帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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第百五十二話 スタジアムでは大人しく試合を見よう

 それは十数秒で終わった。観客席の下方から来た警備兵達は我々が伏せたのと殆ど同時に手に持つ銃火器の引き金を引いていたのだ。我々から見て観客席の上方に展開していた兵士達は不意討ちに近い形で鉛弾を浴びて全滅した。

 

 観客達が悲鳴と共に騒ぐがすぐに残った警備兵達が場を治めるように宣言する。

 

「本スタジアムに侵入しました武装集団は無力化致しました!!観客の皆様はそのまま席にてお控え下さい!!」

 

 そして一個分隊の兵士達が周囲を警戒し、隊長らしき者が数名の部下と共に床に伏せていた体勢から立ち上がる我々に向け敬礼する。

 

「自治領主府より特務使節補佐官及びブラウンシュヴァイク男爵の暗殺計画の情報が御座いました。無線通信に関しましてはコーベルク街通信センター支局が破壊工作を受けたため使用出来ず、事前連絡を行えなかった事を謝罪致します」

「………」

 

 官姓名を名乗った後、そのフェザーン治安警察軍の隊長は今回の一件について説明する。

 

「外に地上車を待機させております。大佐も男爵もどうぞ御同行下さいませ」

 

 恭しく部隊長はこのスタジアムからの移動を要請する。私はその言葉に対して引っ掛かりを覚え、一応念のために周囲を見渡す。ベアト、テレジア、バグダッシュ少佐、そして男爵の表情を見て、アイコンタクトをして互いに事態に対する認識を共有する。そして……私は口を開いた。

 

「ご苦労、要請は承知した。ところでだが………何故男爵まで同行する?」

 

 私はヘルメットで顔の見えない隊長に微笑みながら尋ねる。問い質すような訪ね方で。

 

「……男爵様も暗殺の対象であるからです」

 

 質問されるのは想定してなかったのか、僅かに困惑しつつ答える隊長。

 

「フェザーン自治領主府が保護を?悪いが男爵の同行は止めた方が良かろうよ。承知の事だろうが自治領主は我々との繋がりが強すぎる。この時期に男爵を保護のためとは言え連れ出すのは要らぬ疑念を招きかねないから宜しくなかろう。男爵、御守りをしてくれそうな店はありますかね?」

「いざとなればユージーン&クルップスの護衛が駆けつける契約を叔父上が結んでいるんだがね」

 

 自嘲気味にブラウンシュヴァイク男爵は答える。状況を理解した上での自虐的な笑みだった。

 

「だそうだ。ユージーン&クルップスの護衛は何時頃来る?もう連絡はしているのだろう?」

「それは先程申しました通り通信センターが破壊工作を受けまして……」

「ユージーン&クルップスがコーベルク街に本社を構えている訳ないだろう?そもそも民間軍事会社だ、有事の際や現場でのトラブルに備えて他社や自治領主府との有線ホットライン位は設けている筈、ここにお前さんらが到着するまでの間に連絡する時間位あっただろう?いつ彼方の部隊は来る?ブラウンシュヴァイク一門が契約している会社だ。君達程じゃなくてももう近くまで来ていても可笑しくない筈だが……」

「………」

 

 私は空気が剣呑になるのを感じ取る。

 

「そもそもこの街に治安機関が立ち入るのはリスクが大きい。本来なら信用出来る会社の傭兵を派遣する筈だ。急いでいたとしても可能だろう?」

 

 ここまで口にした後、私は嫌な予感を感じつつ、しかしあらゆる事態を想定した上で嘲るように尋ねた。

 

「なぁ?お宅ら何処から(・・・・)来た?」

「………!」

 

 次の瞬間、沈黙していた隊長とその部下二名が手に持つモシンナガン・ライフルを構えようとしたと同時にその頭が弾けた。一人はベアト、もう一人はテレジア、最後の一人はブラウンシュヴァイク男爵の護衛の黒服の隊長によるものだった。

 

 同時に此方に振り向き銃撃しようとした分隊の残りと十秒足らずの短いながらも濃密な銃撃戦が起こった。奇襲であった事もあり戦闘は迅速に終了した。此方の損害はバグダッシュ少佐が情けなくも右肩に軽傷を受けたのみだった。

 

 観客達が悲鳴を上げながら逃げ始める。同時に私は舌打ちしながら観客席の上方と下方の観客出入り口から現れた武装集団の姿を視認する。

 

「糞ったれ!!何が中立国だ馬鹿野郎!!」

 

 次の瞬間、私は床に倒れる敵兵の亡骸からモシンナガン・ライフルを拾い、吐き捨てるようにそう叫びながら引き金を引いていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 単純な話だ。恐らくは加害者とそれを阻止しようとした者達が真逆だったのだろう。恐らく暗殺あるいはそれに類する情報を得たのはブラウンシュヴァイク一門が出資しているユージーン&クルップス社の諜報部門であったと思われる。そしてフェザーン治安警察軍に見せかけたのが下手人共だった訳だ。

 

 そもそもコーベルク街は銀河中の富裕層と訳アリな人物が集まる繁華街だ。例え治安警備のためとはいえ、直接治安警察軍が足を踏み入れ、まして初手でいきなり発砲は躊躇する筈だ。流れ弾がどんな背景を持つ者に命中するかも分からないのだから。

 

 特にユージーン&クルップス社の傭兵達は下手人達をその出で立ちから同業者と認識したのだろう。ブラウンシュヴァイク男爵の保護を任務とする彼らは、恐らく下手人共も同様に私を保護するために居合わせたと考えたのだろう。ユージーン&クルップス社の傭兵達はこのデリケートな時期に無用な火種を作らぬように、お上品にも先制攻撃を行わず相手の素性を確認しようとした。あるいはユージーン&クルップス社すら関係なく、もう片方の部隊すら下手人達がマッチポンプで用意した存在かも知れない。その場合も事前に素性確認をするように命令していた事だろう。

 

「そして不意の攻撃で有無を言わさず全滅ですか……!!」

 

 観客席の一つを陰にしてベアトが隠れながらハンドブラスターのエネルギーパックを取り換える。スタジアムの一角ではこの場から逃亡しようとする我々と何処の誰が背後にいるのかも分からない傭兵部隊が銃撃戦を繰り広げていた。

 

 幸運なのは周囲に無関係な者達がいない事……正確にはほぼいない事であろう。スタジアム自体にはまだ逃げ惑う観客が何万人もいるが、我々の周囲にいるのは逃げ遅れて床に伏せて時が過ぎるのを待つ者か流れ弾で絶命した者しかいなかった。それ故移動の上で人だかりが邪魔になる可能性は最小限である。とは言え、この騒動は後で弁明が面倒などころの話じゃないな………。

 

「僭越ながら、下手人共に心当たりは御座いますか?」

 

 銃火の中を掻い潜り下方の出入り口に向かおうと私のすぐ傍の観客席の陰に辿り着いたブラウンシュヴァイク男爵の黒服護衛隊長……今更のように声質で女性だと気付いた……が尋ねる。

 

「いえ、残念ながら候補が多いので何ともね……!」

 

 そう言って私は観客席の陰から迂回するように近づいて来た敵兵数名を出合い頭に反撃を許さず全員火薬銃で始末する。どこに雇われたのかは知らないがマジで殺しにかかって来ているのだ、私だって手加減なぞ出来ない。そんな実力なぞ無い。なので致命傷を与える事に躊躇はしていられなかった。

 

「なんて事だ……噂は本当だったとはねっ!」

 

 一方、舌打ちしながら残る二名の黒服護衛と共にブラウンシュヴァイク男爵の傍で情報出入り口から湧き出る敵兵達に牽制射撃を行うバグダッシュ少佐が忌々し気に吐き捨てる。

 

「噂?何の噂だい?」

 

 銃弾が四方から飛び交う危険地帯と化しているにも関わらず、拳銃一つ持たずに愛人を連れて床に伏せる男爵が興味津々な嫌な顔を浮かべ尋ねる。どうやら戦闘は護衛に任せて本人は命のやり取りをする積もりは皆無のようだった。

 

「いや何、この死神伯世子様と一緒に仕事すると助からないって話ですよ!毎回異動先でトラブるようで……これは確実に悪霊が憑いてますね!」

「いや待って!それ風評被害!」

 

 おいコラ、男爵に勝手に偏見を植え付けるな!唯でさえ一般の(亡命系ではない)味方から本格的に一緒に仕事するのを避けられそうなんだよ!この前高等弁務官事務所で書類受け取るだけなのに事務員達が役目の押し付け合いしてたの見てショック受けたんだぞ……!

 

 私が悲鳴に似た声で身の潔白を叫んだ次の瞬間、唸り声のような激しい銃声がスタジアム内に響き始めた。

 

「若様っ……!!」

 

 ベアトが私に飛び掛かり無理矢理に伏せさせた。ヒュンヒュン、と次の瞬間空を切る音が響き、観客席の椅子が粉々に砕け散って周囲が粉塵まみれとなる。

 

「ベアト!?」

「だ、大丈夫で御座います!若様こそ御怪我は!?」

 

 私に向け僅かに引き攣った笑みを浮かべる従士。その献身的な態度の前に僅かの間私は言葉を失い、しかしすぐにその瞳を見つめて謝意の言葉を述べた。

 

「いや、大丈夫だ。お前はやっぱり頼りになるな」

「お褒めに預かり光栄で御座いま……っ!失礼!」

 

 再度周囲の観客椅子が次々に砕け散り、ベアトは私を押し付ける形で床に伏せる。

 

「ちぃ……!おいおい、マジかよ!!どこからそんな物用意して来やがった!?」

 

 ベアトに守られながら私は激しい舌打ちをする。今周囲一体にミニガンを乱射してくれたのは明らかに人間からかけ離れたシルエットの持ち主だった。

 

「強化人間……機械化強化歩兵ですか?これまた時代錯誤なものが出ましたね……!!」

 

 バグダッシュ少佐が呆れ気味に叫ぶ。おおよそ成人男性の平均体格を二回り程大きくしたような人影は、スタジアム上方観客出入り口から姿を現し機械音を鳴り響かせながら赤いモノアイで粉塵の舞うスタジアム観客席を見渡す。

 

 強化人間は肉体的・精神的に機械化・薬物投与・暗示・遺伝子改良等を単独ないし複数種利用した改造兵士の総称であり、機械化強化歩兵……サイボーグは特に機械化を中心に外科手術を施された『歴史の遺物』だ。

 

 シリウス戦役において大規模動員された強化人間は生身の人間を素材にする以上、画一的な大量生産ができる代物ではなく、生産コストに問題があった。また、稼働率や精神的安定性にも不安が残る結果となった。何よりも志願者が少なく、強制的に改造しようにも高い金をかけて改造したのに反抗されたら困る。

 

 その『個』としての性能とて歩兵やパイロットとしては強力であろうが、所詮は機械や戦術で幾らでもカバー出来るものでしかない。寧ろ、一人一人がオーダーメイドである強化人間よりも、部隊単位、軍単位で強化出来る最新型の強化外骨格や対Gスーツ、補助AIの開発に人と金を注ぎ込んだ方が遥かに効果的だ。

 

 実際シリウス戦役時の植民星連合軍や銀河連邦末期から帝政初期の帝国軍はそれで対抗した。これは機械化強化歩兵だけでなく精神強化や遺伝子改良型等の他タイプの強化人間でも同様だ。結局は人間、個々の『性能』を多少強化しようが最新の装備を揃え、練度の高い兵士達に対強化人間用戦術を行わせるという当たり前の対応で当たり前のように無力化出来てしまう程度のものでしかないのだ。

 

 使い勝手と費用対効果の悪さを思えば強化人間が衰退するのは時代の必然、宇宙暦8世紀現在では殆んど戦場で見る事はなくなってしまった。以前にも触れた通り地上軍等では負傷兵の一部が義肢化の際におまけ扱いで強化型のそれを選ぶ事があるが、所詮はおまけ程度の代物でしかない。余りに高性能でピーキーな義肢を使われても画一的な練度の兵士が欲しい軍組織では扱いにくいし、高性能な物は大抵コストがかかるか整備が面倒(あるいはその両方)だ。それに、そもそも四肢や内臓を損傷する程の負傷兵はPTSDに罹っている場合も多いので後方勤務に回されるか予備役編入される事が多い、軍組織で運用する上ではデメリットがメリットを完全に上回っている。精々が一部の諸侯の私兵や傭兵団に交じっているかどうかといった所だ。

 

 ……まぁ、そんなレア物が正に目の前にいるんだけどね?体内にミニガン内蔵とかありかよ……!

 

「いやいや、正規軍は兎も角、裏稼業なら結構いるんだぜ?」

 

 愛人を抱き寄せ、床に伏せながらブラウンシュヴァイク男爵は私の愚痴に懇切丁寧に答えてくれた。軍や警察組織に比べて少数かつ人道や安全規定等を気にしなくても良い犯罪組織等は、比較的機械化強化歩兵が所属している割合が多いらしい。機材は軍の横流し品の義肢類を違法改造し、薬物は自前で扱う商品を、対象者も国家組織と違い金に脅迫に洗脳等入手方法は何でも御座れと来ているのだ。

 

 とは言え、正規軍や警察組織も馬鹿正直に正面から相手にせずドローンやらハッキングで対応するという。帝国の共和主義系の反体制派なぞ覚悟がガン決まりなせいでエンカウント率が高いそうな。やっぱ帝国の公務員はブラック体質だ。

 

「つーか何でスタジアムの警備は動かないんだよっ!!怠慢だろこれは……!!」

「考えられる可能性としては何等かの物理的ないし制度的理由で動かないか動けないのではないかと……!」

「運営が認めているのか、あるいは警備そのものが襲って来ているという可能性もあります!」

「全て承知済みって事か?それが最悪のパターンだな……!」

 

 ベアトとテレジアの返答に私は悪態をつく。最悪の最悪、全ての責任を擦り付けられる可能性もある訳か……!死人に口なし等と良く言うが降伏も出来ないな。命と引き換えに譲歩や妥協させられかねん、この状況ではそれだけは避けなければなるまい!!

 

 十数秒の間、鉛弾の嵐が吹き荒れるが、次第にその嵐が途切れる。恐らくは弾を撃ち尽くしたのだろう。人体内蔵型の機関砲なぞ容量的問題で搭載出来る弾数はたかが知れている。恐らく光学的機能以外にも赤外線センサーや射撃管制装置も兼ねていると思われるモノアイレンズは怪し気に揺れ、右腕を此方に向けた。っておい!ロケット弾なんて格納してんのかよ!?こりゃあ脳以外殆ど機械化してるな……!!

 

「ヤバい逃げろ……!」

「させませんよっ……!!」

 

 私が皆にロケット弾の射線から逃れるように指示をするがその必要はなかった。次の瞬間には黒服隊長が倒れた下手人から強奪したモシンナガン・ライフルでサイボーグを狙撃したからだ。

 

「ッ……!!?」

 

 自動小銃の7.62ミリ弾による狙撃は一〇〇メートル近く距離のある相手のモノアイの義眼レンズを正確に破壊した。その衝撃でのけ反った機械化強化歩兵は驚愕したようで腕に収容していた無誘導ロケット弾の狙いを外したまま発射してしまった。

 

「なっ……!?」

「やばっ、避けっ……!?」

 

 スタジアム下方観客席に展開していた兵士達は驚愕する。ロケット弾が私達の上空を通過して彼らに向けて飛んで行ったのだから当然だ。慌てて敵兵達は射線から逃げ出した。

 

 スタジアムの強化硝子に命中したロケット弾は爆発の轟音と共に黒煙と紅蓮の火炎を周囲にまき散らした。弾頭の破片がある兵士のボディアーマーを砕きそのまま内側の人体を負傷させ、またある兵士は軍装に火が燃え移り必死に消そうとのたうち回る。どうやらロケット弾に可燃薬品の類いが仕込まれていたらしい。

 

 爆発の混乱に付け込み我々は一気にスタジアムの下方に向けて走り出す。迎撃しようとする敵兵達は一人、また一人と倒れていく。下方観客出入り口を確保した私達は男爵達後続組が来るまで上方で銃撃してくる敵に牽制攻撃を行う。

 

 だが……そこで私はふとその視線に気付いてしまった。

 

「んっ……?」

 

 鋭い、殺気に満ちた気配に振り返れば、そこには強化硝子越しに此方を睨みつける人ならざる存在がいた。

 

「あー、ヤバいなこれ」

 

 私は小さく、半ば諦め気味に呟く。唯でさえ強化硝子は流れ弾で所所罅が入っていたのだ。そこにロケット弾、ここまではスタジアムの運営側は安全対策をしていたようでどうにか強化硝子はギリギリ耐えた。だが……。

 

 「頭を伏せろ!」

 

 私は悲鳴に似た声を上げて全員に叫んだ。次の瞬間、ロケット弾の衝撃に反応したラギアクルスが咆哮を上げながらボロボロの強化硝子に頭部を打ち付けた。強化硝子は軋みながら砕け散り、その穴から巨大な怪物が首を、次いで身体を突っ込み観客席に躍り込んだ。

 

『グオォォォ!!』

 

 身体を伏せてなければ間違いなくラギアクルスに丸飲みされていただろう。観客席に躍り込んだラギアクルスは興奮剤を投与されていたために相当狂暴化していた。どうやら先程までの銃撃戦の騒音で相当気が立ってるようだった。そして不運にも観客席に乗り入れたこの怪物の視線は上方出入り口から展開していた敵兵達と重なっていた。

 

「うおぉぉ!?」

 

 下手人達はいきなり観客席に突っ込んできたラギアクルスに驚愕の表情を浮かべる。そりゃあそうだ。こんな都会のど真ん中で普通あんなでかい図体の怪物に出くわす想定なんてしないだろう。

 

「ひぃっ!?化物っ!?」

「う、撃てぇぇぇ!」

 

 その巨体と響き渡る咆哮に半分パニック状態になりながら敵兵達は会場に乗り込んできたラギアクルスに銃撃を始める。突然の全身への刺すような痛みに悲鳴を上げながら暴れる怪獣。兵士達が其方に対応する隙に私達は観客出入り口から会場を逃げようと走り抜ける。うおっ!?尻尾掠った危ねぇ!?

 

『グオオオオオ!!!』

 

 ラギアクルスに尻尾で壁に叩きつけられた敵兵の方向に視線を向ければ丁度リオレウスが雄叫びを上げながらラギアクルスがこじ開けた穴から飛び出て来たのが確認出来た。対応させられる者達には悪いが私からすれば精々暴れ回ってくれたら嬉しいものだ。

 

「若様っ!!」

「分かっている!!」

 

 皆が観客出入口に入り、最後の一人となった私にベアトが呼び掛ける。

 

 私も逃げ遅れたくないので直ぐにそちらに向けて走った。そして出入口に駆け込む刹那、一瞬だけ私は貴賓席に極自然に視線を向けていた。一瞬、誰かが私を見ていたような気がするが誰かまでは分からなかった。

 

 尤も、今はそんな事を気にする余裕も皆無であった。そんな事よりも……!!

 

「男爵!取り敢えずこのスタジアムから逃げましょう!男爵がご契約先に保護されるまで御同行致します!」

 

 スタジアム内の通路を走りながら私は愛人を御姫様抱っこする男爵に進言した。このまま同盟高等弁務官事務所に連れていくのも手ではあるが、それはそれで統制派に人質を取っているとの疑念を与えかねない。取り敢えずブラウンシュヴァイク家御用達のユージーン&クルップス社に身柄を引き渡した方が無用の混乱を避けられるだろう。男爵には統制派に今回の事態について同盟政府や亡命政府が無関係であると釈明をしてもらう必要があった。

 

「問題は逃げられるのかって事だがね!」

 

 男爵は苦々し気に吐き捨てる。通路の先から此方に銃口を向けて駆けて来る敵兵達の姿を視認して我々は慌てて通路を右折した。同時に響き渡る銃声。

 

「やば、弾切れかよ……!」

 

 私は拾い物のモシンナガン・ライフルを捨てて腰からハンドブラスターを抜く。まさかこのコーベルク街で工作員との暗闘なら兎も角、完全武装の兵士相手に本格的な銃撃戦をする羽目になるなんて予想してなかったのでエネルギーパックは内蔵している分しかなかった。相手が体面に拘らず直線的な暴力に訴えてくるとはね、相変わらず私の見通しは甘過ぎるらしい。全く笑えない。

 

「全くですよ……!ここで逃げ切れても事後処理が大変です!『表街』の、しかもこの街で騒ぎを起こしたともなれば元老院で顰蹙の嵐は確実ですからね!あぁ、上にどう説明したら良いのだか……!!」

 

 バグダッシュ少佐は頭を抱える。訳アリな人間や富裕層が集まるコーベルク街では警察機関が乗り込むのも、人死にが出る銃撃戦も本来タブーだ。そんな事をすれば後ろ暗い談合や取引の場であるコーベルク街の存在価値が下がってしまうのだから。それ故に騒動を起こした当事者の一方たる我々に対するフェザーン元老院の印象は一気に下がる事になろう。

 

 とは言え、あのまま素直に御同行したらどうなっていたか分かったものでは無い訳で……。

 

「それにしても準備が良いな……!糞、先回りしてやがる!」

 

 逃げ惑う観客に紛れる我々をスタジアム内から逃がさないとばかりに行く先行く先で先回りして追って来る下手人達。スタジアムの外に出たいのだがどうやらそれは難しそうだった。

 

「こりゃあ駄目だな。少佐!そろそろ緊急用の脱出路を教えてくれないかね?」

 

 スタジアムの倉庫室の一つに一旦隠れた後、私はバグダッシュ少佐に尋ねた。諜報員が事前に行先や宿泊先で緊急用の脱出ルートを確保しているのは当然の事だ。

 

「あるにはありますが……余り良い裏道ではありませんよ?」

 

 心底嫌そうな表情を浮かべるバグダッシュ少佐。

 

「構わんよ。取り敢えずここで死ぬか捕まるよりはマシだろうからな!」

「男爵、其方はどうされますかな?」

 

 バグダッシュ少佐はブラウンシュヴァイク男爵に裏ルートからの逃亡に同行するのか尋ねる。十五、六歳の感情表現に乏しい愛人を床に降ろしてぜいぜいと肩で息をする男爵。おい愛人、お前さん自分で走れよ。

 

「馬鹿野郎!病弱体力糞雑魚のマイレディになんて事言いやがる!鬼かよ伯世子様はよ!」

「汗びっしょりで死にそうな表情で言わないでくれませんかね?」

 

 体力無いのは男爵も同様だろうに……自分で言うのも何だが男爵も色々訳アリの立場なのだ。私の立場としてはいざって時に備えて不摂生は止めて運動に力を入れるのをお勧めしたい。

 

「はぁはぁ……悪いな、努力するのは何か負けた気がするんだよ……アンスバッハ、水くれ」

「は、旦那様」

 

 黒服隊長は懐から水筒を取り出すとアイスティーを注ぎ差し出す。「お前らにはやらんぞ」と言ってから呑気に一気飲みしてから答える。

 

「……さっき言おうと思ってたんだけどな。まさかとは思うがここまでの騒ぎ、御宅らの自作自演って訳じゃあないだろうな?」

 

 息を整えて胡散臭そうに男爵は詰問する。

 

「自作自演?」

「おうよ。昨日のテロは危機感を抱かせるのと前置き、今回の騒動は俺が殺されかけるのを助けて吊り橋効果を狙うなり、叔父上に恩を着せるなりの自演ってな」

「このような回りくどい上に危険な真似をするとお思いで?」

「謀略は時にして大掛かりで大袈裟なものの方が成功する場合もあるからな。それに同盟の情報局の倫理観も大概だ。違うかい、少佐?」

 

 男爵は気さくな表情で私からバグダッシュ少佐に視線を移す。帝国の情報関係部署もそうだが、同盟もその点は決して潔白な存在ではない。ブラウンシュヴァイク家の出ともなればその辺りのエグイ話もある程度聞き及んでいるのだろう。それ故に男爵は警戒するような表情を浮かべる。

 

「心外ですな。少なくとも男爵も故意に危険に晒す積もりはありません。まして昨日今日のこの騒動で我々の得る益は皆無、私のような諜報員がいれば警戒するのは分かりますが流石に言い掛かりではありませんか?」

 

 バグダッシュ少佐は自身と同盟政府の身の潔白を主張する。

 

「言い掛かり、ね。まぁ物的証拠は何も無いから言い掛かりであるのは間違い無いが……」

 

 顎を摩りながら私とバグダッシュ少佐を交互に見つめるブラウンシュヴァイク家の放蕩児。そして暫く考える素振りをし……はぁ、と心底面倒臭そうな溜息をつき頭を掻く。

 

「仮にあの下手人共がお前さん達と無関係だとしたら、どの派閥が裏にいたとしても俺を殺す気だっただろうな。そうだよな?アンスバッハ?」

 

 主人の確認の言葉に髪を短く整えた黒服隊長が恭しく頭を下げて答える。

 

「仮に反乱軍の関与がなかった場合、その目的は時期的に考えてブラウンシュヴァイク公及び統制派と反乱軍との間の交渉の破綻であると考えられます。現フェザーン自治領主府は反乱軍との繋がりが深いので治安警察軍に扮した上で旦那様の殺害が行われれば交渉そのものが決裂致しますし、第三者の行動であるとしても交渉窓口が消える事で交渉そのものが遅滞するでしょうから」

 

 同盟政府以外のどの派閥の差し金であるとしても男爵の殺害の利があるであろうと護衛隊長は答える。

 

「オーケーオーケー、モテる男は辛いねぇ。確率論的には自作自演の可能性よりは高い訳だな?はは、俺もそうである事を願うよ」

 

 肩を竦めて眉間を押さえて何やら悩む表情を浮かべる男爵。再度の溜息の後、口を開く。

 

「自分達の役人に扮した不届き者に気付けなかったか、あるいは社員の中に紛れていたのかは知らねぇが、自治領主府の御役人連中には後でザル管理の迷惑料を支払って貰いたいものだな。ええ?」

 

 同意を求めるように男爵は私に尋ねる。

 

「そうですね、そのためにもまずは生きてここから逃げるべきです」

「同感だ。少佐、裏ルートと称するんだ。碌な道順ではないんだろう?其方も後で追及させてもらうぞ?ではでは……」

 

 不肖不肖と言った体で覚悟を決め、男爵は尋ねた。

 

「そんで?誰も先回りしようなんて思わない碌でもない抜け道ってどこよ?」

 

 

 

 

 

 

「中々面白い見世物だったな、将軍?」

「さ、左様ですな……」

 

 傍らのソファーで悠然と座るガウンを着た青年の言葉にカストロプ公爵家食客たるバーレ将軍は若干戸惑いつつも答えた。

 

 貴賓席から防弾強化硝子越しに見える光景は凄惨の一言であった。全身に火傷や穴を空けた二体の獣の死骸がスタジアムの観客席に倒れていた。周囲には怪物やら人間の肉片がそこら中に散っている。ある者はその巨大な尻尾で叩き潰され、ある者は半身を爪で切り裂かれていた。どれ程遺伝子的に強化しても生物は生物、戦車砲や機関砲を使えば殺せない事は無いが、密閉空間かつ歩兵の使用可能な火器で近距離から戦えば相応の犠牲が出るのは必然だった。

 

 いや、兵士達はまだ死ぬ覚悟があるだけマシであろう。スタジアムに転がる死体の中には観客の物も数十人分はあった。怪物と兵士との戦闘、そしてその前の銃撃戦で巻き添えを食らった無辜の市民だ。いや、この街に、しかも違法な試合を行うスタジアムにいる時点で必ずしも無辜とは言い難い側面はあるのだが……。

 

 ちらり、とバーレ将軍は再度傍らの『主人』を見つめる。戦乱と騒乱の絶えない外縁宙域サジタリウス腕側で軍閥の長を務めていた彼から見ても流石に先程まで目の前で行われていた戦闘には動揺を禁じえなかった。特に強化硝子を砕いて化物共が観客席に上がり込んで来た時には思わず椅子から転げ落ちてしまった程だ。それを……。

 

(あの状況を見世物と楽しむかっ……!)

 

 傍らのカストロプ公爵家の跡取りの言葉に内心で将軍は吐き捨てる。軍閥の司令官時代、残虐な行いもあくまでビジネスや戦略・戦術上の必要から実施してきた彼であるが、決して快楽殺人鬼と言う訳ではない。全ては自身の資産を増やし、兵士を食わせるための『仕事』に過ぎなかった。だがこの公世子は違うらしい。

 

「今度、私もやってみようかな?領地に丁度放し飼いをしている狩猟園があるんだよ。今度奴隷を何人か放ってみよう。何日目まで生き残れるのだろうな?将軍は何日持つと思う?」

 

 はははっ!と楽し気に青年貴族は笑う。新しい娯楽を思いついて嬉しくてたまらないと言った態度だ。将軍はこの青年貴族がこれまで開催してきた『余興』の事を思い僅かに顔を顰めた。戦車で逃亡者を追う逃走ゲームや免罪を掛けて死刑囚達に監獄島で行わせるサバイバルデスマッチ、食うや食わずの貧民達に大金か死かを掛けて騙し合いと裏切りを競わせるライアーゲームは特に彼の脳裏に鮮烈に残っていた。どれも悪趣味であるのは共通している。

 

「お客様、本日はとんだ御迷惑をおかけしまして大変申し訳御座いません。此度の安全管理の瑕疵につきましては……」

 

 歳を取ったスタジアムの運営幹部が顔を引き攣らせて青年貴族に謝罪の言葉を口にして深々と頭を下げる。三〇ないし四〇歳は年下の青年貴族に必死に土下座するその姿は情けないという感情を通り越していっそ哀れにも思えた。

 

「それは何方についての謝罪だ?怪物共(飼い犬)が暴れた事か?それとも暗殺対象(獲物)を取り逃がした事か?」

 

 足を組み、探るような口ぶりで青年貴族は運営幹部の言葉を遮る。運営幹部は視線を泳がせてその追及を誤魔化そうとした。

 

「ふむ……ラーデン、あれらの顔に覚えはあるか?」

 

 運営幹部が口を開かない事に僅かに不快の表情を浮かべ、青年貴族は傍らの人物に尋ねる。燕尾服を着こなした壮年の優美な執事は恭しく答える。

 

「確実には申せませんが、片方につきましてはブラウンシュヴァイク公爵家一門のヴェルフ=ブラウンシュヴァイク男爵殿ではないかと思われます」

「ヴェルフ?ああ、聞いた事があるな。確か先代は野茨の間で……くくっ!ああ、そういう事か。これはまた随分と迂遠な事をするものだな」

 

 青年貴族は頬杖をついて冷笑する。全くもって回りくどい事だ。しかも姑息だ。よりによって自身がこの場にいる時にとは!下賤の分際で随分と小賢しい真似をしてくれるものだ。

 

「まぁ良い。それよりももう一人は誰だ?あの義手の愉快な輩は?」

「写真でしか見た事は御座いませんが、恐らくはティルピッツ伯爵家のヴォルター様ではないかと。丁度フェザーンに反乱軍の密使が滞在しております。補佐官辺りとして御同行為されているのではないかと愚考致しますが……」

 

 執事は自身の記憶と状況証拠から限りなく正解に近い返答をして見せる。

 

「おお、思い出したぞ?あのオフレッサーがしてやられたのだろう?ツィーテン公を捕らえた者をみすみす取り逃がしたとな。お陰様でリッテンハイム侯が尻拭いする羽目になったそうだな?愉快な事だ」

 

 致命的ではないにしろ、エル・ファシルでツィーテン公以下の第九野戦軍司令部の主要幹部が丸ごと捕虜となり、その張本人を目の前で取り逃がしたの事が石器時代の勇者の名誉を幾分か傷つけたのはまごう事なき事実であった。そのためにオフレッサーの装甲擲弾兵総監就任に際して他派閥がネガティブキャンペーンを展開し、その火消しに後ろ盾のリッテンハイム侯が奔走させられた。一時期リッテンハイム侯が一世紀以上前のティルピッツ家との血縁を宣伝し手を煩わせた張本人の事を宮廷で褒め称え話題にしていたが、それはある意味責任回避の裏返しでもあった。

 

「幾分プロパガンダが混ざっているのは疑いありませんが、先程の戦闘を見ますところ、実力が伴っていない訳ではないようです」

 

 執事は冷静にティルピッツ家の伯世子の実力について言及する。宮廷の噂は有象無象、人伝いする内に尾びれどころか翼に牙がつくような事も珍しくないが……少なくとも先程までの騒動で件の人物が見せた動きだけでも相応の護身術は身に着けているように思われた。万一暗殺を計画したとしても成功させるにはかなり厳選した者達を送り込まねばなるまい。

 

「ほぉ?随分と高評価だな?それにしても……」

 

 青年貴族は先程の光景を脳裏に思い浮かべる。伯世子の家臣であったのだろう黄金色の髪の女、それが無粋な機械人形の攻撃から主人を守ったその瞬間を彼は印象深く見ていた。彼には分った。あの時、互いの瞳を見つめ合う主人と家臣の関係が唯の主従関係ではなく、唯の愛人関係でもなく、もっと深いそれであろう事を。恐らくは互いに相手のために命も惜しまぬだろう双方向のそれを目撃した時、彼は極極自然に感銘を受けた。そして自然にこう思ったのだ。

 

「あの顔を歪ませて見たいものだな」

「若様?」

 

 ぽつりと呟いた言葉に隣に座っていたバーレ将軍は僅かにたじろぎ、うすら寒い感触を背筋に感じた。目の前の主人の残忍で底意地の悪いその微笑に本能的な恐怖を感じ取ったのだ。

 

「おい、貴様。お前のボス達に言え。『自分達だけで楽しむな。私も交ぜろ』とな」

「若様、しかし御父上は……」

 

 控える執事が自らの主君を諫めようとするが当の主君の方はその諫言に不愉快そうに舌打ちする。

 

「頭が高いぞラーデン?私が決めたのだ。面白そうなゲームだ、一口加わらせてもらう。何、この程度で父上が足を掬われるのならば父上も老いたというだけの事だ。そうなれば父上には全ての責任を背負い御隠居してもらうまでの事だ」

「ですが……」

「ラーデン、二度とは言わぬぞ?貴様は私の何だ?」

 

 青年貴族は鋭い視線を執事に向ける。それは有無を言わさぬものだった。執事はそれが幼い時から世話してきた主君の最大限の譲歩であると理解した。これが仮にほかの有象無象の従士達であったならとっくの昔に解任され、処断されていただろう。執事は彼の主君が束縛され、耐え忍ぶ事を心底毛嫌いしている事を知っていた。

 

「私は若様の付き人にして執事、それ以上でもそれ以下の存在でも御座いません」

 

 僅かの逡巡の後に老執事は頭を下げて答える。青年貴族はその態度に満足そうな笑みを浮かべる。

 

「そうだ、それで良い。そうでなくてはな。ははは、フェザーンでの遊興も飽きて来て退屈に思っていた所だったが……相手が大貴族とはっ!楽しそうになってきたじゃないか!!」

 

 年不相応にも思える子供のようにわくわくとした表情を浮かべ、青年貴族は立ち上がった。そして手元の鎖を引っ張り、人型の姿をした『ペット』を引き連れ貴賓席から立ち去ろうとする。バーレ将軍や護衛の兵士、使用人達はその異様な光景に何一つ指摘せず……というよりも敢えて目を逸らしながら……その後についていく。

 

 ラーデン、老執事だけは寂寥感を浮かべた表情で主君の後ろ姿を見つめていた。

 

「暗愚な御方ではないのだが……」

 

 カストロプ家の英才教育を仕込まれて来たのだ、決して無能な次期当主ではない。ないのだが……この主君はそれ以上に加虐心が、嗜虐心が強すぎる嫌いがあった。理性ではある程度理解していてもそれ以上に他者の苦しむ姿に快楽を感じる感性の持ち主であった。

 

「昔は……子供の頃はそこまででは御座いませんでしたが………」

 

 幼少時から片鱗こそあったが決して異常という程でもなかった。それがどうしてここまで歪んでしまったのか……何方にしろ、その責任の一端は幼少時より傍らで仕えながら主君が道を逸脱するのを止めきれなかった自身にもあるのは明白であった。

 

「おい、ラーデン!何をしている!!早く来ぬか!」

「は、ただいま参りまする」

 

 急き立てる主君の声に恭しく執事は答える。そうだ、少なくとも主君の今の惨状の責任の一端は自身にある。ならばどうしてその責任から逃げられよう?彼に出来る事は主君を支える事のみ。そしてその望みに答え、助け、そして力及ばぬ時は……。

 

「ヴァルハラまで御供申し上げるまでの事です」

 

 それが貴方様に対する私の責任でありますから……誰にも聞こえることなくそう囁き、彼は主君の傍らに、マクシミリアン・フォン・カストロプ公世子の下へと控えたのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 その『塵捨て場』は二〇メートル近い高い壁で摩天楼と切り離されていた。

 

 フェザーンのセントラル・シティを始めとした大都市群から発生した一日何十、何百万トンという各種の工業・商業・日常廃棄物は、地下の迷宮のように入り組んだ下水道やダストシュートを通りここに……フェザーンの『裏街』に辿り着く。いや、降り注ぐ。

 

 そして廃棄された塵の数々はその大半が街の『準市民』達によって回収され、彼ら自身の生活の糧となる。鉄屑やプラスチック片等を数日に一度訪問してくる『表街』の回収業者が相場の数分の一で持っていくのだ。それはこの街では工業区での日雇い労働と共にこの街の『比較的まとも』な仕事であり、特に力が必要ない事もあり半ば暗黙の了解で女子供の独占する仕事として分けられている風潮があった。

 

 とは言え、大量に投棄される塵の中から業者が金を払ってくれる程価値のある資源を纏まった量回収するのは簡単な事ではない。金になる塵にはすぐに同業者が群がり、時として殺し合いが生じる程激しい奪い合いが起こるし、それでも集められる量は限界がある。籠に数杯分の鉄屑を集めようが引き取り業者は一フェザーン・マルク支払ってくれるかも怪しい。文字通り朝から晩まで塵拾いを続けてどうにか食べていける程の稼ぎを得られるかが現実であった。

 

 それ故に彼女はこの冷え込む深夜の砂漠の中でも同業者の『食い残し』を目当てに、散乱し山積みの廃品の中から売れそうな物を捜索していく。

 

 塵山の上で彼女は高い壁を、その先にある輝かんばかりのイルミネーションに彩られたセントラル・シティを視界に収める。そこは決して今の彼女が足を踏み入れる事の許されない場所であった。

 

「……仕事しなきゃ」

 

 彼女は暫しの間、街の夜景を苦々し気に見つめ続けるがすぐに現実に立ち返り仕事に戻る。そんな現実逃避をする時間は彼女にはなかった。フェザーンは帝国なんぞより余程慈悲もない弱肉強食の星だ。弱者はひたすら貪られ、骨の髄までしゃぶり尽くされるだけだ。そう、家族のように……。

 

 壁の傍にまで彼女は歩き出す。ダストシュートの出口であれば捨てられたばかりの廃品があるかも知れないからだ。マスクに手袋をして、懐中電灯の明かりを頼りに山積みの塵を漁り始める。

 

「痛っ……!」

 

 塵を漁っている内に鋭い鉄片か何かに引っかいてしまったらしかった。安物の使い回しでは限界があってか手袋をしていても手に切り傷が出来てしまう。場所が場所だけに衛生的には宜しい環境ではない。後で消毒して包帯をしなければ……そして悲しい事にそれも決して安い買い物ではない。

 

「せめて……せめてもう少しだけ………」

 

 このままでは暫くの間、水だけで誤魔化さなければならなくなる。それだけは避けたいのが彼女の本音だった。一応手っ取り早く金を稼ぐ手段はあった。何ならスカウトもあった。だが少なくとも彼女はまだ最後の手段を取るまで落ちぶれる積もりはなかった。それだけは彼女の持つ最後のプライドが許さなかった。

 

 掌から血が流れるに任せて彼女は探索を続ける。せめてもう少しだけ金になりそうな塵を回収しておきたかった。

 

「えっ……?」

 

 周囲が夜中で静かだったから彼女はそれに気付けた。

 

 耳をすませば、目の前の……正確には五メートル手前かつ三メートル上に設けられたダストシュート廃棄構の中から悲鳴のような声が鳴り響くのが分かった。咄嗟に彼女は警戒する。それは次第に近付いていき、そして………。

 

「うおおおっ!!!?」

 

 廃棄構から殆ど団子状態になった数人の人間が塵をクッションに吐き捨てられた。

 

「うぐぐぐっ!?何故私が一番下で下敷きに……あれ?ベアト?テレジア?どこ?嘘、まさか逸れた?」」

「ゲホゲホっ、これはまた何て事を……!よりによって『裏街』に出るとは!しかも携帯端末が無くなるなんて冗談じゃありませんよ!?」

「ははは、お前さん。やっぱり何か憑いてるだろ?あーあー、結構高いスーツなのに……これじゃあもう着れた物じゃないな。お前は大丈夫か?」

「………」(コクリ)

 

 ダストシュート廃棄口から吐き出された四人の男女……正確には成人男性三人が下敷きとなり一番上に少女が乗っている状態……は口々に闇夜の塵山で騒ぎ立てる。それを見ていた彼女は目の前の惨状についてこれずに顔を引き攣らせて彼らを見ている事しか出来なかった。

 

 そしてふと、一番下で下敷きになっていた二十代の中頃だろう青年が此方に気付くと苦笑いを浮かべ、そして懐から何かを取り出すと彼女に向けて口を開く。

 

「ははは、フロイライン。悪いが少し頼まれ事をしてくれないか?無論、タダでとは言わない。あー、今はこれくらいしか手持ちにないが……これでどうか頼まれてくれないかな?」

 

 青年はそう言いながら見事な鷲獅子を象った細工を為された金塗りのライターを代金代わりに差し出して、要求するのだった……。

 


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