帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

155 / 199
第百四十八話 アルコールの飲み過ぎは良くないって話

 第八代銀河帝国亡命政府皇帝グスタフ・フォン・ゴールデンバウム(グスタフ三世)には宇宙暦790年9月時点で二人の男子と三人の女子が存在している。より正確に言えば彼ら以外に死産した女子が一人おり、夭折した男子が一人いる。

 

 長子にして皇后の嫡男たるロートリンゲン大公フレゼリクは知能の面でも人格の面でもこれと言った問題はなく、あるいはあったとしても周囲の忠臣達の支えがあればまず暗君になる事はない人物であり、これからも何も無ければ将来的に第九代皇帝フレゼリク二世としてアルレスハイム星系と全帰還派亡命者の頂点に君臨する事になるだろう。

 

 長子フレゼリクの次に生まれたのは三名続けて女子である。全員が大貴族の一族に嫁いでおり、三女であるアウグスタ以外はこれと言った問題は存在しない。

 

 ブローネ侯爵家の分家筋の寵姫カタリーナが産んだアレクセイ・フォン・ゴールデンバウムは帝室としては重視する事も軽視する事も難しい立ち位置の存在である。帝室としては男子がフレゼリクだけに比べれば『予備』がある事は決して悪い事ではない。とは言えフレゼリクは勿論一つ上のアウグスタとすら一回り以上歳が離れている事もあり、ほかの兄弟姉妹と関わりにくく、将来の禍根になる可能性も否定は出来ない。

 

 しかも、やはり歳を取ってから生まれた子供は誰だって可愛いものだ。皇帝グスタフ三世は決して公私共に無能ではないが、それでも末の息子を可愛がったのは仕方の無い事であろう。それ故に彼の取り扱いと教育は無用な漣を立てないように細心の注意が払われた事であろう。

 

 尤も、本人自身は(アウグスタを除く)兄と姉達と僅かに距離はあるものの、まず歪む事もなく成長する事が出来た。三年前にブローネ侯爵家本家のシャルロッテと結婚すると同時にシュヴェリーン大公に授爵されている。

 

「その大公殿下がこんな所で油を売っていて良いのかね?」

「久し振りなのに連れないじゃないか。もう何時間も紹介と仲裁をしたんだ。残り時間位旧友と会っても良いだろう?」

 

 自由惑星同盟在フェザーン高等弁務官事務所で行われた使節団歓迎会……参加者は同盟政府の職員のみであり、フェザーン側の用意した歓迎会は翌日に準備されている……その終盤、未だ列席者がワイングラス片手に歓談を行っている大広間(メイン・ホール)のすぐ外の廊下に設けられた休憩席のソファーにテーブルを挟んで私達は座り込んでいた。

 

 背後には白い礼装を着こんだ付き人が二人、正面にはその件のシュヴェリーン大公……即ちアレクセイが座っている。彼の背後には近衛軍団から出向したのだろう護衛がこれまた二名控えていた。

 

 大公殿下は先程まで同盟側の使節や高等弁務官と亡命政府から派遣されたハーン伯爵率いる使節との仲介と仲裁に精励していた。その甲斐あってトリューニヒト議員らは亡命政府の使節とまず穏当なファーストコンタクトを取る事に成功していた。

 

「向こうの話も思ったよりスムーズで安心したよ。此方に航海中個別教師でもしてた?」

「議員らも事前知識はあったし変な教条も無かったからな。その点は助言しやすかったよ」

 

 これが長征派ならば第一声の呼び掛けに宮廷帝国語での挨拶をする事を受け入れてくれなかっただろう。まぁ、教条が無いので原作のアレな事をやらかした可能性もあるのだがね……。

 

「それで?そっちはどうよ?」

 

 私はここで話題を変える。旧友と会って仕事の話ばかりは余り愉快ではない。

 

「どうもこうも無いよ。こっちは相変わらずさ。強いて言えば、シャルに帰って来るのが遅いと小言を言われる位かな?」

 

 アレクセイは苦笑の笑みを浮かべて年下であり又従兄妹に当たる妻について答えた。

 

「結婚は人生の墓場、とか言ったのは誰だったかな?大公夫人は元々気紛れそうな性格だがこの分だと随分と苦労してそうだな?」

「大佐には言われたくないなぁ。こっちも独自のルートで色々聞いているよ?エル・ファシルで腕が吹き飛んだと聞いた時もかなり驚いたけど……」

 

 と、ちらりと私の安物の義手を一瞥し僅かに暗い表情を作った後、私の目を見つめて冗談めかして続ける。

 

「ハイネセンでまたトラブルを起こしてくれたね?ケッテラー家の御令嬢に粉かけた後愛人連れてフェザーン旅行とは、まぁ派手な事だね。怖いもの知らずとはこの事だよ」

「おい止めろ、笑えない」

 

 冗談半分……実際、聞いた話を脚色しているだろう……に語るアレクセイであるが、私からすれば笑い飛ばす事は出来ない。特にベアトとの関係とかベアトとの関係とかベアトとの関係とか。

 

 目の前の大公様も流石に私が従士にやらかした事まで知らないだろう。テレジアもだ。誤魔化し続けるのは難しいだろうが、少なくとも今公衆の面前で知られたくはない。兎も角話を逸らさねば。

 

「そっちに戻ったのは去年以来だな。どうだ、其方の状況は?」

 

 テーブルの上に置いていたワイングラスを手に取り私は故郷の状況について尋ねる。どの道、この事は気になっていた。

 

「……余り楽観出来る状況ではないね」

 

 アレクセイは笑みを消して、次いで険しい表情を浮かべて答えた。

 

「疎開計画は進んでいない。施政圏内の最外縁部は兎も角、今後主戦場になると目されているシグルーン星系やヘリヤ星系すら避難が完了していない有様だよ」

 

 前者は二〇万、後者に至っては八〇万近い人口がある。酸素のある居住可能惑星こそないが、人工天体とドーム型都市、鉱山があり、それらは事実上行政執行官である諸侯が皇帝に封じられた所領として統治している。

 

「避難させる船が少ない事もあるし、避難しようにも避難先でどう生活させるべきか。その前に、そもそも退避しようと決めてくれる地元領主がなかなか居なくてね」

 

 困った表情を浮かべるアレクセイ。亡命政府施政圏外縁部に所領を持つのは亡命してから歴史の浅い貴族や荒廃した東大陸から転封された諸侯だ。領主の領地に対する執着は人一倍であるし、元々それらの所領は本土決戦に向けた遅延戦闘のための抵抗拠点として設けられたものであるため臣民も士族階級や軍役農奴の血統が多くかなり好戦的だ。疎開についても抵抗感は強かろう。そしてなにより、そもそもの輸送力が足りない。

 

「戦力も厳しいね。予備役の動員を続けているけど動員する端から削られている。今年中はどうにかなるだろう。来年の半ば辺りまで行ってもまだどうにかなるだろうね。けどそれ以降となると……今投入されている分だけでなく賊軍は更に追加の増援を編成しているという情報もある。そうなれば本土決戦は避けられない」

「それは……不味いな」

 

 エル・ファシル攻防戦の敗残兵をそのままアルレスハイム方面の援軍に転用しているのは聞いているがここに来て更なる追加戦力となると………。最悪の最悪、亡命政府にも奥の手はあるが、余り使いたい手でもない。

 

 事の重大性に場の空気は重苦しくなる。私もアレクセイも、恐らく背後のベアトとテレジアも同様に焦燥感を漂わせた表情を浮かべている事だろう。

 

「……はは、そう気落ちする事はないさ。今回の融資交渉が成功すれば同盟軍の艦隊を動かせる。そして交渉はかなりの確率で成功するだろうからね。そこまで思い悩む必要もないさ」

 

 場の空気を読んだアレクセイが私を気遣うように明るい表情でそう答える。その態度に周囲の者達も同様にその瞳に希望が宿る。

 

(とは言え、本音じゃないんだろう?)

 

 流石演技をするのが御仕事の皇族である。周囲を鼓舞するのが上手い、が……私も彼を小さい頃から知っている。久方ぶりの再会であるが、その表情と内心の感情が同一とは程遠い事を私は殆ど確信していた。

 

 ……無論、口にはしないがね?

 

「本当にそうだな。折角の再会だ、悩む理由もない話で暗くなるのは損だな。明日からは仕事だが、今日位は明るい話をしようじゃないか?」

 

 だから、私はこの旧友の望む方向に話題を変える事にした。元々生真面目過ぎるきらいがある大公様だ、私が話題を先導しなければまた気難しい内容に変わってしまいそうだった。こんな日まで暗い話ばかりして旧友に心労をかけるのは私も本意ではなかった。

 

「そうだね、それが良い。幸いここの葡萄酒も中々良いものが揃っているしね。良い酒は楽しい話をする時に飲みたいよ。それはそうと………」

 

 そこで思い出したようにアレクセイは私に顔を近付け、そして耳元でほかの誰にも聞こえない声で囁いた。

 

「随分とベアトリクスと仲が深くなっているけど、何かあったのかい?」

 

 そう一方的に呟いてからソファーに深く腰がける大公殿下殿、その表情は歳と身分に似合わない悪戯っ子のそれに思えた。

 

 ………ははっ、バレてーら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 高等弁務官事務所から与えられた部屋は正直な所『悪くはない』ものだった。一国の顔となる高等弁務官事務所が貧相な内装をしている訳にはいかないし、使節団の議員の宿泊先として、時として亡命したフェザーンや帝国の要人を匿う必要もある。それ故に全体として高級感漂う広々とした部屋が私にも貸し出された。

 

「少々お待ち下さいませ、盗聴器や監視カメラがあるかも知れません。調査致します」

 

 そう言って私物を入れたトランクから音波探査機材や金属探知機を取り出して、あるいは高級家具を動かして目視で部屋の隅々を調査し始めるベアトとテレジアである。おう、お前ら案内役の前で容赦無さすぎだぞ。

 

「あー、悪いな。別に疑っている訳ではないのだが……」

 

 私は部屋まで直々に案内してくれたフェザーン駐在武官参事官ウィッティ少佐に対して苦笑いを浮かべながら弁明を行う。

 

 実際ここまであからさまに行うなぞ高等弁務官事務所の警備体制を信用していないといっているようなものだ。確かに念のため使節団の方でも高等弁務官事務所が自治領主府に篭絡されている可能性を考えて調査はするが……本人達の目の前で堂々とやる事ではない。

 

「そ、それでは私は失礼させていただきます。どうぞごゆるりとお寛ぎ下さいませ」

 

 ウィッティ少佐は咳払いをした後気を取り戻しそう答えると、居心地悪そうにその場を去る。少佐で参事官でしかない彼の立場で私に不満の言葉を吐く訳にもいかないだろう。多分部屋を出た後で愚痴られるだろうなぁ、等と私は半ば達観していた。

 

「若様、どうやら盗聴・盗撮機材は存在しないようです。流石情報戦の最前線たる高等弁務官事務所です。防諜体制はかなり整っています」

「おうベアト、その言葉参事官がいた場で言うべきだったな?」

 

 満足そうな表情を浮かべるベアトに私は肩を竦めて返答する。

 

「まぁいい。それで?お前達の部屋の方も調べなくて良いのか?」

「?我々も此方の部屋で若様の護衛として待機する予定ですが?」

「うん、知ってた。言ってみただけだよ」

 

 半ば予想ついてて暴露されても最早全く驚かない自分はやっぱり末期だと思う。

 

「ふぅ、それにしても今回は随分と責任の重い仕事だな」

 

 私は近場のソファーに座り込むとベレー帽を傍のテーブルに置く。礼装の首元のスカーフを外し釦を外すと肩を鳴らす。すかさずベアトが背後に移動して肩を揉んでくれた。うん、船旅と歓迎会のせいで肩凄い重いの。

 

「ハーン伯爵にベーラ子爵、祖国も今回の交渉を何としても成功させたいらしいな。ましてアレクセイまで連れて来るとは」

 

 交渉役に帝室関係者を連れて来るのは実務面よりも寧ろ政治的・心理的意味合いの方が大きい。亡命政府がフェザーンの危険性を承知で、それでも尚此度の交渉を重視している事の表れであり、また当事者を連れて来る事で相手に断りにくくしている訳だ。誰だって御本人の面前で断りの言葉は言いにくいし、余りぞんざいに扱えば今後のビジネスにも影響する。アレクセイは血筋のお陰でいるだけで相手に圧力をかけられる訳だ。流石はグスタフ三世陛下である。帝室一家の使い時を弁えている。

 

「僭越ながら、若様がそこまで心配なさる必要はないのではないでしょうか?大公殿下も仰っておりましたがフェザーンの守銭奴共が亡命政府の危機を放置する可能性は低いかと思いますが……」

 

 テーブルの上のベレー帽とスカーフを帽子掛けに掛けながらそう疑問を口にするのはテレジアだ。実際国境経済の中心地であり、資産家(亡命貴族)も多いヴォルムスが荒廃するのはフェザーン経済にとっても愉快な事ではない。普通に考えれば率先して融資してくると考えても可笑しくない。

 

「そう問屋が卸さないのがフェザーン人だからな」

 

 確かにヴォルムスが焦土と化したらフェザーンもかなり困るだろう。だがそれはあくまでもヴォルムスが焦土と化したら、である。逆に言えばヴォルムス以外の周辺宙域がどれだけ荒れ果てようが亡命政府軍が壊滅しようがフェザーン人には問題ない訳だ。

 

「寧ろ我らが亡命政府や同盟政府が必死に融資を受けようとするのにつけこんで利率や交換条件を釣り上げようとするかもな」

 

 しゃぶれる限りの利益をしゃぶり尽くしたがるのが『守銭奴』たるフェザーン人だ。まして今回のリスクは決して高いものではない。最悪交渉引き延ばしがミスってヴォルムスが壊滅してもそれはそれで株式や債権の空売りで利益を得ようと逞しく考えるだろう。

 

 そうでなくても長らく続くワレンコフの親同盟政策のせいで帝国との商いをしているフェザーン企業や商人の中には不満も溜まっていよう。彼らの嫌がらせも有り得る。

 

「それは………」

 

 私の言に歯噛みして怒りに表情を強張らせるテレジアである。無論その怒りの矛先は私ではなくフェザーンである。

 

(尤も、危険性があるのはそれだけではないのだがね………)

 

 フェザーン企業や元老はオリベイラ学長がまだ押さえられるだろう。フェザーン人は守銭奴だ。守銭奴だからこそ合理的な理論と利益を説明されれば賛同を得る事は決して難しくはない。

 

 問題は利益で動く訳でない者達……イデオロギーで動く者達、即ちフェザーンの裏で蠢く輩だ。

 

 地球教……奴らが今回の交渉に干渉して来ないのなら万々歳なのだがな。

 

「いつ頃だ……?ワレンコフが消えるのは……?」

「若様?」

「ん?いや、独り言だ。気にするな」

 

 肩揉みしていたベアトが私がつい呟いた言葉に反応したので誤魔化す。

 

 ……そうだ。もう原作なんてあやふやな記憶だが、ワレンコフは確か親同盟に傾き過ぎて地球教に消された筈だ。

 

 無論、実際はフェザーン自治領主なんて四方八方から恨みを持たれているし、地球教も数あるフェザーンの裏方スポンサーの一員に過ぎない。それでも単独行動とは限らないまでもあのカルト団体が一枚噛んでいたのは間違いない。

 

 ワレンコフ自治領主の生存……少なくとも亡命政府の当面の危機が遠退くまで最低限、彼には生きてもらわないと私としてはかなり困る。自治領主、交代するのいつだったっけ?

 

「……今日はさっさと寝てしまうに限るな。二日酔いは避けたいし」

 

 祝宴会の常として、決して暴飲した訳ではないがそれなりに酒類を口にして少々酔っていた。このまま明日を迎えるのは不味い。身体には宜しくないであろうが水と酔い止めを飲んで就寝してしまうべきであろう。

 

「それでしたらペパーミントティーを御用意致しましょうか?カフェインが含まれていませんので就寝前に丁度良いと思われますが」

 

 そう意見したのはテレジアである。元々予備役の頃に女学院で家政学を修めている従士は即座に私に求められるものを提案して見せた。ペパーミントは胃腸の調整効果があり食べ過ぎ・飲み過ぎ・食欲不振・吐き気に効くとされている。二日酔い対策に合致した提案と言えるだろう。

 

「ふむ……、では貰おうかな?蜂蜜も少し入れてくれるか?」

「承知致しました」

 

 僅かに逡巡した後私が提案を受け入れれば、恭しく頭を下げてからトランクの中に用意していた茶葉やティーセットを手に調理部屋の方に行くテレジアである。恐らく五、六分もすれば極上のペパーミントティーを淹れてきてくれる事だろう。

 

 テレジアが出ていった後、私と背中を揉みほぐすベアトと二人だけが部屋に残される。

 

「それにしても、まさかアレクセイが此方に来るとはな」

「大公殿下として、実に凛々しく、堂々とした御姿で御座いました」

 

 私の言葉にベアトが答える。彼女もアレクセイとの面識は古い。正確に言えば、私が初めてアレクセイと会ってから三か月もせずにベアトが付き人になった。そのため、彼女が正式に私の傍に控えるようになってから私が彼と遊んでいる時は侍女や執事と共に着いていき、歳が近いため遊びに加わる事も度々の事であった。

 

「随分と高評価じゃないか。私よりも、か?」

 

 意地悪気味に、冗談半分に私はそう口にしてみる。

 

 実際かなり意地悪な質問だった。彼女がアレクセイを高評価するのは彼の出で立ちと態度から当然であるし、万一美辞麗句の羅列から現実が離れていても身分的に当然そういうべき事だ。寧ろ私こそ凛々しさとも堂々さとも無縁な存在だ。実際並べれば十人いれば十人彼の方が優秀で敬愛すべき人物として選ぶ事であろう。

 

「御冗談を、若様よりも敬愛し、お慕い申し上げるべき人物なぞ私には御座いません」

 

 一切の逡巡もなく返って来た言葉に流石に一瞬沈黙した。豆鉄砲を撃たれた鳩のような表情を浮かべ、数秒してから私は肩を竦めて苦笑を浮かべる。

 

「……お前に言われると御世辞でも心底嬉しいね」

「御世辞では御座いませんよ?」

 

 肩揉みを止めて即答する従士。私が黙ったまま首を斜め上に上げると、そこには目と鼻の先に此方を見下ろす幼馴染の姿があった。真剣に、そして優しげに此方を見つめる視線……。

 

「……御信じ頂けませんか?」

 

 凛々しげに、柔らかな微笑と共に、しかし瞳の奥を僅かに震わせながら囁くように幼馴染みは尋ねる。

 

「まさか、お前の言葉まで信じられなくなったら人間不信になってしまうじゃないか?」

「深い信頼の御言葉、恐縮の至りで御座います」

 

 そう言って、私達は協力して悪戯を計画する子供のようにクスクスと小さく笑った。

 

 そして……笑いながら私はそっと、極自然な仕草で生身の左手で右肩に乗せられた幼馴染みの手に触れ、引っ張った。

 

「あっ……」

 

 彼女は小さくそう声を漏らしつつもそれに逆らう事なく、彼女の上半身は私の腕に引き摺られ、次の瞬間には私は彼女と額が触れ合う程顔を近付けていた。互いの生暖かい吐息が肌に触れる。金糸の髪から仄かに甘い柑橘系の香りがした気がした。

 

「若様、余りこのような場所では………」

「分かっている、ほんの悪ふざけだよ」

 

 そう言いつつも困り顔の彼女も、当然私も互いに見つめ合い続けたまま動かない。寧ろ互いに額を擦り合わせるように一層触れ合う。彼女の左手は私の首に巻き付き、右手は私の右手と重ね合わさり、指は絡み合う。

 

 最後までしてしまう積もりはない。今は仕事中であり、ここは高等弁務官事務所の一室であり、そう長くしない内にテレジアも戻って来る。呑気に、そして後先考えずに理性のタガが外すなぞもっての外だ。そもそもあの日以来ああいう事は一度もしていない。口にした通り、あくまでもスキンシップを兼ねた悪ふざけだ。

 

 ……恐らく、ほろ酔い気分で気が緩んでいる事も今日に限ってこんな事をしている一因だろう。理性でこの先まで進むのは宜しくない事は自覚しているが、同時に無性に心地好い今の状況を直ぐに切り上げたくもなかった。

 

 故にこのまま互いに見つめ合い、手を絡め合わせるだけに留めてる。別に肉欲にひた走る訳ではないが、これ位許されても良い筈だ。

 

 尤も、相対性理論を引き合いに出す積もりは無いが心地好い時間というものはいつだって短いものだ。すぐにタイムリミットはやって来た。

 

「若様、ペパーミントティーの方が出来ました。……若様?」

「ん?あぁ、入ってくれ」

 

 扉のノックする音に私は若干の名残惜しさを感じつつも幼馴染から顔を離し、答える。同時にティーカップとティーポットを載せた銀のトレーを持ったテレジアが物腰の柔らかい笑みと共に入室した。

 

「………」

 

 私はちらりとベアトの表情を盗み見していた。そこにいたのはいつも通りの生真面目な表情を浮かべる家臣の姿だけだ。その割り切ったような態度に一抹の寂寥感を思い、暫しの間目を伏せて沈黙した後、次の瞬間には私は視線を真っ直ぐに向けてテレジアの方を見た。

 

「良い香りがするな。それに落ち着く。頂くぞ?」

 

 手元に来たトレー、そこに載せられたティーカップからは湯気が漂っていた。ミントの清涼な香りが鼻孔をくすぐった。これは確かに酔い止めに良さそうだ。

 

「はい、どうぞお召し上がり下さいませ」

 

 恭しく頭を下げそう申し出る従士。私はティーカップを義手で掴み顔まで持っていく。その香りを改めて楽しんだ後に口に含む。爽やかな味わいに注文した通り蜂蜜の仄かな甘さがあった。

 

「……良い味わいだ」

「光栄の至りで御座います」

 

 再度頭を下げて、そして賑やかな表情を浮かべてテレジアは答えた。どこか安堵したようにも思える。その表情に私も同じように安心していた。

 

 尤も………。

 

(美味しいのは間違いない。だが………)

 

 非礼であり、身勝手な我が儘である事も百も承知であるが、いつの間にかレモンティーかマーマレード入りのロシアンティーが飲みたく思えたのも事実だった。同時にその考えに思い至る理由は分かりきっていたので罪悪感が私の胸の内にのし掛かる。

 

「……御代わり、貰えるかな?」

 

 少し急いで飲みきった後、私はもう一杯注ぐように従士に命じる。それが罪悪感からか、酔い止めの効果を期待したものか、注文した私自身分からなかった。ただ一つ言える事は笑顔を浮かべて命令した臣下がそれに応えてくれたという事だ。

 

 新しく注がれたティーを私はその香りを楽しむ振りをしながら顔に近付ける。

 

 ふと、波立つ薄い緑とも紅色とも言い切れない色合いの茶の水面に自身の表情が見えた。客観的に見て端正で品位があって……しかし実に軽薄で冷淡で、性格の悪そうな男の姿がそこにあった。

 

「……私にはお似合いの姿だよ」

 

 私は肩を竦めながら自虐気味な笑みを浮かべた後、気付けば一気に手元のティーカップを飲み干していた………。

 

 

 

 

 

 

 

「やれやれ、同盟政府と亡命政府からの使節が漸く来たようですな」

「使節?集りの間違いではないかね?」

「何でも構わんよ、我らの利益になる話であればね」

 

 フェザーン自治領の実質的な星都であるセントラル・シティ、金と陰謀と欲望が常時渦巻く眠らない街、銀河経済の中心地、人類圏最大の人口密集地帯、背徳と退廃の都………周辺都市を含む域内総人口は三億人に迫るこのメガロポリスの中心部近くに最上流階級用の歓楽街がある。

 

 主にフェザーンの大財閥の幹部や豪商、投資家に自治領主府の高級官吏、あるいは旅行や役所仕事、ビジネスで訪れた門閥貴族や同盟・帝国の役人や富裕市民、更には三国で暗躍する大規模な犯罪組織や宇宙海賊の幹部、何世紀も戦乱と混乱の続く広大かつ人口希薄な外縁部に住まう有力者達がこの最上流階級用歓楽街の主な顧客だ。

 

 中には三国問わず治安組織に捕まえられれば死刑確実な御尋ね者もいるが、そんな事はフェザーン自治領主府は関知しない。莫大な金銭さえ支払えばこの歓楽街で彼らの身柄が確保される事は絶対にあり得ない事である。そんな事をすればこの歓楽街の信用は地に落ちるであろう。時として社会や経済、あるいは多くの人々の人生と生命に影響を与える陰謀や交渉、合議、談合の行われるこの歓楽街でそれは許さない事だ。

 

 そもそもこの一種の治外法権を得ている歓楽街で行われているサービスの中にはフェザーン・帝国・同盟の刑事法をギリギリどころか完全に踏み越えているものすら多々あるのだ。万一にも警察が踏み込むなりジャーナリストがマスコミに暴露記事を書くなりすれば利用者達の立場もあって銀河全域規模での大スキャンダルになりかねない。この街がフェザーンに落とす収入も魅力的だ。触らぬ神に祟りなしである。道徳的には兎も角、現実的にはこの街で行われているあらゆる背徳は見て見ぬ振りをする事が最上の選択肢であった。

 

 寧ろ、無用な調査や報道させないためにフェザーン自治領主府が民間軍事会社の完全武装した傭兵や武装ドローンで歓楽街周辺を警備している程で、何年かに一度正義感に燃える同盟人ジャーナリストや一攫千金を狙うフェザーン人パパラッチが制止を振り切り中に入ろうとして射殺されるなんて事件も起きている(そしてその批判は有力者達のマスコミへの圧力で揉み消されるのが常であった)。

 

 そんな最上級歓楽街の一角にその酒場はあった。若くして栄達したある女優が情夫の後ろ盾の元に経営しているこの店は決して常時満席という訳ではないが、それは決してこの店が周囲の他の店に劣る事を意味していない。

 

 寧ろその店の客質は周囲の店に比べても頭一つ突き抜けていた。決して万人が知る程に有名という訳ではない、しかし知る人ぞ知る極上の酒を始めとしたサービスで高い評価を受けていた。469年物ノイエ・ヘッセンの赤や419年物のシュベルムの白、あるいはカルステンの四十年物やドラケンベルグの三十年物のキルシュヴァッサー、同盟産であれば770年物のパルメレントの赤や三五年物のカッファーのブランデー、最上級のフェザーン・ラムも取り揃えている。

 

 カウンターの棚の上に乗せられた410年物の白のボトルはその道を究めたソムリエには玉座に君臨する皇帝に見えた事だろう。合法非合法ありとあらゆる物品の揃うフェザーンにおいても同じものは恐らく十本もあるまい。まだ未開封のそれは、店主が酒場を開店した時に情夫から贈呈された店の一番の目玉である。無論、同時に強盗に奪われる可能性もあるために屈強な武装警備員も雇いいれなければならなくなったが。

 

 先程まで自由惑星同盟及び銀河帝国亡命政府から訪れた『乞食』達の噂をしていた三人のフェザーン元老院議員……同時に彼らは銀河でも有数の財閥の会長であり、豪商であり、富豪でもある……も棚のワインボトルに視線を向ければ憧憬の念を抱かずにはいられない。

 

「あら、お酒が進んでいないようだけど。私の店の物は御口に合わないのかしら?」

 

 そんな元老院議員達の居座る一角に壇上で歌われるジャズの生演奏をBGMに一人の女性が印象的にそう言いながら歩み寄って来た。

 

 若々しく、しかし実年齢が二十代前半であるとは思えない程に歳不相応な妖艶さを醸し出す美女であった。赤茶髪のウェーブがかった髪に翠玉色の瞳、口元の黒子はどこか官能的な印象を見る者に与えていた。

 

 出で立ちは赤を基調とした下品にならない程度に露出度の高いドレスだった。短いスカートやざっくりと見える背中や首回りは妙に肉感的で染み一つない白い肌である。

 

 踊り子にして歌手にして女優、そして近年幾つかの酒場や宝石店をも経営するようになった最上流階級用クラブ『鹿の園』の店主ドミニク・サン・ピエールは知性と、陰と、淫靡さが複雑に交じり合う微笑を浮かべていた。

 

「いやいや、そんな事は無いよドミニク」

「そうさ、ここの酒と料理、それに女性達は最高さ」

「無論、一番素敵なのは君だけれどね?」

 

 元老院議員達は朗らかな笑い声をあげて弁明する。その口ぶりは半分程は御世辞であるが、少なくとももう半分は心からの言葉であるようだった。

 

「あらあら、そこまで褒めてくれると嬉しいですわね。私も背伸びしてこんな高級街でクラブを建てた甲斐がありましたわ」

 

 怪し気な、それでいて色気のある笑みを浮かべる店主は蛇のように這い寄りながら議員達と対面するようにソファーに腰がける。肉付きの良い太腿を重ねるように足を組むと世間話をするように極自然に話題に入り込む。

 

「それにしても、随分と険しい表情で御話ししていましたわね?お酌する娘達もいないし、何か御有りなのかしら?」

「ドミニク、君は相変わらず鋭いねぇ。男だったらきっとあのバランタイン・カウフの再来になっていただろうよ」

「そうなれば我々のライバルと言う訳だな。いやはや、希代の大商人誕生が仮定の話となった事を嘆くべきか喜ぶべきか。何とも判断がつきませんな」

 

 元老院議員の一人が茶化すように言って別の議員がそれに乗っかるように小さく笑う。

 

「あら、これはまた最高の御世辞ですわね。ですけれど私もフェザーンに住む女、折角の面白そうな御話をそうやって煙に巻こうだなんて許しませんわよ?」

 

 そういって不敵な笑みを浮かべて店主はテーブルの上のブランデーのボトルを手に持つ。三人の議員達は肩を竦めながらグラスを店主に向け、店主は一人一人丁寧に酌をする。

 

 場で最年長の議員は金色に輝くブランデーのグラスを一気に呷ると観念したように口を開く。

 

「やれやれ、君には敵わんな。いやなに、『乞食』達からどう金を巻き上げるか思案していた所さね」

「『乞食』?幾つか心当たりはありますけれど……今日に限って貴方方が口にするとなると同盟の特使団の事かしら?」

「ほぉ、正解だ。これはまた耳が早いな?」

「宇宙港の高官も私の店を気に入ってくれているの。話題作りで教えてくれたわ」

 

 くすくす、と子供のように、しかし同時に淫魔のように小さくくすぐるような笑い声を漏らすドミニク。

 

「それならば話は早い。奴らがこの時期に我らのフェザーンに来た動機、それは一つさ」

「大方我々から出兵用の予算を借り上げたいのだろうよ。全く、同盟人は非生産的な事だな。戦争なぞ新たな価値を生まず消費するだけの行いだというに」

 

 別の元老院議員が話を続け、嘲るように笑う。尤も、その議員も此度の融資案件が下手をすればフェザーン経済にまで悪影響を与えるものだとまでは口にしない。そこまで懇切丁寧に教えてやる義理はないし、その程度の事実を自身で見抜けないようではこの退廃の街で店を構えるなぞ出来やしないのだから。

 

 そして目の前の女店主は恐らく議員の口にしていない事実に気付いていた。口紅を塗った赤い鮮やかな口元を僅かに吊り上げて意味深げな笑みを浮かべるドミニク。

 

 その時であった。鈴の音と共に店の扉が開かれたのは。ドミニクはちらりと壁に掛けられたクラシックな時計を見ると内心で少し遅かったわね、と小言で呟く。

 

 燕尾服を着こんだ店員に案内されてその客は元老院議員達とドミニクが飲む席へと顔を出した。

 

「これはこれは、元老の皆様方。御忙しい中私めなぞの呼びかけに参集して頂き誠にありがとう御座います」

 

 黒いタートルネックのセーターに淡緑色のスーツという出で立ちの異相の男がにこやかに、しかし油断ならない笑みを浮かべてそう口を開いた。フェザーン自治領主府自治領主補佐官アドリアン・ルビンスキーの顔を知らぬ元老達はいない。

 

 そして、此度彼らがこの店に来店した理由もまたこの褐色の禿男からの申し出によるものだった。

 

「ドミニク、私が今日の支払いは全て持つ。上物を遠慮なく開けてくれて良いぞ?」

「あらそう?じゃあ御言葉に甘えてたっぷり楽しませてもらうわよ」

 

 そういって給仕をしていた娘に何本かの高級フェザーン・ラムとフェザーン・ブランデーを持って来るように伝える。

 

「ルビンスキー、この店は良い店だが我々も暇ではない。時間が惜しい、本題から入ろうか?」

 

 最年長の元老院議員が代表して自治領主補佐官に尋ねる。

 

「皆様がどれだけ多忙かは承知しております。しかし物事には順序というものが御座います。いきなりそのような無粋な切り出し方は宜しくないでしょう?まぁ、お待ち下さい」

 

 しかし応揚にルビンスキーは議員達にそう言ってのけた。そうしているうちに店員によってボトルが持って来られる。ドミニクが皆のグラスに氷を入れ、ブランデーを注ぎ込む。

 

「さて、舞台が整いましたな。では皆様も御待ちかねのようで御座いますしそろそろ私からのプレゼンに入りましょうか。………此度の融資交渉において同盟と帝国と亡命政府、そして自治領主、四者から最大限我々の利益を引き出すためのご提案を、ね?」

 

 禿男はブランデーが注がれたグラスを掲げて、心底不敵な笑みを浮かべた。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。