帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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第百五十七話 車の運転はかも知れない運転を心がけよう

「自治領主から内々の面会の要望?この時期にか?」

 

 自由惑星同盟駐フェザーン高等弁務官事務所にその申し出が来たのは九月二三日の標準時刻1930時、即ち午後七時三〇分の事であった。弁務官事務所の貴賓用応接室に集まる要人達は皆顔を見合わせる。

 

「このような時期に急な話ですな。自治領主は今は議会とマスコミの対策で精一杯で此方に会う余裕があるとは思えませんが。しかも我々同盟政府ではなく亡命政府に向けての申し出とは一体何用か………」

 

 フェザーン高等弁務官であるリアム・スターリングは怪訝な表情を浮かべて口を開く。同盟の大財閥一族の末席に座る同盟議員でありフェザーンにおける同盟の外交官筆頭である中年男性は現状のフェザーン政界の状況を把握しているが故にこの内々の連絡に首を捻らせる。

 

「先生はどう思いますか?正規のルートからの連絡ですので偽造は難しいと考えますが……」

 

 同盟側使節団の全権委任者である国防委員会財務・会計副委員長トリューニヒト議員は連絡自体は記録に残る偽装不可能なものである事を指摘する。少なくとも今回の借款交渉を潰したがっている工作員や反同盟派閥がテロやら誘拐事件やらに巻き込むための餌として呼び掛けている訳ではない事は間違いなかった。

 

「……ふむ、考えるに借款交渉を強硬する積もりではないかな。戒厳令を敷いた時点で想定は出来る事態ではある。ここまで強硬策を執ったとなれば親帝国派を押さえる算段がついたのやも知れんな」

 

 ソファーに深く腰かけるオリベイラ学長がその可能性を指摘する。

 

 戒厳令は諸刃の剣だ。自治領主の権限を一時的に飛躍的に強化する代わりに経済面においては各方面で統制が開始され、フェザーン経済そのものに打撃を与えかねない。

 

 そして自治領主のフェザーン社会における最大の存在意義が経済面におけるフェザーンの権益の拡大と維持と保護にある事を思えば、戒厳令の長期化は自治領主府の立場を却って弱める事になりかねない行いだ。帝国や同盟に攻め込まれているなら兎も角、たかがテロの警戒のためだけにここまで厳しい統制を続けるのは難しい。

 

 ともなれば、自治領主からすればこの権限強化が為されている間に懸案そのものを解決してしまいたいと考えるのは決して可笑しい考えではなかった。

 

「親帝国派を抑えるとなると……やはり例の件でしょうか?」

「エル・ファシルで回収された『アセット』からルートについての情報は確保したのだろう?」

「ええ、しかしもう……?」

 

 オリベイラ学長の指摘にトリューニヒト議員は懐疑的な表情を浮かべる。相手はあの帝国宮廷の保身の怪物である。たかがスパイ一人の情報で足がつくものなのか?しかも情報提供から半年やそこらの時間で?

 

「ワレンコフは……あの民族主義者は無能ではない。頑固ではあるが優秀な政治家であり、商人だ。脅迫と懐柔による切り崩しはフェザーン人の十八番だよ。驚くに値すまい。強いて言えばワン君とトージョー君が頑張ってくれたのだろうね」

 

 同盟国立中央自治大学学長は国防議員の疑念に対して否定する。元同盟警察のキャリア組からは到底信じられないであろうが、彼と長い付き合いの学長はそれを確信していた。

 

「粛清と根回しが終わるのはいつ頃と予想しますかな?」

 

 親帝国派の無力化にかかる時間をハーン伯爵は尋ねる。

 

「一週間、長くても一週間半であろうな。その後反対派を一掃した議会で一気に借款の認可を採決する……その当たりが自治領主の描く青写真だろう」

「となると此度の面会の要請は………」

「いや、事前交渉の側面は確かにあろうがそれだけとも思えん。我々ではなく伯爵方をお呼びするとなると……ふむ、やはりこの前のトラブルが一番の理由であろうな」

「やはりですか」

 

 帝国の名門一族かつ訳ありの男爵様が亡命政府の伯世子と共に騒動に巻き込まれて行方不明ともなれば新無憂宮は大騒ぎであろう。その筋ではフェザーン当局はてんてこまいの筈だ。帝国政府に対して釈明するにしろ、亡命政府との口裏合わせやら釈明文の内容を相談するなりと実際に顔を合わせる必要があった。あるいはそのまま帝国側の高等弁務官と面会する可能性もある。

 

「我々の助けを求めている、という訳ですね?ならば私がお会いしても構いませんが?その方が彼方も助かりましょう?」

 

 この会話の最中、ずっと防弾硝子製の窓から高等弁務官事務所の夜の庭園を観賞していたシュヴァリーン大公がそう提案した。全員の視線が彼に集まる。

 

「……大公殿下、それは流石に危険では?確かに申し出自体は罠ではないでしょうが道中が平穏無事とは限りますまい。はっきり申し上げますと今のフェザーンの市街は何が起きるか分かったものではありません」

 

 亡命政府側の外交使節代表たるハーン伯爵は顔をしかめて皇族を諭そうとする。確かに申し出自体は本物だろう、しかし先日の爆弾テロにコーベルグ街での襲撃、更には今日には同盟側使節団に同行した従士が消息を断っており未だに帰って来ていない。最早中立地帯という言葉なぞ影も形もなく、自治領主府に向かうまでの道程は安全からは程遠い。途中待ち伏せでも受けたらどうなるか……。

 

「ですが電話の会談という訳には行きませんよ。ホットラインとは言え盗聴される可能性はありますし、何より誠意がない。それに伯爵や同盟側の代表が向かう訳にもいきません、違いますか?」

 

 亡命政府より全権を委任されているハーン伯爵に何かあれば借款の取り決めが出来ないし、同盟側の代表達に至ってはそこに加えて帝国側を宥める権威も信用もない。当然ながら直接顔合わせしないとなると自治領主の面子を潰し無駄な悪印象を与えかねない。

 

「正直、やる事が無くて辟易していた所です。ヴォルター……ティルピッツ大佐とは私も交流は長いので適任でしょう。違いますか?」

「それはその通りではありますが……」

 

 発言内容は理解出来る。確かに皇族であるとは言え、シュヴァリーン大公の正式な立ち位置はあくまでもハーン伯爵の付き添いのようなもの。ならばハーン伯爵には安全を確保してもらい、大公が自治領主府に向かうという判断は可笑しくない。皇太子という訳でもないので最悪死亡しても皇統の存続としては問題ない。とは言えやはり皇族を危険に晒す事に伯爵は抵抗があるようだった。

 

「何、護衛は彼方にたっぷり用意させてもらいますよ。……行動するならば早い方が良い。この時期に無駄に待たせて印象を悪化させる訳にはいきません、違いますか?」

 

 皇族軍人の言葉に、今度こそ合理的に反対出来る者は皆無だった。

 

 

 

 

 

 

 深夜の『裏街』の空に、空を切る金切り音とけたたましい轟音が鳴り響く。

 

「ふむ、中々必中とはいかんものだな。狙いが逸れたぞ?」

 

『裏街』の中では比較的丈夫で頑健な古いコンクリートの三階建ての建物、その屋上でマホガニー製の椅子に座る青年貴族は迫撃砲の着弾について評した。その手元には象牙と白蝶貝、そして金塗りに装飾されたハンドル付きのオペラグラスがあり丁度砲撃を受けている数百メートル先のバラック小屋を楽し気に覗いていた。現在進行形で撃ち込まれ続けるバラック小屋は、しかし砲弾の大半は周辺の泥地や他の小屋に着弾しており、数発が運良く命中したものの未だにその外観をほぼ維持していた。

 

「迫撃砲となりますと仰角の関係上、直接射撃が出来ません。この風の上、扱う者があの通りでございますれば、命中率は致し方ないかと……」

 

 傍らに控えるバーレ将軍が雇用主の疑問に答える。急遽取り寄せたフェザーンの軍需企業製の迫撃砲及び各種測量装置であるが、扱うのが『裏街』のチンピラ共となればやはり性能通りの命中精度を期待する事は出来なかった。

 

「ふむ、そういうものか。まぁ良かろう。このままあっけなくゲームオーバーでは興醒めだからな。舞台を用意した側としては精々彼らには大立ち回りをしてもらわんとな?」

 

 そう言って公世子は楽し気な表情を浮かべオペラグラスをすぐ側のテーブルに置くと女中が注いだ珈琲のカップを掴みその香りを、次いで苦い味を楽しむ。そして指を鳴らせば燕尾服を着た執事達が木箱を持って公世子の元に跪く。愉快そうな表情を浮かべながら彼は鼻歌交じりに木箱の蓋を開き、中に収められた古めかしい装飾の為されたライフル銃を取り出す。

 

「ふふっ、良い物だろう?職人共に拵えさせた猟銃の中ではこれが一番良い出来でな。これで『猟犬』で追いたてた色々な『獲物』を仕留めたものだよ」

 

 残酷な笑みを浮かべ将軍にそう伝える公世子。彼の言う『獲物』がただの狐や鹿ではない事は明らかだった。更に言えば猟犬だってまともでない事を将軍は知っている。

 

 公世子は猟銃を膝の上に置いて再度湯気を上げる珈琲に舌鼓を打ち、上機嫌な口調で告げる。

 

「下方の賤民共に伝えろ。私は花火を見に来たのではない、そろそろ次の段階に進めとな。……さて、お手並み拝見と行こうではないか?」

 

 そう言って極極自然な所作で青年貴族はカップの持つ手を伸ばし、自身の足元に蹲る首輪をした小さな『ペット』の真上で止めた。そしてにこやかな笑みを浮かべながら当然のようにゆっくりとカップをひっくり返して中身をぶちまける。

 

 足元で頭の上から黒い熱湯を被った『ペット』があげる子供らしい悲鳴をBGMに、マクシミリアン・フォン・カストロプは再度オペラグラスを目元に寄せて楽しそうに次のショーの観戦に興じるのだった……。

 

 

 

 

 

 

「あー、皆?生きてる?」

 

 粉塵と黒煙の舞うバラック小屋だったものの床に伏せる私は同居人達に安否確認の質問をする。

 

「おう、俺とマイレディは見ての通り元気だぜ?それで?そろそろ花火大会は終わりかい?」

 

 テーブルの下に隠れて愛人様を抱きしめた体勢で伏せていた男爵様は煤まみれの姿でへらへらと答えてくれた。御無事で何よりです。あんたに死なれたら割かし洒落にならんからな。

 

「うっ……ぐぅ……?アイリス、悪いが俺が住んでいた頃はもう少しこの街は平和だったと思うのだが?いつからここらは酸性雨の代わりの砲弾が降るようになったのだ?」

 

 粉塵に咳込みながら尋ねる禿げ頭の自治領主補佐官殿である。幾らか浅い怪我はしているようだが大体無事のようだった。

 

「けほけほ……そんなの知らないわよっ!今のって砲弾?馬鹿共の抗争の流れ弾……じゃあないわよね?あれだけ撃ち込まれてたら。……ちょっとどいてくれない?重いんだけど。こんな時に強姦でもする気?」

 

 咳込む家主様の声が私のすぐ下で響く。荒っぽく上に被せた塵拾いの上着からむずむずと頭を出した少女が此方を見て口を尖らせる。

 

「失礼フロイライン、何せ相手が相手ですので。どうぞ御容赦願いたいものですな?」

 

 私は肩を竦ませて助命嘆願する。迫撃砲弾で注意するべきなのは衝撃と弾片だ。それ故に砲弾の音が聞こえたらすぐに身体を伏せて何でも良いので身体を保護するために被るのが最善だ。真上に落ちてきたら?諦めろ。

 

「……この様子だとどうやら文句を言う余裕も無さそうね。ちっ、曲りなりにも住宅地よここ?あんなに撃ち込んで来るなんて非常識過ぎるわ!……ていうか私の家っ!?あぁ、もう最悪っ!!」

 

 最早屋根すらない程にボロボロになってしまった自宅を見て、家主様は憤る。幾ら小汚いバラック小屋とは言え、彼女にとってはマイホームである事に変わりはない。それが砲撃でズタボロになれば声を荒げて怒りもしよう。

 

「この街の住民の命なぞ一フェザーン・マルクの価値もないという事だろうな。それこそ幾ら消費しても増えていくからな。多少ご近所様達が巻き添えになろうが構わんって事だろう」

 

 若干頭を上げて正に現在進行形で火災中だったり倒壊している豚小屋……ではなく巻き添えを食らったご近所様のバラック小屋を観察するルビンスキー氏。よく見れば地面なり瓦礫に肉片がこびりついていた。その一方で全速力で避難をしようとする者達もいた。尤も……。

 

「おっと、危ないっ!」

 

 黒狐が慌てて頭を下げるとすぐに真上をレーザーの光が通り過ぎていった。闇夜に目を凝らせばブラスターの青白い光が飛び、逃げようとした人影がばたばたと倒れる姿を確認出来る。

 

「準備砲撃、にしては砲撃が不徹底だ。こりゃあ正規軍じゃないな」

「うちの手の奴らでもねぇな。暗殺にしては品が無いし不確実過ぎる。叔父上の部下なら砲撃せずにそのまま熟睡中に首を斬るな。確実に殺した事が確認出来る」

 

 男爵様が首が落ちる表現を手で行いにやにや笑う。これで同盟・帝国の正規軍、そしてブラウンシュヴァイク家の線は消えたな。

 

「あんたら、何でこの状況で冷静に分析してんのよ……」

「男爵は知りませんが少なくとも私は経験済みですので」

 

 ジト目の家主にそう切り返す。カプチェランカやエル・ファシルの砲撃に比べればあんな素人臭い砲撃なぞ可愛いものだ。………可笑しいな、何で伯世子が砲撃に慣れないといけないんだ?

 

「というか私はアレ、補佐官殿の部下か何かと考えていたんですが違ったんですか?」

「武器で護身するのは三流ですよ。護衛を雇うのも結構金がかかりますからな。一流は立場と状況を活かして身を守ります」

「仰る事は尤もだがこの状況では滑稽だな。護身術に心得は?」

「生憎、ハンドブラスターも碌に持っていない平和主義者でしてな」

「成程、戦力外と。役立たずめ」

 

 舌打ちしながら私は腰元のハンドブラスターを引き抜く。エネルギーパックは予備二つ、相手の数は……二、三個小隊辺りか?無駄弾は撃てんな。

 

「おやおや、随分と態度の悪い事だ。それが素ですかな?」

「……あんた正気?あれだけの人数相手に出来るの?」

 

 黒狐と家主様がほぼ同時に私にそう声をかける。微妙に声が重なり片方は愉快そうに、もう片方は心底不愉快そうに互いを見やる。そしてまず家主が舌打ちしながら、次いで補佐官が苦笑しながら此方に視線を戻す。私はその様子を見て肩を竦めさせた。

 

「では尋ねますが、いきなり迫撃砲弾を撃ち込んで、しかも無関係な御近所様ごと我々を殺害しようとする輩相手に話し合いが通じるとお思いで?」

「まぁ、交渉する積もりもないのは明らかだわな」

 

 真っ先に苦笑いを浮かべながら返答するのは男爵様である。

 

「因みに男爵殿は射撃の御経験は?」

「悪いがその手の荒事は全てアンスバッハらの領分さね。俺はマイレディとここでハムスターみたいに怯えておくよ」

「さいですか。……自治領主補佐官殿、この場で妙案があれば伺いますが?」

「……残念ながら、ですな。俺も口は回る方と自負しておりますが、最初から殺しに来るような輩相手ではどうしようもありません」

「でしょうね。……はは、男二人が戦力外とは酷い面子な事だ」

 

 そう嘆きながら義手を伸ばし、安全装置を外そうとしているアイリス嬢からハンドブラスターを頂戴する。

 

「ち、ちょっ……!!?何するのよ!?」

「残念ながら無駄弾を撃たせる余裕はないものでしてね。お尋ねしますが今まで人を撃ち殺した御経験は?」

「………っ!!」

 

 気取られたのか小さく舌打ちする家主様。この態度から彼女のハンドブラスターが脅しに使われた事があっても実際に人を射殺した経験が皆無なのだと分かる。

 

「……あんた気付いていたの?」

「何となくですがね」

 

 ……まぁ、私も曲がりなりにも人殺しのプロだ。銃よ構え方や僅かな機微でその事については大方予想は出来ていた。碌に試し撃ちもした事無かろう。そんな素人に任せても貴重な弾の無駄使いだ。

 

「これだけ面子が揃っていて碌に射撃の経験があるのが私だけってのも笑える話だな。……さて、お喋りはこの辺りで終わりだな」

 

 私は苦笑いしつつ物陰に隠れながら二丁のハンドブラスターを構えた。視線を向ければ薄っすらと人影が複数此方に向けて近付いているのが分かった。当然ながら彼らは善良な一般人ではない。

 

「ではでは、見苦しい悪足掻きといきましょうかね?」

 

 本当に軽い口調で、私は絶望的な戦いを始める事にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

「ぎゃっ……!?」

「マルコフっ!?糞っ垂れが!!撃ち返せ!!」

「相手は精々数人だっ!!一気に潰せっ!!何をしてやがる!!」

 

 砲撃の後にバラック小屋に向かうマフィアグループ『カラブリア・スピリット』の構成員達は苛立ち交じりの怒声を上げる。もうすぐ二〇分になろうとしている銃撃戦は戦力で圧倒的にマフィア側の優位でありながら未だに決着はつかなかった。それどころか反撃の射撃が放たれると共に急所や足を撃たれて死亡ないし無力化される者の数は刻一刻とその数を着実に増やしていた。

 

 本来ならば勝負にもならない銃撃戦が思いの外長引いている理由は幾つかあるが、最大の理由はやはり質の問題であったろう。

 

 所詮『カラブリア・スピリット』の構成員は皆武装した一般市民の範疇を出るものではなかった。互いに碌な連携も援護も出来ない。足音や銃撃音、掛け声は隠蔽する素振りすらなくその居場所を自ら曝け出す。薬物でハイになっているのか物陰に隠れずに銃を乱射する者は中途半端に負傷させても意味がないので頭部を狙撃して即死させ、物陰に隠れる者もその出来が宜しくないので咄嗟に身を乗り出した瞬間を早撃ちで仕留められる。比較的賢く立ち回る者には敢えて即死しない重傷を受けてもらい、その叫び声で周囲の士気を挫く材料になってもらった。

 

 僅か二〇分の間に死亡したマフィアのゴロツキは八人、負傷者はその二倍に及ぶ。対して彼らは未だに目標に大した損害すら与えられてはいなかった。

 

「畜生がっ!!あいつら、この暗闇の中で良くやってくれやがる……!!」

「何してんだっ!!反撃してきやがるのは二、三人だろうっ!!?早くぶっ殺せっ!!」

 

 その苛立ち交じりの叫び声と共に数台のテクニカルトラックが前衛に押し出される。荷台に背負う機関銃が暗闇の中で周囲を機銃で掃射する。

 

「きゃっ……!?」

「うおっ、危ねっ!?」

 

 闇雲な乱射とは言え機関銃による集中射撃である。地面にへばりついてやり過ごすにも限界がある。特に跳弾や粉砕された建材の破片の殺傷力は馬鹿に出来ない。

 

「ちぃ………舐めるなよ、素人共め……!!」

 

 私は暗闇の中で僅かな光源を頼りにテクニカルトラックの銃手を見据える。そして狙撃する。

 

「ぎゃっ……!?」

 

 頭部を撃ち抜かれた銃手はそのまま倒れながら機関銃を傾ける。引き金に指をかけられたまま弾を吐き出し続ける機関銃はそのまま周囲にいた味方を殺傷し、隣のテクニカルトラックに数ダースの弾丸を叩き込んだ。エンジンか燃料かあるいは弾薬類か、何かに引火してトラックが吹き飛ぶ。爆風と鉄片が周囲に屯していたゴロツキ達を一掃した。

 

「おっ!凄ぇな今の!」

「ただの手品だよ」

 

 男爵の言葉にそう吐き捨てて、私は報復とばかりに叩き込まれる鉛弾の嵐を伏せてやり過ごす。先程のは訓練中に不良士官様に教えてもらった小細工だった。狙撃の角度と部位とタイミングさえ合わせればそこまで難しいものではない。まぁ、でかい打ち上げ花火が上がったのは偶然であるが。

 

「皆、まだ生きてる?」

 

 泥の中に身を潜めてハンドブラスターのエネルギーパックを交換しながら闇の中に問い質す。全員の返答を聞いて一安心し、サイオキシン麻薬で痛覚が麻痺した鉄砲玉の突撃を迎撃する。相手がキマっている場合は足や腕を撃っても普通に反撃してくるので頭や喉、心臓を撃ち抜いて即死させるのが一番だ。夜空の光や周囲の僅かな光源、銃撃の光を頼りに見据え、射殺する。奇声を上げ銃撃しながら疾走してくる音が途切れる。よし、無力化したな。

 

 現状、此方の被害はほぼ無し。対して相手の被害は相応だ。単純な被害率ならば此方の圧勝ではあるが当然この場合はそんな足し算引き算の話ではない。寧ろ、我々は着実に追い詰められつつあった。

 

「包囲が狭まって来ているな?それに、弾もそろそろか?」

 

 愛人様を守るように物陰に隠れて体育館座りする男爵様が他人事のように尋ねる。二丁のハンドブラスターの内、自前の一丁は最後のエネルギーパックであり、お借り中のもう一丁は中のエネルギーを半分まで使いきっていた。全弾合わせても六〇発を切っているだろう。相手の手持ちを拝借しようにも一番近場の死体に駆け寄る前に射殺される事請け合いだった。つまり割かし追い詰められていた。

 

「このままではじり貧かっ……!!うお……!?」

 

 撃ち込まれるロケット弾に私は伏せる。至近に着弾したのだろう、爆発の熱風と激しい轟音が私を襲った。糞、耳鳴りがしやがる……!!

 

「痛ぅ……そろそろ本気で怒らせたかな……?っ……!?あれは………」

 

 余りに状況が悪すぎて笑いそうになるが、直ぐに私はゴロツキ達が屯する彼方側で何やら騒ぎが起きているのを確認し、次いで驚きに目を見開く。

 

 数人のゴロツキを轢きながらそれは現れた。大きな影がけたたましい騒音と共に近づく。くたびれたキャンピングカーが丁度マフィアと我々の間に割り込むように急停止した。

 

「旦那様っ!御無事で御座いますか!?」

「大佐殿、これはまた随分と派手な事になっていますな……!!」

 

 後部扉から男爵の護衛であるアンスバッハ従士が、運転席からバグダッシュ少佐がそれぞれ姿を現し我々にそう呼び掛けた。その面子に若干鼻白むが小言を言う暇はなかった。直ぐに私は叫ぶ。

 

「早く車に乗り込めっ!!さっさとしろ……!!」

 

 その言葉にまず愛人様をお姫様抱っこした男爵様が真っ先に反応し、次いで事態を把握した自治領主補佐官が家主様の腕を無理矢理引き摺ってキャンピングカーに向けて走る。私はキャンピングカーから降りた数名の黒服と共に足止めの仕事に移る。

 

「撃たせるかよ……!!」

 

 バズーカ砲にロケット弾を再装填をしようとしていたゴロツキに狙撃、腕を射ぬかれた男はロケット弾を落とし、同時に地面に向けて発射された弾頭が泥の地面に突き刺さり爆発する。弾頭の破片と礫が周囲の者達を殺傷して混乱を引き起こした。

 

「畜生があぁぁ!!」

「舐めてんじゃねぇぞ余所者がっ!!」

 

 アサルトライフルを持ったゴロツキ達がそんな仲間の惨状を気にせず射撃しながら奇声を上げて突っ込んで来た。薬物を使って恐怖心が減衰し、同時に思考能力が低下しているからこそ出来る所業だ。正規の訓練を受けた軍人ならば到底こんな危険な事出来ない。

 

「知るかよっ!!さっさと黙れ……!!」

 

 金切声にうんざりしつつ即座に片方の頭を、もう片方の心臓を撃ち抜いて無力化する。

 

「大佐っ!!早くっ!!」

 

 運転席のバグダッシュ少佐が叫ぶ。気付けば既に私以外はキャンピングカーに逃げ込んだらしい。キャンピングカーの窓から銃撃の光が見える。

 

「マジかっ!!?おいおい置いていくなよ……!?」

 

 後方からの銃撃から逃れながら私はキャンピングカーに向けて全力疾走する。待て待て、動き出すな!!てめぇらマジで私を置いていく積もりかよっ!!

 

「何タラタラしてるのよ!?早く乗って!!」

「タラタラって言っても……うおっ!?」

 

 後部扉から手を伸ばしてそう叫ぶ声。私がその腕を掴むと同時に一気にキャンピングカーに引き摺りこまれる。

 

「よしっ……痛ぇ……!!?」

 

 キャンピングカーの中に突っ込んだと同時に左足の脹脛に激痛が走る。恐らくライフル弾が掠ったのだろう、視線を足元に向ければズボンに出来た穴から豪快に血が流れていた。脹脛の肉の一部を持っていかれたらしい。

 

「ちぃ……!!?痛いだろうがボケ………」

 

 そのまま姿勢を変え、後部扉の前に座りこむ形で私は銃撃を始めようとして、それが視界に映りこんだ。

 

 コンクリート製だろう古い建物の屋上にそれが見えた。銃口から硝煙をたなびかせる古めかしいアンティークライフル銃を構える人影がフェザーンの衛星(月)を背後に纏い浮かび上がっていた。

 

 『裏街』に似合わないベレー帽にジャケットという貴族の狩猟時に纏う華美な出で立ちに端正な顔立ち、それを残酷に歪ませるその風貌。……その人物を私は見た事がある。それもほんの数日前にである。

 

「お前は……」

 

 何故こんな場所にカストロプ家の放蕩息子がいる?そんな疑問が脳裏に過るがそれも一瞬の事だった。キャンピングカーは全速力で走るためにその人影は直ぐに見る事が出来なくなった。同時にけたたましい銃声が響き私の意識はそちらに奪われる。

 

 視線を移せば数台のホバーバイクやらテクニカルトラックに乗った追っ手がキャンピングカーの直ぐに後ろに追い縋って来ていた。

 

「うおおっ!!?止めろよっ!!?これで仕舞いだろっ!?付いて来るなよ!?」

 

 荷台やら運転席やら後部座席の仲間やらから元気に銃撃を仕掛けて来るゴロツキ達に向けて私は罵倒しながら殆んど反射的に撃ち返す。ここはもう幕引きでいいだろっ!?てめぇら仕事熱心過ぎだ!そんなに勤労意欲あるなら堅気の仕事でもしてろよ!?

 

 明らかに彼らの執念は異様だった。それはあるいは何かに急かされ、脅されているようにも思えた。完全に主観ではあるが。

 

「大佐っ!迎撃をっ!!」

 

 スラム街の夜道でキャンピングカーを全速力で疾走させながら叫ぶ情報局将校。キャンピングカーを激しく動かし追い縋るホバーバイクの一台に故意にぶつかれば質量差からホバーバイクは前屈みに地面に突撃、安全ベルトもしていなったのだろう、運転手と後部座席の銃手が空中に投げ出され誰かのバラック小屋に突っ込んだ。多分首の骨が折れて即死しているだろう。

 

「迎撃を、じゃねぇよ馬鹿野郎!ちぃっ……!?」

 

 そう罵倒すると同時に自分の直ぐ側の車体で火花が散る。斜め右隣を走るテクニカルトラックの機関銃からの銃撃によるものだ。色々エージェント様に追及したいことがあるがまずは迎撃の銃撃を行う事に集中しなければいけないらしい。

 

「失礼致しますっ……!!」

 

 私が揺れる車体にしがみつきながら発砲していると後方、つまりキャンピングカーの中から現れる黒服が短機関銃を両手に持って躍り出る。両手撃ちで毎分数百発もの拳銃弾が至近でトラックに叩きつけられた。

 

 銃座の男が仰け反り振り落とされる。同時にタイヤに被弾したのだろう。パンクしたテクニカルトラックはスピンしてそのまま回転、後方の別のトラックを捲き込み横転する。

 

 次いで正面からホバートラック。後部座席の男が筒状の何かを此方に向けようとしていた。というか明らかにロケット弾だった。撃たれたら終わりなので数名の黒服と私が集中攻撃を行い蜂の巣にしてやった。

 

「不味い……!!」

 

 バグダッシュ少佐の舌打ち。テクニカルトラックの一台が横合いに、取りつき車体に機関銃をばら蒔く。装甲なぞ碌にないキャンピングカーである。銃弾は貫通し、火花が飛び散りタイヤの一つを破裂させる。

 

「うおおおっ……!?」

「きゃっ!!?」

 

 元より無舗装で乗り心地が悪い車内の揺れが激しくなる。そこに銃撃が弾ける音が響く。キャンピングカーの奥に避難していた男爵やら補佐官やらが銃弾から身を守るために体を伏せる。

 

「ぐっ!?」

 

 黒服の一人が肩に負傷して苦悶の声を上げて倒れる。三次元機動を活かして奇襲するように死角から現れたホバーバイクからのものだった。

 

「糞っ!!次から次へと……っておいおいマジかマジかマジかっ!!?」

 

 死角から現れたホバーバイクがそのまま速度を上げて銃撃しながら此方にやってくる。それが意図する所を私は操縦席から立ち上がる男の姿から理解した。

 

「全員!奥に行けっ……!!」

 

 振り返りそう叫んだと同時の事だった。激しい衝撃と共に後部扉に突っ込むホバーバイク。運転手と後部座席の男はそのままバイクから降りて拳銃とナイフという閉所戦闘を念頭においた装備を手にキャンピングカー内部に躍りこむ。

 

 瞬く間に突撃の衝撃で床に倒れていた黒服の一人に発砲、肩と足を撃たれて戦闘不能に追い込まれる。更に操縦席の男は男爵達に銃口を向ける。

 

「ちぃっ!?」

 

 土足で入り込んできたゴロツキ達の狙いに舌打ちしつつ咄嗟に男爵は手元の少女を庇うように抱き締め男に対して背中を向けた。

 

「させるかぁ!!」

 

 横合いから現れた黒服隊長がサバイバルナイフを抜いていた。振り下ろされる刃。拳銃を持った腕が宙を舞い悲鳴を上げる男をアンスバッハ従士が正面から蹴りあげ情け容赦なく車外に突き落とす。

 

 後部座席から躍り込んでいたもう一人が仲間の仇とばかりに反撃しようとする。足を負傷して床に倒れていた私は咄嗟に撃たれていない方の足で相手の足を払い姿勢を崩させた。ゴロツキが転げながら小さな悲鳴を上げる。アンスバッハ従士達を狙っていた銃弾は天井を撃ち抜いた。

 

 その瞬間の事だった。キャンピングカーが激しくターンした。遠心力が働き男が後部扉から外に振り降ろされる。

 

「っ……!!」

「こいつ……っ!?」

 

 男は咄嗟に私の足を掴んでいた。同時に遠心力によって男と共に私は外に引き摺り出される。

 

「あっ……!?」

 

 私の手を掴む感触があった。僅かな瞬間、私は視線を動かし目を見開きながら私の下に駆け寄り手を握る家主様の姿を視界に納めた。しかし、残念ながらその行いは悪手であった。

 

 刹那、男と私と家主はターンし切った瞬間に慣性の法則と遠心力に従いキャンピングカーから外に向けて一気に投げ出された。キャンピングカーの中から此方を見て驚愕する黒服や黒狐達の姿を見る事が出来た。だがそれも一瞬の事で次に見えたのは迫りくる砂であった。

 

「糞ったれ!!」

 

 私は空中で家主の腕を引き、懐に抱き締めながら襲いかかって来るだろう衝撃に備える。

 

 数秒もせずにそれは来た。砂の中に突っ込み視界がぶれると共に呼吸器にダメージを受けて噎せた。激しく砂の絨毯に転げ回る。そしてそのまま砂丘の下に向けて転げ落ちたのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

「うっ……ぐっ……覚悟していたがマジで痛ぇな………!!」

 

 一瞬ブラックアウトした意識は恐らく数分もせずに回復した。但し、それは激痛によるものであったが。足を撃ち抜かれているのは勿論、恐らく時速三桁に迫る勢いで走っていたキャンピングカーから飛び降りれば全身むち打ちしたような痛みもしよう。下が砂で可能な限り上手く落ちた積もりだったのだが流石に限界があるらしい。

 

 ……一瞬、欠損しなかっただけ幸運だと思ってしまったのが色んな意味で悲しい。

 

「うっ……うんっ……こ、ここは………?」

 

 懐から呻くような声がした。ああ、忘れてた。お前さんいたんだったな。

 

 汚れた塵拾いの上着に包むように抱き締めた家主様が此方を見上げた。

 

「一応上手く落ちた積もりだが手足はどうだ?折れたりヒビが入ってないといいんだが……ぐえっ!?」

 

 次の瞬間家主様に頬をひっ叩かれた私は絞められた鶏のような悲鳴を上げた。

 

「何人の尻と腰触ってるのかしら?セクハラなの?痴漢なの?死ぬの?」

 

 私の腕の中から抜け出て立ち上がり、衣服についた砂を手で払いながら塵を見る目……いや塵以下を見る目で此方を見てくれる家主様である。酷い!不可抗力だっ!!

 

「何が不可抗力よ。こういうのはね、どんな理由があろうと触った時点でアウトなの。嫁入り前の娘になんて事してくれるのかしら?この放蕩糞貴族!」

 

 詰るようにそう言ってくれる家主様。厳しすぎる……と思うのはベアト等の従順過ぎる女性ばかり傍にいたせいだろう。まぁ、衝撃に備えるためとはいえ割かし尻とかがっつり掴んでいたからね、仕方ないね。……結構小さくて良く締まってたな………。

 

「おい、今何考えていた?」

「な、何の事かな……?」

 

 ジト目で此方を睨む家主様に対して視線を泳がして誤魔化す。

 

「全く、男ってのはどいつもこいつも……っ!?」

 

 何かに気付いたように凍り付いた表情を浮かべる少女。その視線の先に私も釣られるように顔を向ける。そこには我々と共に車内から転げ落ちたゴロツキの姿……。

 

 いや、そんなものはどうだって良い。それよりも問題は砂丘の先から近づいて来る影と砂の中を蠢く不気味な音であり………!

 

「不味いっ……!!」

 

 砂の中から跳ねるように全長三、四メートルはあろう影が現れた。漆黒の闇の中でその黄金色の瞳が怪し気に輝く。

 

『グオオオォォォォ!!!』

 

 狼が遠吠えを上げるように叫ぶそれはエイを連想させる独特の顔部造形を持っていた。両手と尻尾は巨大なヒレ、並んだ牙は夜の光に反射して怪しく輝く。

 

 黄土色の肌を持つ二足歩行の鮫とも蜥蜴とも表現出来そうなそれは砂鮫……凶暴な肉食動物として有名な野生のガレオスの姿そのものであった。

 

「ひっ……」

 

 思わず悲鳴を上げようとした家主の口を私は手で閉じさせる。獰猛な夜行性大型肉食動物であるガレオスの目はしかし退化しており、視力は決して良くない。逆に言えば聴覚はかなり発達している。声、それどころか個体によっては呼吸音ですら此方の場所を気付かれてしまうだろう。そして見つかればこの距離の上、装備は私の拳銃程度である。まず一撃で仕留めるのは不可能であり、この肉食動物を殺しきる前に十中八九此方は両方噛み殺される。我々にとって最善の行動は相手の視力の悪さに賭けてこの場を誤魔化す以外なかった。

 

「うっ……ぐっ……痛てぇな……!この糞野郎共め!!」

 

 私達と共に砂丘に転がり落ちたマフィアもどうやら今の咆哮によって意識を取り戻したらしい。足を挫いたようでふらつきながらも、此方を視界に収めると思い出したかのように怒気を強め懐の拳銃を引き抜く。だが、それはこの場においては余りにも無謀な行いであった。

 

「ふざけやがって!!両方ぶち殺してや……ぎゃっ!!?」

 

 次の瞬間男は頭からガレオスに食いつかれる。

 

「ぎぃやあぁぁぁ!!?い、痛いっ!!?いだっ……ひぎぃっ……!!?」

 

 頭に食いついたガレオスはそのまま男を振り回し、次いで砂の上に何度も叩きつける。血飛沫が辺りに飛び散る。骨が砕けるグロテスクな音が闇の中で響く。くぐもった獣のような悲鳴が鳴り響く。私の頬に生温かい何かが跳ねたのを感じた。

 

「っ……!!」

 

 家主は此方に抱き付いて顔を私の胸元に埋めてそのおぞましい光景から目を逸らした。恐らく耐えきれなくなったのだろう。私にすがりつく彼女の身体は震えていた。私は彼女が悲鳴を上げないように耳を塞ぎ、その身体を抱き寄せる。

 

「い、いやっ…じにだく…だ、だすげ……ひぎゅ……あっ…ぐっ……!?」

 

 足の骨が両方折れたのだろう男が身体を引き摺って此方に助けを求める。噛み傷が身体中にあり、血塗れだった。頭皮の一部は捲れて骨が見えていた。震える涙声を上げる男。

 

 ガレオスがその背中を踏みつけたと同時にゴリッ、という擬音が響き渡った。数百キロの体重を持つ肉食獣に踏みつけられたのだ。その衝撃で背骨は折れ、内臓は圧迫され一部は潰れた事だろう。身体を痙攣させ、咳き込みながら血を吐く男。怪物は口を開きその頭を咥え………。

 

 グチャリ、という音と硬い何かを噛み砕く咀嚼音が暫く響き続けた。耳を塞いでいるので聞こえていない筈だがその音が鳴り続ける間胸元の少女は息を震わせて怯えていた。一方、私は視界を背ける訳にもいかないので目の前で行われる惨劇を見続ける。丁度、目の前の肉食獣は手足を食い千切り手頃な大きさになった所で人体を口で持ち上げ、蛇が鼠をそうするように丸飲みを始めていた。ギチギチ、と到底人間の身体から響くべきでない音が鳴り響く。

 

『グウウゥゥゥゥ………』

 

 漸く食事を終えたガレオスの、黄色く闇の中で光る眼光が此方に向いた。

 

(……大丈夫だ。視力は良くない。普通の野生動物は他の動物がいるような状況で無防備に食事なぞしない、ならば完全に此方に気付いてはいない筈………)

 

 此方の至近で唸るような鳴き声を上げるガレオスを睨みながら私は自分自身に言い聞かせる。息はとっくの昔に止めていた。呼吸音で気付かれてこの距離から飛び掛かられてはまず避けきれなかった。

 

 胸元に抱き着く少女は一層その握力を強め、私に密着していた。恐らく事態を理解しているのだろう、呼吸音はずっと前からしなかった。

 

『グウウゥゥゥゥ………?』

 

 目の前で喉を鳴らし、鼻息を吐くガレオス。止めろよ、妙に生温かい息なんか吹き掛けるな気持ち悪い……!

 

(さっさと行ってくれよ。息が苦しいだろうが蜥蜴めっ………!!)

 

 赤黒い血液と粘液のへばりついた、鮫を思わせる鋭く均等に並ぶ牙を見つめながら私は内心で罵倒する。この野郎、フカヒレスープにしたろか?

 

 まぁ、それは兎も角として………。

 

「…………」

 

 私は視線だけ動かして暗闇の中でどうにかそれを見つける。砂の中に半分沈んだ火薬式拳銃だ。

 

(……やるしかないか)

 

 私は先程食い殺された男のものだろうそれにゆっくりと、音が響かないように注意しながら手を伸ばす。

 

『グウウゥゥゥゥ………』

 

 拳銃を拾うと同時に視線を動かし威嚇するように一層唸る砂鮫。凄ぇな、今の拾った時の僅かな音に気づくのかよ……!!

 

(落ち着け、落ち着け、落ち着け、焦るな………!!)

 

 私は自身にそう言い聞かせる。ガレオスはまだ警戒はしているが目の前に私達がいる事には判断しかねているようだった。よしよし良い子だ……。

 

「っ………!!」

 

 私は拳銃を思いっきり投げた。遠くに捨てられた拳銃が砂の中に落ちる。聴覚に優れた砂鮫はすぐにその砂丘に反響した震動に反応した。

 

『グオォォォ!!』

 

 躍りこむように拳銃の投げ捨てられた方向に向けて突っ込むガレオス。暫し獲物を探すように辺りを暴れるが、当然そこには誰もいない。

 

『グウウゥゥゥゥ………?』

 

 少しの間周囲を警戒するガレオス、しかし何者もそこに存在しない事を理解するとそのまま砂の中に沈みこみ、砂を擦るような独特の音と共にその場を立ち去る……。

 

「…………もういいぞ。どうやらもう近くにはいないようだ」 

 

 暫しの間警戒し続け、それが確実に去ったのを確認すると深呼吸しながら私は告げる。文字通り息も出来ない状況だったのでそう口にすると同時に何度も深い呼吸をしていた。

 

 それは私にしがみ付いていた少女も同じようで、次の瞬間にはマラソンを終えたランナーのように荒い呼吸を繰り返し肺に新鮮な酸素を補給し始める。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……助かった……の……?」

 

 此方を見上げながら目元を潤ませ、怯え気味に家主様は尋ねる。

 

「どうにか、と言った所だな」

 

 頬にこびりついた血を拭き取りながら私は答える。

 

「そう………」

 

 心底ほっとした表情を浮かべる家主様である。

 

「……随分としおらしいですね?そりゃあ食い殺されるなんて銃やナイフを向けられるのとは別種の恐怖ではありますが貴女のような逞しい御方がそんな兎みたいに怯……すみません」

 

 私の指摘は腹を抓られて生じた鋭い痛みで中断させられる。潤んだ瞳で此方を睨みつける家主様に私は苦笑いしながら赦しを乞う。

 

「あー、申し訳御座いません。御許し下さい。……自分から悪ふざけして何ですがそろそろこの辺りから離れましょ……痛ぇ……あの砂鮫がまたやって来たら今度は誤魔化し切れるか怪しいですしね」

 

 私は銃撃で出血する足の痛みを我慢して立ち上がると営業スマイルを浮かべながらそう謝罪と同時に提案する。家主様はそんな私を不満と非難と僅かな怒りを含んだ涙目で睨め付ける。

 

「言われなくても分かっているわ。こんな危険な砂漠さっさと……っ!?」

 

 ツン、と不機嫌そうにそう言い捨て立ち上がろうとした家主様はしかし、次の瞬間驚き、次いで苦い、そして顔を紅潮させプルプルと顔を震わせる。

 

「……フロイライン?」

「………」

「……」

「……」

「……フロイライン?」

「……足が震えて立てない」

 

 家主様は私の一度目の呼びかけには沈黙で応じたが、二度目の呼びかけには苦悩と葛藤と羞恥の感情を織り交ぜた表情と声でそう答えた。所謂腰が抜けた、という事だろうか?どうやら身体が強張って一人では立ち上がれないようだった。

 

「……承知しました。それでは不調法者ではありますがエスコートさせて頂いても宜しいですか、フロイライン?」

 

 ここ数日の観察から家主のプライドの高さは理解していたし、彼女の発言が相当悩んだ末のものであっただろう事も私は分かっていた。なので彼女の面子を立てるように下手に出て私は左手を差し出す。

 

 そんな私の表情を忌々し気に一瞬睨み、しかし背に腹は代えられない事をよく知っている現実主義者である少女は不機嫌そうに私の手を取った。私は足の痛みを我慢して一気にその細い腕を引っ張り彼女を立たせる。

 

 両手で私の腕を持って立ち上がった家主様は一瞬視線を逸らし、次いで不機嫌そうに此方を見てこう吐き捨てた。

 

「……私の家、後で精神的苦痛の分も含めて賠償してくれるわよね?」

「勿論ですともフロイライン」

 

 彼女の精一杯の意趣返しに対して、私は内心呆れつつも恭しくそう答えたのだった。本当に逞しいご令嬢な事であった。

 

 

 

 

 

 

 出来れば止血したかったが余裕はなかった。取り敢えず足の痛みを我慢しながらこの危険なスラム外れの砂丘を登る。

 

「……大丈夫なの?結構血が出てるけど」

 

 血液でびっしょりと濡れているズボンを見て尋ねる家主。

 

「まぁ、大丈夫だろ。……こういうのは慣れてる」

「慣れてるって……はぁ」

 

 呆れきった表情で溜め息を吐かれる。此方だって好きで慣れた訳じゃないんだがね?

 

「はいはい、言い訳言わない。……まぁ、取り敢えずはこれで我慢しなさいな。後でやり直すから」

 

 そういって自分の衣服の布地から比較的汚れていない部分を適当に破いて私の傷口に当てて締め上げる少女。止血処理について私が礼を言えばズケズケと「治療費は後で貰うわ」と吐き捨てられる。ですよねぇ

 

 手当てをしてもらい再度砂丘を登り始め、丁度登り切った所で正面から銃弾跡や焦げ跡でデコレーションされたキャンピングカーが遠目に現れ、此方に向かって来たのが見えた。どうやらしつこいストーカーの処理は終わったようで周囲を小判鮫のように連れ添うテクニカルトラックやらホバーバイクの姿は見えない。

 

「ああ!良かった!!大佐御無事で何よりです!!」

「おいおい、これが無事に見えるか?少佐、ちょっと辞書で『無事』の意味を調べ直したらどうだね?」

 

 我々のすぐ傍でキャンピングカーが停車し、運転席から安堵の表情を浮かべながらそんな事をほざいたバグダッシュ少佐に嫌み半分にそう言い捨てる。これのどこが無事なんですかねぇ?

 

「………補佐官?」

 

 足音に気付いて視線を運転席からキャンピングカーの後方に移る。砂漠をブーツで歩く自治領主補佐官が視界に映し出された。

 

「思ったよりも元気そうですな大佐殿」

「誉められている、と解釈したいな。それじゃあ………」

 

 キャンピングカーの後部扉から顔を覗かせる男爵様を一瞥する私。へらへらと軽薄な笑みを浮かべながら手を此方に振っている。そちらも御無事そうで何より。

 

 ではでは………。

 

「………あんたらと、少し茶飲み話をする必要があるらしいな。えぇ?」

 

 お互いの認識と事情を共有するために、そして今回の馬鹿騒ぎの全貌についての答え合わせのために、私は嫌な予感を感じつつもそう尋ねたのだった………。


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