞど阿呆が!!?」

 

 私は嬉々とした表情でグラティア嬢を連れて来た糞パイロットに中指を突き立てる。いや、可笑しいだろ!何お前人の好感度引き摺り落としてんの!見ろよあの娘の視線!完全に強姦魔の色情狂見ている目だよ!怯えと蔑みしかねぇよ!?

 

「えっ? 好感度が下がった……?では敏感になるように再開はt……ぐべぇ」

 

 取り敢えず背負い投げしてノックアウトし黙らせる。漢字が違うわっ!!

 

「はぁ……完全に人選を間違えたな」

 

 同じ女性だから警戒されないかと思ったが完全に逆効果だった。これならば不良騎士の方が紳士的に先導してくれただろうに……まぁ、彼方は屋敷の女中達に伯爵令嬢がどこか行くのを見られないようにナンパ紛いな事をしてもらったので仕方ないが……(因みに嫁がいるからと滅茶苦茶渋られた。お前さんを並行世界の自分に会わせてみたいよ)。

 

「あ、あの……」

「あ、これは申し訳ありません。使いの人選を間違えました。どうぞ御容赦下さいませ」

 

 取り敢えず謝罪の言葉を口にし頭を下げる。これに関しては完全に此方の落ち度なので残当だ。

 

「い、いえ……問題は御座いません。それよりも御用件の方はな、何用で御座いましょう?」

 

 当惑し、同時に怯えつつも気丈に現実に向き合うように此方の目を見て答える伯爵令嬢。おう、覚悟完了している目だよ。家族を守るために身を捨てる主人公の目だよ。完全に婚約者に向ける目じゃねぇよ。

 

「あー、いや……御気持ちは分かりますがそこまで身構えなくても良いですよ?はぁ……」

 

 私は頭を抱え心底困った表情を浮かべる。

 

「少し誤解を招いたようですね、私としましては謝罪とその穴埋めをしたいと思っていたのですが……」

「謝罪と…穴埋め……ですか?」

 

 一層困惑の表情を強めるグラティア嬢、まぁそれも当然か。

 

「ええ、一つは昨日も御伝え致しましたが見舞いの手紙への返礼が遅れた事、もう一つは……母上の事について」

「っ……!」

 

 その単語にびくっ、と肩を震わせる少女。小動物を連想させるその姿に何ともいえない罪悪感を感じつつ、私は誘いの言葉を紡ぐ。

 

「少し散歩しながら話しませんか?」

「……はい」

 

 少しだけ迷ったような表情を浮かべつつも少女は気丈に答える。その姿は勇敢で輝かしく、故に痛々しく思えた。無論、口にはしないが……。

 

「では行きましょう。……中尉、警戒に回れ」

 

 私は婚約者をエスコートして歩み始める。次いでに足元で倒れている変態に起き上がるように命じた。お前さんがもう回復している事位分かっているんだぞこの野郎。

 

「うー若様ぁ、貞淑かつ健気にお仕えしている家臣への待遇が酷すぎませんかぁ……?」

「抜かせ」

 

 私が部下の要望を一笑に付せばぶーぶー文句を垂れながらレーヴェンハルト中尉は立ち上がり周囲の警戒に向かう。

 

 そして……そのまま極自然な動きで去る中尉は、擦れ違い様にグラティア嬢の耳元に近づいて小さく……本当に小さく囁いた。

 

「御気持ちは分かりますが……私個人としては、寧ろ亜麻色の髪の方が中々に新鮮に感じられると思いますよ?」

「……!!」

 

 グラティア嬢がレーヴェンハルト中尉に驚きと怯えの視線を向ける。一方、レーヴェンハルト家の従士は一瞬怪し気な色彩を目に浮かべるがすぐにあっけらかんとした表情に戻る。

 

「……?どうした?中尉、まさかまたある事無い事彼女に耳打ちした訳ではなかろうな?」

 

 何事かを囁いた事はどうにか分かったが何を口にしたのかまでは分からなかった。グラティア嬢の動揺する表情からまた碌でも無い事を口にしたのでは?と勘ぐる。

 

「嫌ですねぇ!そんな訳ないじゃないですかー!私が若様の不利益になる事なんてとてもとても……あっ!それでは、私めは周辺警備に就かせて頂きます!」

 

 態とらしく嘯くレーヴェンハルト中尉。あははは……と空笑いして、悪さをした子供が親に見つかり逃亡するようにそそくさとその場を去っていく。

 

 その緊張感の欠片もないその後ろ姿に、ただただ私は呆れの溜息しか出てこなかった……。

 

 

 

 

 

 

「はぁ…はぁ……ふぅ………」

 

 脱兎の勢いでその場から離れたその女性従士は、暫くすると駆け足気味であったその足を緩め、ゆっくりと歩きながら息を整える。

 

 そして……手元に握る一本の髪の毛を摘まみ上げるとそのアーモンド状の瞳を細め静かに見つめる。そう、ウェーブのかかった亜麻色の長髪を……。

 

「別に若様に地毛への拘りがある訳でもないから問題はないのですけどねぇ」

 

 とは言え、自分の立場でその事を指摘するのは非礼極まりないし、何より今の段階で新たな火種を創出する必要もないので少女にも、自身の主人にも口にしない。和解して秘密を口にすればそれで良し、後々に交渉のネタに出来ればそれも良し、少なくとも今の段階で自身が口を挟む必要はない。一ディナールの価値もない。

 

 故に指摘しない。今はただ静かに観察する時だ。それこそが最も利益ある選択肢であるために……。

 

「そうです、私が若様の不利益になる事なんて畏れ多くてとてもとても……」

 

 妖艶で鋭い目つきを浮かべ、同時に口元を楽しげに吊り上げながらレーヴェンハルト従士家の長女は甘く低い声でそう嘯いたのだった……。

 


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