帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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幕間です、本編とは一ミリも関係ありません。後の作者の構成ミスのせいで長いです。
次話から本編に入ります


幕間
闇が深くなる時代の、ある臣下の記憶


 暗い室内で寝台の軋む音が響く。むせ返るような体液の臭いと荒く気味の悪い男の野太い息遣いが耳障りだった。組み伏せられる一糸纏わぬ姿の少女……一〇歳を超えているかどうかだろう……の視界はリズミカルに揺れていた。

 

 気持ち悪い感覚だった、吐き気を催す感触だった。だがそれに文句を言う事はない。言った所で改善される筈はないし、寧ろ殴り飛ばされるのが関の山だった。そもそも偶然顔が良かったせいで物心ついた時から既に『教祖』の『親衛隊』の一員として慰み者にされていた少女には抵抗の意志すらあったか怪しい。唯々彼女に出来る事は天井の染みを数えてこの不快でしかない時間……『洗礼』の時間……が過ぎ去る事だけだ。

 

 既に軍も行政機関も逃げ去ってしまった銀河連邦の辺境部に位置するこの惑星で彼女に圧し掛かる老人に逆らえる者なぞいない。聖典と麻薬と配給で星の住民を洗脳し、僧兵達が銃で不信仰者を弾圧し、反逆者は見せしめに生きたまま火炙りの刑に処される。元々他惑星との交流がほぼ途絶えた閉鎖空間、あらゆる物資が不足し自棄になっての自殺や犯罪が深刻化、その果てに生じた内戦が唯でさえ絶望的だったこの植民地の社会体制を回復不可能なまでに貶めた。

 

 物資を巡り離合集散を繰り返す武装勢力、戦禍が食糧生産に打撃を与え飢餓が惑星全体を覆った。人々は絶望の中に精神的な救いを求め、宗教権威が復活した。最悪の形で。

 

 惑星外の宇宙海賊と繋がりを持っていたあるカルト教団がこの星の覇権を握った。商品としての人間と引き換えに惑星外から齎される麻薬と腐敗した連邦軍から横流しされた兵器が教団の勝利を決定づけた。それ以来二〇年近くに渡りこの星は狂気に満ちたカルト教団の支配下にある。

 

 地獄……人類社会の中心地たるテオリアの市民がこの惨状を見れば皆が口を揃えてそう言うだろう。確かに地獄には違いない。尤も、食料不足から人が人を食うようになったり、核弾頭による集団自決を奨励する教団の支配するような星に比べればここは『まだマシ』なレベルにあるのが悲しい事実ではあった。

 

 本来ならば後一時間程『洗礼』が続いていた筈であった。それが中断されたのは教団の聖堂を襲った激しい震動によるものだ。

 

「何が起こった……!」

「導師、侵略です!不信仰者による聖域への侵略で御座います……!」

 

 室内に入って来た司教が慌てふためいて先程まで少女を嬲っていた老人にその事実を伝える。既に衛星軌道上に展開していた傭兵を兼ねる宇宙海賊達は奇襲攻撃により一方的に撃滅され、揚陸艦が惑星の主要拠点に上陸し陸戦隊を展開させていた。

 

「不信仰者……キオスの奴らか!?」

 

 導師の脳裏に最初に浮かんだのは取引関係にある宇宙海賊と敵対しているというキオス星系の別の海賊集団であった。あるいはオンダロンの旧連邦軍系の軍閥か、あるいはセスヴェナに拠点を構えているという悪魔信仰系教団国家か……?

 

「いえ、違います……!監視衛星の映像は……」

「馬鹿なっ!?何故奴ら今頃になってこんな僻地に……!?」

 

 司教が映像タブレットを差し出せば凝視し、驚愕しながら導師は喚く。その姿に僅かに彼女は驚いた。この俗物的な宗教指導者がここまで恐怖に凍り付く姿は初めて見たから。

 

「聖戦である!信徒達に伝えよ!不信仰者に屈服してはならぬと!最後の一人となるまで戦い抜くのだ!さすれば殉教者は天の身元へと導かれよう!決して命を惜しんではならぬとっ……!!」

 

 必要以上に大仰に導師は命じる。そして急いで服を着れば我先に聖堂の地下……かつての銀河連邦軍が放棄した地下施設……に向けて逃げようとしていた。

 

「おお、貴様も逃げ……避難するのだ。ささ、早く服を着なさい」

 

 皴だらけの木乃伊のような腕で少女の肩に触れ笑みを浮かべる導師。しかしその先程までの行為にその瞳に浮かぶ獣のような欲望を見ればそれが善意ではない事は明らかだった。

 

「……はい」

 

 その幼い美貌を能面のように凍らせる少女はそのように呟くしかなかった。それ以外の答えが望まれていない事位理解していた。だから少女は所々痛む身体を無理矢理起こし、適当によれた衣服を着直して愛用するブラスターライフルを手に『神聖不可侵なる』導師に付き従うしかなかった。

 

 導師は部屋の外に待機させていた『親衛隊』が待っていた。幼い美少年と美少女のみで編成されている事から彼ら彼女らの仕事が単なる護衛任務だけでない事は明らかであった。彼ら彼女らの顔は、先程まで『洗礼』を受けていた少女と同じく明らかに感情が欠けており影があった。

 

「状況はどうなっているのだ……!?」

「す、既にこの聖堂の近くまで侵略者共は来ていると……!」

「馬鹿な!?早すぎる!!」

 

 地下に続く階段を駆けながら導師は恐怖に顔を引き攣らせる。話には聞いていたが導師もここまで一方的かつ素早い動きとは思っていなかった。彼らの相手している存在がこれまでのような武器も持たない市民から税金の『徴収』を行うゴロツキ部隊でなければやる気のない地方部隊でもない事は明白であった。

 

「信徒共は何をしているのか!このような事あってはならぬ!彼奴らを聖堂に侵入させるなぞ何を……うおっ!?」

 

 次の瞬間、導師達の通る通路が横合いから派手に吹き飛んだ。恐らくは壁の向こう側から固形ゼッフル爆材でも爆破させたのだろう。コンクリートが砕け、粉塵が舞う。共に逃げていた司教が石片に頭をぶつけ床に倒れていた。床にピンク色の何かが飛び散っていた。恐らく頭蓋骨が砕けて死んでいた。

 

「ひいぃ……!お、お前達!守れ!私を守るのだ!」

 

 目の前で死んだ司教の姿に奇声を上げて導師は叫ぶ。同時に親衛隊員は各々が手に持つ武器を爆発して出来た通路の穴に向けようとして……次々と倒れた。

 

 爆破された穴からゆっくりと現れたのは赤い陽炎のような光を湛えた人影だった。

 

「っ……!!」

 

 その正体に少女達は目を見開き絶望する。

 

 特徴的なシュタールヘルム型のヘルメットに宇宙空間や毒ガス散布下に対応したダクト付きマスクと暗視装置やセンサーを集積させた赤く光る二対のカメラが備え付けられていた。けたたましい機械音と共に人影が近づいて来る。

 

 宇宙暦292年に採用された最新鋭重装甲服、正式名称92式特殊強化装甲服は260年代後半に猛威を奮ったザンスカール帝国のゾロアット重装甲服を仮想敵としてそれを圧倒出来るように設計されたものだった。生産性だけでなく整備性、装甲、機動力、通信能力、快適性……全てが既存の重装甲服を隔絶する性能を有している。極稀に横流しされるそれは辺境勢力同士の小競り合いにおいて恐怖の象徴とされる程だ。

 

 この時点で勝負はついていた。子供でも扱える旧式の銃器では頑強な92式特殊強化装甲服の装甲を貫通するなぞ不可能だった。ましてそれを操作するのは間違いなく『あの』銀河連邦宇宙軍装甲擲弾兵である。

 

「きゃっ……!」

 

 彼女は自身のすぐ横でブラスターライフルを構えていた少女の悲鳴を聞いた。手にしていたブラスターライフルの銃身が破壊されたのが分かった。続くように重装甲服の一団が小口径拳銃やパラライザー銃を次々と発砲、釣られるように彼女達も銃の引き金を引いていた。

 

 完全武装の兵士達の練度は親衛隊員とは名ばかりの子供とは明らかにレベルが違った。武器、あるいは腕や足に発砲して最小限の動作とダメージで相手を無力化していく。それは彼らが良く練兵された本当の意味での『兵士』である事を証明していた。

 

「っ………!」

 

 そんな中、少女は強かな反撃を行った。決して導師のためではなかった。唯死にたくなかったからだ。そのためには目の前の存在を殺す以外に手はないように思えた。

 

 第一撃を伏せて避け切った少女はライフルを発砲する。一人の敵の装甲服の足の関節の隙間……装甲ではなく繊維生地で防護されていた場所を撃ち抜いた。近場の別の敵がその事実に驚いたのがその挙動から分かった。負傷した兵士に肩を貸して警戒しながら後退する。これで二人を戦力外と出来た。

 

「……!」

 

 別の人影が此方に銃口を向けたのを少女は見た。慌ててライフルを向ける。

 

「……?」

 

 刹那の時間、少女は僅かに訝しんだ。一つはその人影のシルエットが違う事、もう一つは向けられた銃口からの発砲がない事に。

 

 唯一人重装甲服ではなく銀河連邦軍の高級士官軍装に身を包んでいたその人影は、明らかに此方の存在に戸惑いを見せていた。その理由は分からなかったが別に良かった。少女は迷わずに発砲、ブラスターの光は人影の右腕を撃ち抜いた。だが……。

 

「!?」

 

 流石に間髪入れずにその人影が銃を捨てて此方に向けて突入してくるのは予想外だった。慌てて迎え撃とうとするが全ては遅かった。

 

 次の瞬間には勝負は決していた。ブラスターライフルの第二、第三撃は寸前で回避されて、あっけなく奪われていた。片腕を負傷していようが子供と大人、素手で戦えば何方が勝つかは火を見るよりも明らかだ。

 

 視界が回転していた。背中から床に叩きつけられたのはどうにか分かった。咳込み、急速に意識が混濁する。衝撃で軽い脳震盪を起こしたのかも知れない。

 

「うわぁ、すんません司令官。ミスりました。これ手配書の司教だと思うんですが……爆破に巻き込まれて頭割れてます」

「……そうか、蘇生は出来そうか?」

「いやいや無理でしょう。これ、中身出てますよ?」

 

 重装甲服を着た兵士達は司教の死体を囲みながら内容にそぐわない程軽いノリで報告する。

 

「……そうか、仕方無いな。ライトナー少佐、二個小隊与えるから聖堂の資料室と財務室を急いで抑えろ。死人から情報を聞き取れないならそれしかあるまい」

 

 床に倒れる少女は揺れる視界の端で、重装甲服の兵士達に命令していく士官軍装の男の姿を何となしに収めていた。

 

 コンパクトに、かつ良く鍛えられた均整の取れた体付きはシンプルな銀河連邦軍准将の軍装に見事にマッチしているのが学も鑑識眼もない少女にも分かった。口から放たれる連邦公用語は育ちの良さを思わせるように優美で地方特有の訛りは一切感じさせなかった。

 

「それにしてもこんな……年端も行かない餓鬼の分際で躊躇なく撃ってくるとは。話には聞いてはいましたが辺境は地獄ですね」

「ひひ、この程度でドン引きなんてしていたら先が思いやられるなぁ新人?これくらいなら可愛いもんだぜ?」

「アトンのカルト共の相手はヤバかったな。どいつもこいつもサイオキシンキメやがるからなぁ」

 

 威圧感を与える重装甲服を身に纏う兵士達が気軽な声で駄弁る。声の声質からみて若い兵士だろうか?

 

「お前達、無駄口を叩くなよ。早く手錠で拘束しろ」

「り、了解です……っ!!?司令官、御怪我を為さりましたか!?今軍医を……!」

「いらん、軽傷だ。それよりも……例の手配犯はどこだ?」

 

 その男は部下達を叱責すると自身で肩口の傷に包帯を巻きつつ通路の端で怯える導師を見つけ、その下に向かう。その僅かな一瞬、彼女はその自分を叩きのめした男と視線が合った。

 

「………」

 

 端正で理知的な男が目を細め少女を見下ろしていた。

 

 いや、正確には彼女だけでなく床に倒れ次々と拘束されていく少年兵達を見つめていた。僅かに男の表情が歪む。だがその理由も、抱いているであろう感情も彼女には理解出来なかった。

 

 そして捕らえられていく子供を通り過ぎた後………男の浮かべたその感情は漸く少女にも理解出来た。怒りだ、その軍人の男の感情は怒りに溢れ、明らかに視界の先の相手を蔑んでいた。

 

 壁にもたれかかり、腰を抜かしながら撃ち抜かれた腕を抑え怯える導師の前で男は立ち止まった。そして男は懐から書類を取り出すと導師に見せる。高級紙には青と白を基調にオリーブと天秤の描かれた紋章が刻まれ、そして羽ペンとインクで書かれたのだろう、銀河連邦公用語による文章が羅列されていた。

 

 将校は淡々と文章を読み上げ、通告する。

 

「導師、貴方と貴方の宗教法人は銀河連邦憲章の条項、及び連邦刑事法に抵触する複数の犯罪行為に加担している容疑があります。よって現時刻、宇宙暦306年9月18日テオリア標準時1900時をもって連邦警察及び連邦最高裁判所、連邦検察庁から委託を受けた我々銀河連邦軍第一二統合任務遠征群による『強制調査』を実施させて頂きます。ついては導師にも『事情聴取』のために我々の『護衛』の下によるテオリア中央裁判所への出頭をお願いします」

 

 形式美の極致とも言うべきその言葉と同時に、老人の両脇を重装甲服に身を包んだ屈強な兵士が掴み無理矢理立たせる。

 

「尚、この出頭勧告は自由意志を尊重した任意ではなく、終身執政官の請求に基づく強制執行である事を御理解下さい」

 

 文書を戻しつつ冷淡に、義務的に男は通告を終える。同時に老人を兵士達が乱雑に連行していった。この惑星の支配者であった男は喚くように神罰を訴え、次いで賄賂の支払いを訴えるがそれに耳を貸す者は当然の如く皆無だった。

 

「………」

 

 少女は只ひたすら連行される犯罪者の背を睨む男をぼんやりと見つめていた。鋭い目付きに険しい表情を作る三〇前半程の男の立ち振る舞いは威風堂々としており、力と才気に溢れ、逞しくも知的なエリート軍人の風格があった。だが……。

 

 だが……少女は見逃さなかった。そして生涯忘れる事は無かった。それは自分よりも圧倒的な『強者』である筈の彼がその場の去り際の刹那に見せた子供のように物悲し気な、弱弱しく、寂寥感を思わせる表情で………。

 

 

 

 

 

 

 

「っ……?」

 

 ガタン、という揺れと共に彼女……ヘルガは目を覚ました。

 

「………」

 

 地上車の後部座席に座っていたヘルガはすぐ側の窓硝子に映る自身の姿を見つめる。漆黒に銀縁の装飾の為された官給コートを着こんだ二〇代半ばかどうかという感情に乏しい若い女性軍人の姿がそこにあった。

 

 次いで視線は自身のすぐ横の座席に向かう。護衛であり地上部隊幹部でもあるライトナー上級大佐が不機嫌そうに腕を組んで目を瞑っていた。顎髭を伸ばした下町の親父のような印象を受けるこの上官は暇があればこうして居眠りしているかと思えば実は起きていたりもするためどうにも判別がつかない。

 

「………」

 

 彼女の視線は正面に映る。そこには優美な漆黒に銀縁の装飾を施した『帝国軍』の将官軍装を纏う彼女の『主人』が、書類を片手にノルドグレーン社会秩序維持局エリュシオン軍管区支局長と惑星カプルのナルヴァ州自警団の帝国地方警察組織編入計画について意見を述べ合っていた。

 

 夢に現れたそれよりも年季の入った顔立ちだった。左頬にある顎から耳近くに伸びる傷跡と右目に巻かれた眼帯……それは自宅に送り付けられた小包に入っていた時限爆弾の破片によるものであった。

 

 暫くの間、書類に視線を落とし深刻な表情に気難しげに熟考を重ねていた中将は、しかしその視線に気づくと漸く彼女と正面から向き合うように首を上げる。そして子か孫を労わるような険しさの中に優しさを感じさせる知的で穏やかな視線を彼は彼女に向けた。

 

「起こしたか?」

「申し訳御座いません。居眠りをしておりました、身辺警護として失態で御座います」

 

 淡々と、客観的に彼女は自らの過ちを認める。突如襲い掛かった睡魔に負けて彼女は知らぬ内に気を失っていたらしい。これでは護衛としては無能に過ぎる。

 

「近頃は残業や休日返上が続いていたからな……無理が出たのだろう。済まんな、もう少しすればスケジュールに余裕を持たせられそうなのだが……」

 

 しかし、目の前の彼女の『主人』は寧ろ申し訳なさそうにする。彼は目の前の少佐がどれだけ仕事をこなし、疲労していたのかを知っていた。

 

「それがお分かりならば我々にも休暇を与えて欲しいものですな。閣下ならばお分かりでしょうが我々の仕事量は最早限界近いのですがね?毎日のように出動していた結果曜日感覚がなくなった隊員がどれだけいるかお分かりで?」

 

 ライトナー上級大佐は胡乱気に彼の上官に上奏する。彼も上官の軍事的・経済的手腕は評価しているが、それでも限られた人員による任務は最早完全にオーバーワークと化していた。過労で倒れる部下は数知れず、不眠症になる者や精神的に疲弊して過食症や拒食症になる者も続出している。

 

「人員の増員は計画している。来月の予算案にも盛り込む予定だ」

「予算化したとしても兵士が育つには二年はかかりますよ。それも最低限の練度を持たせるだけでです。閣下もお分かりでしょう?」

 

 尚も不満そうに追求する上級大佐に、しかし『主人』はこれ以上の妥協はしなかった。

 

「理解している。その上でやれと言っている。これ以上の妥協はほかの部署との兼ね合いもある。不可能だ」

 

 剣呑な空気が両者に流れる。……だがそれも一瞬の事ですぐにライトナー上級大佐は椅子に深く座り込み溜め息をつく。

 

「本当に、可能な限り早くお願いします。私も部下達からかなり詰められているのです。手当てでは誤魔化し切れません。そもそも銀行残高を確認する暇もない者も多いのですよ」

「分かっている。今少しだけ頑張って欲しい。辛い仕事を押し付けてしまい済まないとは思っている」

 

 下手に出る上官に上級大佐は毒気を抜かれたように再度の溜め息を吐く。彼もまた上官の立場を理解していて自らの要求が無理筋なものである事を理解していた。

 

 それでもストレスや不満は溜まる。それ故に時としてこのような強い要求をしてフラストレーションを解消したくもなる。

 

「………」

 

 すぐにライトナー上級大佐はそのまま居眠りを、『主人』は書類の読み込みを再開する。その姿は先程まで殺気を向けあっていた仲とは到底思えないものだった。ただノルドグレーン支局長のみが不満そうにライトナー上級大佐を睨むが『主人』に注意されるとバツが悪そうに視線を書類に戻し議論に戻る。

 

「………余りそう見られても息苦しいのだが」

「申し訳御座いません、今別の方向を向きます」

 

 じーっと、感情の起伏の乏しい表情で見つめ続けられる事に辟易気味に『主人』が注意すれば彼女は淡々と謝罪をし、その首を曲げて視線を窓に向け固定する。

 

「いや、そこまでしろとは……いや、構わん。好きにしなさい」

 

 若干呆れ気味に小さく息を吐き、『主人』は仕事に戻る。ちらり、とヘルガは一瞬『主人』の表情を見やり、再度窓に視線を固定した。

 

 ボロボロのコンクリートや鉄骨の町並みを地上車は通り過ぎているようだった。所々砲弾が爆発したアパートや機関銃によって窓が砕けた店舗、あるいは老朽化で崩落したビル等も見受けられる。そこに、貧しげな市民、瓦礫や老朽化した建物を取り壊していく作業員、テロを警戒して巡回する兵士の姿が見える。恐らく地上車は旧市街を走っているのだろう。

 

 旧市街はこの惑星が『帝国』の施政圏となる前の星都中心街である。

 

 いや、その実態は星都というには烏滸がましいし、新市街と並べて語るのも非礼と言わざる得ないだろう。そもそも現地を統治していたのは政府とも呼べない軍閥で、その軍閥すら各地の犯罪組織を放置せざる得なかった。不衛生で危険で、治安もインフラも完全に崩壊していたような都市なぞ人の住む場所ではない。

 

 建設業界は元々不景気の煽りを受けやすい業界である。只でさえ末期の銀河連邦が拝金主義の餓鬼道に堕ちていた。道徳は軽視され、法律が軽視され、生命が軽視されていた。重要インフラにおいても予算の中抜きは当然だった。

 

 そして『銀河恐慌』以来、建設業界全体が腐敗し堕落した。社会インフラを含むあらゆる建設物が欠陥を抱えたまま手抜き工事で建てられ、しかも社会の混乱と戦乱による物流と通信の断絶により保守点検すら疎かにされた。

 

 その行き着く帰結は単純明快だ。集合住宅ではシックハウス症候群が流行し、鉄骨を削減されたアパートは倒壊し、腐った排水溝からは汚水が逆流し、老朽化した水素エネルギー発電所は吹き飛んだ。しかもその大半で業者は市民の訴訟に勝利した。マフィアを使い原告団を襲撃し、多額の賄賂で裁判官や検察を丸め込んだ。義侠心のある者は命を以てその愚かな選択の罰を受けた。

 

 まして、辺境ではそんな違法建築に囲まれた都市でテロや紛争が行われ続けた。只でさえ倒壊しそうな建物の状態は最低最悪となった。

 

 騒乱で発生した難民がそんな衛生的にも安全的にも劣悪な街に流れ込み麻薬の売買や売春に励む。マフィアやギャング、物乞いに孤児で溢れた巨大なスラム街が辺境のあらゆる場所で生まれた。

 

 この旧市街もまた十年前までそんなありきたりなスラム街の一つであった。今では新市街や各地の開拓村に人口が流出し、また軍や警察が迷宮のように入り組んだ街の深部や地下で犯罪組織を摘発、身寄りのない孤児や強制労働者を保護しつつ外縁部から少しずつ建物を撤去しているが、まだまだ旧市街の完全な解体には時間がかかりそうだった。

 

 街道を跨いだ次の瞬間、街並みは一変していた。

 

 赤い屋根の煉瓦と木材で作られた中近世を思わせるようなクラシックで、しかし清潔で秩序だった街並みが姿を表した。並木が植えられ街灯が立つ街並みを、先程までとは打って変わり活力に富んだ市民が彼方此方へと忙しく行き交い、路面電車が大量の人と荷物を詰めて線路を走る。

 

 商業区では市が開かれていた。露店や行商が領内各地から、あるいは領外から買い取られた食料品や日用品を山積みにして見せびらかす。巡回する警官により強盗や万引きの恐れは限りなく低く、主婦が子供連れで安心して市場を見て回る。取引は数年程前に取り入れられ、漸く末端にも普及するようになった帝国マルクによって行われていた。物々交換だとか地方や軍閥が独自に発行した通貨による取引は殆ど見られない。既に帝国マルクは領民にとって十分信頼される通貨としての地位を確立していた。

 

 あるいは工業区では工員達が昼食を終えて仕事に戻ろうとしていた。統治府の運営する公営企業勤務の労働者が多いが、近年カストロプ・グループやブッホ・コンツェルン等中央宙域から参入してきた大企業や現地の起業家の興した新興企業の雇用者も多い。かつてに比べ厳格な安全管理が行われ、真っ当な仕事をすれば真っ当な給金を支払われるようになった事で工員達も十年前に比べれば随分と勤勉に働くようになった。

 

 再建された金融街では新規事業立ち上げのために国営の帝国銀行に今日も数多くの起業家が押し寄せる。あるいは帝国銀行だけでは対応出来ないのでギャラクティック・バンキング・グループやロームフェラ財団の民間銀行を利用する者もいた。あらゆる金融取引は帝国法に基づく適正な審査と適正な利子によって行われている。三年前に開設した帝国株式市場の相場掲示板は再建された汎銀河ネットワークである『ライヒスネッツ』によりリアルタイムで帝国全土の株式の相場を表示していた。

 

 この惑星が『帝国』の統治下に収まり、総督府の星都と定められて以来、新市街は拡張の一途を辿り、その都市人口は日々急速に増加している。

 

 その理由は何よりも安全と利便性にあろう。街区ごとに交番が置かれ勤勉な警官が駐在し、軍の歩哨分隊や地上用ドローンが列を作りながら街を巡回している。各地に設置された監視カメラは小さな犯罪すら見逃さない。

 

 インフラは完璧に機能している。新しく建設されたガス、電気、水道、通信、医療設備は臣民の生活とビジネスに必要な十全なサービスを提供しており、街道は舗装され物流も淀みなく新市街に生活必需品を供給し続けている。

 

 安全かつ必要な物資が揃い、そして消費者がいる場所に仕事が生まれるのは当然だ。領地の内外から多くの企業や個人事業者が新市街に店舗や工場を建て、仕事を求め人が集まり、雇用された労働者が消費を行えば更に需要は伸び、それが新たな雇用を生み出す源泉となる。

 

 一時期は退廃の極みにあったこの惑星は、しかし僅かに十年にも満たない期間で領民と経済はその活力を復活させ、その生活は向上と繁栄の入口に差し掛かり始めていた。  

 

 いや、それはこの領地に限らない。人類社会そのものが復興を始めていた。悪徳と腐敗と不正が糾弾され、強大な権限を有する『帝国政府』の下に行われる各種改革が着実に実を結び始めている。人類社会はかつての秩序と安全を取り戻しつつあった。

 

 新市街を走る事三〇分余り、中心部近くにある宮殿のような様式のエリシュオン軍管区総督府庁舎……先月ティルピッツ伯爵領統治府庁舎と改名したその建物の前に地上車は停車した。

 

「着きましたね」

「そのようだな。……降りるとしようか?」

「それでは私から失礼します」

 

 そう言ってまずライトナー上級大佐が周囲を警戒しつつ、次いでノルドグレーン社会秩序維持局支局長が盾となる形で地上車から降りる。

 

 その後、懐から飲み薬を数錠飲みこんでから堂々とした出で立ちで彼女の『主人』が地上車から姿を現す。そうすれば出迎えのデメジエール少佐の掛け声と共に漆黒の礼装に身を包んだ儀杖兵達が抱え銃の体勢で領主を歓迎した。

 

 最後に、『主人』の後を追うようにヘルガは前後を護衛の装甲車に挟まれた地上車から降り立つ。『主人』から一メートル後方からその後を着いて行きながら周辺を警戒する。懐にはいつでも引き抜ける位置にハンドブラスターが隠されていた。

 

「相変わらず、余り趣味が良いとは言えませんなぁ?伯爵殿?」

「そう言うな、あのデザインは皇帝と政府からの要請だ。時代錯誤ではあるが従うしかあるまい」

 

 屹立する統治府庁舎を見つめながらぼやくライトナー上級大佐に、生真面目さに僅かに呆れた感情を込めて『主人』は答える。

 

 目の前のクラシックなデザインの巨大な総督府庁舎は一見長い歴史を感じさせるが、その実昨年建設が完了したばかりの新築であった。荘厳な庁舎は、しかし地上よりも地下に張り巡らされたフロアの方が業務の主体であり、艦砲射撃や質量攻撃に備えたシェルターとしての役割も持つ。周囲にはテロを警戒して多数のドローンと歩哨が警戒を行っており、それが地上部の政庁舎デザインと反発し妙な可笑しさを醸し出していた。

 

 『主人』やノルドグレーン行政補佐官に続きヘルガは庁舎のフロントに向かう。その直前何気なしに彼女はふと空を見上げていた。庁舎の旗竿に自然に視線が向かう。青空に高らかに掲げられる格調高いデザインでありながら明らかに真新しい国旗が瞳に映り込んだ。

 

 黒地に帝冠を被り王杓を掴む双頭の鷲に黄金樹……銀河連邦の正統なる継承国家にして人類史上初の専制的全人類統一政権『ゴールデンバウム朝銀河帝国』の国旗は誇り高く、威風堂々と青い空にはためいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 「本年の食糧自給率は開拓村の軌道が安定したのと農業政策の改革により前年比一二パーセント向上致しました。物流網の問題はありますがこれにより一応全領民の需要を賄うだけの食糧生産が達成されております」

「問題はその物流網だな。古代より食糧危機は飢饉よりも物流機能の問題が大きい。未だ政情は安定からは程遠い。それによる一部市民の買い占めや業者の過剰な値上げも課題だな」

「しかし不用意な民間経済への介入は却って危険ではないか?」

「お前は中央宙域から来たばかりだったか?辺境でその原理は通用せんよ。この辺りの民間経済はここ数年で漸く再建されたようなものだ。少し前まで貨幣経済すら破綻していたのだからな。表面上は兎も角、経済の基幹は脆弱だ。寧ろ積極的に政府が介入しなければすぐに破綻してしまう」

「航路の宇宙海賊掃討は順調だが地上部の武装集団の掃討が課題だな。地上軍の護送があるとはいえ運送業者や兵士達に手当を出さねばならん。毎日となればその分の予算の負担も大きい」

「西大陸は特に此方の統治が及びにくいからな。未だに複数の都市が此方の支配圏外にある。境界線付近では襲撃や略奪、虐殺も起きておる。現地の自警団や駐留部隊だけでは対処仕切れん」

 

 一月前までエリュシオン軍管区総督府と呼ばれていたルドルフ大帝の肖像画の掲げられている政庁の会議室にてスーツや制服、作業着、あるいは時代錯誤的なジュストコールを着こなした官僚や軍人、各部署の代表がソリビジョンに映る各種の領内生産や物流網のデータを見やり議論を重ねていた。

 

 上座では帝国政府よりエリシュオン軍管区総督府総督に任じられ、一月程前に成立した『帝国身分法』に基づき『伯爵位』等と言う歴史の遺物のような役職を『叙爵』されたティルピッツ伯オズヴァルトが神妙な面持ちで議論に耳を傾ける。

 

「だが軍の派遣も至難の業だぞ?只でさえ人手不足なのだ。我々はこの星都の治安維持のための兵力すら揃える事に苦労している。まして惑星内とは言え部隊を派遣するなぞ……」

 

 苦言を口にするのは元エリシュオン軍管区総督府民政長官であり、一月前にティルピッツ伯爵領統治府民政長官に任じられたゴットリープである。元々現地の一市長でしかなかったのがその行政能力を買われ今では広大な領地と領民の生活に責任を背負うようになったこの中年の禿頭男は、会議で出される軍事作戦実施の意見に不機嫌そうに反対する。

 

 彼の意見は統治者として無責任なものとは言えない。寧ろ現状を良く把握するからこそ出て来る意見であった。

 

 帝国暦9年7月時点で暫定的に三つの有人惑星を含む三四星系、及びそれらに付随する人工天体・鉱山・ドーム型都市・通商航路の管理・整備・運営を任されているティルピッツ伯爵領統治府(旧エリシュオン軍管区総督府)は、その統治範囲と人口、行政・公共サービスの運営内容に比してその統治要員は極めて少ないと言わざるを得なかった。

 

 元々予算も人員も不足していたのだ。帝国政府は連邦政府時代、それもルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが台頭する以前から徴税システムも、福祉制度も、インフラすら崩壊寸前であった。毎年税収は縮小の一途を辿り、国債発行は議会の対立で不可能であり、予算不足から国家としての最低限の役割すら果たせず、長期に渡る政府の行政停止すら珍しく無かった。末端の役人や兵士、警官への給料の支払いは遅延に遅延を重ね、多くの者が副業や不正に手を染めていた。

 

 終身執政官となったルドルフが最初に実施したのが大規模な政府関係者の綱紀粛正である。不正を重ねた政府職員や軍人、警官等四〇〇〇万を超える者達に免職や懲役、罰金刑と言った処置が為された。殺人及びその協力、武器・麻薬・人間の売買等、余りに悪質な犯罪に手を染めたために処刑された者は一〇〇万近くにも及ぶ。

 

 市民はその容赦呵責ない処置を拍手喝采したが、それは同時に政府の手足となる者達が大量に失われた事も意味した。

 

 ルドルフは給与制度を変更した。給金は滞りなく支払われ、職務はよりやりやすく、研修制度も改訂した。待遇は遥かに改善された。再教育や新しく募集した職員は職務意識が高く、不正や怠慢とは無縁であった。それでも……政府の人員不足の改善は容易では無かった。改革により新たな仕事が次々と出来、帝国の各行政機関は徹夜当然、休日返上上等の不夜城である。特に変えが利かない中間管理職以上の人材が過労で倒れるのは最早日常であった。

 

 辺境鎮定に派遣され、そのまま現地の管理を委託された総督府の人材と予算の欠乏は中央宙域よりも更に悪い。唯さえ危険過ぎる辺境行きを希望する者は少ないので強制せざるを得ない。しかも中央すら人も物も金も不足しているから必要最小限、いやそれ以下で派遣させられる。

 

 各地の総督は無い無い尽くしの中で工夫を凝らして現地の敵対勢力の駆逐と統治を強制される。余りに足りなすぎるので現地である程度問題無い人材がそのまま組織に組み入れられる事も、中間管理職以上が少ない給料でサービス残業するのも、それどころか現地の最高責任者が私財を投じて兵士の給料支払い等を行うのが当然化する有様であった。『神聖不可侵』たる皇帝に上奏して資金や人員の援助を申し出てみる事もあるのだが帰って来た電信による御言葉は「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」である。

 

 この返信を受け取ったリッテンハイム大将は罵倒しながら『偉大なる』ルドルフ大帝の肖像画を丁重に蹴り飛ばし、唾を吐き、窓から投げ捨てた。エーレンベルク上級大将は『感動に打ち震えながら』返信文を藁人形に括り付けて五寸釘を打ち込んだ。ゾンネンフェルス中将とカルテンボルン中将はオーディンでの会議に集まった際に前者が皇帝の頬を『丁重に』メリケンサックで武装した拳で殴りつけ、続いて後者が『皇帝を敬愛しつつ』筋肉ドライバーを加えた。他の総督達もそれぞれの方法で皇帝に対してその揺ぎ無い忠誠心を見せつけてくれた。

 

 ティルピッツ伯爵領統治府も事情は全く同じである。最早逆転される事は無いにしろ、治安部隊も行政職員も常に不足し、領内の経営は赤字続きで総督の私財や地方債発行、高級幹部のボーナス返上で補填する有様であった。今大規模な掃討作戦の実施なぞ予算面でも、人員面でも綱渡り過ぎた。下手すれば星都に潜伏する反体制派が息を吹き返し大規模なテロ攻撃を仕掛けて来る可能性もある。

 

「何を仰りますか!臣民の保護と反逆者への妥協なき弾圧は皇帝陛下の御意志で御座います。それを民政長官は蔑ろにしろと言うのか!?」

 

 ゴットリープ民政長官の現実論に対して反発するのはエリシュオン総督府官房長官……否、ティルピッツ伯爵領統治府官房長官、更には領内書記官長にも任じられているケストリッツであった。三十半ばの帝国本土出身のエリート官僚は現場組のゴットリープを嗜めるように続ける。

 

「ましてや先日、閣下は畏れ多くも皇帝陛下より伯爵位を授与されたばかり。陛下への大恩に報いるためにも帝国に仇なす叛徒共に誅罰を与えねばなりますまい!」

 

 そしてそのまま上座に座る伯爵に向け一礼して上奏する。

 

「伯爵様、どの道将来的な叛徒共の掃討は既定の路線で御座います。であるのならば今この時期にこそそれを行うべきで御座いましょう。臣民を保護し、その民心を安んじさせるは皇帝陛下より与えられし伯の義務でありまする。また授爵の御恩に対して今行動で報いれば、皇帝陛下の伯に対する信頼は一層深まりましょうぞ!!」

 

 恭しく申し出る官房長官に向け、幾つもの失笑した視線が向けられる。彼らは鎮定軍の初期から伯爵と同行していた古株の官吏や将校達であり、政治的には民主派・中道派に属する幹部達である。即ち、皇帝の権威を然程信じていない者達であった。

 

 伯爵位の授与という皇帝への御恩に報いるための軍事作戦……滑稽な事この上ない。爵位なぞ当の昔に歴史上の遺物であるし、授与された所で何らの権威も恩恵もありやしまい。寧ろ与えられる者達からすれば害でしかなかった。

 

 そもそも長らく各地の総督や帝国政府首脳陣が無給同然に職務に精励させられ、それどころか予算不足から私財すら投じさせられてきたのは周知の事実だ。その反発を抑え込むために爵位なぞと言うものがでっち上げられたとすら思われた。

 

 給料の支払いを拒否して代わりに領地とその徴税権を与える……話だけならば時代錯誤であるが魅力的な提案だろう。しかし、現実は甘くない。実態は徴税なぞ不可能な惑星や人っ子一人いない惑星を与えられる者が殆んどだった。中には未だ武装勢力が跋扈し帝国政府の統治が一切及ばない惑星を『下賜』された者すらいた。

 

 爵位なぞお飾り、付随する領地の提供に至っては実質的には帝国にとって負担となる辺境の統治をさせられるだけであった。赤字経営の自治体の経営を個人に押し付けた訳だ。

 

 多くの総督にとっては現状と変わらぬどころか負担を押し付けられた上に将来的な給金の支払いまで拒否されたに等しいものだった。何十年かすればあるいは黒字経営となり子孫が潤うかも知れないが、少なくとも孫の世代までは自己破産すら許されない負債であり、デメリットしか存在しない。

 

 よって官房長官の言は内情を知る者にとっては余りに馬鹿げた物言いであった。流石オーディンの内務省で働いていた勤皇派のエリート官僚様である。言う事がいちいちぶっ飛んでいた。

 

「………」

 

 上座にて腕を組み、目を瞑りながら一か月の歴史を誇るティルピッツ伯爵家初代当主オスヴァルトは逡巡する。一歩引いた場所で腕を背中で組み、直立不動の姿勢で佇む『身辺警護大隊』の隊長ヘルガが軍官の幹部達を一瞥した後、神妙な面持ちを浮かべる『主人』を視線だけ移動させて見つめる。

 

「……予算の方はどうする?」

「現状、帝国銀行、そして統治府の信頼は高いもので御座います。長期返済の地方債の発行で対応するのが良いかと」

「馬鹿な、現状ですらインフラの整備に少なくない債権を発行しているのだぞ?ここに来て生産性の低い軍事作戦のために更なる発行なぞ……」

 

 ゴットリープ民政長官が否定的な反論を述べる。元々軍事より民政優先の彼の立場からすれば軍事作戦に何十億という帝国マルク債権を費やすのならばその金で掃き溜めのスラム街一掃を行いたいのが本音であった。旧市街なぞ財政的にも治安的にも重荷でしかない。住民の移住先を拵えた上でさっさと再開発した方が良い。

 

「兵力はどこから持って来るので?現状の戦力だけでは治安維持だけでもかつかつなのですがねぇ」

 

 軍部においてはライトナー上級大佐が意見し、追従するように他の幹部が肯定する。現状の軍・警察・社会秩序維持局の人員規模は領内に蠢動する不穏分子を押さえつけ続けるのが精一杯だ。

 

「……宇宙軍を使った面制圧ならどうだ?」

「マジですか?地図を書き換える必要がありますねぇ」

 

 考えを纏めたのだろう、オスヴァルトの提案に苦笑いを浮かべる上級大佐。

 

「人口密集地での戦闘は多くはあるまい。大半は森林地帯や山岳部に潜んでいる筈だ。作戦と並行して避難も行えば一般市民の巻き添えは最小限で済む。それと目標は大型装備や車両類の破壊を優先する。皆殺しにする必要はない。装備さえ喪失させれば無力化は可能だ。奴らに物資の自給なぞ出来まい、そのうち立ち枯れよう」

「……火力の集中と目標限定による短期決戦、という事ですかね?」

 

 上官の提案についてライトナー上級大佐は分かり易く訳する。それはどちらかと言えば同席する文官達に配慮するためであった。

 

「……作戦期間は二週間、地上部隊は最大でも旅団規模より大きな部隊は投入しない方が良いでしょうな。軽量部隊を中心にしなければ迅速な展開は難しいでしょう」

 

 暫く悩んだようにしてライトナー上級大佐が答える。

 

「閣下!」

 

 非難がましく民政長官が叫ぶがオスヴァルトはそこから先の言葉を制する。

 

「民政長官の言は理解している。だがこれは好機でもある。此度の掃討作戦が上手くいけば西大陸に貼り付けている治安部隊を削減出来る。……それにあの辺りの残党共が付近の市町村を略奪しているのは事実だ。放置が長引けば民心が離れ、将来的に禍根が残ろう。我々は余所者だ、現地の信頼を失う事態は避けたい」

「……仕事が増えますが」

「済まないと思っている」

「相変わらず口だけは達者ですな」

 

 むすっとした表情を浮かべつつも民政長官は恭しく『主君』に礼をする。言いたい事が無い訳ではない。だがそれでも目の前の上司がこの異郷の地のために私財を投げ打ち、幾度も危険に身を晒している事もこの現地人は理解していた。その犠牲があるからこそ渋々ながらもその決定を承諾する。

 

「戦力の抽出は星都の予備戦力と治安警察の重装備部隊を中心に編成するとしよう。星都の警備の穴は社会秩序維持局、足りなければ警護大隊や儀仗部隊、民兵隊も動員する」

「それで行けますかねぇ?」

「不安ならば上級大佐、可能な限り迅速に終わらせてくれ」

 

 そう言い切って伯爵は議場の者達に出兵の賛否を問う。暫し悩みつつも結局代表達の五分の四が出兵に賛成し、エリュシオン西大陸の反帝国勢力残党に対する掃討作戦実施は可決された。

 

 それを確認したオスヴァルトは正式に出兵を宣言し、場の出席者達が一同に、恭しく頭を下げその決を受け入れる。

 

 ……ケストリッツ官房長官が頭を下げながらその口元を吊り上げていた事に気付く者は皆無であった。

 

 

 

 

 

 約一週間の準備期間と部隊配置の末、帝国暦9年8月2日に掃討作戦は始動した。

 

『赤作戦』と呼称された同作戦に投入された兵力は三個歩兵旅団を基幹として一個装甲旅団、一個砲兵大隊、二個装甲擲弾兵大隊、支援航空隊、支援宇宙群から編成されていた。更には補助戦力として重武装に身を包んだ警察機動隊三個大隊が参加する。

 

 総兵力は二万二一〇〇名、総司令官にはグレーヴ・ライトナー上級大佐が正式に任命されていた。その作戦目標は惑星エリシュオン西大陸内陸部四州における反帝国勢力の掃討、及びそれによる惑星地上の物流網復旧と治安改善、現地市民の保護にある。

 

「弾着……今っ!!」

 

 平原地帯で幾条もの放物線が青空を彩り、次の瞬間には撃ちあげられた榴散弾が地上十数メートルの所で破裂、無数の破片が草原を耕した。迫撃砲による支援砲撃だった。

 

「よし!第二大隊前進!!第四大隊、側面から森林地帯を抜けろ!!」

「第三大隊、周辺地域の捜索完了……何てこった。駄目です、焼け出された村の生存者は現状確認出来ません。皆焼かれている……!!」

「此方第六大隊、糞ったれ!!一五五ミリの砲撃だっ!狙いは甘いが前進出来ん!!爆撃でも砲撃でもいい!今すぐ奴らを黙らせてくれ!!」

「了解、航空部隊による上空観測を行わせ……待て!高高度偵察機より通信、誘導レーザーの照射を確認との事!……あっ!今対空ミサイルの発射を確認しましたっ!!」

「回避を命じろ!チャフ・フレア散布!丘の電子戦部隊に連絡!妨害電波の出力を最大まで上げさせろ!!」

 

 作戦の初日、最前線から二〇キロは離れた平原のキャンプ場に設けられた野戦司令部、その天幕ではざっと並べられた無線機がひっきりなしに鳴り響き最前線の情報を司令部に伝達し、同時に指示を求める通信で溢れかえる。

 

「地上の観測班に連絡しろ、誘導レーザーの照射を開始しろとな。見つけ次第、防空システムの類いは衛星軌道の駆逐艦が吹き飛ばす。航空隊は防空網を無力化するまで安全第一を心掛けて囮に徹しろ!!」

 

 野戦司令部にてライトナー上級大佐は戦況モニターに視線を向け、淡々と命令を下す。対ゲリラ掃討作戦に限らず陸戦にてまず重要なのは制空権の確保だ。航空部隊と宇宙部隊、陸上部隊が連携しつつ敵の対空装備を刈り取っていく。

 

「まさか……たかがゲリラ風情が高高度目標を捕捉迎撃出来る程の能力を有しているとは………」

 

 士官学校を卒業して以来三年間中央宙域にて勤務をしており、ほんの一月前に人事異動で参謀スタッフとして転任してきた若い帝国軍中尉は唖然とした表情を浮かべる。

 

 ゲリラと言う話を聞いた彼の脳裏によぎったのは精々が旧式の装甲車や携帯式ミサイルで武装した烏合の衆であったのだが……実態は大型野戦砲や各種レーダー装置付きの大掛かりな防空ミサイル、挙げ句の果てに旧式とは言え複数の戦車の目撃報告すら上がっている有り様だ。辺境でちまちまと略奪を働くゲリラ?いや、これではちょっとした軍隊並みの武装ではないか!

 

「なぁに。これ位ならば可愛いものさ」

「これでも何方かと言えば軽武装なのですがね。ここに降りたばかりの頃は大変でしたね。機甲部隊と装甲歩兵が出しゃばって来た時は肝が冷えましたな」

 

 一方、比較的外地勤務の多い参謀達は軽い口調に以前の任務との比較を始める。元々腐敗していた上に兵士への給料すら遅延していた銀河連邦軍が装備を犯罪組織に売り払うなぞ良くあった事だし、軍団単位や艦隊単位で辺境の駐留軍が軍閥となる事も良くあった事だ。終身執政官時代のルドルフの政策に反発して軍を離脱した部隊も少なくない。

 

 今となってはそれらの抵抗勢力の過半は撃滅されたものの、中小規模の反帝国組織はまだまだ存在するし、残党が装備ごと犯罪組織等に合流していたり、傭兵となって民兵の軍事教練を行っている者も多い。ゲリラ掃討とは言え、決して油断は出来なかった。

 

「まぁ、この程度ならばまだマシだろうなぁ」

 

 ライトナー上級大佐は椅子に座り、前線からの映像を見つめつつぼやく。いくら元軍人が流れていようとも、軍の装備があろうとも、全体で言えば烏合の衆だ。改革により良く練兵された帝国軍将兵にとっては手強くはあっても勝てない相手ではなかった。実際各部隊の動きは良く、連携しつつ勇敢に戦い敵を押し上げ、包囲網を着実に形成しつつある。

 

「流石ライトナー上級大佐ですな。教科書通りのゲリラ掃討です。装備の破壊が目標だった筈ですが……この分ですと包囲殲滅も叶いそうですな」

 

 戦況モニターを見て皮肉気にそう評するのはエリート然とした風貌の一〇歳は年下の軍人であった。ティルピッツ伯爵領における航空軍・宇宙軍空戦隊の総指揮を取るヘルマン・レーヴェンハルト大佐である。どこかニヒルで人を小馬鹿にするような態度をするこの佐官は、しかし実際にほかの者達から余り好かれている訳でもない。恐らくは彼自身が連邦軍士官学校を上位席次で卒業しており、エリュシオン駐留軍の佐官達の中で最も若い事も一因であろう。

 

「ふぁぁ……いやいや、油断は禁物ですよ。烏合の衆の残党共とは言え窮鼠猫を噛むとも言います。最後の最後まで、完全に『殲滅』するまで手は抜けませんよ」

 

 上級大佐は下士官出身らしく欠伸しながら頭を掻くと言う粗野な態度で返答する。その下卑た姿に案の定しかめっ面をしてレーヴェンハルト大佐は視線を戦況モニターに戻す。上級大佐はそんな大佐に意地の悪い笑みを浮かべ、モニターに視線を戻す。

 

「上手く行けば一週間程度で終わるかね……?」

 

 そう上級大佐が呟いたと同時の事であった。慌てて駆け寄って来た通信士が電文を読み上げる。その単純明快で、同時に極めて深刻な内容にレーヴェンハルト大佐は目を見開き、ライトナー上級大佐は少々困ったように頭を掻いた。

 

 電文の内容は以下の通りであった。

 

『星都において反乱軍が蜂起せり』

 

 

 

 

 

 帝国暦9年8月2日は帝政初期における反帝国運動において特筆すべき日の一つであり、大きな転換点となった日であった。

 

 この日、帝国領各領邦において反帝国組織による同時多発的な武装蜂起が行われた。爆弾等による破壊工作が実施されたほか、帝国政府内部の共和主義者による政府要人の暗殺、主要都市ではレジスタンスと治安部隊による市民を巻き込んだ市街地戦が勃発。宇宙空間においては帝国軍や航路警察が旧銀河連邦宇宙軍残党や宇宙海賊と主要航路や軍事工廠を巡った中規模の艦隊戦を各地で繰り広げた。

 

 そしてティルピッツ伯爵領惑星エリュシオン星都フォンブールにおいてもそれは同様だった。

 

 1330時、新市街二八か所にて爆弾テロが発生、同時に市内に潜伏していた共和派レジスタンスが駆け付けた警察や消防士、医療関係者を襲撃し市民を含む多数の死傷者が発生した。

 

 同時期に旧市街においても推定八〇〇〇名の反帝国軍主力が決起した。恐らく迷宮化していた地下下水道を通って展開したと見られている。

 

 旧市街において治安維持任務についていた帝国軍警備部隊は激しい抵抗の末に玉砕、彼らの足止めによって時間を稼いだ星都の帝国軍・警察部隊は反乱軍主力部隊の新市街流入を阻止すべく防衛線を構築し、新旧市街の境界線では激烈な市街地戦が繰り広げられる事になる。宇宙空間においても領内において最も重工業の発達していた惑星ナルメア周辺宙域に反乱軍一二〇〇隻が進攻、伯爵領駐屯の宇宙艦隊との艦隊戦の戦端が開かれようとしていた。そして……。

 

「……始まったな」

 

 統治府執務室の窓からティルピッツ伯オスヴァルトは黒煙の上がる新市街地を淡々と見据える。

 

「これで良いのかな?支局長?」

 

 オスヴァルトは目の前で慇懃に頭を下げるノルドグレーン社会秩序維持局支局長を若干非難の感情を込めて睨む。

 

「はい、伯爵様。これは必要な犠牲で御座います。此度のこの争乱は絶好の機会で御座います。この機に領内に潜伏する叛徒共の過半は掃討出来ましょう」

 

 一方、支局長はにこやかに笑みを浮かべる。

 

 全ては帝国政府の……正確には社会秩序維持局局長エルンスト・ファルストロングの計画通りであった。反帝国武装組織による大規模な決起、そしてその殲滅の準備は密かに、そして緻密に進められた。社会秩序維持局諜報部第二部(シュタージ)から齎された大規模な決起計画を逆用し、寧ろ潜入させた工作員によって指導層を囃し立て、煽り立て、突き上げてその計画を準備不足のまま前倒しで実施させたのだ。

 

 末端部隊は兎も角、帝国政府上層部は大半が反乱軍の計画を承知していた。部隊が密かに展開される。これを機会に過激路線を貫き社会不安の要因でもあった主要な国内武装組織の一掃が成功する手筈だ。

 

「旧市街における叛徒共の主力部隊殲滅は時間の問題でしょう。既に社会秩序維持局(此方)の保安衛兵連隊の展開は完了しております。事前計画に基づき軍・警察と連携すれば無力化は可能でしょう。ナルメアの宇宙軍についても弟君が航路を待ち伏せしております」

 

 各地に展開している正規軍や警察部隊には目前の敵殲滅を優先させ、星都への援軍に行く事を制止させている。星都での戦いは社会秩序維持局エリシュオン支局の保安衛兵連隊が鍵を握る事になろう。先月各地の支局にて秘密裏に編成された本連隊は正規軍並みの装備と治安戦に特化しており、此度の地上戦の決戦戦力となる筈だ。

 

 宇宙戦に至ってはオスヴァルトも一切の心配はしてなかった。弟は政治も経済もさっぱりではあるが事軍事に関してだけは天性の感性の持ち主だ。間違いなく彼の期待以上の戦果を挙げてくれる筈だ。

 

「それは結構だ。問題は……新市街におけるレジスタンス共だ。其方を放置するとはどういう了見だ?」

 

 隻眼の伯爵は鋭い視線で忠臣を睨み付ける。その眼光は誤魔化しを許さない事を示していた。それ故に支局長もまた慇懃に、恭しくその理由を答える。

 

「民衆とは愚鈍なものです。彼らは施しはすぐに忘れ、恨みは中々忘れません。与えられた環境と権利に順応し、すぐに当たり前のものと誤認致します。そして全体の事なぞ考えず利己的に要求をエスカレートさせていくのです」

 

 醒め切った、嘲るような、諦念に満ち満ちた眼で黒煙を上げる新市街を見つめるノルドグレーン支局長。その表情はオズヴァルトが初めて顔を合わせた時のような理想と正義に燃える青年の姿はなく、ただただ打算的に、効率的に謀略を弄ぶ陰謀家の姿しかなかった。

 

「彼らに立場を分からせるため、と?」

「世論調査を実施した限り、そろそろ彼らもつけ上がり始めていたようですから。ここは上下関係を分からせるべきでしょう。そうしなければ今後の統治にも差し障りましょう」

 

 社会秩序維持局諜報部第二部(シュタージ)の『細胞』を通じて市井の世情についてノルドグレーン支局長は良く理解している。同時に臣民の帝国政府に対する意識がここ数年渡り尊大になっている事実もまた把握していた。

 

 かつて、帝国政府が改革に邁進していた頃は誰もがそれを喜びながら受け入れた。生命の安全すら保証されない環境にあった彼らにとって総督府の行った政策はまず最低限の生命の安全を、次いで衣食住を保障し、次いで職場を提供、健康を、教育の場を提供した。

 

 帝国に対する信頼と支持は次第に高まっていった。長年望んでも得られなかった物を、健康で文化的な生活を得る事が出来たのだから。善政の基本は飢えない生活だ。その前では多少の人権の制限や政治的権利なぞどうでも良いものであったし、そもそもそのような物を気にしていたら帝国の改革は無し得なかっただろう。

 

 しかし……所詮臣民は衆愚であり、飽きやすい存在である。生活に余裕が生まれれば彼らは次第に不満を吐露するようになる。

 

 かつては全肯定といった有り様だった出版業界は今では人気取りのために帝国政府の施策を次々と中身のない内容で非難し、政治権力の臣民への返還を要求する。市民は社会保障のための増税と安全と健康のために制定される細やかな法律に不満を漏らし始めていた。

 

 愚かなものだ、彼らの得た安定と秩序は未だ薄氷の上のものでしかないというのに。今臣民に政治権力を返してみろ、減税をしてみろ、管理体制を緩めてみろ、あっという間に全ては十年前に逆行する事になろう。

 

「彼らは保護される側であり、閣下は保護する側で御座います。此度の共和主義者共の横暴は良い薬になりましょう。閣下が、帝国が無ければ彼らは唯食われるだけの弱者でしかない事を思い出すでしょうから」

 

 幸運な事に新市街における攪乱目的のテロ計画についてその完全な情報が伝わっていた。重要インフラでのテロだけは阻止し、価値の低い中流階層以下の市街地等でのテロは敢えて放置する。後は愚かな『共和主義者』が自らの行動によって臣民の憎悪を駆り立ててくれるだろう。

 

「……天国等というものがあるのならば、我々はそこには永遠に行けないであろうな」

 

 オスヴァルトは、ノルドグレーン支局長の言に冷たくそう独白する。彼のその言葉は現実と理想の狭間で葛藤し、疲れきった人間のそれであった。

 

 そして彼はそれっきり口を開かず、唯険しい顔で市街地を見つめ続けた。まるでその惨状を眼に焼き付け、忘れないと言わんばかりに。

 

 その姿をノルドグレーン支局長は沈痛な面持ちで見つめ続ける。本来ならば万が一に備えて地下のシェルターに避難してもらいたかったが……こればかりは恐らくどれだけ言ったとしても受け入れてもらえないだろう。故に支局長はいざと言う時に備え主君の傍に控える。

 

 そしてふと気付いたように腕時計を見やり目を細め、次いで目の前の『主君』に恭しくその報告を行った。

 

「伯爵様、そろそろ時間で御座います。これより領内に巣くう寄生虫共の排除を実施致します」

 

 

 

 

 

 乾いた発砲音が響き渡る。統治府や軍・警察内部の共和主義者達は新・旧市街における蜂起に時間差をおいて呼応した。西大陸のゲリラ、あるいは旧市街や新市街の『陽動部隊』に誘引された中心街と統治府の警備はその混乱もあり平時に比べかなり弱体化している筈であった。

 

 全てはこのためであった。忌々しい『独裁者ルドルフ』に媚びへつらう権力の犬共を暗殺し、統治府を制圧する。独裁者の代理人である領主を討ち取り指導者層のみスライドさせる事で行政組織と軍を可能な限り無傷で確保するのだ。いや、しなければならなかった。

 

 既に長く続く反ルドルフ抗争によって反帝国派各組織の疲弊はかなりの水準にまで達していた。既に降伏する組織や地下に潜り戦力を温存する事を選んだ組織、外宇宙に逃れて体勢を立て直そうとする組織が続出していたのだ。

 

 所詮は烏合の衆でしかない反帝国派は独裁者ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの改革によって精強に生まれ変わった帝国軍と帝国警察、そして狡猾にして姑息な謀略家エルンスト・ファルストロングを頂点とする社会秩序維持局の前に数的な優勢をとうに失っていたし、質的な優劣は絶望的なレベルまで突き放されていた。

 

 だからこそこれは反帝国派にとって最後の大規模な国内蜂起であった。国内での徹底抗戦を掲げる各組織は十年近い時間をかけて帝国政府各部署に潜入させた同志を使い帝国を、その領域の一部なりとも切り取る。そこを基盤として解放区を形成し帝国に対して将来的に正面決戦を挑むだけの国力を蓄えるのだ。

 

 だからこそ………。

 

「我々は独裁者ルドルフ・ゴールデンバウムに追従する共和主義の反逆者にして連邦市民の裏切者オスヴァルト・ティルピッツを討つのだ!これはテロリズムではない!共和主義と民主主義を防衛するための正義の行いであり、悍ましき全体主義から人類社会を救済するための聖戦なのだ!!」

 

 ティルピッツ伯爵領統治府官房長官『だった』ディーター・ケストリッツが演説する。だが、その表情から威勢の良さは消え去り、悲壮感が漂っていた。

 

 既に彼らは追い詰められていた。決起と共に統治府の領主執務室を目指した五〇名程の共和主義者は執務室に繋がる庁舎内の廊下で本来ならば有り得ないその存在を見る事になる。。

 

「馬鹿なっ……!!?」

 

 先頭を走っていた同志達は驚愕し、次の瞬間には旧市街地の反乱鎮圧に派遣されている筈だった『身辺警護大隊』のブラスターライフルの一斉砲火を受けて蜂の巣となった。

 

 『身辺警護大隊』と共和主義者達の戦いは元より勝負が決まっていた。人数も、練度も、装備も、全てが隔絶していた。僅か三〇分の戦闘で彼らの数は半分にまで減り、今では統治府庁舎の一角に立て籠もり絶望的な籠城戦を繰り広げるだけである。そしてそれは迫りくる運命に対する儚い延命処置でしかなかった。

 

 それでも彼らは降伏しない。いや、出来ない。降伏すれば待つのは社会秩序維持局による容赦ない取り調べである。知っている情報を吐き出させるために彼らが行う様々な手段を思えばここで玉砕する方が遥かにマシであった。

 

「戦え!戦い英雄になるのだ!いつか……!いつか我らの末裔が民主主義のために殉じた我らの犠牲に涙し、哀悼を捧げる日がきっと来るであろう!なればこそ!最後の一秒まで前を向き誇り高く戦おうではないか!勇気を奮いたたせ、子孫達が誇りを持って語り継げるように!」

「「「自由と民主主義万歳!!祖国を簒奪せんとする独裁者とその手先共に死を!!」」」

 

 ケストリッツの演説に中半ヤケクソになりながら彼らは叫び、戦う。そうしなければ彼らは目の前に着実に迫りくる死の前に絶望し、発狂してしまっていただろう。現実逃避ともいえるがこの場においてイデオロギーに殉じる事を強調し、陶酔する事は数少ない彼らに出来る選択であった。

 

 無論、それは所詮時間稼ぎに過ぎず、遂に破局の時は訪れる。

 

 窓を突き破り催涙ガス弾が撃ち込まれた。室内に響く悲鳴、次いでガスマスクを装備した『身辺警護大隊』の精鋭部隊が窓から部屋に突入する。視界を奪われつつブラスターや火薬銃でもって健気な抵抗を行う共和主義者達は、しかしその努力にも関わらず淡々とパラライザー銃の前に倒れ、生け捕りにされていった。

 

 催涙ガスによって泣き腫らしながらもケストリッツはそれを見た。

 

 銃を乱射する同志が次の瞬間腹を殴られて糸の切れたマリオネットのように倒れる。別の同志がそれを見て銃床で殴りかかるのを腕で守り、次いで回し蹴りを頭に叩きつけ一メートル程吹き飛ばされる。喚きながら躍りかかる同志は受け流され、肘で首裏を殴られてそのままの勢いで床に突撃した。

 

 あっという間に三人の同志が無力化された。そしてその人影はゆっくりと此方を振り向く。ガスマスク越しに紅い、深紅に輝く双眸が彼を獲物を見据える肉食獣のように捕らえた。

 

「ぐっ……おのれ……おのれ……!!」

 

 怒りに震えながらケストリッツはハンドブラスターを構える。目の前の『身辺警護大隊』の隊長について、彼は然程親しかった訳ではない。

 

 官僚と軍人という所属の違いがあったし、それ以上に無口で無表情で、殆どを総督の傍に控えるだけの小娘と話す機会はなかったのだ。余りに若い風貌に少佐の階級、そして愛想さえ良ければ美貌と言える顔立ちから総督の情婦だという噂もあったというが……先程見た事実からするにそれは全くの見当違いであるらしかった。

 

 だが、そんな事は問題ではない。

 

「糞っ!!帝国の犬め!ルドルフの犬め!専制の手先が!」

 

 ケストリッツはその顔を憎悪に歪ませる。長年勤皇家と偽り自らの本性を隠して来た彼にとって、今回の蜂起は文字通り人生そのものを賭けたものだった。そして、それが今まさに道半ばで潰えようとしていた。

 

「認めん……認めんぞ!!貴様らの存在なぞ認めぬぞ!!」

 

 確かに父は公人としては清廉潔白ではなかったかも知れない。それでも上司に脅迫され協力させられただけでギロチンに掛けられる謂れはないし、貧困からスラム街に住まうしかなかった母が強盗の人質にされそのまま目の前で巻き添えで警察に銃殺されなければならない謂れもない筈だ。

 

 狭隘で、独善的で、主観的な『正義』を振りかざし、多くの人々の生命を無遠慮に、粗雑に、無造作に奪っていく帝国の支配が正しい訳がない。まして人々の自由意思を許さず、服従だけを強い、衆愚である事を求めるその在り方は人間という存在そのものを侮辱していた。

 

 更に帝国中枢部にパイプを持つ同志によればあの独裁者は近々新たな法律の制定を目指しているという。その法律が可決されれば帝国の思想と人権の統制と監視体制はこれまでとは比べ物にならないレベルに拡張するらしい。

 

 唯でさえ厚顔無恥に自己神格化を推し進め自らの正義を恥じらいもなく振りかざすあの皇帝の事だ。これ以上の権限を与えれば最早帝国に対する国内での大規模な蜂起は困難となり得るし、その弾圧の犠牲となる者がどれだけの人数に登る事か知れたものではない……!!

 

 ……それだけは阻止しなければならなかった。目先の利益のためだけに独裁者に迎合する市民の代わりに我々は自由のために戦わなければならない!!取り返しのつかない事態になる前に……!!

 

 怒りと義務感と恐怖に打ち震えながらケストリッツは自動拳銃を構える。

 

 官僚であるために銃を撃つ経験は少なく、しかも催涙ガスで視界が霞む状態だった。一発必中は期待出来ない。故に彼は殆んど恐慌状態になりながらヘルガに向けて引き金を引き、拳銃を乱射した。

 

 そして……その銃弾は銃口の前で掲げられたヘルガの掌によって止められた。

 

「流れ弾が危ないですから」

 

 そういって握りしめた弾丸を淡々と捨てると拳銃を掴み、次の瞬間には握り潰す。彼女からすれば乱射した弾が生け捕りにした他のテロリスト共に当たっては後で『尋問』出来なくなるので阻止しなければならなかった。

 

「ひっ……!?化物っ!!?」

 

 流石に拳銃を握り潰されるとは思って無かったのだろう。余りに化物染みた握力に悲鳴を上げるケストリッツ。その隙が致命的過ぎた。

 

「うっ……!?」

 

 腹部に受けた拳の一撃は彼に嘔吐させるに十分な衝撃を与えていた。床に倒れ嘔吐し、咳き込み、息切れする。余りの苦しみに意識が朦朧とする中、彼は自身を見下ろす女の両手が金属製である事に気付いた。

 

 同時に思い出す。そうだ、オーディンに勤務していた時に偶然聞いた話だ。確か数年前の事だ、エリシュオン軍管区総督をテロから守り両腕を失った兵士がいたらしい。皇帝ルドルフは古くからの忠臣の一人を身を呈して守ったその兵士を褒め称え、オーダーメイドの軍用義手を贈ったという………。

 

 相手の正体を知り、呻き声を上げるケストリッツをヘルガは能面の表情のままにその首を掴み締め上げる。

 

「あっ……がっ……!?」

 

 機械の腕が人間には不可能な握力で元官房長官の首をメリメリと絞めていく。余りの力にケストリッツは白目を剥き泡を吹き始めた。

 

 しかし彼女は……ヘルガはその能面のような顔に口元を僅かに愉悦に歪め、尚もゆっくりと腕力を強めていく。ゆっくりと、ゆっくりと苦しめながら絞め殺していく。

 

 ……当たり前だ。こいつらは裏切り者だ。逆賊だ。帝国の正義に逆らい、『主人』の命を狙った下郎共だ。

 

 ましてこいつは信頼厚く、多くの職務を委ねられていた事を彼女は知っていた。関わらずこいつはその期待を裏切ったのだ。ならばその罪に相応しい罰を与えねばなるまい。楽な殺してやるものか。可能な限り長く苦痛を味わわせなければなるまい。そうだ、長く、長く、長く………。

 

「隊長っ!お止めください!!尋問する必要が御座います!!これ以上は後遺症や障害が残る危険が……!」

「っ……!」

 

 慌てて傍らにやって来てそう静止の言葉をかける部下。ヘルガはその声に我に返るとその手を離していた。床に倒れ咳き込む元官房長官……。

 

 そしてふと気づいたように次第に催涙ガスが晴れていく室内を見渡す。

 

 既に立て籠もっていた反逆者のほぼ全員が呻き声をあげ、もがき苦しみながら床にひれ伏していた。電磁手錠により手足を縛られ引き摺られるように連行されていく。

 

「………拘束を」

 

 咳き込むケストリッツの腹を蹴りあげ気絶させたヘルガは淡々と命じる。

 

 忌々しい下手人が駆け寄って来た部下達に拘束され、連行されていく。その姿をヘルガは唯黙って、その感情を伺い知る事の出来ない双眸で見つめ続けていた……。

 

 

 

 

 

 帝国暦9年8月2日に生じ、同月24日までに完全に鎮圧された後世『ヴァンデミエール騒乱』と呼称されるこの武装蜂起は帝国政府の冷静かつ適切な対応によってその規模に比してかなり小規模な損害によって鎮圧された。

 

 一月近くに渡り帝国全土が戦闘の舞台になったにも関わらず、帝国軍及びその他治安維持機関の死傷者は二〇万七〇〇〇名、市民の犠牲者は僅か一〇〇万前後でしかない。帝国政府幹部の中では元銀河連邦地上軍元帥・銀河帝国軍外部顧問官クリィル・ターキン、銀河帝国宇宙軍帝都防衛軍司令官ベルント・フォン・ヴァルテンベルク中将、野戦機甲軍総監オットマー・シュトラハヴィッツ中将、帝国衆議院議長兼国家革新同盟総務会長ハーメン・リッペントロップ等が犠牲となったが、逆に言えばそれ以外の主要幹部、そして皇帝も無事だ。対して反帝国派の損害はその後の掃討作戦を含めて推定一八〇万を超える。

 

 主要な反帝国派はこの敗戦に文字通り戦意を喪失した。各地で帝国軍主力部隊を陽動した上で戦力が手薄となった筈の地理的・経済的・政治的中枢部だけに狙いを定め、大量の内通者を活用したこの攻勢の失敗は内外に対して帝国政府が如何に磐石であるかを知らしめた。ここ数年かけてどうにか練兵した精鋭部隊は撃滅され、重装備の大半を喪失ないし鹵獲され、その後の追撃により指導層が壊滅ないし降伏した抵抗組織も少なくない。

 

 最大の反帝国武装組織であった『銀河連邦臨時政府』及び第二の規模を有する『オリオン腕共和国予備軍』はその最後の主力部隊を喪失し、首脳陣及び残存戦力を外宇宙に撤退させた。『三色旗人民軍』は総司令部に逆撃を受けマルタン・トルトリュリエ元銀河連邦軍中将以下指導層が全滅、『黒旗軍評議会』と『ポロックス連合軍』は全面降伏を選び『自由海賊同盟』は継戦派と徹底抗戦派に分裂してしまった。そのほかの中小規模の組織も多くが壊滅か降伏か逃亡の選択を迫られている。

 

 帝国政府は同月30日、帝都オーディンの『新無憂宮』勝利広場にて高らかに戦勝式典を開催した。

 

 数年前に復旧した全銀河通信ネットワークインフラ『ライヒスネッツ』を通じ、帝国領全域にて反帝国派に対する全面勝利を宣言、全長一九五センチメートル、体重九八キロの頑健な巨体を持つ銀河皇帝ルドルフ一世は堂々たる姿でソリビジョンにその姿を現した。つい先日宮殿に潜入したソウカイヤのニンジャ達の襲撃を受け、臣民達からその生命の安否が心配されていたが……案の定、鋼鉄の巨人はその全員を素手で殴り殺して健在のようであった。

 

「この勝利は時計の針を逆回転させようとしている愚かな叛徒共に対する余と臣民の勝利である!!」

 

 ルドルフ一世はそう叫び、帝国政府の正統性を宣伝すると共にと臣民を犠牲にする武力闘争を行う叛徒の行動を糾弾、臣民に対して自身と政府を支持する姿勢に謝意を示しつつ帝国の更なる発展と安全のための政治権限移譲への理解を求めた。

 

 内務尚書兼社会秩序維持局局長エルンスト・ファルストロングは社会に混乱を齎すテロリストに対して「汚物まみれで下水道に隠れようとも全員引き摺り出してやる」と反体制派の徹底的な掃討を行う姿勢を見せ(あるいは皇帝の代わりに代弁し)、帝国警察総局局長兼帝国麻薬取締局局長ラルフ・オットー・フォン・ブラウンシュヴァイクは官僚然とした態度で臣民に対する哀悼の言葉と蜂起鎮圧に貢献した全警察官を賞賛している。

 

 特に注目を集めたのは老境の軍務尚書ハンス・ヨアヒム・フォン・シュリーター元帥がテオリア防衛戦にて活躍したフェリクス・フォン・バルトバッフェル上級大将を総司令官とした征伐軍の編成を行うと言及した事であろう。皇帝ルドルフ一世の数少ない親戚であり尚且つ比較的穏健で皇帝に意見出来る上級大将の起用は、その強い言葉とは反比例して専門家には帝国政府が此度の軍事作戦において降伏者に比較的寛容な待遇を約束する事を暗に示していた。事実、この掃討作戦では上級大将の『温情』を頼りそれ以前に比べ多数の敵兵が降伏する事になる。

 

 オーディンにおける式典の後、『ライヒスネッツ』は各地の総督……地方の式典に映し出す場所を変える。リッテンハイム伯、カストロプ公、ノウゼン侯、ローエングラム伯、カルステン公、カイト伯、ブッホ侯、エーデルフェルト伯……ルドルフ一世により戦乱に荒れる辺境に派遣され、その手腕によって広大な軍管区の総督として君臨し、そして現在は伯爵位以上の爵位と領地を授けられた大諸侯達の式典。誰もが悠々と、堂々とした出で立ちで勝利の演説を行う。それは芸術の域にまで高められ洗練された、民衆を熱狂させる扇動であった。

 

 彼らは一人の例外もなく軍事・政治・経済……あらゆる面でその道の秀才に相応しき才覚と実績を有する指導者であった。時代が違えれば恐らくは歴史に残る大国の建国者であり、神話の英雄であり、諸国に名を知られる名将、あるいは戦乱の時代に終止符を打った王朝の開祖か衰退する祖国を復活させた中興の祖として称えられていたかも知れない。

 

 文字通り全員が規格外の才人であり、だからこそ空前絶後の超新星ルドルフから信認を得る事が出来た者達である。

 

 ティルピッツ伯オズヴァルトもまたその例に漏れる事はない。彼が領内で開いた式典はそれを如実に証明していた。

 

 多数の警備兵に守られた庁舎前の広間には一〇万の領民が集まった。庁舎のテラスにて複数の重臣達が控えると共に彼らの主君たるティルピッツ伯オズヴァルトが豪勢に着飾った軍服で堂々と現れる。

 

「無知蒙昧にして烏合の衆でしかない叛徒共が幾ら徒党を組もうとも恐れるに値する物ではない!皇帝陛下の下、我々臣民が一致団結し己の役割を果たせばそれだけで勝利は我らの手の内にある!!」

 

 伯爵は要点を突いた力強い演説で帝国と皇帝を賛美し、反逆者共を糾弾する。その演説内容はノルドグレーン支局長以下の者達が何度も修正し、伯爵自身幾度も練習を重ねたものだ。

 

「讃えよ!!神聖不可侵なる銀河帝国を!讃えよ!精強なる銀河帝国軍を!最早我らの秩序を揺るがせる脅威なぞこの銀河のどこにも存在しない!!我らが臣民の守護者にして父、銀河皇帝万歳!!」

 

 天に拳を突き上げ伯爵が叫ぶと共に民衆が歓声を挙げてそれに答える。BGMに勇ましい国歌が流れるのは民衆を興奮させるためにタイミングを見計らったものであり、また民衆に潜伏したサクラ達もまた大声で帝国と領主を賛美する事で周囲を誘導する。

 

 俗に言う大衆誘導である。民衆等というものは周囲に流されるし、多くの者達と一体感を感じる事に幸福を感じる物である。

 

 此度の騒乱では叛徒共によって民衆もまた少なからずの犠牲を強いられた。それでも、領主がその急先鋒となり叛徒共を糾弾し、そこに幾つもの心理的効果を狙った小細工を加えればこの程度の扇動は手慣れたものであった。

 

 伯爵が歓声を鎮めさせた後に行われるのは追悼の儀だ。此度の騒乱で死傷した兵士や警官、文官、巻き添えとなった一万人近い市民に伯爵が沈痛な哀悼を捧げる。

 

「諸君達の中にも家族や友を失った者達が居よう。その悲しみは私も共有する所だ。私もまた右腕として長らく頼んでいたケストリッツ官房長官を初め、多くの忠君なる部下達を失った。諸君の受けた喪失の悲しみは私の共有する所である!!」

 

 伯爵の身を裂かれるような悲しげな、しかしそれに耐えようとする気丈な声と態度に民衆は重々しく黙りこむ。

 

 しかし裏事情を知る者達は冷笑したかも知れない。統治府や軍・警察犠牲者の中には実際は叛徒に通じて処理された者、拘束され現在進行系で『尋問』を受けている者達も含まれていたのだから。  

 

 帝国政府の内部に内通者がいたなどと帝国の名誉を汚すような事実はあってはならないし、民衆に事実を公表するくらいならば彼らには名誉の死を遂げて貰う方が遥かに体裁が良かったのだ。死人に口無しである。恐らく冷笑した者達の中では、全てを知る伯爵が一番自身の道化ぶりを自虐していただろう。世の中、知らない事が幸せな事もある。

 

 喜劇は戦功者達の受勲式、そして捕虜となった叛徒共の集団処刑で最高潮となる。特に新市街にてテロ活動等に従事した者達であった。処断される前に拘束された状態で民衆の前に晒され罵倒と投石を受ける。これも民衆の憎悪を駆り立てると共に大衆を纏め上げる小細工の一環だ。大衆を纏め上げるには共通の敵が最も有効である事を伯爵は知っていた。

 

 次いで法務士官がどこか芝居がかった態度で罪状を読み上げ、ギロチン台に首を押し付けられる。ギロチンによる断頭を残虐に思う民衆は少なかった。即死出来るなぞ慈悲深いとすら思っていた。ほんの十年前まで軍閥と犯罪組織が跋扈していたこの惑星の住民達はもっと恐ろしい処刑を為された者達を幾らでも見た事がある。寧ろ帝国と領主のやり方は甘いとすら思える程であった。

 

 振り落とされる幾つもの刃が反逆者達に帝国に反抗する罪に相応しい罰を与える。掲げられる首に民衆が歓声を挙げた。

 

「見よ臣民達よ!これが帝国の下す正義の鉄槌である!!我らは腐敗した連邦政府とは違う!!罪人共にはそれに相応しき罰が与えられるのだ!!帝国の権威の及ぶ限り、如何なる不正も罪も逃れ得る事は出来ない!!正義は今執行された!!」

 

 伯爵の宣言に興奮しながら大衆は応えた。多くの不正と腐敗と理不尽を強いられて来た彼らにとって銀河帝国の執行する『断罪』は平等であり、正義であるように思われた。それ故に秩序をもたらした帝国と、皇帝と、領主に素直に歓声を持って賛美出来た。

 

 心から崇めるように、そして熱病に受かれるように帝国万歳!皇帝陛下万歳!ティルピッツ伯万歳!と叫ぶ大衆……そして、そんな彼らを見下ろした当の統治者は、テラスから消えると共にその顔に険しくし、疲労の色を濃く表していた。そこには明らかに大衆に対する恐怖と侮蔑と、哀れみの感情が見てとれた。少なくともその場にいた家臣団にはそう見えた。

 

「伯……」

「問題無い。次の予定を終わらせるとしよう。……時間は有限だからな」

 

 しかしその表情を伯爵はすぐに消して普段の堂々と、軍人然とした表情を浮かべ、秘書官や補佐官のに予定を尋ねつつ統治府の廊下の奥に消えていく。まだまだ此度の式典の仕事は残っており、彼はその貼り付けた表情を崩す訳にはいかなかった。

 

「………」

 

 僅かに憂いを秘めた瞳でその大きく、しかし小さな背中を見つめた『身辺警護大隊』の隊長はしかし、一瞬だけ目を伏せ、しかし今は自らの職務を遂行するべくその後に続いた。

 

 それだけが今の彼女に出来る精一杯の献身であったから。

 

 

 

 

 

 

 丸一日に及ぶ式典はその最後に統治府内のメインホールで行われた晩餐会でフィナーレを迎えた。伯爵が主要な軍功者や官僚と共に商工組合や運輸組合、現地の地主や帝国本土からの投資家や企業家と立食式の宴会に興じる。

 

 一見煌びやかな権力者の遊興に思えるがそれは違う。寧ろ統治府の者達にとっては戦場であった。領内で生じた戦いで投資家や企業家はこれ以上の資本投下に及び腰になりかねない。商工組合や運輸組合に対しての安全の保障、地元の権力者は特に切実だ。彼らの中には帝国政府への協力で命を狙われた者もいる。

 

 帝国政府が強権的に見えるのは少なくともこの時期においては表面だけのものだ。

 

 未だ帝国の体制は磐石とは程遠い。改革は半ばであり、実を結びつつあるがふとした失敗で全てが失敗しかねない。それを支える経済界との結び付きは帝国政府首脳部の最優先の目標であった。

 

 改革の必要性を説き、地方への投資を促し、治安維持のための軍備増強の支持を取り付ける。特にティルピッツ伯爵領のような辺境においては地元有力者と中央からの融資家の双方の顔を立て、その利害を折衷しなければならない。どちらも領地復興と市民生活の安定のためには不可欠だった。

 

 それ故に統治府が財政難である事を承知してでも最高の酒と料理を振舞い彼らを持て成し、取り成し、笑みを浮かべて接待する。それはある意味苦行に近い。

 

 ……無論、『新無憂宮』で行われている祝宴に参列している者達に比べれば遥かにマシではあるのだが。

 

 日付が変わって漸く宴会が終わっても領主の仕事は終わらない。寧ろ今日一日が式典で潰れたのだ。溜まった書類の確認や決裁の作業が残っている。祝宴で飲んだワインによる酔いを酔い止めで誤魔化し、豪勢な料理による胃もたれは嘔吐剤で胃の中の物を吐き出して解決する。

 

 そして眠気覚ましの珈琲を片手に深夜から一人で執務を始めるのだ。

 

 ……統治府内の巡回を終えたヘルガは執務室の窓が仄かに明るくなっている事に気付き、その部屋の前に足を運んでいた。深夜から執務を始めている事は聞いていたが既に時刻は夜中の三時を過ぎている。本来ならばもう終わっている筈だった。

 

 彼女は執務室の前でノックと官姓名を答え入室の許可を貰おうとした。しかし二度、三度ノックしても返事はない。それ故に僅かに彼女は警戒しつつ執務室の扉を開ける。

 

 どうやら光は執務机の上の電灯によるものであったらしい。そして執務机の上には倒れ込むような人影が見えた。

 

一瞬、危機感と共に駆け寄ろうとするがそれはすぐに止めた。その人影は明らかに身体を上下させて呼吸はしていたし、その寝息には何らの危険な兆候はなかったから。

 

「伯爵様、失礼致します……」

 

 故に頭を下げつつ小さくそう申し出て、非礼を承知で彼女は執務室に倒れこむように眠る『主人』の下に足を運ぶ。

 

 眼帯を巻いた帝国軍中将は、僅かに酒精の匂いの漂う、それでいてその険しい顔立ちに似合わぬ小さな吐息を立てていた。すぐ手元には飲みかけのワインボトルがあった。そのほか、机の上にあるのは無数の書類の山であり、薬品の瓶で……。

 

「………」

 

 そっと手に取った薬瓶のラベルを見やり、ヘルガは無表情なその顔を僅かに悲痛そうに歪めた。

 

 向精神薬に抗鬱剤、睡眠導入剤に胃腸薬、精神安定剤………それらのラベルを読み上げるだけで目の前で睡眠を取る人物がどのような精神状態であるのかが理解出来よう。しかもこれ等の薬瓶だけでは耐えきれなかったのを手元のワインボトルの存在が示していた。

 

 指導者は孤高であり孤独だ。領民や部下の生命と生活の安定の責任を一人でその肩に背負う。迷う姿も悩む姿も見せられないし、無責任に、思考を止める事も出来ない。誰もが指導者に付いていくのだから。

 

 ましてやそれだけの責任を常時背負い、生命を狙われ続けるのだ。いつ殺されるか分からない恐怖……常人には到底耐えられるものではないし、仮に英雄と呼ぶに相応しい者達にも限界はある。

 

「伯爵様……」

 

 殆んど表情を変える事なく、しかし僅かに暗い面持ちで彼女は自らの『主人』の傍らに寄り添い、羽織っていた官給コートをかける。今夜は少し冷える。身体を壊しては大変だ。このままそっと隣の部屋のベッドに運ぼう。だがその前に……。

 

 ヘルガは特に意味もなく『主人』のその寝顔を無表情で見つめる。その感情を伺い知る事の出来ない紅玉色の瞳はひたすら目の前の男を映し続ける。

 

 彼女にとってそれは至福の時間だった。それだけで満足な筈だった。……故にそれに気付いてしまったのは彼女にとっては不幸だった。

 

 ヘルガは、『主人の』右手薬指に目が向いた。白金製のシンプルで品のある指輪が窓の星明かりを反射して光ったのに気づいてしまったのだ。

 

 そして、それから咄嗟に視線を反らそうとすれば執務机に置かれた写真立てを不運にも見つけてしまった。いや、それは必然であっただろう。彼女の記憶が正しければそれは普段は誰にも見られないように机の引き出しの中にあった筈だから。

 

 写真には此方を見つめる女性と子供の姿があった。女性は三十代前半だろうか?鋭い目つきをした気の強そうで堂々とした表情を浮かべる美女で、令嬢と呼ぶに相応しい姿だった。いや、実際令嬢なのだ。話によれば遠縁の資産家の娘で、小さい頃から兄妹同然の仲であったという。

 

 その膝に座り無邪気な笑顔を浮かべるのは十歳にもなってなかろう子供だ。きっと『主人』と写真の女性を足して割ればこんな顔立ちになるのだろう、そう思わされる可愛らしい少年の姿だった。

 

「…………」

 

『主人』がもう何年も家族と、妻子と会っていない事は彼女も知っていた。危険な職場である。総督の家族と言うだけで幾らでも命が脅かされる可能性があった。それ故に家族を守るために安全なオーディンに置いて来たという話を彼女は聞いている。

 

 そして精神的に困憊した際、家族に恋い焦がれる心理を彼女も理解出来た。『主人』が愛妻家であり、子供好きである事も知っていた。

 

 ……そう言えば一度だけオーディンの邸宅まで警護のために訪れた事があった事を思い出す。その時の姿を彼女は忘れる事はないだろう。『主人』のあの穏やかで安らかな表情を浮かべている顔を。

 

 ……彼女があの時以外見たことのない、彼女に絶対に向ける事のない愛しげな表情を。

 

「ぎっ………」

 

 何の理由も無しに彼女は歯を食い縛り、その表情を険しく歪めていた。鋭い、剣呑な視線を写真立てに向けている事に気付きその事実に困惑しながら視線を反らす。彼女は殆んど本能的にこれ以上この事に触れるべきでない事も、そのような感情を向ける資格なぞ一切ない事も理解していたから。

 

 だから自身の感情を誤魔化すように『主人』をベッドまで運ぶために再度呼び掛けを行おうとする。

 

「………伯爵様」

 

 可能な限り無色に、無味に、感情を込めずに彼女は『主人』を小さく呼んだ。その積もりだった。

 

 ……自分でも驚くような敬愛するように、愛しげに、寂しげに、そして甘えるような声が室内に反響していた。ヘルガは自身の失態に気付き、その呼び掛けに答えられる事に恐怖した。

 

「………」

 

 彼女の呼び掛けに答える者はいない。その事はとても幸運だった。きっとあのような声を聞かれる事で一番後悔するのは自分だったから。蔑まれるような視線を向けられただろうから。

 

 ……分かっている。自分のような汚れた存在がその感情を向けるに相応しくない。家柄も、立場も、経歴も、何もかもが釣り合わな過ぎる。

 

 だから自分はこのままで良い。今の関係で良い。武器ならば幾ら汚れてようが何らの問題もない。武器としてならば彼女の存在価値は十分にあり、何も可笑しくなく……傍に居続けられる。

 

 だからそれで良い、良い筈なのだ。そう自身を無理矢理納得させようとして何度か小さく深呼吸を行う。一瞬それは半ば成功を収めたように思えた。しかし……。

 

「………」

 

 脳裏に、小さい頃焼き付いたあの表情が蘇ると塞き止められていた感情の奔流は容易に理性を決壊させた。今一度写真立てに視線が向く。その時にはヘルガの表情は普段の怜悧で能面のようなそれとは完全に別物だった。

 

 そこにいたのは嫉妬と憎悪と、羨望と憧憬の複雑に入り交じる一人の女の姿だった。

 

 殆んど身体が勝手に動いていた。激情に駆られて次の瞬間には写真立てに掴み掛かっていた。そしてそのまま忌々しげに腕を振りかぶって写真立てを床に……。

 

「うんっ……」

 

 僅かに呻いた『主人』の、次の瞬間小さく呟いた寝言に、名前に、彼女の激情は寸前に押し留められた。

 

 ……最も不本意な形で。

 

「………伯爵様、ここで寝ては風邪を引かれます。寝室までお運び致します」

 

 闇夜の中その身体を小刻みに震わせる人影。そして小さく、小さく、何度も、何度も深呼吸を繰り返した後、そこにいたのはいつもと全く変わらない能面顔の従卒だった。これまでで最も感情の籠らない呼び掛けを行うと返答も待たずに炭素セラミック製の義手で『主人』を支える。

 

「うん……あぁ、お前か………まだ…仕事が………」

「然程量は御座いません。明日早くに処理すれば宜しいかと。今行っても効率は宜しくありません」

「そう……か………ああ、分かった………済まないが……寝室まで誘導してくれ……この足では……少し難しい」

「承知致しました」

 

 混濁した意識で『主人』が頼み込むのを恭しく、内心では歓喜に打ち震えながら承諾する。少なくとも『今』はまだ頼られるだけで、求められるだけで、必要とされるだけで彼女は幸福であり、満足だった。

 

 ゆっくりと魘される『主人』の肩を支えてヘルガは執務室を離れていく。

 

「………」

 

 ………特に意味もなく彼女は執務机の上を一瞥した。そして点けっぱなしの電灯を消すと、僅かに逡巡した後に写真立てを倒していた。そしてそのまま彼女は黙々と自身の役割に集中する。

 

 その瞳からは何らの感情も伺い知る事は出来なかった。

 

 

 

 

 ……国内治安体制の改善及び社会保障制度改革のために帝国政府が『劣悪遺伝子排除法』を公布するのは凡そこの三ヶ月後の事である。


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