帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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少し短めです


第百四十一話 サバゲーは安全確認を怠るな!

「はぁ……はぁ……はぁ……ちっ!しつこいなっ!!」

 

 大雨が降り注ぐ夜の林道を私はびしょ濡れになりながら必死に駆けていた。後方から聞こえて来るのはガシャガシャという機械音。この大雨で臭いは霧散するため有角犬は使えないが、地上ドローンなら話は別だ。疲労せずにいつまでも目標を追う事が出来る。後ろを振り向けば遠くから鬼火のように揺れる赤いカメラの光を確認出来るだろう。

 

「流石に勢いに任せて誤魔化すのも限界だったな……!!」

 

 地上ドローンが私に差し向けられたのは私が逃亡を図ってから三〇分も経っていない。ネットガンを装備したドローンの後方からは恐らく同じく非殺傷兵器で武装した警備兵が続いている筈だ。

 

「はぁ…はぁ…まぁ……空から監視されていない……だけ……マシかっ!?」

 

 息切れし、口の中に鉄の味を感じながら私は呟く。この天候では航空ドローンは飛ばせないし、無理して飛ばしたとしても地上軍兵士用にも使われる私の外套はセンサー類に対する若干のステルス塗装も為されている。簡単には見つけられまい。

 

 ……まぁ、だからこその地上ドローンが厄介なのだが。

 

 この屋敷に配備されている警備ドローンは軍用のそれの型落ちとは言え、碌な装備もない生身の人間が勝てる道理はない。原作でドローンが殆ど描写されないのは帝国軍や同盟軍にとっては電子戦を仕掛ければ碌に戦闘もせずに無力化も可能な雑魚であるためだ。

 

 だが、二大星間大国に比べて遥かに技術力が格下のテロ組織や犯罪組織、外縁領域の宇宙海賊や軍閥、下町を襲うただの強盗程度では正面からドローンの相手にならないのも事実。当然ながら、私にもドローンを無力化するための時間的余裕も機材もない。そのため、到底軽視出来る存在ではなかった。

 

「とは言え、人でないだけ誤魔化しも利くんだがな……!」

 

 私は漸くそこに辿り着く。森の一角、高いフェンスに囲まれたそこは広大な狩猟園の外縁部である。そのフェンスの一部は明らかに不自然に縫われた柵がある。

 

さもありなん、ペンチでフェンスの鉄線を切り取ってから嵌め直したそこに私はしゃがみこむとガチャガチャとフェンスの網を揺らす。外れるフェンス、私は殆ど這いずりながらその抜け道から狩猟園に入り込む。泥で衣服が汚れるが知ったことではない。

 

「あばよっ……!!」

 

 フェンスの網を直してから私は狩猟園の森の中に逃げ込んだ。ドローンは狩猟園まで侵入する事は出来ずにそのまま失踪した私を探すために索敵モードに入りながら周辺を捜索していくだろう。後から到着した警備兵達も雨で消えていく足跡とこの暗闇ですぐにはフェンスの異常には気付けまい。その間に警戒の薄い狩猟園を抜けて伯爵家の敷地を抜けてやる積もりだ。

 

「はっ!ここまで行けば半分勝ったものだなっ……!!」

 

 早すぎるが私は半ば確信して勝鬨を上げる。ベアト達の方は兎も角私個人に限ってはこれで逃げ切れたも同然だった。後は狩猟園に面した自動車道で地上車と合流すれば良い。

 

 ……そう、本来ならばそれでどうにかなる筈だった。それだけの事の筈だった。後になって心底後悔したよ。いつもの事じゃないか。最後の最後にドぎついミスを仕出かす事位、な?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 激しい雨と雷光が響く中、ゴトフリート従士家が私有する山林では闇夜に紛れて静かに暗闘が続いていた。

 

『後退しろ、頭を押さえられた。東から迂回して横合いの高地を確保しろ』

『了解、戦闘を打ち切り転進する』

 

 雑音混じりの無線機を使い双方の歩兵部隊は暗視装置で視界を確保し闇夜の森で移動を続ける。

 

 戦闘、と言ってもそれは対帝国戦におけるそれに比べれば決して激しくない可愛いものだった。

 

 いや、それは双方の兵士の戦意や練度が低いからという訳ではない。寧ろ下手な同盟地上軍兵士よりも彼ら個々人の兵士としての質の水準は遥かに上回っている。

 

 にも拘らず戦闘行為の殆どが消音付きの小口径ライフルによる牽制射撃に留まるのは、一つには双方共に不用意な死亡者が出る事を望んでいないためだ。

 

 もう一つには所謂身内、家臣団内部での対立であり、そもそも友軍である事が挙げられる。別にそれで銃撃に躊躇するという訳ではないが、家督争いの命をかけた抗争という訳ではないのだ。下手に犠牲者が出ても伯爵家と家臣団としては不必要な『損失』に過ぎず、無駄に伯爵家の戦力を消費する愚行を敢えて行おうとは思えなかったし後処理が(政治的にも法的にも)面倒に過ぎた。

 

 今一つの理由としては、特にゴトフリート家からすれば確保したい……いや奪還したい対象が流れ弾で死亡されては困るという事情もあった。それは土足で上がり込んで来た『送り狼』達も同様だ。激しい戦闘で護衛対象を死なせるよりも追っ手を適当にあしらい逃亡する事を優先していた。それ故に戦闘は中々激化することは無かった。

 

 ……とは言え、実際に戦う者達からすれば命懸けである事に変わりは無かったが。

 

「ロイシュナー、ハルバッハ!先行しろ!西側から三人来ているからそいつらを追い払って血路を作れ!」

 

 雨嵐の吹き荒れる森、激しく雨が降りかかり弾かれる岩場の影から追っ手の接近を阻止するためにフェザーン製サブマシンガンの弾をばら撒くシェーンコップ。その命令に従い支援射撃に乗じて迷彩服の若者二人が身体を低くしつつ叢を駆ける。

 

「やれやれ、存外甘い見立てでしたかな?」

 

 使い切ったサブマシンガンの弾倉を交換しながらシェーンコップは苦笑いを浮かべる。別に油断していた訳でなければ馬鹿にしていた訳でもない。雇用主からは油断禁物と注意されていたし、事前に様々な戦況に合わせたシミュレートを重ね、予行練習までしていた程だ。

 

 だがそれでも相手がここまで粘り、部分的には追い詰められるのは若干想定外であった。別にゴトフリート家は陸戦専門と言う訳でもない。一族と家臣の大半、それも精鋭は前線に投入されており、この屋敷を守るのは一部を除けば二線級の警備兵が殆どだ。しかも仕掛けるタイミングと場所は此方が選べる。決して不利ではない。

 

「数による物量が一番の原因ですが、地の利も上手く活用していますな。ドローンも使えないのに初動も早い」

 

 そう相手側の動きに感想を述べるのはゼフリン中尉だ。

 

 今回の潜入救出作戦の最大の障壁が警備用ドローンであったが、其方は雇用主が用意したフェザーン製型落ちの野戦用電子戦装置でデータリンクを妨害してほぼ無力化に成功していた。ところが、屋敷と敷地警備の最前衛である『触覚』が使えなくなったにも関わらずこの迅速な動き……どうやら相手……少なくとも指揮官級は……もそれなりに修羅場を潜っているらしい。

 

「嵌められましたかな?」

 

 そうシェーンコップに意見するゼフリン。シェーンコップはその意味をすぐに理解する。

 

「私達を引き摺り出すためにお姫様を泳がしていた、と言う事ですかな?」

「っ……!」

 

 シェーンコップの傍で外套を被りながら隠れる従士が苦虫を噛み、打ち震える。それは屈辱と恥辱によるものであった。自身が尾行されていたのもそうだが、それ以上に自身の存在そのものが主人の足枷となっている事に対して彼女は憤りを感じていた。

 

 追っ手はシェーンコップ達を生け捕りしたがっている。それが意味する事はそれを元に彼女が逃げ出そうとした責任そのものを主人に拉致されたものとし、遂にはこれまでの失態そのものの責任の転嫁を意図しているに違いなかった。

 

 いかな理由があろうとも、流石に周囲に相談なく謹慎中のお気に入りの従士を私兵を使って無理矢理誘拐しようとしたとなれば次期伯爵家当主の評判が下がるのは避けられまい。

 

 同時にそれを阻止したとなれば針の筵なゴトフリート家の印象は好転しよう。色情に駆られて暴走気味の伯世子を畏れ多くも諫めた事になる。ひいてはこれまでの周囲のゴトフリート家に抱いている『娘を提供して取り入ろうとしている佞臣』のイメージは払拭され相対的にこれまでの悪行の数々も付き人より寧ろ伯世子本人により問題がある、と印象付ける事が出来る。いや、実際にそこまでしなくても伯世子の評判が落ちると思わせるだけでもゴトフリート家からすれば交渉の材料としては十分であろう。

 

「余り気にせん事ですな、付き人殿。どうせ遅かれ早かれ追っ手は来てたでしょうから。貴女は唯この場を逃げ切り我らが雇用主殿の下に落ち延びる事だけ考えて頂ければ良いのです」

 

 シェーンコップのその台詞は嘘ではない。何はともあれまずは護衛対象が逃げ切る事だ。自分達が捕まっても目標さえ達成出来れば幾らでもやり様はある。最悪の事態は目標が失敗した上捕まる事だ。それさえ回避出来れば良い。

 

「ギーファー!我らが御姫様を先導申し上げろ。怪我一つ負わせるな、傷物にした御令嬢を御渡しするなぞ騎士の名折れだぞ?」

「了解です、貴婦人御令嬢に尽くすのが帝国騎士の本懐ですからね!」

 

 冗談気味にシェーンコップがそう命令すればノリノリでギーファー少尉が答える。今年の六月に士官学校を卒業したばかりの騎士道精神に溢れる若者は、実戦はこれが初めてではあるが成績優秀で将来有望な陸兵の一人でもある。

 

「……中佐、御武運を祈ります」

「早くお行きなさい。雇用主は私のような捻くれ者よりも貴女が無事でいる事を御喜びになるでしょうからな」

 

 ギーファー少尉と共に場を離れる護衛対象。ちらりと一瞬だけシェーンコップはその小さく華奢な後ろ姿を見つめる。

 

「……やれやれ、まさかエル・ファシルで生き残ったと思えばハイネセンでスポンサーの愛人の護送をする羽目になりましょうとは」

「ゼフリン、お前さんにはあれが愛人に見えるのか?」

 

 ぽつりと呟くゼフリンに興味深そうな笑みを浮かべる不良騎士。

 

「……?普通に考えればそうでしょう?昨年の従軍では幾度かお見かけしましたが、随分と距離も近いようでしたし。そもそも態々女性を付き人等と……」

 

 帝国軍や亡命政府軍なら兎も角、同盟軍では愛人を連れて戦場に出るなぞ不可能だ。そして付き人は大抵の場合(例外はあるが)同性の者を選ぶ。そうなると同盟軍で態々女性の付き人を連れ回すとなると同盟軍で合法的に愛人を連れ回す位しか思いつかないであろう。

 

 無論、ゼフリンも決して人を見る目が無い訳ではないし今回の任務を命じた臨時雇用主の軍功も理解している。それでもここまでしてでも付き人を連れ出そうというのだ、その依怙贔屓ぶりもあって勘繰られる事自体は仕方ない事だ。

 

「……まぁ、そう思われるのは若様の責任だろうな」

 

 ゼフリンの言い草を咎めるでもなく、唯シェーンコップはにやりと意地の悪い表情を浮かべる。彼からすればゼフリンの勘違い(?)を訂正する必要を感じなかったしその義務も無かったのでそれを放置する。

 

「それよりも奴さん、距離を詰めて来てますが。どうします?」

 

 物陰から別の部下が尋ねる。試しにシェーンコップがちらりと顔を出せばすぐに鈍い音(消音装置の効果であろう)と共に銃弾の嵐が襲い掛かり首を引っ込める。

 

「距離一五〇と言った所か?いやはや随分と距離を詰められたものだ。急遽の寄せ集めながら思いの他連携が上手い」

「後退しますか?」

「……いや、御姫様がお逃げになるまでもう少し粘ろう。近距離の銃撃戦だ。互いに小口径の低反動弾を使っているとは言えこの距離となると当たれば只じゃあ済まん。お前達、気を引き締めろよ?」

 

 そう不敵な笑みを浮かべながらシェーンコップは森の西側から迂回し横合いから襲い掛かろうとしていた敵兵に牽制の鉛玉をばら撒いた。

 

 

 

 

 

 

 

「何をしている……!此方は賊共の倍はいるのよ!?手数は此方が上、地の利もある。何故押し切れない……!?」

 

 一方、雨具を着て木々の物陰から指示を出すウルスラ・フォン・ゴトフリート亡命政府軍地上軍中尉は無線機を通じて不甲斐ない部下達を責め立てていた。

 

 一族の多くの者に共通する豊かな金髪をポニーテールで縛り、仄かに薄暗い紅玉色の瞳には不快感と苛立ちが浮かぶ。リンニッヒ=ゴトフリート家出身の二二歳の女性士官にとって現状は余りにも不本意であった。

 

 当初の手筈では乱心して逃亡を図る愚かな再従姉とそれを回収しようとしていた次期当主の私兵を兵力差と地の利の力づくで抑え込む積もりだった。次期当主とは言え伯爵家の兵力を動かす事は夫人がいるので出来ない。子飼いの食客の数は限られている。負ける道理はない筈だった。

 

 それがどうだ?蓋を開けてみれば此方は寡兵に対して攻めあぐねているではないか!我らが!代々伯爵家を守護し奉る我らゴトフリート家の兵士が金で雇われた食客風情に!

 

 ……計算違いがあるとすれば一つには彼らが仕えるべき次期当主の考え方を見誤った事にあろう。彼らからすればこのような後ろ暗く、失敗が許されない仕事は信頼出来る子飼いの部下達に任せるのが当然と認識していた。

 

 まさか、手が空いているとは言え何の接点もない兵士達をアルバイト感覚で一個分隊雇用してしまうとは思っていなかったのだ。しかも、雇われたのはよりにもよって『一個連隊で一個師団に匹敵する』とさえ謳われる『薔薇の騎士連隊』の騎士達である。

 

 数を見誤り、質では最高水準の兵士を送り込まれれば苦戦もしよう。ゴトフリート家の私兵は最精鋭を最前線にとられ、この場で用意出来たのは質では二線級、当然と言えば当然の結果だ。いや、寧ろエル・ファシルの激戦を生き抜いた薔薇の騎士相手にここまで粘れるだけでも客観的に見れば十分過ぎる働きであろう。

 

 あくまでも客観的に、ではあるが……。

 

 ゴトフリート中尉にとっては健闘なぞどうでも良い事だ。任務を達成出来なければ意味がない。この任務で賊の捕縛と本家の再従姉の『保護』が出来なければ一族の沽券に関わる。

 

 彼女自身は典型的なゴトフリート従士家一族の人間だ。主家を崇拝し、盲信し、信仰している。

 

 ……そう、伯爵家をだ。

 

 決して蔑ろにする積もりはないが将来的な成長は兎も角、今の次期当主は伯爵家を継ぐ身として必ずしも適当とは彼女は思っていない。

 

 無論、軍功は敬服に値するがそれだけが当主の素質ではあるまい。特定の臣下を贔屓し過ぎ不和を煽るのは当主としては落第だ。ましてその贔屓の相手が一族本家の娘ともなれば彼女としても他人事ではない。

 

 一族本家に敵意はない。それでも本家の再従姉は失態を繰り返すし、それを何度も不必要に次期当主に庇い立てされてもゴトフリート家にとっては決して嬉しくはない。寧ろ悪目立ちする。他の従士家や伯爵家とその分家からの視線がどんどん胡乱気な物になればさもありなんだ。

 

 彼女からすれば伯爵夫人に一族が睨まれ代々の忠誠心が疑われるような事になるなぞ持ってのほかであり、それ故に此度の伯世子の暴走を諫め、失態続きの上に周囲に嫌疑をかけられる再従姉の愚考を止める此度の任務は寧ろ主家と一族双方のためのものであると認識していた。

 

「それにしても何と情けない……!仕方無いですね、前線司令部も前に出て正面戦力を拡充しますよっ……!」

 

 そう語りウルスラは後方に控えていた数名の兵士を前線に投入し、自身も二名の兵士を連れて無線で指揮をしながら進出を始める。

 

 無論、戦力では勝っているとは言え敵の兵の質は油断出来ない。それ故周辺警戒は怠らない。

 

 ……そう、油断はしていなかった。故に直前まで気付けなかったのは彼女の怠慢によるものではない筈だ。

 

「なっ……!!?」

 

 ウルスラは視界の端にその影を見た。殆ど同時に彼女は条件反射で猫のように後方に跳躍し、闇夜から振るわれるその一撃を回避する。

 

「今のを避けるとは、中々の手練れのようだ。是非に手合わせ願いたいものですな」

「抜かせ……!」

 

 ウルスラを守るように近場にいた二名の兵士がライフルを発砲する。下手人は後退してそれを避ける。

 

 恐らくは同年代であろう、脱色した藁色の髪に闇夜の中で蒼翠色に輝く瞳を持つ端正な青年将校が彼女の目の前に佇む。

 

「酷いものだわ、これでも時たま社交界に出る淑女ですのに。今の一撃、顔面を狙っておられたでしょう?」

「これは失礼を。まさかこれ程うら若き御令嬢がずぶ濡れで指揮を執っているとは思わず、どうぞ御許しを」

 

 と礼を取って見せる薔薇の騎士。ウルスラはその所作を見て不快気に鼻を鳴らす。

 

「その物腰、貴族ではないわねぇ。士族階級でしょうか?不愉快だわ、まさか格下に足を掬われかけるなんて……!」

 

 手信号による指示に従い中尉の正面に立つ兵士達がライフルを構え直す。

 

「おや、ここで人死にが出るのは避けたいのでは?」

「承知しております。ですが、栄誉ある我が一族の敷地に土足で上がりこみ、ましてや再従姉様を拉致しようとしたのです。手足をもがれる位の御覚悟は出来ておりますね?」

「それは厳しい」

「寧ろ命を取らぬ分慈悲深いと言って欲しいですわ。……撃て」

 

 空虚な笑みを浮かべ、冷たくそうウルスラは命じた。比我の距離は一五メートル程、一方刃物や鈍器の間合いはどれだけ広めに見積もっても五メートル前後である。まして二対一、この距離であれば殆ど勝利は約束されていた。

 

 ……そう、まともな敵が相手ならそうであった。

 

「なっ……!?」

 

 あるいは部下達も先入観に囚われていたのかもしれない。この距離から発砲されれば十人に六人まではそのまま撃たれていただろう。良く訓練された三人ならば咄嗟に駆けて物陰に隠れる事であろう。そこまでは彼らも予測は出来た。

 

 まさか正面から突っ込んで来るなぞ思いもよらない事だった。

 

 相手の銃口と視線から射線を予測、身を低くする事で被撃面積を最小限にして青年は弾丸の雨を掻い潜った。

 

 そしてライフルは距離数メートルの近接格闘戦では却って取り回しが難しい武器である。

 

 懐に入り込む青年、それでも相手にする兵士達は最善を尽くそうとしたと言えるだろう。慌てて腰元よりナイフを抜いて斬りかかる。

 

 だが……。

 

「ふぐっ……!?」

 

 一人の斬撃を身体を捻って回避するとその勢いのままに首元に叩きつけられる裏拳。その衝撃にふらついた兵士に情け容赦なく電磁警棒の一撃が降りかかる。感電して身体を一時的に麻痺させ、同時にその激痛から一瞬にして意識を刈り取られた。

 

「ちいっ……!!」

 

 背後から死角に入っての突きであった。垂直のナイフは青年の身体に押し込まれる。これで一気に形勢は逆転する。そうもう一人は思っただろう。

 

「甘い……!」

「ぐおっ……!?」

 

 その腕を捕まれて一気に背負い投げを食らった。馬鹿な!?背後から刺されたのだぞ!?激痛に耐えてそのような事……。

 

「悪いが、俺は刺されていないぞ?」

 

 そう、刺されていなかった。ナイフで突き刺される直前に身体をずらし脇でナイフを挟んだ結果だ。そのまま血のついていないナイフを蹴り捨てて首に衝撃を与える薔薇の騎士。素手で意識を奪うのは彼がそれだけ格闘戦と人体構造について精通している事を意味していた。

 

 ここまでの所要時間は恐らく十秒もかかっていない。実際にその所業を見た者達であれば何が起きたのか理解するのに相応の時間を要した事であろう。

 

 その意味で言えばウルスラは少なくとも人並み以上には対応力があったと言える。

 

 目の前で部下二人が無力化された光景を見た若い中尉は目の色を変え、その表情を険しくする。そこには既に一欠片の油断もなく、彼女の取りうる最大限の警戒態勢で身構えていた。

 

「成る程、これが一個連隊を以て一個師団と渡り合うという薔薇の騎士団ですか」

 

 一〇センチはあろう炭素セラミック製の軍用ナイフを腰から引き抜き、中尉は名乗り出る。

 

「……たかが士族と侮った先程の非礼、お詫びしましょう。私の名はウルスラ、リンニッヒ=ゴトフリート家のウルスラ・フォン・ゴトフリート中尉ですわ。……御名乗り頂けますでしょうね?」

「ほぅ、貴族様から御名乗りを頂けるとは光栄の由、なれば薔薇の騎士団の端くれとして私が名乗らないのでは連隊全体の不名誉になりますな」

 

 不敵に笑みを浮かべた青年は電磁警棒を構えて名乗り出る。

 

「リンツ、『薔薇の騎士連隊』小隊長を務めるカスパー・リンツ准尉と申します。どうぞ良しなに御願いしたい」

「そうですか。此方こそどうぞ宜しく御願い致しますわ。…………じゃあ、死ねっ!」

「笑わせるっ!!」

 

 雨嵐の中で二つの影が交差した………。

 

 

 

 

 

 

「うぐっ……!?」

 

 森の中で小さな悲鳴が上がる。ゴトフリート家からの追っ手が足を拳銃弾で撃ち抜かれて渋々と後退する。

 

「これで全員追い払ったかな……?」

「問題は増援が来るかだぜ?……今のところは大丈夫そうだが………」

 

 迂回して回り込もうとしていた三名の敵兵を後退させたロイシュナー軍曹とハルバッハ伍長は機関拳銃を手に山林を進む。

 

「それにしても案外しぶとかったな。寄せ集めの分際でやってくれる」

「何、多少手古摺っても俺達には敵わんよ」

「それはそうだがな……たく、割に合わねぇバイトだな、こりゃあ」

「それは言えてるな。ん……?」

 

 ふとハルバッハ伍長は違和感を感じて背後を振り向く。

 

「……どうした?」

「……いや、何もない」

 

 警戒はしてみるものの気配を感じないためにハルバッハ伍長は前を向き直し前進しようとする。そして……次の瞬間意識を刈り取られていた。

 

「ん?」

 

 物音に気付き振り向いたロイシュナー軍曹は同僚の姿が消えている事に気付きただちに全方位警戒態勢に移った。背後を取られぬように木々の根元に陣取り短機関銃に腰の拳銃を引き抜いて絶えず視線を移動させる。だが……。

 

「さて、悪いが少しの間眠っていてくれ給え」

「なっ!?糞っ…こっ……」

 

 木々の上から飛び込んできた人影に上から泥の水たまりの中に叩き込まれたロイシュナー軍曹。関節技で足と右腕を拘束される。次の瞬間、人影は懐から閃光を散らせる棒状の物体を抜き取る。電磁警棒に違いなかった。

 

「な、舐めるなぁ……!」

 

 泥水で濡れ切ったロイシュナー軍曹は左腕で相手の警棒を持つ手を掴む。幾ら強靭な『薔薇の騎士連隊』の戦士達も人間を止めてはいない。高電圧を帯びた電磁警棒を急所に浴びれば瞬く間に激痛と共に意識を奪われる事請け合いである。それで無事なのは精々帝国の石器時代の勇者位のものだ。それ故に何としても阻止せざる得ない。

 

「残念、さようならだ」

 

 しかし人影はまともにロイシュナー軍曹と戦う積もりは無かった。次の瞬間掴まれた手から電磁警棒を離す。高圧電流の流れる鉄棒は重力に従い落下し……。

 

「ファック!」

 

 泥沼に落下すると共に感電したロイシュナー軍曹は小さな悲鳴を上げて気絶した。

 

「………」

 

 小賢しい侵入者の無力化を確認した人影はゴム製の手袋で電磁警棒を回収、電源を切りその柄を短く収納して懐に戻す。

 

「……さて、予想より少し早いね。困ったなぁ、本来なら待ち伏せの罠を仕掛ける予定だったんだけどね?」

 

 立ち上がった人影は正面の従士と護衛に胡乱気な視線を向ける。

 

「全く、暫く顔を会わせない内に不良になってしまったみたいだ。朱に交われば赤くなると言うが……実に嘆かわしい限りだね」

 

 その声に付き人の少女は目を見開き、肩を震わせる。そして恐る恐る声の方向に振り向く。ギーファー少尉は護衛対象の前に出て身構えた。

 

「まぁ、そうは言っても大切な妹である事に変わらない。さぁ、家に帰ろう。大丈夫さ、父には私も共に謝ろう。……それにしてもこれは酷い、雨でずぶ濡れじゃないか。風邪をひく前にシャワーに入って着替えないとね。温かい夜食も用意させようか?」

 

 闇夜の中からその人影は姿を表す。心底優しげに、そして思い遣り可愛がるべき妹に諭すようにかけられる声は少女が幼い頃のそれと変わらない。

 

 だが、それがベアトリクスにはまるで死刑執行を宣告する裁判官のそれに聞こえていた。それは声の主の気迫もあるが、恐らくは彼女自身の性格にも由来していただろう。帝国人の家庭は家長制の傾向が強い。それ故に序列が上の者に下の者が逆らうなぞそうそうない。

 

「ジーク…お兄…様……」

 

 ベアトリクスは絞り出すように追っ手の愛称を呟く。付き人になる前、留学から一時帰国する度に何度も遊んでもらおうと甘えて呼んでいたその名前を。

 

「さぁ此方に来なさい、ベアト。可愛い私の『妹』よ」

 

 落雷が周囲を照らした。それが大雨の降りしきる木々の間から姿を現した青年を照らし出した。

 

 雨具に身を包んだジークムント・フォン・ゴトフリート、ベアトリクスの『兄』……そして彼女の『義兄』であり『従兄』である男は高圧的に、しかし確かな肉親への憐れみと慈しみを込めてそう手招きしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 激しい雨が降り注ぐ。『ソレ』は大柄な身体を揺らしながら雨粒を弾き広大な森の中を歩み続ける。

 

『ソレ』は飢えていた。『ソレ』が、正確にはその個体が鳥籠の中の生態系において限りなく最下層に位置していたからだ。

 

 比較的幼く体躯の小さい個体である『ソレ』は鳥籠の中では搾取される側であった。同族のより巨躯な個体やあるいはより狂暴な種族の前に『ソレ』は餌を前にしながらそれにありつく事すら許されず、ただただ威嚇され、逃げ惑うしかなかった。

 

 抵抗は無駄であった。下手をすればその牙を、その爪を奮う前に噛み殺されてしまうだろう。実際同じように飢えに勝てずがむしゃらに襲いかかった弱い個体が上位種に食い殺される所を『ソレ』は何度も見ていた。

 

 ……本来ならば、自然界ならばこのように逃げ惑う必要なぞない筈だった。『ソレ』は確かに同族の中ではかなり劣る存在ではあるが、あくまでもそれは補食する側としての事である。本来の自然界ならば『ソレ』に食われるだけの多くの存在が森に満ちている筈であり、飢えを感じる事なぞあり得ない筈だった。

 

 『ソレ』の生まれた森においては違った。鋼鉄製の鉄柵と有刺鉄線で囲われたその森は決して狭くはなかったが幾つかの区画で仕切られ、その内側に住まうのは『ソレ』と同じく捕食者のみ、自らの糧となるのは森に住まう同じ捕食者か『ソレ』から見て小さく弱弱しい生き物が柵の向こう側から放り投げる肉塊だけであった。

 

 鉄柵の向こう側で悠々と歩きまわる草食獣達を幾度食い殺したいと思ったか数知れない。肥え太った鹿や猪が無警戒に目の前を通り過ぎていった。自然界においては無謀かつ無警戒なその行いもこの箱庭の中では許される。自らと捕食者の間を塞ぐ鋼鉄の柵、常時高電圧が流れるその存在が自らの安全を保証してくれる事をか弱い獣達は理解していた。

 

 幾度か飢えに耐えかねて鉄条網に突撃した事はある。その度に身体にかかる電流の前に『ソレ』は情けない悲鳴を上げて逃げざるを得なかった。

 

 そして今もまた、『ソレ』の目の前には一頭の小鹿がいた。自らの存在を理解しつつ無警戒に草を毟るその存在に『ソレ』の獣としての矜持を傷つけられる。

 

『グウウゥゥゥ………!!』

 

 飢えと怒りと不快感から『ソレ』は唸り声をあげる。

 

 既に『ソレ』の我慢は限界であった強烈な飢えが唯でさえ少ない『ソレ』の理性を完全に奪う。目の前の柔らかそうな獲物に食らいつきたい……それだけが『ソレ』の思考を支配していた。

 

 ……それは偶然だった。数日に渡る嵐、そして落雷によって送電線の一部が一時的に切断されていた。その結果として狩猟園の鉄条網の極狭い一角において電流が途絶えていたのだ。無論そのうちに復旧する筈ではあったがその僅かな時間が運命を分けた。

 

 刹那、その小鹿は驚愕していた事であろう。本能のままに鉄条網を引きちぎり、飛び込み、乗りかかってきた『ソレ』の存在に。

 

 いつもならば電流が流れている筈の鉄柵にそれが無かった……その事に疑問を感じる程畜生に高尚な知能なぞある訳もなく、次の瞬間には驚いた小鹿は逃げ出す隙も与えられずにその小さな頭を叩き潰されていた。

 

 泥のぬかるみの中に赤い血と桃色の脳漿と白い頭蓋骨の破片が四散する。ぐたりと糸の切れたマリオネットのように倒れる小さな肢体。それに飢えた獣はその顎を全開まで広げて噛みついて、食い千切る。骨ごと肉を噛み砕く。固い肉繊維を無理矢理に噛みちぎり、流れる生暖かい血を啜り、贓物を踊り食いする。

 

 相当な飢えであったのだろう、『ソレ』はあっと言う間に殆どの可食部を腹に納めてしまった。暗闇の森の中、まるで狼の遠吠えのように血に濡れた口で雄叫びを上げる。『ソレ』の脳内では自由を得た解放感と飢えを満たした喜びに満ち満ちていた。

 

 だが……それだけでは終わらない。

 

『ソレ』は四足で未だ足を踏み入れた事のない森の中を進む。まだだ、まだ飢えは満たしきっていない。長年空腹に苦しめられていた『ソレ』はまだまだ食べ足りなかった。

 

『ソレ』は次の生贄を求め、山岳部を降りていったのだった………。




次は兄貴回の予定、今章は今回除くと後四、五話位で終わると思います

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