帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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第百五十話 誰だって身内には甘くなる

「それでは避難は出来ないと仰るのでしょうか?」

「当然でしょう。この所領は男爵家が血の滲むような努力の果てに開発した土地です。それを一戦も交えず、まして一人逃げようなぞ亡き夫、それに男爵家の先祖に対する不義というものですわ」

 

 豪華な調度品が飾る屋敷の応接間の窓際に立つ男爵家の暫定当主でもあるザルツブルク男爵夫人ビルギッタはソファーに座る老紳士然とした宮廷の使者に向き直るとそう答えた。美しかったであろう若い頃の面影を残す齢六〇半ばの老男爵夫人は品のある、しかし強い意志を込めて所領を捨てて避難する事を拒否する。

 

「それよりも領民……せめて女子供だけでも避難させるための船舶を要求している筈ですが、其方はどうなっておいでですか?」

 

 男爵夫人は窓際から見える景色を見つめながら使者に尋ねる。既に賊軍と亡命政府軍の戦闘は男爵夫人の所領のあるヘリヤ星系外縁部でも小競り合いレベルではあるが生じている。要塞化されたシグルーン星系の防衛線突破も時間の問題となれば一日でも早く臣民の避難をさせるべきであった。だが……。

 

「何分、軍の輸送能力にも限界がありまして。輸送船は無論、その護衛も満足に抽出出来ず……」

 

 使者は渋い表情を浮かべ現状について言及する。最前線のシグルーン星系すら未だ三〇万もの臣民が残されており、現状その避難に集中せざるを得ない。また前線は常に戦力的に優勢な帝国軍と綱渡りの戦いを続けており民間船舶すら支援艦艇として各種の業務に転用する有様だ。行きは兵士と物資と新品の兵器を満載し、帰りは負傷兵と損傷した装備と『特別貨物』を持って帰る、なんて事が常態化している。到底男爵夫人の領民を避難させる時間も余裕もない。だからこそ宮廷はせめて夫人だけでも安全な『新美泉宮』に避難する事を勧めているのだが……。

 

「御気持ちだけは受け取らせて頂きますわ。陛下にはたかが一男爵夫人に過分な配慮をして下さる事、感謝致しますと御伝え下さいまし」

「男爵夫人……!」

 

 ザルツブルク男爵夫人の言葉に使者は思い直すように声を上げる。だが、男爵夫人の決断は変わらない。

 

「夫は何十年も前に戦死致しました。子供達にも先立たれ、我が家はもう私一人しかおりません。今命を惜しんで避難しても遠からず男爵家は途絶えるでしょう。それは構いません、覚悟はしております」

 

 そう言って視線を向けるのは壁にかけられた一族の肖像画である。若い頃の彼女と共に描かれた夫も、息子達も戦死してしまった。親族も似たようなもの、唯一肖像画の中で生きているのは自身と、妹の腕に抱かれたまだ赤子の甥位のものだろう。

 

「甥が……ヘルマンが所領と領民と、家を継承する事になりましょう。その時に前領主であり血縁たる私が所領を捨て逃げたとなればどうなるでしょうか?ザルツブルク家同様、リューネブルク家もまた亡命政府成立以来の家ではありません。領民も先祖代々の者達ではなく個々に亡命した者達の寄せ集め、私が逃げればほかの諸侯から血縁である故に軽視され、相続するこの所領の領民からの信用も失いましょう。甥に負債は残したくありません。それ位ならば子孫のために戦って討ち死にしましょう」

 

 男爵夫人は使者に振り向きそう強い声で答える。その瞳には文字通り命をも賭けようという覚悟が宿っていた。

 

「ビルギッタ……」

「……港までお見送りしましょう。どうぞ、陛下に良しなに御伝え下さい」

 

 使者の自身を呼ぶ声に男爵夫人は僅かに苦笑を含んだ笑みを浮かべ、しかし未練を断ち切るように会話を打ち切る言葉を放つ。そこには妥協を許さない強固な意志が垣間見えた。

 

「……承知致しました。それではそろそろ御暇致しましょう」

 

 男爵夫人の覚悟の程を確認し、使者もここは折れるしかなかった。少なくともこの老男爵夫人は最低限領民の避難が完了しなければこの所領を去る事はないだろう。

 

 使者は夫人と共に屋敷を出ると重力制御が為された臣民居住区を護衛付きの馬車で抜け、鉱山地区、そして港湾部へと向かう。港湾部では強化硝子越しに小惑星の間に築かれた港に停泊する戦艦が視界に映る。使者がこの所領に出向く際に乗艦した艦だ。周囲には男爵家私兵軍の大型戦闘艇や民間小型船舶も停泊していた。

 

 ヘリヤ星系外縁部、ザルツブルク男爵領たるノイメクレンブルクは居住地区や農業地区のある全長九キロの『主島』及び周辺宙域から運び出され『本島』ないし其々連結された全長一〇キロから四〇キロまでの六つの鉱山小惑星からなる『採掘島』、及び掘り起こした金属の精錬加工を行う『工業島』によって構成される人口一〇万程の所領であった。それは帝国の男爵領としてはギリギリ及第点という規模ではあるが、殆ど領民も家臣もいない状態から築いた事を思えば文字通り血と汗の結晶と呼ぶべきものである事も確かだった。

 

「皇帝陛下の公使、リスナー男爵の御出立に礼!」

 

 宇宙港ではザルツブルク男爵家私兵軍の儀仗兵達が捧げ銃の姿勢で使者であるリスナー男爵が戦艦に乗り所領から去るのを見送る。

 

「……男爵夫人、御言葉は御伝え致しますが……恐らく今一度、皇帝陛下からの名代として其方に御出迎えに来るになりましょう。どうぞ、その時までに御出立の御準備を為さって下さいませ」

「兵士は兎も角、領民の分の船を用意して頂ければ私も喜んで宮廷に参上致しましょう。どうぞその事を御伝え下さい」

 

 恭しい男爵夫人の態度にリスナー男爵は小さく頭を振り、戦艦に乗り込む。

 

 出港準備の整った戦艦は周囲の数隻の護衛駆逐艦と共に管制塔の指示に従い港湾部をゆっくりと出ていく。港湾部のターミナルでは尚も男爵夫人と兵士達が見送りの礼を続ける姿が確認出来、要人輸送用戦艦『ヘルゴラント』艦橋ではリスナー男爵が小さく溜息を吐いた。

 

「失敗致しましたか?」

「そのようだな、艦長。……まぁ、所領を捨てよと言えばこうもなろうよ」

 

 リスナー男爵は彼女を強く責める気にはなれなかった。貴族にとって所領は文字通り家であり故郷そのものだ。それが戦火で焼かれると知っていて捨てられる者がどれだけいよう?まして一族が一度領地を捨て、一から再度開拓した領地であればどうか?子孫の名誉を考えればどうか?そこまで考えれば死ぬのを承知でも縋りつきたくもなろう。特に男爵夫人は弱冠一〇歳の頃に嫁いで以来半世紀に渡り住まう地、愛着は相当のものであろう。

 

「しかし……軍も戦力に余裕はありません。援軍なぞ送れないでしょう。そうなれば男爵夫人は手持ちの戦力だけで戦わざるをえません」

 

 人口一〇万と少しの男爵領である。常備軍は一個連隊程度、予備役や後備役を総動員しても地上部隊一万、男手を根こそぎ動員しても二万やそこらの戦力にしかなるまい。練度も高くはなかろう。宇宙戦力に至っては巡航艦一隻と駆逐艦三隻、そこに大型戦闘艇が十数隻という有様だ。文字通り艦隊は鎧袖一触にされる事だろう。坑道を使ったゲリラ戦を行えば地上部隊はある程度は持とうが……どの道運命は変わらない。

 

「領主に兵士、領民総玉砕か。愉快な話ではないな」

 

 より笑えないのはそれは局地的な悲劇ではなく、最悪本土ですら起こり得る事態であるという事だろう。

 

「その前に市民軍が纏まった戦力を派遣出来るか、ですな」

「うむ、不愉快な事実ではあるがな」

 

 そのためにも大公殿下方の御尽力に期待するしかないか……リスナー男爵は今頃極秘裏にフェザーンに入国しているであろう使節団の事を思い、その幸運を内心で祈る。

 

 リスナー男爵にとっても、生き残っている最後の姉妹を見殺しにしたくなかったから……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゴールデンバウム朝銀河帝国に存在する四〇〇〇を超える諸侯の内、伯爵家以上の大貴族は二〇〇家余り、全体の五パーセントにも満たない。

 

 そんな大貴族の中においてもブラウンシュヴァイク一門は、宇宙暦790年時点において帝室との婚姻関係すら有する、帝国国内で五本の指に入る権勢を保持する大諸侯である。

 

 ブラウンシュヴァイク家は権門四七家の一つにして宮中一三家の一つにその座を占める帝国開闢以来の名門中の名門であり、初代当主たるベルトルト一世は帝国警察総局局長、帝国検察庁長官、司法尚書、国務尚書を歴任、同時に辺境においては崩壊した地方警察組織・司法組織の再建と再編に尽力した重臣だ。その性質上、代々帝国の暗部の仕事にも携わり帝室と帝国を裏で支え続けて来た一族でもある。

 

 時代は下り、その現在の勢力は驚嘆すべきものだ。本家たるブラウンシュヴァイク公爵家だけで有人惑星三個、衛星ドーム型都市二七個、大規模小惑星鉱山一八個、人工天体六個を保持し、分家は諸侯だけでも同じブラウンシュヴァイクを名の有する家が二二家、フレーゲル侯爵家やコルプト子爵家、シャイド男爵家等名を変えて独立した家及びその分家は一六家、帝国騎士号を有する有象無象の下級分家は恐らく一〇〇家は下るまい。一族の者の総数は数千人に及ぶ。

 

 無論、婚姻関係にある諸侯も名家が名を連ねる。カルステン公爵家、ハルテンブルク伯爵家、ルーゲ伯爵家、カルテナー子爵家等はその代表例と言えよう。

 

 陪臣すらアンスバッハ従士家を筆頭に下級諸侯に匹敵する名家が七つも存在する。従士家全体の数は二〇〇〇家に上り、奉公人の家は万に届こう。食客を数千人抱えて、私兵軍は全ての分家を合わせれば一〇〇万を超え、領民・農奴・私有奴隷の合計は同じく推定一〇億人になるのではと言われている。傘下貴族は諸侯だけでも数百家に達する。この強大な勢力に正面から対抗可能なのはカストロプ家かリッテンハイム家位であろう。正に帝国随一の権門だ。

 

 フェザーン・コーベルク街の高級カジノ一角で我が物顔で居座るのはそんな銀河帝国の名家の末席を占める男爵であった。

 

 ヴェルフ=ブラウンシュヴァイク男爵家当主にしてブラウンシュヴァイク家一門の当主オットーを伯父に持つ……彼の父はオットーの腹違いの兄弟だ……シュバルツ・フォン・ブラウンシュヴァイクはこの年二七歳。今から一三年前……即ち宇宙暦777年、当時のブラウンシュヴァイク公爵家の当主継承問題のとばっちりで両親が新無憂宮で『事故死』して以来、領地を捨てて数名の臣下と幾らかの資産と共にフェザーン『旅行』を一三年に渡り続けており、その間コーベルク街を一度も出ていない『半亡命貴族』というべき人物だ。

 

 そして、自由惑星同盟軍情報局の有する帝国宮廷に対する『アセット』でもある。

 

「おいおい、その言い方は誤解を招くから止めてくれないかねぇ?まるで俺が帝国の裏切り者みたいな表現じゃないか?」

 

 喧噪の止まないカジノの一室で膝に愛人であろう少女……若く、少なくとも二十歳になっていない大人しそうな顔立ちだった……を乗せて護衛の黒服に注文した料理を食べさせながらニタニタと此方を観察する男爵。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「俺はあくまで叔父上の使者やこの街で羽を伸ばしている貴族仲間から聞いた話を世間話で話して見返りの『チップ』を貰っているだけだぜ?神聖不可侵なる皇帝陛下や一族に弓を引くなんてとてもとても……」

 

 自分でも口にしている程信用していない言葉を吐きながら肩を竦める男爵。護衛がスプーンで掬ったミルヒライスを子供のように口を開き咀嚼する。

 

 祖国たる帝国を半分程裏切っているにも関わらず悪びれる様子が一切無いのは、この男爵の高慢さもあろうが、それだけが理由ではないだろう。彼は帝国政界、特に統制派と同盟政府間との貴重なパイプラインの一つだ。

 

 文官貴族中心の統制派は特にイゼルローン要塞建設以降、出兵には否定的な立場を主張している勢力だ。余りに実入りが少ない対同盟戦争に精を出すよりも国内の統制……特に共和主義者の弾圧や独立志向の強い地方貴族への圧力強化……を進め、軍事費を国内経済の活性化に振り向けるべき、というのが彼らの主張だ。文官貴族は帝国直轄領に対する既得権益が多いし、戦争では宮廷闘争のための功績稼ぎが難しい事も理由だろう。それ故に武門貴族の多いリッテンハイム侯の革新派や地方貴族の多いカストロプ公の分権派、また慣例主義でポストに居座り惰性で戦争を続ける旧守派と対立している。

 

 無論、だからと言って親同盟的と言う訳でもない。事実三〇年前の宮廷クーデターではベルンカステル・リッテンハイム両家と共に同盟に対して大幅譲歩し、ジークマイスター機関残党と結託していたクレメンツ大公を追放する事に手を貸しているのがその証明だ。その意味では反戦派というよりは非戦派と呼ぶべきかも知れない。

 

 それでも統制派は同盟政府からすれば比較的対話しやすい立場である事も確かであるし、統制派からしてもこういった窓口を通じて他派閥の足を引っ張るために同盟政府は『利用』出来る相手でもある、それ故彼のような人物の存在が帝国宮廷に許されている側面があった。

 

「まぁ、一番の理由は叔父上が甘甘な所なんだけどな?」

 

 ビリヤード台の上にあった飲みかけのビール瓶を掴み流し込むようにして飲んだ後、口元を袖で拭いて男爵はへらへらと笑いながら答える。

 

 ブラウンシュヴァイク公爵の身内への寛容さは有名な話だ。

 

 若い頃から鷹揚で気前の良さで知られていたブラウンシュヴァイク公オットーは公爵位を継承するまでは青年貴族達の棟梁的存在として知られていた。彼の父もまた前皇帝オトフリート五世の緊縮政策の煽りを受けて困窮する貴族達を援助して貸しを作り勢力を拡大する等強かであったが、オットーの場合はより表裏無く同年代の友人達を助け、また年下の貴族子弟に対してもその面倒見の良さで知られていた。

 

 当然ながら同年代や年下の友人にそのように接する以上、身内に対しても(良くも悪くも)愛情が深く、それ故にこの公爵は身内がどのような問題児であろうとも、不祥事を起こそうとも勘当や叱責もせずに寧ろ尻拭いしてしまう傾向があった。

 

 特に彼が公爵位を得る過程で生じた幾つかの宮廷の小事件、弟同然に可愛がりブラウンシュヴァイク公爵家が後見人にもなっていたフリードリヒ四世三男フランツが成人し皇太子になる前日に大量の血を吐きながら『病死』した事、その後も多くの皇族が早世した結果として愛娘エリザベードの皇位継承が現実味を帯びるようになると周囲への猜疑心が強まり、反比例するように一層身内贔屓が強まっているように見える。領地の管理も一族の集まりも、参勤交代の皇帝に対する面会すら行わずに延々とこの街で堕落した生活を続けているこの男爵が未だ廃嫡されていないのはオットーの尽力あってこそであろう。

 

「まぁ、そんな事には興味は無いんだったよな、伯世子殿?いやぁ、バグダッシュ君が会わせたい人物がいると言うので会ってみれば……まさか最近世間で話題になってる彼方の伯爵家の跡取り様とは驚いたよ」

「噂、ですか?」

 

 彼が触れている世間は恐らくは新無憂宮の事であると思われた。市井も報道も関係ない。それは平民にとっての世間だ。貴族達にとっての世界、そして世間は宮廷であり、即ち新無憂宮以外に無い。

 

「ツィーテン公を捕虜にしたのもそうだが、それ以上にあの野蛮人から逃げ切れば話題にもなるさな。前者も大概だが後者なんてドン引き案件だぜ?腕一本飛んで一昼夜そのままで逃げてたんだろ?良くもまぁ生きているもんだわ」

 

 私の義手に視線をやってから男爵は心底呆れ果てるようにぼやく。あの石器時代の勇者は伝統ある武門貴族や叩き上げの士族将官すら顔を引きつらせざるを得ないようなクレイジーな人物だ。亡命したとは言え名門武門貴族の一員がそれとエンカウントして命からがら逃げ延びたのはそれなりに話題性のある話ではあるだろう。

 

 一方、背後の従士達は僅かに顔をしかめた。曲がりなりにも自分達の主人が死にかけた案件を酒のつまみのようにオーディンの貴族達に話題にされたともなれば愉快ではないのだろう。私自身も同感だ。

 

「そりゃあどうも。これから銀河の其方側の貴族と会う時には自己紹介には困らん訳だな」

 

 恐らく野蛮人に右腕切り落とされたティルピッツ家の小僧です!とでも言えば彼方の高貴な家柄の方々はきっと名前を思い出してくれるだろう。素晴らしいね。

 

「おやおや、嬉しくなさそうだな?名が売れるなんて貴族として最高の栄誉だろうに」

 

 男爵は皮肉気味に自虐の笑みを浮かべる私を冷笑する。同時にその笑みには僅かに嘲りと同情の念が込められているようにも見えた。

 

「……さて、今日勇敢な軍人たる伯世子殿が如何わしいカジノに来たのは別にオーディンでの評判を尋ねに来た訳でもないのは理解しているよ。用件は………叔父上をカストロプの野郎に嗾ける積もりといった所か?」

 

 男爵は手元の飲みかけのビール瓶を気だるげにぶらぶらと揺らしながら見つめると口元を三日月状に吊り上げ、限りなく正答に近い内容を言い当てる。

 

「こんな所で閉じ籠っていても色々話を持ってきてくれる『友達』はいてね、昨日か二日前位か?何ともまぁ豪華な顔触れじゃないか?大公殿下が自ら足を運ぶとはね。この分では随分と公王様も焦っているようにお見受けする」

 

 その言葉に背後に控えていた従士二人が殺気を放ったのが分かった。神聖不可侵たる皇帝……それも『偽帝』ではなく本物の『皇帝陛下』を嘲られればそれはある意味当然の事ではあった。だが流石に今この場で彼女達の行動は不味い。  

 

 殺気を察知した男爵背後の黒服達が懐に手を突っ込みながら前に出る。恐らくは背後の二人も拳銃に手を添えているだろう。バグダッシュ少佐が慌てて場を収めるために動こうとする。

 

「止めろ二人共」

 

 私はちらりと背後に視線を向け鋭い、有無を言わさぬ強い声で二人を叱責する。びくっ、とベアト達はその声に身体を硬直させる。

 

「わ、若様!しかし今の発言は皇帝陛下の御名誉をっ……!」

「安い挑発だ、こんなものに乗ったらオーディンの馬鹿共にアルレスハイムの貴族は底が浅いと笑われるぞ?どうせこれで貸し一つ……とでも言う積もりだったんだろう。なぁ、男爵?」

 

 声を荒げるテレジアを宥め、私は小馬鹿にするように男爵に尋ねる。黒服達の視線がサングラス越しでも分かった。うん、怖い。

 

「……ふぅむ、一人位撃ち殺してくれれば『損害賠償』を請求出来たんだがな、道楽者の戯れ言程度じゃあ本気で怒らせるのは無理みたいだな。残念」

 

 心底残念そうに肩を落としながら膝に乗せた少女の頭に手を添えて飼い犬にするように撫で回し弄ぶ男爵。そのまま黒服達に下がるように命じると、黒服達は恭しく頭を下げて後方に退く。

 

「さて、曲りなりにも帝室の系譜に連なる公王家への非礼だな。取り敢えず謝罪はしようか」

 

 流石にこのまま話を続けるのは宜しくないと判断したのか、心の伴わない形ばかりの謝罪の言葉を紡ぐ男爵。

 

「此方としては不満足だが……まぁ、『今回』は大目にみましょう。私も今回の場をしつらえた少佐の顔を汚したくはない。それはそうと……」

 

 出汁にされたバグダッシュ少佐が眉を顰めるのは無視し、私は多少演技がかった怪訝な表情を浮かべる。そして続ける。

 

「……カストロプ公やリヒテンラーデ侯の失点はブラウンシュヴァイク公にとっても決して損では無いと愚考しますが?貴方にとっても保護者たるブラウンシュヴァイク公に奉公する良い機会でしょう?」

 

 私は挑発的な言葉を吐いた男爵の真意について探る。同盟政府と亡命政府に裏で便宜を図るのはブラウンシュヴァイク家にとって必ずしも悪い内容ではない筈だ。ここで敵意を煽る必要性はないが……。

 

「リッテンハイム家はどうよ?他方の勢力が弱まれば別の勢力が強まるのは道理だろう?美的センスが糞なデブと棺に片足突っ込んだ狸爺ではあるが、あれでもチョビ髭の牽制にはなるからな。叔父上の立場でいえば三者同時に消えてくれるのが一番なのは分かるよな?」

 

 私の質問に偉そうに頬杖に足組みをしながら見下げるように此方を見やりながら青年貴族は答えた。その態度は原作の根拠のない自信に満ち満ちた高慢貴族のそれと非常に良く似ていた。

 

 ……尤も、『似ている』と『同じ』では全く意味合いが異なるのだが。

 

「そうでなくても、下手に動けばリッテンハイム侯が叔父上を国賊扱いしかねないしな。あるいは三者が組む事もあり得るか?奴ら全員に従妹は目障りな存在だからな、嬉々として手を結びかねんわけよ」

 

 顎を摩りながら逡巡しつつ男爵は自分達が動かずにいるべき理由を口にする。

 

 正直な所、フリードリヒ四世死後の皇帝レースにおいてブラウンシュヴァイク公オットーの娘エリザベードは最有力候補の一人だ。

 

 現在唯一の皇太子ルードヴィヒは慣例主義の旧守派から一応の支持を得ているが、あくまでもそれは消極的な支持であり、そもそも老人ばかりの彼らは今後十年、二十年皇太子の傍で仕える事は不可能だ。かといって次世代を担う若手主要貴族の大半は下級貴族を母に持つルードヴィヒ皇太子を疎んじブラウンシュヴァイク・リッテンハイム・カストロプ等が後ろ盾となる後継者を支持している。残る貴族も遥かに血筋の良いリンダーホープ公の擁するボヘミア大公やノウゼン侯の保護するローゼンフェルト大公の方がまだ勝機があると踏んでいた。仮に皇位を継いでも帝国の運営は至難の業であろう。

 

 特にルードヴィヒ皇太子にとって唯一の逆転の目となり得、旧守派主要幹部からも薦められていた政略結婚による後ろ盾獲得を本人が蹴ったのは致命的だ。当時、カルステン公やノイエ・シュタウフェン公、クライン公、ベルンカステル侯等の大諸侯が数年程前まで半分程愛国心と帝室に対する義務感……善意で皇太子に親族の娘を勧めていた。

 

 それを何をとち狂ったのか、皇太子が下級貴族である臣下の娘と恋愛結婚してしまったのだから宮廷は絶句した事だろう。いや、宮廷や教会に正式な婚姻を認められていないので事実婚であろうか。兎も角も、これで恥をかかされた家々の支持を得るのは絶望的になってしまった。

 

 となればルードヴィヒ皇太子が皇帝に即位する事は、万一即位出来たとしてもそれが長く続く事も、ましてその血脈が次代に続く事も限りなく困難となった。

 

 ここで注目されるのがブラウンシュヴァイク公爵家のエリザベードである。一族は帝国の暗部に関わり広範な文官貴族の支持を得ている。母アマーリエはフリードリヒ四世の皇后の娘であり、リッテンハイム侯の妻クリスティーネの同腹姉でもある。彼女自身もサビーネよりも二つ年上の従姉だ。ブラウンシュヴァイク公・リッテンハイム侯の仲は険悪ではあるが、妻同士・従姉妹同士の仲は少なくとも互いに族滅し合う程溝は深くないとされ、仮に後継者争いになっても流血は精々敗者側の諸侯の当主達の総自裁と幾らかの領地の召し上げで済むだろうと言われている。当然ながら宮廷のハイエナとして悪名高いカストロプ公の神輿にしている後継者なぞ文官貴族も武門貴族も願い下げだ。ブラウンシュヴァイク・リッテンハイム両家の支持者の中にはカストロプ公に恨みのある者は少なくない。女性である事を除けば最も最善の候補者であるのは明らかだった。

 

 逆説的に言えば、最も玉座に近いエリザベードを擁するブラウンシュヴァイク家を陥れるという唯一つの目的のために、残る者達が一時的な同盟を組む可能性もあった。特に追い詰めすぎたり、勢力バランスが崩れそうな行為を行った場合は。

 

「そんな中で危険を冒してまで亡命政府の手助けする(火中の栗を拾う)馬鹿がいるか?それに最近クロプシュトックの負け犬辺りも妙な動きをしているしな。其方への注意もある。……なぁ、伯世子様は何か知らね?」

「クロプシュトック?旧クレメンツ派ですか。さて、敗北者同士で同窓会でも開いているのでは?まぁ、現実的に考えればどこぞの派閥に合流するか新しい候補者擁立でも企てている、と言った所でしょうね」

 

 内心で私にその話を振るな!と叫びつつ極極常識的な内容で答える。実際嘘は言っていない。彼方と同盟政府の連携については私は別部署なので詳しく知らないし、候補者(?)がいるのは間違いないのだから。

 

「ふぅん……いやな?三〇年近く引き籠り生活していた負け犬が急に彼方此方に献金したり、手紙出したり、後は豪勢に領地で宴会開いたりすれば誰だって怪しむものだろう?」

 

 おいボンバーマン侯爵、めっちゃ怪しまれとるやんけ。やる気出たからってはしゃぎ過ぎだろうが。周囲の視線考えろ馬鹿。……いや、ブラウンシュヴァイク家の諜報能力あっての情報かも知れんが。

 

「成程、確かに怪しむべき内容ではありますね。とは言え我ら亡命政府にとっては関係の無い事ですよ」

「そう、御宅らには関心の無い事だろうさ。そして此方にとっても御宅らの存亡は然程興味のない事さ。寧ろ、可愛い可愛い従妹の事を思えば皇族は少ない方が良いと思わないか?」

 

 ここで他派閥の動向に警戒して動くよりも亡命政府が勝手に消えてくれる方が良い、という訳か。さて、どこまでが本音でどこまでがブラフなのやら……。

 

(いや、最悪何方に転がっても良いとでも思ってそうではあるかな?)

 

 一方に掛け金を賭けるのは三流のギャンブラーだ。一流の謀略家は可能な限りリスクを分散する。そしてどう事態が推移しても最低限の利益を手に入れて見せるものだ。

 

 まぁ、超一流になると逆に思い切りよく勝ち馬に一点賭けして見せるものだが……少なくともブラウンシュヴァイク公にそこまでの才覚は無かろう。

 

「旦那様」

 

 暫し剣呑な空気が漂っていた場の沈黙を破ったのは一人の黒服であった。懐の金の懐中時計を開き時間を確認すると耳元で何やら男爵に囁く。男爵は高慢な態度でそれに頷き、私とバグダッシュ少佐に向けて答える。

 

「悪いがそろそろ失礼させてもらうよ?此方も次の予定があってな。コロセウムの特等席で観戦予約してるんだ。デビル大蛇とナルガクルガの注目カードだ。両方中々狂暴でね、賭け金も鰻登りらしい。伯世子殿も興味があれば今からでも間に合うから一口賭けてみたらどうだい?」

 

 そう言い捨てると膝元の少女をどかせて、ブラウンシュヴァイク男爵は立ち上がった。そしてそのままバグダッシュ少佐の制止を無視して飄々とその場を去っていったのだった。当然ながら、私にはそれを見送る以外の選択肢はなかった。

 

 

 

 

 

 

「それでどうだ?お前達から見てあの男爵様は?有効活用出来そうか?」

 

 カジノを出てからコーベルク街外周区の高級喫茶店『レ・ミゼラブル』の二階にある個室席を借りた私は、注文した紅茶の毒見が済まされた後、第一声でそう質問した。目の前にはテーブルを挟んで従士が二人、個室の扉のすぐ傍に椅子を置いてバグダッシュ少佐が足を組んで私達を観察していた。全員紅茶か珈琲を注文している。

 

「個人的な所見を申し上げますと然程期待出来る人物ではないかと」

 

 真っ先に答えたのはテレジアだ。

 

「その根拠は?」

「確かに男爵は彼のブラウンシュヴァイク公爵家一門の末席に座を占める人物ではあります。ですが逆説的に言えばそれだけの人物です。一三年に渡りフェザーンから出た事すら無いのです。情報は人伝いという事になります。となれば必ずしも男爵の有する宮廷動向が事実に即しているとは限りません」

 

 テレジアはまず男爵の情報収集能力について疑問を呈する。

 

「それともう一点の疑問は影響力です。ブラウンシュヴァイク公が親族に対して慈悲深いのは事実でしょう。ですがそれと親族の意見を汲み取り、支持するかは別問題で御座います。世間一般の常識として男爵は宮廷でも名を知られた放蕩児で御座います。公爵自身は兎も角、一族や統制派全体が彼の言葉で動くのは余り期待出来ないかと」

 

 コーベルク街はルドルフ大帝の価値観でいえば存在そのものが許しがたい悪徳の都だ。帝国の価値観を極めて厳正に守れば飲酒は当然、煙草も賭博も、電子ゲームにネットサーフィン、女遊びに間食に朝まで夜遊び………それらは人間の精神を腐敗させ、家庭と社会を崩壊させる第一歩だ。

 

 無論、流石にルドルフ大帝の言を完全に守れる人間なぞ大帝の生前ですら皆無、大帝自身それらを一切の例外なく守らせ、全う出来ない者に死を与える事は出来なかった。

 

 だが、だがである。例えそうであるとしても一三年も朝っぱらから卑しい平民の飲む麦酒やウォッカを飲み泥酔し、賭博に電子ゲームにネットサーフィンを真夜中どころか朝日が昇るまで熱中し、娼館巡りを公然と行うような領地をほったらかして領主としての責任を放棄し官僚になるでも、軍人になるでもない文字通りの放蕩児が男爵なのだ。

 

 原作では門閥貴族の放蕩が良く触れられたが、現実では放蕩貴族なぞ全体の極一部である。帝都で馬鹿騒ぎするような貴族は悪目立ちするし、逆に責任感のある貴族は態々市井で姿を見せる事は稀だ。重役を背負う者の場合であればそれこそ一時の気晴らしであろう。本当の意味で遊んでばかりの馬鹿貴族共が国政を左右しているのなら帝国は五〇〇年も続くまい。大半の諸侯は才能は兎も角、権力者としての最低限の責任と節度は弁えているものだ。

 

 その意味では確かに男爵は文字通りで家柄だけの人物のように思える。ブラウンシュヴァイク公も暗愚ではない。少なくとも宮廷闘争と内政においては少なくとも素人ではない。あれでも倍率三桁に達する帝国の帝国高等文官試験を突破したエリートだ。そんな人物が放蕩者の親戚の言葉にどこまで影響されようか?というのがテレジアの主張だ。

 

「亡命政府の一大事であるこの時期に、よりによってあのような男爵との面会で貴重な時間を浪費するなぞ……!バグダッシュ少佐、少佐や情報局は何を考えておいでなのですか!!?もっと他に良い交渉窓口は無かったのですかっ!!?」

 

 テレジアは不満をありありと見せながらバグダッシュ少佐の方向を向いて問い詰める。彼女からすれば只でさえ堕落仕切った一族の七光りだけが取り柄の男爵に亡命政府と皇帝、そして主人を小馬鹿にされ、袖にされたように思えただろう。それ故にその怒りは苛烈だった。

 

(とは言え……流石に少し気が立ち過ぎかね?)

 

 元々ベアトよりも落ち着いて、冷静な性格の筈なのだが……最近の彼女は少し冷静さが足りないように見えた。無論、私の気のせいかも知れないが………。

 

「そう申しましてもね、男爵は曲がりなりにもブラウンシュヴァイク公の身内です。即ち血筋として統制派中枢に極めて近い人物なのは間違いありません。……当然ながら国政中枢を担う帝国貴族は公用なら兎も角、私用でフェザーンを訪問する者は余りおりません。良い噂が立ちませんからね」

 

 フェザーンが銀河の外交と経済の中心地であるために、公務やビジネスが目的ならば国政に携わる大貴族が訪れる事は少なくない。

 

 しかし実の所、私用となるとこれが中々事例は限られるのだ。

 

 フェザーンの町並みは同盟に近く、しかも同盟以上に俗らし過ぎる。ルドルフ大帝の唱えた美的価値観からは程遠い存在だ。特にコーベルク街なぞ、伝統的な門閥貴族にとっては少なくとも頻繁に出向く事は推奨されないような街である。少なくとも伯爵家以上の大貴族が年に何度も入場するような街でも、長期滞在する街でもない。そして同時に、合法的に同盟人諜報員が門閥貴族と接触出来る街はコーベルク街等の一部例外を除きそう多くはなかった。

 

 フェザーンの表街は実はそう簡単に同盟人や帝国人が出歩ける場所ではない。過去、戦乱や徴兵から逃れるために中立国であるフェザーンの街に亡命する者、敵国の工作員に誘拐される者、あるいは買収されて機密情報を流出させてしまう者が後を断たなかった。それ故に同盟と帝国はフェザーンに圧力を掛けて宇宙暦707年にはフェザーンへの移民や居住に制限をかけた。

 

 だが、フェザーンは銀河ビジネスの中心地である事もまた事実。ビジネスを行うには流石に直接人をフェザーンに送り込まなければならないし、諜報員を潜り込ませるにもフェザーン居住の自国人は多い方が紛れ込ませやすい。しかし先程のような問題がある。その解決策としてフェザーン第三代自治領主ハミルトンが提案したのが両国がフェザーンにそれぞれ租借する『租界』である。

 

 実の所、フェザーン居住の同盟・帝国人の大半が居住するのがこの『租界』だ。フェザーン旅行に来る旅行者の大半がこの『租界』を観光し、その外のフェザーン人達の住まう『本物のフェザーン』の街を出歩く事は殆んどないし、両国政府、そして自治領主府が許さない。両国人が『租界』の外に外出又は居住するには相応の手続きが必要だ。

 

「当然、『租界』の周りはフェザーンないし同盟への逃亡を阻止するために帝国の駐留軍が警備している。フェザーンに訪れる大貴族が私用で『租界』の外に出る事はなく、フェザーン居住の亡命貴族は大抵権力中枢から追い出されているから情報源以上の価値はない。その点、コーベルク街に居座り続ける男爵は公爵との繋がりがまだあるので丁度良い立ち位置な訳か」

「御賢察、恐れ入ります大佐殿」

 

 テレジアに責められるバグダッシュ少佐は私の助け舟に堂々と乗り、恭しく称賛の言葉を口にする。よくもまぁ、心にも無い言葉をぬけぬけと……。

 

「まぁ、そういう訳だ。テレジア、気持ちは分かるが同盟の情報局も無能揃いじゃあるまい。交渉窓口として男爵の利用価値が高いのは間違いないのだろうよ。そう怒ってやるな」

 

 私は苦笑を浮かべながらテレジアを宥める。彼女の苛立ちの理由は今一つ分からないが立場上手綱を引けるのは私位のものであり、今回の任務の特性上それを躊躇するべきではなかった。

 

「し、承知致しました……」

 

 歯切れ悪くそう謝罪の言葉を口にし、テレジアはバグダッシュ少佐への矛を渋々抑える。それを確認した後、私はベアトの方に尋ねる。

 

「ベアト、お前はどう見る?」

「少なくとも完全な道楽者ではないかと」

 

 僅かに考え込んだ後、ベアトは口を開き答えた。

 

「……理由を聞いても?」

 

 私は彼女に続きを促す。

 

「はい、確かに一見道化を演じておりますが、男爵は我々の状況をほぼ完全に把握しておりました。バグダッシュ少佐、失礼ながら我々についてあそこまで情報を提供なされましたか?」

 

 確認するようにベアトはバグダッシュ少佐に質問する。

 

「いえ、亡命政府出身の貴族……即ちティルピッツ大佐との面会を希望しただけです。無論、大佐のお名前は出してはおりません」

「僭越ながら宮廷というものは常に様々な流言や噂が話題となる空間です。失礼ながら若様の事もその一つに過ぎません。しかもブラウンシュヴァイク家は文官貴族、亡命した武門貴族についての話題をフェザーンに籠り切りの男爵が偶然それだけ有していたとは考え難い事です。恐らく男爵はオーディンに流れる噂について幅広く把握していると考えられます」

「らしいが、バグダッシュ少佐?」

「はい、此方も男爵とは長年の付き合いではありますが彼方の漏らす情報に明らかな嘘はないと判断しております」

 

 テレジアの方に視線を一瞬移した後、少佐は断言する。

 

「次いで、私が観察した限りですが、若様個人の情報だけでなく、此度の使節団についても情報をかなり詳しく把握している模様です。シュヴェリーン大公殿下の存在は特に緘口令が敷かれている程の重要事項の筈、バグダッシュ少佐、まさかとは思いますが同盟軍の防諜体制はそこまでザルなのでしょうか?」

「それについては情報局全体を代表して謝罪しましょう。ですが我が方も長年帝国軍の諜報部門と暗闘を繰り広げて来た身、決して雑な体制を敷いていた訳ではないと明言いたします」

「その点については私も心配していた。君を通じてのお願いになるが大公殿下の警護体制の強化を御願いしたいな。でだベアト、バグダッシュ少佐の言葉を信じるならば、大公殿下の情報が漏れたのは同盟からではない事になる。つまりは漏らしたのはフェザーン、という認識で間違いないな?」

「私見ではありますが」

 

 ベアトの返答に場の空気が険しくなる。ワレンコフ自治領主が漏らした訳ではあるまい。となるとそれ以外のフェザーンの要人からとなる訳か。ワレンコフ自治領主も馬鹿ではない。可能な限り交渉が成功するように親帝国派への情報開示はギリギリまで行っていまい。そして昨日のパーティーで知られたとしても男爵の下に届くには早すぎる。

 

「つまり男爵はフェザーンにそれ以外の情報網を持っている、あるいは自治領主府や元老院の親帝国派から優先してその手の話が伝えられる程に重視されていると言う訳だ」

 

 そう考えれば油断出来る人物でも、軽視出来る人物でもない。新無憂宮の動向だけではない、フェザーンの親帝国派の動きを探る上でも重要な立ち位置にいるという事……。

 

「そうなると無碍には出来ない訳だな」

 

 統制派に対する影響力だけではない。フェザーンの親帝国派にもある程度の繋がりがあるとなれば粗略に扱う訳にもいくまい。

 

(フェザーンの親帝国派の大半は別に帝室を崇拝している訳ではない。あくまでもビジネスのために帝国に肩入れしている輩だ。その辺りを突けば統制派とフェザーン、双方を味方にする事も不可能ではない、か………?)

 

 私は一人で思考の海に浸かりじっくりと考察する。今回ばかりはミスは許されない。故郷の命運が掛かっているのだから………。

 

『私の歌を聴けー!!』

 

 突如として個室に響いたのは何処かで聞いた事のある生意気な小娘の掛け声と共に始まるロック風味の音楽であった。

 

 昨年フェザーン・ツアーでは三日間の公演で一枚五〇〇フェザーン・マルクするチケットが三〇〇万枚即完売、ネットオークションではプレミアがついて最高で一枚三〇〇〇フェザーン・マルクの値までついた程フェザーンでの人気は絶好調、フェザーンに浮かぶマグロ・ツェッペリンのソリビジョン広告でちらほらその姿は見る事が出来る程なので、着メロに指定している者がいるのは可笑しくはない。可笑しくはないのだが……。

 

 私はジト目で音の方向に視線を向ける。そこには髭を生やした同盟軍情報局のエージェントがいる訳で……。

 

「あ、連絡ですね。失礼、少し席を離します」

 

 携帯端末を懐から取り出したバグダッシュ少佐が着信元を確認すると飄々とそう答えて個室から出て小さい声で電話に出る。おう、待て。平然と応対しているが色々待て。何さらりと流しているの?誤魔化すなこの野郎!!

 

 内心で私は携帯端末の着信メロに突っ込みを入れまくる。まさかと思うがその着メロ最初から入っていた訳ねぇよなぁ?元からならそれはそれで闇が深すぎるわ。

 

 正直色々追及しまくりたいのだが……残念ながら、そんな呑気な私の考えも次の瞬間にバグダッシュ少佐が口に走らせた言葉で霧散していた。

 

「何っ……!?使節団を狙った爆弾テロかっ!!?」

 

 バグダッシュ少佐は思わず険しい口調で叫んでいた。

 

 事態を理解した従士達が目を見開きが絶句する中で、無駄に異常事態に慣れきってしまった私だけが比較的冷静に状況を受け入れてしまえていた。そして注文してから少し冷めてしまった紅茶を一口啜り、ぼやく。

 

「こりゃあ、また少し荒れそうだなぁ」

 

 やっぱり中立国なんて碌なものじゃない、と私は思った。


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