帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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第百五十三話 他所様の家では態度に気をつけよう

 冷え切った深夜の世界をそれは舞うように飛び続けていた。地上からの色鮮やかな対空砲火の光の間隙を鋼鉄で作り出された人工の鳥が潜り抜ける。

 

 自由惑星同盟軍地上軍航空軍所属のシャドーホーク無人攻撃機の機翼より一条の光が撃ち出される。ミサイルは地上からの迎撃をすり抜けると内部に格納された三十六発もの小型誘導爆弾を陣地に撒き散らす。数瞬の後、陣地の各所で人間や装甲車、あるいは野砲が業火に焼かれ地獄を演出する。

 

 だが一方的な攻撃はいつまでも続かない。遠方から無人戦闘爆撃機を遠隔操作しているパイロットは操縦席で警報ブザーが鳴り響く音を受け取った。ほぼ同時に闇の中を幾条もの弧を描きながら地対空ミサイルが襲い掛かる。

 

『マスタング・スリー!ロックされた!!回避運動に入る!!』

 

 無人攻撃機は複数種の妨害電波を放ちながらチャフとフレアを漆黒の空にまき散らす。外縁宙域で運用されている旧銀河連邦製の骨董対空誘導兵器相手ならば本来これで完全に無力化出来る筈であるが……。

 

『糞っ!二発抜けやがった!ケツに付かれた……!』

 

 急激に機体を旋回させてミサイルのセンサーから逃げようとする無人機はしかし、次の瞬間には内部に搭載された帝国製戦術AIが軌道を読み先回りしていた別のミサイルの正面からの激突の前に火球と化す。

 

「マスタング・スリー、ロスト!」

「糞ったれ!これで航空支援機は全滅かよ!」

「何が簡単な斬首作戦よ!あんな戦力が展開しているなんて話と違うじゃないの……!!」

 

 コンクリートで築かれた旧銀河連邦時代の入植地廃墟の一角で、自由惑星同盟軍宇宙軍陸戦隊の隠密作戦装備に身を包む彼らはそう司令部の甘い見通しに罵倒を浴びせる。軍閥側の兵力と装備は、質量共に事前情報よりも遥かに強大でかつ充実していた。フェザーン製や帝国製の装備は勿論、既存装備も改修されているようだった。兵士も軍事教官の指導を受けているようで動きが良く、陽動と支援を受け持っていた別動隊は既に撤退、本隊もまた敵軍の迫撃に晒されていた。

 

「アサシン・ワンよりHQへ、追加の航空支援を求める」

『此方HQよりアサシン・ワン、現在展開中の最近隣の部隊でも作戦エリア到着まで二時間を要する。事実上これ以上の航空支援は不可能と考えられたし。偵察衛星からの敵部隊の展開情報はリアルタイムで提供されている筈だ。敵部隊の迫撃を回避しつつ回収ポイントEに向かわれたし』

 

 分隊長の要請に対して、しかし高性能携帯式長距離無線機からの返答は冷淡この上無かった。

 

「ハイネセンの背広組め、無茶な要求をしてくれる……!」

「一度此方に来たらいいわ。歩兵だけでどうやってあの大軍から逃げ切れっていうのよ……!!」

 

 無線機から漏れ聞こえる声に恨めしい声を上げるのは分隊機関銃手のアサシン・ツーと対物狙撃ライフルを備えたアサシン・ファイブだ。そんな中、片腕を撃たれて地面で座っていた彼は疲労困憊の表情で隊長たるアサシン・ワンを見据える。

 

「分かった。これより移動を開始する。ルートの誘導は可能だな?」

 

 淡々と、しかし鋭い口調で部隊長は尋ねる。その気迫はその場にいた者が身震いするだけでなく、無線機の先の司令部要員すら思わず一歩仰け反る程のものであった。

 

『わ、分かった。此方より可能な限りのルート誘導は行う』

「了解した。此方は最善を尽くす。そちらも頼むぞ」

 

 HQ、即ち司令部からの答えに短くそう答える部隊長。そして部隊長は周囲の部下達に宣言する。

 

「今ここで口喧嘩をする暇はない。帰ってからでも司令部のエリートさん達の顔面を殴り付ける機会位はある。今は全員、この事態からの脱出に全力を集中せよ」

 

 ベテランかつ貫禄ある部隊長の命令に司令部への不満をぶちまけていた部下達も気を引き締めて了解する。彼らも腐ってもプロである。こんな所で駄弁っていても時間の無駄であることは理解していた。

 

「……アサシン・フォー、どうだ怪我の具合は?」

 

 部隊長は負傷する彼の視線に気付くと気遣うようにそう声をかける。情けない事に彼はこの第一分隊の中で唯一の損害……負傷者であった。

 

「し、止血処理はしましたっ!戦線への復帰は可能でありますっ……!」

 

 肩を抑え、呻きつつも彼はアサルトライフルを手に持ち立ち上がる。専門が言語・情報収集分野である彼にはその行動自体辛いものであったが、それでも気丈に問題無い事を強調した。今はそんな言い訳を出来る状況ではなく、するべきでもない事は彼も理解していた。

 

「宜しい中尉、ではライフルを寄越すがいい」

 

 部隊長はその返答に小気味良く頷き、至極当然のように彼のアサルトライフルを奪い取り中の弾を拝借する。

 

「隊長……?」

「その腕ではライフルの狙いをつける事も碌に出来まい。弾の無駄だ、俺が貰う」

 

 そういって護身用のハンドブラスターを懐から引き抜き部隊長は彼の胸元に押し付ける。

 

「火薬銃よりもブラスターの方が負担も少ないだろう?お前はスリーと共に回収ポイントに向けて先行しろ」

「隊長……!!」

 

 それは即ち先に逃げろと言っているに等しかった。彼は震えながら隊長を呼ぶ。

 

「勘違いするなよ?専門が非戦闘分野の上に負傷兵では殿は務まらんからな。何、この程度の修羅場なら幾らでも経験はしてきた。問題ない。ファイブ、狙撃支援を。ツーは俺と一緒に一仕事だ」

「了解しましたっ……!」

「サー!イエッサーっ!!」

 

 命令を下された以上四の五も言う暇なぞない。ただ命令を完遂するのみだ。先達であり同僚でもあるアサシン・ツーとアサシン・ファイブは部隊長の命令に答え迅速に命令実行のために動き始める。

 

「どうした?早くしろ。一人が命令に従わんと全員が危険に陥るぞ……!」

「……アサシン・フォー、命令を了解しました」

「うむ、行け。司令部のエリートさん達を殴りつけた後に皆で一杯やろうじゃないか」

 

 不敵に笑う部隊長に敬礼をしてから彼は破壊工作を専門とするアサシン・スリーと共に回収ポイントへ先行する。回収ポイントのルートとポイント確保が彼らの任務であった。

 

(そうだ。これは逃亡ではないっ!!仲間を助けるためだっ……!)

 

 肩の痛みを堪え忍びながら彼は廃墟の中を走る。そうだ、自己満足のためにあの場に残る事こそ愚行だ。今はただ課せられた任務を一秒でも早く完遂しなければならない。その事を彼はよくよく承知していた。していたが……。  

 

「馬鹿なっ……!?重戦車だとぅ!?」

 

 だが次の瞬間、廃墟の横合いの通路から突如と現れた帝国製の重戦車に流石に彼もそう叫んでしまった。外縁宙域の軍閥風情がまさかあんなものまで所有しているなぞ……!!

 

「不味い……!」

 

 彼は重戦車がこの場に出張って来た理由にすぐに思い至り無線機で警告を叫ぶと共にアサシン・スリーと共に対戦車戦闘に移ろうとする。だが全ては遅かった。

 

 次の瞬間、激しい轟音と共に重戦車の主砲、二一〇ミリ電磁砲が火を吹いた。電磁砲から打ち出された特殊コーティングが為されたタングステン弾頭は砲撃音とほぼ同時にマッハ八の速度で部隊長達が展開している廃墟に突っ込んだ。そして………。

 

 

 

 

 

 

「……ここは?」

 

 うだるような暑さにコードネーム『バグダッシュ』の名前を受けたエージェントは不機嫌そうに目を覚ます。

 

 薄暗く小汚ない室内だった。室温は高く、しかも砂っぽい。外ではガヤガヤと小煩い音が鳴り響いていた。

 

「ここは……痛っ……!?」

 

 目を覚ました人間によくある倦怠感を圧し殺し起き上がろうとしたが、それは肩の激痛で中断された。身体を支えようとした右腕が肘を折り身体がシーツの上に倒れる。

 

「おー、漸くお目覚めか少佐殿?もしあるんならとっとと反乱軍と連絡取る方法教えてくれねぇ?ここマジ暑過ぎ、こいつもぐったりしてるしな」

 

 その声に顔を向ければそこには微妙にくたびれた衣服を纏うブラウンシュヴァイク男爵が膝に常に一緒に置く愛人と共ににぼろぼろの椅子に座っていた。団扇で少しでも涼もうとしているようだが二人揃って今にも死にそうな顔をしている。

 

「これはブラウンシュヴァイク男爵、ご無事でなりよりです。ここは……バラック小屋、ですか?」

 

 全体的に小汚ない、古くさい家具が並んだ室内を見えバグダッシュ少佐は第一印象を口にする。可能な限り綺麗にしようとしているのは分かるが元々の家と

家具に限界がありどう見てもハイネセンポリスのダウンタウンにある低所得者向けの中古アパートのような印象を受けざるを得なかった。

 

「ああ、汚ねぇのは同意だがそこは我慢だな。残念ながらこのインテリアでも……そもそも屋根と壁がある時点でこの街ではかなりマシらしいからな」

 

 くっくっく、と肩を竦めながら男爵は不敵な笑みを浮かべる。

 

「……そうだ!大佐殿は!?伯世子殿はどちらにっ!?」

 

 暫しぼーっとしていたバグダッシュ少佐は、しかし急に思い出したように叫ぶ。そうだ、確か我々は昨日コーベルク街で……!!

 

「俺も正直あんま分からねえから詳しい話は御本人様に聞く事だな。お、丁度帰って来たな……!」

 

 かつかつ、と足音が近づいてくる音が聞こえて来る。バグダッシュはその相手が誰かをおおよそ理解しつつも念のためにシーツの下からハンドブラスターを抜く。コンコンとノックが為され男爵が気だるげに開いてるぞー、と声を上げれば扉は軋みながら開かれる。そこにいたのは………。

 

「ぜいぜいっ……男爵、それに少佐も起きてるか?じゃあ悪いけどこれ運ぶの手伝ってくれない?」

 

 大量の水入りペットボトルを背負う亡命貴族が汗びっしょりに息切れしながらそう懇願していた。

 

「もうっ!この程度でへたれないでくれないっ!!?私の方が持ってる量多いのよっ!!?」

「ぎゃひんっ!!?」

 

 後ろから同じようにペットボトルを背負う群青色の髪をした少女に尻に蹴りを入れられる伯世子、情けない声を上げながら室内に叩き込まれる。

 

「……いや、何があったんですかね?」

 

 取り敢えずバグダッシュ少佐は脱力した表情で周囲にそう尋ねる事にした。

 

 

 

 

 

 

 

『裏街』……そう呼称される地域は、フェザーン第一等帝国自治領において自治領首府の庇護下から外れた『準市民』が不法居住する、碌なインフラ設備も緑化事業もなされていない広大なスラム街の事を主に指し示す。

 

 フェザーンにおいて自治領主府の統治下にある『市民』とは、主にフェザーン自治領成立時にその領域内に居住していた者達とその後宇宙暦707年まで流入した移民、及びそれ以降の移民規制法の厳しい条件に合格した者達とその子孫の事を指す。彼らの生命と財産及び基本的人権は、フェザーンが極端なまでの功利主義・拝金主義・資本主義社会であるとは言え、それでも自由惑星同盟並みに保護されている。

 

 宇宙暦707年以降、移民規制法により合法移民は特殊技能・資格保持者、高所得者、高額な特別市民権購入者等に限定されたものの、尚も各種の理由から帝国と同盟、そして外縁宙域から多数の非合法移民が流入を続けた。特に外縁宙域からの生活苦と戦乱から流入する難民は数知れない。フェザーン市民からも犯罪者や事業破産から逃亡した商人が合流し、いつしか彼らは都市郊外に巨大なスラム街を形成し始めた。

 

 当初、自治領主府は彼らの強制送還を実施していたものの、最終的にはその膨大な数の前に方針の転換を強いられた。

 

 宇宙暦790年現在、不法移民は完全にフェザーン経済に取り込まれ、その繁栄の支柱として酷使され続けている。金融・貿易・小売・サービス・情報通信・不動産・コンサルティング・マスメディアを始めとした職業に二〇億人のフェザーン『市民』が携わる中、建設・鉱業・工業等の内で特に特殊技能を必要とせず尚且つ危険な職業に対しては低賃金での不法移民の酷使が行われるようになった。

 

 公式の戸籍調査こそされていないが、約一〇億前後の数に及ぶであろうと推定される彼ら不法移民とその子孫は、フェザーンの法律上『存在しない人間』であり、それ故にあらゆる面で差別の対象となっており、幾ら『壊れて』も使い捨てに出来る労働力として重宝されている。

 

 また、帝国・同盟・フェザーンにおける三角貿易においてフェザーンは第一次産業製品の加工貿易や『苦力』派遣等で莫大な利益を出している。それらの利益は無論フェザーンの地理的・国際情勢上の立地もあるが、それ以上に常軌を逸した程の安価な労働力による所が多い。金属製錬所や食品加工工場では同盟や帝国の労働法における最低賃金の三分の一以下で一日一五時間に及ぶ過酷な作業を不法移民に強いている。エリューセラ星系の珈琲豆プランテーションやインゴルシュタット星系の金属ラジウム採掘事業は何十万という『苦力』が劣悪な環境で酷使されている事で有名だ。

 

 その酷さは同盟の高名なフリージャーナリストであるパトリック・アッテンボロー氏から『西暦一七世紀の黒人奴隷の如し』と糾弾されるものであり、事実幾度か同盟・帝国の政界でもその所業が問題になる程だった。尤も、同盟・帝国双方の政財界がこのフェザーンの提供する低価格労働力から相当の利益を得ている事も、またそれにより一般消費者レベルでも多くの恩恵を受けている事実もあり、過去幾度も非人道性が取り沙汰されつつも根本的解決策は示されないままにこの所業は凡そ一世紀近くに渡り続き、最早銀河経済のシステムの一部分として是正は不可能であるかに思われていた。

 

 無論、この劣悪過ぎる環境への不満から過去幾度かの暴動やストライキも発生したが、それらは自治領主府の治安警察軍や各企業の雇い入れた傭兵により、時に実弾射撃も含めた実力行使で鎮圧される事となる。弾圧する傭兵達の中にも少なからず不法移民が含まれている事を考えるとフェザーン社会のグロテスクさがより分かるだろう。各企業の後ろ盾を受けた現地犯罪組織が輸出する『苦力』の頭数を揃えるための草刈り場であり、フェザーン国内外での売春の斡旋、違法薬物の売買等を担っている事なども含め、不法移民と彼らの街は正にフェザーン社会の最底辺であり、あらゆる経済的矛盾の皺寄せの先であり、交易国家フェザーンの繁栄の影にある闇であった。

 

 不条理と理不尽と不正の温床、それが第二のフェザーンとも裏フェザーンとも、あるいはアンダーグラウンドとも呼称されるフェザーンの『裏街』なのである。

 

「で、何でそんな『裏街』の一角に逗留しているかだよな?」

 

 バラック小屋の窓から外を一旦様子見してから私は続ける。

 

「少佐の提示した裏ルートは要は地下のダストシュートからのものだ。フェザーンの地下は銀河連邦時代から拡張されていて、今や自治領主府でも把握出来ない迷宮だからな」

 

 旧銀河連邦時代からフェザーンは地下の開発が盛んだった。単に下水道等のインフラの整備もあるが、惑星自体がまず乾燥している都合で、いっそ地下都市を作る方が居住環境は良い。そのためフェザーンが自治領となる前は地下都市が相当発展していた。自治領化後は更に増加する人口に対応するべく地下下水道や地下鉄等が大々的に整備された。  

 

 バグダッシュ少佐の裏ルートはスタジアムからダストシュートを通って地下迷宮から地上に再度帰還するルートであったのだが……少し甘かった。

 

 広大な地下区画には浮浪者がいるし、とんでもない生物もいる。何よりも入り組み過ぎている。途中地下下水道に住むアリゲーターが先回りしていた追っ手を捕食している現場を見てルートを変更、その先でも異常進化した巨大鼠や一万年後には「じょじ」とか言ってそうな野生の大型G型生物兵器の大群が来て食われそうになったりしながら全速力で逃げた。浮浪者の群れを撃退した後、後少しで漸く地上に着くと思った所で私が歩いた床が老朽化していたのだろう。巨大でほの暗い地下通路は次の瞬間崩落、私は男爵の袖を咄嗟に掴み、男爵はバグダッシュ少佐の足を掴み巻き込んで三人(正確には四人)仲良く流された。恐らくベアト達は無事地上に出られたと思うのだが……。

 

「俺らはそのままダストシュートを滑り落ちてどこか分からぬ『裏街』の廃棄口からこんにちはって訳だな」

 

 男爵が最後を纏めてくれた。うん、そうなの。あれ?ひょっとしてこの遭難って私のせい……?

 

「何を今更の事を仰っているんですか?それよりもこのスラムに来てからどうして我々はこのボロ小屋に居候しているんですかね?」

 

 若干疲れ気味のバグダッシュ少佐が私に尋ねる。その質問に私の隣で椅子に座るこの家の主がむっ、と表情を不機嫌にさせる。

 

「ちょっと私の家に偉そうに文句言わないでくれるっ!!?此方は匿ってあげたのにっ!!それともあんた達この辺りをシマにしてる奴らにしょっぴかれたいのかしらっ!!?」

 

 帝国本土訛りの強い帝国フェザーン方言でそう叫んだのは煤けた群青色の髪を肩口まで伸ばした気の強そうな少女であった。吊り目がちの鋭い空色の瞳でバグダッシュ少佐、そして私達全員を非友好的に睨み付ける。

 

「……失礼、お嬢さん。大佐、噂には聞いていましたが流石にこんな状況で手を出すのが早すぎではないですかね?」

「「ぶち殺すぞ貴様?」」

 

 殺意に満ち満ちた私と家主の声がハモる。家主は当然としても私も愉快でない噂がこれ以上広がって欲しくないので説明をする。

 

 帝国系フェザーン準市民たるこの少女……アイリスと名乗ったこの年一六歳の地元民が我々をこのマイホームに匿ったのは、当然ながら善意ではなく打算一〇〇パーセントである。

 

 この『裏街』の生活はかなり過酷だ。そもそもまともな仕事が殆んどない。市民権自体がないために産業革命時代の大英帝国も真っ青のブラック環境な職場ばかりだ。広大なスラム街で生活する者達の三割は一日二フェザーンマルク以下の生活、まともに稼げるのは犯罪行為や売春位のものと来ている、行き着く所まで行った状態だ。

 

 私も井戸水の汲み取りに同行させられたが……何あれ、路上の死体を野犬が食ってんだけど?何なら明らかにサイオキシンで夢の国にトリップしている乞食がダース単位で野宿してるんだけど?事前知識は学んでいたものの、ここがあの治安が良く清潔な『表街』と同じフェザーンの一部だとは到底信じられなかったね。

 

 私が、正確には私達が彼女と会ったのは文字通りこの街に来てすぐだ。廃棄口から団子になって吐き出された時に丁度深夜の塵拾いをしていた彼女に遭遇した。同時に追っ手から捜索される危険、あるいは『裏街』の危険な非合法組織に襲撃される可能性を考えた私は彼女を『買収』した。

 

 つまり、私の手持ちの品と引き換えに同盟軍情報局なり高等弁務官事務所なりが助けに来てくれるまで現地人に匿ってもらう事にした訳だ。日々の生活費にも苦労しているらしいこの家の家主は当初私を怪訝な目で訝りつつも、最終的にはこの提案に乗ってくれた。

 

「私だって帝国系とは言えフェザーン人よ。チャンスがあれば乗るわ。そもそもあのライター、純金に宝石まで嵌め込まれていたじゃないの。提案に乗らない馬鹿はいないわ」

 

 少女アイリスは当然、といった表情で答える。『裏街』の盗難品専門骨董品店で足が付かないように即座に転売して二〇〇〇フェザーンマルクで売ったそうな。

 

「糞爺共、私の財布が厳しいのを見透かして足元見てきやがったわ。本来の半分以下で売らされる事になるなんて!!」

 

 忌々しげに少女は毒づく。物が物なので出自の危険性から大分値切られてしまったらしい。本来ならばもっとじっくり交渉するのがセオリーらしいが我々の衣服やら食事やら薬品やらを考えれば即金が欲しかったので仕方無い所だ。

 

「何他人事のように言ってるのよっ!!折角手に入る筈だったお金を諦めないといけなかった此方の気持ち分かる!?」

「そう怒らんでくれませんかね、フロイライン?この街の環境を思えば惜しい気持ちは理解しますが……謝礼なら後から幾らでもしますから」

 

 私はこの街における唯一の事情通の友軍を宥め、煽てる。余り気分を害したら我々を探しているだろうスタジアムで襲撃してきた誰かさん達に売られかねない。

 

「……余り甘く見ないでくれるかしら?」

 

 ふいに苦笑いして宥める私の額にハンドブラスターの銃口が添えられた。バグダッシュ少佐が咄嗟に射殺しようとするのを私は手で制し、それから(表面上は)恭しく御令嬢に接するように口を開く。うん、正直心臓バクバクしてるよ?

 

「あー、何か気分を害する言葉を口にしましたか、フロイライン?でしたら私めが誠心誠意謝罪致しますが?」

「うわっ、嘘臭い台詞……!」

 

 私の言葉に顔をしかめる家主。

 

「こういう時は大体物で釣ってから用済みになると消されるもの、と相場が決まっていると思うのだけど?これでも十年近くこの街に住んでいるからそれくらいの警戒はするわ。……正直貴方達が何者かはどうでも良いし、深入りはする積もりもない。けど、私も出来るだけお金が欲しいのも事実、言いたい事分かるわよね?」

「勿論ですとも。バグダッシュ少佐、説明を」

 

 私は懐から銀製のシガレットケースを取り出すと献上するように差し出し、同時にバグダッシュ少佐に説明を促す。

 

「……はぁ、承知しましたよ、大佐殿」

 

 私に話を振られ面倒そうに溜め息を吐き、その後物臭げにバグダッシュ少佐はハンドブラスターを腰元に戻して慎重に説明をしていく。

 

「お嬢さんの懸念は承知しています。ですがその辺りは少々誤解がありますね。帝国やフェザーンの諜報員なら兎も角、我々は自由惑星同盟の人間です。自由と人道の守護者たる我々にとって、協力者を不要になったからと切り捨てるような非人道的な行いなぞあり得ませんよ」

 

 良く言うぜ、とブラウンシュヴァイク男爵が茶化すように囁くのを心外そうな表情で非難した後、少佐は再度アイリス嬢の方を見据える。

 

「此方の男爵の戯れ言は無視してくれて結構です。実際この街に十年近くも住んでいれば同盟の諜報員の話位は聞いた事がある筈です。我々同盟は『アセット』を決して使い捨てるような国ではありませんよ」

 

『裏街』もまた陰謀渦巻くフェザーンの一部、様々な国家や組織、団体が人員を送り込み暗闘を繰り広げている魔窟である。人伝いでも同盟の諜報員がどうような者達であるかを知っているであろう?とバグダッシュ少佐は尋ねる。

 

 ……尤も、同盟の諜報機関が比較的『アセット』の保護に意欲的なのは確かであるが、使い捨てが皆無かと言えば嘘であるし、多分に協力者獲得のためのプロパガンダ的な側面があるのも事実である。

 

「同盟……?これは意外ね。そこの奴をさっきから男爵って連呼しているからてっきり帝国人かと思ったのだけど……違うのかしら?」

「正確に言えば半分正解で半分不正解だな。少なくとも俺とマイレディはまごう事なき帝国人だぜ。で、そこのちょび髭君は同盟の薄汚い溝鼠君だ」

「随分と辛辣な評価ですな」

「間違っちゃいないと思うんだがな?」

 

 皮肉気に詰る男爵にしかめっ面を浮かべるバグダッシュ少佐。

 

「ふぅん。……じゃあ差し詰めあんたはそこの御貴族様の家臣様って所かしら?」

 

 額にぐいぐいと銃口を捻じ込み、自身の群青色の髪を撫でながらアイリス嬢は尋ねる。恐らく私の顔立ちや呼ばれ方、敬意の受け方、手持ち等から判断したのだろう。流石にこんなにぞんざいな扱いをされている私が伯世子とは想像出来んわな。

 

 ……尤も、その方がある意味私も都合は良いが。

 

「何ニヤニヤ笑ってるのよ、気持ち悪い」

 

 私の内心なぞいざ知らず、家主様はそう蔑みの感情を含んだ声で吐き捨てる。釣り目の人を見下す視線も相まって何か別の趣向に目覚めそうな迫力があった。私的には薄い黒ストッキングを穿いた細い足を上からもっと良く見せてくれたら嬉しい限りなのだが……。

 

「余りふざけた事言っているとドタマ撃ち抜くわよ?それとも此方のタマをぶち抜かれたい訳?」

 

 履いた靴でちょんと両足の間で触れて来た家主。いやぁ、ちょーっとそっちはマジで勘弁してくれませんかねぇ?

 

「だったら余りふざけないでくれるかしら?」

「イエスマム!」

 

 私の媚びるようでふざけるような返答に肩を竦める家主は、バグダッシュ少佐の方向を見る。あ、私が役立たずだって気付いたな。うん、諜報機関のネットワークとかフェザーンの地理とかあんまり知らない私って実は唯の財布役以上の存在価値無いんだよ、知ってた。

 

「……いつになったらお仲間達が来る訳?」

「生憎と繁華街と地下道での遊びで無線機類は何処かいってしまいましてね。外部との連絡のしようがありません。この街は広大過ぎますし、余所者がうろちょろし過ぎると目立ちます。何より諜報部門は横の繋がりが薄い。ですので我々が自分から味方に会いに行くのは難しいです。『表街』に入るのも簡単じゃありませんし」

 

 小汚く戸籍もない『準市民』を『表街』に迎え入れたがるフェザーン市民は多くはない。侵入しようにも高い壁があり、ゲートは監視されている。無理矢理入ろうとすれば射殺されよう。しかも、ゲートに我々を襲撃した輩のシンパがいないとも限らない。不用意に身元を明かして自治領主府の保護を求める訳にもいかなかった。

 

「此方のエージェントが捜索は続けている筈です。この広大な『裏街』とは言え数日、長くても一週間程時間があれば発見はされると思います。無論、お嬢さんに対して正式に相応の報酬は用意させて頂きますよ?」

 

 期待させるような口振りでバグダッシュ少佐は我々を保護する利点を売り込む。暫し家主は少佐の目をじっと見つめ続け……僅かに迷った後私の額に捩じ込んでいたハンドブラスターを服の下へと戻す。次いでに当然とばかりに私の献上したシガレットケースをふんだくる。

 

 シガレットケースを検分しながらアイリス嬢は口を開く。

 

「……嘘は言っていないようね。どうして同盟の諜報員が門閥貴族と一緒かは問わないわ、私も藪蛇をつついて危険な目に遭いたくないもの」

 

 そしてバグダッシュ少佐、次いでに男爵の方を向いてアイリス嬢は警告じみた声で念を押す。

 

「五日、それが匿える限度よ。それ以上は流石に誤魔化し切れないわ。追加の報酬はいらないからトラブルが舞い込む前にどっか行って頂戴。それが貴方達のためでもあるわ。分かった?」

「……了解」

「あいよー」

 

 家主の言葉にバグダッシュ少佐は重々しく、男爵は気軽に答える。あれ?私は聞かれていない?

 

「当然でしょ?見た所貴方この中だと完全に御飾りじゃないの。あ、このシガレットケースは有り難く受け取っておくわ。宿代としてね」

「アッハイ」

 

 私は殆ど反射的に返答していた。ここまで当然のように貶されると否定する気になれねぇ、というか別に間違っていないのが悲しい。

 

「それよりも飯にしましょう。幸い売っ払ったライターのお陰でお金はあるから、久々にまともな物が食べられるわ」

「何その言い方、怖いんだけど。普段何を食べてる訳?」

「知りたいの?」

「止めときます」

 

 私は即答する。世の中知らない方が良い事もあるのを私は知っている。

 

「賢明ね。……安心しなさいよ。貴方達でも食べられるような物だから」

 

 家主が食品を棚から取り出して行く。消費期限ギリギリの廃棄寸前の缶詰めに形が悪く不揃いの野菜類、これは……乾パン?

 

「民間軍事会社の放出品よ。味が悪くて硬いから『表街』の奴らは一部の物好き以外買わないの。だから安く買い付け出来るわけ。確かコンロがこっちにあるから………」

 

 宇宙暦8世紀にすらガスコンロがある事実に謎の感動を覚えつつ、私は家主が鍋に井戸水に廃棄予定の不揃い野菜をさっと洗って投げ込み、大量に塩と香辛料を突っ込む。熱と塩と香辛料で殺菌して味も誤魔化そうという魂胆が透けて見えた。三十分余りして『裏街』にしてはかなり文明的だという朝食が完成する。

 

「文明的ねぇ、金納農奴共の飯の方がマシだな」

 

 男爵は出来上がった朝食をそう評すとオーディン教の豊穣の双子神と大神に祈りを捧げた後愛人と食事を始める。おい、いちいちスープを冷まして食べさせてやるなよ、その小娘は赤ちゃんか何かか。

 

「消費期限ギリギリ……というか当日の缶詰めまでありますね。……製造年が四十年前とかマジですか?」

 

 微妙に錆び付いた缶詰の製造年月日を読んで唸るように少佐は呟いた。因みに中身は悪名高いアライアンス・ビーンズだった。超高速成長インゲン豆を人類史上最悪の方法で調理した長征系同盟人の豚の餌(ソウルフード)である。そりゃあ消費期限ギリギリまで残る筈だ、態態缶詰にしてまで作るなんて食材に対する冒涜だ。

 

「というか缶詰の大半がアライアンス料理を突っ込んだ物なのはどういう訳だよ……」

 

 私は手元に取った食用鼠の全身煮の缶詰を見て呟く。勿体無い精神で内臓や血液すら煮込み、しかも徹底的に殺菌するかの如く塩と酢と酒精を注ぎ込んで密封したそれは肉食が殆ど出来なかった航海中、蛙肉と並びご馳走だったそうな。

 

「安いし在庫が沢山放出されるから便利なのよ?味は最悪だけど栄養価はあるし」

「最悪で済めば良いけどな。初めて食べた時吐きそうになったぜ?」

「食えるだけマシよ」

「なぁ、本当に普段何食べてるの?」

 

 産業廃棄物の如き味のアライアンス料理の缶詰を淡々と食べ続けていく家主に心から戦慄せざるを得ない私であった。

 

 吐きそうになるのを我慢して(水で流し込もうとしたがその水すら貴重なので止めさせられた)私は小一時間かけて漸く食べきった。余談ではあるが男爵と愛人は途中から乾パンとスープだけを摂取するようになった事もあり余計私が食べなければならない量が増えた事を追記しておく。

 

「久々に満足出来るまで食べられたわ」

「そりゃあどーも」

 

 拷問のような朝食を食べ終わった我らが保護者は、食器類等を炊事場に置くとペットボトルの水を数本、男爵に渡す。

 

「はい、貴方達はこれね?あ、貴方はこれ」

 

 次いで、にっこりにした笑顔でバグダッシュ少佐に箒と雑巾と塵取りその他掃除用具を当然のように渡す。

 

「で、あんたはこれね?」

 

 彼女は最後に私に籠とトングを差し出した。我々は互いに渡されたものを見合わせ、次いで何となくその目的と理由を察し……そして代表して私がその言葉を切り出した。

 

「あのぅ……これは?」

 

 私が若干引き攣った笑みを浮かべると家主はにこにこと笑顔を浮かべて当然のようにこう答えてくれた。

 

「働かざる者食うべからず、当たり前でしょう?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「報告は以上となります」

 

 秘書官の一人がその報告を終えた後、そこに……フェザーン自治領主府の最高責任者の座る椅子に乗っていたのは脱力し、半分放心気味の老人の姿であった。

 

「馬鹿な……この短期間でこんな馬鹿な事が続けて……」

 

 先日の深夜に発生したコーベルク街の非合法試合を催していたスタジアムでの騒動について伝えられたワレンコフ自治領主の顔は、早朝でありながら夜勤明けのサラリーマンのように思われた。

 

「死傷者の対処と関係各所への説明もそうですが特に重大な問題は……」

「特使らの所在と武装警察軍か」

 

 苦虫を噛み締めながらワレンコフは呟く。前者は当事者の一員でありしかも所在が不明と来ている。しかもブラウンシュヴァイク家の一族もセット、下手をすれば特大の爆弾だ。

 

 後者の方は更に質が悪い。騒ぎを起こしたもう一方は、フェザーン自治領主府所属の武装警察軍を名乗ったらしい。コーベルク街の特殊性、そして起こった騒ぎの内容から責任の追求と賠償、管理体制等に対する説明を求める声が各方向から届いている。

 

「装備やIDがかなり再現されていたらしいな。横流しか?」

「武装警察軍内部及び各装備品納入業者への査閲を開始しておりますが、まだ何とも……」

 

 スタジアムの死体は回収出来たが身元は不明、装備品は武装警察軍制式採用品とほぼ同一で、ID番号等を記録した身元証明書もまた不正取得されたものであった。少し調べた程度では武装警察軍と判別がつかない程である。しかも生き残りは迅速にその場を去ったせいで尋問も出来ない。お陰様で自治領主府も否定しようにも証拠の提示を要求されてそれに答えられないという状況だった。

 

「……最早何が起ころうが可笑しくないな」

 

 腕を顔の前で組んで逡巡する自治領主は暫しの間目を閉じて物思いに耽けり、命令を下す。

 

「警備隊及び治安警察軍に第一級警戒態勢を発令しろ。同盟・帝国双方の回廊に臨検及び哨戒部隊を展開、どのような不法侵入者、脱出者も許すな。また防衛協力契約を結んだ全警備会社に通達だ。契約内容の第四条、及び八条第二項、一一条第一項及び四項に基づいた人員の供出を要請するとな」

 

 それは大きな決断であった。合法非合法の様々な交易事業はフェザーン経済を支える重要な支柱の一つである。第一級警戒態勢におけるフェザーン警備隊及びフェザーン治安警察軍の臨検は普段の簡易的なそれとはレベルが違う。徹底的な臨検はその分時間がかかり、それはフェザーン経済に悪影響を与える。非合法交易に従事している商人や企業、犯罪組織は更に反発するだろう。

 

「だからこその傭兵共だ。これ以上このフェザーンで余所者共に好きにさせん。徹底的な監視体制を敷け。これ以上馬鹿騒ぎなぞ起これば我々の体面も丸潰れだ」

 

 ましてや自治領主の管理責任に既に飛び火しているのだ。約二〇〇万の傭兵部隊を臨時にフェザーン自治領主の管轄に移管するのはその牽制の意味合いもある。

 

 これ以上の騒動の発生を防ぎ、実行犯達を捕らえ、尚且つこの機に暗躍する親帝国派を押さえるためにワレンコフは強硬的な手段を取る覚悟を決めた訳である。ここ数日の間に漸く大掃除のための見通しがついた事も戒厳令発令を行う覚悟を後押しした。

 

「それでは我が社からも別に自主的に部隊を派遣致しましょう」

 

 執務室の端のソファーで控えていた人物が割って入るように申し出る。

 

「警備任務に特化させた警備員を二万名、要請の供出義務とは別に御貸し致しましょう。自治領主府の防備に御使い下さい」

「おお、スペンサー社長!それは本当ですかな?頼もしい限りだ!」

 

 ASC社の社長であり第五代フェザーン自治領主の最有力候補者であるスペンサー社長はワレンコフ自治領主に申し出、自治領主は心強いとばかりにその申し出を受け入れる。政治方針を共にし、此度の大掃除にも協力し、次期自治領主の最有力候補者であるスペンサー氏は自治領主の信用出来る数少ない味方であった。

 

「コーベルク街で無法を働いた輩についても御安心下さい。我らが星で余所者共にこれ以上好きにはさせません」

「うむ、治安警察軍だけでは不安もあるからな。愚か者共を捕らえれば君の次期自治領主としての立場も盤石になろう。まさかとは思うがそれが狙いかね?」

「私もフェザーン人ですので」

 

 スペンサー氏は慇懃に自治領主の指摘に答える。フェザーン人は功利主義であり、好意だけで動くなぞ有り得ない。スペンサー氏もまたその遺伝子を継いでいるようであった。

 

 幾つかの相談と確認を行った後に、恭しく民間軍事会社の社長は執務室を出る。エレベーターに乗り込もうとして偶然に出て来たその異形の男に鉢合わせした。スペンサー氏は口を開く。

 

「おや、これはルビンスキー補佐官、朝から御忙しい事ですな」

「いや全くです。これで来週の旅行計画を取り止めにしなければならなくなりました。折角買ったサーフィンボードが埃を被ってしまいますよ」

 

 不敵で底知れない笑みを浮かべた禿げ頭の男は妙に粘り気のある声で飄々と答えた。

 

「おや、そのような計画があったのですかな?気の毒な事ですな」

 

 スペンサー氏は一歩次期自治領主候補のライバルに近づき、その耳元で囁く。

 

「何やら企んでいるようだが無駄だぞ。貴様のような若造に何が出来る?」

「年長者としての忠告ですかな?御言葉だけは有難く受け取っておきましょう。御言葉だけは」

 

 言葉だけは、という部分を強調するルビンスキー。

 

「……後悔しても遅いぞ?」

「その御言葉、そのまま御返し致しましょう」

「ふんっ………賢し気な餓鬼がっ!」

 

 二〇以上年下の自治領主補佐官の態度にそう鼻を鳴らしてスペンサー氏はエレベーターに乗り込む。自動扉が閉じるその瞬間まで、二人は互いに鋭い視線で睨み合っていた………。

 


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