帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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第一一章 中立国での任務なら生命の危険はないと思ったか?
第百四十六話 初っぱなから回収してみる事にしたって話


自治領主(ランデスヘル)、14時30分より同盟通商商工組合のハオ副会頭との面会が控えております。そろそろ移動するべきかと」

 

 自治領主府の執務室、その机の前に立った浅黒い肌に禿頭の自治領主補佐官は、小さく頭を下げつつ慇懃に報告した。その声は発せられた言葉に比べてどこか粘り気があり、聴く者に謎の警戒感を与える性質があるように思われた。

 

「やれやれ。奴らめ、我々が海賊共の裏にいるとでも思っているのかね?下衆の勘繰りも良い所だな」

 

 補佐官の連絡に、正面に座る老人は鼻で笑うようにそう言い捨てる。海賊共にしてやられるのは自分達の危機管理体制が未熟なだけであろうに。

 

「正面戦力拡充のために随分と航路巡視隊を削ったようですからな」

「そこに帝国軍の残党の流入か。国境も随分荒れたからな、治安も悪くなろうて」

「我らがフェザーンの主要警備会社がこれを機に同盟国内の治安維持サービスのシェアを高めたいと具申しております。つきましては自治領主府からも同盟政府に働きかけを願いたいとも」

「……ふん、成る程な、我々ではなく警備会社の方の策謀か」

 

 タイミングの良い国内警備会社の申し出に自治領主は冷笑を浮かべる。守銭奴たるフェザーン人にとってマッチポンプなぞいつもの事だ。そして、各企業や独立商人共が好き勝手やった後にその責任を自治領主府に押し付ける事もまた珍しくない。

 

 ビジネスは信頼、という言葉があるが、フェザーンにおいてはそれと同じ位には他者を陥れる狡猾さもまた大事であった。ようはバレなければ、あるいは証拠さえなければ握手しつつテーブルの下で相手の靴を足ごと踏み潰そうが一切問題はないのだ。

 

「奴らに言っておけ。火遊びし過ぎるなよ、とな」

 

 やれやれ、と老人は執務室の椅子から立ち上がると、ベランダから一望出来るメガロポリスを一瞥する。天空まで聳え立つ透明な高層ビルの連なり……自治領のセントラル・シティは銀河において最も人口過密なエリアであり、今視界に映っている都市部だけでも軽く一〇〇万を超える市民が経済活動に従事している事だろう。

 

「……さて、その後の予定は何だったかな?」

 

 老人は執務室を出てレッドカーペットの敷かれた廊下を歩きつつ尋ねる。

 

「15時15分から帝国穀物公社のシュヴェンクフェルト総裁との投資計画についての意見交換会が控えております。その後17時よりスターリング財閥のジョンストン氏との会食が予定されております」

「意見交換会……?ああ、あれか。氷の塊を農業用水にして輸出用作物のプランテーションを作ろうとか言う……」

「我々としても安価に食糧を外縁部に密輸出来るわけですか。成功すれば」

 

 どこかあげつらうような表情を浮かべる補佐官。

 

「含む言い方だな?」

「私としても採算が合うのか試算してみたのですが……現状のままでは収益を上げるのは簡単ではないかと」

「そんな事、百も承知よ。それをどう採算に合う事業にするかが我々フェザーン人の知恵の見せ所だ。利益は掠めとるものではなく自ら作り出すものだ。それがビジネスというものよ」

 

 若造を指導するように老人は注意する。この補佐官の知謀自体は彼も決して過小評価していなかった。寧ろかなり高く評価している程だ。

 

 しかし、同時にこの男の知恵は創造的というよりも寧ろ破壊的に思えるのも事実だった。謀略家としては超がつく程に一流でも、政務を行い祖国を発展させる指導者としては二流と言わざるを得ない。

 

 老人からすればその覇気と共に気性も抑えられたならば次の次の自治領主に相応しいと考えているのだが………。

 

「……ビジネスと言いますと、そう言えば同盟政府より融資の話が来ておりますな」

 

 補佐官は上司の僅かな感情の機敏を察したのか態とらしく話題を変える。しかし老人はそれを咎める事はない。その話題はその話題で極めて重要なものであったから。

 

「……使節団が此方に向かっている筈だったな?」

「日程通りであれば今頃ランテマリオ星系近辺かと。到着は10月半ば頃になりましょう。……お請けになられるので?」

「私としてはそうしたい所だがね」

「僭越ながら、近年の自治領主はあからさまに同盟を贔屓し過ぎに見えますが。帝国は当然として不必要な接近は元老院、それに『教団』からも疑念の視線が向けられ始めております。そろそろ方針転換を行うべきでは?」

「ふん、馬鹿馬鹿しい」

 

 補佐官の意見を、しかし自治領主は冷淡に切り捨てる。

 

「奴らは所詮井の中の蛙よ。フェザーンが上手く帝国と同盟を転がせていると本気で勘違いしておる」

 

 自治領主府の正面フロントを出る老人。そこには既に自治領主専用の防弾仕様の高級地上車があり、その前後をフェザーン警備隊所属の装輪装甲車が護衛している。周囲には黒服を着こんだシークレットサービスが警備に就いている。

 

「所詮我らフェザーンは帝国と同盟に挟まれた一惑星に過ぎん。我らの策謀だけでは勢力均衡の維持は困難だ。我らは利用価値があるから存続を許されているに過ぎん。………そして戦争が帝国の勝利に終わるのだけは何としても避けなければならん」

 

 そこに強い意思すら込めて老人は断言する。どんな形であれ、フェザーンがこの二大超大国同士の戦争の後も生き残るには、同盟が勝利する以外の道はないと彼は信じていた。

 

「『奴ら』に言っておけ。自治領主府はフェザーンのために最良の選択を取り続けていると。安全地帯で無責任に命令する貴様らの指図を受ける必要はないとな」

 

 第四代フェザー自治領自治領主ゲオルキー・パプロヴィッチ・ワレンコフは宣戦布告とも取れる言葉を口にする。それは老人がフェザーン自治領成立の最初期の市民を先祖に持つ生粋のフェザーン民族主義者である事を改めて証明する行動であった。

 

「……承知致しました、自治領主」

「うむ、元老院の方は私が調整しよう。君は使節団の歓待計画でも作成しておいてくれたまえ」

 

 老人は補佐官にそう命じた後、地上車に乗り込んだ。地上車は間を置かずに同盟通商商工組合幹部との会談を予定している『ホテル・バルトアンデルス』に向けて発車する。

 

 自治領主補佐官はそんな自治領主に頭を下げながら見送りする。

 

「やれやれ……老いましたな、自治領主殿も」

 

 地上車が去ると共に小さく自治領主補佐官は呟く。昔はもう少し慎重な人物であったのだが……どうやらもう歳らしい。明らかに焦っているのが彼には分かった。

 

 補佐官は踵を返して自治領主府へと戻る。同時にその脳内では今後に生じるであろう出来事をシミュレートし始める。

 

(帝国と教団と、同時に事を構えるか……十年前ならば兎も角、今の自治領主では到底無理だな。さて、問題はどのタイミングで消えるかだが……)

 

 若い頃からその才気を買われ、自治領主府幹部とするべくワレンコフ直々に手塩にかけて指導された男は、しかしフェザーン人らしくその事に恩義を感じる事もなく、その恩人がこの世から消えた後の状況にどれだけの利益を得ることが出来るかを計算していた。

 

 ……いや、仮にワレンコフにかつての如く覇気と才気が満ちていれば、この男もその感度の低い忠誠心を少しは刺激されたかも知れない。

 

 だが、今の自治領主では駄目だ。少なくとも今の小手先の手段ばかり上手いあの老い耄れでは全力で襲い来る『教団』や帝国の暗部には到底太刀打ち出来まい。それと心中する程彼はロマンチストではない。

 

 それ故に補佐官は考える。自治領主亡き後、どうするべきかを。

 

「決まっている。男たる者、生まれたからには野望に生きねばな?」

 

 ニヤリ、と不敵な笑みを浮かべたフェザーン自治領主補佐官アドリアン・ルビンスキーは懐の携帯端末を取り出してダイヤルを合わせる。電話の相手は彼の情婦であり、野望の協力者である。

 

 黒狐は周囲に聞き耳を立てる者が居ないことを念入りに確認した後、携帯端末の向こう側の人物に指示を出し始めた……。

 

 

 

 

 

「此方第一九〇八哨戒隊、定時報告異常無し。引き続き哨戒任務に当たる」

 

 ランテマリオ星系第六惑星近辺宙域を哨戒中の第19星間航路巡視隊所属第一九〇八哨戒隊旗艦巡航艦『キプロス8号』のオペレーターは、第19星間航路巡視隊司令部にそう電文を送った。

 

 宇宙暦790年9月3日、第一九〇八哨戒隊所属の巡航艦三隻、駆逐艦一二隻は交易航路を襲撃する宇宙海賊対策のために定例哨戒を実施中であった。

 

 星間航路巡視隊は一般市民にとって星系警備隊と同様最も身近に存在する同盟軍実戦部隊である。対帝国戦を主任務とする正規艦隊、番号付き地上軍と違い、星間巡視隊は文字通り宇宙海賊等に対する航路の警備に民間船舶の警護、事故や宇宙災害に対する救難活動を主任務としている。

 

 即ち、星間物流の守護者である。星間国家にとって物流網は社会経済の根幹に他ならない。その任務は市民生活と密接であり、故に一般市民にとっては第一線部隊よりも遥かに親しみがある部隊とも言える。

 

「索敵班、どうだ?小判鮫達はついて来てるか?」

「ええ、ばっちりです。がめつい事ですよ」

 

 艦長の確認に艦橋のオペレーターは呆れ気味に答える。

 

 同盟軍の定例哨戒は一般にも公表されており、そのためこの機に無料で護衛してもらおうと時間を合わせて航行する民間船も少なくない。実際第一九〇八哨戒隊の索敵レーダーは十隻以上の民間船舶を確認していた。

 

「たく、警備会社の護衛を雇えばいいのにケチな奴らだな」

「そう言うなよ、去年の作戦で随分とジャガイモ野郎共が散らばったからな。警備会社よりも軍に護衛してもらった方が安全なんだろうよ」

 

 昨年の『レコンキスタ』により同盟軍は占領地域の大半を奪還したが、帝国軍の残党は宇宙海賊や反同盟勢力に装備ごと合流し星間航路におけるゲリラ活動を継続している。そのあおりを受け保険料や警備会社の護衛費は鰻登りで、大手運送会社は兎も角、船を一隻失うだけでも破産しかねないような中小個人事業主からすればその負担は非常に重荷となっている。ならば多少運送効率が悪くなっても同盟軍の哨戒にただ乗りした方が良いという訳だ。

 

「いやいや、同盟船舶ならまだ良いが……何でフェザーンの奴らまでついて来てるんだよ。あいつら税金払ってねぇだろうが」

「守銭奴らしいじゃねぇか。普段俺ら同盟人を笑っていて厚顔無恥に頼るなんてよ。いざ目の前に海賊共が出れば嫌でも戦うしかないからな、商魂逞しい事だ。まぁ、『パレード』が終わるまでの我慢だ。諦めようぜ」

 

 オペレーター達は紙コップの珈琲を飲みながら雑談を交わす。腑抜けているようにも見えるが、そもそも宇宙海賊なぞ武装民間船、良くて大型戦闘艇や駆逐艦程度の武装が関の山だ。電子戦能力に至っては軍用艦艇とは勝負にならない。数もそんなに多く無かろう、先手を打たれるなぞ滅多にないし、打たれたとしても後手でも対処出来る。帝国軍の残党が合流したり武器の援助もあるため油断は出来ないが……それでも四六時中張り詰める程の事ではない。

 

 それに既に大規模辺境正常化作戦『パレード』が始まり各地で大部隊が宇宙海賊掃討を行い始めていた。

 

「哨戒の頻度は三倍、哨戒担当部隊は二倍になったからな。しかも新型が漸く此方にも来た。そこに手当てもついたのだから言うこと無しだな」

 

『キプロス8号』の艦長は顎を擦りながら機嫌良さそうにする。その視界はスクリーンが捕捉している友軍の単座式戦闘艇に向かっていた。グラディエーターと共に真空の宇宙を駆けながら周辺警戒を行うのは真新しいスパルタニアンだ。巡視隊は警備隊程でないにしろ全体として旧式装備が多い。『キプロス8号』に配備されたスパルタニアンは第一九〇八哨戒隊に初めて配備された物である。

 

 哨戒頻度が増えれば航海手当が入る。大軍が展開すれば自分達の任務の危険度は下がる。そこに新装備が加われば巡視隊からすれば言う事無しだ。

 

 緊張感のない空気が艦内を満たす。それを打ち破ったのは管制官の言葉であった。

 

「っ……!重力場の異常確認!空間座標は……3-7-6!!」

「ワープかっ!!航路局からの交通予定記録はっ!!?」

 

 同盟領域内の主要航路を航海する民間船舶は同盟航路局の管轄下にある。出航時に航行ルートと立ち寄り先、到着予定日時等を事前提出し、定期的に連絡を行う事になっている。即ち、その記録にない艦艇は民間船舶ではない、つまりは宇宙海賊のそれである可能性が高い訳だ。

 

「航路局に問い合わせ中!!民間船舶に同時刻に本宙域にワープアウト予定の艦艇無し!!」

「全艦、第一級戦闘準備!!」

 

 オペレーターからの報告に艦長は先程とは打って変わって険しい剣幕で叫ぶ。艦橋の兵士達もその表情を強張らせて艦を第二級警戒態勢から第一級戦闘態勢へと移す。艦の自動航行システムを切り、各レーダーと通信機材、エネルギー中和磁場の出力は最大とする。電子戦の準備を行うと共に艦首の砲門が開き射撃管制装置が起動する。それらを瞬く間にこなして行く姿は彼らが確かに高度な訓練を受けた軍人である事を物語っていた。

 

 光学カメラが漆黒の空間の一角に捩れを確認する。CGで補正された映像が巡航艦のスクリーンに映りこんだ。宇宙艦艇によるワープアウトの際に生まれる空間の乱れである。

 

「主砲、照準合わせっ!!」

「航路局より入電!戦闘態勢を解いて下さい!」

 

 緊張しながら艦長が命じると同時に通信士が慌てて叫ぶ。艦長がその言に殆んど反射的に反応し、急いで各艦艇に主砲の照準を止めるよう通達した。

 

「同盟航路局第19星間航路支局より入電です。現宙域にワープアウト予定の船団はレベル5級機密予定船舶であるとの事です。船団との通信はせず、周辺民間船舶に対して箝口令の発令を行うようにとの事」

「レベル5だと?これはまた珍しいな」

 

 航路局の船舶航行予定記録はレベル1からレベル7まで大別される。一般市民の所有するクルーザーならレベル1、大手運送会社が戦略的鉱物資源を満載する運送船団ならばレベル4、最高評議会議長の乗船する政府専用クルーザーならレベル7となりその航行予定が機密とされる。とは言え一般的にはレベル4より高い機密を課せられる船舶と鉢合わせするなぞ滅多にない事だ。それ故に艦長以下の乗員達は純粋な興味からワープアウトしてくる艦艇に注目していた。 

 

 レーダーはまず複数の小型艦艇のワープアウトを確認した。敵味方識別信号が発動し、姿を現したのが同盟宇宙軍の駆逐艦である事を証明する。次いで巡航艦、そして戦艦。

 

「うおっ!?空母までとはたまげたなぁ」 

 

 一隻だけとは言え、全長一キロに及ぶラザルス級宇宙空母がワープアウトした時には艦橋の兵士達が驚愕した。艦の下方に百機余りのスパルタニアンを満載したその姿は圧巻であるし、その航空戦力を含めた火力は運用次第では一個戦艦群を瞬く間に撃滅するだけの潜在力を有していた。

 

 総数にして三〇隻近い護衛、この辺りの航路が最近治安悪化しているとは言えここまで重装備の護衛部隊はそうそう御目にかかる事は出来まい。

 

「贅沢な事だなぁ」 

「最後の艦船がワープアウトする模様です。敵味方識別信号に反応、同盟政府国防委員会所属、公用クルーザー『メイフラワー』!」

「国防委員会所属か……」

 

 オペレーターの報告に艦長が呟く。艦橋スクリーンにはワープアウトを終えた全長四〇〇メートル程のクルーザーの姿が映っていた。

 

「あの方向から見ると……フェザーンが目的地か?」

「豪華な船だなぁ、きっと飯も旨いんだろうな」

「こちとら仕事で忙しいのにあんなに護衛を連れてフェザーンか。羨ましい限りだねぇ」

 

 艦橋の兵士達が愚痴半分にぼやく。同盟議員が適当な理由で接待尽くしの『フェザーン詣で』に向かうのは良くある事だ。とは言え、前線で激戦が続き後方では宇宙海賊との暗闘が続く中、悠々とそれをやられると兵士達も思うところがある。

 

「お前達、口より手を動かせ!ほらほら周辺警戒を怠るな!近隣船舶に回線繋げ!離れるなとな!商人共、あっちの方が護衛が豪勢だからって浮気しようとしているぞ!砲門向けてでも阿婆擦れ共を連れ戻せ!」

 

 艦長がそんな部下達に叱責すれば彼らも我に返り仕事に戻る。その姿に溜め息を吐き、艦長はベレー帽を脱いで頭を掻くと改めてスクリーンを見つめる。

 

「やれやれ、仕事が増えそうだなぁ」

 

 第一九〇八哨戒隊司令官兼『キプロス8号』艦長クリント・ザーニアル中佐は厄介事を持ち込んでくれた公用クルーザーを一瞥すると胡乱気に指揮官としての仕事……民間船舶からの苦情対処に取り掛かる事にしたのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 所謂『長征一万光年』と称される大航海に参加したのは当時のアルタイル星系第七惑星東大陸ノイエ・パーペンブルク第二級強制収容所(コンツェントラツィオンス・ラーガー)にて鉱物資源の採掘・精錬・加工労働に従事していた三九万一〇二八人の奴隷と同じくアルタイル第七惑星の山岳部や地下に隠れ住んでいた流浪民一万三二九人の合計四〇万一三五七人であると言われている。

 

 実の所、この脱出計画は『建国神話』で語られている内容とは若干違う。ある意味で現実はより詰まらないものであり、またある意味では神話以上に運命的なものでもあった。

 

 まず脱出計画が三ヶ月で計画された事自体が大嘘だ。当然ながら僅か三ヶ月で社会秩序維持局の監視の目を逃れて四〇万人と協力し、船体をドライアイスで代用するにしても宇宙船を作り出すのも、航海中の物資を貯蔵するのも不可能だ。

 

 実の所、宇宙船の建造自体はもっと昔から行われていた。それを行っていたのが『建国神話』にて抹殺された流浪民達である。

 

 連邦末期から帝政初期にかけてルドルフの強権政治を嫌い辺境にて作られた独自の閉鎖的コミュニティ、そこに逃亡奴隷達が加わって形成されたのが流浪民達だ。

 

 帝政初期の時点で十数億人が存在し、その後過酷な生活環境や疫病、宇宙海賊やマフィアの人狩りやそれに伴う帝国政府への帰順により現在は帝国国内に数千万程しか残存していないと見られる彼ら。当時のアルタイル星系第七惑星にも数万人が居住していたとされるが、建国神話ではハイネセンの神性を補強するためか余り触れられる事はない。

 

 彼らと帝国政府は基本的に互いに関知しない間柄ではあったが、現場レベルでは時として帝国政府が彼らを雑務や奴隷の監視役に雇い入れたり、あるいは廃棄された機械等のスクラップを売却する等の関わりも有しており、ノイエ・パーペンブルク第二級強制収容所もまた人手不足な辺境の強制収容所という事もありその例から外れる事は無かった。

 

 イオン・ファゼカス号内部の機械類の殆んどは彼らが一世紀余りかけて組み立てて来た宇宙船が基である。極寒の惑星からの脱出のために買い取っていた機械類を分解して流用、あるいは一部の部品は工作機械を使って自作し、密かに移民船を組み立てていたのだ。無論、最も多くの金属を使う必要のある船体材料の量が足りず、また技術者の絶対数が不足しており彼らの計画も長らく中断されていたのだが。

 

 祖父は社会秩序維持局の職員として共和主義者や不満分子の弾圧に精励して帝国騎士に列せられた新興貴族であり、父は男女関係の縺れから門閥貴族の息子を殺害し処刑、その罪の連座より生まれてすぐに奴隷に落とされた青年アーレ・ハイネセンは祖父の躾により宮廷貴族語や礼儀作法を身につけ、その一方でカスパー一世短命帝崩御……当時は退位して行方を晦ましたなぞ発表されていなかった……の混乱に乗じて勃発した『シリウスの反乱』参加の咎で奴隷階級に落とされた長老グエン・ウォン・ファンから極めて正確な民主主義の思想と精神を学んだ。

 

 また、その出自から比較的看守達の監視が緩かった(奴隷達の間で待遇に差をつけて結束を阻害するという帝国の奴隷政策も原因ではある)彼は、子供の頃に偶然怪我をして遭難していた流浪民を助け出した事を切っ掛けに彼らのコミュニティと交友を深めた。その一方で奴隷仲間達にはそのコネを使い医薬品等を無償で分け与え、また類い稀なリーダーシップを発揮して幅広い同胞からの信頼を得ていたとされる。

 

 そして偶然流浪民達の建造する宇宙船の秘密を知ったハイネセンは、数日前に一人の少年が遊んでいた氷の船を思い出しドライアイスを船体に活用する事を思い付いた。

 

 流浪民の棟梁ルキウス・ジョアン・パトリシオや幼馴染みでもあるその一人娘エミリアを説得しハイネセンは以前から胸の中に抱いていた計画を実行に移す。

 

 この頃、若くして奴隷達の自治会幹部となっていたハイネセンは親友たるグエン・キム・ホア、あるいはザカリー・エドワーズ、アンソン・アッシュビーと言った自治会の長老格に宇宙船による流刑地脱出計画を密かに持ちかけた。ハイネセンは異常なまでの熱心さで自治会を説き伏せ、遂に自治会は奴隷の技術者や工員を事故死に偽装をして流浪民達の宇宙船建造に協力させる事を決断する。同時に密かに航海に必要な物資も集めていく。

 

 しかし宇宙船の完成率八割の所に来て遂に社会秩序維持局に計画の尻尾を捕まれかける事になった。奴隷共の計画を知るべく幾人かの同志が社会秩序維持局の拷問官に『尋問』される事になる。

 

 ……計画が露見すれば全ては終わる。自治会内で今後の対応について紛糾する中、拷問にかけられる同胞が自白する事を恐れた脱出計画参加者達の内の過激派が動いた。

 

 武装……その殆どはスコップとニードルガンだった……した奴隷達は看守として雇われていた流浪民達の協力を得て監獄を襲撃し、通信機材を破壊して外部との連絡を断った。この襲撃に参加した奴隷達は四万を超えるとされている。

 

 千人余りしかいなかった看守達はその殆どが就寝中であったため皆殺しの憂き目にあった。生存者は僅かに十数名、その中には後の帝国内務尚書として共和主義者の大弾圧を行うクリスティアン・フォン・オーテンロッゼ公世子、その腹心であり第二八代社会秩序維持局局長となるフーベルト・ルッツの名も存在する。また一部の看守達は激しく抵抗し、奴隷達にもまた三〇〇〇名以上の死者が出た事も記録されている。その中には自治会自警団団長アイザック・ラップの弟でありアーレ・ハイネセンの親友の一人だったカーチス、イオン・ファゼカス号の船体となるドライアイスの山脈を刳り貫く掘削工事総監督責任者であったアンガス・アラルコンが含まれている。

 

 激しい戦いの末、奴隷達は拷問に掛けられた同志の解放に成功、そして過激派の暴挙によって最早後に引けなくなった彼らは他の流刑地の看守達や帝国軍が察知する前に闇夜に紛れて未完成の宇宙船に乗り込んで、文字通り殆んどヤケクソ気味になりながらイオン・ファゼカス号を宇宙へと打ち上げた。

 

 当時の技術者の記録では二割の確率で途中で推進材が切れて山岳部に墜落、一割の確率で打ち上げ途中で船体が衝撃で爆発四散すると計算していたという。宇宙船打ち上げ最中の船内管制室の通信記録は罵声と悲鳴の嵐だった。グエン・キム・ホアに至っては成層圏近くで船体の一部(全長数キロ)がボロッと乾燥したクッキーの如く罅割れて落ちた際に絶望の余り気絶し、失禁した事が記録されている(同時にエミリア・ジョアン・パトリシオは「こんな酷いアンモニア臭のする室内で死にたくない!」とガン泣きした)。

 

 このように文字通りイオン・ファゼカス号の打ち上げはかなり成功率が低い一世一代の賭けであったが……少なくとも彼らは『打ち上げ』の賭けには勝利した。

 

 だが幸運は続かない。イオン・ファゼカス号は成層圏突破と共に偶然衛星軌道を哨戒していた帝国軍と鉢合わせしてしまう。

 

 幸いな事に事前に何も知らされなかったために、いきなり目の前で打ち上げられた巨大なドライアイスの塊に帝国軍は相当混乱したとされている。逃亡者達はその隙を突いてイオン・ファゼカス号を急いでワープさせる。

 

 エンジンに向けて混乱しつつも乱射された帝国軍の砲撃が命中する直前、ギリギリに一度だけワープは成功、しかし元々安全性に不安のある未完成エンジンである。ワープアウトして通常空間に出ると共にエンジンはド派手に吹き飛んだ。

 

 その後ボロボロの宇宙船でどうにか帝国外縁部の無名の惑星の地下に隠れた逃亡者達、彼らはそこで資源を回収し、あるいは偶然通りがかった宇宙海賊達と取引、あるいは襲撃により機材と人員を(強制的に)調達、最終的に八十隻の恒星間移民船を建造し帝国の支配の及ばない宙域への半世紀に渡る大航海を開始した。

 

 後は歴史書に記された通りだ。危険なイゼルローン回廊を抜ける途中の事故でアーレ・ハイネセンを失い、求心力を失った船団は幾つかに分裂した。グエン・キム・ホアの率いる最大派閥の船団は宇宙海賊や旧銀河連邦植民地との幾度かの小競り合いの果てにバーラト星系惑星ハイネセンを見いだして入植、そして各地に散らばる同胞を纏め上げ星間連合国家『自由惑星同盟』が建国される事になる。

 

「しかし一般に流布されている『建国神話』ではハイネセンの出自はおろか、流浪民の存在も、宇宙船建造の経緯も、脱出計画を主導した当時の自治会の代表達の功績も、大航海中の内部対立とそれを遠因とするハイネセンの事故死、それによる醜い船団分裂すら殆んど触れられない有り様だ」

 

 政府所有の公用クルーザーの晩餐室にて、円卓を挟んで向かい合うヨブ・トリューニヒト国防委員は実に興味深そうな表情で自由惑星同盟の始まりの『神話』について語った。その手元には長征の民が航海中に愛飲したとされる合成アルコールに香料を突っ込んで作り出した代用赤葡萄酒こと、アライアンス・ワインが注がれたワイングラスが掲げられている。

 

 宇宙暦790年9月3日に行われた船内晩餐会は正直私にとっては愉快なものではなかった。

 

 理由は四点もあった。一つ目は私の右耳はまだ再生治療の途中で包帯巻きの上、義手が急ぎのためアーム型の安物であり見栄えも手の動作も余り宜しくなかった事。二つ目はワープアウトにより(公用クルーザーのためかなりマシではあったが)軽いワープ酔いにかかっていた事、三つ目はそんなコンディションで食事メニューがアライアンスであった事である。

 

 そして、最後の項目にして最大の理由が食事を共にする出席者達の面子のせいであった。

 

「さて、ではどうしてこのような史実と異なる『建国神話』が成立したか分かるかな?」

 

 私の内心のストレスを知ってか知らずか、トリューニヒト議員は含むような笑みを浮かべ私に質問した。

 

 私は暫しトリューニヒト議員の表情からその質問の真意を汲み取ろうとする。だが目の前の食えない政治家の俳優のような甘い微笑みからその意図を察するのは非常に困難だった。故に、私は客観的かつ現実的な『模範解答』を答える。

 

「過去の偉業が単純化されたり、あるいは誇張して伝わるのは歴史的に見ても良くある事ではありますが……それ以上に考えられるのはそれが都合が良かったのではないでしょうか?」

「ほぅ?」

 

 楽しげに此方を見つめる議員殿であるがそれは本音ではなかろう。寧ろ内心で私の答えを在り来たりなものと感じていた筈だ。

 

「同盟の歴史は分裂と内戦の危機の歴史です。仰る通り、長征時代には流浪民と奴隷の対立、そして帝国による奴隷間の待遇差からの相互不信がありました」

 

 それを辛うじて指導力で纏めていたのがアーレ・ハイネセンであるが、その彼が失われれば船団の分裂は必定であっただろう。

 

「自由惑星同盟建国時もその対立は続きました。バーラトの中央政府と途中分離して諸惑星に入植した同胞との感情的な、そして政治経済的な対立がどれだけ激しかったかは専門書籍を見れば一目瞭然でしょう」

 

 無論、今時その専門書籍を態態読み込む同盟市民はそう多くないだろうが。なんせ、二五〇年以上前の出来事だ。前世で言えば江戸中期の出来事について態態調べるようなものだろう。同盟の政府指定教科書の大半がこの時代についてかなり簡潔にかつ暈して記述しているのは神話程に市民が団結せず、寧ろ利権や政策を巡り激しく対立しあっていたからだ。

 

「『建国神話』が成立したのは拡大期でしたね?高度経済成長が続いた黄金時代と説明されてはおりますが、当然ながら拡大が万人に利益をもたらした訳ではない事は私も理解しております」

 

 旧銀河連邦系の植民地勢力や宇宙を流浪する商人兼宇宙海賊達を取り込む中で当然対立が生じた事も、それが当時の長征の民達の連帯を悪い意味で促した事も幾度も触れてきた。

 

 ……いや、そもそも同盟の拡張政策自体が内部対立から市民の目を逸らさせる事が理由であったとの主張すら一部の反同盟派からは提唱されている。卵が先か鶏が先か……兎も角も『外敵』の存在が後にハイネセン・ファミリーと称される建国以来の名家達の団結に寄与したのは間違いない。

 

 同盟の急速な拡張はハイネセン・ファミリーに莫大な富をもたらした。しかし、人口的に圧倒的多数派の『余所者』を国内に引き入れた事実、そして彼らに対して経済的・政治的抑圧を加え続けた事は結果として反同盟抗争の激化を招き、『狂乱の580年代』バブルの発生とその崩壊、幾つかの政治的スキャンダルと相まって最終的にハイネセン・ファミリーは彼ら『余所者』に妥協し対等の立場を約束せざるを得なくなった。『607年の妥協』である。

 

「『607年の妥協』から銀河帝国との接触までの三〇年余りの時代はその後の同盟史において最も重要でした。妥協の成立が旧連邦の植民地の安定に繋がり、また同盟外縁部の反同盟勢力の懐柔と加盟を促進しました。経済的にも各種の規制が撤廃され交易や開発が拡大した結果、同盟経済は再び上向きの成長を開始し今の同盟社会を支える中間層の増大に繋がります」

 

 この時期の(表面的な)国内対立の解消と同盟加盟国の飛躍的増加、それに伴う人口増加と経済成長、それによる税収増加や科学技術の発展が無ければ同盟は帝国と接触するまでに曲りなりにも対抗しえる国力を得る事は出来なかっただろう。

 

「そして妥協の成立、帝国との接触は『建国神話』を一層補強しました。前者の時期においてはハイネセン・ファミリーと現地人との対立を煽り折角の経済の上向きに水を差したくなかったから。後者の時期は圧倒的国力を有する帝国との全面戦争に際して挙国一致体制の構築のために……ですよね?」

 

 特に多種多様な惑星出身の者が集まるバーラト星系においてはその傾向が顕著だ。同盟史は幾らでも歴史問題の火種がある。下手に突いて対立を再燃させる必要もない。同盟の歴史教育はアルタイル星系脱出からダゴン星域会戦までを妙に抽象的かつ簡略に終わらせている。義務教育に至っては態々地球の人類のアフリカ誕生から始められ、大概連邦末期の独裁者ルドルフの台頭からイオン・ファゼカス号脱出辺りに触れた頃合いで最後まで終われず卒業、なんて事が良くある有様だ。『同盟人の近代史離れ』等とフェザーンでは言われ社会問題として取り上げられる事も珍しくない。

 

「一切主観的判断のない学問的説明、大変御苦労だった……というべきかな、大佐?それとも伯世子殿と呼ぶべきかね?」

 

 一連の私の説明に対してしわがれた声が問う。その声の主は私とトリューニヒト議員と共に円卓を囲み、大蛙ステーキの無重力栽培トマトソース添えを食べ進める白髪の老学者であった。

 

 同盟国立中央自治大学学長にして法学・政治学教授、エンリケ・マルチノ・ボルジェス・デ・アランテス・エ・オリベイラ氏は、その発した単語に比して若干憮然とした表情を浮かべていた。無論、その理由は分かっている。先程までの話と解釈に私個人の意見は一切含まれてはいない。寧ろ………。

 

「オリベイラ先生の『近代サジタリウス政治史論』からの抜粋かな?内容は良くてもコピペしては論文として落第ものだからねぇ」

 

 私も先生の論文を参考にし過ぎて怒られたものだ、とトリューニヒト議員は苦笑する。

 

「士官学校の社会学で教授の著書を勉強させて頂きました。こういっては何ですが、教授の論説は完成度が高過ぎて独自解釈の余地が少な過ぎます。後世の学者方に仕事を奪ったと恨まれないか心配な程です」

 

 私は御世辞半分、本音半分と言った具合でそう答える。

 

 実際、この言は誇張ではあっても虚構ではない。オリベイラ教授の法学・政治学著書の多くは同盟・フェザーンの学会において極めて高い評価を受けており、宇宙暦8世紀における最も偉大な学者・政治顧問の一人として評価されている。

 

 その研究姿勢は同盟人よりも寧ろフェザーン人に近いとされる。イデオロギー的な固定観念が薄く、中立的かつ多面的な視点から膨大な資料を調べ上げ、徹底的な理詰めで分析を行うその姿勢は、特に長年反帝国を基軸とし銀河連邦を過剰に理想化する『バーラト史観』が蔓延していた当時の同盟学会において激しいバッシングを受けたものの、宇宙暦750年代に初の純粋な非ハイネセン・ファミリー出身の最高評議会議長トマス・ミラード・ガーフィールドの顧問の一人として同盟経済の高度成長と地方・文化対立の緩和で手腕を示した。

 

 760年代にはフェザーン商科大学の近代商法学の外部委託講師として評価を受けつつワレンコフ自治領主等自治領主府要人に対する親同盟政治工作仲介に従事、その後同盟国内におけるサイオキシン麻薬蔓延問題の対策顧問に抜擢、宇宙暦771年にフレデリック・ジャスパー退役元帥を初め多くの著名人が事故死したロイヤル・アラスター号事件における功績が認められ同盟政界の最重要ブレーンとして認められた。

 

 そして宇宙暦773年以降、同盟軍士官学校、ハイネセン記念大学に並ぶ名門中の名門大学『同盟国立中央自治大学』の学長に就任、以来現在に至るまで派閥とイデオロギーの垣根を越えて同盟の著名な官僚・政治家・企業家等を育て上げて来た。フェザーンの政財界にも顔が利く。その政治的影響力はたかだか同盟軍の一大佐では到底歯が立たないだろう。ぶっちゃけるとこうして食事を一緒にしたくない。下手な事を口にして魔術師宜しく何かの陰謀の際に生け贄にされたくなかった。

 

 一方、教授の方がその憮然とした表情を一層不快そうに歪める。

 

「全く、門閥貴族らしいと言えばらしいが警戒心の強い事だな。そこまで怖がらんでも取って食いはせんと言うに」

「利用価値のある内は……でしょうか?」

「私を何だと思っているのかね?」

「同盟政界の四大妖怪の一人じゃないですかね、先生」

「貴重な発表会よりも鳥人間コンテストを優先した君のような人物が我が国の国防委員で今回の特使代表と言う事実に私は亡国の運命を幻視するよ」

 

 ふざけ気味に横槍を入れたトリューニヒト議員に対してオリベイラ教授が辛辣な言葉を吐き捨てる。ちょっと教授、その幻視、冗談だと笑えないんですけど………。

 

「曲がりなりにも孫が世話になったようだからな、そうぞんざいな態度を取る程礼儀知らずではない。……そもそも最高評議会もいつまで私を政治の世界に引き摺りこむ積もりなのかね?お陰様で次の学会までに作成中だった研究発表が間に合いそうにない」

 

 心底機嫌悪そうにする教授。その態度は、少なくとも表面上は演技には見えない。

 

 オリベイラ教授のこのフェザーン極秘使節団における役割は使節団のアドバイザーと仲介だ。特にフェザーン学会の政治・経済御用学者達を通じて自治領主府やフェザーン元老院に『目的』の達成のために働きかける役割が期待されているらしい。

 

「確か世間向けの訪問理由はお孫さん……ミゲル教授に会いに行くためでしたか?」

「うむ、フェザーンの学会で博士号を取得したらしいからな。全く、ハイネセン記念大学に行くわ、惑星地理学なぞ学ぶわ、とんだ放蕩息子な事だ」

 

 オリベイラ教授は愛憎織り交ぜた複雑な表情で切り分けた蛙の足肉を口に放り込む。オリベイラ家の出身者は代々政治学や法学、経済学、経営学と言った分野で活躍してきた。ましてハイネセン記念大学は同盟国立中央自治大学とは優秀な学生の奪い合いという意味で永遠のライバルのような間柄だ。その一方で孫の栄達が嬉しくない筈も無く。祖父としては複雑な気持ちであろう。

 

「ミゲルさんの方も気に病んでいました。その上で今の生活の方が性に合っているとも聞きました。部外者の身で口を挟める立場ではありませんが……私個人としてはあの方は優秀な研究者だと考えます」

 

 私はやんわりとお孫さんの方のオリベイラ氏をフォローする。私の方は兎も角、彼の方は義理堅い性格で毎年クリスマスカードを送ってくれるような人だ。性格も決して劣悪な人物ではない。少し位は擁護するべきであろう。

 

「むぅ……その程度言われんでも分かっておる」

 

 しかめっ面で、しかし困ったような表情も浮かべそそくさと逃げるように糞マズのアライアンス・ワインを呷る教授。トリューニヒト議員が小さく耳元で「船に乗る前にどう孫に会うべきか私にしつこく意見を聞いていたんだよ」と教えてくれた。これが私を油断させるための嘘でなければ幸いなのだが。

 

「あー、全く不味いワインな事だ。これだから政府の晩餐会は嫌なのだがね、アライアンスなぞ出されて誰が嬉しいのだろうな。やはり葡萄酒は帝国産に限るよ、君もそう思わんかね?」

 

 心底不味そうにオリベイラ教授はぼやき、私に尋ねる。

 

「国父アーレ・ハイネセン達が国造りを語り合いながら飲み明かした祖国の味だと理解しています」

「それも私の著書の言だな。MWC(マルドゥーク・ワイナリーコーポレーション)に頼まれて渋々入れたフレーズだ。まぁ、たったそれだけの事で帝国暦410年物の白が手に入ったから文句はないが」

「………」

 

 おう、同盟最古のワイン醸造所よ。プライドはどこに置いて来た。

 

「そもそもアライアンス自体、この飽食の時代に好き好んで食べるようなものではないからねぇ。最近はアレンジされて随分マシな味だけれど、それでも人気は底辺だ」

 

 国防委員殿も本当に不味そうに脱脂粉乳と遺伝子組み換え馬鈴薯(繁殖効率最高味は最悪)のスープを啜る。本当、悲しい事にこの糞マズ料理はこれでも政府専用クルーザー厨房で調理されている事とアライアンス自体が初期に比べて調理方法が改良されているためにかなり味が改善されている状況なのだ。航海中に口にされていた物は恐らく料理と呼ぶのもおぞましいナニかだったに違いない。

 

「国父達が普段食べていたのは収容所の厨房で種子を拝借した繁殖能力最優先作物に食用昆虫、ご馳走が蛙肉だったからねぇ。到底味なんて無視せざるを得まいよ。同盟の食文化の大半は外部からもたらされたものだ」

「無論、帝国料理も今では立派な同盟食文化の一員だ。葡萄酒と麦酒、豊富なヴルストと馬鈴薯料理、豪華なデザートはライヒの魅力だな」

「お褒めの言葉、謙遜するのも非礼なれば有り難く受け取りましょう。同期の星たるヤングブラッド大佐からも士官学校で似たような言葉をいただきました。亡命者もまた同盟を構成し、発展させていくための大切な同胞だと。………それが貴方方の総意だとも」

 

 国防委員と学長の言葉に慇懃に、そして探るように私は返答した。

 

 さてさて、雑談も程々にしてそろそろ本題に入らないといけないんだろうなぁ。

 

 場の空気が変わった事を感じ取り、私は内心緊張しつつも言葉を紡ぎ出す。

 

「若造の身で恐縮ではありますが、そろそろ今回の交渉の目的をお聞かせ願いませんでしょうか?いくら何でも演目の説明が無ければ役者としてはどのような道化を演じれば良いのか皆目見当がつきません」

 

 私は心底恐縮するような表情を浮かべ、右腕のアームでグラスを掴み、中に注がれたミネラルウォーターで喉を潤す。残念ながら高級葡萄酒に舌が慣れきった私ではアライアンス・ワインは不味いを通り越し条件反射で嘔吐すら有り得た。なので、護衛としての役割を盾に言い逃れをする事で私はこの食事の席で溝水の親戚を口にする事を回避していた。

 

 我ながら英断だった、こんな緊張する場でそんな不味い葡萄酒を口に含んでいれば間違いなくリバースものだろう。

 

「………ティルピッツ大佐、君も士官学校で学んでいるだろうが……我らが同盟と帝国の国力差は一説によると四〇対四八とも、四対五とも表現されている。しかしこの数字が仮初のものでしかない事は理解しているね?」

 

 ナプキンで口元を拭いた後、トリューニヒト国防委員が重々しく私に事前知識の有無を確認する。私は小さく頷いてそれに答える。

 

 原作においても同盟と帝国の国力が伯仲していると良く語られているが、それは正確には正解であり不正解だ。実質的な意味において同盟と帝国の国力比はそんな可愛いものではない。

 

 少し考えれば分かる事だ。原作において同盟はアムリッツァの敗戦と宇宙軍の壊滅によって実質国家としての命脈が尽きた。それ以降は単なる消化試合であり、悪足搔きに過ぎなかった。同盟は遂に最後の最期までこの損失の補填が出来なかった。

 

 一方帝国は原作のみにおいてもダゴン・第二次ティアマト両会戦で宇宙艦隊が消し飛んだにも関わらず迅速にその損失を補完して見せた。現実にはそれらと共に名が挙げられるシャンダルーア・フォルセティ両会戦でも帝国宇宙艦隊は半壊している。原作のリップシュタット戦役においては降伏した兵士も相当数いただろうがそれを差し引いても相当数の戦力が消し飛んだであろうし、その分の警備戦力の補充を帝国正規軍が行う必要があった筈だ。にも関わらず帝国は数年で地方の治安維持戦力を確保しつつ同盟に大遠征を行うための艦隊を用意して見せた。

 

 艦艇そのものの質も問題だ。同盟軍宇宙艦艇はその任務を限定する事で性能の効率化と徹底的なコスト削減および人員削減を行っている。対して帝国軍は正規艦隊戦よりも治安維持・航路管理を主任務としている。同盟軍のそれより大柄であり大気圏内を含む多様な任務に対応するように出来ている。当然運用のための必要最低限の人員も同盟のそれより多く、建造コストもまた高い。

 

 そして何よりも帝国軍の総戦力は同盟軍のそれの倍近い。イゼルローン要塞を初め、保有する宇宙要塞の質も量も同盟とは隔絶している。それらを支える社会インフラと人的資源を含めれば到底前述のような国力比率等出てくる訳がない。

 

 正直な所、帝国と同盟の国力比は正確には戦争に参加している『帝国皇帝直轄領』と同盟『全土』の国力比に過ぎない。実質的な独立国として後方支援や限定的な従軍を行う貴族領、毎年少額の朝貢だけを行うだけの自治領、殆んど自給自足状態となっている流刑地惑星、皇帝に形だけの臣従を誓う外縁部の小勢力等はその必要性が薄い事から帝国と同盟の国力比を比べる際には排除されてしまう。

 

 結局、同盟と帝国の伯仲した戦いは幾つもの偶然と幸運がもたらした結果でしかない。ブルース・アッシュビーは宇宙艦隊を文字通り消し炭にし、武門貴族・士族・軍役農奴といった帝国の伝統的軍人階級層に致命的な損失を与えていた。それでも帝国軍は最新型の艦艇を工業力に物を言わせて大量生産し、大規模な平民階級の徴兵を断行して肉壁とし、それによって稼いだ時間を使ってイゼルローン要塞をスピード建造して見せた。730年マフィアはブルース・アッシュビー亡き後も紛う事なき名将であったが、遂にこの帝国軍の無理矢理な戦略を阻止出来なかった。帝国の底無しの国力が分かろうものだ。

 

「銀河帝国と接触して以来、同盟の存続は常に綱渡りだった。純粋な軍事力だけでは全面戦争になれば劣勢は明らかだからね。今日まで自由惑星同盟が存続出来たのは同盟軍の功績でもあるが、同時に政治と情報部の努力の賜物でもある」

 

 ダゴン星域会戦で同盟軍が質は兎も角数だけでも二万五〇〇〇隻もの艦艇を用意出来たのは、パトリシオ最高評議会議長とヤングブラッド国防委員長が同盟加盟国や星間交易商工組合と粘り強い交渉を続けた結果だ。コルネリアス一世による同盟滅亡を回避させたのは情報部の工作活動であるし、シャンダルーア星域会戦はナレンドラ・シャルマによる四個艦隊殲滅で有名であるが、それ以上に政府や情報部が会戦の結果をその後の銀河皇帝後継者問題にまで飛び火させ、マンフレート亡命帝即位と講和会議主催まで漕ぎ着けさせたことに注目すべきであろう。宇宙暦700年代から730年代の同盟政府の指導力は帝国軍の度重なる侵攻を阻止し続け、ジークマイスター機関の設立とブルース・アッシュビーの才覚と結びついた結果が同盟に未曾有の大勝利を齎す事になる。

 

「特にコルネリアス帝の親征以降の同盟の存続はフェザーン自治領の存在とそこにおける活動による所が大きい。フェザーンは勢力均衡を望んでいる。それこそが彼らに利益を齎すからね」

「だが実態は中立を謳いつつ限りなく同盟側として各種の支援を続けて来た。当然の事だ、そうしなければ同盟は帝国に呑まれてしまうのだからな」

 

 トリューニヒト議員とオリベイラ学長はフェザーンの政治的スタンスについて私に説く。その点は私も知っている。原作の知識なぞ必要ない。フェザーンが飲み込まれないためには常に国力で劣勢な同盟に肩入れし続けなければならない。

 

「そして、今我々はまた重要な危機にある。軍事的にも、政治的にも」

「アルレスハイム星系のせいで、ですか?」

「そこまで君達を一方的に責める程高慢ではないよ。私達にも落ち度はあるからね」

 

 ニコニコと笑みを浮かべる国防委員。気の良さそうな言い方ではあるが、その内容は逆に言えば幾らかは此方の責任でもあると暗に伝えている事も確かであった。

 

「こうしている間にも君の故郷……アルレスハイム星系に帝国軍の手が伸びているのは知っていると思う。残念ながら同盟政府と同盟軍は現状纏まった戦力を投入して星系の防衛を行う事は困難と言わざるを得ない」

 

 トリューニヒト議員は現状の危機について語る。

 

 ここ数年の苦境……イゼルローン要塞建設とそれによる長期に渡る劣勢下での戦いは降り積もる砂粒のように少しずつ、しかし確実に同盟軍の戦力と同盟政府の財政に打撃を与えて来た。此度の危機は長年蓄積されたその負担が限界を超えた結果だ。

 

「エル・ファシル星系までの有人星系を奪還してもその再建には膨大な復興予算がかかる事は理解しています。まして相当数の帝国軍残党が武器と共に現地の宇宙海賊や犯罪組織と結託して航路の安全を脅かしています。それ故に今すぐ大軍の派遣が出来ない事情も承知しております」

「納得は出来ていない、と?」

「これはまた意地悪な御質問ですね?……誰であれ、故郷が危険に晒されるのを喜べる人間なんておりません」

 

 私は一般論を以て答える。彼らが私を試している事は分かっていた。だから私は彼らの期待する態度を取る。

 

「……ふむ、ヤングブラッド大佐の推薦の通りだ。君は信用出来そうだね。いや、気を悪くしないで欲しい。唯君の同胞達は少々気の強い人物が多くてね。共に仕事をするのが難しい事も多いのだよ」

 

 トリューニヒト国防委員は誤解を招かないように補足説明する。それ位私も承知している。良くも悪くも亡命貴族は激情家が多く、この手の故郷や身内の関わる交渉事に参加させるのは難しい。

 

 ………端的に言ってしまえば、今回のフェザーンへの密使の仕事はフェザーンを通じて帝国の軍事活動の阻害と同盟支援の取り付け、より明け透けに言えばフェザーン元老院や自治領主府から金を引き出して来い、という話だ。トリューニヒト国防委員が自治領主やフェザーン元老院議員を、オリベイラ学長は自治領主や元老院議員お抱えの専門家達を丸め込む事を期待されている。そして私は………。

 

「泣き女の役ならば私なぞより御令嬢を御連れした方が良いのでは?その方が御老人方の同情が得られますよ?」

「残念だがフェザーン人に泣き落としは通用しないよ。『親でも国でも売り払え』が彼らのモットーだからね。まして元老院の御老人方は金の亡者だ、そんな安い手には乗ってくれないよ」

 

 私の提案に国防委員は即答する。まぁそうでしょうねぇ。フェザーンの独立商人は自分達こそがフェザーン人の代表であるとして自治領主府の役人や元老院議員を向上心も覇気もない無能と断言するがそれは間違いだ。フェザーンで一番怖くて手強いのはその覇気も向上心もない小役人と御老人達だ。

 

「君の役割は助言と仲裁、それと情報収集だ。帝国、特に帝国宮廷の複雑怪奇な文化と慣習は幾ら事前勉強しても理解し切れるものではない。此度の交渉には亡命政府からも人員が出向している。彼らと我々の協力のための仲介を頼みたい」

「それと帝国宮廷の動向の助言と情報収集だね。フェザーン側が帝国の動きをどう読んでいるか君の考えを教えて欲しい。それに帝国も一枚岩ではない。できうる限り宮中の情報を集め、可能ならば利用したい」

 

 改めてオリベイラ学長とトリューニヒト国防委員が私の仕事、その詳細について説明した。

 

「成程、そういう事ですか。確かにその内容であれば私に白羽の矢が立つ理由は分かります」

 

 寧ろ私位しか適性が無かろう。私が此度の同行者に選ばれるのは当然ではある。尤も……。

 

「確かに理解は出来ますが……」

「が?」

「敢えて触れていないのかも知れませんが、当初私に伝えられた仕事内容には護衛も含まれていた筈です。もしかしなくても………そういう事ですか?」

 

 私が苦笑いを浮かべながら尋ねる。特使たる二人は視線を反らしながら暫し沈黙を続け……国防委員が誤魔化すような爽やかな笑みを浮かべて答えた。

 

「安心したまえ、情報部から護衛が手配されているからね。それにフェザーンでの任務中の死亡率は『それ程』高くはないよ」

「ガッデム!」

 

 ‥‥………まぁ、あれだ。いきなり章題回収になってしまうがこういう事だな。

 

 中立国での任務なら生命の危険はないと思ったか?

 


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